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検索対象: 完訳日本の古典 第1巻 古事記
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1. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

この地方の古代農耕生活を支配する太陽祭祀の行われた大社 ( 水谷慶一『知られざる古代』 z 出版協会 ) で、 、一 - もり 本殿の裏の森の中には古代祭祀の遺跡が保存されている。また、多神社の南隣に同社の若宮である小杜神社 があって、ここに安万侶が祭られている。なお多神社の東南 ( 西新堂町付近 ) の地には、安万侶の住居跡や 墓の伝承地もある。これらのことから、おそらく安万侶は幼少からこの神社の祭祀生活を経験したであろう と推測される。このことは彼が漢学者であるとともに、一方では神事祭祀とその伝承に通暁していたという 事由になると思う。巫女的人物である誦習者の阿礼の次に、撰録者として彼が選任されたのは、『古事記』 の内容と性格を大きく方向づけていると思われる。 四『古事記』の内容と構成 この書の「序」の終りに記されているように、本書は上・中・下の三巻から成る。上巻は神代の物語、す なわち神話を収めている。『古事記』といえば多く人々は、すぐに神話を思い浮べるほどに、この神話は本 書を代表する物語といえよう。 あめのみなかめしのかみ うがやふきあえずのみこと この上巻は天之御中主神に始って神武天皇の父神、鵜草葺不合命に至る。この間の神統譜は初めに万物を いずも 創成する神々、天皇の祖神に当る神々を配置し、その傍らに古代の諸氏族を代表する意図をこめた出雲系の はやと 解神々や九州の隼人系の神々を対置して、次ページの図①のように構想されている。 この神統譜の体系の各所に、それぞれの神に関係のある説話や歌謡が取り入れられ、神話として肉付けさ れている。これらの神話の中で、天皇の神権統治の根源を示す重要な神話を図示すると、次ページの図②の

2. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

あまてらすおほみかみたかぎのかみみこと 「天照大御神・高木神の命以ちて、問ひに使はせり。汝のうしはける葦一ウシは「主人」、ハクは「佩く」意で、あ るじとして持つ意。領有する。 ・一と・よ かれいまし はらのなかっくにわみこ 原中国は、我が御子の知らす国ぞ、と言依さし賜ひき。故、汝の心は = シラスは「知る」の尊敬語で、お治めに 旨ロ なる意。↓三一一ハー注七。 事奈何」とのりたまひき。爾に答へて白さく、「僕は得白さじ。我が子八 = 託宣の神。↓五六注一。ャ〈は幾重 にも栄える意の美称。 わぎ 五 - つり 四 さきゅ とりのあそびすなどりす へことしろぬしのかみこ 四神代紀には「釣魚するを以て楽とす。 とりのあそび 重言代主神、是れ白すべし。然るに鳥遊・取魚為とて、御大の前に往き 或は日はく遊鳥するを楽とす」、同書の一 とりのあそび あめのとりふねのかみつか やヘこと 書には「事代主、射鳥遨遊して」とある。弓 て、未だ還り来ず」とまをしき。故、爾に天鳥船神を遣はして、八重事 で鳥を射たり、魚を釣ったりすること。 五美保の岬。↓五七ハー注七。 しろめしのかみめ やヘあをふしがき 代主神を徴し来て、問ひ賜ひし時、其の父の大神に語りて言はく、 六神代紀に「海中に八重蒼柴籬を造りて、 ふなのヘ 船枻を蹈みて避りぬ」とある。「逆手」は、 すなは あま かしこ 「恐し。此の国は天っ神の御子に立奉らむ」といひて、即ち其の船を蹈人を呪う時にする手の打ち方。「青柴垣」は ひもろ 六 青葉の柴の垣、つまり神籬である。天の逆 かく あまさかて あをふしがき かたぶ 手を打ち、船を青柴垣に変えて、その中に み傾けて、天の逆手を青柴垣に打ち成して隠りき。 隠れたという意。言代主神を祭る美保神社 かれここそおほくにめしのかみ 故、爾に其の大国主神に問ひたまはく、「今汝の子では、毎年四月七日に「青柴垣の神事」を行 , つ。 〔建御名方神の服従 また ことしろめしのかみかくまををは セ大国主神の系譜にも、『出雲国風土記』 事代主神、如此白し訖りぬ。亦白すべき子有りや」 『日本書紀』にも見えない神名で、名義も未 みなかた たけみなかたのかみ 詳である。ミナカタはこの地方土着の南方 ととひたまひき。是に亦白さく、「亦我が子、建御名方神有り。此れを 族の神であろうという説がある。またムナ ちびき あひだ カタ ( 宗像 ) と同語で、宗像氏系の神であろ 除きては無し」とまをしき。如此白す間に、其の建御名方神、千引の石 うという説もある。諏訪神社上社の祭神。 〈千人もかかって引くほどの大きな石。 しの しか たれわ たなすゑささ を手末に擎げて来て、「誰そ我が国に来て、忍び忍びに如此物言ふ。然九手の先。ナは「の」と同義の助詞。建御 いまかへこ し たてまっ わ いまし一

3. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

にぎのみこと あめいはくら や 故、爾に天津日子番能邇々芸命に詔らして、天の石位を離れ、天の八一高天原にある神座。神霊を招き降す座 いわさか で、多く岩石が用いられた。磐境ともいう。 っちわき うきはし三 ニ神代紀に「稜威の道別に道別きて」とあ 重たな雲を押し分けて、いつのちわきちわきて、天の浮橋にうきじまり 1 三ロ る。ィッは威力のある意。 つくしひむかたかちほ 三ウキジマリは「浮島在り」か。ソリは身 事そりたたして、竺紫の日向の高千穂のくじふるたけに天降り坐しき。故、 を反らせて、胸を張って威勢よく、の意。 ににぎのみこと 古六 あめのおしひのみことあまっくめのみことふたり ^ くぶっちたち 四邇々芸命を稲の豊穣霊の化身とみると、 爾に天忍日命・天津久米命の二人、天の石靭を取り負ひ、頭椎の大刀を タカチホの原義は収穫祭の斎庭に稲穂を山 一一まかこやたばさ みさき のように高く積んで神事を行うことによる 取り佩き、天のはじ弓を取り持ち、天の真鹿児矢を手挟み、御前に立ち 名。↓一四ハー注三。 くじふるのたけ 五神代紀の一書に「檍触峯とある。神秘 おまとものむらじ て仕へ奉りき。故、其の天忍日命〔此は大伴連等の祖〕。天津久米命〔此は殪な峰の意。 六オシはカで制圧する意。ヒは霊力。 くみ 米直等の祖なり〕。 セクメは「組」の意か。久米部のこと。 ゃなぐい ^ 岩のように頑丈な矢入具。胡籐。 。から - くに みさきまきとほ 九柄の上部が槌のように塊状をした大刀。 是に詔りたまはく、「此地は韓国に向ひ、笠紗の御前に真来通りて、 はぜ 一 0 櫨の木で作った弓。 いとよ ところ たださ 一一「天の鹿児矢」の意か。↓六一ハー注一五。 朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、此地は甚吉き地」と詔りた 三物部氏とともに朝廷の軍事力を担う有 、まねみやばしら たかまのはらひぎ カ氏族。久米部・佐伯部を率いて仕えた。 まひて、底っ石根に宮柱ふとしり、高天原に氷椽たかしりて坐しき。 一三古代朝詳の国。 かキ一さ かれここあめのうずめのみことの みさき 一四鹿児島県川辺郡笠沙町の野間半島。 故、爾に天宇受売命に詔りたまはく、「此の御前し 〔四〕天宇受売命と猿田 一五神代紀の本文に「国覓ぎ行去りて」とあ さるたびこのおほかみ る。「真来」は「覓ぎ」の当字。国をさがし求 毘古神 立ちて仕へ奉りし猿田毘古大神は、専ら顕はし申せ めながら通って来て、の意。 一六以下は立派な神殿や宮殿を建てる意の し汝送り奉れ。亦其の神の御名は、汝負ひて仕へ奉れ」とのりたまひき。慣用句。↓五一【 , 注 = 0 。 めのあたひ へ ぐも あまつひこほのに またそ みな まっ いはゆき 一四 かささ もはあら

4. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

おおのやすまろ 一序とあるが、実際は太安万侶が『古事 記』撰録の事情を記して、元明天皇に提出 じようひょうぶん ちょうそんむ した上表文。その構文・用語は唐の長孫無 忌が時の皇帝に奉った上表文を手本とした。 おおのあそみ ニ氏姓は太朝臣。太 ( 「多」とも ) 氏は神武 天皇の支族。養老七年 ( 七一三 ) 七月、民部卿 従四位下で没す。当代一流の漢学者。 三混沌たる天地万物の根元。 四万物の生命のきざしと形。 あめのみなかめしのかみたかみむすひのかみかむむす 五天之御中主神・高御産巣日神・神産巣 ひのかみ しんやすまろまを そこんげん 日神。 いまあらは 臣安万侶言す。夫れ混一兀既に凝りて、気象未だ効れ六伊耶那岐命 ( 男 ) ・伊耶那美命 ( 女 ) 。 〔こ古代への回顧 セ以下の四句は上記の男神が女神を追っ たれそ よみのくに ず。名も無く為も無し。誰か其の形を知らむ。然れて黄泉国 ( 幽 ) に行き、さらに現し国 ( 顕 ) に みそぎ ここひら ぐん 帰り禊から々を性んだ事績を伝える。 ども乾坤初めて分れて、参神造化の首を作し、陰陽斯に開けて、二霊群《筑紫の日向の橋の小門での禊から日神 あまてらすおおみかみ つくよみのみこと ( 天照大御神 ) と月神 ( 月読命 ) が生じた。 びんおやな このゆゑいうけん あらは 品の祖と為る。所以に幽顕に出入して、日月目を洗ふに彰れ、海水に浮九天地万物の初め。 一 0 神々が伝えた根本となるべき教え。 すす えうめい あらはかれたいそ ほんけうよ 一一神代の事績を伝えた先代の賢人。 あめいわやと さかきやたのかがみ 沈して、神祇身を滌くに呈る。故、太素は杳冥なるも、本教に因りて土 三天の岩屋戸で楙に八咫鏡を掛けた故事。 巻 あめまな すさのおのみこと はら 一三・一四天の真名井で、須佐之男命が珠を を孕み島を産みし時を識り、元始は綿なるも、先聖に頼りて神を生み 噛んで吐き、天照大御神が剣を噛み砕いて あきらか まッ ) と 一ニかたま 上 それぞれ神を生んだ故事。 やまた 人を立てし世を察にす。寔に知る、鏡を懸け珠を吐きて、百王相続ぎ、 一五須佐之男命の八俣の大蛇退治の故事 1 つるぎかをろち 一六神々の子孫が繁栄すること。 やすのかははか あめのしたたひら 剣を喫み蛇を切りて、万神蕃息せしことを。安河に議りて天下を平げ、 宅天の安河の河原で会議をしたこと。 けんこん あは 古事記上巻井せて序 じんぎ し 一六ばんそく わぎ めんばく はじめな 四 あひっ しか

5. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

かくなや 一ノムは頭を下げて願い頼む意。 て救ひ、如此惚まし苦しめたまふ時、稽首白さく、「僕は今より以後、 一一護衛する者。隼人が皇居を護衛する本 かれ ひるよるまもりびとな 汝命の昼夜の守護人と為りて仕へ奉らむ」とまをしき。故、今に至るま縁を語。ている。神代紀の一書には「火酢 芹尊の苗裔、諸の隼人等、今に至るまで すめらみことみかきもと くさぐさわぎ に皇の宮墻の傍を離れずして、代に吠ゅ つかへまっ 事で、其の溺れし時の種々の態、絶えず仕へ奉るなり。 る狗して奉事る者なり」とある。隼人が宮 古 まを ここわた むすめとよたまびめのみことみづかまゐで 廷に仕える役目は『延喜式』兵部省の隼人司 是に海の神の女豊玉毘売命、自ら参出て白さく、 に規定がある。 ほすせりのみこと 〔四〕鵜草葺不合命 な おも あすではら 三神代紀の一書には、火酢芹尊が溺れ苦 ほほでみのみこと 「妾は已に妊身み、今産む時に臨りぬ。此を念ふに、 しんで弟の火々出見尊に助けを乞い、永久 わぎをき に「俳優の民」として仕えることを誓って、 かれまゐでいた うなはら 天っ神の御子は海原に生むべからず。故、参出到れり」とまをしき。爾溺れ苦しむときの態をさまざまに演じたと ある。 も うぶや なぎさ かやし すなはそうみへ 四屋根を葺く草。普通には屋根は芒・ に即ち其の海辺の波限に、鵜の羽を以ちて葺草に為て、産殿を造りき。 ちすげ 茅・菅などで葺く。 しの うむがっき みはらせま いまふあ 是に其の産殿未だ葺き合へぬに、御腹の急るに忍びざれば、産殿に入り五神代紀の一書には「時に孕月已に満ち て、産む期方に急りぬ」とある。 まさ すべあた 坐しき。爾に方に産まむとする時、其の日子に白して言はく、「凡て他火遠理命をさす。 もと 、つ すがた あれ セ本国、故郷。 し国の人は産む時に臨れば、本つ国の形を以ちて産生むなり。故、妾、 ・も . ど 今本の身を以ちて産まむとす。願はくは妾をな見たまひそ」とまをしき。 ^ モゴョフは、身をくねらせて動く、の ひそかうかが ことあや たうちまわる意。神代紀の一書に「時に豊 やひろ 是に其の言を奇しと思ほして、其の方に産まむとするを窃に伺ひたまへ 玉姫、八尋の大熊に化為りて匍匐ひ逶地 ふ」とある。 も′ ) ・よ ば、八尋和邇に化りて、匍匐ひ委蛇ひき。即ち見驚き畏みて遁げ退きた九底本には「恠」とあるが、これは「怪」の ( 現代語訳一一六八ハー ) 8 あま やひろわにな は 、、は まさ あ あ かしこ こ , 一 わ な は

6. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

かむあが 一神代紀に「彦火々出見尊崩りましぬ。 ち其の高千穂の山の西に在り。 たかやのやまのうへのみさぎき 日向の高屋山上陵に葬りまつる」とあり、 あいら あまつひこひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと 是の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命、其の姨玉依毘売命を娶りて『陵墓要覧』に鹿児島県姶良郡溝辺村大字麓 旨ロ 字菅ノロとある。現在の溝辺町麓 四 わかみ みけぬのみこと いなひのみこと いっせのみこと 一一ィッは「厳」、セは稲の意。厳しき稲の 事生みませる御子の名は、五瀬命、次に稲氷命、次に御毛沼命、次に若御 神の義。以下の兄弟の神もすべて稲に関す あめのおしほみみのみこと 古 かれ かむやまといはれびこのみこと とよみけめのみこと けぬのみことまた る名を負う。天之忍穂耳命以下の皇統の 毛沼命、亦の名は豊御毛沼命、亦の名は神倭伊波礼毘古命〔四柱〕。故、 子孫の名に共通する理念である。 いなひのみこと しうな三神代紀の一書に「稲飯命」とある。ヒは 御毛沼命は浪の穂を跳みて常世国に渡り坐し、稲氷命は妣の国と為て海 霊の意。稲霊の神。 四神代紀に「三毛入野命」とある。ミケは はら 原に入り坐しき。 御饌、ヌは主の義。 五次の別名とともに御毛沼命と同義の名。 かむやまといはれ 六後の神武天皇。神武紀に「神日本磐余 ひこのすめらみこと 彦天皇」とある。イハレ ( 磐余 ) は奈良県 桜井市中部から橿原市東南部に当る。しば しば皇居が置かれた。 セ海のかなたにある理想郷。↓三八ハー注 ^ 「妣」は亡き母の義で、玉依毘売命をさ す。「海原」は海神の宮のある所である。 なみ とこよのくに ま は ^ めと

7. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

でをあき はたおり むすめよろづはたとよあきっしひめのみことみあひ をしたまひき。此の御子は高木神の女、万幡豊秋津師比売命に御合まし一機織が盛んで豊かな出来秋をもたらす 姫の意であろう。神代紀の一書に「万幡豊 ふたはしら あめのほあかりのみこと て生みませる子、天火明命、次に日子番能邇々芸命二柱なり。是を以啾媛命」とある。なお同書にはこの神を 「思兼神」の妹としている。 とよあし みことのりおほ ニホアカリは「穂赤り」で、これも稲穂の おわりのむらじ 事ちて白したまひし随に、日子番能邇々芸命に詔を科せて、「此の豊葦 神。神代紀の一書には尾張連の遠祖とある。 まにまあも はらのみづほのくに 三日本国の美称。↓六〇ハー注一。以下は 原水穂国は、汝知らさむ国と言依さし賜ふ。故、命の随に天降りますべ いわゆる天孫降臨の神勅であるが、神代紀 の一書には美辞麗句を尽して「葦原の千五 うみのこきみ ほあきみづほ し」とのりたまひき。 百秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫の王たる しら いましすめみまい べき地なり。爾皇孫、就でまして治せ。さ ここひこほのににぎのみことあも 爾に日子番能邇々芸命、天降りまさむとする時、天きくませ。宝祚の隆えまさむこと、に天 っちきはま 〔ニ〕猿田毘古神の先導 壌と窮り無けむ」とある。 しもあしはらのなかっくに かみたかまのはらてら やちまたゐ の八衢に居て、上は高天原を光し、下は葦原中国を 五 四天降りする道の八方に分れた所。 さるめのきみ あめのうずめのかみ あまてらすおほみかみたかぎのかみみことも 光す神是に有り。故、爾に天照大御神・高木神の命以ちて、天宇受売神五大嘗祭・鎮魂祭に奉仕した猿女君の祖 神。↓三九ハー注三一。 六 おもか いましたわやめ 六かよわい女。タヲャメと同じ。 に詔りたまはく、「汝は手弱女人なれども、いむかふ神と面勝っ神なり。 セ向き合う、対抗する意。イは接頭語。 す たれかく わみこ もはいましゅ ^ オモカツは面と向ってにらみ勝つ意。 故、専ら汝往きて問はむには、『吾が御子の天降り為る道に、誰そ如此 神代紀の一書には「汝は是れ、目人に勝ち かみ まを を たる者なり」とある。 て居る』ととへ」とのりたまひき。故、問ひ賜ふ時、答へて白さく、 九その国に土着の神。 を 九 さるたびこのかみ 一 0 名義未詳。道祖神で境界を守る男神で 「僕は国っ神、名は猿田毘古神なり。出で居る所以は、天っ神の御子天 あるから、天孫の天降りに際しては、その 行旅の安全を図るために、性的呪儀に長じ まゐむかさもら ゅゑ みさきっかまっ 降り坐すと聞きつる故に、御前に仕へ奉らむとして、参向へ侍ふ」とま た女神 ( 天宇受売神を派遣したのであろう。 0 あ ま かれ あま ここ 四 あめ めひと

8. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

ヰヒカコハ ヨシ / / オピトラ / オヤナリ ( 例 ) 井氷鹿此者吉野首等祖也 ④従来の表記の慣行に従って書く方法。これは人名や地名に用いる。 クサカタラシ方スガアスカ ( 例 ) 日下・帯・春日・飛鳥 以上が安万侶の考案した表記法で、これを適宜に混用して古代の国語を文字に写そうと試みたのである。 ここで奈良朝の文献『古事記』や『万葉集』の歌に用いられた上代仮名遣 ( これを万葉仮名ともいう ) につ いて一言しておこう。この仮名はもちろん漢字を用いているが、この中で今日の五十音図の中のエキケコソ トノヒヘミメモョロと、その濁音のギゲゴゾドビべの合計二十一音は、奈良朝にはそれぞれ二通りに使い分 けられていた。これを上代特殊仮名遣と呼んでいる。 たとえばこの仮名遣にはいるミの字音を表記するのに、美・弥・民などと未・味・微などの二通りの区別 かみ があった。前者を甲類、後者を乙類の仮名と呼んでいる。たとえば上下の上のミを表記するのには「加美」 この区 と書き「加味」とは書かない。また神のミを表記するのには「加微」と書き「加美」とは書かない " 1 ・ :q-) ・ 6 ( 【印はウムラウト Umlaut 変音符 ) とい , つよ ・・。の五母音のほかに、 は上代では・・ うに発音する三母音、合計八母音があったためだろうといわれる。上掲のミの美・弥・民は・皿と発音し、 未・味はⅶと発音し、両者は区別して発音されたといわれる。この仮名遣は『古事記』の原文を読解する時 には役立っことがある。しかしこの仮名遣は平安朝になると乙類の字音がなくなり、両者の区別はなくなっ 解ているので、『古事記』が上代特殊仮名遣を用いているのは、この書が平安朝初期の偽作であるという説を 反駁する一つの有力な論拠にもなろう。 次に『古事記』の文章について一言しておこう。上述したように、太安万侶の撰録した『古事記』の文章 はんばく かみ

9. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

81 上巻 かくなや 乾珠を出して活かし、如此惚まし苦しめたまへ」と云ひて、塩盈珠・塩一四低い所にある田、クボタとも訓める。 三シルは、治める、支配する意。「掌ーは あは ふたっ ッカサドルとも訓める。 乾珠井せて両箇を授けて、即ち悉に和邇を召し集へて問ひて日はく、 しほみちのたま 一六神代紀に「潮満瓊」とある。潮を満たす ニ 0 あまつひこみこそらつひこ 呪力をもった玉。火遠理命が水を支配する 「今、天津日高の御子、虚空津日高、七つ国に出幸でまさむと為たまふ。 呪力をもった玉を入手できたのは、異族の たれいくか まっ かへりごとまを おのもおのもおの たけ 豊玉毘売との結婚の結果である。異族との 誰か幾日に送り奉りて、覆奏さむ」といひき。故、各己が身の尋長 結婚によってその霊能を吸収していくのが、 ひとひろわに あひとひ 神話一般の型である。 の随に、日を限りて白す中に、一尋和邇白さく、「僕は一日に送る即ち 宅嘆き訴えて許しを乞う意。 なれ 一 ^ フルは上二段動詞「乾 ( 干 ) 」の連体形で、 還り来む」とまをしき。故、爾に其の一尋和邇に、「然らば汝送り奉れ。干上がる、潮が引く意。神代紀に「瀚涸瓊」 とある。 わたなかわた 若し海中を度る時、な惶れ畏ませまつりそ」と告りて、即ち其の和邇の一九鮫とみる説もあるが、この説話は南 方系の要素が強いので爬虫類の鰐と解する。 ごと ニ 0 海宮から見て上にある葦原中国をさす。 頸に載せて送り出しまつりき。故、期りしが如一日の内に送り奉りき。 三神代紀の一書には「諸の鰐無、各其の ひもかたな 其の和邇を返さむとしたまふ時、佩かせる紐小刀を解きて、其の頸に著長短の随に、其の日数を定む」とある。 一三ヒロは両手を広げた長さ。約六尺 ( 約 ニ四 さひもちのかみ けて返したまひき。故、其の一尋和邇を、今に佐比持神と謂ふ。 ニ三紐のついた細身の小刀。懐剣。 つぶさ こと 品サヒは刀剣の意。ここは鰐の鋭い歯を 是を以ちて備に海の神の教へし言の如くして、其の鉤を与へたまひき。 刀に見立てた名であろう。 故、爾より以後は、稍兪貧しくなりて、更に荒き心を起して迫め来。攻 めむとする時、塩盈珠を出して溺らし、其れ愁へ請へば、塩乾珠を出し かへこ ふるたま おそかしこ は おこ ふ

10. 完訳日本の古典 第1巻 古事記

371 神代・歴代天皇系図 大 山 津 見 神 神代・歴代天皇系図 天之御中主神 高御産巣日神 っ神産巣日神 天 宇摩志阿斯訶備比古遅神 天之常立神 天火明命 天津日高日子 番能邇々芸命 火照命 火須勢理命 火遠理命 ( 天津日高日子穂々手見命 ) 木花之佐久夜毘売 天津日高日子波限 建鵜草葺不合命 石長比売 綿津見大神豊玉毘売命 国之常立神 豊雲野神 代字比地邇神・須比智邇神 七 角杙神・活杙神 世 神意富斗能地神・大斗乃弁神 於母陀流神・阿夜訶志古泥神 イ耶那岐神・伊耶那美神 玉依毘売命 足名椎 手名椎 建速須佐之男命 八島士奴美神 木花知流比売 大年神 宇迦之御魂神 神大市比売 正勝吾勝々速日天之忍穂耳命 天之菩比命 天照大御神天津日子根命 活津日子根命万幡豊秋津 師比売命 熊野久須毘命 月読命 櫛名田比売 淤美豆奴神 大国主神