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検索対象: 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集
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1. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

んでいた東京日日の新聞記者、小野賢一郎の耳に入ったの郵便物の東を二つに分け、互いに読み捨てているうち、 が運の尽きだった。小野はたちまちそのゴシップを面白お明子が、上気した顔をあげて、今読み終った封書をさしだ 、やくしよく した。 かしく脚色して、三流新聞に流してしまったのである。 「これ、読んでみてやって。なかなかしつかりしてるじゃ 今や、「青鞜 . の「新しい女」は、五色の酒をあおり、 ゅうとう 吉原に上り、男も顔まけの遊蕩をするというスキャンダルありませんか」 が湧き、良風破壊の不良女性たちの集団のように非難が集切手を三枚も貼った、しつかりした男のようなペン字の 分厚い封書だった。裏には、 中してきた。 それ以来、編集部の机上には「青鞜ーや明子を非難する「福岡県糸島郡今宿村伊藤野枝」 きようはくじよう と書いてある。 抗議文や脅迫状が続々と集り、同時に男のすることを女が してなぜ悪いという愛読者たちの激励の手紙が舞いこむな「九州の子なの」 「いえ、今は東京にいるらしいの、中に東京の住所があり ど、騒ぎが大きくなってしまった。 れにしろ、たまたま重なったこんな事件のため、「青ます」 日に何通かは、主宰者の明子あてに身上相談の手紙が来 鞜」の名はいやが上にも有名になり、部数はまだ上昇をつ る。そういう手紙には馴れている明子も研子も、伊藤野枝 づけているのだ。 おばさんというニックネームのある堅実派の保持研子という未知の少女の今日の手紙には少からず心惹かれた。 は、こんな風評をまねいたのは、社員に軽率な行動があっ家族の無理解から、気の進まない結婚を余儀なくさせられ もだ いちず たからだと批判し、紅吉はじめ明子も、研子から相当強硬た娘の一途な反抗心と悶えが、生ま生ましく熱気のこもっ はいしつかん つづ にたしなめられている。たまたま紅吉が軽い肺疾患にかかた文章で綴られていた。 なんこいん り、茅ヶ崎の南湖院へ療養にいったため、編集室には自然「まだ十七、八らしいけど、ずいぶん、しつかりした頭で に、昔の静かさがかえってきた。 理路も通っているでしよう」 研子もこの編集が終ると、すぐ南湖院へゆくことになつ「文章もなかなかりつばよ」 しつかりした少女は何とかのばしてや ている。もともと研子の方が南湖院には旧い患者で、今で「こんな頭のいい、 も院内の林の中に一軒家を借りていて、夏は病院の手伝いりたいわ」 などしていたのだ。 明子は、その場で返事を書き、とにかく一度遊びに来る けんじっ けいそっ ふる やすもらよしこ

2. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

きいて、草平と明子の結婚をとりまとめ、世間の非難のロるため、「青鞜」発刊に積極的援助を惜しまないだけの理 解を持っていたのである。 を防ごうとしたやり口に憤慨していた。 そんな常識的なごまかしで、生命がけのあれだけの試み熱心で、実際家の研子に追いたてられる形で、明子は次 をけがして平気なのかと思うと、わずかに残っていた草平第に「青鞜 . 発刊への道へはしりこんでいったのだった。 「ああ、やっと終った。部数はどんどんのびているのに、 に対する好意も、完全にかき消えてしまったのだった。 、よむてき 虚無的にな 0 ていた明子の無為の明け暮れの中に、「何売掛金の回収率が悪いのと、郵便費が馬鹿にならなくて、 か」を産みだすという能動的な活力が久しぶりでいきいきあんまり黒字にもなっていないわ」 動きはじめてきたのだ。 「あせることありませんよ」 すみ どびん 明子の動きだした心にいっそう拍車をかけたのは、明子研子は、部屋の隅にある土瓶から麦茶をとってきて明子 つもは、誰か社員 の姉の女子大の友達の保持研子だった。研子は女子大を卒へつミ自分の湯のみにも充たした。い 業して、四国の郷里へ帰る気がなく、東京で何か働こうとが一「三人は集り、未知の読者が訪れたりするのに、今日 かんさん かぐう して、さしあたり、学友の平塚家に仮寓しているところだの暑さに出足がすくんだのか、珍しく閑散としている。 、ようはくじよう った。明子から生田長江の案を聞かされた研子はたちまち「ほら、またこんなに脅迫状が来ている」 かたて その話にとびつき、明子以上に乗り気になった。研子の熱明子は束にしたはがきや封書を片掌にのせてみた。単な 意にひきずりこまれたかたちで、まだ決心のつきかねている文芸雑誌を発行するつもりで始まった「青鞜」が、一年 た明子がようやくその気になった時、明子の母の光沢が、 しつのまにか、女性の解放運動のような使 たらずの間に、、 「どうせお前の結婚費用としてとっておいたお金だから」命を持った感じがしてきた。何時からとははっきりいえな と、百円を投げだしてくれた。明子の父、平塚定一一郎は いほど、それは自然にそういう形になっている。少くとも かんり 会計検査院の院長になった高級官吏で、プリンチェリの雑誌に「もの」を書いて発表しようなどという若い女たち じが 「国家論」の翻訳などもものしたインテリゲンチャだった が、すでに発表したい何かを自分に持っている自我のある 上、妻の光沢を、結婚後、桜井女塾や共立女子職業学校へ人たちであったことが原因といえるだろうか。男のかげに 通学させたような理想主義者だった。明子は物心ついた時かくれ、家のかげに身をひそめ、自分というものを一切外 は祖母に育てられ、母の通学する姿をながめたのを覚えてへ出さないのが女の美徳とされていた時代に、親や夫や、 しゅうとめ いる。そんな母だから、草平との事件後の明子を再起させ姑とのいざこざを、平気で文章にして発表したり、大胆 いっさい

3. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

と申し出た。この提案にはらいてうも有難がり、早速、 は好意的には迎えられていなかった。 すう もともと、「青鞜ーの同人たちは、美しいらいてうを崇野枝の近所の上駒込の妙義神社の近くへ引っこしてきた。 やえこ かきね あこが し、暗黙のうちに、一種の同性愛的な憧れがその結合のこの頃の辻家の裏隣りには垣根ひとっへだてて野上弥生子 基調にあったため、博史のような柔弱な若い男に、らいてと豊一郎の家もあり、野枝は野上弥生子の家へかけこんで、 しようゆ うが夢中になることには裏切られたようなショックをう醤油をかりたり、味噌をかりたりしながら、急速に親しく なっていた。垣根ごしの立話しで、弥生子の訳しているソ け、失望を味わっていた。それはらいてうへの不信につな がってゆき、「青鞜ーへの愛情や熱度をさまさせることに ーニヤ・コヴァレフスカヤの生涯について語ったり、ヴェ なった。一人の博史の愛を得るためにらいてうは無数の友デキントの「春のめざめ」について語ったりしていた。野 すで 情を犠牲にしなければならなかった。 枝より十歳年上の弥生子は漱石に師事し、既に文壇に認め らいてうが「青鞜」に博史の絵の広告を出すことさえ、 られていたし、同門の豊一郎と結婚し、子供ももうけ幸福 同人の中では非難の声があがった。 で知的な家庭生活を営んでいた。理性の勝った弥生子は、 同棲して数カ月で、らいてうは心身共に疲れはててしま「青鞜、の華やかさや、内実の空虚さを冷静に批判し、雷 まんしんそうい どう 満身創痍の観があった。 同はしない立場で、作品の発表だけはしていた。らいてう 夏が訪れたある日、突然、三越から大きな包みがとどけが野枝に牽かれたように、弥生子も自分とはおよそ正反対 られた。真新しい麻がやがその中からあらわれた時、思わの性質の若い野枝の情熱やひたむきな向上心を愛してい ほお ずらいてうの頬に涙が流れた。母の無言の心づくしが、同こ。。、ノ ・、ミレクを吸いこむような素直さで弥生子から受 棲以来、世間に対し肩をいからせ、気をはり通してきたらける知識のすべてを吸収してゆく野枝に、弥生子もいっか いてうの心に沁みとおり、堪えてきた涙を一時にあふれだ親身な友情を抱いていた。 あ にさせる。 「正直いって、この頃の『青鞜』は低調だわ。辻もいうん だけど、今の『青鞜』じゃ、弥生子さんのソーニヤだけが そんならいてうの不器用な生活ぶりを見かねた野枝は、 煢「どうせ、ごはんの支度なんて、一人ふえても二人ふえて看板ですものね、 そんなため息をつく野枝は、編集には無関係な弥生子 も同じよ。あなたの才能をそんなつまらないことで消耗さ に、らいてうの結婚以来、内部でもしつくりいかず、やり せるのは見ていられないわ。うちへ来て、おふたりでごは にく んをたべることになさったら」 難くなったぐちなどこぼして聞いてもらったりする。弥生

4. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

を / 「田村俊子」「かの子撩乱」につづく、大杉栄、伊藤野 枝を主人公にした伝記 ( = ト説の系列の異色作である。 「この小説を書いてもう三、四年たつ。田村俊子を書 せいとう いてはじめて『青鞜』の女性群を識り、その生命力の みすみすしさ、愛すべき女らしさ ( 賢さも愚かさもふ くめて ) に触れ、彼女たちに魅せられてしまった。岡 ひさん 本かの子も『青鞜』に、最も悲惨な魔の時代を慰めら れている。『青鞜』の女性群の中で、だれよりも『青 鞜』的であり、『青鞜』の申し子みたいに成長し、『青鞜』 と共に歩み、『青鞜』の死に水をとった伊藤野枝を、私 ひだ この本に収録された「美は乱調にあり」は昭和四十は心の襞にわけいってさぐりたいと田」「た」 年一月から十二月迄「文藝春秋」に連載されたもので これは昨年 ( 昭和四十四年 ) 東京新聞の「作品の背 景」という欄の、インタビューに答えている言葉の一 節である。たしかに彼女の書いている伝記系列の小説 はすべて、「青鞜」に、何らかの関連をもった女性が中 、 ) うとくー・フ 年 心人物である。最近上梓された「遠い声」も、幸徳秋 かん 水と結婚し、「大逆事件」でただ一人処刑された女性管 野須賀子の伝記を小説化したものであるが、管野須賀 子自身は「青鞜」のグループの生れた年に処刑されて いるが、須賀子の死が「青鞜」のグループに大きな影 それほど「青鞜 士響をあたえたことは間一理いない 文 な女性である 「美は乱調にあり」は、「美まこごし ーオオ舌調にある。諧調は 「夏の終り につづいて、その連作とも言うべき「み きぎす だれ」「雉子」「花冷え」「あふれるもの」等を次々に発表 なお「夏の終り」は昭和三十八年、第二回女流文学 賞を受賞し、これによって、彼女の文壇的地位は確保 された。この頃から、新聞、月刊誌、週刊誌等からの 注文が急激に増大しはじめたのである。 476

5. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

しばら つきの下宿で、並の下宿より倍くらい下宿料が高かったけ だ。その野枝子と暫くでも離れるのだ。しかも、お互いに 暫くでも音信なしでいようと云うのだ。僕と同じ思いの野れど、下宿代の請求が殊の外のんびりしているため、無銭 で食べていられるという便利さがあった。 枝子には、僕がどんな思いをして其後の夜を明かしたか、 今更云う必要もなかろう。 略ーー・・野枝子が早く落ちっ その間にも、大杉は新雑誌発行の保証金を作ることに奔 いて、ほんとに野枝子自身の生活にはいる事、これが今の走していた。自分の思想の発表機関を持っこと以外に、や 野枝子に対する僕の唯一の願いなのだ。ー , ・・略ーーしかしはり大杉は生きていけないし、この複雑に錯綜してきた情 ね、野枝子、若しうまく行かなかったら、あせったりもが事を秩序づける方法はないと考えていた。思いがけない所 いたりするよりも、何よりも先ず早く帰っておいで。野枝から、その金が舞いこんでくることになった。野枝が道を つけてきた杉山茂丸に逢ったことから思いっき、内務大臣 自身の事は一一人で少し働けば直ぐにも何んとかなるのだ。 じかだんばん の後藤新平に直談判をして得たものだった。いきなり訪ね こんな愛情を惜しみなくそそがれている野枝が、保子やていった大杉に後藤新平は自身で逢うと、金が欲しくて来 たという大杉にあっさりと要求額の三百円を与えた。その 市子より恋の勝利者としての自信に満足するのは当然だっ れんびん たし、他の二人のライ・ハルに対してゆとりのある憐憫の情時新平は、これは同志の間にも内密にしてほしいと条件を を持てるのも自然の成行だった。 つけた。大杉はその金の出所を野枝以外には誰にも告げな ほんそう 結局この時の野枝の奔走にもかかわらず、金策は市子のかった。保子や市子にも明かすつもりはなかった。そのう ち五十円を久しく金を持っていかない保子の所へ運び、三 予想通り不成功に終った。大阪から九州へ走り、目ぼしい 知人の間は全部交渉したけれど、百円はおろか、帰りの旅十円で野枝のお召の着物と羽織の質を受けだした。野枝は すずめ 費をつくるのさえおぼっかないほどだった。けれども野枝もう長いこと着たきり雀の寝衣一枚になっていたのだ。二 あ とうやまみつる には代準介のってで頭山満に面会を申しこんだり、頭山の紹百円ばかりの残金に、少し稼ぎたせば保証金は出来る。大 介で杉山茂丸に逢いにいったりした。杉山は大杉に直接逢杉はいよいよ、野枝とも別居する準備が出来ると勇んだ。 どうせい いたいといって野枝を帰した。野枝は万策つきはてて、九菊富士ホテルの一室で、止むなく同棲をつづけながらも、 月末東京へ帰るとまた大杉の下宿へ転りこんだ。福四万館二人はその状態が正常だとは決して思っていなかった。先 は下宿料不払いで逐われたので大石七分の紹介で本郷菊坂ずこの金の一部分で大杉はなじみの葉山の「日蔭の茶屋ー よんさい の高等下宿菊富士ホテルへ移転した。菊富士ホテルは食事へ出かけて行き、文債を片づけるつもりになった。久しぶ ゆいいっ その かせ

6. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

そんな知恵までつけられているうち、明子も次第に、そ で、編集したことが思いだされる。 創刊の当初から協力してくれた有力な社員だった物集和の雑誌に興味を持ってきた。 ようや 子はすでに「青鞜」を去っている。木内錠も、中野初も去三年前におこした森田草平との心中未遂事件が、漸く世 っていった。木内と中野は、生活の忙しさからとの理由間の人々から忘れられかけているとはいえ、明子の心の中 で、物集は、あまりにジャーナリズムにのりすぎた最近のではあの事件で受けた様々な心の傷が癒えきっているわけ 「青鞜」の雰囲気が、県守的な彼女の家庭の雰囲気と合わではない。事件後、草平が発表した小説「煤煙」も、明子 の目から見れば、ずいぶん草平のいい都合に書いてあっ なくなったという理由からだった。 創刊の最初から苦労を分けあった幹部というのは、結局て、あのふたりだけしか知らない事件の真相には何ひとっ 明子と研子のふたりになっている。明子は、まだ指を動か切りこんではいないと思うのだ。きれいごとばかりで、要 さび しつづけている研子のむつくりした肩さきに目をやりながするに、娘一人を東京を離れた淋しい山の中につれだしさ ら、研子がいなかったら、果して自分は「青鞜」発刊にふえすれば、自分の胸に倒れこむだろうという期待と野心を みきっていただろうかと考えていた。 みせていた草平の心情など少しも書かれていない。雪の山 アつめい 去年、この雑誌の発刊を決心した頃、平塚明子はこの雑に登る描写だって、頂上で眺めた此の世ならぬ坪明の氷殿 誌が、これほど世間に騒がれ、全国の女たちからこれほどの荘厳境だって、草平の筆には一向に描かれておらずあき 熱狂的に迎えられようとは予測もしていなかった。いつも たらぬことばかりだった。毎日、禅寺へ参禅するため、一 けん、やく 何となく遊びに行っていた生田長江の家を、いつものよう里や二里の道を平気で歩きつづけた健脚の明子が、雪の山 に庭先からふらりと訪れた時、座談のついでに、長江が、道もまるで平地のようにすいすい身軽に登っていくあとか ら、運動神経の鈍い草平が一足ごとに脚をすべらせ、雪に 「女ばかりの文芸雜誌を出してみませんか」 あ むぎんこつけい と云いだしたのがことの始まりだった。話しているうち腰までのめりこみ、見るも無惨で滑稽なおよそロマンティ に、長江は次第にこの計画に熱を帯びてきた。 ックなどとは無縁の不様さで、よたよたついてきたことな 「百三十頁ぐらいのものにして百部刷 0 て印刷費は千円ぐど、あの小説には一行だ 0 て書かれていはしなかった。明 らいで出来ますよ。費用は・ : ・ : そうだな、お母さんに相談子は、まるで、色気狂いか、神経衰弱の女のようにしか表 してごらんなさい。それくらい出してくれるんじゃないかわされていない自分の描写に腹を立てた以上に、あの事件 な」 の解決策として、夏目漱石たち、草平の周囲の先輩が口を

7. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

しゃ ^ はいた、め 上海大前で撮る左より 二人目が佐和右端が平 野謙氏 ( 昭和三十六年 ) 、やをーを ー三 た作品である。 和 「香華」は「婦人公論読者賞」と「小説新潮賞」の二つの 賞を獲得した。 で 「香華」は、記ー 糸邦のある大地主の娘三代にわたる、や 庁 璃 はり「女の一生」を描いたカ作で、五十数年にわたる 瑠 母と娘の、愛と贈しみのあや糸でつづられた数奇な生 京涯が、重厚でしかも華やかな筆致でくり ひろげられて 目 二人の対照的な女の生涯と心理を、歴史的な、風土 人年的な背景のもとで、自由自在に描きあげ、むせるよう 和な迫力をかもし出している。「女性でありたいと思う 人間 ( 母・郁代 ) には幾人もの子が生まれ、母性であ りたいと願う人間 ( 娘・朋子 ) には子が生まれない 彡氏 撮郎その対照が描きたかった」と、彼女は語っていたか、 そうした女の宿命が、絵巻物のようにけんらんと描か 勝 て井れている秀れた作品である。 に亀 前が 「華岡青洲の妻」 ( 四十二年 ) も、やはり家系的な作品 堂つである。紀州生れの歴史上の人物で、日本で最初に麻 一三ロ 己と酔薬を発明し、これによ 0 てはしめて乳ガンの手術を行 ろ魯子 「たことで有名な華岡青洲の妻と、その母 ( 青洲の ) 和との二人の女の内的なか「とうを描いた秀作である ~ 〕海佐 上がカここにも背景として家系というものかおりこまれ 459

8. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

433 注解 瀬戸内晴美集注解 殺され、隊内の古井戸に投げこまれた事件。 一実田村俊子の生涯を書いた縁昭和三十四年から丹羽文雄主宰 の「文学者」に発表、翌三十五年文芸春秋新社から刊行。同年 創設された田村俊子賞の最初の受賞作品となった。 一岡本かの子について執念深い長い作品昭和三十七年から三 十九年にかけて「婦人画報」に連載された。絢爛で異常な一生 美は乱調にあり を送ったかの子を、東京女子大の卒業論文に選んで以来の研究 = 三五大逆事件明治四十三年五月一一十五日、宮下太吉、新村忠雄、 成果を伝記文学の形で発表した野心作。 新田融、古河カ作の四人が検挙されたのを端緒として、幸徳秋 = 四 0 全く同じ世代の辛酸をなめてきたこの不思議な名をもっ魔 水、管野須賀子ら社会主義者が続々拘引された。社会主義者が 子は、特異な位置にあった両親の子であったがゆえに背負わね 爆弾による天皇暗殺を計画したという重大な陰謀が発覚したと ばならなかった宿命にありながら、いささかの苦悩の色も見せ いうのがその検挙の理由。ほとんど全国におよぶ数百名の検挙 ていない。だがこの不思議な冷静さの中に、逆に並でない辛酸 者のうち、起訴されたのは一一十六名。明治四十四年一月十八日 の痛みを垣間見、きびしい昭和の動乱期をすごした作者も同世 には、有期刑一一名のほか全員死刑の判決を受けたが、そのうち 代人としてその痛みを分担しあうのである。この同世代人とし 十二名が翌日無期懲役に減刑された。実際計画したのは、宮下 ての痛みの分担こそ、ドラマチックな野枝の生涯への関心とと 太吉、新村忠雄、古河カ作、管野須賀子の四名のようだが、桂 もにこの作品を作者に書かせた要因でもあった。 内閣はこの事件を社会主義者撲減に利用し、幸徳秋水を首謀者 = 四一一「最後の大杉」内田魯庵の著名な回想集「思ひ出す人々」 とした。裁判は弁護人申請の証人をいずれも却下、公開禁止の ( 大刊 ) 所収。 なかで、発覚以来六カ月余というス。ヒード結審、訴訟手続上の = 哭村上浪六 ( 00 ~ 一 0 、 4 ) 小説家。作品の多くの撥鬢の町奴を にんきよう 形式にすぎない公判であった。天下の耳目を聳動させたこの事 主人公に登場させ、仁侠の世界をえがき、撥鬢小説の名で呼ば 件は、外、啄木、荷風、蘆花など多くの文学者に影響を与 れた。偏奇な国粋尊重と呼応した「暗く浪漫的な歴史小説」で え、社会主義者は厳しい「冬の時代」を迎えることとなった。 ある。森田思軒によって認められた出世作「三日月」 ( 明 ) の 一一三五大杉栄虐殺事件大正十一一年九月一日の関東大震災による戒 ほか、「奴の小万」など多数の作品がある。 厳令下で、大杉は妻野枝と妹あや子の一子、甥の橘宗一 ( 七歳 ) = 〈 = 大鴉ポ _Edgar Allan poe ( 8 ~ 、 0 ) を一躍第一流の とともに外出先から帰宅途中、甘粕正彦憲兵大尉らに呼びとめ 詩人とみられるに至ったのがこの「大鴉 . ( 1 5 ) である。小説 られ、大手町の東京憲兵隊に連行され、同夜、甘粕の部下、憲 同様、死、美、憂愁をテーマとし、きわめて音楽的な表現に効 兵曹長森慶次郎、同上等兵鴨志田安五郎、本田重雄ら四人に扼 果をみせた。

9. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

まって、使い走りをさせたり、子供のお守りをさせたりす時でしたからね。はあ、大正十一一年の女の洋服なんて、東 るんです。荷物なんか、いつでも駅から尾行に持たせてや京でも、とても珍しかったんじゃありませんか。姉は洋服 が似合うようなところがありました。何でも、自分の着て って来ましたよ。 。ししんだというたいそう自信が 身なりをかまわないのは相変らずで、うちへ来る時は一るもの、していることよ、、、 番ひどくなったものを着て、仕立直してもらう肚ですかある人ですから、何だって似合 0 てしまうかもしれませ ひも ら、綿なんかはみ出たものを着て平気です。羽織の紐なんん。 そうそう、辻のことでは面白いことがありました。私が か、いつもかんぜよりでした。母が見かねて、 「せめて村へ帰る時くらい、みんなが見てるんだから、髪はじめの結婚で失敗して、婚家から逃げて帰った時、丁度 辻がはじめて来ていたのに逢ったんです。その時、辻が私 くらい結って来たらどうだ」 をどうしても東京へつれていって帝劇の女優にしてみせ といいますと、 「今に、女の頭は、あたしがやってるような形になるのゑ必ず、成功させるってきかないんですよ。姉まで本気 になってすすめましてねえ。今から思うとおかしい話です よ。みてなさい」 とうそぶいていました。でも、ほんとに、今になってみが、私も何だかそういわれると、遊芸が好きだったし、舞 台に立つのも悪くないような気がして、行きたくなったも れば、たしかに姉の予言通りになりましたからね。 ええ、殺される頃は、洋裁なんかもよくしていたようでのです。でもどうしても、父が反対してやってくれません す。髪も断髪にしていましたし、帽子なんかかぶっていまでした。その頃は帝劇の女優をはじめ、松井須磨子のノラ やカチューシャが全国をさわがせた時ですから、女優に憧 した。大体、大杉という人がおしゃれで、着るものなんか も、凝る方だ 0 たし、瀾だ 0 たようです。姉もその影響れる気持もあ 0 たのです。父は自身、遊芸が好きで、道楽 あ を受けたんじゃないでしようか。子供の服装などは、大杉としては娘を舞台で舞わせたりするのが好きなくせに、や 乱がやかましくて、子なんかは、大杉好みの ( イカラにさはり、女優というのは、芸者より悪い女の職業のように思 かわらこじ、 っていましたし、河原乞食になりさがることはならんとい れていました。ですから、ここへ引きとってからでも、こ きゅうへい の子たちには、洋服・はかり着せて、ずいぶん ( イカラに育うような旧弊な考えを持っておったようです。 はあ私の結婚の話ですか。はじめは十七の時、きりよう てていましたよ。その頃、洋服を着た子なんて、こんな田 舎ではないし、第一、おかつばにした女の子がまだ珍しい望みでもとめられて、隣県の大変な金持のところへ嫁きま

10. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

人情にもろい肉親愛に弱い一面があった。病弱で結核を持「あんまり寛大すぎるから野枝ちゃんがいい気になってる ていしゆく った貞淑な保子は、大杉にとっては妻というより骨肉のよんじゃないかしら まこと 一をつれてミツや恒が親類の祭りに出かけた留守に、た うな自分の一部になりきっていた。 野枝もまた、木村荘太の「動揺ー事件よりは、自分を客またま訪ねて来た千代子は、辻の書斎に坐りこんで話して 観視するまでに成長していたし、肌で感じられる大杉の愛いた。 「いくら、仕事が大切だって旦那さんあっての仕事じゃあ 情に、木村の時のようにとめどなく自分を傾斜させていく ことは警戒していた。一定の距離をおいたまま、相変らずりませんか。夜まで出かけるなんてあんまりよ」 最も「親愛な友人」としての交際が一一人の間には一種のも「毎度のことだからな」 「まあ、毎度のことですって」 どかしさをつつんでつづけられていた。 そんな時、思いがけない事件が野枝の足もとをすくって「野枝はうちにじっとしてなんかいられない女なんだよ。 それにもうそろそろ俺に愛想をつかしかけてるんじゃない おこった。 それに気づいた時、野枝は事の次第がどうしても信じらかな」 じようだん れないくらいだった。辻が自分の目をかすめて浮気をす冗談のつもりでいったことばに思いがけない重みが加わ いとこ る。しかも相手は、人もあろうに、従姉の千代子だった。 ばちあた 千代子も結婚してその頃上京してきていたが、野枝の家庭「まあ、罰当りだわ。こんなにわがままさせてもらってい を見舞ううち、野枝が「青鞜ーに夢中で、ほとんど夫も子て」 供もかえりみない状態に目をみはってしまった。その上、 千代子は辻の着物の袖付がほころびているのを見かね ムところ あれだけ周囲を騒がせ、犠牲を強いて辻の懐に走った野て、針を持ってきた。 枝が、まるで自分の結婚が失敗のようなことをいう。平凡「そのままで、すぐっけますわ。ちょっとそうしてい りらぎ いりむこ で律義なだけの入婿の夫にあきたらなく思っていた千代子て , せんさい は、辻の繊細さや知的な雰囲気は魅力だった。昔の教師と辻は香油の匂いのする千代子の髪を首筋に感じながら、 しての畏の気持ものこっている。妻にまったくかまわれ着たままの袖付のほころびを縫ってもらった。びちっと糸 ない辻の姿が、家庭的な躾たけを身につけている千代子に切歯で糸をきる音をきいた時、冷たい髪が辻の首筋にふれ は世にも不運なみじめな夫のように見えてきた。 しつけ かんだい にお そでつけ あいそ