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検索対象: 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集
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1. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

したけれど、漁船の手配がうまくつかなかったので町でめろやめろとがいいました。わたしは値段をきいてそれ / ート・ランカスタ % の滞在が一日延びたのです。昼すぎ、宿屋の主人と碁を打を買いました。そばかすだらけの、 はだし たんかっしよく ちはじめた氏を残して、わたしたち四人は裸足で港へ泳の胸みたいな淡褐色の魚で、ぶらさげるとぶるぶる動きま ぎに行きました。前の日の子どもたちがまたついてきましした。「、あんたにあげるわ」といって投げると、「いら た。 C がそのひとりをつかまえて、おまえたちも泳がない ない」と叫んでが投げかえしましたので、とわたしは まぶた かといいましたが、子どもは厚い眼瞼の奥で表情のない眼大声をあげて魚を投げあいました、気がついたときには魚 を光らせて然っていました。「こいつら、ことばも通じなはずたずたにひき裂かれていました。とわたしが血だら いぜ、ま 0 たく地だなあ」と C は感心し、 = カリは身をけの手をあげて笑いだすと、と = カリはうちのめされた かがめてわざと舌たらずの幼児語でしきりに話しかけましような顔で、ロをあけてみていました。 * やきだま た。わたしはいきなりひとりの男の子を抱きあげてみまし いよいよその次の朝早く、わたしたちは焼玉エンジンの た。子どもはしばらくわたしの顔をみつめたのち、魔女に漁船に乗りこんで港を出発しました。船は海岸にそって でもおびえたように口をゆがめて涙は一滴も出さずに泣き半島のはてにむかいました。荒い海と断崖はほとんど病的 だしました。わたしたちは海にはいって泳ぎました。子どな興奮を与えるほどでした。荒涼とした、およそどんな風 もたちのあいだからとっぜん大きな赤大があらわれて水に景にも似ていない風景 : : : 船首にいたわたしのところへ赤 跳びこむとわたしたちのほうへ泳いできました。すると子がやってきて、と = カリが船酔いでまいっているとい たた どもたちはいっせいに手を叩き、おなじ形に口をあけて笑うことでした。 いました。 「きみもこの薬を飲んでおいたらどうだ ? 」 ひと泳ぎしたのち、わたしたちは海岸ぞいの通りを歩き「あたしは酔わないから大丈夫よ。海も空も揺れてる : ・ 葦簀張りの店をみつけてラムネを飲んで、それから狭い石あれはなに ? かもめ ? 」 畳の路を通って汚い入江に出ました。貧しい商店が軒を並「うみがらすだろう。どうだ、一発ウインチェスターでも べていました。魚屋の店先では不思議な魚たちが融けた氷ぶつばなしてみないか ? 」 にひたっていました。わたしがそのひとつをつまみあげる わたしは赤からライフルをうけとって狙いをつけまし まゆげ ごうおん くだ と、眉毛のない赤鬼のような男が出てきて、ききとりにくた。引金を引くと轟音とともに空と雲が砕け散り、強い反 い発音で、ここぞとばかりに売りつけにかかりました。や動をうけて息がつまりました。

2. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

いいます。前と比べるとずいぶん神妙になったもんだなそな口実を設けるにおいてをや、です。 あ、ビンタって案外きくんだなあ、とローズさんの傷あと 間もなくタイプをうちおえると、私は一人でさっさと食 までうつむ だらけの顔をみて気をよくしていたら、それ迄俯いて宿泊事に行き、お客様のスープの一部をだしに、油あげと日本 者名簿をしらべていて、坂口さんと私の会話なぞきいてい ねぎをぶちこんだおうどんを、つきあわせの馬鈴薯のサラ から そうにもみえなかった木部さんが、代りに絡んで来ましダにわずかに救われながら、ふうふういって食べ終ると、 こ 0 部屋自体が、そこそうどんの茹釜ではないかと思われる 「ナミコ、あんた順ちゃんとトリツ・フについて行くの ? 」程暑い地下室の従業員食堂をとび出して、クラ・フに、歌の 練習に行きました。 「うん」 「何故行くことにしたのよ」 電気部のタカちゃんという若い職工さんがビアノに向っ 「今朝、頼まれたんだもの」 て待機しており、今朝ちょっと顔を出したきりどこかへ見 えなくなっていた順ちゃんが、 ミカン箱の上にのって、皆 「行くなら、どっちかひとりでいいのに。ここは午後にな ったらお客さんで混むことわかりきっているじゃないの」を周囲に集めています。 「だって順ちゃんは、英語が心細いからって言うのよ」 「戸外で歌うときは、こことよっぱど違ってひびかないか 「それなら、あんた一人で行くっていうものよ」 ら、姿勢をよくして、くれぐれも下をむいて胸をせばめた 「いやよ、私、只いろんな事を説明したり何かするだけなりしないように」 よノ、ト・ら・ らかまわないけど、コカコラやサンドイッチ、車に積みこ彼の声は抑揚が少ないので、後の方まで聞えるかどうか ちょっと んだり、くばったりするのまで、一人じやかなわないもの」わかりません。一寸やすんでから彼は言いたしました。 私は一人で行ったってちっともかまわなかったのです「・ハルコニーからは、それ程頭を上へむけなくても、空が が、 ( それどころではなく、ディオリオ大尉さんが来ると よくみえるから、晴れた晩だったらみんな星をみて歌って いう以上、その方がもっと望ましかったのですが ) 木部さ下さい」 おとな んがいい年をして、大人げもなく順ちゃんと私をやらせた 周囲はまだざわざわしています。 ト 1 シャ・ハン届りの譿 せりふ がらないのを見ると、意地でも一一人、新婚夫婦のように並をくばっているからでしよう。順ちゃんの科白を何人が注 んで車にのってやろうと思うようになりました。ましてや意してきいたか知りませんが、私はちょっと舌うちしたい 木部さんが、案内所が忙がしいからとかなんとか、下手く気になりました。キザだな、と思ったからです。 へた ゆでがま ばれいしょ

3. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

じようさ、 だな き、後の薬棚から錠剤を出して紙に包んでくれながら、 のなりゆきを、理解出来るような気がしたものです。 渓谷に下りる道はつづら折になっていて、その真黒い行「例のだからね、四時間おきにのみなさい」 と言いました。ダイアジンです。 手は激流に吸いこまれそうに不気味でしたが、たまに晴れ ディオリオ大尉さんと私が、ホテルを接収している米軍 た晩、坂の中途からふり返ってみると、不夜城のように大 きくひらけた窓という窓に光をみたしたホテルの、高い三の専属軍医と一人の女子従業員という立場を越えて話し合 あや うようになったのは、このダイアジンが機縁になっていま 層の建物が、妖しい程の鮮やかさと豪華さで、黒い夜の山 す。 肌を背景に私達の頭の上にのしかかっています。 ホテル勤務の軍医さんも一年位で交替しますが、ディオ 「あ、ぎれいよ、うちのホテル。木部さん見て」 リオ大尉さんが来てまもなく、私が最初に風邪をひいて薬 と私は思わず声をあげ、木部さんの背中をつつぎました をもらいに行った時、彼はダイアジンの包を同じように渡 が、彼女はちらりとみて、 してくれながら何気なくこう言ったのです。 「波子はいい気なものねえ。甘ちゃんねえ」 「あんたも他の人のように、この薬をためておいて売るん と言うのです。 私は他人のものだろうが自分のものだろうが、美しいもじゃないだろうね」 ちょっと 他の人とは、主にホールや食堂のポーイさん達で、一寸 のは美しいと言いたいのですが、木部さん式に考えると、 本当にあの華やかさは私の手の届くところにありながら、鼻かぜひいても医務室にとんで行って薬をもらい、それを しよせん 溜めて町のくすり屋へ持って行くのです。それにしても赴 所詮いちばん無縁なものの一つでした。 そんな散歩を幾晩も続けるうちに、とうとう風邪をひき任早々、どうして彼はそんな内情を知っているのでしょ せき ました。夏なのに咳が出ます。気管支がこっそり悪くても ち さして目立ちませんが、咳はお客様に接するのに困るの「私は売りません。けれど場合によったら、売ってもいい ディスペンサリー 客で、五日前の夕方、私は本館の二階にある医務室に、デと思います」 来イオリオ軍医大尉さんから薬を貰おうと思って出むいたの「何故だね ? 」 「何故でも」 子供の答です。暫くしてやっと、 「夏なのに風邪をひいた ? 」 とおかしそうに言いながら、彼は読みかけの雑誌を置「売る人は若い十代の人が主です。おなかがすくん にん しばら ティーン・ユージャス

4. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

のこ んとうに高貴な血は、そのなかに馴しがたい猛獣性をふくとわたしは父が家屋敷や有価証券といっしょに遺した五 % んでいるものなんです。そのとき、氏もいいました。 十三年型のぼろシポレーを乗りまわしていたものです。そ 「きみは変っている、妙にワイルドなところがあるね」 の車は国会へデモにいったとき乗り捨てておいたら、学生 「あたしはとっぜん都会のまんなかに連れだされた野蛮人たちがひっくりかえして火をつけてしまいました。ホ豚の はくしやく なんです」 車はクーラーっきの堂々とした伯爵夫人みたいな・ヘンツで ひとくい 「人喰族の末裔かね」 した。わたしは運転手を帰すと車を走らせてみました。車 「人喰族の娘よ」 って、身ぶるいするほど好きなんです。窓をびったりしめ 「秘書にはむかないかもしれないね。客はみんなきみをみて、右往左往する人間のあいだを走りながら、ゴス。ヘルソ ・こうかん ぜっきよう てからはいってくると、わたしにむかってにやにや笑うんングを歌ったり、強姦されるときの絶叫をやってみたり、 わいせつ だ。とにかくきみは異様にめだっているらしいよ」 とっておきの猥褻なことを大声でしゃべったりできるのが それからホは、急にまじめな顔になりました、わたしすごく気にい 0 てるの、たとえばと淫したいとか : を力いつばい締めつけてキスしようという気をおこしたんのことばはあとで説明しますわ。 しーうしようろろ . - です。なにもそんなに周章狼の軈で下手くそにキスす氏のことをおもいだしたときにはもう一時間近くた 0 ることはないのにとおもいながらわたしが口をそらしてしていました。高速道路を走ってからもとのビルのまえに帰 まったので、赤豚もなにごともおこらなかったような顔をつてみると、ホ豚は追にあった紳士みたいにじだんだ踏 して、「どうだね、今夜いっしょに食事をしないか」とさんでいるところでした。かれはわたしの横に乗りこんでき ちそう さやきました。「ご馳走ならいまがいいわ、ちょうどいまて、社長と父親を半分ずつ混合した調子でわたしを叱った おなかがペこペこなの」とわたしはいいました。ホ豚があので、「叱られるのは大嫌いよ」といってやりました。 んなことをしたので、とたんにおなかがへったみたいでし C と知りあったのはその六本木のレストランでのことで た。そのことを説明すると赤豚は当惑顔で、これから作家した。ホ豚とわたしがテ 1 ・フルについてオールドウ 1 ヴル の氏と会う約東があるといいました。「でも三十分ですを待っていますと、女子学生らしい女の子を連れた男の子 ましてこよう。きみの今日の仕事はもう終りだ、運転手をがはいってきて、「やあ、いたいた」と赤豚に手をあげた さいやく 帰して車のなかで待っていてくれてもいい」 のです。ホは露骨に渋い顔をしました。災厄というべき けしよう もすこ わたしは化粧をなおして外にでました。ごく最近まで、 でしようね。わたしにむかって、「息子だよ」といいまし まっえい なら しか ・こ

5. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

よ」と・ほくはとりあえず弁解しました。 をおそれたわけではありません。腐りやすい死体をはやく 「ほんと ? じゃああんたのお父さんやお母さんもあたしどこかへ運びだすことだけを考えていたのです。保蔵およ いんべい との結婚を認めて、式には出席してくださるのね ? 」 び隠匿の目的にかなう容器としてぼくは肉屋にある大型冷 きげん 子は機嫌をなおしてうなずくと、すぐ裸になり、腕を蔵庫をおもいうかべたりしました。あの女を何日位で食べ さる うよう ひろげてぜんまい仕掛けの猿の人形みたいにぼくを抱擁しられるだろうとも考えてみましたが、あまり実際的な方法 にかかるのでした。い つもならここからさき・ほくはまったとはいえないとおもいかえし、結局海にでも捨てるよりほ りよろ・じよく く無力になって子にいわば凌辱されてしまうのですが、 かないという結論に達したのでした。そこで職業安定所に 今度はそうはいかないぞという気がまえで・ほくは相手にの電話をかけて、腕力の強い雑役夫をひとり頼みますと、早 しかかり、プロレスラーがやるように相手をおさえこん速学生服を着た青年がやってきました。・ほくは近くの喫茶 した で、力いつばい圧迫を加えました。子が口をあけ、舌を店でこの学生と会って仕事の内容を簡単に説明しました。 つば 垂直に立てて叫びたてると、ぼくは彼女の顔を唾の花びら「要するに部屋のなかにあるものを人目につかないように くびし でおおいながら、手では頸を絞め、胴をアイロンのように埋めるか海に捨てるかしてほしいんですよ。もし運ぶのに 動かして、彼女の腹をおしつぶして胎児をしぼりだそうと不便なら品物を分解しても結構です」 夢中になりました。しかし子の抵抗には驚くべきものがすべてはきみの創意にかかっているわけです、と・ほくは ありました。死にながらもできるだけ多くの快楽をむさぼ学生を激励し、アパート へやりました。一時間ほどして、 しんちよく りくおうとしているかのようでした。やがて子は・ほくをおさえがたい期待をもちながら作業の進捗状態をみにいっ けいれん しつかりとくわえこんだまま痙攣し、眼をむいて永遠の眠たのですが、学生はちょうど子の死体と交わっていると ふんぼ からす りにおちました。目のまえには古代の帝王の墳墓みたいにころでした。烏が死肉を啄んでいるようなぐあいでした。 ふきんしん ンもりあがった腹がありました。ところがそれはまえよりも この陰惨で不謹慎なありさまにばくはおもわず逆上し、そ ふく ぐろう いっそう膨れあがっているのです。まるで・ほくを愚弄してういうことはきみの仕事のうちではないとどなりつけると ぼくさっ いるかのようでした。なんという徒労かとおもい、ぼくは同時に後頭部に一撃を加えました。学生はたわいなく撲殺 なぐ 拳をかためて殴りかかったのですが、腹はなぜかゴムのされてしまいました。衛生局の老練な犬殺しでもこうはい あざや 塊よりも硬くなっていました。 くまいとおもわれるほど鮮かでした。しかし死体がニつに 死体の処分には頭を悩ましました。犯行が発覚することふえたことはよろこぶべき結果とはいえません。 279 こぶし かたまり

6. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

「そして、毎年落第しましようか。そうすれば、四カ月ず なことになってしまってねえ。あなた方はまだよかった。 つだけは、家から学校へ通えますから」 ああ、これを拝見しなくちゃ」 「そう。しかし、試験もないですから、落第させてあげる 課長は封筒を取りあげ、正子は、 こともできないなあ。ね、よかったら、来ませんか ? 」 「ちょっとその辺を見てきます」 つな と席を立った。 正子は、結局行かなかった。しかし、隣の部屋とを繋い とびら 階段を昇りながら、正子は二度目のブザーを聞いた。二だ扉へ引き寄せられてゆき、そこで授業に耳をすました。 階のいちばん奥にある教室のあたりだけ、両側の窓が開け英語のテキストを訳しているらしい生徒の声が洩れてく られ、ざわめぎが洩れてくるが、手前の廊下の窓も閉される。っと、それが途ぎれて、はっきりした教授の声に変 たまま静まりかえっており、向うの一握りのざわめきと互った。 きわ そりや、ちょっと に侘しさを際立たせあっていた。正子は廊下を行き、ざわ「″彼女はそれを彼の頭に置いた〃 めいている教室の手前の戸を引いて、いてみた。入り込変ですな」 むと、埃の匂いとむし暑さとが一緒になって襲いかかって皆、笑っている。 くる。彼女は、庭に向いた窓をひとっ開けた。 「″彼女はそれを彼に気づかせた″ですね」 ″リットル・ウイメン″だな、と正子は思った。去年の今 「おう」 ごろ、正子たちもやつばりそれのそこを読んだのだった。 と声がする。 入口に本を手にした教授が立っていた。 正子は、大急ぎで行われた幾つかの短い授業のことを思 こり 「いらっしゃい」 いだしながら、埃だらけの教室を見まわした。そうなの 「お久しぶりです」 だ、ここが自分たち二年生の教室なのだ。が、そこで授業 つきそ 中「ほくも来月はあなた方の附添いです。工場で、また皆さを受けたことは一分もないのであった。朝のブザ 1 にせか せつかく ところで、折角学校へ来られたされながら息を切らせてここへ駈け込んできたことも、答 のんにお目にかかれる。 んだ。ちょっと一緒に読んでゆきませんか ? 」 えられなく赤面したことも、つと授業に魅き入れられ、心 が高みへ運ばれるような気がしたそのときを、ほんのたま 教授は隣の教室の方を指していった。 よろこ えがた さかの得難いひとときだったのだとあとから自覚する歓び 「一年生にしていただけますなら」 を味わったこともないのである。 と正子は答えた。 わび こりにお

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すると、だれも人間にあのようなことができるとは信じんの理由もなかったことを強調したのでした。・ほくの行為 ざんぎやく 四ないだろうとかれはいいました。「それに弁護をすることを残虐だといって非難するのはあたらない、とぼくはいっ がわたしの商売だ。もしあなたがあれをやったとしても、 てやりました。・ほくはただ陽気に殺しただけです。それを わたしはあなたを無罪にしてあげます」 許すべからざる行為だといわせるあなたがたの神はなに 「余計なお世話だ」と・ほくはいいました。「・ほくは死刑にか ? それにたいしてある医師は、自分は神を認めないが なりたいとおもっているんだ」 人間としてきみを告発せざるをえないと主張しました。こ 「やけをおこしてはいけませんな」と弁護士がいいましの医師のいう「人間」とは、かれがかけていたよく光る眼 た。「あんたが死刑を免れる方法は、心神喪失の状態におのようなものにちがいないとおもいます。また、ある医 ちいることだ。つまり気ちがいになってもらう、いや、気師は・ほくの子ども時代のことをじつに詳しくききだそうと ~ 、さり ちがいの真似をしてもらうわけですよ。なにをきかれてもしましたが、・ ほくの行為を理由づけるための鎖を過去のほ わいせつ にたにた笑っていて、ときどき猥褻なことを口走るといい」うからひきずりだしてくるつもりだったのでしよう。・ほく しわ そういってかれは・ほくのまえに皺だらけの掌をだしましがなんの理由もなしに殺したことを根気づよく説明してい げつこう しんちゅう あざや た。不自然なほど鮮かな桃色をしていました。・ほくは怒りますと、ついにこの医師は激昻のあまり真鍮のような歯を に顔を充血させ、その掌に唾を吐いてやりました。すると咬みあわせ、理由がないということで・ほくをはげしく非難 するのでした。いっ 老人は、「そうだ、そんなふうにするんですな」といい、 いどんな理由が欲しいのか ? もっ きっとうまくいくだろうとうけあうのでした。帰ってくれともらしい理由にまみれた殺人ほど割引かれた殺人にな と・ほくはどなりました。 り、そのぶんだけ許されるという考えはがまんできない、 とぼくはいいました。すると医師は、・ほくのことを気ちが やがて裁判は・ほくを必要としないで進行していくように ペんぎてき なりました。これは・ほくが数日にわたって精神鑑定をうけ ぼくはその定義が便宜的であるばかりか、 ひざ ぎまんてき てからのことで、そのとき・ほくは数人の医師と膝をつきあなはだ欺瞞的であることを指摘してやりました。ひょっと わせてーーーもっともこの距離は・ほくの話が長くなるにつれすると、・ほくはそのことをわからせるために「人間」を喰 て長くなり、医者は用心ぶかくガラスの眠でぼくをみるよい殺すことを専門にしている「神」からこの世界に派遣さ うになりましたが ・ほくのしたことを詳細に語り、若干れてきたものかもしれません。だが医師たちはもう返事も の感想をつけくわえ、ぼくには善も悪もないし殺人にはなせずに厚い眼鏡をかけてぼくの脳波を解析したり電気ショ つば か

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152 もはや いたのだ。許されることも最早出来なかった。憎むことも り出す音が聞えた。医者か警察が帰って行くのであろう。 ただきようじゅ 既におそかった。出来ることは、母の死を、只享受するこ 清彦は立ち上った。 とだけである。 「気の毒でしたが、僕にとっては残酷な母親でした」 四十九日すぎに、お骨は分骨して吉岡夫人の末の妹とい それはっきつめた厳しい語調だった。 * みのふさん 「最後の死ぬ時になってまで、まだこうして永久に僕の心う人が、身延山へ持って行ってくれることになった。 * えいたいきよう らくいん に暗い烙印を押して行こうとする。それを思えば、母の受立つ前日に叔母は清彦の家にやって来て、永代経をつけ ておさめてはどうかと提案した。永代経をつけると、毎朝 けた罰は軽すぎる位だ」 しようみよう 「そんなことをおっしやってはいけないわ。お母さまが息必ず誦名してくれるというのである。永代ということの意 をひきとる瞬間に、どんなに寛大な優しい気持になられた味が清彦にはびんとこなかったが、毎朝必ず、生前の住所 までつけて名を呼んでもらえるということは、母にとって かわからないじゃありませんの」 さび 淋しくないだろう、という感じだった。 清彦はちょっと考えた。 「そうですね。とにかく、これが僕の待ちこがれていた母「いっかは、奥の院や、七面山あたりの谷にでも捨ててし さわや の死、という奴なんです。爽かな解放だと思って待ちこがまうんだろうけれど、まあ人間の知恵で出来る限りは手厚 れていたものの、これが現実の姿なんです。でもあなたとく葬ってもらうようにしたらいいじゃないの」 ごんぎよう と叔母は言った。谷といっても、朝夕の勤行がどこから も、これでやらと結婚出来る」 清彦はカなく微笑した。その時、外から清彦を呼ぶ声がか微かに聞えるかもしれない。雲が流れ、霧がひき、紅葉 した。 が散り敷いて、清水が母の小さな骨片を洗うような谷だと しいと思いながら、清彦はそれに賛成した。 たく 彼は叔母に五万円の金を托した。永代のお経料というも す・ヘてはもはや手おくれであった。清彦は母から拒否さのの相場はわからない。足りたらそのように、足りなかっ れた苦しみを充分すぎるほど味わった。母を出来るだけ仕たら、出来る範囲に長くしておいて、そのうちに清彦が手 合わせにみとって見送ってやりたい、とほの・ほのとした思続をしなおしに行く、ということになった。五万円の金が やもあったということが、清彦にはありがたかった。土地を売 いで敬子に話した時から、三時間も経たぬうちに、い うその時には、母は清彦の横面をはるような死に方をしてらなかったら、とても出せない金である。 ばっ すで かす

9. 現代日本の文学50:曾野綾子 倉橋由美子 河野多恵子 集

くぐり戸があくなり、少女は言った。 「そうですか、そうですか。ありがとう」 そでぐち 「ほんとに、よくわざわざと : : : 。すぐ今からお出ですと続けざまに頷き、袖口を眼に当てる。少女は、おばあ さび か ? 」 ちゃんは本当に淋しい人なのだ、自分たちに御ってしまわ お家さんは、既に外出姿の少女たちを見て言った。「あれるのが余程淋しいのだなと思い、母に言われるまでお別 おそ がっていただいて、遅くなってはいけないでしようね」 れに来ることを失念していた自分が、また恥ずかしくなっ まかな こ 0 大家族を賄っていた広い台所が、今では玄関を兼ねてい た。二つの大天窓の下で、幾枚もの揚げ板が長く光り、そ少女の母はいつも、気の毒なお家さんを労っていた。二 とむしろ れに添わせて籐筵が敷いてある。お家さんは自分だけ上に年前、その地方に大風水害があったとき、強風がまた一段 ざふとん あがると、籐筵のはずれに重ねてあった座蒲団を持ってきと吹き募ってくるのを知ると、すぐ店の者に迎えに行かせ ひばち た。芝居へも連れてゆくし、毎日のように訪ねてゆく。お て、上り際に三枚並べ、自分は火の無い箱火鉢の前に坐る。 「よく来てくだすった」 家さんの体の具合がわるいと、自分は仕事以外のつき合い きら あらた に関わることの嫌いな父にまで、 とお家さんは更めて言った。小柄で、色白な人だった。 とんまっしろ 髪は殆ど真白だった。 「お熱はもうないんですけれど、少うしめまいがなさるん ですって。あとで、もう一度行ってみます」 「行ったら、毎日泳ぐの」 と妹が言った。 などと報告した。 「・ほくも。 うき袋、買ってもらった」 夏の夜、少女たちはよく裏庭で母に花火をさせてもらっ と弟が言った。 た。花火やマッチや水の入った・ハケツを分け持って、暗い まゆ お家さんはそのたびに、大きな両の眼を眉まであげて更庭へ出て行くと、 くせ うなず 潮に大きく瞠るいつもの癖をみせて、「そう」と頷いた。少「涼ませていただいています」 としうえ あいさっ と闇の中で静かにお家さんの声がすることがあり、そこ ち女は、この辺で歳上らしい挨拶をしなければと思い み「行っても、遊びにきますし、お手紙だします。おばあちだけぼんやり白く見える。「どうそ、どうぞ」と言いなが あか ゃん、どうそお元気で」 ら、母は先ず離れに入ってゆく。丸窓から射した燈りで見 とういす と一気にやってのけた。・ : , カお家さんには、少女の気負ると、お家さんはいつも持参の子供用の籐椅子に腰かけ て、うちわを手にしているのだった。 いぶりが、真情として伝ったのだろう。 さら やみ つの よほど いたわ

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133 たまゆら と言いながら、森本夫人は皮肉につけ加えた。 って見あげないことには、松の枝や葉はみえない。 「ここんところ、ひとりで身づくろいも出来んようになっ 「弥生さんにも仕度をして、来るように言うて下さい」 とるわ。今、うちのねえやが手伝ってさせとるけど」 という声が遠くにしてやがて、さらりとした黄色つ。ほい よしど 葦戸を開けて、入って来たのは、色の浅黒い男のような体幸子は何も言わなかった。この夫人に向ってその非をな つきをした五十四、五にみえる婦人である。着ている着物じることは、本当はいかに幸子が勝気な娘でも、大が月に 向って吠えるようなものだった。 は、和服を知らぬ敬子には何という生地なのかわからない じようふ が、とにかく生地にむにくいばかりのはりがあっていかに その時、縁側に足音がして、上布の着物に、兵児帯をし めた日本風の顔立ちの男が現われた。それが弥生の夫の振 も上等なものに違いないと思わせられた。それにしては、 しろいけ お白粉気ひとつない、、色気のない顔である。いかり肩の故一郎であった。 ぎんふ めがね もあるが、彼女は何となく長年っとめあげた料理屋の仲居細い銀縁ちの眼鏡をかけ、整ってはいるけれど、比類な のような感じだった。 く退屈な美男子である。彼は話を避けたがっているよう で、幸子に向って、先日金沢へ来たドイツの・ハイオリニス 「小母さん、こちら弥生姉さんのお友達で」 と紹介する幸子に、 トのカウフマンの演奏をきいたかどうかを尋ねた。幸子は 「始めまして、御苦労さん」 きいていなかった。振一郎はそれを弥生と一緒にききに行 * ゆたん えしやく とつやも美しく敷きつめられた油単に手をついて会釈すったのだと話した。 るその指を何気なく見たら、それは、働いて来た人間の指「弥生さんはさとへ行って、何やかや言うとるようやけ である ど、うちじゃ充分すぎるくらい遊ばしとったんや。振一郎 「台風がやんだら暑うなったわ。ほんとなら応接間の方にが、この頃の夫婦はあるじだけが面白いことをしとるのは いかん、共遊びするのがいいのや言うて、私のことは誘わ ルーム・クーラを入れて涼しくしとるのやけど、一週間ば いでも、弥生さんとは映画でもなんでも行っとったわ」 かり前にこわれてしもうて、まだなおしに来てくれんが 母親の方はその好機をのがさずに言った。 ゃ。お暑いでござんしよう」 と最後のところは敬子に向って言う。 「でも姉さん、連れてってもらうのは嬉しいけど、自分の ちょう 「今、弥生さん、着換えしとるで、ちょっと待ってて頂心の中で有難いと思ってる以上に恩をきせられた、って言 ってました」 ・ころ うれ へこおび