何事か語りあっている。道太郎は耳にしたわけではない が、気配から察して、彼らがあの日のこと以外の話題を探 しているのが分った。そうなのだ、酒にでも酔ってでなけ れば話せないほどむごたらしい出来ごとだったのだ。今や 不安や恐怖ののしかかっている生活があるのだ、と道太郎 は胸を締めあげられるように感じていた。 じんか、 川の流れが変ったらしく、川の面に塵兆のようなものが 浮いたり沈んだりしながら川下へ流れ始めていた。眼を凝 らしてよく見ると、それは火の消えた燈籠だった。黒い丿 せいさん の上を、影のような燈籠が流れて行く・ーー。凄惨な眺めで あった。そして燈籠の多くは、砕けていた。 突然、男は空になった四合瓶を、川めがけて投げこん だ。大きな水音が立った。男の頬に涙が一一筋流れているの に、道太郎は気づいていた。男が、手に持っていた茶碗を 川に放り込んだとき、道太郎が両手に撼んでいた茶碗が中 きれつ 央からぼかりと割れた。もともと亀裂が入っていたのかも しれなかったが、道太郎の手に知らず識らずのうちに力が 入っていたのに違いなかった。彼は、しばらく、割れた茶 碗を右、左と眺めていたが、やがて耐えられなくなって、 大きくモーションをつけると、男がやったように、元安川 の下流めがけて投げた。カ一杯投げたものだから、一一人が な かけら 立っている岸より遙か遠くに落ちて、茶碗の片は二つと 1 も、水音をたてなかった。 はる ほお
なま酔 かねばならない、というような用件ではなかった。東京で の彼の仕事が一段落したところで、出かければよかった。 だが、初の出張とあって、彼は必要以上に緊張し、急いで 用件を片付けてしまった。五日夜の特急「あさかぜ」にの ったときは、やれやれという気持だった。 広島が世界で最初の原子爆弾を落されたところだという ことを、青田道太郎はもちろん知っていた。が、東京に住 んで、「運動ーだの「大会ーだのというものには、あまり うかっ 興味を持たなかった彼は、迂濶にも八月六日が原爆記念日 であることを忘れていたのだ。 青田道太郎は、ある工業会社の東京支店にこの春入社し午前七時、「あさかぜ」号が広島駅にすべり込んだとき、 駅の出口に林立する平和大行進のノボリや、出迎えの人波 た青年である。競争率の高い会社に。ハスしたくらいだ ら、大学の成績が悪くなかったのはもちろんだが、態度、を見て、彼は、ああそうか、あれはこの日だったか、と思 ふうさい い出した。 風采、思想とも可もなく不可もなかったところが、何より 就職試験のとき無難で通りよかったらしい。一口に云っ その日彼が見たものは道端に小型のトラックを借り出し て、彼は平凡な青年だった。人並み普通の学生生活を終えて、口々に怒鳴りたてている青年たちの姿だった。ビラが だんがい てから、平々凡々たるサラリー マン生活に入っても、格別撒かれ、それには平和大会を弾劾する激しい言葉が刷りこ の幻減を味わったことがない。特に上役に可愛がられるこまれていて、ス。ヒーカーでぶちまくっている人々を、活字 ともなければ、特に目のカタキにされることもなかった。 が喚いて非難していた。青田道太郎の印象では、双方どち まったく、平凡という言葉は彼のために用意されたようならもどちらという感じであった。地つきの広島市民たちの おうしゅう ものであった。 表情はといえば、応酬しあっている両派のいずれにも加担 青田道太郎が、入社して最初の出張旅行にでかけたのは したくない、むしろ迷惑げなものであった。原爆の悲惨を 八月五日の夜であった。行先は広島市。彼の勤務する工業体験した人々にとっては、それを三度許すまじとする心 会社の本社と工場のあるところである。何日までに必ず行に、政治以前のものがあるのだろうと、青田道太郎にも容 わめ かたん
211 なま醉い はす 「この路地を入った突き当りが、開いている筈です。日本が、一人で黙って酒を飲んでいた。顔は浅黒く陽灼けして くちびる 酒ばかりですがね。ではどうぞ、お気をつけて」 いるが、唇が引締って、男惚れのするいい顔だった。根っ 五十センチもない道幅を、左右に気兼ねして五間も歩くからの酒好きなのか、燗のついた徳利が出ると、コップに と、云われたように突き当りが、小さな飲み屋になってい トクトクと音たててあけてしまい、それを湯でも呑むよう のれん た。戸は閉っていて、暖簾は曇りガラスをすかして内側に に、ごくりごくりと飲み下していた。しかしよく見ると、 見えた。電気が点り、人の気配がありそうなのを見ると、酒好きの酒飲みに特有の、飲み下したあとの余韻を楽しむ 道太郎は遠慮せずにガラリと戸を開けた。 という風情は、そこにはなかった。大酒が習慣になってい 店の者も、客たちも、こちらを見て、ちょっと意外な顔るのかもしれない。 ひたな をした。 浸し菜の突き出しと、燗のついた酒が、道太郎の前にも しやく 「タクシーの運ちゃんが教えてくれたんですよ。すまない置かれた。誰も酌をしてくれる様子がないので、道太郎は けど飲まして下さい」 自分で徳利を持ち上げた。旅先で、ふりに入った飲み屋な しんしよう あっさり云ってのけたのが、心証をよくしたらしく、こら、独酌はいっそ気楽なものだと思う。旅費の他についた おかみ の店の女将らしい女が、 出張手当は、これと宿賃とで消えてしまうと計算して、そ 「さあどうそ」 う思いきめるとさつばりした。飲みたいだけ飲む気になっ と空いた席を手で示した。店はスタンド式になってい た。彼は酒豪ではないが、崩れたり乱れたりはしない適当 て、調理台も洗い場もガス台も、客の目の前に並んでい な酒量が、生理的にも限度だったから、一人で飲んでも悪 かつばう 酔いしない自信があった。 る。女将はアッパッ。 ( の上に割烹前かけという装りで、 かんどっくりあんばい ふさわ そがしく燗徳利の塩梅を見ていた。飲み屋と呼ぶのに相応「魚は何があるの ? 」 なっか しい狭くて薄汚い店だが、またそれに相応しい気軽な懐し女に訊くと、たちどころに六種類ほど云ったが、食通で とっさ い店であった。客の数は、労働者風の男たち三人連れと、 ない道太郎は咄嗟にその中から選びかねた。 うま 他に老人や店の常連らしい男が三人、これはしきりと女将「何が旨いでしようね ? 」 や手伝い女と話したり軽い冗談口をきいたりしていた。 隣の客に、道太郎は応援を求めた。答を期待したわけで すみ 道太郎は遠慮がちに、スタンドの一番隅に腰を下した。 はなく、女の前で余裕を示したかっただけである。知らぬ はんそでかいきん 隣には白い半袖の開衿シャツを着た三十代も半ば過ぎの男他国で、ふりに入った店だという意識を、酒をいい折に払
210 で、いやというほど聞き知っていた。土地の人間のロを通 「運転手さんは、広島の人ですか」 「ええ、宮島の近くの生れです。兵隊にとられて、終戦後してきけば、なまな実感があるようでも、青田道太郎のよ 帰ってきたんですが、広島に着いたときは、街の荒れ方にうな青年には耐えがたかった。彼は怪奇小説や推理小説の ぞっとしました。今は平和記念公園になっていますが、あ類でさえ読むのが嫌いな、気の弱い男である。黒焦げ、屍 しゅうふらん す の辺りは凄いものでしたよ。黒焼けになった死骸が、まだ臭、腐爛、などという言葉だけでも、一瞬肌が鳥肌だつほ しゅうき すっかり片付いてなくて、この暑さでしよう、腐れて臭気ど気味が悪い。 が息の詰まるほどでした。まったく毎年この日が来ると思 かと云って、その話はやめてくれと云えるものでもなか い出しますよ。ひでえ爆弾を落しやがったもんです。まあった。彼はただ、今日がその日と知らずにやってきた自分 うかっ くや 私らあ運がよくって、一家無事でしたがねえ、だからあのの迂濶さを悔んでいた。かりにその気で来ていたなら、彼 日のことも、ひどかった、ひどかったと云えるんですが、 とても日本の青年だ、見るべき歴史的事実を見ようとする へきえき あの日居あわせた人間は、この記念日が来ても、思い出す姿勢は持てたに違いない。運転手の話に辟易したのには、 のも嫌だって云ってますよ。親や子供を亡くした人らは、 彼の心の不備が原因していたと云えそうである。だが、し 今日が来るたびにまだなま傷に触られるらしいですねえ」 かし道太郎は運転手の物語りが、かなり型にはまっている おそらく道太郎の前に乗っていた客が話し好きで、運転のを感じないわけこよ、 冫をしかなかった。それはどうやら運転 よいん 手に根ほり葉ほり聞きだしていたものだろう。その余韻で手が原爆に被災した当事者ではないからであるようだ。被 か、道太郎が聞かなくても、いろいろ話したいらしかっ災者たちは今も語りたがらないと彼が云った言葉を、道太 た。道太郎が行先を具体的に云わないのをいいことにし郎は思い出した。かりに運転手が被災者であったならば、 えり 、んちょう て、運転手は勝手な方向に車を走らせて、「あの日ーのこ道太郎はもっと衿を正して謹聴したかもしれないし、そう しゃべ とを夢中で喋っていた。ケロイドを受けて、適齢期を迎えでないまでも知らず識らずのうちに話に惹きこまれていた おとめ こういしよう た乙女の話。原爆後遺症で死んだ老婆の話。ピンビンしてかもしれないのだ。 いた若者に、あれから十年後、急に症状が現れて日を経ずタクシーの運転手は、しかし職業意識を失ってまで喋っ もんし 悶死した話。運転手の口調は次第に熱つぼくなって来て、 していたのではなかった。東京ならば池袋あたりと覚しい裏 街の、道の狭いところを器用に曲り曲って、とある四ッ角 そうした類の話は、しかし新聞、雑誌、週刊誌を読んで車は止った。 あた しがい へ はだ
212 し学 / 、刀事 / やけんねえ」 すず、 「鱸がシュンですよ。洗いにすると旨いです」 この男のように味わいもせずに酒を湯のように呑んだ 即座に返事が戻ってきたときは、だから少々慌て気味で、ら、どんな酔い方をするのだろうか。道太郎は興味を起し 「そうですか。じゃ、それを」 て女に質問した。 「どう大ごとなのさ」 客と、前の女とに、はなはだ落着かない口のききように よっこ 0 「減多にそんなとなことはないけんどねえ」 だが、隣の客は、そんな道太郎の子供っ・ほさに、却って女は、チラと男を見て、それから急に笑いながら云った。 好意を持ったらしく、話しかけてきた。 「弁が立つんじやけん、マーさんは。うつかり相手をしょ うものなら、一晩とつつかまって眠ることもできやアせ 「広島は初めてですか」 ん。私は一度ひどい目に逢うたもんじやけん」 「ええ。今朝、東京から着いたばかりです」 「何を云うとるンなら」 「広島に御親類がおありで ? 」 、え、仕事で来たんです」 男は苦笑いしながら、道太郎に向って話しかけた。話題 「そうですか」 を変えたいらしかった。 男は、しばらく黙っていた。空になった徳利を、前に押「お若いのに、この店を探し出すとは、あなたも酒は仲々 かん しやって、女たちに目で合図をし、燗がつくとコップに音でしよう」 ひとの 「いや、とんでもない。実は三合で限界一杯なのです。と たててあけて、ぐいと一呑みする。 「強いんですねえ。やつばり広島は酒どころなんだなあ」てもそちらのようにコップ酒ではやれません。万事、駈け 出しですよ」 道太郎が感嘆すると、 「いかがです。広島の酒は」 「いや、僕は強くないです。ただ、酔わないだけです」 「あら、マーさんが、あんとなこと云うとって : : : 」 「掛け値なしに旨いですね。しつこくなく、甘すぎず、か からくち ちょうどスタンドの向うにいた若い女が耳にして、まぜといって純然たる辛口とも違うんじゃないですか」 っ返した。 「肌理が細かいんです。どんなに飲んでも翌日は頭痛が起 「マーさんは強いにやア強いけど、仲々酔うてンないだけりません。私は東京に何年かいたことがありますが、あす で、そのかわり酔いだしちゃったら、そりやもう大ごとじこには全国の酒が集っていて、様々飲んでみましたが、や あわ かえ
るさいことを云うな、冷やでええ、それを渡さんか。酔うる美しい川も、夜に塗りこめられて川面は黒く、イルミネ とらん、酔うとらん、八月の酒で酔えるもんは広島には居ーシ , ンのようだ 0 た燈籠は、逆流するうちに州んど火が はす らんの知っとってじやろうが。 消えて、わずかに一つ、二つ、岸にひっかかって時期外れ ほたる あか さあ出かけましよう。なに歩いて行けます。酒はこう抱の螢のような頼りない灯りを残していた。 ちやわん いて、と。茶碗はポケットに、 二つかすめてきました。早それまで絶え間なく喋っていた男は、川のそばに来ると わざでしよう。酔ってない証拠ですよ。心配なら見て下さ急に人が変ったように黙りこんでしまった。綺羅びやかな 、一一。ほら、まっ直ぐ歩けます。燈籠流しが終った後の元安川と同じように、しょんぼりと ただ 今日は満潮は十一時ですから : ・ 、ああそうだ、あなたしていた。あの日、広島の川という川に、焼け爛れた人々 しかばね は御存知ないでしようね。今日は十一時まで広島中の川は が渇きをいやすために飛び込んで、そのまま屍の河となっ 逆流するんです。海の潮の加減です。だから燈籠は最初は たときのことを、思い出しているのかもしれなかった。 川下へ下らずに、川上へ流れるんですよ。十一時以降は川 道太郎は男と並んで、黙々と川上へ歩いて行った。さっ 上から海へと流れるんですが。 き男が話した以上に、肩を並べている男からは広島の人間 燈籠が逆流するっていうのは象徴的ですねえ、死んだ人が聞えてくるようだった。 たちは仲々成仏できないってことになるわけですから。ま ふと、男が言った。 ったく成仏はできんでしよう、こんな世の中じゃあ : ・ 「女房が、また妊娠してましてねえ : ・ まあ一杯いきましよう、歩きながら飲む酒ってのも、ま道太郎の体の中に、しみ通ってくるような声であった。 たオッなものです。冷やですからね、喉がすっきりします飲んでも酔えない八月の酒を、浴びるように飲んでいた男 よ。いや御心配なく、絶対に酔っておりません。酔えるもは、ロほど体はしつかりしていなかった。腰に落着きがな んじゃありません。八月の酒では、酔いません。八月六日 川にひきこまれはしないかと道太郎はハラハラしてい の酒にゃあ酔えるもんじゃないけ工 : : : 」 たのだが、酔っていても本性違うまで酔い痴れることので きない本当の理由が、この呟きで分るような気がした。 夜の川は無気味だった。岸に立つ人影は、だんだん減っ 青田道太郎が男の案内で元安川のほとりに着いたのは、 ていったが、それでも満潮十一時を待っているらしい人々 十時を少し廻った頃であった。日中は澄んだ水の流れてい は少くなかった。三、四人すっかたまっては、ぼそぼそと かわ つぶや
215 しゆりゅうだん たろうな。最前線で、機関銃や手榴弾で自爆した人たち「千葉の海岸でタコッポを掘っているうちに、食べ物の味 は、天皇陛下万歳と本当に叫んだんですからねえ。そこへ にうるさいのが認められましてね、中隊長の当番兵に抜擢 うれ 行くと広島市民は、真実を知って死にましたよ。あの日、 されたときは嬉しかったですね。広島育ちが役に立ったか ・ : 今日です、十四年前の。あの日、原爆で即死した人々らですよ。同じ学問から離れているなら、単調なタコッポ さば は、誰も天皇陛下万歳とは叫ばなかった。一瞬の出来事掘りよりは、地曳き網にかかった鯖でも料理している方が りくっ で、叫ぶ暇がなかったという理窟は通らないんです。その マシってものです。あの頃はメザシだって、東京市民のロ いわし 証拠には、翌日死んだ人も、翌々日死んだ人も、一週間後には仲々入らなかったものですが、房州の海辺じゃ鰯はフ に死んだ人も、十日後に死んだ人も、誰一人として天皇陛ンダンにとれました。いつでもメザシに事欠かなかったの なっか 下万歳と云っちゃいないんですからね。本当ですよ。みんですが、似たような顔つきでも、広島のメザシの方が懐し な驚いて、苦しんで、それつきり死んじまったんです」 かったですねえ。身がしまってるし、味が違う。ああ、ね 「マーさん、そんとに飲まんでお冷やかなんかにして、ちえさん、煙が立ってるぜ、しようがないなあ、焼きすぎだ っとオ酒は休みんさいや」 よ。折角広島で旨いものと離れず暮せているんだから、喰 ていねい 店の女は、ふりの客である道太郎に気をつかっているらい物の扱いは丁寧に、感謝をこめてやらにゃあいけん。焼 もったい しかった。 き直しんさ、。、 しや、勿体ない、その焼きすぎも、ここへ 「いらんことオ云うな。そんとなことより、東京のお客さ出しんさい。炭をはたぎ落せば、これだって東京のよりや あ、なん、ほかマシだ、いや失礼」 んの前に、なんにもありやヘんじゃあないか」 「うちゃま、どうしよう。何がええ ? 」 男は空になったコップに、また酒をあけた。喋りながら 訊かれたとき、道太郎は一一本目をあけてやや陶体としても、ちゃんと自分の酒は注文しているのだから見事なもの しやく しきていた。 だった。道太郎との酒量の差を心得てか、酌をしにこよう 酔 ともせねば、献杯しようとするいやらしさもない。飲み屋 「焼いた魚が欲しいな」 「ああそれなら、メザシがいし 。まあ広島の干魚も食べてで隣あった者同士というけじめはキチンとわきまえている ようだった。 みてつかあさい。東京のたア較べらりゃあへんけェ」 0 う ひと 道太郎は万事、男の指示に従うつもりになった。郷に入男はしばらく黙って独りで酒を飲んでいた。彼の目の前 りては郷に従えである。 には、黒焦げになったメザシが皿の上に並んでいる。男は くら せつかく さら うみペ しゃべ ばって、
あゆ はり育った土地の酒は体質に適うんですか、これが一番で「残念ですな、広島は今が一番何もないときで、鮎もちょ はす したよ」 っと外れましたし、鯛はまずいときです。野菜もねえ、チ すす、 まったけ 鱸の洗いが上ってぎた。いかにも鮮魚らしく一切れ一切シャが切れたところで、秋まではどうも。松茸なんぞは広 なまぐさ れがチリチリとかたまっている。噛むと生臭みとは別の香島で焼いて食べたら、もう他土地では喰えたものじゃない 気がロの中に拡がった。 です。それに果物。そりや岡山には負けますが、しかし数 なす、ゆうり 「旨いでしようが」 は作ってなくても味はいいです。ねえさん、茄子と胡瓜の 男は道太郎の讃辞を催促するように云った。 浅漬けを山に盛って出してつかアさ工。何もないときで も、これくらい旨いってとこを見せようじゃないか」 「はあ、旨いです」 「広島の魚を喰ったら、もう東京の魚は喰えませんよ。私また道太郎に向き直ると、 は戦争前の東京に十年近くいましたが、一度でも魚を旨い 「広島のものが旨い理由はですね、瀬戸内海に面している と思ったことはなかったですねえ。そう云うと東京の奴らことと、気候風土の条件がもちろんいいからですが、何よ は、いや失礼、東京の人たちは怒 0 て、計舎者に江戸の味りあなた、水がいい。市中を廻ってごらんになりました つくだに が分るかなんて云いますがね、江戸の味というのは佃煮と か。やたら橋が多いでしよう。 川が多いからですよ。広島 あさくさのり えんこう か、浅草海苔とか、そんなものですよ。その海苔だって広市には七つの川が流れてるんです。東から数えて、猿猴 おろ 島から浅草へ卸してるんです」 、京橋川、元安川、本川、天満川、福島川、己川、こ 、れい 「そうなんですか」 の大元は太田川です。綺麗な川ですよ。もちろん市中の川 「そうですとも。浅草で海苔がとれるわけがない。東京湾水もきれいで、ここもと子供たちが泳ぎまわっています。 で海苔をとる気になれますか」 あなた、東京の市中を流れる川で、子供の泳げるところが すみだ ははあ、この調子のことかな、先刻女が云ったのは、と有りますかというんですよ。隅田川なんざ、どぶ泥水もい 道太郎は可笑しくなってきた。 いところですよね、夏場の臭いのなんのって : いや失 ネ東京の悪口はよしましよう。ともかく広島は川がい な「ねえさん、広島菜の古漬け、このお客さんに出してあげし、 んさ工。僕にも、それから酒もだ」 。水がいい。だから魚も、野菜も、果物も、勢よく育っ 男は愛郷心に燃え始めたのか、道太郎に向って、しきりんです。広島は、い、 しところなんですよ。今の広島には、 おもかげ と広島の宣伝を始めた。 昔の面影は有りませんがね。ああ、漬物が来ました。まあ 213 ひろ ムるづ てんま
易に想像ができた。 のか、日曜以外にこんな第な時間を持 0 たことのない彼 へ、えき この日、広島全市は商店も料理屋も店を閉じて、十余年は、自分でも身の置きどころのない退屈に辟易していた。 すま おうし 紗の着物なんかを取り澄して着た女中たちは、カレーラ 前の追憶に悲しみを新たにし、横死者の霊を慰める。青田 道太郎のめざす本社は厚い鉄の門を閉じて、巨大なマンモイスを食べに出たのを見抜いたのか、道太郎が何を訊いて ス工場も機械はひっそりと休んでいた。平和大会に出席すもツンツンして、あまり感じがよくなかった。窓の外に日 る気もない青田道太郎は、まるまる一日、一人でどうにかが暮れたのを見すますと、彼は再び戸外へ出かけなければ 時間をつぶさねばならなかった。本社の寮へ、のこのことならなかった。宿で食べると高そうだという以外に、女中 入って行くのは、、、 し力にも今日という日を忘れていた間抜の給仕でそれを食べるのはもっと不愉快だろうと思ったか けさかげんを宣伝するようで、気がすすまなかった。平凡らである。 なサラリーマンは、評判を落さぬように細心の注意をはら勝手不案内の土地に来て、うつかり飲み屋やパアのあり うものである。彼は自腹をきって、宿屋に泊ることにし かを訊けないというのは情ないものである。彼は七十円の た。とりあえず飛込んだ駅前の旅館は満員で、平和祭の蔔 引タクシーを見付けると、とりあえずそれに乗って、 後は、とびきり高い旅館でないかぎり、ふりの客は泊れな「今日は、飲み屋はどこも開いてないんだってねえ」 いということを聞かされた。仕方がないので、彼はそこで と運転手に問いかけてみた。 教えてもらって、客のあまり泊っていない、 とびきり上等「ええ、広島には・ ( アも飲み屋も、ごまんとあるんです の旅館を訪ねて宿をとった。 が、今夜はだめですよ」 ないしょ 焦げるように暑い戸外を忘れたような、冷房の完備した「どこかないだろうか、内緒でやってるようなところは」 旅館であった。新聞や週刊誌を読んでごろごろしている彼「あるにはありますが。 ・ : お客さんは、一晩でも我慢で ふしん を、女中たちはうさん臭げに見ていた。木ロのいい普請きないタチですか」 かけじく で、床の間の掛軸も置物も、大変に上等らしい品々ばかり「そういうわけでもないんだけど、ないとなると妙に意地 なである。こんなところで飯を食べたら、どんなにふんだくみたいに飲みたくなったんだ。こんな云い方しては広島の られることだろうと、青田道太郎は、心配でならなかつ人たちに悪いかな」 た。午後一時ごろ、駅の食堂まで出かけて、百円のカレー 「そんなこたアありませんよ。広島の人間は酒好きですか ライスを食べて戻ってきたが、さて夜はどこへ出かけたもら」 くさ
214 ) ま 上ってごらんなさい。どうです、旨いでしよう。広島の野沃ですからねえ。広島県人は金持から貧乏人の末に至るま 菜と広島の酒は、実に合うですよ。もとが同じ水ですからで美食家ですよ。旨いものを喰いなれてるんです。おまけ に眺めがいい。昔の広島を見せたかったねえ、古風な日本 ねえ」 じようぜっ さながら広島の河川のように、澱みなく男の饒舌は流れが温存されていた国ですよ。あの戦争中、広島の人間は本 出していた。道太郎は、ようやく一一本目の徳利にかかった気で信じていたんです、京都と広島にだけは爆弾が落ちな すで しゃべ ところだったが、男は道太郎に喋り出してから既に、三本 いってね。事実、空襲ってものを戦局がかなり緊迫しても はあけていた。 経験しなかったんですからねえ。私などは当時学生で、東 京から学徒出陣をしたわけですが、房州の浜でタコッポを 「おい、酒だよ」 掘りながら、戦争がどうひどい結果で終っても、広島は無 「いいんですか、マーさん」 「いいに決ってるがね。昔の広島を物語ってるんだ、景気事だと信じてたものです。私の隊には、鉄砲が兵隊の数の そろ 半分も揃ってなかった。武器弾薬のない軍隊に入って、こ よく持って来いッと、怒鳴るときの調子は江戸ッ子がいし りゃあ日本は負けるんだな、そう感じましたよ。それで ですね。はは、あははははは」 笑ってみせたが、顔色は少しも変っていなかった。店のも、祖国が亡んでも、郷里は健在だと思うと、なんだか救 女は案じていたが、男の素振りには、どこにも酔ったようわれていました。愛国心なんてものは、本来がそんな筋合 な感じがなかった。ただ饒舌になっているだけである。道のものなのかもしれませんね。天皇陛下に忠誠を誓う気は 太郎はといえば、昼飯がカレーライスだけだった所もあなくなっても、育った土地には愛着以上のものがあります はら って、すっかり空腹のところへ男の講釈が効いて、鉢に山からね」 ちょうこう きゅうりつけもの 店の女が危惧したような兆候が現れていたのだが、国民 と盛られた茄子と胡瓜の漬物を、せっせと口に連んでい た。東京で郷里自慢をしている図を見ると、どうも間抜け学校三年のときに終戦を迎えた青田道太郎は、終戦前後の て見えて頂けないが、地方に出て、その土地の人間から郷ことをこの年齢の男たちから聞く機会を持ったことがなか じようぜっ ったので、興味を充分持って男の饒舌を聞いていた。ロ角 里自慢を聞くのは旅人にとって悪くない雰囲気であった。 し国でした。芸州安芸の国の泡を飛ばすという語り口でなく、かといって陰気でもない 「まったく、昔の広島は、、、 ひょりみ 殿様は日和見主義でしてね、あんまり事を起さずにすんだのが、酒を飲みながら聞くには適当だったのでもあった。 ものだから、平和な国だったんですよ。おまけに土地は肥「それにしても天皇陛下万歳という言葉、あれはなんだっ あわ まろ