くつ つつが をのめらせ、沓脱ぎ石の上に崩れ落ちた。敷台に上ったっそれにつけても五人の子供を恙なく成人させた母上に、こ もりの足が、空を踏んだのだった。 の手紙を書くのは辛いほど恥ずかしいと、精も根も尽きた どうてん 気がつくと花は彼女の居間に寝かされていて、分家の浩ように勢いがなくなってしまっていた。動顛していた花 ーもと きゅうせい 策が枕許に坐っていた。 は、まだ和美の急逝を上海に知らせていなかったのだっ 「まあ新池さん、お遠いとこようお越しなして : : : 」 た。 あわ 慌てて起き上ろうとする花を手で制して、浩策は云っ 翌年の夏に入って、晴海英二はニューヨーク支店に転任 た。 することに決った。だが今度は妻子を同行せず単身渡米す あね 「嫂さん、こんなときは寝てるこっちゃ。起きたら、またることにした。その理由は文緒が妊娠したからで、今度は 転けまっせえ」 日本で出産し、せめて子供が歩けるようになるまでは日本 「新池さん : ・・ : 」 で育てたいと文緒が強く希望したことと、学齢前の和彦を 「兄さんはまだ東京やてなあ」 アメリカへ連れて行って半端な教育を受けさせるのはよく うなず ないと考えたからであった。ついては三年間お預り頂きた 花は肯くかわりに黙って涙を流した。この年齢までに泣 くところをひとに見せたことのない花が、枕に顔を横伏せ いという手紙が英一一から来て、承知したという返事も出さ まぶた にして臉を閉じたまま静かに泣いていた。浩策も静かにそぬうちに晴海一家は神戸に到着し、すぐその足で和歌山に れを見守っていた。敬策より早く髪は半白に変った浩策やってきた。正金銀行は官庁なみに辞令が出ると旬日の余 は、兄よりずっと老けた容貌だった。眉にも白いものが混裕もなく転任させられるのであった。 あわ り、それがビクリとも動かずにいるのは、心の中で花に併花の顔を見ると文緒はまたあらためて晋の死を、あれこ せて泣いていたからかもしれない。美園と和美、それぞれれと自分の手抜かりが子供を死なせたように思い、その思 娘に先立たれた初老の親たちは、互いに身構える気力を失いに苛ぎれて苦しくてたまらないのだと正直に打明けた。 ノってしまっていた。 「同じ子供を死なせたちゅうても和美は嫁入りして一度は シャソハイ 紀それに似た現象が、上海にいる文緒の上にも起っていた花を咲かせてますやんか。それに、お母さんは和美の死ん に違いない。次男の晋の死の前後の模様を、ひどく取り乱だんになんの責任もあれしませんやろ。そこへ行くと私 して書いた手紙がきた。生れた子供を死なせた悲しみは、 は、見てる前で病気にかからせて、見てる前で死なしてし 同じように子供を失った親同士にしか分るまいと思うが、 もうたんです。思い出せば後悔ばかりやわ」 あに
174 桃と桜について、花のような経験を持たない浩策には、集いに、未亡人として重きをなすのは美しいことではない その絵に格別の興趣はそそられなかった。彼は素ッ気なくと花には考えられた。男の傍に立たない女には、強さにも しりぞ 花の好意を拒けていた。 賢さにも侘しい孤影がついて離れないものだと思ってい だな 「旦那はんが死んで、他に自慢するよなもんがなくなってた。 あね しもうたんで、これからは孫自慢かいし、嫂さん」 だが、もう一つ理由があった。仮に、真砂町の邸が長男 この言葉は、浩策が思ったよりも意地悪く花の心の底に政一郎に何時か役立つものと考えることができたら、花は 突き刺さった。 夫の想い出の残る家をむざとは引払わなかっただろう。浩 真谷敬策が死んだあと、他に自慢するようなものが花の策がいみじくも他に自慢するものがないといってのけた ・ : というのは、暗に長男政一郎のが、花は政一郎に関する限り、もうずっと前からどう力を 手には残されていない : ほら′し」 あなど とっさ 不肖を侮ったものだろうかと、花は咄嗟に息が止るほどで注いでよいのか方途を見失ってしまっていたのだ。 あった。盛大な葬儀に圧倒されて、我を失って過した幾月政一郎は住友銀行大阪本店に勤めて、もう今年で四十歳 かの後、花は両腕に何一つ残っていないのを思い知らされになる。八重子との仲は至極円満だが、子供がなかった。 たのであった。 文緒も歌絵も子供を産んでいたが、それは真谷家の家系を うちまご そとまご 市内真砂町の邸を始末したのが、いってみれば失われ外れた、いわば花にとっては外孫である。内孫の生れない かこ て行くことの始まりであった。いわゆる和歌山県の名流夫寂しさを折につけ喞っていた花は、当の政一郎があまり子 人であった花は、その気になれば真砂町の邸で結構暮せる供をほしがらずに、近頃では友一の子供に家をつがせたら だけの信望と仕事を持っていた。敬策の選挙資金その他でよかろうなどと達観したようなことをいうのに悩まされ しん た。父祖を系図の芯とする家の、長男に子供がいないとい 父祖代々の田地は大半なくしてしまっていたが、まだまだ 残りの地代で裕福に暮していける。だが、花は思いきりようのは、家を大事と考える花にとって最大の屈託であった むそた くさっさと六十谷に引揚げてしまったのだ。彼女は真谷敬が、そんなことは一向気にかけている様子がない。嫁の八 策あっての花でありたかった。新時代の出しやばりな女に重子には、露骨なこともいえないと花は愚痴をこぼさなか ー ) ト、み′あ よる ったが、その八重子自身が子供のないことをあまり気にか なるのは性に適わなかったのである。敬策の蔭で力を揮う のでなくて、自分一人で事を連ぶのは彼女の信じて疑わぬけていないらしいのだ。長男の嫁は、まず子供を産むこと ・もと 婦徳に悖る行為だった。愛国婦人会や、知名の夫人たちのが任務の第一だという考えはないようである。妻は美しく つど はず わび
子守で補っているむきもある。 していない理由でもあった。その道を、数えで五歳になる 「やかて、もうタ風が立っちゅうのに、何処へ行きなした政一郎が行って戻ってきたのも子供の成長度をはかった想 んやろ」 いで母親の驚きがあったが、体力のない浩策が赤児にもせ と任せきりで安心もできずに、花は庭に降りて宮のあたよ文緒を抱いて一往復したのかと思うと、タ風にあてた文 りでもあろうかと探しに出ようとしたとき、門から浩策が緒が風邪でもひきはせまいかと取越し苦労するのと同じ気 がかりである。 戻ってきた。 「そない長う抱いてなしたら、重なりましたやろ。さ、文 「お帰り。迎えに行こか思うてましてん」 「文緒さんよ、お母はん迎えに来たで。迎えに来んかて大緒、お母さんにおいなはれ」 文緒を浩策の胸から抱きとると、被布の小蒲団にほんの 事ないのに、ほれ、迎えに来たで」 りとした温かみがあった。そのまま浩策も花も母屋の方へ 「叔父さんに、どこまで連れててもうたんよし」 行かずに庭先に立っていた。それはほんの瞬間にも等しい 浩策の背後について戻ってきた政一郎が声をあげて、 短い時間だったのだが、二人にはひどく長い時間に感じら 「池、見に律てきてん」 れた。花は気がつくと急に歩き出すのも気が咎めて、足が 「池て、どの池よし」 釘づけになったような想いだった。 「新池ゃあ」 ぎようてん 花は仰天した。新池というのは、浩策の家のある奥の垣「ほ、ついたしてよ」 内の上の方にある。すると浩策は政一郎を従えて、自分の浩策が門の手前にある柿の木を見て、いった。 家まで行って戻ってきたのだろうか、生後六カ月の子供を「さようでございますのし」 こた 抱いて 花は反射的に応えて、やっと呼吸ができた。 「まあ、よう歩けたのし」 この春、豊乃が九度山から人に託して届けてよこした富 つぎき 政一郎にとも、浩策へともっかず、花はこういってい有柿の枝を、前から門内にあった柿の木に接木したのが浩 た。本家から新池までは道のりもかなりあるが、奥の垣内策のいう通り、ついていたのである。初めて迎えた秋だか くろ はもう奥山への登り口になるから道自体が嶮しいのであら、むろん実のなりようもなくて、黝ずんだ枝に赤茶色の たてまえ る。妊娠してから花が建前にも行くことができなかったの 小さな葉がこびりついたような形で残っている。が、その からだ だし、産後どことなく躰の弱った彼女が、まだ新家訪問を枝には、古くからある幹と根を通して地の精気を吸いあけ にんしん おも くるみ
博史はこんな詰問状を恋人からっきつけられた男が古今以前は、まるで天上の女神のように高貴で知的にだけみえ 東西にあるものかとっくづく思いながら、それでもヒステていた明子の中に、女の愚さや女のいとしさがこれほど詰 リックになっている明子の心をなだめるために、とにもかっていたということが、博史に自信をもたらした。明子が あせり、明子が取り乱すほど、博史は落ちつきと自信を持 くにも回答のペンをとりあげた。 ってきた。 《 1 、大丈夫。 博史の返事を見ると明子は早速下宿探しに移った。中年 2 、しましよう。 3 、今の制度がどうであろうと、それはもともと人間がの未亡人と娘の住んでいる家に部屋がみつかり、明子は博 作ったものですからどうでも好いのです。もし結婚が嫌な史を引越させた。 らこのままでいましよう。 そうしておいて「青鞜ー九月号に「赤城より Z 氏へーと 4 、あなたの言う意味がよくわかりません、愛し合う一一題する公開状を発表した。先月の野枝の「動揺、に引きっ どうせい 人の人間が同棲することがほんとうの意味の結婚というもづくこのセンセーショナルな記事はいやが上にもジャーナ リズムを賑わした。らいてうの公開状は、戦闘的で、自分 のではないのですか。あなたの言うのは、今の結婚制度が しっと ようかい 、よぜっ 承認できないから法律上の結婚はしたくないが同棲はしたと博史との恋に対する新妻の嫉妬や容喙をきびしく拒絶し けっぺ、 ということなのですね。この意味ならわたしの潔癖ていた。 《私は改めてあきらかに申しておきますが、は私の可愛 な感情は余り好きませんが、それでも好いとしましよう。 5 、この答えは 3 と似たようなものですが現状を考えるい弟で、私はの姉なのかもしれません》《もし私の愛と ようしゃ に危害を加えるものがあるなら、私はいつでも容赦なく とき何だか不可能のように思います》 真面目に返事を書いていると馬鹿らしくなってきた。博征服いたしましよう》 史は、子供が大好きだった。道を歩いていても子供に出逢そんな口調で博史との恋を宣言したこの公開状によっ うと思わず笑いかけたくなる。子供の方からもよくなっかて、らいてうもまた私生活の秘事を自らの手で暴露してみ れた。明子の産む子供を想像するだけで微笑がわきおこっせた結果になった。世間の目には、思想的に赤く染りかけ がみなぎってきて たかと見えた「青鞜」に今や恋愛ムード てくる。しかし明子は子供も素直には産んでくれないかも しれない。やれやれと思う気持の底から、やつばり明子に桃色の靄をかもしだした観があった。明子は一日に何度も 冫をいかなかった。博史の下宿を訪れては食物のさし入れをしたり、本を運ん 強く牽かれている自分を感じないわけこよ もや にぎ ばくろ
ーれい 酔って帰って、こんなことを喚いたものです。芳子は耳んじゃありませんが、日がたつにつれてかなり綺麗な顔だ を押えて泣き出します。明子も隣の部屋から転がり出て、 ちになってきました。明子なんか、可愛い、可愛いといっ 「叔父さん、私でも、どうそちゃんとして生れてくれと祈て、まるで自分の子供のような可愛がり方です。芳子との るような気持でおるのに、実の父親が、そんとなこと云う確執は、あれ以来というもの忘れたようになくなっていま てはいけん」 した。子供というのは本当にいし 、ものです。家中が、その めった 生命を中心にして結束するんですね。私は、外では減多に これも泣きながら私のロをふさごうとするのです。 酒を飲まなくなっていました。キチンと時間になれば帰っ 地獄でした。 しやく しかし、ようやく診断というものが出たときには、芳子て、妻の酌で二本ほどあけるだけです。 も明子も揃って飲めない酒で乾杯しました。一一人とも日本緑は風邪のひきやすい、手のかかる子供でしたが、まあ 人の平均より、 いくらか白血球の数が少しカ : : はっきり原年寄りの居ない家で、未経験な若い者ばかりで育てている 爆症といえるものではない。 レントゲンの結果も、胎児にのだから、つい早い目の手当てができないからだろうと思 異常はないようだから、安心して御出産なさい。 <400 って、深く気にもかけず、私たち三人は猫っ可愛がりに可 ていねい のアメリカ人も日本人も、患者たちには丁寧すぎるくらい愛がっていましたよ。かたことでも喋るようになると、そ 丁寧な日本語を使っていました。 りやもう大騒ぎでした。色白で、眼のばっちりした器量よ 「よかったのう」 しが、おしやまなことを云い出すと、涙がこぼれるほど可 「ほんと」 愛い。おまけに気持の優しい子でしてねえ、気が弱すぎる おび をと弱いんです。家の前をタクシーが通っても、怯えたよ 私は、やはり生れた子には緑という名をつけようと思っ なみはず ていました。終戦の翌年芽生えた草は、醜く変形変色してうに眼を瞠ったり、感受性にも並外れたものがあるようで いて私たちを慄然とさせましたが、それから一一年たち三年した。 たち、春ごとに萌えでる草や木の緑は、次第に本来の姿に それが・ : 白血病に犯されているからだとは、長い 、私たちは気がっかなかったんです。去年から小学校へ な戻ってきていたのです。私たちの子供には、原爆の影響が その喜びは、あの初夏の冴えた緑を見るような想入りましたが、体が弱くってねえ、元気な子供には気持も こわ ついていけないらしいんです。この暑いのに、水を怖がっ いでしたねえ。 女の子が生れました。五体満足に揃って、親馬鹿が云うて、どうしても川へ入れないんですよ。ええ、病院には始 かんばい わめ かくしつ しゃべ
私はといえば、・ほんやりと芳子の泣声をききながら、終察を受けに出かけました。いろんな検査をされましてねえ 戦の翌年に萌え出た緑のことを回想していました。 : ・、結果をきくまでの暗い心細さはありませんでした。 そう、緑です。もう草は生えないと思っていた焼土に緑二カ月ほどもかかりましたが、芳子の悪阻はひどくなる が芽生えたとき、私たちは感動してその育つのを見守りまし、腹はせり出してくるし、産めないと分って堕胎するに かくご した。しかし、日がたつにつれて、私たちはそれが新し いしても、これはもう大手術を覚悟しなきゃなりません。芳 恐怖の芽生えだったのを発見していたんです。畸型。そう子は肩で息をしながら、ときどきヒステリックに、 なんです、葉の形が違うじゃありませんか。色が黄ばんで「駄目じゃったら、私も死んでしまうけ = 。生れん前でも いるじゃありませんか。葉脈が途切れ、葉の表には斑点が子供は子供じゃ。親が嘘ついた罰を子供にだけ当てるわけ 冫。しカん」 人間の生命にも、これに似た現象が現れていました。流などとロ走っていました。 産、死産、それはもう終戦直後の広島ではザラでしたよ。 医師が首をかしげたりする度に、私たちは青ざめ、仲々 りつぜん しかし皆が慄然としたのは、畸型児の誕生だったんです。結論の出ないのにして、科学なんてそんなものか。原 私が芳子に産めと云えなかったのも、芳子が妊娠して蒼ざ爆症かそうでないかの判断が、こんなにつきにくいものな めたのも、この恐布に他なりませんでした。 ら、いっそカマボコを畳んで帰ってしまったらどうだと毒 たがいうそ 互に嘘をついて結びあった夫婦の、因果応報というものづきたくなりました。人体に与える影響について、全く分 カこく だったんでしようか。それにしては運命は苛酷に過ぎましらないままであの爆弾を落したのかと思うと、アメリカ人 のろ た。私たちは、抱きあってに出かけようと誓ったを呪い殺してやりたくなりましたね。私らは戦争当時生き あきら のです。私にしても、芳子にしても、実は一度も血液検査ていて、その不連を諦めることはできますが、これから生 すら受けていなかったのです。芳子も私と同じように診察れるものに何の咎がありますか。そうじゃありませんか。 を受けることに抵抗を感じ、それを懼れていたのでしょ 芳子が腹の中の子供と一緒に死ぬとロ走るとき、私は云い だたい う。妊娠して、私たちはしかし性急に堕胎するには二人のましたよ。 愛の結実に対して未練がありすぎたのです。 「駄目じゃと云われても産め、首が二つあって、手が三 は、御存じでしよう、市中にある比治山に並ん本、足が一本ちゅう子供が生れたら、それを連れて原爆落 そろ でいるカマボコ型の建物です。私と芳子は、一一人揃って診した奴らの国を廻るんじゃ」 おそ あお たび つわり
か恋人のそれらしく変って行きました。又はで最初はい程の反感を有っております。ーー略ーー、。・恋愛のある男女 このごろ ただ 私を怖いもののように只おずおずとしていましたが、此頃が一つ家に住むということほど当然のことはなく、ふたり ふるまい きわ ではずっと私に親しんで、恋人らしい振舞を見せて参りまの間にさえ極められてあれば、形式的な結婚などはどうで した。私によって始めて恋を知った彼はほんとうに純な心もかまうまいと思います。ましてその結婚が女にとって極 で私を愛してくれます。おかしい程にかばってもくれまめて不利な権利義務の規定である以上尚更です。それのみ す。ーー略ーーふたりの愛はもう一日逢わないと何となくか今日の社会に行われる因習道徳は、夫の親を自分の親と 不安で落着いて自分達の仕事も出来ない位になっておりまして不自然な義務犠牲を当然のこととして強いるなど、い だけなおさら そくばく す。殊に彼にとっては総てが始めての経験である丈尚更そろんな不条理な束縛を加えるような不都合なことも沢山あ みす うなのでございます》 るのですから、私は自から好んでそんな境地に身を置くよ うなことはいたしたくありません。もこんな道理はよく 以前の新妻への公開状についで、らいてうは更に胆に おくめん ひれ ) そっらよく 率直に博史への愛を臆面もなく誌上に披瀝した。不安な状理解してくれていますから、結婚などを望んではおりませ むだ たず 態で互いに訪ねあう無駄な時間をなくすため、共同生活をん。 りくっ 急ぐしかないと述べ、ただそういう生活が自分から仕事を なおまた私共は理屈の上からでなく、只趣味としてもそ する力を奪うことを恐れ、やってみた上でまずければ改めんなことはいやなのです。私はが自分の夫だなどという て別居しようとまで考えぬいていた。博史の経済能力が全ようなことはあまりに興ざめたことで考えるのも好みませ また くなく、家からの送金もとだえていることもざっくばらんんから、も亦往来などふたりで歩いている時、旦那様、 にあかし、実行した上で万一失敗だと気づいても、すべて奥様などと呼ばれるのを大変いやがっております。そして いつまでも姉さんに弟がいいといっております。 の責任を自分でとり、両親に迷惑はかけないと云いきっ た。母が心配している子供のことに関しても筆を及ばし、 それから子供のことですが、私共は今の場合 ( 先へ行っ 結婚の制度に対するらいてうの日頃の見解をはっきり発表てどうなるかそれは今の私にはまだ分かりません ) 子供を 造ろうとは思っていません。自己を重んじ、自己の仕事に むやみ 生きているものは、そう無闇に子供を産むものではないと ^ 私は現行の結婚制度に不満な以上、そんな制度に従い もら ぜにん いうことを御承知頂きたいと思います。実際私には今のと そんな法律によって是認して貰うような結婚はしたくない ころ子供が欲しいとか、母になりたいとかいうような欲望 のです。私は夫だの妻だのという名だけにでも、たまらな こわ たくさん
228 かくせい 終っれていって、輸血を続けています。原爆症が、隔世遺症で死んだ人間の数は : : : 。今朝の慰霊祭で、市長はその 伝みたいに、やつばり残っていたんです : ・ 名簿を慰霊碑の前に捧げましたよ。あれから十四年たって 芳子が、今でも泣くんですよ。 も、まだ毎年、あの爪に掻かれた傷がもとで死んでいるん です、人間が。私だって、芳子だって、いっ急に症状が現 ・ : 。なんの罪もない 「私に病気が出りゃあよかったのに : 緑に病気が出て : : : 。親がなんともなくて、子供に出るなれて、死ぬか分らんのです。私らには、の診断を 信じる気にはなれんのですよ。 んて、なんちゅう爆弾じゃったか : : : 」 緑は実に気のつく、優しい子で、 緑が、学校から帰って畳に転がったりすると、芳子も明 「母ちゃん、静かにしとればええと先生も云うとってじや子も蒼ざめて、熱をはかったり医者を呼んだり大騒ぎで す。理由不明の熱が出たりすると、家の中はまっ暗です けェ」 よ。こんな子供のいる僕らに、何が信じられるというんで と、親を慰めるんですよ。 では、白血病というのは原爆が発明される以前す。 からあったもので、それが原爆によるものか、単に生れつ しかしです、東京の方は知らんでしようが、科学の解明 きであるか、その判定は難しいと云うんですよ。この数年できんものを、人間が体験で割り出すということがあるも の間に、七万人の親と、七万人の子供からデータをとったのでしよう ? 原爆症を癬やす方法について、広島市民は 限りでは、原爆後遺症に遺伝よよ 冫オい、などと云ってるんで様々な実例から特効薬を発見していました。 す。しかも白血病は、その限りではない、なんてね。つま酒と、茶です。週刊誌にも出てましたね。ずい分、茶化 り彼らの論法でいけば、緑の虚弱体質は生れつきのものでした記事でしたが、被災者たちにとっては真剣な話だった あろうということになるんです。 のです。ケロイドもあり、ひどい後遺症で苦しみ、死を目 あれから十四年、広島に溢れていた原爆の恐怖は、今も前にした人が、死ぬのなら好きな酒を飲んで死んでやれと いうので連日浴びるように飲むうちに、奇態に体が強くな 少しも薄れちゃあいません。子供の病気が、何の所為か判 らないなんて、あんた、こんなひどい話があるでしようったという例を、私も身近に知っています。私自身も、考 かんべ、 か。原爆症に対する完璧な治療法は、未だに発見されてなえてみれば例のめまいがなくなったのは、酒を飲み続けた いんですから。原爆病院にやア十四年寝たっきりの患者が所為かもしれない。 多勢います。去年の八月六日から、今日までの間に、原爆芳子は体質的に酒が多くイケないロなんですが、これは あお ささ つめか
手で家の中は充分おさまっていたので、野枝の仕事はほと野枝の不器用さを誰よりも認めているのだ。むしろ、そん かくしつ んどなか 0 たのだ。それだからこそ、野枝は「青鞜」にもな世間の嫁姑の間の常識的な確執で足をすくわれている野 けいべっ 自由に出入り出来ていたし、本を読んだり原稿を書く時間枝に軽蔑を感じてくる。はじめから普通の嫁でないと自覚 もたっぷりあたえられていた。問題は子供が出来てからだしている筈の野枝は、もっと堂々と、家事や育児を投げだ った。野枝は赤ん坊ひとりをもてあましてすっかり手古ずし、姑をおだててまかしきって、自分の勉強をすればいし っていた。自分では何でもやれば出来ると思い、家事や育のだと考える。野枝はそういう意見の辻に向って、 児はその気になれば、女なら誰にでも出来ることのように 「あなたなんか肉親だからー・・・・・私と姑さんの間じゃそうは 考えている野枝は、実際は手の中に泣きわめくだけでこと いかないのよ」 くちぐせ 、よぎ せぞく ばのない赤ん坊をかかえて、その小さな赤い肉塊にふりま とくってかかる。野枝が口癖にいう、世俗の因習や虚偽 わされていた。泣き声から赤ん坊の意志を聞きとるためにやごまかしが、誰のものでもない、野枝自身の感情の奥に は、赤ん坊と四六時中つきあわなければならなかった。こ根深く巣くっているのを見て辻は苦笑したくなる。けれど の小さな暴君は夜の夜中でも泣きわめくし、腹をすかせもそれを一々、ロで説明してやって、ますます野枝を興奮 る。野枝が泣きわめく子をもてあましている時、姑が抱きさせるのは面倒くさくなっていた。 とるとびたりと泣きやむ。野枝はそれを自分の無経験や育辻はそんな時間を一分でも自分の読書の時間にふりむけ みじゅく 児の未熟さととらず、姑が自分の留守に赤ん坊を抱きづめたかった。 にし甘やかした結果だと考える。むつきの洗濯や母乳をや 自分でぶつかって、悩んでそこから成長して解決し ることまで姑にしてもらえるものではない。赤ん坊ひとりていくのだ。野枝も例外ではないーーー辻は野枝のもがき苦 生れただけで野枝の生活の時間割が根底からくつがえってしむ状態を横目でみながら、野枝が「青鞜」の責任者とし ひやく しまった。子供を背負って、研究会に出かけたりしても落ての仕事に没頭することで飛躍し、そこに自分の活路と自 ちつかなかった。子供を姑にあずけ、ひとり外出すると、分本来の特性を自覚するだろうと見守っていた。 せいせいして、な・せ子供など不用意に生んでしまったか渡辺たちが帰っていっても、野枝は谷中村の話で受けた と、後悔した。辻に育児のことで姑との意見の対立など訴ショックから解き放たれることが出来なかった。誰かとも えても、ろくにまともな返事もかえしてくれない。辻は家っとこの話についてしてみたい。野枝は一に乳をふくませ 事、育児にかけては、絶対的に母の力を信用していたし、 ながら、自分のわきたっ胸の中に目をこらしていく。次第 はす ばっとう かあ まこと かつろ
したて て糸のはりついている箏の前で、文緒は、どんな子供を産いかと下手に、しかし底意はその方が万事よろしかろうと むだろうかと・ほんやり考えていた。 思っていってやった。更に文緒に宛てては、九度山の慈尊 こずえ 「梢さん」 院へ安産願いのお詣りがてら帰ってきてはどうかと、白羽 ちちがた 箸をとって習慣的に飯を口に運びながら、花は精の抜け二重で真綿をくるんだ乳房形を上げて拝む習慣についても 蛇足かと思いながら付け加えた。 たような声を出した。 「はい。なんでございます」 すると折返し文緒から手紙が来て、我々ノ子供ヲ産ムニ わたし ツイテハ、新時代ニ相応シク青山高樹町ニアル近代的設備 「私、心配でならんことがありますのよし」 きしよく 「ほんま、最前からお気色がすぐれませんよなでございまノ完備シタ日本赤十字病院産婦人科ニ一任スルコトニシ タ。願ワクハ迷信ニョッテ生レ出ル子供ノ出発ヲ狂ワセナ すの」 うまずめ イデホシイという、花の好意を突き放した挨拶である。 「 : : : 文緒は石女と違いますやろかのし」 六十谷の在の女でない梢は、文緒を直接には知らなかつ「我々ノ子供」が花には孫にあたるものだという点につい なけ あつれき たし、その性格も花との軋轢も、また荷物が送られてきたては一顧だに省みていない。が、花はもう歎かなかった。 事情もよく知らなかったから、花の老婆心を朗らかに笑っというより、文緒を他家に縁づけたという思いがはっきり あきら してくると、諦めというものがついたのかもしれなかっ て打消した。 た。彼女は自分で乳房形を作ると、末子の友一を連れて何 「奥さん、嫁入って一月たたんうちから、そんなこと」 花も気がついて苦笑したが、味気ない思いは消えなかっ十年ぶりで九度山へ出かけた。 た。 花と友一は真砂町の家から人力車で和歌山市駅に出てそ ゅう だが松井の妻女が笑い飛ばしたように、花の心配は杞憂こから和歌山線の黒っぽい汽車に乗った。西から東へ紀ノ いわで のほ 川だった。初夏にはもう妊娠したという報せが届いた。出産川に沿って上り、乗換駅の橋本まで、途中に岩出、粉河、 かせだ の予定は十二月とある。 笠田と、花の記憶には忘れることのできない駅々があっ ところ 「えらい早いなあ」 た。嫁入り道中で休憩した処であり、それそれに懐かしい 紀 そうごう と敬策は相好を崩して笑った。花も初孫を待っ心は夫に想い出があった。 からだ 隣では友一が大きな躰を動かして足を組み直した。和歌 劣らなかった。早速、女親らしい細かい注意を書き送り、 特に英二に宛てては初産だけでも実家帰りさせてもらえま山中学五年に在学の彼も、来年は東京へ出て行く。その前 ひとっ だそく プサア あいさっ こかわ