曾野綾子集目次 曾野綾子文学紀行 人生にかかわる場所 遠来の客たち : たまゆら : 永遠の牧歌 : 初めての旅 注解 曾野綾子文学アル・ハム 評伝的懈説 倉橋由美子集目次 倉橋由美子文学紀行 幻の土地をもとめて 妖女のように : 蠍たち : 金井美恵子三 0 鶴羽伸子一 ^ : 一八七 紅野敏亠 日高昭一 鶴羽伸子当九 噐九 奥野健男四五 0
0 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 一 曾野綾子・倉橋由美子・河野多恵子 文学紀行 0 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 8 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 8 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 「 0 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00 一 「遠来の客たち」に登場する箱根権現 を訪わる鶴羽伸子氏 ( 左 ) と曾野綾子氏 高知・桂浜にある坂本龍馬の銅 像前にて取材中の金井美恵子氏
94 現イ弋日本の文学 文学紀行Ⅱ鶴羽伸子 金井美恵子 評伝的解説Ⅱ奥野健男 監修委員編集委員 伊藤整足立巻一 井上靖奥野男 川端康成尾崎秀樹 三島由紀夫 北杜夫 曾野綾子集 遠来の客たち たまゆら 永遠の牧歌 初めての旅 倉橋由美子集 妖女のように 蠍たち 。、ツンヨン 河野多恵子集 みち潮 思いがけない旅 明くる日 塀の中 劇場 最後の時 子子子 綾美恵 由多 曾倉河 現代日本の文学 箱根芦ノ湖畔箱根ホテル庭園にてくつろぐ曾野綾子氏 50 をク第を心・第三物・、 = , ・ いを 曾野綾子 倉橋由美子集 河野多恵子 京都大仙院の庭園〈大海〉 ( 倉橋由美子集「暗い旅」 ) 第矛を 264 650-1002 言イ・を ISBN4—05-050260-7 C0593 学研 一学研
鶴羽伸子 には、度はそれらの地を訪れてみなければなります ゼロメートル地世市を一打く だが日本国内には、それとは別の意味で、曾野綾子 めったにないことですが、作家が、風土の放っ強烈の人生にかかわりを持った土地がいくつかあります。 東京の下町と、箱根と、北陸の金沢です。熱帯の赤土 な印象に触発されて、小説を書く場合があります。 曾野綾子は、北タイのサラメタに建設中の、燃えるや、カリブ海の海の色は彼女に強く語りかけ、その創 ような赤土の道を見たばかりに、三年もの年月をかけ作欲を刺激しましたが、この三つの土地は長い時間を かんまん て千一一百一一十八枚の長篇「無名碑」を書きました。まかけて、もっと緩慢にじわしわと彼女の心に分け入り、 ーリョ独裁下その成長に深くかかわり合っそきました。 た「リオ・グランデ」の構想は、トルヒ むしぶろ 昨年の夏、金沢から出てきた私が蒸風呂のような のドミニカの絵のように美しい風光の下に生れたもの です。一九五六年にアジア財団の招きで東南アジアを東京の街を、汗を流しながら観光バスでせっせと見て まわっておりますと、曾野さんが、「この次に出てきた 旅行してから、曾野綾子はすっかり暑い国のとりこに しさっしんしさフめい ら、観光バスなんかが絶対に行かない正真正銘の東京 なってしまいました。そして、オーストラリアからイ ンドまで、はとんど南アジア全域を歩き回ったのです。の下町を見せてあげる」と言いました。彼女は葛飾の ほんてん 本田に生れたので、下町と言う時、いつもちょっと威 南の国々の何がそんなにまで彼の心を捕えたのか、 ひだ この屈折の多い、興味ある作家の心の襞をさぐるため張ったような声を出します。何でも一尺掘れば水が湧 曾野綾子文学紀行 人生にかかわる場所 かっー ) 物
曾野綾子 文学アルノヾム てワろ子す にキこ綾写 滝 ( 年ぶろ の母凵遊こ 厳和と年 華 , 昭大 郎て ~ 、光治にに燔 を第日英も庭和 右父と上 生後 10 か月ころの綾子 評伝的解説曾野綾子 曾野綾子は、戦後第一番目に文壇に登場した女流新 人作家である。と書くと意外な感じを受ける読者が多 いと思う。たしかに曾野綾子というと現代的な若い夫 人の代表というイメージが強く、戦後彼女より前に何 人もの女流作家が登場していたような気になる。しか し事実は、昭和二十九年曾野綾子が「遠来の客たち」 で文壇にデビューするまで、めばしい女流の新人は戦 後全くと言ってよいほどあらわれなかったのである。 くっした 戦争に敗けて強くなったものは女性と靴下だという ようなしゃれが流行ったように、戦後は女性の活躍し た時代であった。新憲法、新民法下、女性が参政権を 得、女性解放、男女同権いやアメリカのレディファ ふうび スト的思想が風靡し、女代議士、女性闘士、マ マなどが盛んに活躍した。当然文学の世界でも女流作 家の活躍はめざましかったのだが、みんな戦前からの 450
このホテルの創立者は山口仙之助氏で、開 業は明治 11 年 7 月 15 日である。その当時の おもかげは庭園や建物の一部に今もなお残 っている。「遠来の客たち」は終戦後のこ のホテルが舞台になっている。 右庭園にある水車小屋訪れる外国人の 目を楽しませる右中特別室の豪華なっ くりを見学する曾野綾子氏と鶴羽伸子氏。 まるで御殿に来たような感がある右下 中庭にある池とホテルの一部どこを見て もすみすみまでその意匠はこらされている 富士屋ホテル案内 この箱根宮の下の富士屋 ホテルは昭和年川月に 連合国軍に接収され、昭 和四年 6 月に返還された 0 左上階段ーっにもその歴 史の古さと重みがある 左下大食堂の内部天井 には極彩色の高山植物の絵 が描かれていて一興である
曾野綾子・倉橋由美子・河野多恵子 文学紀行 箱根富士屋ホテル 曾野綾子 ( 「遠来の客たち」 ) 南房総 ( 千葉 ) 太海の海岸 河野多恵子 ( 「蟹」 ) 京都詩仙堂倉橋由美子 ( 「暗い旅」 )
曾野綾子・倉橋由美子・河野多恵子 - ・一一文学アノレアヾムーー 評伝的解説奥野健男 上曾野綾子 ( 昭和 44 年 ) 中倉橋由美子 ( 昭和 42 年 ) 下河野多恵子 ( 昭和 46 年 )
右「遠来の客たち」の 舞台になった富士屋ホテ ルにて後列右より 5 人 目が綾子右下日本舞 踊を披露する綾子 ( 昭 和 21 年 ) 下同人雑誌 「新思潮」 6 号「田崎 と鶴代」 7 号「雲海の中 に」 9 号「その前夜」を ( 昭和 27 年 ) 発表 しゅうう であった。芥川賞は吉行淳之介の「驟雨」に決まった 2 が、「遠来の客たち」も受賞作とならんで「文藝春秋」 九月号に掲載された。女流新人を待望していたジャー ナリズムが、昭和生れの若く美しい女流作家の出現を 見逃すはずはなく、たちまち彼女は、芥川賞などを跳 び超えた、華やかな人気作家として迎えられた。そし て小説だけでなく、社会評論、人生評論などにも引張 ありよしさわ・ ) り出され、ついで有吉佐和子が登場するに及び二大オ 女としてタレント扱いされるよ、つになる。ちなみに ' オ 女みという、しばらく忘れられていた日本語が復活し たのも曾野綾子の登場によると言っても過言ではない だろう 曾野綾子自身にとってこのようなタレント扱いはお そらく迷惑なことであっただろうが、致し方ないこと のまひろししいなりん であった。なせなら男性作家で言えば野間宏、椎名麟 やすおかしさフ・ - ろう 三などの第一次戦後派から、安岡章郎などの " 第三 やまかわまさお の新人。を経て、同年代の山川方夫など昭和生れの作 家まで、およそ年齢にして二十年間の女性作家の空白 を、彼女ひとりが背負わなければならなかったのだか ら。曾野綾子はそういう事態を、きわめて聡明に冷静 に忍耐強く、処理し、作家としてつぶされることなく 切り抜け、今日に及んでいる。
中央公論社刊 ( 昭和 36 年 ) ( 昭和 37 年 ) 上「新思潮」同人とともに 前列右端 が綾子後列右より有吉佐和子村上 第、兵衛梶山季之阪田寛夫三浦朱門 ( 昭和 35 年ころ ) の諸氏 ニュージランドにて羊の群れの 左 中で夫とこのときの旅行が、のちに 「永遠の牧歌」を生む ( 昭和 42 年 ) を書、 したこの少女にとってト説を書くということは、 おそらく絵を書くことや手芸することと同じであった のだろう。父は反対であったが、 短歌の素養のあった 母は彼女の小説への才能に期待を抱いたのであろう。 曾野綾子は少女の頃からピアノや絵をけいこするよう にト説をけいこしたとい、つ伝説かささやかれたことか じもく しんぎ あるか、その真偽は別として自分の耳目に触れること をせっせと、優等生的な勤勉さで小説につくって行く 少女の姿を想像するに難くない 昭和一一十六年「ラマンチャ」の作品が臼井吉見に認 むらかみひょっえ さカたひろお みうらしゅもん められ、氏の紹介で村上兵衛、阪田寛夫、三浦朱門ら の第十五次新思潮」の同人となる。独学的にお嬢さん 小説を書いて来た曾野綾子は、はしめて多彩な文 学青年のグループにじかに触れ大きく啓発された。昭 和二十八年大学在学中、同人のひとりの新進作家三浦 朱門と恋愛結婚する。この結婚によって彼女はお嬢さ んから大きく脱皮し、作家への決意をかためる。そし て二十九年「遠来の客たち」で一躍人気作家になる 四 ばくは曾野綾子が新進作家として華々しく迎えられ聟 つつある昭和二十年に、長篇「黎明」を「文学界」に