開高健 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集
425件見つかりました。

1. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

はなはじよらぜっへき しい忘れたが、甚だ饒舌癖が目立っている。こ の王様」を同じく「文学界』十一一月号に知継ぎ早に発中に、 表するに及び、翌三十三年一月に、 「裸の王様」が第れもまた大阪人に由来するからではないか。開高健は ヒ巳らしく 、昭和三十五年以後は 三十八回芥川賞を獲得し、ここに作家的地位を確立すまたいろんな語学が職育 るに到った。以上三作は、 ) しまなお開高健の代表作に世界各地に蹣を印しているが、元をればこの饒舌 数えられている。 癖がやはり影響しているのではないか。なお且つ、す だが、顧みてみると、前記のように、開高健は昭和でに述べたように、青春の入口に立ったばかりに、敗 三十二年に到って急に堤が切れたように佳作を輩出さ戦による未曽有の社会的大混乱に際会しているが、ま せているが、その基因を成しているものは既に大学在 だいささかも人生の疲れを知らぬ好奇心の旺盛な年代 しまおとし 学中に発見される。この時代に神戸在住時代の島尾敏 だったので、平和な時代だったらなかなか味わえぬ珍 雄と交友があり、彼から超現実派的なものの影響を受らしい経験を、短時日のあいだに一遍に経過する結果に もとじろう けているし、そのころ愛読していた梶弗基次郎・中島なり、かえって人栂に豊かさと重厚さをもたらしてい ちみつ 敦からは、前者の緻密さ、後者の物語性をやはり学んる。いま挙げた学生時代に蒙った影響の上に、これら でいる。また、念女形龍の詩集も繰返し読んでいたと も加わって、いま見る開高健の作品を形成しているよ かたぎ っ いうが、これからは彼のポヘミャン気質を受け嗣いだ に恥される。 ように田 5 われる。というのは、開高健の作品を通読し 従って、作品から受ける開高健の作家としての印象 てみると、 いま挙げた諸点が歴々と指摘できるからでは曝やかな感しだが、最近たまたま夫人の牧羊子の随 ゅう ~ ) う ある。ばかりでなく、それらの点が無理なく融合して筆が目についたので一読すると、 " 亭主のノイローゼ いて、独特の特色をもたらしている。 のためもあって、昔からの私自身の友人、ことに詩の うんぬん 云々とあっ 一方、開高健が戦後の世路の困難によく耐え、生活仲間との往来はまったく絶えてしまった。 かんばっ に陥没することなく、りつばに一人前の作家として立 た。そういえば、昭和三十三年一月の「裸の王様」の つに到ったのは、大阪人特有の膽汁質の粘り強さ、庶芥川賞授賞式の時、開高健は胸につけられた大きな黄 あャかっ 民的な野性と適合性といったものも、大いに与て力が色の花のアクセサリーをキラキラ燦めかしながらニ あったように思われる。また、開高健の作品の特色の コニコしていたが、傍らに付き添っていた牧羊子夫人

2. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

開高健集目次 開高健文学紀行 「都会」と「自然」の狭間で 裸の王様 流亡記 二重壁 岸辺の祭り 生者が去るとき 注解 開高健文学アル・ハム 評伝的解説 三 0 五 三四三 三九一 紅野敏郎 / 日高昭一一四一一 四四一 浅見淵四四一 装幀大川泰央 写真撮影国枝健 編集責任桜田満 製作担当勝呂睦男 小松左京三三 一三「

3. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

右貧困と戦って苦 学していた 19 歳の頃 下 21 歳の開高 洋書輸入商に勤める。左が開高 ( 昭和 28 年 ) 恥されるからである。同時に、運命観も。それは、 この集の『流亡記』を読むといっそう明瞭になる。 これからも窺えるように、開高健は実際は骨の髄ま での自由主義者である。このことは、冒順にー 弓いた二 番目のある座談会の文章を見ても明らかである。〃お 釈迦さんの手のひらから孫悟空が飛び出す瞬間。作家 も亦この瞬間を捉えたとき、作品に〃リアリティを確 保 / できるのではないかといっているのは、取りも直 さず自由主義者としての宣言ではないか。時の流れの 中の現象、ないしは虚像を凝視して、その表面でない えぐ しんひそ 裏側に、あるいは芯に潜んでいる真実なものを刳り出 し、これを契機にして、人生ないし社会のあるべき未 ほうふつ 来につながる正当な姿を、虚構の花を咲かせて髣髴さ せる作品こそ、本当の芸術というものではないかとい っているのである。開高健は、とにかくこういう境地 から出発している作家である。 , をし 開高健の年譜を見ると、敗戦の時は十五歳の旧制中 学三年生である。同じこの時点において、「太陽の季 あお いっきひろゆき 節」の原慎郎、「蒼ざめた馬を見よ」の五木寛之 はいすれも十三歳で中学一年、「飼な」の大江健 = 一郎 、しまらしん、、ろう 445

4. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

右家族で団らんのひととき。「新 ノニック」を発表の頃 日本文学」に「。、 左より、長女道子、羊子夫人、開高 裸の王様 開高健 / - 尹臚作品 宝第を第第ををを第を第 「裸の王様』初 版本 ( 昭和 33 年 ・文藝春秋新社刊 ) 「裸の王様」で第 38 回芥川賞を受賞。受賞パーティ で、石川達三 ( 左端 ) から、お祝いのスピーチを受け る開高と羊子夫人。後列左端は中村光夫 ( 昭和 33 年 ) 洋

5. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

七つの短い小説開高健 フロ日′′にる 岸辺の祭り 生者が去るとき 五千人の失踪者 森と骨と人達 『七つの短い小説』初版 本 ( 昭和年・新潮社刊 ) させている。作者の開高健は、この個人の正義の叫び がスムースに通るような官庁機構の招来を未来に切望 ン和輝 して、つまりはこの作品を書いているわけである た 一方、鼠というものは、一匹だけでは一〇メートル メ国し カ帰賞 ないし一五メートルぐらいしか行動範囲を持てぬ臆病 り受 な小動物である。 啓よを ところが、笹の実を狙って集まり集団化すると、巨 の 文大で強力な一つのエネルギーと化し、言語を絶する兇 第聞べ版稿 悪振りを発揮するに到る。はしめにいったよ、つに、 出原 日のれがイキイキと写されているところに、この作品の魅 朝緒毎 闇力の大半があるが、作者はこれによって、へいぜいに 上と左 は到底想像されぬ政治機構の転換期の異常なエネルギ ーといったものを連想させているのではないか。この 意味において、「。、 / ニック」は、徹底的自由主義者の 開高健が、今日なお一層強力に既成政治革新の念願を ほん 0 ゅう 抱懐しているが、その基盤的なものを奔流させている 作品だといえる。そうかといって、この基盤的なもの にことさら捉われす、あくまで自由に、縦無尽のこ の作者独特の底に諷刺的ューモアをえた饒舌癖を違 憾なく駆使して、個々の事実を具象的に描きだしてい る。けだし開高健第一の代表作である。 さて、出世作の「裸の王様」は、い まいった開高健 : よじっ の徹底的自由主義のエスプリが最も如実に現われてい ~ ラエイン人訂をで小に。マ冬ド 彦べッドの、ーないらわイスキー・一恢 ク内。なか「 ( くッスみ立に・すす ) て 齎。支曜 ( い ねら

6. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

上父義高 左母文子 0 満 1 歳の誕生日に ( 昭和 6 年 ) ばうだい る。しかし、この尨大な穀倉のなかに暮しながら農民 はったて たちはクリ ークの岸に泥と椰子の葉で掘立小屋をつく り、豚や鶏といっしょに暮しているのである。ないとい ったらはんとに何もない。床板すらないのだ。床にセメ ントや石を張った家など、見るにも見られぬ。″道具。 といえば鎌と鋤、 " 家具。といえばデコボコの洗面器か あるくらいのものだ。 空にまでとけこむ水田の巨大な 豐饒さと土にとけこむ貧しさのこの対照は異様なもの である。何者かによる搾恥のすさまじさをつくづく感 しさせられた 開高健は、また、ある座談会でこんな発言をしている。 「ジイドの『創作論』を援用するわけじゃないんだけ れども、小説を書く時は悪魔の助けがいる。その悪魔 というのは、無意識の瞬間に現われてくるんだ。だか ら小説家は主人公を踊らせ、会話も踊らせ、描写も踊 らせているが、おさんの手のひらから孫悟空が飛 び出す瞬間があるわけでしよう、お釈迦さんでも知ら ないような。その瞬間を確保した時に、芸術はリアリ ティを確保できるとい、つわけでしよ、つ。」 さて、ここに開高健の二つの文章を引用した理由で ある。開高健の作品の最もいちしるしい特色は、組織 と個人との問題を取扱っていることだ。その具体的な 例証は後段で挙げることにして、この拠って来たとこ カま亠 , 、、 ゆかい・・ 442

7. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

二を パリで流行ったファ ッションを着て、 きげんな開高。太り 始めた頃 ( 昭和 36 年 ) 「中国訪問日本文学代表団」の一人として訪 中。前列右より、大江健三郎、亀井勝一郎、 一人おいて毛沢東、野間宏、松岡洋子、左端 が開高。後列中央は周恩来 ( 昭和 35 年 5 月 ) ・物・フ・ら ざせつ 弾圧で左翼運動が挫折するのを身ぢかに見ていた人々 である。戦後は実際運動から抜け出して、新しい近代 的自我の確立を主張してこの雑誌を創刊したわけであ る。ところが、いわゆる戦後派作家の多くに共感を得 て、卲、瀚、麟三、梅生、軒蔗 いちろう あべこうばう 郎、安部公房などの新しい実力者たちを編集同人に 網羅するに到り、戦後文壇に少なからす新風を吹き込 むと共に、リー ダーシップを握るに到っている。一方、 同誌に接近してくる新時代的思想の持ちぬしの才能あ る若い作家や評論家たちにも積極的に紙面を提供し、 ーんーう 明日の日本文学を荷なう多くの俊秀を輩出させている。 すなわち、開高健もその一人だったわけである。 しかしながら、開高健は当時寿屋に就職する前後で 実生活が落着かなかったからであろう、せつかく始め た作家活動が一作きりで暫く中断し、本腰をいれて再 び書きだしたのは、それから四年たった昭和三十二年 いゼん の二十七歳の時である。その再出発の第一作が、俄然 文壇の注目を惹いた「。、 / ニック」である。さきに述べ た、この作家の作品の特色である集団と個人の問題と いう目新しい題材を取りあげている上に、これまた新 奇な興味を惹く凄愴を極める野の大移動がイキイキ と活写されていたからだ。 東北地方らしいある県の県庁の山林課の良心的な若

8. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

開高健集

9. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

上寿屋宣伝課で、スタッフと編集打 ち合わせをする開高 ( 中央 ) 。開高が宣 伝するウイスキーは , 大きく売行を伸 ばした。右端柳原良平 ( 昭和 34 年頃 ) 左あるバーティで。左より、岡本太 郎、 1 人おいて木下順二、木村伊兵衛、 ( 昭和 33 , 4 年頃 ) 中島健蔵、開高 た つの あ て た て が ノ い 。困オ と もだ る イ か い開 ら る そ る れ ロ っ 高た ま よ の と か で っ 時打 も 健 。た あ セ。 る の にだ 、身 。は創が意あ け夫 の 言舌の 、作 、外 る い 必考 を開 か周 な と し高 す動 ; え気 は り て健 も そ をて がち うみ よ さ い が し、 っ い し る オし つ た と そ も き と た と フ て 、の 意 : 陽 っ と ど い 面る で タト 風を き の記な見な図ノ を の 持で ノ憶 た哄ら イ る笑当すロ イ が つは さ 開がも ロ 残 て な、 回縺思 つ た健 りい る て か ゼ に つ出な も の カゞ い の イ乍 で いし い た 昭和年頃の開高 0 0 す雄ゅの く っ よ れ高時創 学開 つ歳 て ク ) か 高 、の刊 も は の て マ荒を編 い時 ら昭健 し ル正ま集 、敗 和 る だで が 人同二戦 ク る十家 の 同 ス 、人 十 主佐さは 。八活 九明あ 3 じ、 義 々さ 、年 つ年動 く わの え同 の木き本児八る ま の 曇人 洗基き多だ月年 り 月 ス 礼ーー秋多ま の 、号タ の を 、五ごで昭 小お、続和 人 ト を名 け田だ平い の を て切 ; 野のた十 、佐さ卒の切 い秀謙文一 々さ業 て雄お、芸年近木きし い た 、の山 : 雑一代基さた イ野の 戦七室誌月文 ー一年 では 争人砒で 子ので い 推ー で よ 、埴創 と輓一発近 ち いに十表代 る い谷ゃ刊 449

10. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

文学紀行Ⅱ小松左京 評伝的解説Ⅱ浅見淵 監修委員編集委員 尹藤整足立巻一 井上青 奥野健男 川端康成尾崎秀樹 ~ 島由紀大北杜夫 石原慎太郎集 太陽の季節 ョットと少年 ファンキー・ジャンプ 他ニ編 開高健集 裸の王様 ニ重壁 他ニ編 、開石 健、 現代日本の文学 石原慎太衣 局健 現代日本の文学 第ー " ・ 48 新潟県・銀山湖の鷹ノ巣でイワナを釣る開高健氏 逗子の自宅の庭でくつろぐ石原慎太郎氏 264 648-1002 ISBN4—05-050258-5 C0393 学研