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検索対象: 完訳日本の古典 第1巻 古事記
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1. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

みことふとたまのみこと あめかぐやままをしか 命・布刀玉命を召して、天の香山の真男鹿の肩を内抜きに抜きて、天の三フトタマは勾玉。忌 ( 斎 ) 部氏の祖神。 一三ウッは全くの意。丸抜きにする意。 かにわぎくら うらなニ四 香山の天のははか〔木の名〕を取りて、占合ひまかなはしめて、天の香山 = 三ハハ力は樺桜の古名。この皮で鹿の肩 骨を焼き、そのひび割れで吉凶を占った。 いほっまさかき まがたま 一西マカナフは準備する意。 さかき たましろ の五百津真賢木を根こじにこじて、上枝に八尺の勾聰の五百津の御すま 一宝楙は神霊の依りつく霊代の常緑樹。 ニセ やたのかがみ なかっえやあたのかがみ しづえ しらにきて あをに 実神代紀に「八咫鏡」。アタ ( 咫 ) は周制の るの玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取り繋け、下枝には白丹寸手・青丹 八寸 ( 一一一 ) 。「八」は聖数。 ニ ^ みてぐら 毛楮製の白い幣と麻製の青い幣。ニキ 寸手を取り垂でて、此の種々の物は、布刀玉命ふと御幣と取り持ちて、 テは神に供える幣。 三 0 ニ ^ フト ( 太 ) は美称。ミテクラは神前に供 ニ九のりとごとほ あめのたぢからをのかみ わきかく 天児屋命ふと詔一尸言疇き白して、天手カ男神戸の掖に隠り立ちて、天宇える幣物。 のりと ニ九ノリトゴトは祝詞と同じで、祭儀で神 ずめのみこと ひかげたすきか まさきかづらし 受売命、天の香山の天の日影を手次に繋けて、天の真析を縵と為て、天前に奏することば。 三 0 手のカの強い男神の意。 三五 の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の石屋一尸にうけを伏せて蹈みとどろ三一神代紀に「天鈿女命」とある、ウズは髪 三六 飾りの意か。髪飾りをした巫女の神。 かむがか むなちか もひも こし、神懸り為て、胸乳を掛き出で裳緒をほとに忍し垂れき。爾に高天 = = ヒカゲノカヅラ ( 日陰蔓 ) の略。 三三マサキノカヅラ ( 真拆葛 ) の略。前者と とよ ともわら ともに多年生の蔓性植物。 かぐらとり 原動みて八百万の神共に咲ひき。 三四歌舞する時に手に持つもの。神楽の採 もの あや おも 物をいう。 是に天照大御神怪しと以為ほして、天の石屋戸を細めに開きて内より 三五ヲケ ( 桶 ) に同じ。 、一もま あ あまはらおのづかくら 上の 三六神が霊媒者に乗り移ること。 告りたまはく、「吾が隠り坐すに因りて天の原自ら闇く、亦葦原中国も おも なにゆゑ 皆闇からむと以為ふを、何の由以にか天宇受売は楽を為、亦八百万の神毛歌舞をすること。 し っ 三四 たぐさゆ まを くさぐ一 ほっえ か あそびし うつぬ 三セ 三三 また あめのう

2. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

いざなきのおほかみの あ 是を以ちて伊耶那伎大神詔りたまはく、「吾はいな一特に「大神 [ としたのは、天照大御神の 祖神として特に尊んだため。 〔六〕伊耶那岐命の禊祓 きたな いた かれあ しこめしこめき穢き国に到りて在りけり。故、吾はニイナは否の感動詞。シコメシコメキは 旨ロ 形容詞の「醜めし」を繰り返したもの。 四 みそそ みみみそぎせ つくしひむかたちばなをどあはきはら 三「身濯ぎ」の約か。 事御身の禊為む」とのりたまひて、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到 四この伝承地には宮崎市山崎町養母の江 古 みそはら 田神社の地域、福岡県糟屋郡の立花山周辺 あおきかしわみぞ り坐して、禊ぎ祓へたまひき。 の海岸などがある。アハキは青木・柏・溝 はぎ みつゑ つきたっふなとのかみ 萩などの説がある。 故、投げ棄つる御杖に成れる神の名は、衝立船戸神。次に投げ棄つる 五以下、装身具の投棄は黄泉国の穢れを みおび みちのながちはのかみ 祓い、禊するため全裸になる過程を示す。 御帯に成れる神の名は、道之長乳歯神。次に投げ棄つる御嚢に成れる神〈杖を突き立て、ここから先に来るな、 の意。フナトは「経勿所」で「来勿所」と同じ。 わづらひの の名は、時量師神。次に投げ棄つる御衣に成れる神の名は、和豆良比能セ神代紀に「長道磐神」とある。 ^ 袋を解いて食料など量る意の神か。 うしのかみ ちまたのかみ 宇斯能神。次に投げ棄つる御褌に成れる神の名は、道俣神。次に投げ棄九神代紀に「煩神」とある。ウシは主。 はかま 一 0 男子用の股の割れた袴。 みかがふり あきぐひのうしのかみ つる御冠に成れる神の名は、飽咋之宇斯能神。次に投げ棄つる左の御手 = 二股の分れ道をつかさどる神。 三カガフルの名詞形。かぶりもの。 たまき おきぎかるのかみ おきつなぎさびこのかみ 一三罪穢れを口をあけて食う神の意。 の手纏に成れる神の名は、奥疎神、次に奥津那芸佐毘古神、次に奥津甲 一四手首に巻く装飾具の腕輪。 一八 ひべらのかみ みぎり へざかるのかみ 一五沖へ遠ざかる所をつかさどる神の意。 斐弁羅神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成れる神の名は、辺疎神、 一六沖からの波の寄せる所を支配する男神。 へつなぎさびこのかみ へつかひべらのかみ 宅沖と渚の中間を支配する神。カヒは やまかひ 次に辺津那芸佐毘古神、次に辺津甲斐弁羅神。 「山峡」のカヒ ( 間 ) 、・ヘは辺、ラは接尾語。 くだり までとをまりふたはしら 天以下三神は奥疎神以下三神のオキをへ 右の件の船一尸神より以下、辺津甲斐弁羅神以前十二神は、身に著 ( 辺 ) に言い換えたもの。 ( 現代語訳一一三九ハー ) ま 五 ときはかしのかみ は 0 か ま みけし みふくろ おきっか

3. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

つくだあ 上 ( 現代語訳二四三ハー ) なかつみや たきつひめのみこと へつみや 寸島比売命は胸形の中津宮に坐す。次に田寸津比売命は胸形の辺津宮に島に、「辺津宮」は同郡玄海町田島にある。 三宮のうち、辺津宮が本社になっている。 ーも むなかたのきみら みまへおほかみ 、ヒ沖ノ島は「海の正倉院」と称され、古来、こ 坐す。此の三柱の神は、胸形君等の以ちいつく三前の大神なり。故止 の神に献上された宝玉・祭具などが多く出 あ あめのほひのみこと たけひらとりのみこと いづものくにの土してしる あずみ の後に生れし五柱の子の中に、天菩比命の子、建比良鳥命〔此は出雲国 = 安曇氏と並んで北九州沿岸に活躍した かばね 、じむのくにのみやっこっしまのあがたのあたひとほっ みやっこむぎし 9 くにのみやっこかみつうなかみのくにのみやっこしもつうなかみのくにのみやっこし 海人族の宰領。「君」は姓の名。国郡の制が 造・无耶志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・津島県直・遠 しかれると、代々宗像神社の神主となり、 あふみのくにのみやっこ おや おふしかふちのくにのみやっこめかたべのゆゑのむらじきの 宗像郡の郡司をも兼ねた。 江国造等の祖なり〕。次に天津日子根命は〔凡川内国造・額田部湯坐連・木 三心身を清め、謹んで聖なるものに仕え る意。 くにのみやっこやまとのたなかのあたひやましろのくにのみやっこまくたのくこのみやっこみちのしりのきへのくにのみやっこすはうのくにのみやっこやまとのあむ 国造・倭田中直・山代国造・馬来田造・道尻岐閇国造・周芳国造・倭淹一三「前」は神を数えることば。 あめのひなとりのみこと 一四『出雲国造神賀詞』には「天夷鳥命」と 知造・高市し・生寸・ = 一枝部造等が祖なり〕。 見える。 あ ここはやすさのをのみことあまてらすおほみかみまを 爾に速須佐之男命、天照大御神に白さく、「我が心 〔三〕須佐之男命の勝さ あか ゅゑ たわやめ び 清く明きが故に、我が生める子は手弱女を得つ。此一 = かよわい女。タヲャメに同じ。神代紀 では素戔嗚尊が男神を得たのを勝ちとして まを まを おのづかあれ かち れに因りて言さば、自ら我勝ちぬ」と云して、勝さびに、天照大御神の 一六勝ちに乗じて、勝者らしく振舞うこと。 一九 はな そみぞう また おほにへきこめとのくそ 宅作する田。ックルは耕作するの意。 営田の阿を離ち、其の溝を埋め、亦其の大嘗を聞し看す殿に屎まり散ら 一 ^ 畔。畔を壊したり溝を埋めたりするの かれしかす の は農耕妨害。 しき。故、然為れども天照大御神はとがめずて告りたまはく、「屎如す 一九新穀を神に供え、自らも食べる祭儀。 にいなめまつり ゑ 新嘗祭。ニへは新稲の意。 みことかくし また は酔ひて吐き散らすとこそ我がなせの命如此為つらめ。又田の阿を離ち ・よ あ な

4. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

353 解説 この序文の内容は三段に分けられる。第一段は造化参神とイザナキ・イザナミ両神の国生み・神生みから 始り、天孫降臨に至るまでの神代の事績、さらに神武・崇神・成務・仁徳・允恭の諸帝の事績を回顧し、歴 かむが 代の政治・道徳が「古を稽へて : : : 今に照」すという方針のもとに正されてきたと述べている。 じんしん えいまし 第二段は天武天皇が壬申の乱 ( 六七一 D を平定し即位した英邁な天皇であり、諸家の伝え持っている「帝紀」 - 一うキ ) と「旧辞」が真実でなくなっているのを憂慮し、両者は「邦家の経緯、王化の鴻基」であるとして、その撰 とねりひえだのあれ 録を企てた。それで当時二十八歳の博覧強記の舎人、稗田阿礼に命じて帝紀と旧辞を「誦習」させたが、天 皇の崩御というような事情があって、この事業は完成するに至らなかった。この段は『古事記』の成立と性 格を知る上で、重要な問題を提供している。 この帝紀は別に「帝皇の日継」とも言い替えているが、その意味・内容は旧辞とともに本文の脚注に譲る として、ここでは両者の形態を考えてみたい。それは両者の形態が文字で記載されたものか、それとも口か ら耳へと次々に伝誦されたものかということである。朝廷の撰史事業をみると、前述した推古紀二十八年 そがのうまこ ( 六一一 0 ) に聖徳太子と蘇我馬子が協力して「天皇記及び国記 : : : 」を録すとある。また天武紀十年 ( 六八一 l) に川 おさかべ 嶋皇子・忍壁皇子以下の人々に命じて「帝紀及び上古の諸事」を記定させたとある。この「録す」「記定す」 という文字面から推測しても、また漢文漢字による記録技術とその文化が朝廷の史局にかなり浸透していた 推古・白鳳時代であることを考慮しても、この序の帝紀と旧辞の形態は記載物であったと考えられる。 これについては研究者の中には異論もある。それは天武天皇が舎人の稗田阿礼に命じて帝紀と旧辞を「誦 習」させたということに密接に関連している。しかもこの阿礼とその誦習の解釈如何によっては、『古事記』 の成立とその基層に対する認識に大きな差違を生じることになる。

5. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

また、一こ しカ もゆゑ 一海神の宮。 なる歎為たまひっ』と云ひき。若し由有りや。亦此間に到りし由は奈 ニハタルは物をよこせと責める意。この つぶさ いろせう つりばりはた 何」といひき。爾に其の大神に、備に其の兄の失せにし鉤を罰りし状の意味の語としては「罰」よりも「徴」のほうが 1 三ロ 適当である。 はたひろものはたさもの ・も ことごとはたのひろものさもの つど わた 三「鰭の広物、鰭の狭物」 ( 七三ハー六行目 ) 事如く語りたまひき。是を以ちて海の神、悉に海之大小魚を召し集へて と同じ。ウミノトホシロクチヒサキウヲと かれもろもろ 訓む説もある。 ふな ひて日はく、「若し此の鉤を取れる魚有りや」といひき。故、諸の魚ど 四「鰤ーは「鮒」に同じ。「海鰤魚」は海の鮒 四 まを うれ このごろた の意で、今日の黒鯛をさす。「赤」の字を冠 も白さく、「頃者赤海鰤魚、喉に鱇ありて、物得食はずと愁へ言へり。 してタヒ・アカダヒとも訓める。神代紀に あかめ 「赤女」とあって、その注に「鯛魚の名なり」 故、必ず是れ取りつらむ」とまをしき。是に赤海鰤魚の喉を探れば、鉤とある。 五ノミドは物を飲み込むところの義で、 わたつみの ほをりのみことたてまっ すなは 有り。即ち取り出でて清め洗ひて、火遠理命に奉りし時、其の綿津見喉のこと。 六喉にささった魚の骨、とげの意。 いろせ おほかみをし 大神誨へて日はく、「此の鉤を以ちて其の兄に給はむ時、言りたまはむセ以下は呪詞である。 ^ オポは心がばんやりする意。これを持 まぢち しりへで 状は『此の鉤は、おば鉤・すす鉤・貧鉤・うる鉤』と云ひて、後手につと心がばんやりしてしまう釣針。 九ススは「進む」と同じ語幹で、あわてて たかた いましみことしもた しか 事がうまく運ばない意の呪詛である。 賜へ。然して其の兄高田を作らば、汝命は下田を営りたまへ。其の兄下 一 0 貧しくなる釣針の意。 しか あれ ゅゑ = ウルは愚かの意。 田を作らば、汝命は高田を営りたまへ。然為たまはば、吾水を掌れる故 三呪術の効果を自身に及ばさないための 呪術。↓二八ハー注一五。 、三年の間に必ず其の兄貧窮しくなりなむ。若し其れ然為たまふ事を 一三高い所にある田。アゲタとも訓める。 水田の記述が見えるのは、兄弟の神名が示 恨怨みて攻め戦はば、塩盈珠を出して溺らし、若し其れ愁へ請はば、塩す稲穂の霊格と関連がある。 さま なげきし ここ しほみったまいだ ひ 五 六 のみどのぎ う おば いた の し さま ほ ^ たひ

6. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

77 上巻 〔ニ〕海宮訪問 ま し 九ハタルは、無理に請求する、物をよこ 遂に海に失ひっーとのりたまひき。然れども其の兄強ひて乞ひ徴りき。 せと責める意。 みはかしとっかつる 故、其の弟御佩の十拳剣を破りて、五百鉧を作りて、償ひたまへども取一 0 長剣。ッカは、物を手で握ったときの 幅。タチは刀剣の総称で、のちに片刃のタ ちはり チをもいう。ツルギは両刃のタチ。 らず。亦一千鉤を作りて償ひたまへども受けずて、「猶其の正本の鉤を = 以前のもの、本来のもの。「正本」の文 字は仏教語。あとは単に「本」とある。 得む」と云ひき。 うみへ 三シホは潮、ツは「の」と同義の助詞、チ 是に其の弟泣き患へて海辺に居ましし時、塩椎神来 は威霊を表す語で、海の潮をつかさどる神。 あまつひこ 一三天津日高 ( ↓六九ハー注 = 九 ) の太子に当る いかにそらつひこ て問ひて日はく、「何ぞ虚空津日高の泣き患へたま者をいう。 あれいろせつりばりか ふ所由は」といへば、答へて言りたまはく、「我、兄と鉤を易へて、其 ゅゑ まな 一四マナシは「目無し」、カツマは竹籠で、 の鉤を失ひつ。是に其の鉤を乞ふ故に、多くの鉤を償へども受けずて、 カタマ・カタミともいう。固く編んですき まなしかたま なほ まのない竹籠の意。神代紀には「無目籠と 『猶其の本の鉤を得む』と云ふ。故、泣き患へるそ」とのりたまひき。 ある。 あれいましみことためよ はかり・オよ すなはまなしかっ 三よい海路、よい潮路の意。 うろこ 爾に塩椎神、「我、汝命の為に善き議を作さむ」と云ひて、即ち无間勝 一六宮殿が魚鱗のように並び建っている壮 をぶね あれ 大な有様をいう。イロコはウロコの古形。 間の小船を造り、其の船に載せて教へて日はく、「我、其の船を押し流 宅海の神。この海宮訪問型の話は浦島伝 ややしまい うまみち すなは 説によく似ているが、近くは南西諸島・朝 さば、差暫し往でませ。味し御路有らむ。乃ち其の道に乗りて往でまさ 鮮、遠くは中国の東南部、インドネシアな どにわたって広く分布している。南方の海 ごと みや わたつみのかみ みかどいた ば、魚鱗の如造れる宮室、其れ綿津見神の宮そ。其の神の御門に到りま洋性の香り高い説話である。 いろこ もと の かれ うれ ゐ つくの なほ しほっちのかみ はた

7. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

三追放する意のヤラフに受身の助動詞ュ の連用形工が接続したもの。 かわせんつうぎん 一三肥河は今の斐伊川。船通山に源を発し し・んじ・一 じんギ、い・一 宍道湖に注ぐ。かっては神西湖に注いでい ひかわ た。簸川平野を造成した出雲最大の「母な 須佐之男命の大蛇退治 る川」である。 一四島根県仁多郡横田町大呂付近 ( もと鳥 かれやら いづものくにひかはかみ 上村 ) 。古来砂鉄の産地として有名。須佐 故、避追はえて、出雲国の肥の河上、名は鳥髪とい 之男命がここに天降りしたのは鉄山および 〔こ八俣の大蛇 ところくだ ふ地に降りましき。此の時、箸其の河より流れ下り鉄の文化との関係を示すか。 一五流れて来た箸によって上流に人里のあ かくれざと ここすさのをのみこと おも まのばゅ るのを知るのは隠里説話の一類型。 き。是に須佐之男命、人其の河上に有りと以為ほして、尋ね覓ぎ上り往 一六高天原系統の神を「天っ神」というのに 巻 あ おきなおみな をとめ 対して、地上系統の神をいう。 きたまへば、老夫と老女と二人在りて、童女を中に置きて泣けり。爾に 宅山の神。この神はほかに二回見えるが、 まを あ 固有名詞の同一神ではあるまい し亠いましたちた 「汝等は誰そ」と問ひ賜ひき。故、其の老夫答へて言さく、「僕は国っ神 一 ^ この両神は、神代紀には「脚摩乳」「手 あ め 摩乳」とある。ナヅは「撫づ」、チは威霊で、 4 おほやまつみのかみ あしなづち 大山津見神の子なり。僕が名は足名椎と謂ひ、妻が名は手名椎と謂ひ、 手足を愛撫することからの命名か。 うかが けがし たてまっ おほげつひめのかみ を立ち伺ひて、穢汗為て奉進ると、及ぢ其の大宜津比売神を殺しき。故、 な かしらかひこ いなだね 殺さえし神の身に生れる物は、頭に蚕生り、二つの目に稲種生り、二つ あづき ほとむギ、 の耳に粟生り、鼻に小豆生り、陰に麦生り、尻に大豆生りき。故、是に かむむすひ みおやのみことこ 神産巣日の御祖命、炫れを取らしめて種と成したまひき。 あは な はしそ てなづち とりかみ かれ たとある。 一一須佐之男命を始祖とする出雲系の神話 には、神産巣日神が祖神として現れるが、 これは天照大御神を始祖とする天孫系神話 たかみむすひのかみ に、高御産巣日神を最高の司令神とするの と対をなす。 ひ

8. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

49 上巻 はめ込む楔。木攻めの殺人法である。 に八十神覓ぎ追ひ臻りて、矢刺し乞ふ時、木の俣より漏き逃がして云り 一一紀伊国。今の和歌山県。木材を多く産 すさのをのみこといま ねのかたすくにまゐむか おほかみ たまはく、「須佐能男命の坐せる根堅州国に参向ふべし。必ず其の大神するので「木国」という。 三家屋の神。ただし、神代紀の一書によ すさのおのみこと いたけるのかみ レカ かれの みことまにますさのをの ると、素戔嗚尊の子の五十猛神と同神で 議りたまひなむ」とのりたまひき。故、詔りたまひし命の随に須佐之男 木の神とある。この物語が突然に紀伊国に みことみもとまゐいた むすめすせりびめ まぐあひし 飛躍したのは、前の木攻めから「木国」の木 命の御所に参到れば、其の女須勢理毘売出で見て、目合為て相婚ひたま の神を連想したものと解される。 かたたが まを いとうるは 三タガフには禍いを避ける「方違へ」の意 ひて、還り入りて、其の父に白して言はく、「甚麗しき神来ましつ」と が含まれているか。悪い方角を避けての意。 おおなむじのかみ あしはらしこをのみこと 一四弓に矢をつがえて大穴牟遅神を渡すよ まをしき。爾に其の大神出で見て告りたまはく、「此は葦原色許男命と うに要求する意。 一五ククは、くぐる、間を抜け出る意。 よ へみむろね 謂ふぞ」とのりたまひて、即ち喚び入れて、其の蛇の室に寝しめたまひ一六地底の片隅の国。↓三三ハー注一六。 宅スセリは進む意で、この女神のほうか き。是に其の妻須勢理毘売命、蛇のひれを其の夫に授けて云はく、「其ら進んで求婚したための名か。 一〈目を見給すこと。↓一一一注一 = 。 一九ヘミは蛇の古語。ムロは部屋をいうが、 の蛇咋はむには、此のひれを三たび挙りて打ちひたまへ」といひき。 ここは自然の洞などであろう。 をしへごと おのづか たひら ニ 0 ヒレ ( 領巾 ) は女性が肩にかけた薄布。 故、教の如せしかば、蛇自ら静まりき。故、平けく寝ねて出でたまひ 災禍を祓う呪力をもっ布と考えられた。 むかで ニ一ヒレ ( 領巾 ) を三度振るのは、蛇の禍を き。亦来る日の夜は、呉公と蜂との室に入れたまひしを、亦呉公・蜂の 祓い退けるための呪術である。 なりかぶらおほの ひれを授けて、先の如教へき。故、平けく出でたまひき。亦鳴鏑を大野 一三木や鹿の角で、矢じりを蕪の根の形に 作り、中をくり抜いて、風を切って飛ぶと の中に射入れて、其の矢を採らしめたまひき。故、其の野に入りましし きに鳴るようにした矢。響矢ともいう。 かへ ま つま やさ ニ 0 また なりや かぶら

9. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

ほのいかづち まひし時、うじたかれころろきて、頭には大雷居り、胸には火雷居り、一ウジは蛆、タカルは集る、コロロクは ころころと鳴る意。 五 四 わかいかづち くろいかづち さくいかづち みぎり 腹には黒雷居り、会には析雷居り、左の手には若雷居り、右の手に = オホ ( 大 ) は後の「若雷」のワカに対す。 1 三ロ 三稲妻をさすか。 事は土雷居り、左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、井せて八 0 黒い雷雲をさすか。 五物を裂く落雷をさす。女陰の形から連 いかづちがみ 想したもの。 の雷神成り居りき。 六土をも裂くほどの威力のある落雷か まを みかしこ セ雷鳴をさす。 是に伊耶那岐命見畏みて逃げ還ります時、其の妹伊耶那美命言さく、 ^ 人を地に伏せさせるほどの落雷か 九神代紀に「泉津醜女」とある。シコは忌 あ はぢ すなは九 「吾に辱見せつ」とまをして、即ちよもっしこめを遣はして追はしめき。避すべき意、メは女、死の穢れの擬人化。 一 0 カヅラは植物の蔓に玉など通して髪飾 ・つ くろみかづら すなはえびかづらみな りにしたもの。魔よけに用いられた。 爾に伊耶那岐命、黒御縵を取りて投げ棄つれば、乃ち蒲の子生りき。 = 山ぶどうの実。カヅラ ( 蔓草 ) からの類 ひりは なほ また 是を撫ひ食む間に逃げ行くを猶追ひしかば、亦其の右の御みづらに刺せ似呪術による。 一ニ神聖な爪形の櫛。櫛は竹製のもの。 たかむな るゆっつま櫛を引き闕きて投げ棄つれば、乃ち笋生りき。是を抜き食一三竹の子。竹製の櫛からの類似呪術。 一四黄泉国の悪霊を擬人化したもの。 よもついくさそ またのち やくさ 一五フクは「振る」の古語。この動作は呪術 む間に逃げ行きき。且後には、其の八の雷神に千五百の黄泉軍を副へて の効果を自身に及ばさないための呪術。 みはか とっかつるぎ しりへで 一六ヒラは崖の意か。サカは境。現世から 追はしめき。爾に御佩せる十拳剣を抜きて、後手にふきつつ逃げ来るを、 地下の黄泉国に通じる崖道の意。「坂本」は よもつひらさかきかもレ」 坂の麓。 猶追ひて黄泉比良坂の坂本に到りし時、其の坂本に在る桃の子三箇を取 宅中国では桃は邪鬼を祓う威力があると ばなし 信じられた。その影響によるか。昔噺「桃 こと ) と みの りて待ち撃てば、悉に逃げ返りき。爾に伊耶那岐命、其の桃の子に告り太郎」も桃の信仰が説話化されたもの。 8 、つ かへ かしらおほいかづちを ち つか あ 一七みみつ

10. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

69 上巻 め 鱸さわさわに控き依せ騰げて打竹のとををとををに天のんで発火させる法。 ほんだわらあおさ 一六海草の名。馬尾藻か石蓴かという。 まなぐひ 宅以下は出雲国造家に伝わった鑽火・献 真魚咋献る 饌の寿詞らしい たけみかづちのかみ 、一とむやは 天長いことの形容。ッカは指四本の幅。 はえなわ といひき。故、建御雷神返り参上りて、葦原中国を言向け和平しつる 一九楮の皮の繊維で作った縄。延縄漁か。 おひれ すずき さまかへり′ ) とまを ニ 0 ロの大きく尾鰭のみごとな鱸。 状を復奏したまひき。 ニ一縄を大勢で騒がしく引く時の擬態語。 すのこ 一三竹の簀子が、重さでたわむ形容。 ニ三マは美称。ナグヒは魚の料理。 ニ四高御産巣日神の別名。 一宝仰せで、おことばで。 天孫邇々芸命 ニ六日継の御子。毛↓三六ハー注一。 夭天地の間にある国。↓二九ハー注一八。 あめにぎしくこにし ニ五 ニ六 ニ七 ニ九神代紀の一書に「天饒石国饒石天津彦 ここあまてらすおほみかみたかぎのかみみことも ひつぎのみこまさかつあ 爾に天照大御神・高木神の命以ちて、太子正勝吾火瓊々杵尊」とある。アメとクニは対の美 〔一〕邇々芸命の出生と 称。ニギシは繁栄するさまの形状言。「天 かっかちはやひあめのおしほみみのみことの あしはらのなかっ 降臨の神勅 勝々速日天忍穂耳命に詔りたまはく、「今、葦原中津日高日子」は天照大御神の嫡流の日継の 御子に用いる尊称。「日高」はヒコ ( 男性 ) と くにたひらを かれことよ くだま 国を平げ訖へぬと白せり。故、言依さし賜ひし随に、降り坐して知らし訓む。ホノニニギは稲穂が豊かに実る意。 父の忍穂耳命と同じく稲穂の豊饒霊を意味 する神。初めに天忍穂耳命が天降りするこ 看せ」とのりたまひき。爾に其の太子正勝吾勝々速日天忍穂耳命答へて とになるが、その準備中に邇々芸命が生れ くだ よそひ あひだ うまい たので、父に代ってこの邇々芸命に降臨の 白したまはく、「僕は降らむと装束しつる間に、子生れ出でぬ。名は天 神勅が下りる。父を子に代えるのは、天降 にぎしくににぎしあまつひこひこほのに にぎのみこと りする神は新生して祖霊を継承するという 邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇々芸命そ。此の子を降すべし」とま宗教観念の現れである。 あ まを ひょ まゐのば あ さきたけ ニ九 あめ