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検索対象: 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集
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1. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

163 「俺あ、出ていくんだ。そう決めたんだ。いかねえか、よ少年は黙ったまま見返し、彼女は、 かったら、一緒に」 「どうしたんだい」 「出ていくの ? 」 少年を見据えながら咎めるように初江に訊いた。 あいまし 「そうよ。お前だって先刻そう言ったじゃないか」 初江は曖昧に背中をゆすっていた。それでおふくろの顔 「どこへ ? 」 はひっ込んだ。 「どこへったって、どこだっていい。 ここらじゃないどっ「決めろよ。決めてしまえばすぐだ。簡単なもんだぜ」 かもっとにぎやかな、派手なところへだ」 「あんた酔ってるのね」 「どうして」 初江はもう一度言った。 「どうしてったって、どうしてだっていいよ。俺あ急にそ「酔っちゃいないよ。どっちにしても俺あ間違いなくいく う決めたんだ」 んだ」 初江は耳を澄ますような表情をして見せた。 「親方は ? 」 「車で ? 」 「親方 ? 親方は黙ってるよ。黙らしたのさ」 「ああ、そうさ。あの車でだ」 「どうして」 「本当 ? 」 少年は黙って笑った。 「本当だ。荷物はもう積んである。お前は荷物なんか要ら「出ていきたくねえのか」 ねえ。金だってあるんだ」 「いきたいわ」 「どうして ? 「それじやきな」 戸の暗がりの中で少年は初江の一杯に見開いた眼を感「だって」 「なんだ ? 親父はいないんだろ」 じた。彼女の熱い息が頬に触れる。 「どうしてだっていいさ。後になりやわかるさ。そういう「母ちゃんがいるわ」 「本当のおふくろじゃないんだろう」 島ことになったんだ。そう決めたんだよ、俺は」 「本当にいくの」 「そうよ」 「本当だ。だから誘ったんだ。もう戻っちゃ来ない」 「黙って出て来りやいい」 のぞ 中で声がし、明りの中に初江のおふくろの顔が覗いた。 「初江」 とが

2. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

ころあい の歓喜を説明しはじめる。・ほくは頃合をみてそっと彼のま仲間といっしょに公園につれていった。この子は幼稚園で えに新しい紙と絵具をおくのだ。彼の眼の内側に、やがてぬり画ばかりやっていたので、太郎とおなじように自分で ゅううつ ツ。フ派だった。・ほく 白球がとび交い、群衆が起きあがれば、耐えられなくなっ描くことを知らない。憂鬱なチューリ て彼は絵筆をとる。ほんのちょっとしたきっかけで、無人は地面にビニール布をひろげ、あらかじめ絵具や紙や筆を の電車は帰途の超満員電車にまで発展するのだ。いつもお用意してから、彼といっしょに・フランコにのった。はじめ なじ手口で成功するとはかぎらないが、彼らひとりひとりのうち、彼はすくんでおびえていたが、何度ものったりお こうふん しんどう せいへ、 とつばこう りたりしているうちに昻奮しはじめ、ついに振動の絶頂で の生活と性癖をのみこんでいさえしたら、きっと突破口は ロ走ったのだ。 発見されるのだ。すくなくとも・ほくはそう考えたい。 ところが、太郎は何日たっても画を描こうとしなかっ 「お父ちゃん、空がおちてくる ! た。自分のイメージに追われて叫んだり、笑ったりしてい 彼を救ったものはその叫びだった。一時間ほど遊んでか けんそう る仲間の喧騒をよそに彼はひとりぼつんとアトリエの床にら彼は画を描いた。肉体の記憶が古びないうちに描かれた いカた なが すわり、ものうげなまなざしであたりを眺めるばかりだっ画は鋳型を破壊してはげしいうごきにみちていた。 ぎら こうそう た。いつみにいっても彼の紙は白く、絵具皿は乾き、筆も綱ひきや相撲が効を奏したこともあるが、肉体に訴える はじめにおかれた場所にきちんとそろえられたままだつばかりが手段ではない。子供は思いもよらない脱出法を考 こうらよく よくあっ た。泥遊びの快感で硬直がほぐれることもあるので、ためえだすものだ。「トシオノ・ハ力、トシオノ・ハ力」と抑圧者 びん しにフィンガー・べイントの瓶をさしだしてみると の名を・ほくの許すまま壁いつばいに書きちらしてからやっ しか 「服が汚れるとママに叱られるよ」 と画筆をとるきっかけをつくった少女もあった。もうすこ まゆ 彼はそういって細い眉をしかめ、どうしても指を瓶につし年齢の高い子は自分をいじめるタヌキの画をまっ赤にぬ っこもうとしなかった。きちんと時間どおりにやってきてりつぶして息をついた。タヌキは彼の兄のあだ名であった。 一時間ほどしん・ほうづよく坐っては帰ってゆく彼の小さな太郎の場合に困らされたのは・ほくが彼の生活の細部をま から ちゅうてつ 後姿をみると、ぼくは大田夫人の調教ぶりに感嘆せずにはったくといっていいほど知らないことだった。鋳鉄製の唐 くさもよう やし、 草模様の柵でかこまれた美しい邸のなかで彼がどういうふ おれなかった。 まるで画を描こうとしない子供のこわばりを・ほくはいまうに暮らしているのか、そこでなにが起っているのか、・ほ までに何度かときほぐしたことがある。・ほくはある少年をくには見当のつけようがなかった。。ヒアノ教師や家庭教師 すもう

3. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

を女に跨がれただけでもおはらいするんだぞ、手前の汚ねもうちっとわかるようにしてやろうか」 え小便をかけられて黙ってられるか」 少年の手には腰に差した海ナイフが握られている。男は 「子供のくせに黙ってりや良い気になって。君は何か、そ力なく頭を振った。港では一瞬の出来事に気のつくものは の船の持ち主か」 なかった。いたとしても汗を洗いに水へ飛び込んだ位にし デッキ 「何だろうと大きにお世話だ。この船あ俺が管理してるんか思わなかったに違いない。男を甲板に上げると少年は勝 なお ち誇って尚言った。 「管理 ? ふつ」 ーの連中に文句を言うなら言って見な。ここの奴 ふくろだた 少年の口から出たしかつめらしい言葉が可笑しくてか相らは皆気が荒いんだ、話を聞きやもう一度袋叩きだそ。夏 手が笑った。 の預りョットの客位にそうそうでけえ面はさせねえよ」 「畜生、笑いやがったな」 「どうも本当にすみませんー 言うなり彼は近づいた相手の船に飛び乗った。重みで小 「すみませんじやすまねえや。とにかくこのままじやすま むちゃ さなョットは大きく揺れた。男がよろめいたところを少年されねえそ、ポートマスターなら無茶しねえだろうから、 が突き飛ばした。掌で空を掻くと、平衡を失った相手はそマスターにでもあやまってもらおうかな」 のまま水の中に棒倒しに落ち込んだのだ。浮き上り、着て「そ、そんな無茶いわずに君ー はだ いたシャツが肌にからんで自由のきかぬ相手の上へ、踏み 言いながら男は、コック。ヒットの中のショート・ハンツか つけるように少年が飛び下りた。少年はそのまま組みつ、 しら小さい札を三枚程抜くと、 レスキュー てんくてい かんべん て相手を水の中に引き込んだ。転覆艇の救助で潜水にはな 「これで何とか勘弁してくれよ、たのむ」 けりおと れている少年は、息が切れると相手を蹴下して浮き上り、 「馬鹿野郎奴、そんな端た金ー ら・カカ 浮きかかる男をそのまま又水に突っ込んだ。三、四回繰り 男は少年の顔と手にしたナイフを窺うと、千円札を出し こうかっ 返すと彼は手を放した。ようやく浮き上った男は真青な顔て頭を下げた。少年は明るく狡猾に笑うと言ったのだ。 げんそく をして水を吐きながら又沈みかかった。肩をつかまえ舷側「まあ良いや、そんなに言うなら黙っててやらあ。だけど もや に引いて来、舫いロープにまらせながら、少年は言っ今日はもう帰った方が良いぜ、誰が見てたかも知れねえか らな」 少年はその金にも手をつけずきちんと貯金した。彼はこ 「余り大きな口をきくとこうなるんだそ。わかったか ? また また つか へいこう 、た あすか はしがね やっ

4. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

の男に足を踏まれた。気がついてかっかずにか、男はちら 男は下唇で傷を嘗めながら答えた。 っと顔を見ただけで通り過ぎた。男はその時の龍哉の眼つ「靴を踏んだからでしようー きに気がっかなかったのだろうか。知りつつも謝らずに過「この野郎知ってて何でさっきと・ほけやがった」 あご ぎて行ったのは、その夜龍哉が一番着瘠せして見える背広龍哉はいきなり下からもう一つ顎を突き上げた。男は傷 よご を着込んでいた所為かも知れぬ。確かに相手の男は大きかを再び大きく噛み切った。階段を昇りつつ、汚れてもいぬ った。龍哉は物を言いかけて思い留まると帰って来た。そ掌を大きくはたきながら彼は言った。 して先ず、女給に地廻りは入っていないか部屋中を見るよ「明日から当分、ペットの代りにテンボの合わねえマラカ ては′ うに命じてから、その心配がないと知るや皆を集めて手筈スでも振ってろ」 ひょう、ん せりム を決めたのだ。一番小柄で剽軽な田宮が、派手な台辞で男活劇映画を観る子供のように、彼は今の自分に興奮し、 けが を呼んでいる。指を怪我せぬように西村の・ハンドを抜くと満足していた。 龍哉は掌にきっちり巻きつけた。田宮一人と見て男が釣ら れて席を立ち階段の上まで来た時、機を見て田宮が言っ後になってこのことを彼は英子に話して聞かせた。彼女 こ 0 は愉快そうに手を打って笑った。それを見ると彼も釣り込 うれ 「手前の何処が頭に来たか教えてやろうか。聞きてえか」まれて嬉しくなり、もう一度満足したのだ。 「ああ」 「あーら、龍哉、あんた妬いてたのね」 「そうかい、それじゃ、ーー後の人に訊いてみな」 彼女はそう言うと、新しい発見をしたように又笑ったの 言われて思わず振り返りざまを、トランペット吹きの唇 と鼻の辺りに狙いをつけてカ一杯龍哉が殴りつけた。男は″俺は妬いていたのだろうか″が、そんなことはどうでも 節足を浮かし飛ぶようにして下の踊り場まで落っこちたの良い 季だ。敷かれている絨毯に大怪我もせず、やっと起き上 0 た " 俺は奴を殴り倒して痛快だった。英子は笑っている。こ おさ 陽男は上唇を切って口を抑えている。掌の下から血が流れてれでさつばりしたんだ〃 え・りもとね いた。降りて行った龍哉は男の掌を払いながら襟元を捻じ あの男を殴った時、自分が本当に何を感じていたかは彼 せんさく 上げて言った。 にもわかりはしない。そんなつまらぬ詮索で、あの行為に 「お前何で俺にはたかれたかわかるか」 後からどんな意味を持たせたところで何になろう。彼は唯 あた ねら なぐ

5. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

いぶん この答はヒギンス氏をいたく感動させた。氏は急に笑い話でね。随分苦労したけど、やっとな 横浜から船がトラックで運ばれて来る日、少年は落着く 出すと、 「そうかい、そうだったのか。それにしても賭事までしてことが出来なかった。ポートマスタ 1 が冷かして、 儲けようってのは良くないな。でどんな船を買うつもりな「何だお前、そわそわしやがって、嫁さんでも貰う見てえ じゃねえか。船が来ても遊んでばかりいやがったら承知し んだい。・ とれ位足りないのーー」 しようさ、 少年は初めて計画の詳細を他人に打ち明けたのだ。一年ねえぞ」 トラックが着くと、仕事の手を休んで集る連中から歓声 越しの計画と聞いて、ヒギンス氏は痛々しい目つきで少年 なが が上る。大きく腕を組んだまま、駈け出したいのをこらえ を眺めながら言った。 「僕の友人で横浜にスナイ。フを持ってる男がもうじき帰国て少年はじっと、下されるヨットを眺めていた。がっちり うれ するんだ。その船をなんとか安く譲ってもらうように訊い組んだ腕を、解きほどきそうにこみ上げる嬉しさが、覚ら て見てやろう」 れもせぬのに気恥ずかしくもあった。 「本当ですか ! 」 「この野郎、俺達だけに持たして手前は手を貸さねえ気 杉山に呶鳴られ、いやいや笑いながら少年は飛んでいっ 八月の終り、少年は氏と一緒に横浜へそのヨットを見に 出かけた。手入れの良い、昨年出来たばかりの新艇であったのだ。 ボディ 船体にマストを立て、スティを張る段になって、やっと た。話がもう通っているのか、折から船を下しかかってい リッグ た氏の友人は何か言い交した後で、やって来ると、ぎこち自分の船を艤装する嬉しさがしみじみ感じられた。その所 為か掌が震え力が入らず、幾度もスティを張りそこねた。 なく笑う少年の頬を痛い位叩いて言ったのだ。 台車に乗せて運ぶと水に浮べた。水に映ったヨットの影 が、これ程きらきらと鮮かに見えたことがあったろうか。 九月に入って持ち主がアメリカへ発っと、ヒギンス氏は もや 帆を上げ帆綱を通してたぐると少年は舫いを解いた。風を 自ら少し金額を加えて少年にヨットを買いとってくれた。 たちま ニュースは忽ち港に知れ渡った。今になって彼は会う仲すくった船は、ついと陸を離れる。同乗した時次が感心し ごとほこ たように叫んだ。 間毎誇らかに言うのだ。 はや 「俺、今度手前のヨットを買ったんだ。ヒギンスさんの世「えらく足の速い船じゃねえか」 ほお かわ ンート

6. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

穴から廻りの気配目がけて射った。 「早く出て来い」 しながら少年は次第に体の内に暖く拡がっていく恍惚をゆっくり立ち上り蹴るようにして戸を開けた。 感じていた。それは初めて初江を抱いてその肉の間に押し「手を上げて出て来い」 入り、おびえながら嵩まっていく快感の末に知らぬ自分を待ち切れないように声は言った。 放出していったあの陶酔に似ていた。 手を上げ、少年は戸口に立った。外の明りが馬鹿にまぶ 体のにたかまって来るその陶酔が切りなく極点に向っしく見える。 あた しげ て近づいていくのを感じながら、少年は仕舞いに声を上げ辺りの繁みから銃を構えた男たちが並んで出て来る。 また て射った。 三つ股の蔭から携帯マイクを下げた警官が出て来る。 その瞬間、戸口からさし出した少年の掌の拳銃を飛んで 戸口に立ったまま少年はみんなを見廻した。どの顔にも こつけい 来た弾が射った。 彼が今まで見て来たあの滑稽などす黒い表情がある。少年 とうつう わら 衝撃の疼痛が腕を痺れさせた。恍惚の極点に少年はそのは想い出し、それを微笑った。 ほとん 痛みを殆ど快いものに感じた。 「ダボ」 下半身に熱いものが拡がっていく。 声がし、振り返った。 あえ 坐り込み、少年は喘いだ。 小屋の横の繁みから見知らぬ男と並んで武夫の姿が見え あの夜、初江の体の内に感じた安息と満足の代りに、ナ 「ダボお前って奴あー った今気だるさと虚しさのようなものが体中にあった。 外れて飛んだ拳銃に弾が集り、開いた戸の先で拳銃は爆努めたような笑い顔で武夫は言った。 発した。 違う、俺はダボじゃない ! 「出て来い。もう何も出来ないぞ」 「ダボよ」 声は言った。 逆戻りだ ! あせ なるほどこんなことか、少年は思った。 焦ったように少年は思った。腹だたしさだけがこみ上げ 彼はもう一度ずっと前の、始まりから考え直そうとしたて来た。彼は何かを叫びたいと思った。 町がもうそれはどうでもいいことに思えた。 向き直った彼に、武夫はいつもと同じじらすように嘲笑 しかしとにかく大丈夫だろう、彼は思い直した。 っている。 むな たか とうすい しび こうこっ やっ あぎわら

7. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

ってくるのが見える。焼玉エンジンのポッ、ポッという快 爽快な正月であった。朝も九時頃までは空気が冷たくひ活な音をたて、舟は波を蹴たてておりてくる。 きしまり、膚は微風をお・ほえ、草は露にぬれていきいきし「ね、ね、ね。ヴェトコンさんでしょ ? ている。すでに死体はどこかへ消え、屍臭はなく、ただ湿「待て。せくな」 った赤い土に何本かの線香の燃えかすが散らばっていた。 「あの旗、ヴェトコンさんの旗だよ」 ざんごう しらりん 久瀬は塹壕のほう・ヘ歩いていった。七輪でマングローヴの 炭がきつい匂いをたて、粥が煮え、大は呎え、赤ン坊は泣久瀬は眼をった。たしかにそのサンパンの舳にひるが じま き、老婆や女房たちが穴にでたり入ったりしてせわしく働える旗は青と赤の染分け縞の中央に黄星を一つおいてい いていた。夫たちは塹壕に腰をおろして、それを誇らしげた。彼らが姿をあらわしたのだ。北北東のジャングルから に、じっと眺めていた。昨日、寡婦になった二人の女をさ黒シャツを正月着に着かえてサン。 ( ンに乗りこみ、これか がしたが、どこの穴にひそんだのか、姿が見えなかった。 らサイゴンへ繰りこもうというのだろうか。お屠蘇を飲み 田中少年がいそぎ足でやってきた。 にでかけるところなのであろうか。 「妙な舟がやってくるよ、久瀬さん」 アメリカ兵たちはがやがやしはじめ、ロ笛を吹いたり、 「妙な舟って : ・ くすくす笑ったり、短く叫んだりした。 「それが、どうも、ヴェトコンさんらしいんです。旗をた「 >00 >00 オオ、」 チャーリー てて上流からやってくるんですよ。どうもおかしいんだ「チャーリー、 が、何だかそうらしいんだ。どう見てもコンさんらしいん「ヴィクタ】・チャーリー 一「三人がたちまち声をあげて愉快そうにはしゃぎ、調 とうわく り少年は当惑したまなざしで、カメラをいじりいじりそう子をとって叫んだ。サンパンにはこ・ほれおちそうになるく 祭 らいの人が乗っていた。 いうと、小走りに川のほうへかけていった。 力い、い′ル 半ズボンもあれば白の開襟シャツもあり、ジャングル・ 久瀬がそちらへいってみると、川岸の塹壕に何人ものア ハットをひっかけてるのもあれば乱髪を風になびかせてる メリカ兵がのんびり腰をおろして上流のほうを眺めてい はたざお いっせ、 * のもいる。ある者は旗竿につかまり、ある者はしやがみこ た。黄いろい、ゆったりした川の上流に一隻のサンパン・、 昭 まんさい へさき あらわれ、舳に旗をひるがえし、人を満載してこちらへやんでのんびり空を仰いでいる。 そうか、 はだ にお かゆに

8. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

ののし 「し、し、し、新町の飲み屋で飲んでて、そ、そ、外へではなんということもなしにことわった。友人は罵りながら たら自動車がきて、気がついたらこ、こ、こうなってたア」去り、駅で電車を待つうちに、偵察飛行の帰りがけに気まぐ さくれつ れにおとした一機きりの四の爆弾が京橋駅で炸裂した。 「もう大工はできないな」 おれたちはかけつけてあたりいちめんに飛散した肉と内 「で、で、できない」 そうじ 臓、腕や足や頭をスコップですくって掃除したが、どれが 「奥さんや子供さんをどうするんだ ? 」 むぎん おれはできるだけ冷酷無慚な声をだしたつもりだが、大彼のだかはわからなかった。けれどその日から友人の姿は トマ消え、家にもどらなかった。一円持っていなかったばっか 工はびくともしなかった。あいかわらず血色のよい トのような顔で笑いくずれ、眼も眉もひらきつばなしにひりにおれはそれから十九年暑がったり寒がったりして生き ている。出版社に勤め、外国へ遊びにゆく作家を見送りに らいて、うれしそうにうめいた。 羽田空港へいった帰りに自動車が衝突し、右腕がきかなく 「お、お、お、おたがいさまだよツ」 なって狂人たちといっしょに暑がったり寒がったりしてい 返答を聞いておれは毛布のなかにもぐりこんだ。眼をと じてじっとしていると、シュウシュウという息の音と松葉る。 たくましい青年が一ムこの病室にいるが、彼の頭はタ 杖の音がいそがしい笑いのしやっくりといっしょに頭のう コのようにやわらかい。長距離トラックの助手席にのって えをとおって廊下へでてゆくのが聞えた。まるでゴムまり みたいなやつだと思った。とけてはじける楽観も、もつれ東海道を往復しているうちに正面衝突をやったのだ。開頭 て凍りつく悲観も、結局のところは脳のうちどころひとつ手術をしたが額からうえの部分の骨が粉ごなに砕けてし くふう でどうにでもなるのだとも思った。五ミリか一センチ右へた。先生は何時間も苦しんで工夫をこらしたが、結局、砕 き よるか左へよるかというだけのことだ。ただそれだけのこけた骨片はとってしまうよりほかなかった。とったあとを と るとですべてが変ってしまう。あとは暑がったり寒がったり皮膚で蔽った。いま青年はごろりとペッドにころがって誰 するだけだ。敗戦の年に友達の一人が大阪の京橋駅で死んかが壁に貼りつけたヌード写真をぼんやり眺めてしるが、 カ 生だことがあるが、その三十分まえにおれはその友人と憲兵頭のうちで無慚な傷跡にかこまれた部分は髪がなくてつる つるし、大きな火傷をしたみたいになっている。先生に誘 の目をぬすんで『姿三四郎』を見にいこうかと相談しあっ ていた。映画館の入場料はその頃、一円だった。あいにくおわれて一度手をあててみたことがあるが、薄い薄い皮ごし れは持っていなかった。友人は貸してやるといったがおれに脳の熱いかたまりがびくんびくんと脈うっているのが手 おお

9. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

や書斎で会ったときのあの達人めいた紳士ぶりをすてて彼もうとしなかった。 は自信と闘志を全身から発散させているようであった。 「ごくろうさまでございます」 「いや、まったくよくやってくれましたな。文字どおり北 ひとりひとりの審査員に彼はいんぎんに頭をさげて歩い つつうらうら 海道の山奥から九州の果てまで、まさに津々浦々ってこった。壇上でホールをみくだして高笑いしたときとはうって てす。なんというか、子供の姿が眼にみえるようですな」かわった態度であった。こんな商人のしたたかさには・ほく 酷薄な父親はそういってもう一度、笑声を高い天井にひはついていけない。 いちじゅん びかせた。 ・ほくは大田氏からはなれてホールを一巡したが、画をみ コ 1 ヒーを一杯飲んでから・ほくは壇をおりて大田氏の成てすっかり失望してしまった。審査員たちは各派さまざま 果をみにいった。彼は・ほくをつれてテー・フルからテー・フルな理論を日頃主張しているのに、ここではまったく公平で に案内した。画家や教育評論家や指導主事など、各界各派あった。どのテ 1 ・フルにも申しあわせたようにおなじよう の審査員がテ 1 ・フルについていたが、大田氏はその誰ともな画が選ばれていた。彼らは公平であるばかりか、正確 あいきっか じようだん えんてん そっなく挨拶を交わし、冗談をとばし、笑いあって、円転で、美しくて、良識に富み、よく計算していた。ことごと くそのような画が選ばれているのだ。どの一枚をとっても 滑脱の様子であった。彼は審査員のうしろをそっと歩い て、床に画がおちているとひろいあげ、傲らず、誇らず、そのまま絵本の一頁になりそうな、可愛くて、秩序があっ じせん じようずほほえ たくみに快活な慈善家としてふるまった。彼はすべての審て、上手で微笑ましい画ばかりであった。理解のない空 査員を支配しているにもかかわらず、そんな表情はおくび想、原型を失った感情、肉体のない画が日光を浴び、歌を にもださなかった。ある男が一枚の画をさしてクレバスのうたい、笑いさざめいていた。・ほくにはこの部屋にあるも いがたぎんがい のびのよさをほめ、そのついでに作品についての感想を彼のがすべて趣味のよい鋳型の残骸としか考えられなかっ 様に聞くと、 ナしったい、何万冊の絵本が手から手へ、家から家へ流 王 「子供の指にかかる重さは一七〇グラムでしたかな、私のれたことであろう。 の ほうではジスどおりにできるだけ抵抗を感じさせないよう ・ほくはうんざりして講壇へひきかえした。ちょうど入口 気を使っておりますが、事実どんなもんでござんしよう から入ってきた山口と、ばったりそこで会った。彼もシャ ひじ ほお ねー ツを肘までまくりあげ、髪を乱し、頬を上気させて、自信 げんき そんなことをいって審査員の仕事には・せったい口をはさと衒気にみちていた。壇上のテー・フルにつくとさっそく彼 かつだっ

10. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

8 よるよりしかたないのだ。 ( やつばりあいつの方が当ったな ) 俊介は、いっか酒場で農学者のいった忠告を思いだし彼はみじめな気持をおしかくして課長を笑顔で迎えた。 あいさっ この戦術で勝っことには八〇パーセントの自信がある。し た。そのとき玄関で課長が局長に別れの挨拶をする声が聞 え、つづいて仲居や女中をともなって高声に笑いながら廊かし、勝ったところであとになにがのこるというのだろ けんたい 下をこちらへもどってくる気配が感じられたので、俊介はう。ネズミの大群と孤独感。またしても倦怠の青い唄か。 いそいで体を起した。 あらゆるかけひきのあとにその疑問がのこる。 「君、うまいことやったな」 ( 成功するかな : : : ) 逃げる手は一つしかないと彼は考えた。明日の会議で責課長は部屋にもどって来るやいなや彼の肩をたたいて横 ふしゅう 任を課長に転じてしまうのだ。口実は二つある。一つは鼠に坐りこんだ。体内によどんだ腐臭を熱い酒がかきたてた にお 害対策委員長が課長であること。これを主張することは身のだろう。全身から生温かい匂いを発散していた。 分上まったく正しい。もう一つは彼が野党の攻撃武器に利「 : : : ? ー 「知事がね、いってるそうだよ」 用されている事実を指摘すること。もし終戦宣言のからく ごうまん りが発見され、そのメッセージの読み手が余人ならぬ俊介課長はするどい眼にいつもの傲慢な薄笑いの表情を浮か だんがい ふんぬ 自身であることがわかれば弾劾者の血は憤怒の酸液でわきべ、うまそうにこのわたを吸った。 えいてん かえり、県庁側は弁明のしようがなくなるだろう。その不「君は東京の本庁へ栄転だってさ。一週間の特休もっくそ くよう 利をさとらせるのだ。これはよほど用心ぶかく説明しなけうだし、たいした出世ぶりじゃないか。ネズミ供養しなく ればならぬ。さらに課長の個人的反撃をそらしておく必要っちゃいけないねー がある。彼に対する反感を解消することだ。これには、ひ ( けむたがられたな : : : ) とまずイタチの不正を見逃してやることだ。証拠の伝票や俊介はしらじらしさのあまり点をつける気にもなれなか きようおう った。はげしくわびしい屈折を感じて彼は腐った肉体に頭 イタチや供応の事実の証言など、材料は豊富にこちらでに ぎっているのだから、告発しようと思えばいつでもやれるをさげた。 わけだ。いざとなれば、まずい手だがこの刃をチラつかせ「負けましたよ、課長。みごとに一本とられました : るということも考えられる。苦しまぎれだが、さしあたっ はじしらずに泥酔して帰った俊介を待っていたのは農学 ていまのところビラミッドの重圧を逃げるにはこの手にた者だった。彼は古タクシーをやとい、エンジンをかけつば くっせつ