倉橋由美子 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集
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1. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

高知県土佐山田小学校 由美子はここを卒業 下父と由美子 ( 昭和二十二年 ) 0 上 5 歳のとき ( 昭 和 15 年 ) 左戦争も たけなわのころ左端 が由美子後は父 ( 昭和 19 年 ) 突入する。・ 以上が作者自身の作成になる倉橋由美子の〃略年譜 ( 講談社刊「われらの文学」所収 ) の前半である。そ して現在までこれが倉橋由美子の履歴を記した唯一の 文献である。倉橋由美子の評伝を書かねばならないば くが途方に暮れるのは当然であろう。 い、かい ~ 宀女相 5 的 - 推 理カ豊かなばくとしてもこれだけの資料では天才的女 流作家倉橋由美子の生い立ちについてもっともらしく うんぬん 云々することは不可能である。 ナ′し / し 、倉橋由美子の伝記を書くぐらい、文芸評論 くら として無意味でこつけいな仕事はないだろ、つ。 彼女の生い立ちゃいわゆる実生活とかを詳細に調べ記 述しても、「パルタイ」にはしまる倉橋文学とは直接 なんの関係も持ち得ないだろう。倉橋文学を理解する 上に何の役にもたたないに違いない倉橋文学は、た とえば平野謙の〃芸術と実生活″ " 文学と実人生″ 説と実践″というような、作品と生活体験や実践行動 とが、直接のつびきならぬかたちでかかわりあってい る従来の私小説的な文学と違い、それらとは異次元な 場所で成立している。つまり人生体験と作品とを関連 させあって、創作の秘密を解いて行く今までの文芸批 評の方法を、そのままここに適用することが困難なの 462

2. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

第当 中を、テル 第朝第第 左阿蘇を旅行右から二人目 が由美子 ( 昭和一一十八年 ) 下土佐中学に入学したとき 母と ( 昭和二十三年 ) 左 友人たちと前列左より二人 目が由美子 ( 昭和二十三年 ) 0 だ。作者倉橋由美子の生い立ちや伝記を調べるより 作者がしばしば小説の中に登場させている、とと いうたがいにあいしあっている奇妙な一一卵性双生児の 姉弟の生い立ちや各作品でのさまざまな言動を伝記風 に整理する方が、はるかに簡単だし、具体的、実証的 で「倉橋由美の世界」というような気のきいた案内 図的評亠ができあがるであろ、つ。 しかし、あまのじゃくなばくは、ナンセンスである が故に、倉橋山美「の評伝を書いてみたいと思う。実 年 生活や体験と違う次元の文学を成立させ得た作者の実 召生活や体験に、逆に関心を持たざるを得ないのだ。な せなら倉橋由美子の文学は、もっとも強烈な自己表出 美の文学であり、現代批評の文学であるからだ。作者の 由 思想と内的イメージとわかちがたくかかわっている 、カ 目そういう田 5 相 5 や内的イメージカいかに成立したか ばくは作者の生い立ちや体験にふれた文章を「わた しのなかのかれへ」という全ェッセイ集を中、いにあち 右 こちから採集して、前記の「略年譜」を補瞋してみる ことにする A 」 立ロ の ク倉橋由美子は昭和十年十月十日、高知県香美郡土佐 園 463

3. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

曾野綾子・倉橋由美子・河野多恵子 文学紀行 箱根富士屋ホテル 曾野綾子 ( 「遠来の客たち」 ) 南房総 ( 千葉 ) 太海の海岸 河野多恵子 ( 「蟹」 ) 京都詩仙堂倉橋由美子 ( 「暗い旅」 )

4. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

曾野綾子・倉橋由美子・河野多恵子 - ・一一文学アノレアヾムーー 評伝的解説奥野健男 上曾野綾子 ( 昭和 44 年 ) 中倉橋由美子 ( 昭和 42 年 ) 下河野多恵子 ( 昭和 46 年 )

5. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

の小説を読んで好きだったのであった。わたしは美恵 ムの 一も子という名前で、それはちょうど倉橋由美子の美と、 の 河野多恵子の恵を結んだ名前で、それは小説家の名前 内戦 として極上のものに思えたりして、楽しい時代だった。 倉橋由美子の小説は、いわば〈観念の鉄骨〉がむき出 田 しになったものであり、そこからわたしたちがたとえ ) ス・プランショの「文学空間』のパロディと げんカく 阪装 ーな いった、かなり知的快楽と衒学趣味に近い図式を透き 阪華 見してしまうのは、これは倉橋由美子の最大の光栄の 5 大豪 一つに属しているのだが、彼女の小説の最大の秘密と 魅惑がそれと一致しているわけではなく、むしろわた しには河野多恵子の小説の方が難解に思われた。難解 旅なものこそか読むに足る、と言ったのはプランショだ ーレ ったが、読むに足るもので難解でないものも存在しな わな いだろう。すなわち、作品は本質的に絶対の難解とい ふか う厚い雲におおわれた不滅の城として、わたしたちの 前に存在し、決してその全体をわたしたちの前にあら わすことはないだろう。作品の全体があらわれるのは、 ディティー 良だその細部という指標をたどりつつ、定かならぬ迷路と 奈駅しての作品の中へ入り込んだ者へどういう調子にかや チャンズ 国っ って来る幸運のようなものであろう。 その意味で、わたしにとって河野多恵子と倉橋由美 良を 奈格子の小説は読むに足る作品であり、その難解さの底に

6. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

94 現イ弋日本の文学 文学紀行Ⅱ鶴羽伸子 金井美恵子 評伝的解説Ⅱ奥野健男 監修委員編集委員 伊藤整足立巻一 井上靖奥野男 川端康成尾崎秀樹 三島由紀夫 北杜夫 曾野綾子集 遠来の客たち たまゆら 永遠の牧歌 初めての旅 倉橋由美子集 妖女のように 蠍たち 。、ツンヨン 河野多恵子集 みち潮 思いがけない旅 明くる日 塀の中 劇場 最後の時 子子子 綾美恵 由多 曾倉河 現代日本の文学 箱根芦ノ湖畔箱根ホテル庭園にてくつろぐ曾野綾子氏 50 をク第を心・第三物・、 = , ・ いを 曾野綾子 倉橋由美子集 河野多恵子 京都大仙院の庭園〈大海〉 ( 倉橋由美子集「暗い旅」 ) 第矛を 264 650-1002 言イ・を ISBN4—05-050260-7 C0593 学研 一学研

7. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

曾野綾子集目次 曾野綾子文学紀行 人生にかかわる場所 遠来の客たち : たまゆら : 永遠の牧歌 : 初めての旅 注解 曾野綾子文学アル・ハム 評伝的懈説 倉橋由美子集目次 倉橋由美子文学紀行 幻の土地をもとめて 妖女のように : 蠍たち : 金井美恵子三 0 鶴羽伸子一 ^ : 一八七 紅野敏亠 日高昭一 鶴羽伸子当九 噐九 奥野健男四五 0

8. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

由美子の土佐高校時 代の恩師・小松博行 先生この師から文 学の影響を受けた 真、 , タをで 列年ル賞館 後肪パ長号 和「学 6 と昭学学 同 ( 年大大 一子治治 族美和明明 家由昭で 上中右イ受 に年左上文藝春秋新社刊 ( 昭和三十五年 ) 左中新潮社刊 , 内四 ( 昭和三十六年 ) 左下東都書房刊 ( 昭和三十六年 ) 園和 庭昭 宮 ( 神子 安美 平由 都端 京右 土佐高校時代 ( 昭和 29 年 ) パル豬 倉橋由美子 PARTEI 吉田富士子先生訪問 途中にて ( 昭和 34 年 ) 婚約 倉橋山美 音ン、方長 倉橋山元ア・ ( 撮影田沼武能氏 ) N E T テレビに出演左端が由美子 / 三人目が中山千夏氏 ( 昭和 35 年 )

9. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

スミヤキスト Q の れ第 倉橋由美子 第ー ダ貶 倉橋由美子にとって小説とは自己の内的世界の観念や 思想を言語によって感覚的イメージとして表現するこ ほかならない。見たり感じたり生活したりした外 ク霧」夫学界を描くことではない現実には存在しないものを架 をにの 空世界に表現し創造することである。中村光夫が倉橋 ク繩 の小説を「観念の詩に過ぎす、散文芸術のイロハを間 違えている」と批判したが、人生や現実から発し、そ ュ れを写し描き、人生や現実にもどる通常の小説とは違 う場所に、倉橋の小説は構築されているのだ。作者自 夫 に」じト・うめ・、 上で身、「存在論の核を包みこんでいるある而上学を、 イマー ジュの造型物に転位させることをわらいとした ト見とは読者のなかにひとつの夢を ものです」「私は、 投影するための映写装置であろうと思います」と述べ ている。ばくは倉橋の小説が従来の人生や現実をなぞ それに制約されているリアリてムから決定的に自 由であり、それへの本質的な批判否定であることに、 画期的な意義を見出す。実際、小説 : よ体験や現実や人生 もっとも・目由な一一一口衄表 に縛られる義理など毛頭ない ばの考えに具体的な根拠 現の芸術である。そういうく を与えてくれたのが倉橋由美子の小説であった せいれつ そして「密告」「夏の匁 紅り」など一抃純Ⅲ的な亠Ⅲ例な作ロ叩 はもとより、観念をイメージ化した形而上学的な作品 にも、不思議にいかにも女陸が書いたと田 5 われる濃密 徳間書店よ 右上「蠍たち」 り刊行 ( 昭和四十三年 ) 左 「スミヤキストの冒険」講 談社より刊彳昭和四十四年 ) A ロ u Ⅳー 0 T 目「 A 1

10. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

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