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検索対象: 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集
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1. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

うなず と、さばさばした笑顔をみせていた。 をして、黙って点頭いた。 暫らくすると魔子は果して平生の通り裏口から入 0 て来車の中でそんな話をしているうちに、千代町の氏 た。家人を見ると直ぐ「パパもママも死んじゃったの。伯のお宅へついていた。代キチさんは、野枝の父与吉の末の 父さんとお祖父さんがパ。 ( とママのお迎えに行ったから今妹で、代準介に嫁している。野枝を小学校の時代から引き 日は自動車で帰って来るの」と云った。お祖父さんというとり、面倒をみているし、東京時代も野枝を自分の家から のは東京より地方へ先きに広がった大杉の変事を遠い故郷女学校へ通わせた。野枝の成長期にはむしろ両親よりも縁 の深かった人物に当る。今はお孫さんの時代になって、 の九州で聞いて倉皇上京した野枝さんの伯父さんである。 る。 茶の間へ来て魔子は私の妻を見て復た繰返した。 たまたま、今日はひい孫の入学試験とかで家中留守の中 ・ハ・ハもママも殺されちゃったの。今日新聞に 「伯母さん、 で、奥の部屋にキチさんはひっそり床についていた。風邪 出ていましよう」 私は子供達に「魔子ちゃんのお父さんの咄をしてはイケ気味で寝ているのだというキチさんは、色の白い皮膚のき ナイよ」と固く封じて不便な魔子の小さな心を少しでもれいな小ざ 0 ばりとした老人だった。ふだんはめ 0 たに寝 れいり こむことのないほど元気な人だというキチさんは、病床で めまいとしたが、怜悧な魔子は何も彼も承知していた。 くし が、物の弁えも十分で無い七歳の子である ( 註・数え年 ) 。も、白髪のまだ櫛の通る量の髪をきちんと小さな髷になで 父や母の悲惨な運命を知りつつもイツモの通り無邪気に遊つけまとめていた。 おもながたんせい ふびん んでいた。同い年の私の子供は魔子を不便がったと見え面長の端正な目鼻立に、今でも鼻筋がすっきりと通り、 しま めじり て、大切にしていた姉様や千代紙を残らず魔子に与えて了やや目尻の下った目にいきいきと表情が多い。なめしたよ ほおしわ り・つこ うな白い頬に皺もしみもほとんど目だたなく、夜具の衿元 に出した可愛らしいきやしゃな手に、どこよりも若さとな に私は魔子という変った名を嫌いかと笑いながら訊いた。 缶魔子さんは、今は真子と改名している。 = は笑子、ルイまめきさえ残 0 ていて、は 0 とさせられた。 きれいなお年寄だと感心する私の横で、魔子さんが笑い ズは留意子となっているらしい 美 ながら、キチさんには聞えていないという調子で話す。 「さあ、やつばり、今でも東京の昔の父母の知人たちは、 「とてもお婆ちゃんはおしゃれなんですよ。今でも、お酒 私をみると魔子としかいいませんしね。嫌いな名じゃない の燗ざましゃ玉子の白味は少しでもあれば顔や手にすりこ ですね」 かん

2. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

からだ 木の「フ、 1 ザン」の編集室へ向った。「フ、ーザン」はとはいえ、野枝の妊娠七カ月の驅に最後まで気づかなかっ 改題して今は「生活」と名乗っていた。二階から木村は一一た点だった。らいてうは、この点について、野枝の方に つの手紙を持って来た。そこにたむろしている仲間にけしも、妊娠の自覚もなさそうなこと、反省の中に一度もその して、 かけられたらしく、木村は、不機嫌な怒りを露骨にあらわ生理的事実が浮ばないことを指摘して非難した。 どうけ した表情になっていた。自分の立場の道化ぶりに自己嫌悪要するに、この事件は木村の道化役のおかげで、夫婦の がおきてならない。辻はその場で読み終ると、 間はいっそう固められたという形において落着した。 ちょうどその頃、赤城から帰ったらいてうの恋も八月の 「こんな気持だったのかい」 えんねっ と平然と野枝をみかえった。野枝も横からのそきなが炎熱よりも激しく燃えさかった。博史は相変らず、無邪気 のん、 で暢気に明子に逢いに来るけれど、一度肉体的にも結ばれ ら、顔を赤らめもせず、 おうせ た今では、逢瀬も夏以前までのような状態ではおさまらな 「ええ、この時はこれで本気だったの」 。博史の下宿と自分の住居の遠さが何より明子の苦にな とぬけぬけいう。木村はたまりかねてどなった。 あき けいべっ ってきた。家人が博史を嫌悪するのはいっそう露骨になっ 「呆れかえったもんだ。ぼくはすっかり軽蔑する。そんな ている。しかも博史は原田潤とまだ共同生活をつづけてい あなたならこっちからさつばり捨てちまうさ」 木村の提案で、お互いにこの事件を書いて、世間の無責る。 へだた 《私は今こうしてあなたと隔った別々の生活を続けて行く 任なスキャンダルを封じようということになった。 けんいん には堪えられません。私は今もっともっとあなたと自由な 「青鞜ーには「動揺」、「生活ーには「牽引」という題で、 それそれ八月号にこの事件は当事者の手で発表された。新時を望んでおります。 あ聞雑誌は喜んでこの告白手記にとびつき、ジャーナリズム私はもはやドリイマアではいられません。ィリ = ウジ = にはわぎかえった。「新しい女」はまたしても話題を提供しンばかりではいられません。今の自分を率直に表現するな てくれたのだ。「新講談」に「手紙がとりもつ新しき恋。らば、私はあなたと同じ昼と夜をもたねば満足出来ませ うわさ 知というのまで出たという噂だ 0 た。教育者や心理学者もとん。夜なき昼が何になろう。昼なき夜がまた何になろう。 びついてこの事件を論じた。伊藤野枝の名は、たちまち有あなたと一つ家に起居する原田という人のことを思うと、 せんばう 私は羨望に堪えません。しかしこんなことがあなたの心に 名になってしまった。 いったいどう響くものやら私には少しもわかりません。 こつけいだったのは木村がいかに恋に目がくらんでいた じこけんお

3. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

ちんせん た。今度の手紙は妙に沈潜した感情で不安を静かに語りか ったことにまだ気づいていなかった。 翌二十六日、野枝は文祥堂に出る途中で思いきって昨夜けていた。 しようぜん とうかん の手紙を投函した。一夜眠ったせいで、昨夜のあの激情は《今は十一一時を過ぎました。私の心は今悄然としてあなた もうどこかへ消えてはいたが、返事をこれ以上おくらせるに注がれている事を感じます。今私の前には卓に向い合っ てるあなたの姿があるのです。あなたに御話している気持 ことは出来ないと思った。野枝はふと、自分と辻のあのハ こっか トロン紙袋の中の手紙を思いだした。野枝の方が辻のよりでこの手紙を書こうとします。私は刻下自分の心に湧き上 一一倍も量が多かった。別れている時、書いても書いても書る思いをこうしてあなたに宛てて書くほか、自分の運命を きたりなかった気持や、自分にくらべ辻の手紙の少さを恨開拓する方法を知りません。またそうする事より他に日々 のある時間を消す方法を知りません》 めしく思った気持なども昨日のように思いだされてきた。 どうせい 同棲して以後も、いつでも辻より自分の方が愛の熱度が高と書き出した手紙の中では、離れる予感の方が多いので く、求めてばかりいたような気がしてきた。ところが木村す。といった文章も見えていた。 はちがうのだ。男の方からひざまずき、なりふりかまわずまだ野枝の返事を受けとっていない木村が慚く不安にか もだ わくらん うかが 愛を求め、悶えている。自分にも男をここまで惑乱させるられ、一人角力の惨めさに傷つきはじめていることが窺わ 魅力があったのだ。かくしきれない虚栄心の満足感が、野れる。辻は野枝がため息と共に放りだしたその手紙をとり ていねい 枝を苦しい中にも得意にさせていた。 あげ、丁寧に読んでいた。その横顔を見ているうち、野枝 文祥堂の帰り哥津と神楽坂など歩いて帰ってくると、先は突然胸をしめあげられるような恐怖に襲われてきた。今 ないしょ 朝、辻に内緒で出したばかりの自分の手紙の内容が、急に に帰っていた辻からまた木村の手紙を突きだされた。 「何てよく書くんでしよう 不安になってきた。あの激情に揺られたままの手紙が、木 野枝は思わず笑ってしまった。辻も苦笑いしている。二村にどんな反応をおこすかと思うと、早まったという後悔 十五日の夜半とあるその手紙は二十五日に木村の書いた三にいたたまれなくなってきた。今すぐ辻にその事を告白し しようどう 通めの手紙だった。一日に、一一通も三通も書く手紙が矢をたい衝動にかられながら、辻がどんなに憤るかと思うと恐 こお 射るように投けこまれ、もうたてつづけに三日に五通も読怖で心が凍りつきそうになる。無ロでおとなしく、頼りな いほどはきはきしない辻の中に、野枝はやはりみきれな まされているので、野枝は木村に逢ったのがつい三日前だ おとな ったとは思えず、十日も以前のような気がしてくるのだつい大人を感じ、それが苛だたしくもあり、頼りにもなって にがわ・ら ずもうみじ ようや

4. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

じようちょ たお礼を書くというのが野枝の表面の目的だった。けれど意識下にゆれ動きだした大杉栄に対する恋の情緒からの興 も野枝のペンは通り一ペんの礼状のわくからたちまちはみ奮とないまざっていた。 だしてきた。 更にその手紙の終りに、「青鞜」二月号を読者に発送する 《今までもそれから今もあなた方の主張には充分な興味を時、大杉の「平民新聞」を入れて送りたいから、三、四十 持って見ていますけれど、それがだんだん興味だけではな部送ってくれと書きそえた。大杉たちの方へ既に歩きはじ じっせんてき くなって行くのを覚えます。 めている自分を、この実践的な協力、危険な命とりになる 一昨夜悲惨な谷中村の現状や何かについて話を聞きましかもしれない協力から示そうとする野枝の動きの中に、や びたい はり意識下の大杉に対する媚態がこめられていることは、 て、私は興奮しないではいられませんでした。今も続いて そのことに思い耽っています。辻は私のそうした態度をひもちろん野枝は夢にも考えついてはいなかった。 そかに笑っているらしく思われます。一昨夜はそのことで 二人でかなり長く論じました。私はやはり本当に冷静に自何度書きかけてもうまくいかなかった。 分ひとりのことだけをじっと守っていられないのを感じま大杉はとうとう。ヘンを投げだすと、その場にどさりと仰 す。私はやはり私の同感した周囲の中に動く自分を見出し向けにひっくりかえった。野枝の手紙は大杉には恋文とし て行く性だと思います。その点から辻は私とはずっと違っか見えなかった。 ています。この方向に二人が勝手に歩いて行ったらきっと夫にも告げない心の大切な秘密を大杉だけにむかってつ あし、 相容れなくなるだろうと思います。私は私のそうした性をげるという野枝の打ちあけ話を文面通りにうけとって、谷 じっと見つめながら、どういうふうにそれが発展してゆく中村のことに関して感想なり指導なりを書こうとするの かと思っています。あなた方の方へ歩いてゆこうと努力しに、気がついたら、大杉の文字は熱烈な恋を語りかけてい ふところ てはいませんけど、ひとりでにゆかねばならなくなるときた。辻との生活を破壊し、いつでも自分の懐にとびこんで せんどうてき を期待しています。無遠慮なことを書きました。お許し下来る野枝を迎える用意があるような煽動的な字句をつらね ている。 野枝は今、自分がどんな重大なことを書いているか気づ辻の気の弱そうな神経質な表情が浮んでくる。この頃、 かなかった。書いている時の心の熱いほとばしりは、谷中大杉は二度、三度と辻に逢うにつれて、辻という男に対す 村問題に対する公憤だと思っていたけれど、それは野枝のる理解と親愛感が深まっていた。スチルネルの哲学につい すで あお

5. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

になるのはいやだ、などという馬鹿な事はいわない。 これかった。 は友人論だけじゃなくてぼくの恋愛論でもあるんだよ」 市子は大杉を得た喜びに震えた。愛する男から愛撫を受 市子はもうすでに何度か大杉の自宅へも出かけていて保けた。女として自分は何とこれまで片輪な生活を送ってい たことだろう。 子ともよく識りあっていた。たしかにおとなしくしつかり ゆくて した女だけれど、まるで人形のように市子には見えてい 行手に何があっても、どんな辛いことが待ちうけて しっと た。およそ保子を対象に嫉妬したりする気持はおこらな いても私は決して後悔しないだろう、人生の底の氏までみ きわめつくすのだ 今も大杉に保子のことを云い出されながら、市子は一向大杉の胸の中で市子は幸福にすすり泣きながら、そう思 に心が痛まなかった。市子がだまってにこにこ聞いているっていた。 のに調子にのって、 それ以来、大杉は出京の度、市子のところを宿にした。 「・ほくは別に手も握った仲じゃないけど、伊藤野枝も好きもう誰に対しても市子との関係をかくそうとはしなかっ なんだよ。ついこの間までは、きみなんかよりずっと好きた。 大杉は保子を説得し得たわけではなかったのだ。保子は だったくらいだ」 などといってもやはり機嫌のいい笑顔のままだった。野いきなり大杉から市子を愛していることをつげられ、逆上 うわさ 枝に対する大杉の心は、噂にも聞いていたし、「新潮」のした。 「貞操論」でも、読みとっていたけれど、今の場合さして「神近を好きになったけれど、決してお前を嫌いになった 気にもならなかった。少くとも現在、野枝や保子より自分のではない。今までどおり愛してもいるし、尊敬もしてい る。だから、気持をゆったりもって、だまってしばらく目 が一番、大杉の心の近くにいることを市子は感じとってい あ をつぶっていてくれ」 乱市子がその後半月ほど仕事で旅に出ていて帰った時、大そんな大杉の云いわけを、虫の云い男のわがままとしか 杉は逗子からいつものように出京してくると、はじめて市聞けなか 0 た。これまで保子は大杉がフリイラヴなどと夢 子の下宿に泊った。大杉から答えをもらったと市子は思っのような理論をふりまわしていても、あくまで大杉の頭の 中の理想で、そんな奇怪なことが現実の世界におこるもの かと思っていた。自分と一緒になる前の女関係は知ってい 保子をどう説得したかということもあんまり聞きはしな 、けん たび かたわ つら

6. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

まって、使い走りをさせたり、子供のお守りをさせたりす時でしたからね。はあ、大正十一一年の女の洋服なんて、東 るんです。荷物なんか、いつでも駅から尾行に持たせてや京でも、とても珍しかったんじゃありませんか。姉は洋服 が似合うようなところがありました。何でも、自分の着て って来ましたよ。 。ししんだというたいそう自信が 身なりをかまわないのは相変らずで、うちへ来る時は一るもの、していることよ、、、 番ひどくなったものを着て、仕立直してもらう肚ですかある人ですから、何だって似合 0 てしまうかもしれませ ひも ら、綿なんかはみ出たものを着て平気です。羽織の紐なんん。 そうそう、辻のことでは面白いことがありました。私が か、いつもかんぜよりでした。母が見かねて、 「せめて村へ帰る時くらい、みんなが見てるんだから、髪はじめの結婚で失敗して、婚家から逃げて帰った時、丁度 辻がはじめて来ていたのに逢ったんです。その時、辻が私 くらい結って来たらどうだ」 をどうしても東京へつれていって帝劇の女優にしてみせ といいますと、 「今に、女の頭は、あたしがやってるような形になるのゑ必ず、成功させるってきかないんですよ。姉まで本気 になってすすめましてねえ。今から思うとおかしい話です よ。みてなさい」 とうそぶいていました。でも、ほんとに、今になってみが、私も何だかそういわれると、遊芸が好きだったし、舞 台に立つのも悪くないような気がして、行きたくなったも れば、たしかに姉の予言通りになりましたからね。 ええ、殺される頃は、洋裁なんかもよくしていたようでのです。でもどうしても、父が反対してやってくれません す。髪も断髪にしていましたし、帽子なんかかぶっていまでした。その頃は帝劇の女優をはじめ、松井須磨子のノラ やカチューシャが全国をさわがせた時ですから、女優に憧 した。大体、大杉という人がおしゃれで、着るものなんか も、凝る方だ 0 たし、瀾だ 0 たようです。姉もその影響れる気持もあ 0 たのです。父は自身、遊芸が好きで、道楽 あ を受けたんじゃないでしようか。子供の服装などは、大杉としては娘を舞台で舞わせたりするのが好きなくせに、や 乱がやかましくて、子なんかは、大杉好みの ( イカラにさはり、女優というのは、芸者より悪い女の職業のように思 かわらこじ、 っていましたし、河原乞食になりさがることはならんとい れていました。ですから、ここへ引きとってからでも、こ きゅうへい の子たちには、洋服・はかり着せて、ずいぶん ( イカラに育うような旧弊な考えを持っておったようです。 はあ私の結婚の話ですか。はじめは十七の時、きりよう てていましたよ。その頃、洋服を着た子なんて、こんな田 舎ではないし、第一、おかつばにした女の子がまだ珍しい望みでもとめられて、隣県の大変な金持のところへ嫁きま

7. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

引デ どからいろいろと話をきくのを、微笑をうかべて耳を 上かたむけていた。 春代は、ここにこうべッドがあって、ここにお客さ の んが坐って、と記慮をたぐりよせるようにしながら話 とす。その話はいっか「美は乱調にあり」の文章とかさ 妻 なり、野枝の血縁の人たちから話を聞きだしうなすき る ながら、たえまなくひびいてくる波の立日を感じとって いる瀬戸内晴美その人の姿を連想させる。 て れ 当時は近くの二宮神社まで、はとんど人家もなかっ 士 6 たらしい しかし今では低い屋根の家々が建てこみ、 挾 すっかり模様が変っている。野枝は今宿の海岸に立っ 花 げんかいなだ の て、今津湾の外に開けた玄海灘のあたりを眺め、海の ん かなたへ雄飛するような思いにとらえられたのではな なぎさ いだろうか。渚にうち寄せる波の音を聞いていると、 の 数そのことが理屈でなく、理解されるように田 5 った。 無 野枝の遺骨は、伊藤家の墓所に葬られたが、世間体 をおもんばかって墓の表には何も文字を彫らなかった 両 という。その墓は戦後までそのままになっていたよう の そ だが、今宿町に共同の納骨堂がつくられ、今はそこに 廊納まっている。そこまでは車で三分とかからない。鉄 ト式になって の筋づくりの納骨堂は、最近流行のア。 ( 寺 おり、ひとつひとつの仏壇の囲いがそれぞれの家の墓 長所であった。

8. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

さび その淋しさやむなしさを、贅沢と遊びでうめ合せるので元気でいたことでしよう。 すからたまったものじゃありません。しないのは男道楽だ私は、とうとうひとりも自分の子供がうめなかったの けで、あとのことは、男のするような道楽のありとあらゆに、姉は十年に七人の子を産んで今の年でいえば二十八で ることをしつくしました。芝居は毎日でもゆく、友だちを死んでいったのですからね。それだけだって、大へんな生 つれてお茶屋にはあがる、芸者をあげる、・ ( クチは打つ、命力ですよ。産後一一十日で、大杉とあの物騒な時に横浜ま 酒はのむ、その上、頭のてつべんから足の先までこれ以上で出かけるなんてねえ。でも、今でも時々、ひとりで思う 出来ないという贅沢で飾りたてるのです。宝石も毛皮も堪ことですが、震災がもう半年おそかったら、野枝たちは殺 餡するほど身にまといました。戦争で焼けだされたとたされていなか 0 たんではないかということです。それとい ん、すっからかんになってしまいましたが、一度もう堪能うのも、本当のところ、あの人たちも子供たちのことを考 したせいか、今は何をみても興味もわかないし、ほしいとえて、もうこんな危いことはやめようといって、転向の用 思うものもありません。 意をしていたんですよ。私どもにもそういっていましたか おもしろいのは、そんな私にさんざんてこずらされた主ら。 : おや、すっかり暮れてきました。まあ、私とした 人が、おしまいには、姉びいきになって、一度東京の姉のことが、ついつい話に身が入って、とんでもないつまらな ところへ行って帰って来てからは、ふた言めには、 い自分事をお聞かせしてしまいました。ごめんなさいまし 「世間じや野枝さんを男よりこわい女のようにいっているよ》 が、どうしてどうして、大杉の家にいってみると、あんな博多の町中に帰ってくると、もう街の灯がすっかり濃く 女らしい女はまたといないね。ちょっとした心づかいや動なっていた。 作がじつに女らしい。男がみんな夢中になってくる理由が魔子さんは、最後に、もとの博多駅の近くの暗い町筋へ あ にようくわかったよ。それにくらべると、お前は、見かけ車をまわし、 ごんげ は、女らしさの権化みたいなくせに、全く、男っぽい女「私の子に逢ってやって下さい」 乱 と、つこ。 美 なげ といって、嘆いていたものでした。 旧い一一階家の、一見しもたや風のかまえの土間に入る うちの家系はみんな長命で、八十、九十まで生きる人がと、すぐ入口の板の間の仕事場に数人の男女が坐りこみ、 多いんです。姉もああいう死に方をしなければ、まだまだ博多人形に彩色しているのだった。 ムる

9. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

いのをぐっとやらなくちゃ。 ったんでしよう。子供と云っても高校一一年生でしたからね え。朝はそっと食事の用意をして私の目をさまさないよう O—O に勤めてましてね、なに英語は私と同じようにプ ちゃよだい に出かけて行くんです。起きると卓袱台にいつでも手紙がロークンですが、女の役得でアメリカ人に連れられて連中 置いてありました。 の行くレストランなんそへ行ってましたが、私もそこで顔 「おっゅあたためてからおあがんなさい」 を合わせました。外で会ったのは初めてだったんですが、 向うから声をかけてきましてね、 とか、 「御飯かたく炊けました。ご免なさい。よく噛んでね。明「どうしちゃったん ? ぼうっとしとってんじゃね。体の 工合が悪いん ? この頃お酒を飲みすぎとってじゃいう評 とか、読む度にいじらしくって私は涙が出ましたよ。こ判よ。大事にしんさいや。広島人の少い広島市で、あんた てんがい の叔父さんが死んでしまったら、本当にこの子は天涯孤独だって貴重な存在なんよ」 はず 当時一一十一一歳だった筈ですが、云うことが生意気じゃあ なんだと思いましてねえ。私が原爆後遺症で・ほっくり死ん りませんか。「貴重な存在」はよかったって、今でも話の でしまったら、この子はどんなに驚くだろう、なんて思う 種なんです。家内に云わせると私はそのとき、しきりと眼 と、堅い飯を噛んでも噛んでも、涙が止らないんです。 明子、叔父さんは死ぬかもしれないんだよ、なんて新派をこすって、 悲劇みたいで云うわけにもいかないしね、あは、はははは「あんたがこんとうな別嬪さんたア思わんかったがのう」 ふつかよい と云ったんだそうですが、私は覚えがないんです。宿酔 で、きっと視界が・ほやけていたんですよ。そうに違いあり つまり、飲んだんですよ。以来八年飲み続けですから、 きれい 、た 鍛えられて、ごらんの通り仲々酔いません。何しろ金のなません。家内は綺麗とか美人とかってんタイプじゃないん しようらゆう です。なんていうか 、まあ広島の野菜ですね。新鮮な いときには、焼酎を飲んでますからねえ。 飲み始めのころは、朝になっても酒の気が切れないのに香りのぶんぶんする、そんな感じなんです、今もって。は ま をいや失礼。 なは流石に往生しましたよ。おかげさまで頭痛はないんです しん が、やつばり頭の芯が・ほうっとしてましてね。その頃でし私が酒を飲んでいるということを、それとなく聞き知っ 四た、芳子に道でばったり会ったのは。家内です。今の。さて案じてくれていたという言葉は、若い私を夢中にさせま てこれからが、そもなれそめ。ちょっと待って下さい、熱した。二十七でしたからね、とにかく多感な頃で。貧血し さすが たび べっぴん

10. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

じずにはいられない。とっさにこの手紙は辻には見せられ姿が男にとって魅力的だとは野枝は考えたことがなかっ いなか ないという気がしたが、思いかえして、辻にこんなことでた。「青鞜」の誰と比較しても自分がいかにも田舎っ・ほく あか かくし事をする必要はないと思った。どんなつまらないこ垢ぬけないのを識っていた。それだけに、今、こんないか ちくいら とでも自分の経験のすべてを辻に逐一話さないでは気のすにも文学青年らしい男から恋文をもらった自分にとまど まない習慣のついている野枝にとって、こんな事件を黙っ 、と同時に生れてはじめて味わう晴れがましい得意さが ていられる筈もないのだった。 わくのをどうしようもなかった。 その夜十一時すぎ、野枝は辻の書斎で木村の手紙をみせ「ねえ、あたしだって、まんざらでもないのね。どう ? 」 じようだん 」 0 と冗談冫 こ云いまぎらして辻の膝をゆすぶってみたいよう 「困っちゃうわ、こんなこといってきたって、ね。すててな浮き浮きした気持にもなってくる。辻は読み終った手紙 おいていいでしよう ? 」 を置くと、妙にしんねりした生真面目な陰気な目つきで、 ひざ 無意識に甘えた口調になり、辻の膝に手を置いて、野枝「これは真面目な手紙だから返事をやった方がいいだろう はだまって妻へ来た他の男の恋文に読みふけっている辻のね」といった。 顔をみあげていた。思いがけない得意さがその時、野枝の 「だって、そんなこといったって、あたしのせいじゃない ようぼう 心に浮んできた。野枝はこれまで、辻が学問的にも容貌のわ。むこうの勝手じゃないのー すぐ 点でも自分よりはるかに秀れているという気持を持ちつづ野枝は辻のことばに感じた嬉しさをかくして、わざと唇 けていた。教師時代の辻に対する尊敬は、自分の運命の救をとがらせた。 おおぬ、しようせん 世主であるという点でもいやましていて、辻の子をおなか「木村荘太っていう男は谷崎潤一郎や大貫晶川たちといっ みごも りに妊っている今でさえ、やはり辻に頭の上らない気持を持しょに第一一次『新思潮』をやった同人だよ。今は「フュー にちつづけている。それに辻が教師時代から女に好かれる男ザン』の同人だ。ほら、いつだったか野枝と散歩してる時 舐だったのをよく見知っているし、辻の過去の女に対しても本屋で立ち読みした「フューザン』にこの男の小説が出て しっと 、こじゃないか」 野枝は嫉妬をおさえることが出来ないでいる。あんなに美しナ しい聡明な明子でさえ、辻のことをいう時は心からほめる「そうだったかしら」 四のを野枝は晴れがましく聞きながら、内心、夫に対して一「木村のおやじは明治のはじめ東京で一番早く牛肉店をは 種の劣等感を抱かずにはいられなかった。自分の容貌や容じめた男で『いろは』の経営者だ」 うれ