裸の王様 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集
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1. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

彼は二枚の画をテー・フルにならべた。みると、一枚は親松並木のあるお堀端を歩いていた。・ほくはめいわくそうに まゆ 指姫が野ねずみの婆さんにいじめられ、一枚は彼女が女王眉をしかめている山口にかまわず説明した。 になって花にかこまれている図であった。山口はそれをひ「チェスのキャッスルがある奴は入選作だ。フンドシは落 とつずっさして説明した。 選作だ。入選作の子供はなにかをみて描いたんだよ。トラ 「ねずみのほうは男の子が描いたんだ。ハッビー ・エンドン・フのキングかもしれないし、絵本かもしれない。外国の したじ は女の子だ。これだけでも子供の現実がでているじゃない 風景をこれだけまとめるには相当の下敷きがいるからな」 じよじよう きょ か。男の子は闘争の世界、女の子は抒情の世界と、はつぎ 山口は二枚の画をみくらべてはっきり虚をつかれた表情 り反映しているじゃないか」 をうかべた。当然だ。・ほくだってじっさいこれがとびだす ・ほくは彼をのこして席をたっと壇をおりていった。そしまでは予想もできなかったのだ。山口は越中フンドシをす て、『裸の王様』と書いたテー・フルにまっすぐ歩みよると、 ばやく裏返したが、名前もなにも書いてないのをみて、け いちばんうえにあった一枚をすばやくとり、山口にみえなげんそうな表情でつぶやいた。 いよう床にかがんで、それまで新聞に巻いてもっていた画「農村か漁村の子だろう : : : 」 をほどいた。その二枚をもって壇にもどったとき、ちょう ・ほくは彼の敏感さにひそかに脱帽しておいて言葉をつづ ど審査が完了したらしく、大田氏を先頭に審査員一同がどけた。 やどやともどってきた。彼らは大田氏にねぎらわれ、その : この二つをくらべたらどちらが日本の子供かわかる わき しようさん お礼に大田氏の事業を賞讃し、和気あいあいと談笑しながじゃよ、、。・ オし力とちらがアンデルセンを地について理解した ら壇をの・ほっていった。せまい壇はたちまち人でいつばい か、どちらが正直か火をみるよりはっきりしているよ。ど になり、席はひとつのこらずふさがった。 うして王冠が入選してフンドシが落選したか」 様山口はぼくの顔をみると、まわりでがやがやしゃべりだ ・ほくの声は思わず高くなった。山口はあたりをはばかっ 王した連中とみくらべて、早くも敏感な眼つきをした。延期てみじめな顔をした。なぜか・ほくは彼のそんなこざかしい のサインなのであろう。ぼくはそれを無視して、ずかずか眼のうごきをみるとしやにむに彼をたたきつけてやりたか と彼に近づくと、テー・フルに二枚の画を投けつけた。一枚った。 では王冠をかぶったカイゼルひげの裸の男が西洋の銃眼の 「フンドシが落選したのは君たちが輸出向きの画しか選ば ある城を背景に歩き、一枚では越中フンドシの裸の殿様がないからだ。今日の入選作はみんなこの王冠式の画じゃな ばあ だつばう

2. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

なるからね」 た。はじめて・ほくのところへきたとき、彼のなかには草一 らんざっ は それから一時間ほどぼくは乱雑な小部屋のなかで太郎と本生えていなかったのだ。彼はアトリエの床にすわり、絵 ごもく ざら うですもう 遊んだ。腕相撲をとったり、五目ならべをしたりして、さ具皿をまえにしたまま途方にくれているばかりであった。 ちやわん いごには紅茶をわかした。彼の茶碗には紅茶とミルクをなしかし、今日、やっと彼は自分の世界をつかみ、それを組 しようらゆう みなみ入れ、自分の分にはこっそり焼酎を半分以上入れみたて、形と色彩をあたえることに成功した。王冠とカイ かんばい て、ぼくは彼と乾杯しあった。帰りぎわに・ほくは低学年むゼルひげのかわりにチョンマゲと越中フンドシを描いた彼 きに書きなおしたチャベックの『長い長いお医者さんのにひとりの批判者を感ずるのは、この場合、不当なことで 話』を彼にわたし、二人で外へでた。太郎は夜道を歩きあろう。批判は物語にあったのだ。ここにあるのはあくま ながら童話本を脇にかかえ、中古ライターをカチカチ鳴らでも太郎の世界である。彼は誰にも助けを借りずにそれを こうらく よびりん せて・ほくといっしょに家へ帰った。大田邸について呼鈴を構築したのだ。・ほくは彼に話をしてやっただけで、その場 で画にしろとも、宿題にやってこいともいわなかった。だ おすと、老女中がいそいででてきた。彼女は・ほくに厚く礼 をいったが太郎の両親がそれそれどうしているかについてから太郎はあくまで内心の欲求にしたがったのだ。 ・ほくはあとの『マッチ売りの少女』や『人魚のお姫様』 は用心深く口をとざした。しかし、みたところ広い邸内で 電燈のついている窓はひとっしかなく、あとはひっそりとや『シンデレラ』などとこの裸の王様の画をみくら・ヘた。 静まりかえっているようだった。女中に手をひかれて暗が『シンデレラ』のカボチャの馬車は描きなおしたために二 ぎこう りのなかへ消えていく太郎の小さな後姿を見送って・ほくは枚あった。この四枚と裸の王様には技巧の点からいうと、 けんちよそうい 苦痛の感情を体の底に抱いた。ライターやふとんのことを表面上、なんの顕著な相違も感じられなかった。おなじよ 陽気な高声で報告する太郎の足音は軽く踊りながら沼に吸うに形がととのわず、おなじように色がまちがっている。 2 リいル」′ しかし、イメージへの傾倒といった点からみれば、裸の 様いこまれていった。 、ようぎつ 王 ・ほくは家に帰ると、もう一度、太郎の描いた裸の王様の王様には夾雑物がなにもないのだ。そこではアンデルセン の ペイント が完全に消化されていた。太郎はぼくから暗示を受けた瞬 画をとりだして、つくづく眺めた。フィンガー やポスター ・カラ 1 の赤でお化けを殺したり、自分ひとり 間にこの人物と風景をみたはずだ。彼はまっすぐ松並木の きょえい れっとう こくムく の姿だけ描いて競走に負けた劣等感を克服したりしていたあるお堀端にむかって歩いていき、虚栄心のつよい権力者 ひやく かつば がだまされて裸で濶歩するあとをつけていったのだ。彼の 頃とくらべると、これはたしかに飛躍を物語るものであっ

3. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

右家族で団らんのひととき。「新 ノニック」を発表の頃 日本文学」に「。、 左より、長女道子、羊子夫人、開高 裸の王様 開高健 / - 尹臚作品 宝第を第第ををを第を第 「裸の王様』初 版本 ( 昭和 33 年 ・文藝春秋新社刊 ) 「裸の王様」で第 38 回芥川賞を受賞。受賞パーティ で、石川達三 ( 左端 ) から、お祝いのスピーチを受け る開高と羊子夫人。後列左端は中村光夫 ( 昭和 33 年 ) 洋

4. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

開高健集目次 開高健文学紀行 「都会」と「自然」の狭間で 裸の王様 流亡記 二重壁 岸辺の祭り 生者が去るとき 注解 開高健文学アル・ハム 評伝的解説 三 0 五 三四三 三九一 紅野敏郎 / 日高昭一一四一一 四四一 浅見淵四四一 装幀大川泰央 写真撮影国枝健 編集責任桜田満 製作担当勝呂睦男 小松左京三三 一三「

5. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

はなはじよらぜっへき しい忘れたが、甚だ饒舌癖が目立っている。こ の王様」を同じく「文学界』十一一月号に知継ぎ早に発中に、 表するに及び、翌三十三年一月に、 「裸の王様」が第れもまた大阪人に由来するからではないか。開高健は ヒ巳らしく 、昭和三十五年以後は 三十八回芥川賞を獲得し、ここに作家的地位を確立すまたいろんな語学が職育 るに到った。以上三作は、 ) しまなお開高健の代表作に世界各地に蹣を印しているが、元をればこの饒舌 数えられている。 癖がやはり影響しているのではないか。なお且つ、す だが、顧みてみると、前記のように、開高健は昭和でに述べたように、青春の入口に立ったばかりに、敗 三十二年に到って急に堤が切れたように佳作を輩出さ戦による未曽有の社会的大混乱に際会しているが、ま せているが、その基因を成しているものは既に大学在 だいささかも人生の疲れを知らぬ好奇心の旺盛な年代 しまおとし 学中に発見される。この時代に神戸在住時代の島尾敏 だったので、平和な時代だったらなかなか味わえぬ珍 雄と交友があり、彼から超現実派的なものの影響を受らしい経験を、短時日のあいだに一遍に経過する結果に もとじろう けているし、そのころ愛読していた梶弗基次郎・中島なり、かえって人栂に豊かさと重厚さをもたらしてい ちみつ 敦からは、前者の緻密さ、後者の物語性をやはり学んる。いま挙げた学生時代に蒙った影響の上に、これら でいる。また、念女形龍の詩集も繰返し読んでいたと も加わって、いま見る開高健の作品を形成しているよ かたぎ っ いうが、これからは彼のポヘミャン気質を受け嗣いだ に恥される。 ように田 5 われる。というのは、開高健の作品を通読し 従って、作品から受ける開高健の作家としての印象 てみると、 いま挙げた諸点が歴々と指摘できるからでは曝やかな感しだが、最近たまたま夫人の牧羊子の随 ゅう ~ ) う ある。ばかりでなく、それらの点が無理なく融合して筆が目についたので一読すると、 " 亭主のノイローゼ いて、独特の特色をもたらしている。 のためもあって、昔からの私自身の友人、ことに詩の うんぬん 云々とあっ 一方、開高健が戦後の世路の困難によく耐え、生活仲間との往来はまったく絶えてしまった。 かんばっ に陥没することなく、りつばに一人前の作家として立 た。そういえば、昭和三十三年一月の「裸の王様」の つに到ったのは、大阪人特有の膽汁質の粘り強さ、庶芥川賞授賞式の時、開高健は胸につけられた大きな黄 あャかっ 民的な野性と適合性といったものも、大いに与て力が色の花のアクセサリーをキラキラ燦めかしながらニ あったように思われる。また、開高健の作品の特色の コニコしていたが、傍らに付き添っていた牧羊子夫人

6. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

昭和ニ十八年 ( 一九五 = l) 一一十三歳 大阪市立大学法科を卒業。洋書輸入商の北尾書店に勤めるかたわら、 翻訳などで、生計をつなぐ。また、妻の勤め先の寿屋 ( 現サントリ 1 ) の佐治敬三に紹介され、英文広告原稿を持ち込み、はじめて原 稿科をもらう。五月、佐々木基一の推挙で「名の無い街で」を「近 代文学」に発表する。 昭和ニ十九年 ( 一九五四 ) 昭和五年 ( 一九三 0 ) 二十四歳 十一一月三十日、大阪市天王寺区上本町五丁目に生まれた。付近は「寺寿屋株式会社に入社。コ・ヒーライターとして活躍するかたわら「洋 町」と呼ばれる大阪の下町であった。小学校三年の時、市内南部の酒天国」を編集する。この年、一一年がかりで「社用で札幌から鹿児 北田辺に移った。中学一年の時、父義高死去。父は小学校の校長で島までを隔月に一地方ずつきめて旅行しながら、衰弱しきった私の あった。 なかの作家にただ黙って人生を観察することだけに専念させようと 昭和ニ十ニ年 ( 一九四七 ) 十七歳した」 ( 自筆年譜 ) 一一十七歳 大阪府立天王寺中学校 ( 現、天王寺高校 ) を卒業。大阪高等学校文昭和三十ニ年 ( 一九五七 ) 科甲類入学。一年後、学制改革により新制の大阪市立大学法科入学。自筆年譜によると、この頃、「とっぜんふたたび書いてみたい欲望 におそわれ」て創作に打ち込む。八月、「パニック」を「新日本文 自筆年譜によると、大学時代は「生活苦と憂鬱症の発作に追われ、 教室にはまったく出席しなかった。ときどき森下辰夫の私塾に顔を学」に発表。十月、「巨人と玩具」を「文学界」に発表。十二月、 出して、フランス語の勉強をした。この数年をどうやって食いつな「裸の王様」を「文学界」に発表。それぞれ、大きな注目を集めて、 いだことか、いまとなってはよく思いだせないと思うほどである。文壇への一歩を確定的なものとした。 せんばん いろいろな半端仕事をした。・ハン焼工。旋盤見習工。漢方薬店。″ヴ昭和三十三年 ( 一九五八 ) 一一十八歳 オーグ〃の翻訳。・ハン・ハンさんが米兵にだす手紙の翻訳。市役所。一月、「裸の王様」で第三十八回芥川賞を受賞。二月、コ一重壁」を 電通の調査員。けちな闇屋。大阪の焼跡のあちらこちらをプランク「別冊文藝春秋」に発表。三月、「なまけもの」を「文学界」に発表。 譜トンのように跳ねてかつがつの生計費を得ることに腐心しなければ同月、「裸の王様」を文藝春秋新社より刊行。十月、「白日のもとに」 ならなかった」状態であった。この頃、谷沢永一らの同人雑誌「えを「文学界」に、「一日の終りに」を「文藝眷秋」にそれぞれ発表。 年んびつ [ に習作を書く。島尾敏雄を識り、「記録芸術の会」にも加大江健三郎と並んで、新世代作家の地歩を固めた。 わる。梶井基次郎、中島敦、金子光晴を熟読したのもこの頃である。 昭和三十四年 ( 一九五九 ) 一一十九歳 在学中、詩人の牧羊子と結婚。長女道子が生まれた。英語会話学校一月、「流亡記」を「中央公論文芸特集号」に発表。また、「日本三 の夜間講師も始めた。 文オペラ」を七月まで「文学界」に連載。八月、「屋根裏の独白」 開高健年譜

7. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

文学紀行Ⅱ小松左京 評伝的解説Ⅱ浅見淵 監修委員編集委員 尹藤整足立巻一 井上青 奥野健男 川端康成尾崎秀樹 ~ 島由紀大北杜夫 石原慎太郎集 太陽の季節 ョットと少年 ファンキー・ジャンプ 他ニ編 開高健集 裸の王様 ニ重壁 他ニ編 、開石 健、 現代日本の文学 石原慎太衣 局健 現代日本の文学 第ー " ・ 48 新潟県・銀山湖の鷹ノ巣でイワナを釣る開高健氏 逗子の自宅の庭でくつろぐ石原慎太郎氏 264 648-1002 ISBN4—05-050258-5 C0393 学研

8. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

を「世界」に発表。同月、「屋根裏の独白」を中央公論社より刊行。る。 九月、「街と部屋で」を「新潮」に発表。十一月、「日本一一一文オペラ」昭和 = 一十七年 ( 一九六一 l) 三十一一歳 を文藝春秋新社より刊行。十一一月、「パニック」を。 ハトリア書店より一月、「パリのデモ騒ぎの中で」を「毎日新聞」に発表。二月、「フ 刊行。 ランスの悩み」を「朝日新聞」に発表。同月、「片隅の迷路」を毎 昭和三十五年 ( 一九六〇 ) 三十歳日新聞社より刊行。三月、「森と骨と人達」を「新潮」に、「安保の 一月、「任意の一点」を「文学界」に発表。四月、「お化けたち」を闘いと私ーー竹内好氏に」を「文学」にそれぞれ発表。四月、「声 「新潮 , に発表。五月、「名人ーを「オール読物ーに発表、「ロビンの狩人」を「世界ーに連載 ( 十一月完結 ) 。七月、「エスキモーーを フィンランド、スエー一アン、 ソンの末裔ーを「中央公論」に連載 ( 十一月完結 ) 、「裸の王様・流「文学界ーに発表。同月、ノルウェー、 亡記」 ( 文庫 ) を角川書店より刊行。同月、中国訪問日本文学代表デンマーク、西ドイツへかけての旅行にでる。十月、「開高健・大 団の一人として中国を訪問する、毛沢東、周恩来、郭沫若、茅盾、江健三郎集」 ( 新日本文学全集Ⅱ ) を集英社より刊行。十一月、「声 巴金らと会談。六月、「・ハニック・裸の王様」 ( 文庫 ) を新潮社よりの狩人」 ( 新書 ) を岩波書店より刊行。 刊行。九月、「多頭の蛇ーを「文学界」に発表。同月、ルーマニア昭和三十八年 ( 一九六 = l) 三十三歳 平和委員会の招きでプカレストの「葛飾北斎一一百年祭 , に出席、東コ一年半ほどの間、出たり入ったりをあわただしく繰り返した海外 欧諸国を旅行する。十一一月、「ロビンソンの末裔」を中央公論社よ旅行が終ったので、ふたたび創作にたちもどる」 ( 自筆年譜 ) 。二月、 り刊行。同月、翻訳「キス・キス」 ( ダール著 ) を早川書房より刊「太った」を「文学界ーに発表。三月、「笑われた」を「新潮ーに、 行。 「政治亡命者の系譜」を「中央公論」にそれぞれ発表。五月、「見た」 昭和三十六年 ( 一九六一 ) 三十一歳を「文芸」に、「孫文その悲惨と栄光」を「中央公論」にそれぞれ 一一月、「日本三文オ。ヘラ」 ( 文庫 ) を角川書店より刊行。四月、「過発表。六月、「開高健・大江健三郎集」 ( 昭和文学全集 ) を角川書店 去と未来の国々ー中国と東欧」 ( 新書 ) を岩波書店より刊行。五月、より刊行。七月、「揺れた」を「世界」に発表。同月、・ハリ島で開 「私を育てた日本へ」を「文学界 , に発表。「開高健集」 ( 新鋭文学催の・作家会議執行委員会に出席。八月、「片隅の迷路」を角 叢書Ⅱ ) を筑摩書房より刊行。同月、「片隅の迷路ーを「毎日新聞 , 川書店より刊行。十月、「メタフォアの乱費ー現代詩にのぞむ」を に十一月まで連載。七月、アイヒマン裁判の反対訊問傍聴にイスラ「文学界」に発表。同月、「日本人の遊び場」を朝日新聞社より刊行。 十一月、「出会った」を「文学界ーに発表。十一一月、 < ・ < 作家会 エルへ向う。そのあと、アテネ、デルフィ、イスタン・フール、・、 をまわり九月帰国。十月、ソビエト作家同盟から招待を受け、モス議講演会の司会を勤めた。 コ ー、レニングラード、タシュケント、サマルカンドを訪問する。 昭和三十九年 ( 一九六四 ) 三十四歳 その後、東ベルリン、西ベルリンをまわり 、パリに滞在、サルトル三月、「ロビンソンの末裔」 ( 文庫 ) を角川書店より刊行。五月、「生 に会う。また、当地で反右翼抗議デモに参加する。翌年一月帰国す者が去るとき _. を「新潮」に発表。同月、「見た揺れた笑われた」

9. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

いか」 ないでいることだけをみとどけて満足することにした。 ・ほくはまわりでこころよい疲労をコーヒーとともに楽し「フンドシと王冠とどちらが生活的かなんて、わりきれた んでいる男たちを計算に入れて声をあげ、席についた。 もんじゃないよ。子供の生活は絵本と直結してるんだから な」 ・ほくが席につくかっかぬかにひとりの男がたちあがり、 それをきっかけに一「三人の男がどやどやとテー・フルのま教育評論家かもしれず、指導主事かもしれない、ふちな わりにつめよってきた。・ほくは肩や首のまわりにいくつもし眼鏡の男がそういって・ほくをつめたくみつめた。・ほくは の肥満した腹を感じた。何本もの手がのびて殿様はテー・フこの男も計算に入れて指を折った。 ルから消え、しのび笑いや舌うちゃっぷやきの波にのって「俺はこの画をみたよ」 手から手へ、眼鏡から眼鏡へわたっていった。 そういいだした男がいたので・ほくは顔をあげた。赤ら顔 これは」 「なんだい、 のでつぶり肥った、頭の禿げた小男であった。・ほくは彼の 「ふざけてるだろう ? 」 ほくろの数までおぼえこんだ。彼は・ハンドをゆすりあげな 「俺はみたけどね」 がら気持よさそうに眼を細め、・ほくをみて、刺すようにい 「馬鹿にしてるー ・ほくには誰が誰だか見当がっかなかった。彼らはロぐち「この画はみたけどね、落したんだ。輸出向きとかなんと これは下手なんだ。だ か、そんな大げさなことじゃな、 にしゃ・ヘりあい、うなずきあって、なかにはあからさまに から落した。あたりまえじゃないですか」 ・ほくをののしって去ってゆく者もあった。 「どうかしてるんじゃねえのか」 一座は彼の口調に楽しそうに笑った。 そのとき、人ごみのうしろから大田氏が顔をだした。み 殿様はさいごに山口が馬鹿とののしった画家の手からぼ くにもどされた。彼は神経質にハンカチで顔のあぶらをぬんなはパトロンのために道をひらき、いかに殿様がふざけ ひとみ た、趣味のわるい、そして下手な画であるかを口ぐちに説 ぐいながら、澄んだ瞳にあわれみの表情をうかべ、 「アイデアはおもしろいけれど、これは理解の次元が低す明した。大田氏は細巻の葉巻を指にはさみ、にこにこ笑い ぎるんですよ。アンデルセンほど国際的な作家をこんな地ながら画を眺めた。そして、彼は彼としてもっとも正直な 方主義で理解させるなんて、これは先生の責任ですよ」 意見をのべた。 ・ほくはだまって彼の言葉をうけとり、彼がその場を去ら「たっぷりぬりこんでいますな、なかなか愉快じゃないで カリズム ゆかい

10. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

七つの短い小説開高健 フロ日′′にる 岸辺の祭り 生者が去るとき 五千人の失踪者 森と骨と人達 『七つの短い小説』初版 本 ( 昭和年・新潮社刊 ) させている。作者の開高健は、この個人の正義の叫び がスムースに通るような官庁機構の招来を未来に切望 ン和輝 して、つまりはこの作品を書いているわけである た 一方、鼠というものは、一匹だけでは一〇メートル メ国し カ帰賞 ないし一五メートルぐらいしか行動範囲を持てぬ臆病 り受 な小動物である。 啓よを ところが、笹の実を狙って集まり集団化すると、巨 の 文大で強力な一つのエネルギーと化し、言語を絶する兇 第聞べ版稿 悪振りを発揮するに到る。はしめにいったよ、つに、 出原 日のれがイキイキと写されているところに、この作品の魅 朝緒毎 闇力の大半があるが、作者はこれによって、へいぜいに 上と左 は到底想像されぬ政治機構の転換期の異常なエネルギ ーといったものを連想させているのではないか。この 意味において、「。、 / ニック」は、徹底的自由主義者の 開高健が、今日なお一層強力に既成政治革新の念願を ほん 0 ゅう 抱懐しているが、その基盤的なものを奔流させている 作品だといえる。そうかといって、この基盤的なもの にことさら捉われす、あくまで自由に、縦無尽のこ の作者独特の底に諷刺的ューモアをえた饒舌癖を違 憾なく駆使して、個々の事実を具象的に描きだしてい る。けだし開高健第一の代表作である。 さて、出世作の「裸の王様」は、い まいった開高健 : よじっ の徹底的自由主義のエスプリが最も如実に現われてい ~ ラエイン人訂をで小に。マ冬ド 彦べッドの、ーないらわイスキー・一恢 ク内。なか「 ( くッスみ立に・すす ) て 齎。支曜 ( い ねら