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検索対象: 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集
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1. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

「信じていますよ。けれども、だからといって、あっさり 死ねることにはなりませんわね」 「それでも、信じていないよりは、ましでしよう ? 」 かえ 「信じられないほうが、却っていいんじゃあないかしら。 霊魂なんて、本当に無力なものだろうと思いますよ。この 世の人間の精神を感じたり、それに作用することはできて も、肉体や、それから物質は見ることもできないし、関わ ることもできないものだと、私は想っているんです、それ に、精神に対してだって、先方さまの感度が鈍かったり、 あお とらそこ 過敏すぎたりして、蒼いサインを捕え損ねられるとか、意 とかく 死ぬことは兎も角としても、そういう形で死ぬのが運命味を深く取りすぎて誤解されるとかというようなことが始 のりこ いらだ だとしても、突然、ただちにと言われると、則子はどうし終でしよう。苛立たしくて、作用を発する気持も失せてし ても承服できなかった。 まう。こちらで感じる、人間の精神だって、ありがたくな ゅうよ しよせん 「猶予をください」 いものばかりが増えてくる。霊魂なんて所詮、苛立たしさ くや と彼女は願い、そして訊かれた。 と口惜しさの塊りみたいなものでしよう。永久にそんな苦 「覚悟がつくまで待ってほしいというのですか ? 」 しみの塊りにさせられるかと想うと、わたしは死ぬのが一 はす そうこわ 「誰にも死ぬ覚悟なんてつく筈はないでしよう」 層怖いのです。死ねば一切が消え失せると考えることので と彼女は答えた。「殊にわたしは、年とった不治の病人きる人たちを羨みます。ーー」 なんそじゃありません。まだ中年で、体は丈夫で、少くと そこで、彼女は叫んだ。「ああ、本当にいつまでも霊魂 からだ も自分では頭も心も確かです。それに、わたしの躰には、 と肉体とが結合していてほしいこと ! せめて、死んでも 昔の武士とやらの血は一滴だって流れていませんもの。余結合だけはーー」 はどてぎわ おうじようぎわ 程手際よく死なせてくださらないと、格別に往生際はわる その思いは余りに激しく、彼女は猶予を願うことさえ一 と、き いでしようよ」 時忘れたくらいであった。 「霊魂を信じていると言っていましたが : 「とにカく : : : 」 0 最後の時 こと うらや かたま いっさし カカ

2. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

高船冾 / イ のか すくまった鳥の首から胸にかけての優しい柔わらかな もっ 丸味や、鳥の形状の全体が持つ小宇宙性には、ある種 のな 時昔 の猫に感じるのと同質の興奮と美というにはもっと痛 当。照 る参切な痛みとして走りぬけるふるえを感じるのである それは丸味をおびたもの、ある種のわたしの感覚の湾 あっち曲面の型にびったりとはまり込む種類の微妙な曲線を ~ 、かなみ 描く物体に対してもいえることだ。桂浜の水族館で見 生所 たカモメと。ヘリカンに比べれば、飛行機の機体の持っ の材る 氏製 丸味はわたしの好みではない。それより船である。船 子はて 恵でしは実際のところ、球体に通する形態を持っているわけ 多在存ではないけれど、船体の微かな曲面、船尾部分の巨き 野現現 河。れな丸味をおびたそれや、形態の持っ曲線には、まるで ーしカ ンス・ヴェルメールのデッサンのように心をそそる りなぬ 亠ま 十′し ものがある あはを のて火 それはさておき、関東の人間にはわけもない関西嫌 いというのがあって、実はわたしもその一人であった。 近しけ これはまったくわけのわからないことで、ただもう何 付失 のよ、つなも 堀焼庫かなんでも嫌いだという一種のヒステリー 頓で倉のであり、うすロ醤油から長襦襷の仕立て方からお茶 道災の 西戦蔵漬のことをぶぶ漬というのから関西出身の人間まで嫌 区い冷 いだというわけで、しかし、関西方面には神戸へ二度 西当」船 「宝行「たことがあるだけで、大阪は空港と万博会場の一 阪 大はし部と高速道路しか知っているわけではなかったのだっ 4 わん

3. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

ー》し一 . いっ ことばの世界に優人することを嫌悪するから」と、 攻める事が禁止されている竸技。 もわからぬあるときに、どこにもない場所で、だれでもないだ 一レビ記『旧約聖書』中の第三巻。「出エジプト記」の後をう れかが、なぜという理由もなく、なにかをしようとするが結局 けて、その聖なる場所で営まれるべき礼拝の規定と形式を詳述 なにもしないーこれがわたしの小説の理想です。そこでこの空 したもの。祭儀的特質が顕蓍である。レビ記の十八章は「神聖 中楼閣においては、主人公たちは、フランツ・カフカにならっ 法典」である。 て、、、といった記号あるいは人称代名詞で指示される 一「人もし精の : : : 」前出「レビ記」十五章にみえる言葉。ま にとどまらなければなりません」と書いている。 ( 「小説の迷路 た次の「婦女流出」云々も同章にある。 と否定性」 ) 一パンプス婦人靴の一種。紐、止め金などのない甲部をくっ た靴の総称。 一堯矮星 dwarf 同色の星はその発光量の大小によって二種類 一一八 0 解放された夜「・ほく」の行為、すなわち連続する殺人、時、 に分けられ、発光量の少ない種類を矮星という。 こ 4 ・ころ・ 場所を問わない一種のゲームとしての性的関係は、いままでの 一一六 0 Fellatio フェラチオ女性が男性に対して行なうロ腔性交。 生活的、道徳的、性的 ( 例えば上役との、子との ) 人間関係 一一六 0 Cunnilingus クンニリングス男性が女性に対して行なう からすべて「解放」されたことを意味する。 ロ腔性交。 一バ一美人局夫のある女が、夫と共謀して他の男を誘い姦通し、 一天一一焼玉エンジン軽油を燃料とする内燃機関。漁船に多く用い 金銭をゆすること。 られる。 一ち一カボネと phonse capone ( 1898 ~ 1947 ) 俗称、アル・カ一穴三ひとつの観念人間たちを撲殺するという、この人間を逸脱 した無限の能力は、現実ではなく、たんなる「観念」として与 ポネ。アメリカ暗黒街のギャングの首領。禁酒法以来、酒の密 えられたにすぎないのではないかという疑い 造、脱税など、あらゆる反社会的行為をなした。 一盍グレイハウンド greyhound 体が細長く、足が早く視力の二公一ホルスター holster ビストルの革袋。 一一八六譫妄状態意識が定まらず、錯覚と妄想にとらえられ、麻痺 強い猟犬。 症状となること。 解一禿やす漁具の一つ。長い柄の先に数本に分かれたとがった鉄 示 ( 教誨師刑務所で受刑者に説教する人。 を取り付けたもの。魚介を刺して捕える。 注毛一一この作品は、登場人物が、、、 O などの記号であ一穴七ロープ robe すそまで垂れるゆるやかな外衣。 元三カルマ karma 仏教語で、業因業果 ( 因果応報 ) 。因縁。 り、場所も「地方裁判所」「市」などと記述されている。 作者はそのことについて、「わたしが小説のなかで固有名詞の 使用を避けているのも、〈事実 ) の猥雑さが、わたしのつくる

4. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

くりと水をかきわけて泳ぎました。の顔は蒼ざめていまん。わたしは生まれてから以外の人間といっしょにお風 ようすい した : ・ : このときわたしはまるで暗い胎内の羊水のなかを呂にはいったことがなかったので、からだの中心部を隠す 泳いでいるのではないかという恐怖に襲われたのです。え才覚もっかずにただつっ立っていました。ュカリは細かい なが え、二十年まえにあのばばあのおなかのなかでと抱きあしぐさでからだを洗いながらわたしを眺めました。そして っていたころの記憶がこの港の気持のわるい水のなかでふわたしがの姉であることや長い脚をもっていることに嫉 いによみがえってきたのかもしれません。がわたしに近妬を感じるといい、それにあまりを独占しないで自分に りくっ づいて、腕をからませました、ロのなかに濡れた歯と舌がのまかせてほしいといいだすのでした。あなたの理窟はよく ぞいていました、なにかを叫・ほうとしているのだとおもい わからないけれど、のことなら自由にすればよいではな ましたけれど、なにも聞えませんでした。首をめぐらした いかとわたしはいってやりました。 とき、岸に並んだ子どもたちがいっせいに手をあげて不可「そうなのよ、あたしはと婚約してるし、あなたは近い のろ かんせい こうかん 解な喚声を放ちました。交歓の叫びのようでもあり呪いをうちにさんと婚約するんでしよう、それでちょうど話が ばせい こめた罵声のようでもありました。わたしは不安になって合うのよ」ュカリはそういって、入念な入浴をすませたの をうながすと水しぶきをあげて岸に泳ぎかえりました。 ちのところへ行ぎ、わたしはしかたなしに C のところへ C が水浴はどうだったというので、「気持がわるかった行ってみました。十分ほど C と抱きあって丸太のようにこ わ、まるで廃液のなかで泳いだみたいよ」と答えると、かろがりながらいく種類かのキスをしましたが、ちっともお れは、こんな港で泳ぐなんてどうかしているといい 、それもしろくなくて困っていると、いきなり隣の部屋の豚が からい 0 しょに風呂にはいらないかと誘いました。わたしをあけ、こちら〈きてビールを飲もうといいました。そ かにこうら が断ったので、女同士ではいることになって、わたしはユ こでビ 1 ルを飲み、大きな蟹の甲羅を割って食べました。 ちカリといっしょ・に木造りの浴室へおりていぎました。 ホは酔っぱらうと、わたしとの仲についてかなり卑猥 くったく た裸になると、ユカリは妙に屈託のあるふとりかたをしてなことをいいました。 こんじき いることがわかりました。ばばあときたら、人体の法則を翌朝、窓をあけると、町も港も金色の陽を浴びて驚くべ うじよう 無視した豊饒な肉づきですけれど、ユカリはかなり肥満しき復活ぶりをしめしていました、前日とはまるで別の町を ているくせに貧弱な印象を与えるのです。胴をぎつい下着みるようでした。海は澄んで青かったし、太陽はよく燃え で締めつけて人工的な変形を加えていたせいかもしれませていました。ほんとうならこの日に町を出発する予定で した しつ

5. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

216 「それが当分脱獄はしないつもりですからどうぞよろしくもけっしてそれを口にしようとはしないだろう。それが共 じんぎ 犯者の仁義というものである。 「ぼくのところにかえってくるのかい ? 」 「そのほうがラクですから」 「とにかく、きみは・ほくのワイフじゃないか。なすべぎサ 夏の早い太陽が熱気の舌を押しつけてくるのを感じなが 1 ヴィスはちゃんとしてくれ」 ら綿のような夢のなかで苦しんでいると、塀の外で野犬の 「ははは、あなたにもそんな俗悪なせりふが吐けるなん声がさわがしい。でも犬にしてはつやのある声だとおも じようだん せんたく て、冗談にしても感心ね。たしかにあたしにはサーヴィス よくきいてみれば家の横の小川で洗濯している近所の の義務があるわ。こうすればいいの ? 」 女たちの猥談であることがわかる。はにかみのヴァイプレ あし とわたしはいい、その場で手と脚と胴をばらばらにひきイションをまったく欠いているので、人間の声とはおもえ ちぎって投げあたえ、夫が死肉をくらうようすをみてやろない太さでからみあっているようだ。裏の木戸からね・ほけ うとするが、夫もその手にはのらない。ここに愛という熱た眼をかたつむりの角みたいにのそかせたとたんにめざと 病があれば肉は幻の炎をあげることもできるだろう。でもくみつけられ、 * * チャン、早イワネと声をかけられた以 あいさっ 一一十歳をすぎてはそんな熱病にかかるはずもない。電話は上、その女がむかしの同級生であることをみとめ挨拶をお いつのまにか切れているが、夫はなおもわたしの耳の迷路くらないわけこよ 冫をいかないが、彼女は近所の日傭人夫の女 にはいりこんできて、そこがいきどまりの一枚の膜に口を房であり、数ヶ月まえ子どもと亭主を棄てて若い男のもと つけてわたしの大脳と対話をつづけている。いつまでも終へ走り、歓びをつくすとまたけろりとして家にかえってき るけはいがない。眠れなくて真夜中に窓をあけると一億の たのが二、三日まえだという悪評はすでに高い。この女を 姙がやみのなかで読経する声に顔をうたれた。眼が冴えて亭主がなんといって迎えいれたかははびこった噂のつるが こうこら・ たんぽ 皓々たる光を放っている。その光は裏庭から田圃へと流れ脱落していてわからない。型どおりに働きのない酒びたし でて、たちまち蛙の声はやんだ。そのかわりに金粉銀粉でになった亭主でいつも眼に涙のような酒がにじみでている つばさ 重たい翼をはばたかせながら蛾の群れが頭のなかまで侵入ほどだ。正規の土ェでもないらしくなにを生業としている してくる。離婚。別レマショウ。こんなことばが蛾の卵ののか。女房が家出しているあいだ、子どもたちは半裸の姿で ように頭のひだに生みおとされているけれど、わたしも夫物乞いを営んでいた。一日中、・ハッタのようにつかまえにく ね」 ものご よろこ わいだん ひやとい

6. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

いままで のがあった。青彦は今迄彼を知る誰もが想像もっかなかっ 「あなた安心して待っていらっしゃいませよ。清彦さん、 どこかですごいお金をもうけて、十年か一一十年したら、ひたようなたくましさで、生きのびている。どちらも、普通 懸んそく の人間にはあり得ないことだった。しかし喘息という病気 よっと現れてくるかも知れないわよ」 その時、入口でベルの音がした。 は悪化する場合も快方に向う場合も彼の可能性を、どちら の方向にも無限大におしひろげる。病気は彼の変身の秘薬 「あら、主人だわ」 くちびる 敬子は腰をあげた。入口には小太りで厚い唇をした男だった。 が、ドアの開けられるのを待ちかねるように足踏みをしな十一月三日、敬子は澄んだ秋の日を、思い切って遠出す がら立っていた。何か英語で鶴子に言いかけた瞬間、彼のることにした。どこと言って目的はなかったが、家にいる と苦しさが身にしみた。敬子は清彦の売った長者ヶ崎の土 口から殪蒜の臭気のある息が敬子に吐きかけられた。 地をもう一度見てみたいような気がした。そう思うと矢も 大和氏からの便りは次第に間遠になった。それは何も新たてもたまらなかった。横須賀線の中は親子づれのハイキ にぎわ つり ングや釣道具を手にした人々で賑っていた。 らしいニュースがないことを示していた。もはや気紛れに 清彦が姿を消しているとは考えられなかった。八月十日以清彦がいなければ、生きていられないように思えた自分 が、早くも、三カ月近くを生ぎて来た。その間、どんな思 来、凡そ二月以上の日が経ってしまっている。 いでいようと、生きて来たことにまちがいはない。自分は その時々に、敬子の心はこもごもの思いに閉されるのだ った。生きている。死んでいる。その二つはさして来る異立派だった、と敬子は自分のしぶとさをほめてやりたかっ た。もはや清彦が生きていても死んでいても、大した違い った一一つの潮の流れのようであった。 ささや 死んでいる、と囁く冷い潮は、敬子の心を凍らせた。敬はないように思えた。 子は夜中にとび起きたことがあった。あたりには誰もいな見覚えのある土地まで来て、そこに日本風の一軒の家が い。この長い夜と、残された少くとも数十年の長い人生建っているのを見た時、敬子は一瞬たじろいだ。サンゴ樹 が、清彦なしではもはや再びあけることがないような恐怖の生の間の小さな門には松山という表札がある。当り前 が彼女を襲った。 のことであった。松山が二番目の若い妻をここに住まわせ 恐怖に疲れ果てると、温い潮が代りに敬子の心をときほているに違いなかった。 その時思いがけなく、門のくぐりをあけて、茶色っぽい ぐした。清彦はどこかに生きている、と敬子の心に囁くも

7. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

吉岡家を訪ねるために敬子が家を出たのは、それから五 けがましい。それは、みだらな感じさえするのだった。 敬子は銀座を歩き、結局、裏通りで高さ二十糎ばかりの日目、雨あがりのうすぐらい土曜の午後であった。 まで ただ つに 吉岡家は静まりかえっていた。只、今迄のばし放題だっ 壺を見つけた。 「これはどこの焼きもの ? 」 た庭に、植木屋を入れたらしく、庭木が放心したように空 * おんたやき の明かるさを受け入れている。見ようによっては、それは 「小鹿田焼と申します」 店員の説明によると、それは九州の大分地方の農民が農いたいたしい変化だった。 そぼく 日本風の門のくぐりを通って、払い残した蜘蛛の巣が一 閑期に焼く素朴な陶器であった。 「ですからこれとこれと二つは同じように見えますけれつ、吹きこんだ雨の玉を光らせている玄関で呼鈴をおそう ど、何しろ手作りですし、釜の火加減その他で決して同じとすると、背後で、 「どなた」 ものはやけないんでございます」 とかすれたような、それでいて女のなまなましいしぶと そう言われてみると並んだ二つの壺は同じように茶がか った素肬をもち、その上に川底の水草のような深い青磁がさとなまめかしさを匂わせたきき覚えのある声がする。ふ り返ると空高く、点々と白い鳥をとまらせたように花を咲 かっているところは同じだが、一つ一つ人間の顔のように たいざんぼく はなばさみ かせた大きな泰山木の下で、吉岡夫人が花鋏を手にじっと どこかしら違っている。二つと同じようにやけない壺は、 二度とくりかえしのきかぬ人間の運命を、素朴に暗示してこちらを見ながら立っていた。 「図師でございます。おくれましたが、明日のお祝いを申 いるようでもあった。 しあげに」 一つを祝いに、もう一つを自分の部屋におくつもりで、 と言うと、花鋏をかちやかちゃと鳴らしながら、 敬子は遺骨箱そっくりのサイズの包二つをかかえて店を出 」ていちょう ら 「まあ、それは御鄭重に恐れいります。清彦も今日は身の ゅ まわりの片づけものをして、家におりますのよ」 敬子は壺というものが好きだった。素朴な壺は働いてい てのひら と言いながら、 たる農婦の掌のように悪気のない温かさを感じさせた。この 壺に花をさすとすれば白い花だった。赤い花をさすと、壺「多美 ! 多美 ! 」 と女中を呼ぶ。 四は当惑しそうだった。まかりまちがっても、赤いカ 1 ネー ションなどは生けてはいけない壺である。 出て来たのは、いっぞやの痴のような娘で、いらっし こ 0 おおいた

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の代表者に次々復讐して行く物語は、現代という疎外 倉橋文学について具体的に解説する紙数をうしなっ された偽りの社会や倫理への痛烈な批判、いや犯され てしまったが 「妖女のように」はト説家という奇妙 な存在にな「た自己を、わざと私小説になぞらえて書かか「ている主体的尊厳の叫び声と言える。ばくはこ の小説に現代の人間次復、ロマン次復の試みを見出す いた三部作のひとつである。ここでは女で小説を書く ション」も漫画的なネがテイプな現代のヒーロ ということの矛盾を諷刺的に追求している。故郷の土 ーの物語りで、小説とは現代の人間の倫理と心理と感 佐に関する風物も描かれているが、不思議な老作家と むろうさいせ、 かな、らないことを→も理解さ 覚の危険な実験室にほ は、巧みに室生犀星の 少女とあるいは大と少女の対話 : 「私の、いはパパのもの」を含む長篇 れるに違いオし 「蜜のあわれ」の老人と金魚の少女との文体と発想と 天青のごとき少女の特権を否定しなが を、そのまま借用している。作者は読者によ「て架空「聖少女」で、女 * 人生をつくりあげているだけに、ビ、トールの「、い変ら最大限に利用した作者は、結婚し、米国に留学し、 しばらく沈黙した後、今や老年をお り」を下敷にして、その上に小説の小説「暗い旅」を子供をつくり って、「河口にて」、「白髪の童女」など反悲劇シリ 大胆な本歌どりのような遊び 書いたよ、つに、 ズや「夢の浮橋」などで、よリ知的でより深層意識的 をしばしば行っている。それにせよ、倉橋由美子が なイメージとおそろしくも整合、熟成した方法と格調 彼女の才能を高く買っていた室生犀星をここまで消化 地平ある文章によ「て、伝統を含む異次元の世界を開拓し していることはばくにとってまことにたのしい つつあるここではとば口にしか触れ得なかった倉橋 線の彼方に落下していく金魚のかなしさが、この作品 にも投影されていて、作者の妖女のようなすばやい身文学の本質をその根源まで探「てみるというたのしみ よくにのこされているよ、つだ。 、カ のこなしまでタ映に輝くようである 「蠍たち」は型小説の典型で、姉弟相姦、母親殺 し、輪姦、世俗を代表するをによって父親殺しさ せるなど、性のタブーをグロテスクなまで破壊してい る荒唐無橇な小説である。しかしこの半陰陽的双生児 の原緒的ナルシシズムによって、的な俗物社会 471

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ど、徹底して女にだらしのない男らしいわ」 外の舗道にうつる陽ざしの明かるさが心にしみるようだっ こ 0 「そう」 鶴子が出て行ったのではなく、清彦が出て行くようにし「じゃ、お母さまのことは別としても、一応奥さまのこと むけたのかも知れない、と敬子は思った。陰に陽に、鶴子は、かたがっかれたのね」 の心をその男に向けさせることは、清彦のような人間にと「それが、中国人っていうのは、想像もっかないほどちゃ ってはいともたやすいことであった。清彦はそれをしかねつかりしているのね。そんな金持でありながら、鶴子さん いしやりよう なかった。自分の心が妻を憎む前に、まず清彦は鶴子に自に、慰藉料を請求させてるらしいわ。何でも吉岡さんが満 分を憎ませる方法をとる人間だった。 洲から持ち帰った毒薬を持っているんで、鶴子さんは一服 「吉岡さんが、鶴子と僕は、もう少し金があればうまく行もられるんじゃないかという恐怖があったとか」 ったかもしれないんです、って言うのよ。問題は二人の性悦子はそこで急に言葉を切った。 格の相違にあるようにみえているけれど、掘り探してみる「ああ、それなら知ってるわ」 と、案外原因は貧乏にあると彼は信じてるらしいわ。お母敬子は手短かに毒薬騒ぎの一件を話した。薬は清彦がと さんと三人分で、鶴子さんは二万五千円の食費を受けとっ りあげて、上着のうちポケットにしまってしまった。それ てたって言うのね。だけど麻雀のお客にサンドイッチを出を捨てる前に鶴子に見つかったのだろう。夫は毒薬をもっ せり したり、自分でも、 しいコーヒ 1 を飲みたかったりキャビアているから、いっ私を殺すかもしれない、という劇的な科 を食べたかったりしたら、とてもやって行けないわ」 白は、そこから思いっかれたものに違いなかった。 たな 「そうねえ」 「それから自分のことは棚にあげて、吉岡さんには結婚前 「それに吉岡さんのお母さんが悪いの、知ってる ? 」 から深い関係にあった女のひとがいて家を空けてばかりい ら え、悪いってどう ? 」 たというのね。それで淋しいからポーイ・フレンドを作っ いがん ゅ 「胃癌らしいのね。近々手術をなさるらしいけど、本当は たってあの奥さんは言いたいんでしようよ」 ま もう手おくれなんじゃないかしら。大分前から具合が悪い 結婚前から深い関係にある女、というのは自分以外にあ た 悪いっていいながら、お医者様へ行くのをいやがってらしり得ない。清彦が家を空けてばかりいたのは、自分の故で たって言うから」 はなく、仕事のためである。しかしそう言われてみると、 敬子は心のふるえるのを感じた。ふるえながらも、窓の自分の心の奥底に、終始一貫して鶴子を清彦の妻とも思わ どう

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110 あまりにも慎ましくみえた。恋ではなくそれは彼女の見は 勝手な言い方ですが》 いんぎん 清彦は慇懃に松山を送り出し、若い妾のために、入口でてぬ夢のようなものに違いなかった。 たとえ恋であろうと、清彦にとってそれは何でもないこ 優しく道をゆずりながら言った。 いままですべ 《家をたてたら又おいでなさい。うちで使っていない時だとだった。清彦と親しくなるほどの女は、今迄に総て彼に あきら 心をひかれ、そして間もなく、諦めるか怨むかして遠ざか ったら、喜んでお貸ししますよ》 って行くのであった。それは、清彦にとっては、名誉でも 松山は言った。その時春の陽のもえるような光の中を、 なく恥でもなかった。女は清彦にとっては、一つの無言の 突然、女がふりかえったのだ。 風景のようなものであった。たとえ気に入った風景があっ 《どうそ、本当に又おいで下さい》 それは単なる社交的辞令ではなかった。彼女はすがりったとしても、いっかは彼は愛さなかった風景に対するのと くように清彦の顔を見あげそれから目を伏せて、彼の淡い同様、そこを去って行くのであった。 「お金が入ったら、あなたと又小旅行に出かけたいけれ 青色の背広の胸のあたりを見つめるようにした。 《ありがとう。でもお邪魔なことはわかり切っていますど」 ただ 清彦は呟くように言った。敬子は何も言わず、只、水平 し、出来るだけ伺わないようにします》 あふ 彼女はお辞儀をしたそれから確信に満ちた松山の背中線が・ほやけるほどに光に溢れた春の海をみやった。春はも に従って、足早に遠ざかって行った。松山と妾は同じ位ののうく熟れ切っていた。単調な波の音は、空にとんでいる あっけ 一台のヘリコプターの響きに呆気なく消されている。 背だった : ・ それがこれからあの松山の第二夫人が一年中みてすごす あの時、彼女はほんの一瞬、清彦に夢と救いを求めたの ではないだろうか。この土地に家をたててひとりで住まう景色だった。暗く荒れていたり、明かるく凪いでいたり、 ことになった時、松山のような男ではなく、短い時間でも海そのものの貌は毎日変るだろう。しかし海は同じ海であ 清彦のような人間と、海風の吹きこむ座敷に向い合ってみった。人間には決して話しかけない海であった。その海を たいのかも知れなかった。 見ながら彼女は生かされて、そして自分では人生を生きて いる、と思いこんですごすのだった。その何気ない一生を それは言いかえれば、太陽の前を一片の雲が通りすぎた ように、一瞬だけ彼女の心をまどわせた、恋と呼ぶべきも敬子はむごたらしく感じた。 のかも知れなかった。いや恋をしようとするには、彼女は 「もう一度、この辺へ来て一晩泊りませんか。海辺は夏以 めかけ つぶや