そら 然にそれを外した。気づかなかったように。そして誰かに薬が入り、悠二の途中で彼らは入って来、彼らには初回の 呼ばれたようにゆっくりたき火の方へ向き直った。その背丹念さで彼女をもてなした。時間が長すぎ、薬が薄れて来 らようど は丁度先刻、彼に言われながら自分の靴を捜して出ていった頃に彼女は自分に起っていることに気づいた。 りようて のが た後姿と同じだった。 抱き敷かれたまま女は両掌と頭で畳を掻くようにして逃 その後、彼に気づかぬ彼の部下の青井が通りかかって話れようとした。肢は、上の男が抱いているから役にたたな かわ じようだん かえ かっこう しかけると、何か冗談を言い交して彼女は彼を小突く真似 。丁度、引っくり覆された亀が暴れているような恰好 をし、二人は互いに体をそらせて笑い合っていた。いきか だ。暫くし、上の男が疲れると、横で煙草を吸っていた仲 かる青井に菊江はまだ何か言い、青井は彼女に向き直り手 間が一本ずつの手を足で踏みつけて両脇に立った。全体の 真似を入れて何か言い、彼女はまた笑った。その様子は本姿は、台から下された磔の人間のようなものだ。女はも びどう 当に自然に見えた。恐らく向い合っている青井にとってう微動だにしなかった。その男が離れた時、右手を踏みつ も。しかし悠二にはわかったような気がした。彼もある満けていた男が代り、最後に、左手の男が乗った。その頃に 足でそこを立ち去った。その満足が、彼にも彼女にも全くは、女は手を自由にしてももうどうにも動かなかった。部 もう何ももたらしはしないのをよく知りながら。多分、立屋は妙に生臭く、終りの頃、悠二が立っていって窓を明け ち去る自分を見送りながら、菊江はまだ一生懸命に青井とると、すぐにその外に猫が鳴いて寄って来た。起き上った 冗談を言っているだろう、と彼は思った。 が、女は腰が抜けたように、半分裸のまま坐っていた。涙 が出るのは多分、もっともっと後のことだろう。男たち 四五日ずつ間を隔てて、女はそれから四度、彼の部屋には、みんな煙草を吸いながら彼女を見守っている。誰かが 屋来た。そこへやって来ぬ間に彼女が、使う薬も渡してあっ火をつけた煙草をさし出すと、やっと、気づいて、ぎよっ たた。一一度目に彼女は自分で注射器を使うことを覚え、四度としたように顔を引いた。 ふさが さ目には、間の練習があってかとうに馴れていた。彼の眼の誰も立ち塞ったり、帰さぬなどと言いはしなかったが、 いたずら ざ 前でしながら、彼女は甘えたみたいに悪戯つぼく笑って見ただ黙って女を眺めている。その間に彼女がこれから先の 閉 せた。 何もかもを覚ってしまえるようにみんなは彼女を眺めた。 たとえ今、彼女がどんなつもりでここを出ていこうと、間 五度目の時、悠二の他に五人の男が彼女を待っていた。 つな それから彼同様、彼女と切れない糸に繋がる男たちがだ。違いなく彼女を引き戻すものを彼らは持っている。 たんねん さと あし はりつけ かめ たばこ
ただろう。 の幸運について。今それをどう証すことも出来ぬ自分に、 ひぐま もらろん 原始森の中で突然出会った大羆にしても、勿論言葉の通腹がたち、俺は怖しかった。 いんけんこうみよう じぬ相手に向って、俺は腰に下げた山ナイフを握ってい 今まで聞かされていた、やって来る奴らの陰険な巧妙さ とら そうわ た。羆が近眼でなく、俺たちの姿を捉えて襲いかかって来の挿話が、俺自身にとってもまぎれもない現実のものとし たとしたら、多分、負けたには違いないが、あのナイフでて、この闇と沈黙の中に俺をとり巻いているのをはっきり どうにかしようとしてみたに違いない。 感じることが出来た。 高等学校時代、つまらぬことで八人の相手に待伏せさ待ち伏せしている彼らにも、やって来ようとしている奴 にた れ、袋叩きにあった時も、鼻血が眼に入って前が見えなくらにも、俺なりにそれぞれ共感はあったが、しかし俺は いっちょうけんじゅう けんめい なるまで、なんとか夢中で闘った。囲まれている間は怖し今、この手元に一梃の拳銃があることを懸命に願い、その なぐ おど かったが、殴られ殴り返し出すともう怖くはなかった。人拳銃で、背後からあのビアノ線を持って忍びより跳りかか 間なんて誰もそうしたものに違いな、。 って来る奴らを射ち殺したい、と願った。なんだろうと、 恐怖に鼻をつき合わせながら、何も出来ないということやって来る奴らは、今は、この俺の敵なのだ。そのことに うかっ はどういうことなのだ。それも、迂濶に自分で選んでここ間違いはない。 にやって来たのだ。 もう一度時計を確かめたが、時間は非現実な速度でしか すご ″こいつはもの凄く馬鹿げたことだ″ 過ぎてはいなかった。こらえ切れず、叫び出しそうになる こうかし 俺は思った。そして全く後悔した。 自分をやっと抑えて、俺はもう一度にじり寄り、手をの 後悔すると、恐怖は倍になった。自分の立場が防ぎようべ、隣りのカメラマンの体に触れようとした。彼がそこに もなく、救いようもなく、全く何も出来ぬまま、ただ、あ いることを確かめる度、処刑台へ一緒に上る仲間を求める せるかどうかわからぬ幸運を祈るだけしか出来ないものであ囚人の気持を俺は理解出来た。 さと 手が触れる時、相手の身じろぎで地をこする音の聞こえ 伏ると悟った時、恐怖が胸につかえ、俺は吐きそうになった。 るほど、彼が大きく反応するのがわかった。俺の手が、そ 待″全体、なんのためにこんなところへ出かけて来たのだ″ 埓もなく、くり返しそればかりを考えた。俺は多分、生の背に触れた瞬間、彼が何を連想したかが、俺には自分と 貯れて初めて、本心、自分に愛想をつかしていた。 同じくらいよくわかった。彼がたった今背に感じたもの ある 出かけて来る前、或いは信じていたのかも知れぬ、自分は、あのビアノ線の感触に違いない。 あいそう こわ おさ たび あか
の手に吸い込まれていく女たちの方だった。つまり悠二は「おい、どうだ」 悠一一が言うと女は体をもたげるようにして答えようとし 薬の掌の内に女を連れて来て渡してやるのだ。 持 0 ていた煙草を吸い込み、悠一一はそれを捨てた。最後彼がものを言う度、女はそうして答えようとし、その度 の煙を間近から女の顔に吹きつけてやる。それでも煙が眼に痙攣する。薬と、彼の言葉の暗示で、女はこの次の機会 まばた まで、たった今を夢にも忘れないでいるだろう。そしてそ さら にしみたように、しかし、馬鹿にゆっくり女は瞬きした。 の次も同じように。いや更にだ。悠二はそう思う。いや、 彼はゆっくりと女の中に入った。そうする前に必要なこ とは薬がすでにや 0 てくれている。死んだように延びて投そう知 0 ている。自分も、そして今一緒に働いている薬を けいれん 信用して。 あまのじゃく げ出されたままでいた女の四肢にゆるやかな痙攣が伝わり が、そう思った時、天邪鬼に彼の体の内で何かが後退し 」よノ 力が加わる。女はもだえるように手で彼の肩を抱こうとす こ。しかしかまいはしない。そうなれば横にある箒の棒を る。それを払うようにしてどけ悠二は掌を女の体にそってナ わからなくなると、それで満足す でも代りに使えばい、。 伝わらせた。 る女だって実際にいる。それを見世物にして食っている仲 今ようやく、自分が女をこれから先の仕事の道具として 間だっている。薬は違うがスパニッシュフライと言う奴 扱っているのを感じる。とすると今までは何だったと言う は、そのことに関して女を完全に盲にしてしまう。多分、 のだろうか。 女は次第にゆ 0 くりした間隔で声を上げ出した。その声今となればこの薬も同じようなものだろう。スパ = ッシ、 こた フライと違って、女は多分もっと静かに、うめいて話でも とそれに応えて動く自分の下半身を悠二は遠いものに感じ しかけながら箒を抱いているかも知れない。 る。多分この次、或いは次の次には彼の体は効かないだろ 部 いっか 0—0 の偉い奴が、警察を通してそんな見世物に たう。途中から、誰かが言われて彼に代る。女がそれに気づ さいたとしても、女はつまり、更にそれから先の自分を待っ使える女を捜せ、と言って来た。その女を連れていったっ ざ いでに悠一一も彼らの遊びを覗いて見た。どれだけフライを ているものについて少し早く覚ったと言うだけだ。 閉 悠二は動いている自分の下半身を窺デようにして眺めて呑まされたかは知らないが、女が抱かされたのは、いや厳 見た。女は夢を見ている子供のように薄く白眼を出してい密に言えば女は縛られていたが、箒ではなし、同じくらい 薬を呑まされた驢だった。 る。半ば開いたロからよだれがたれていた。 ある たび
今、半分意識がない女の開かれた股の間を、悠二は、丁時も誰かが言った。仲間を裏切って売ったのはその男だっ たた 度火に熔けかけた鉄をどんな形に叩こうかと言う鍛冶屋のたかも知れない。人間同士が繋がるとか一つになるなどと なが 言うのは一体どう言うことなのだ。繋がるとかひとつにな ように眺めていた。 彼がこれからしようとしていることを、この先々何度かると言えば、悠一一が女にこれからしようとしていることだ ってそうだ。ひと頃は悠一一もそのことだけが人間同士を繋 くり返してやることで。女は彼が教えて引き込んだものの 中から脱け出さなくなり、彼の言いなりに動くようになげてひとつにするように思った。眼の前の女は、今でもそ る。その時には女にとって、彼の言うままに街に立って客う思っている。悠二が女に薬をすすめたのは、二人がきっ くつじよく とそうなるため、と言ったのだ。しかし彼は知っている。 をとると言うことはすでに屈辱でも苦痛でもなくなってい うそ るかも知れない。・ : 、 力しずれにしろ、この仕事の中で悠一一それも嘘だ。彼が今からその女としようとしていることが すべ てはす を一番捉えるものは、しなれた手筈だが女をだまし込みそ嘘なのではない。そのこと総てが、矢張り人間同士を本当 にひとつにしたりはしない の先々を一人知っている自分が、女に初めて体を開かせた 時と、何にもまして、女が街で初めて客を拾い、初めて宿そんなことはもうどうでもいい。ただ、他の、それが必 に収まるのを見とどけた時だ。それは何と言おう、自分が要な人間同士が、男と女があれをしながら自分たちがよう かかわ 他の人間と関りのあるひとつの仕事を確かにやったと言うやく繋がってひとつになることが出来たとその時信じてい 満足のようなものだ。他の人間とは、その女でもいい 、そればいいのだ。必要な人間だけがだ。 いつだったか、彼の部下で街に立っている女たちの誰か の女の客でもいし 他の人間と、本当に一緒にやれる仕事なんてものはこんと惚れ合ってしまって、悠二たちの眼のとどかぬところで 屋なものだ、と悠二は思う。昔、彼が彼に処女を与えたあの二人がそうすることで互いに間違いなくひとつになること こう 少女と知り合った頃、していた仕事なんそは他人が仕事とが出来た、と信じた奴がいた。それが段々昻じて来ると、 れ 男も女も、そのことを他人のために切り売りすることが出 呼ぶだけで彼自身に何の関りもないものでしかなかった。 さ ざあの会社で彼が仲間たちと、それこそ一緒にやったあの仕来なくなって、一一人一緒に死んだのだ。 事でさえ、最後には仲間の一人が離れてことがばれ悠二た報せを受けて他の部下たちもその場を見にいった時、逃 げればいいのにと思った。尤も、二人が逃げたところで、 ちは刑務所に放り込まれた。 俺たちは仲間だ。ひとつに繋がり合った仲間だ、とあの二人はつかまるたろうし、多分その前に一一人は自分で戻っ つな もっと
とり巻いた男たちの中から、女はゆっくり捜すようにし て窓ぎわにいた悠一一を見つめた。表情のない眼だ。訴える竹田に起されたのは四時だった。開けた扉の向うに声の には余り多くのことが起りすぎた。彼女が悠一一と初めてあ主の竹田と、おびえた顔の西井がいた。 ってからたった今までの間に。 「五番町の本部が手入れを食った。向うの物は全部挙げら ばくち 女はぼんやり、自分が今どんな表情を浮べているのか捜れた。偶然、向うに博打をやりにいっていた奴が様子を見 あわ ねすみ すように彼を見つめている。その眼の中にようやく何かがて泡を食って逃げて来た。鼠も通れないところを、運河へ 浮びかかる。或いはたった今初めて、女は他人を疑うこと逃げてどぶ鼠みたいになって帰って来やがった。ルートを さと けんきょ について覚ったのかも知れない。いずれにしろ、自分の身逆さに関西まで一斉の大検挙らしい」 たす に起ったことがらの故を、彼に向って訊ねるように女は悠「こっちへは来るのか」 二をみつめる。 「かも知れない」 俺はこの男たちに関りない。 と言うひと言だけで女を安「それじゃある物だけを言ってある通り散らばらせろ。関 あた 心させ、救われた気持で自分に向って彼女を泣きっかせて西辺りまで根こそぎに挙げられりや、当分補給が止るだろ 来るのを知りながら、悠二は黙って、ゆっくりと微笑しう」 やす た。ことについて女にわかり易くするためには、ほんの少「こいつあどうやら、大分深い身内に本庁の刑事か眼の利 し、女に許しを乞うような表情さえすれば充分だった。 , 彼く検察官が潜り込んでいるらしい」 女は結局、理解するのだ。そして最後に、すべて遅すぎた竹田は言った。 と一一 = ロうことも。 「だからこっちにある品も、俺がいいと言うまでは誰にも 悠二はゆっくり徴笑った。女はまじまじと見返してい絶対に売るな、どこで誰が見てるかわからねえ。ともかく る。その眼を、正面から微笑しつづけながら黙って受けて急げ」 いるのが彼は好きだった。それが彼にとって、女たちとの 言われて竹田は西井を促し飛び出していった。 さかのば 調印だった。 悠二が思った通り、関西辺りまで遡って品物が挙げら 「おい、着ろよ」 れると、小売りへの補給は完全に止った。外国からの新し つごう 悠二が言った。女は盲が邁いすさるようにして、脱ぎと い船が着くか、他のどこかのルートから都合して廻させる られてあった下着を手で捜した。 より仕方がないが、その目算も当分ない。 ある かかわ もぐ
おお それは、今いるところが俺たちの五感でさぐれるある拡分の上を何か巨きなものが通りすぎていくような気がす がりをもった世界であることを証すように感じられた。俺る。雨雲ではなく、自分はじっと動かぬままでも、たった はその右を左を見ようとした。ここにいる自分をもう一度今自分の運命のある断片がすぎていったというような気が する。多分、それはそういい部分ではなかったろうが、と 確かめるために、俺は雨を見たい、と願った。 いって、この後待ちかまえているものがそれよりもいい部 突然、俺はそれを見、確かに聞いたのだ。季節外れの重 しぐれ 分という気もしない。なぜなら、寒さはむしろ雨が止んだ い時雨はやがて雷を伴った。 、れつ 石のような闇が青く裂け、その亀裂の中にふりそそぐも後にやって来た。そして、寒さと一緒に恐怖も。 雨が止む時の、最後に背を打った雨粒を俺は覚えてい のの姿が見えた。闇の裂けて落ちる音が頭上にあった。 その時たった一度、俺は禁を破り、半ば首をもたげて今る。それは、腹這いに左肘をついて心持ち開き気味にもち せんこう いる世界を見廻して見たのだ。紫の閃光の中に、曹長はそ上げている右の肩口を打った。そして雨は止んだ。 冫しカメラマンはそここ 冫いた。そ雨が止んだ後、なぜか最後の雨粒の感触だけがいつまで こにい、黒人兵はそここ、 ぎようこ して更に、草むらに横たわった、凝固して動かぬ石のようも残った。そして、雨が上ったことで、今までとは違った な闇の分身たちの姿が垣間見えた。その一瞬の光景は何かある新しい事態がやって来たのが俺にはわか 9 た。多分、 じゅばく の手で永遠に呪縛され、石に化したものたちの伝説を想わそれに比べれば、今までのすべてはずっと易しいものだっ かす たに違いないことを、予感出来た。 せた。眼を凝らしたが、眼に映るものは、微かも動かなか 雨の間に、閉じたままのマントのようなポンチョを被り 何度目かの雷に、俺は俺自身の影を眼下にはっきりと見はしたが、その前に体は濡れていた。腹這いの地面はいっ た。その影は、なぜか俺自身の存在を過去のものに感じさまでも濡れて水がたまったままだった。 なが たび 首をもたげては闇を眺め直す度、ポンチョの狭い被り口 せせた。石になって雨に打たれている自分を感じた。 色も時間も非現実な明りの下で、俺はもう一度、急いでが首に食い込む。その度、俺は以前に見た、前線のある海 自分の何かについて確かめ直しておきたいと思った。しか兵隊員のアツ。フ写真を思い出した。雨の中の作戦で、彼は 待 し、閃光も雷鳴もそれ切りで去った。明りの消え去ったポンチョを着、その鉄かぶとには WAR ISHELL と書 いてあった。濡れた鉄かぶとと、薄いビニールのポンチョ 後、雨とそれを注いでいる闇は前以上に重かった。 暗闇の中で雨が止む時、雨に打たれている人間には、自は、ひどく重そうに見えた。あれはいい写真だった。 あか はず ひろ ひじ やさ せま かぶ
わず その瞬間、恐怖は、僅かだが相殺され、俺は同じ恐怖にをせずにいる奴のことではないのか。今、俺たちに何が出 幻処刑される仲間を感じほっとした。 来る。 それを伝えようとし、指で相手の背中に仮名で書いた。 ノカミタ コワイ、コワイ。 彼は書いた。 うなす カヲミタ 体で頷いた相手は、逆に手をのべ、俺の背に、同じよう ナゼ。 に、コワイ、と書き直す。 それを読みとると、世界が拡がったような気がした。こ シャシン、ウッセナイ・ さと の闇の中に、俺と全く同じ人間が二人いるのを覚ったこと彼は書いた。全くの話、この闇だ。カメラマンは三台の で、一瞬の安らぎさえある。 カメラを下げて来ている。俺はほくそえみ、小柄で気のい ナガイ、ヨル。 いこの男に、わけもなく共感のようなものを感じた。 こつけ、 字を書き合っている間だけ、自分の立場を滑褓にも感じ 相手の背中へ、カ一杯指を突き立てて、俺は書いた。そ ひと うすることで、俺一人ではなくもう一人の人間と一緒にこることが出来る。独りでないということは、こんなにいい の恐怖の中にいるということを確かめ直し、それを分ち合ものか。人間の気持の余裕という奴は、所詮他人のために しかないのだ。 えた。そうやっている間だけ、恐れずにすんだ。 ナガイナガイ。 彼の手が、背中ではなく肩口に触れ、うなじを伝わって 彼は書き直した。 俺の顔の前へのびる。彼の時計の夜光針は十一一時をさしか ・ヒアノセンノ、クビシメコワイ。 けていた。 ハンプン。 俺は自分が一人で抱いているかも知れないものを彼に向 と彼は書いた。 って放り出すために、書いた。 時間はやっと半分過ぎただけだ。一一人は残された半分を ウシロカラ、クル。 理解した相手が身じろぎし、後をふり返って見るのが感考え、指は沈黙した。 らよっと び、よう じられてわかる。俺は一寸の間安息しながら、自分は卑怯沈黙の中でも、間近にもう一人の人間がいることはわか なのだろうか、と思った。 ったが、急に、一人でも二人でも同じような気がして来 しかし、卑怯というのは、何か出来る場合なのに、それた。奴らにとっても、俺たちが一人でもニ人でも同じこと そうさい しよせん
おこな そうしたかったから思い切り行って満足するのだ。彼にと等は去年の夏を思いだし、今年の数々の出来事を想像して らっ 7 って大切なことは、自分が一番したいことを、したいよう見るのだ。悪辣な友人が、自分の乗用車を罠に成功した幾 に行ったかと言うことだった。何故と言う事に要はなかっ つかの女出入りに、充分匹敵するものを彼等はこのヨット た。行為の後に反省があったとしても、成功したかしなかで贏ち得た。龍哉はその友人に言ったことがある。 く・り ったかと言うことだけである。自分が満足したか否か、そ「 ョットと較べりや車で引っかかるなんて程度の低い ゆえ の他の感情は取るに足らない。それ故彼は、″悪いことを女に決まってらあ。第一海の上の方が着てるものが少い とが おか まわ した″と自らを咎めることが無かった。彼には罪を冒すこし、裸だって良くわかるじゃねえか。お巡りだっていない とが有り得ないのだ。・、 カ人々はその行為の外象により彼をや」 判断する。彼はその内容によって自分をとらえる。 東京にしか家の無いくせに、その友人は父にせがんで、 いわゆる さっそく * 嘗っての女達に対しても、彼は所謂助平な男では決して早速スナイプを一隻買って貰った。 ほふ なかった。結局龍哉が女を追うのは、女を屠ること自体の 兄弟は例年通り、ヨットの船名を書く段になって口論し ためなのだ。彼の満足はそこにあった。それ故、・ ( ーやキた。彼等は毎年船の名前を変えるのだ。一昨年は兄の提案 ヤ・ハレ 1 で、気のあった女から逆に口説かれた場合、彼はで DANDY 、昨年は龍哉が言い通して MOTERU ( もて 知らぬふりをして乗らなかった。 る ) であった。彼は去年よりもくだけて ONORI ( お乗り ) 行為の内で自分を攘むと言うことは、それが抵抗されるにしようとしたが、道久は、「女じゃあるまいし、意味が 時に於いてこそ明確になるのではないか。少くとも龍哉に無い」と反対した。結局順番で今年は道久が、フランス小 はそう感じられる。それ故彼は精一杯やれるのだ。 説家の紀行記から借りて来た BELAMI に決められた。 その夜一一人は郊外の宿屋に泊った。が矢張り英子は自分「・ヘラミ ? べランメ 1 、まあ良いや」 びと しようだく 孤りで酔ったのだ。 龍哉は承諾した。 休みに入って一一週間すると、夏山から西村が帰り、葉山 ヴィラ やがて夏がやって来た。龍哉は兄の道久とヨットを塗りの彼の別荘にグループの連中は集まった。津川兄弟は海水 ぎっとう ヴィラ いっし、 直した。これは彼等兄弟の年中行事の一つである。。ハテを浴の雑沓を敬遠し、西村の別荘の臨んだ一色の海岸に浮標 もや 詰め、べ 1 に入るか、ここに舫われた。 ーパ 1 をかけ、丸みを帯びたシ 1 ホースの船体を廻した。船はハー を、女が肌の手入れをするように丹念に仕上げながら、彼やがて東京の遊び人達は何処かの高原へ出掛けるか、さ ひって アパソチ 4 ール わな
なるほど、みみずか。患者はみんないろいろなことを言したマッチの明りで照し出して眺めた背の低い太ったあの かいしよう 街娼のそれに一番良く似ていた。いや、オーヴァラツ。フさ った。 どうくつほとんひと せばね 脊骨の中にレールが敷かれて、汽車が走ると言った男もれた二つの洞窟は殆ど等しかった。ただ違うことは、彼が たこ いた。皮の下に、蛸が子供を生みつけてそれがかえったと今、それをあの時のような恐怖で見守らなかったことだけ みにく 言う女もいた。苦痛さえなければ楽し気な幻覚だ。みみずだ。彼はそれを醜いとは思わなかった。 いや、それは彼にとってまがいなく所有されてある財産 に、蛸に汽車だ。 だ 0 た。そのがりの形が何であろうと。俺は確かにこれ うしな 菊江は彼の手を握 0 てつかみ、彼女の体中で今一番沢山を持 0 ている。そしてこれは俺にもう喪われない。俺も多 のみみずたちが食いついている場所を圧えさせた。その手分喪うまい 自分のくり返している行為に、彼は久しぶりに意味を見 を逃れるように、みみずどもは体中を動いて廻る。 つけようとしていた。それは以前そうしながら考えたこと みみずではなし、彼には覚えのある感触がつづいてあっ うしな とは違っていたろうが。 た。それはかってのはずみをとうに喪ってはいる。しか しかし彼は懐しかった。いや、今していることが、以前 し、彼には覚えのある部分部分だった。言われるまま、首 をしめつけてやりながら、彼は確かめるように彼女の下腹考えたことへの答えになりはしないか。とすればどんな答 に手をかけて見る。 「どうだ」 そこらにもみみずが這い込んでいるのか、彼女はじっと と彼は彼女にねた。 している。 そう訊ねられ、昔は、繋っているわ、ひとつになってい 屋悠二は自分が何をしようとしているのか知らずにいこ。 るわ、と彼女は答えたものだ。・、 カ今、彼がそう訊ねる度、 たしかしその時ほど彼は自分の掌に確かな所有を感じたこと はなか 0 た。その満足は、彼女を女として彼に感じ直させ薬はまだ、と彼女は言「た。 さ ざ しかしこの方が多分本当だ。俺たちは多分、非常に旨く までした。 閉 晒し出し、押し拡げ、手にしながら彼は眺めた。それは繋っている。俺はまちがいなくこの女を所有し、この女は 礙ただれ、萎えて、虚ろだ 0 た。それは他の誰よりも彼がず俺を必要としている。 っと以前、生れて初めて見た、あの公園の社の拝殿で手に彼が与えたものが彼女の中に何を蘇らせたか、何を圧 うつ やしろ よみがえ たび おさ
ちゃぶだい け物と 少年は立ち上り茶袱台に乗ったままの庄造を足で蹴落し眺められるような気がする。次第に彼は向き直り、部屋に 転っている二人を眺めながら飲んだ。 かんがい 庄造は仰向けに転がり、見開いたままの眼で天井を見つ今彼が感じている恐らく生れて初めての感慨、すがすが めている。 しさ、安息、大きな仕事を思いがけず自分一人でやりとげ 鴨みたいだ。少年は想った。 た後の充足に比べれば、そんなものは取るに足らぬものに 、こ思われた。 鴨の眼はつぶらだが、庄造の眼は最後にまだ何か言しナ かわげ よみがえ げで可愛い気がない。 空腹が蘇って来、残った酒を捨てると茶碗に飯をつ 少年は深呼吸をして坐り込んだ。 ぎ、汁をかけて食った。 のうしよう らやわん 茶袱台には庄造の脳漿が散ってい、少年は自分の茶碗と腹が満たされると、今まで感じられていたものが倍の大 はち 箸とつけものの入った鉢だけを取ると台を押しやった。赤きさに、倍の確かさで感じられる。 思いもよらぬ自分の、思いもよらぬ力が新しい幸せのよ 黒いものの散ってついた茶碗をそでロで拭い、立っていく と台所から煮えていた汁のを下げて戻る。 うに感じられる。解き放たれた自分が多分、間違いなく真 っしぐらに進んでいけそうな気持だった。 飯と汁をよそったが眼に入る庄造が気になり、少年は一一 人に向って背を向け土間へ向いた。 三杯目を空け、考えた末に少年は四杯目をついだ。 なお 土間に、客たちが舟で飲み廻し尚余って置いていった酒眼の前の庄造も時子も、それはその形でずっと前から彼 びん の壜がある。立っていき持って戻ると中身を鉢へ戻した茶のために用意されてあったように思える。想い直し、 碗に注いで飲んだ。 すんだことだ、彼は思った。 かっとしたものがすぐに体中に拡がる。それは知らぬ間 ともかく俺はこれで自分勝手だ。自由なんだ。間違いな に乱れて高ぶっていた体中の血を押し戻し、体の奥にふと しび 幸せな予感のようなものを点した。それを確かめるように すると彼はまた、痺れるような幸せな予感を体の内に感 から つづけて彼は飲んだ。間もなく壜が空になり、少年は立ちじるのだ。 鴨 直し、台所に時子が買っておいた庄造の酒をとり出して来少年は立ち上り、荷をまとめた。途中赤ん坊がまた泣き めんどう ふとん て封を切った。 出し、かまっても泣き止まず、面倒になり上から蒲団をか かんだか 体に酔いが廻って来るにつれ、辺りのものが一層確かにぶせた。甲高い声がこもって聞こえ、やがて静かになっ あた