的 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集
454件見つかりました。

1. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

ト名こ であったら、見んで貴族や金持の生活をしたでしよう。 はのお これは決して野枝さんを軽蔑しての意味ではなく、 炎の如く生きる それ程にあの人は愛する人の世界に身を打ちこんで行 と・フのえ 伊藤野枝の二十八歳の短い生涯は、文字どおり燃えける人だと申すのです。あの人の一番美しいのはその さかる炎を思わせるものがあった。それは転形期を生点ではなかったか。ただそれだけの可愛い単純な女性 ぎやくさっ きた一人の女性の姿である。彼女が虐殺された後、野が、何故生かしておれなかったろうと思うと、可愛想 お蜘子は伊藤野枝をしのんでつぎのように書い でなりません」 「あの人に何の罪がありましよう。あの人の社会主義野枝の思想と行動が「社会主義かぶれ」であったか かぶれなんぞ、私の信するところが間違っていなけれどうかについては、しばらく問うまい ここで重要な ば、百姓の妻が夫について畑の仕事に出ると同程度の のは、愛する人の世界に身をうちこんでゆけた女陸だ やまかわきくえ ものに過ぎないと思います。若し大杉氏が貴族か金持ったという指摘だ。そのことは山川菊栄のつぎのよう な追慮によっても裏つけられる いしる 「野枝さんの方は、大杉さんのように著しい特徴のあ あいぞう る人でもなく、 世間の愛憎の的となるような英雄的な 人物でもなかった。 いたって普通な婦人で、どちらか といえばむしろ非理智的な、感情によって動くたちの 人で、理論的な方面ではとり立てていうはどのことも なく、どこまでも本能的な、単純な人だと思われた。 ちワめん 外出の時はよく夏も冬も無地の縮緬の羽織などを着流 してなまめいた様子をしていたにかかわらす、都会人 という感しがせす、何となく野生的な生地のままの 『文明』や『教養』によって磨きもかけられぬかわり ぎゼんか 自然を曲げたり偽善化されたりもしていない、原始的 ごと みが

2. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

という形である。このことがファウストを絶望させ、後にファ 齢、境遇についてはむろんのこと、自分の過去、現在、未来を ウストに、真の愛とはどういうものかを教え、悔恨のきびしさ なめる思いで読みえたから言えることだろう。 が逆にファウストを清めていくことになる、という役割をこの三五三赤旗事件日露戦争中、平民社の人々は反戦運動のため投獄 少女は果している。 され、「平民新聞」もとりつぶされた。明治四十一年六月、同志 邑四一部の文学者内田魯庵あたりをさすのであろう。魯庵は 山口孤剣の出獄歓迎会が神田錦輝館で開かれた。集まった社会 「「青鞜」の社中の長いマントや五色の酒は一時若い女の憧憬の 主義者たちが、無政府共産と大書した赤旗をひるがえし、革命 きやりあ 的となって、我が思想運動の灰色の行程を色彩づける極めて花 歌を高唱して街頭に進出、旗を奪おうとして殺到した警官隊と やかな美しい所作事であった」 ( 「ハクダン」 ) と好意的に批評。 格闘、十名余の逮捕者を出し、調停につとめた堺利彦、山川均 三一穴木村荘太 ( 1889 ~ 1950 ) 小説家、随筆家。第二次「新思潮」を らも連累、各々一年ないし二年の刑に処せられた。 経て「白樺」に接近。「新しき村ー創設期にも一時参加、のち、晴三五三売文社赤旗事件による出獄後、堺利彦が起した。厳しい思 耕雨読の生活を送った。芸術ディレッタントであったところか 想弾圧の「冬の時代」のさ中で、この売文社は唯一の合法的拠 ら、耽美派、白樺派の実情や、伊藤野枝との関係を具体的に知 点となった。 じようし りうる興味深い著書「魔の宴」 ( 昭 ) の上梓直前に自殺した。 三吾一荒畑寒村の創作創作活動はほとんど「近代思想」時代に集 三一一九第一一次「新思潮』文芸雑誌。小山内薫個人編集の第一次の 約された。横須賀時代の体験をもとにして年少労働者をえがい 「新思潮」は、明治四十年十月創刊。イプセンをはじめ、海外 た「艦底」、冬の時代の社会主義者の苦難な姿をえがいた「冬」 近代劇紹介など先駆的役割を果した。第一一次 ( 明治四十三年九 のほか、「夏」「逃避者」などのすぐれた作品がある。 月 ~ 四十四年三月 ) 以降は、東大文科学生が中心の同人雜誌と 三五九ヴェデキントの「春のめざめ」 Frank Vedekind ( 18 望 ~ なる。同人は後藤末雄、和辻哲郎、谷崎潤一郎、木村荘太ら、 1918 ) はドイツの劇作家。一切の拘束を無視するもの、市民的 耽美的傾向をもっ反自然主義運動の一角を形成、谷崎の「刺青ー な道徳の彼岸にある強者、娼婦、投機家を登場させ、市民的な などが載った。 愛を世界の根源的な力として、仮面をかぶった市民社会に大胆 三一一九「フューザン』岸田劉生を中心に、高村光太郎、木村荘太、 に挑戦した。多くの人は彼を不道徳と非難したが、その不道徳 解 中川一政などが、大正元年フューザン会を結成。フランス後期 こそヴェデキントの道徳から発した挑戦だった。こうしたヴェ 印象派の影響を受けたわが国印象派の最初の団体。 デキントの在り方は、「青鞜」の性格にも通じ、作者の「青鞜」 注三五一エンマ・ゴールドマンとの宿命的な出逢い EmmaGoldman 解釈にも通するものである。「春のめざめ」 ( 1891 ) は、外面的 ( 1869 ~ 1940 ) ロシアの無政府主義者。「わが生活」がある。「宿 な体裁ばかりを重視する大人たちの教育が、いかに思春期の少 命的な出逢いーとは、思想の実践のために身を投け出して生き 年少女を悲劇におとしいれるかを物語るもの。 てきたエンマ・ゴールドマンの生涯の経路のなかに、思想、年三五九弥生子は漱石に師事し漱石門下で後に法大総長になる野上

3. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

労働組合が一切の政党活動を排除し、ゼネストや直接行動によ 豊一郎と結婚以来、漱石山房内の詳細な話を夫からきき、その 文学的雰囲気の中で習作「明暗 , を書いて明治四十一年一月に って産業管理を実現し、社会改造を達成しようとする立場。 漱石から詳細な批評の手紙を貰っている。翌月には漱石の紹介六四管野すが ( 1881 ~ 1911 ) 社会主義者。いわゆる大逆事件に で処女作「縁」を「ホトトギスー巻頭に発表、以後「ホトトギ 参加、三十一歳で刑死した。赤旗事件のため千葉監獄中の荒畑 ス」を中心に「中央公論」「国民新聞」「読売新聞」などに作品 に、管野は幸徳との結婚を知らせ、荒畑もそれに同意するとの を載せ、文壇的位置はすでに定着していた。「青鞜」創刊当時 書信を出している。「管野の過去における異性との放縦な関係 社員に名を連ねたが、翌月退社してからは寄稿者となった。 がつねに経済的な問題と関連していた」 ( 自伝 ) と考える荒畑に とって、おのずと諒解するところがあったのであろう。「魔女」 癸 0 宮島資夫 ( 1886 ~ 1951 ) 小説家。恵まれぬ生活を重ねたのち、 「妖婦 . といわれたこの革命婦人に、野枝を重ねあわせてみるの 大杉、荒畑の「近代思想」の影響を受けて、アナーキストとな が作者の目でもあろう。のち瀬戸内は、この管野を主人公に った。宮島らの労働文学の成立は、この「近代思想」の影響な 「遠い声」を書いた。 しには考えられない。階級的自覚を持ちえず、反抗と憎悪と自 暴自棄に生きるほかはないという、明治末期の鉱山労働者が置三九一大杉の「生の闘争」大杉の第一評論集、大正三年刊。生の 拡充とか、生の創造、自我の自由と解放のための社会的闘争と かれていたみじめな実情を、自分の体験にもとづいて写生風に いうテーマが、大杉の強烈な個性によって「近代思想」に発表 描き、直ちに発禁となった「坑夫 , ( 大 5 ) のほか、相場師の されていたが、その主張は非常に個人主義的色濃いもので、む 世界をあっかった「金」、僧の求道生活を書いた「遍歴」などの 自伝的作品がある。 しろスティルナー流のアナーキズムに傾いている。 昊三アルツイ・ハ ーシェフの「サーニン」 MikhaiI Petrovich A ・四 0 四大杉という太陽の光を浴びないかぎり : ・ 「青鞜」はらい rtsybashev ( 1879 ~ 1927 ) ロシアの小説家。帝政ロシア末期 てうの発刊の辞にみるごとく、太陽の光によってかろうじて光 の知識人の絶望と放恣とを描いた。「サーニン」 187 では、虚無 を出しうる受動的な月になりきっている女性を、真正の人、太 主義者サーニンをめぐる恋愛を描き、その大胆な官能描写は当 陽に復帰させるという、女性の人間復活宣言であったはずであ 時サーニズムの流行語をさえ生んだ。 る。だが底に「不意に光りをまきちらすまぶしい宝石に変貌ー しうる女でありながらも、ついに「大杉という太陽の光りを浴 岩三ローザ・ルクセンプルグ Rosa Luxenburg ( 1871 ~ 1919 ) びないかぎり、自ら光りを放てない」木炭でなければならなか ドイツ婦人社会主義者。経済学者。社会民主党の左翼急進派と った。個性の華々しいぶつかり合いにもかかわらず、自ら光を してス。ハルタクス団を組織、第一次大戦直後革命を企図して逮 放っ太陽になりえなかった。「青鞜」の人間復活宣言が、その 捕され、虐殺された。「資本蓄積論」などがある。 意思通り動かなかったことを象徴的に描いている個所である。 三合サンジカリスム運動 Syndicalisme+ 九世紀末から一一十世紀 にかけて発生、とくにフランスで栄えた急進的な労働組合主義。 紅野敏郎 / 小野寺儿

4. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

0 1 賞原年優越感、劣等感が生じるわけである。 つまり、一方では継承の仕方そのもの、それより生 一右臨 じるある一つの「家系」の宿命的な生き方をとらえ、 で談 一方では、「遺産」というものによって生した少数民族 氏テと としての運命的な悲劇をとらえようとしているのであ 子一ん る。だからここでは、一応わかりやすく解明するため 文。ハさ に二つの系列にわけてみたのであるが、本質的には同 0 、 ) 【みをア円受富 質のものであり、厳密には分けられるものではない。 とくに「海暗」という作品は、その二つの系列をない 来日したインデラ・がンジ まぜにした新しい視野に立って書かれた作品と言うこ ー首相を囲んで前列右端 とカてきると田 5 、つ が佐和子 ( 昭和四十四年 ) また、ここに収められた短篇「なま酔い」 は、一人 の青年が十四年目の原爆記念日に広島を訪れて、呑み 、『女二人の = 、ーギ = ア』初版本やで「第二次放射能」を受けた男の話を聞くという型で ~ 朝日新聞社刊 ( 昭和四十四年 ) 書かれた、彼女のものとしては異色の作品だが、ここ でも「血のつなかり」の厳しさということがテーマに なっている それにしても、有吉さんは、どうして作品の上で、 伝統芸術的なもの、家系的なもの、血のつながり、人種 題等、それぞれに、つながりをもつものばかりをテ マにして描くのであろ、つか それは、彼女が幼女の頃、外地などに数多く転々と 移り住んだことが一つの発端となり、意識するとしな 462

5. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

ている。 いうものをふまえたものはあるが、 ( とくに「海暗」 0 「出雲の阿国」 ) むしろ、これらの作品の重点は、いわ ば少数民族とも言うべき″黒人″絶対量のたりないグ ループといったものの悲劇を追究することにあったよ 一方、彼女にはもう一つの作品系列がある。「人形浄うだ。そしてこれらの作品には、彼女自身の人生観、 社会観の本質が秘められているように思われる 瑠璃」 ( 昭芻 ) 「非色」 ( 昭 ) 「ぶえるとりこ日記」 ( 昭 ) 「海暗」 ( 昭 ) 「出雲の阿国」 ( 昭 ) 等の系列である。 中でも「非色」という作品は、終戦の時の異常な社会 これらの作品の中にも、日本の伝統、または家系と現象の中で、黒人兵と結婚した一女性のその後の移り かわりを描いた異色の作品で、黒人問題を、そうした 中で、かなり鋭く究明した、重厚味のある作品である。 有吉さんが「非色」という題名をつけたのは、人種 的偏見は「色に非す」というわけで、それは支配する ものと、されるものとの宿命的な関係であり、つまり 「階級闘争」だというわけだ。 ハーレムの生活、それから三人 この作品の、後半の の子供を、人種問題の複雑さの中で、せい一ばい働い て、育てながら生きて行こうとするヒロインの姿が印 象的である。 いわゆる「家系的」な系列の作品のもの、日本人の 「家」というもののうけつぎ方、遺産の継承の仕方と いうものを追求しているわけだが「人種的」な作品で も、それは、いろいろな意味で、「遺産」ということが根 本の問題であり、うけつかれた「遺産」というものから 昭和 37 年中国にて左より謝冰心女史 ( 作家 ) 佐和子周揚 ( 文芸理論家 ) しやひょうしん しゅうよう

6. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

城夏子を励ます会で司会を っとめる ( 昭和四十二年 ) 一第 中野の、、蔵 " の書斎で ( 昭和 41 年 ) 初版本毎日新聞社刊 ( 昭和 44 年 ) 気投合し、次第に大杉の方に心をひかれてゆき、遂に 辻と別れて、大杉と同棲する。しかし大杉には堀保子 という糟糠の妻があり、さらに神近市子も大杉の愛人 である。 神近は「東京日日」の新聞記者をやりながら、大杉 にすべてを捧げ、金まで貢いでいた。そこへ野枝がわ しっと りこんできたことによって、神近は嫉妬に狂いはしめ る。知的で都会的な神近は、はしめから野性的で田舎 者まるだしのような伊藤野枝とはそりが合わなかった が、奇妙な四角関係と経済生活の負担に、神近は疲れ はててしまう。そして、遂に葉山の大杉の仕事場を訪 れ、口論の末、短刀をかざすところでこの物語は終っ ひかげ ちやや ている。世に言う「日蔭の茶屋」事件である 「新しき女たち」の情念がいきいきと捉えられ描きあ げられている。情熱的で奔放な伊藤野枝という女の、 ひだ 「、いの襞にわけいって」その、い理的な動きまでヴィヴ 年 ィッドに描かれている。そして「青鞜」の女性群のみ 和すみすしい生命力、「愛すべき女らしさ ( 賢こさも愚か さもふくめて ) 」が、浮き彫りにされた秀作である 会「人間の幸せは、自分の中の可能性を極限までのばす ン 努力によって得られるものだと思う」 サこれは、瀬戸内さんが近頃よく告白する言葉である。貯 彼女が「青鞜」的な女性たちに魅力を感じるのも、

7. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

けいじじようて、 た。大杉は更にこれらの論争についてのらいてうの批判文ましい問題を、形而上的論旨でつつんで、恋する人妻に公 などをひきあいに出し、常に彼が考えている「女性の貞操開の席で話しかける、その人をくった遊びが大杉には快か はず は財産の私有制度によって女性を奴隷扱いして出来たもの ったのだ。辻もそれを読んだ筈だけれど珍しく一言も感想 ろんし である」という論旨を述べていた。野枝が、 をのべなかった。 《処女を犠牲にしてパンを得ると仮定したならば、私はむ野枝は自然に弾んでくる筆をおさえることが出来ず、す みれん しろ未練なく自分からヴァジニティを追いだしてしまう》 ぐ大杉にあてて第二の手紙を書いていた。「新潮」の論文 とら 《世間の寡婦たちがつまらない貞操感に囚われて、味気なを読んだこと、まだ谷中村の問題に囚われていて、いっか いさびしい空虚な日を送りながら、果敢ない習俗的な道徳それを自分の意義ある処女作にしたいと思って資料あつめ つづ 観にわずかになぐさめられている気の毒さは、何というみをしていること、そんなことを書き綴りながら、筆致には じめなことであろう。ああ、習俗打破、それより他に私た思わず、親愛の情がこめられていた。 うかが ちは救われる道はない》 《ほんとうによろしかったらお出で下さい。私もお伺いし と云いながら、一方で、 たします》 《何故に処女というものがそんなに貴いのだと問わるれば 谷中村のことを素材に小説の準備をすすめていること その理由を答えることができない。それはほとんど本能的を、またしても野枝は辻には内緒であなただけに打ちあけ に犯すべからざるものだというふうに考えさせられると答るのだと書かずにいられない。夫への秘密を他の男とふた ほか えるより外はない》 りだけでわけもっという意味の重大さを野枝の手紙は全く しゅうら びたい といっている論旨の弱点をつき、貞操や羞恥の生物学的意識していない。そんな書き方が男への何にもました媚態 原因を社会的原因にひろげていかないかぎり、本当の自覚になるということも意識していない。その手紙を読んだ大 あ むら わく にはなされない、と野枝の無知を指摘した。けれどもその論杉は、野枝と自分の恋がもはや仲間のお先走りな予感の枠 文はたまたま問題になった貞操論にことかりて、大杉の潜だけではおさまりきらないことを、実感として受けとっ 在的な野枝への恋情を告白したという印象を野枝は受けていた。 た。妻ある男が、夫や子供を持っ若い人妻に呼びかけるに 辛うじて大杉の情熱にプレーキをかけるものは、文字通 そうこう は、あまりに激しいなまなましいいぶきが聞えている。要りの糠の妻、保子に対する遠慮と配慮だけだった。理論 けいじかて、 するに貞操といういくらでも形而下的に扱われ易いなまなの上ではどんな過激なこともいいきれる大杉にも、人一倍 どれい せん かろ ないしょ ひつら

8. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

昭和 45 年新潮社刊昭和 44 年講談社刊 そこにあるのであって、またそこに、彼女自身の生き る姿を見出してもいるわけである。 ずみしきぶ 同じ頃、彼女には、自己の心情を和泉式部に託して ばんのうむげん 召書いた「煩悩夢幻」という長篇があるか、その冒頭に 次のように書いている 「今も昔も、ものを書く女などというものは、表面は どんなにしおらしそ、つに、つつましそ、つにみせたとこ ろで、芯は心がきつく、男まさりで、可愛げのないも のである 男に愛され、男を頼りにし、慕い恋うだけでは、いが テ 満足せす、もっと何かに、自分という存在、あるいは 自分の中の特異なオ能を認めさせ、認識してほしいと け・れしト・第、 うつばっ でる いう自己顕示欲を鬱勃と胸に抱きしめている。芸術家 こさというのは、自己の精神的種族を、何らかの方法で後 てみ世に伝えようとする欲望にとりつかれたものであると、 さる作家もいい遺している。 ( 中略 ) 子を産むというこ 斎が そうしつ 書品とで、肉体からも精神からもおびただしい喪失感を姆 なお の作じっ トな実に感しさせられる女が、尚その上、自己の精神的種 族を遺したいと希うこと自体、もう並々ならぬ我の強 ア意さであり、相当な自己拡張型の精力的な女なのである」 白し正に彼女は、人一倍好奇心の旺盛な「自己拡張型の 目新精力的な女」なのである。これからも、多くのよき「精 ノ、ーに亠っ・刀しなし 京々神的種族」をのこしてい 東次 ( 写真の著作権に関しましては、極力調査いたしました ) ねが 480

9. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

を 1 を物 4 、・ エスケープ、辻潤との同棲生活、と話をすすめ「青鞜」 描る との運命的な出合いに発展し、らいてうと尾竹紅吉と をめ 弧眺の同性愛、らいてうと奥村博史とのラブ・アフェア、 なを か山フューサン会系の作家木村荘太への野枝のよろめきな ら眉 どを挿話としてとりこみながら、転形期の女性像をダ なよ イナミックにとら、疋ている 、辺 野枝は自由意志に反した結婚のみじめさに反発し、 な岸 うの辻潤との同棲生活をはじめたのだが、自由な恋愛が結 の町婚生活を充足させるものとはかぎらす、漂泊の詩人で ちんりん 」眉新 ある辻潤の孤独な沈淪と、野性的な情熱のかたまりで の いん . う 女市ある野枝とは、因襲的なものへの反抗の点では一致し しだ、 り徳ていたものの、次第に気質の違いが意識され、心理的 通 な溝を深めて破局にいたる。 字 大杉栄の登場は、そうした野枝にとってつぎの次元 をひらくカギとなった。大杉は辻とは愛の考えかたに 山こ おいては対照的で、恋愛と友情との間に違いを認めす、 のづ 何人もの女陸を同時に愛してはばからなかった。堀保 子と神近市子、それに伊藤野枝をくわえた四角関係と、 したその結果としての葉山事件は、彼の愛の哲学の裏側 ( 、って ひそむエゴイズムの破紀を意味するものではなかった っ カ と持 山を 瀬戸内晴美は第一回の田村俊子賞を贈られた「田村 び眉線 " 稜俊子」以来、芸術家としての業と、女としての業の矛 そうわ

10. 現代日本の文学49:有吉佐和子 瀬戸内晴美 集

野枝の大阪毎日への小説は一応書きあげたものの、約東この関係からぬけ出すべきだという市子の理性が動きなが けいさし は破られ掲載されなかった。僅かに、雑誌「女の世界」のらなお、この関係にひきずられていたのは、大杉がふた言 大杉、市子、野枝の三人がそれぞれの立場からこの多角恋めには、 愛を論じるという企画に応じ、原稿料が入ったくらいであ「野枝は今度の問題で実に成長した。ぼくが何もいわない おどろ った。しかも「女の世界」は発禁になった上、世間はこののに、きみのことでも保子のことでも愕くほど理解してい 三つの文章から理解するどころか猛烈な反感をまねき、大るし、その心境は進んでいる。・ほくの立場もこの恋愛も実 杉も野枝も最後の多くの友人を失った。最も野枝を理解しによく理解している。きみは野枝にくらべて全くわかって てくれていた野上弥生子も、痛烈な忠告の手紙をよこしくれていない」 ということだった。金を市子から都合っけてもらいなが きゅう 五月の末には、宿の支払いも出来ず、帰るに帰れない窮ら、そのことが大杉の精神的負担になっていることにも市 地におちこんでしまった。 子は気づかなかった。 大杉が生活費から野枝に送金すれば、保子の生活費と大「保子からぼくを寝とった君が、野枝にぼくを寝とられた 杉の下宿代は市子の負担にまっしかないという惨状だっからといって、死ぬの殺すのというのはおかしいじゃない た。しかも市子もその月にはついに退社していた。市子のか」 ひなんらようしよう 退職金まで、当てにしなければこの経済的収拾がっかなく というような大杉の理づめの非難や嘲笑も市子には不当 なってしまった。 な侮辱だと思われた。それでもなお、きつばりとこのどろ ようや この頃になって市子は慚く大杉に対して批判的になって沼のような四角関係からぬけ出られないものは何なのか。 ばんのうごうく きた。三カ条の原則は野枝の側から一方的に破られている市子は知性も教養も歯のたたない人間の煩悩の業苦の前 しようぜん ばかりでなく、、 しつまでたってもその状態からぬけるめどで、悄然とうなだれるしかなかった。 もちろん もっかない。野枝には勿論、そんな野枝を許す大杉にまで経済的に追いつめられてしまった野枝は、ついに流一一を けいべっ 軽蔑を感じるようになった。恋愛ひとつにさえ理論と実践御宿で里子にあずけ身軽になって大阪の代準介の家に転り がかくもくいちがう大杉の革命論にも疑惑を覚えるように こんでいった。何よりも市子に借金をかえしたかったし なってきた。その上、野枝の今度の事件を売り物にして金もう積極的な協力の意欲を示さなくなった市子にかわり、 あぜん を得る計画が誤算したと聞いてはその甘さに唖然とした。新しい雑誌のための保証金まで、あわよくば叔父の手づる わず ぶじよく