萬葉集 216 かすみ 春の初めをー第四句の「見む」に続く。 霞の立っ春の初めを今日迎えたように毎年見るかと思うと楽しいと思い 4 新春を擬人化し、これに巡り会うよ ます うに表したもの。〇今日のごとー年ノハ ニのような語が省かれている。 右の一首は、左京少だ儘翩 一「天皇ーは孝謙、「太上天皇」は聖武。 七日に、天皇 ( 孝謙 ) ・太上天皇 ( 聖武 ) ・皇太后 ( 光明 ) が東の常の宮 この二者を併記する時、『万葉集』では太 上天皇を先に記すこともある ( 一 00 九左注 の南大殿にお出ましになって宴を催された時の歌一首 いなみの かしわひば おおきみ ・四四五七題詞 ) 。 印南野の柏の干葉は時の別がありますが大君をわたしが敬慕致しますこと 一一↓四一一当 ( 大宮を仕へ奉れば ) 。 三この日の宴は『続日本紀』に「天皇、 は時の別が全くありません いま 東院に御して五位已上を宴す」と見える。 右の一首は、欟磨争安宿王の奏上したものである。歌の新古は不明であ家持もその中に居たろうが、歌はない。 印南野の赤ら柏ー印南野は兵庫県加 る。 古郡および加古川・明石両市にまた やかもち 三月十九日に、家持の荘園の入口の槻の木の下で宴飲した時の歌一一首 がる丘陵部。赤ラ柏は、ならがしわ・み 皿山吹は慈しんで育てましようずっとこんな風にしてあなたも時々お見えにずならなどのぶな科の落葉高木の乾燥し て赤褐色になった大型の葉。古くはこれ なっては髪にさしてくださる に果物や雑肴を盛り、また飯を包むにも 用いた。『延喜式』造酒司式に「播磨槲 俵三把」とあり、播磨国から献ぜられた しえんせんぐ 赤ラ柏が宮中肆宴の饌具に使用されるこ とがあったことが知られる。また播磨国 守である作者にとって、現在の姫路にあ った国府から上京するたびに印南野を通 過していたことからもこのように言った のであろう。〇時はあれどー時季がある が。『延喜式』大炊寮式宴会雑給の条に つき
91 巻第十八 4135 ~ 4137 4137 わせこ つねひと 我が背子が琴取るなへに常人の言ふ嘆きしもいやしき増同じ理由による。 ほよーやどりぎ科の常緑小高木やど 引りぎの古名。けやき・ぶな・さくら すも などの落葉高木に寄生することで知られ る。現在も各地にホョ・ホヤの名が残っ ている。早春淡黄色の花を開き、秋にな って赤または黄の球形の果実を生じる。 冬の間落葉樹の林の中でこのやどりぎだ けが鮮やかな色で茂っているさまに永遠 の生命を認めて信仰の対象とする習俗も てんびやうしようう 世界各地にある。ここもやどりぎの神秘 あへもろもろ 天平勝宝二年正月二日に、国庁に饗を諸の郡司等に給ふ宴 的呪力を信じてこれを身に付けたのであ ろう。〇千年寿くとそーこのトソは、 の歌一首 という気持からだ、の意。 四三等官の一般称。佖所によって用字 あしひきの山の木末のほよ取りてかざしつらくは千年寿を異にし、各省では丞、では判官 ( これが原拠 ) 、大宰府では監、国では掾 を用いるのが慣例。ここは「掾」をいう。 くとそ 引相し笑みてばーこのアヒは、共に、 引の意。テは完了の助動詞ツの末然形。 笑うことは繁栄を招くと信ぜられ、現在 でも大勢の人が集って殊更に作り笑いを する習俗が各地にあり、特に正月に多く 四 じようくめのあそみひろつな 行われた。〇時じけめやもー時ジケは、 判官久米朝臣広縄の館に宴する歌一首 その時でない、の意の形容詞時ジの未然 むつき 形。メヤモは反語。いつでも都合の悪い 正月立っ春の初めにかくしつつ相し笑みてば時じけめ時とてないであろう。 4135 右の一首、守大伴宿家持の作 せうさくわんはだのいみきいはたけむろつみうたげかみおとものすくねやかもち 右の一首、少目秦伊美吉石竹の館の宴に守大伴宿禰家持作 こぬれ あひゑ ちとせほ
79 巻第十八 4123 ~ 4124 反歌一首 こころだ この見ゆる雲ほびこりてとの曇り雨も降らぬか心足ら ひに 4124 わ つかさと作りたるその生業を雨降らず日の重なれば植く峠であり、また獣類のいわゆるけもの みちにもなる地形。〇海神の沖っ宮辺ー はたけ ゑし田も蒔きし畑も朝ごとに凋み枯れ行くそを見れば海神が天候晴雨の調節をつかさどるもの とする考えによる。山幸海行神話の後半 に、海神に言われたとおり、山幸が高所 心を痛みみどり子の乳乞ふがごとく天っ水仰ぎてそ待っ に田を作れば雨を恵み、低地に田を作れ あましらくもわたつみ ばひでりとなって、その逆をゆく兄の海 あしひきの山のたをりにこの見ゆる天の白雲海神の沖 幸を困らせたという話が記紀に見える。 みやヘ 〇との曇り合ひてートノはタナに同しく、 っ宮辺に立ち渡りとの曇り合ひて雨も賜はね 一面に、の意の接頭語。〇雨も賜はね ネは希求の助詞。 四雲ほびこりてーホビコルは、ハビコ ルと同源、切れることなく続く、ひ ろがる、の意。『法華経玄賛』 ( 平安初期 点 ) に「連綿「蔓」をホビコリと読んでお り、「天武紀」の古訓にも、失火し延焼す ることを表す「延」の字にホビコリの訓が 付せられている。〇心足らひにー足ラヒ は四段動詞足ルの継続態足ラフの名詞形。 一漢語「晩頭」の「頭」は助字的用法。 4 言挙げー言葉に出して言い立てるこ 引と。ここは降雨を祈願して呪文の類 を唱えることをいうか。〇稔ー五穀、特 ふ に稲の実りをいう。年歳の意に用いるの 雨落るを賀く歌一首 はそれの収穫周期の義からの転用。豊作 としを願う祭をトシゴヒ ( 祈年 ) というのもそ ことあ 我が欲りし雨は降り来ぬかくしあらば言挙げせずとも稔の原義的用法。 右の一一首、六月一日の晩頭に、守大伴宿禰家持作る。 なりはひ ぐも しなか かみ あま あふ かさ
-4- 4- きぬ わ紅はうつろふものそ橡のなれにし衣になほ及かめやも 第 かみ 巻 右、五月十五日に、守大伴宿家持作る。 みなわ こ さぶる ひもを 水沫の寄るべなみ左夫流その児に紐の緒のいつがり合ひか。憶良の「惑 ( る情を反さしむる歌」 ( 〈 00 ) の結句の模倣。シカは少咋の現在の どり ふたり なご おき てにほ鳥の二人並び居奈呉の海の奥を深めてさどはせ生活のあり方をさす。 里人の見る目恥づかしー国庁周辺の さぶる あそびめあざな 住民の君を見る目を思うと、関係あ る君が心のすべもすべなさ〈左夫流といふは遊行女婦の字なり〉 る上司である自分までも恥ずかしくなる。 〇宮出後姿ー少咋が左夫流児の家から通 勤する後ろ姿。官庁に出勤すること。シ かっこう リは後方。フリは様子・恰好。特に後ろ 反歌三首 姿と限定したのは、一般住民にとっては たかたか 史生は下級とはいえ官人であり、正面か あをによし奈良にある妹が高々に待つらむ心然にはあららは非難できず、裏から陰ロする意で言 ったのであろう。 じか 紅はうつろふものそークレナヰはき 引く科の多年草べにばな、またその鮮 えんし 黄色の頭花からとった臙脂色をもいう。 ここは後者。くれない染めは一時的には さぶるこ みやぞしりぶり 里人の見る目恥づかし左夫流児にさどはす君が宮出後姿美しいが、そのうちに変色するものだ。 左夫流児の派手な身拵えも永続するもの ではないと教え論していう。〇橡ーぶな 科の落葉高木くぬぎ。その実どんぐりの 煎じ汁を用いる橡染めは鉄媒染の場合黒 色となった。下層階級の者は橡染めの衣 を着るように「衣服令」に定められていた。 〇なれにし衣ーナルは、着馴れ身になし ル、うこら′ む意。糟糠の妻の、地味だが、それだけ に飽きがこない良さのたとえ。 くれなゐ さとびと つるはみ ゐ いも し 4108 ばいせん
59 巻第十八 4102 ~ 4105 4105 4103 4102 白玉の五百っ集ひを手に結びおこせむ海人はむがしくも あるか〈一に云ふ、「我家牟伎波母」〉 我妹子が心なぐさに遣らむため沖っ島なる白玉もがも 白玉を包みて遣らばあやめぐさ花橘に合へも貫くがね ゅ 沖っ島い行き渡りて潜くちふ鮑玉もが包みて遣らむ しらたま いち みこと ころもぞ 五百箇もがもはしきよし妻の命の衣手の別れし時よぬ詈一 ( 潜き取るといふ ) 。ここは水に潜っ て何かを採る意。チフはトイフの約。 あさねがみか けづ ばたまの夜床片去り朝寝髪掻きも梳らず出でて来し月“我眛子が心なぐさにー長歌の「はし 引きよし妻の命の : 嘆くらむ心なぐさ よ きな さっき に」を二句に縮めたもの。妻の大嬢がそ 日数みつつ嘆くらむ心なぐさにほととぎす来鳴く五月の れを見て気晴しとするための品として、 はなたちばなぬま つつ の意。 あやめぐさ花橘に貫き交じへ縵にせよと包みて遣らむ や元暦校本・藍紙本などの一部の非仙覚 本系の諸本はこの歌を四一 0 三の前に置く。 それが古い配列かもしれないが、今は底 本のままにする。 五百っ集ひーイホッはイホチ ( 四一 0 一 ) 引の交替形。『今昔物語集』巻三十一、 二十一話に、七ッ島には河原の石のよう に鮑が多いことをいう。〇手に結びーこ のムスプは、水を両手で吸み上げるよう に、山積した真珠をてのひらにすくい取 ることをいう。〇おこせむー下二段オコ スはくれる意。人から我へ物を贈り与え る場合に用いる。このムは仮想を表す。 そのような者があったらさそよかろう、 という気持でいう。 0 むがしくームガシ は、ありがたい、かたしけない、の意。 0 「我家牟伎波母」ー原文のまま。読み方 不明。ワギヘムキハモと読めそうだが、 意をなさない。なお、元暦校本・類聚古 集には「伎」の字がない。 わぎもこ い よとこかたさ つど かづ かづら
あろじ いそまっ つね けふ 一はしきよし今日の主人は磯松の常にいまさね今も見る清麻呂邸までは直線距離で約二・五ド 辻々を曲って来れば約三・五じで、遠 いとは言えない。ここは距離の遠近と関 ごと 係なく心理的親近の気持を強調するため うちゅうべん に用いた。「遠けども心し行けば恋ふる 右の一首、右中弁大伴宿家持 ものかもー ( 五五三 ) 、「遠くとも心を近く思 ほせ我妺」 ( 三実四 ) など類例がある。〇心 もしのにー心もうちしおれるほどに。 あめっち 一治部省の次官。正五位下相当官。 我が背子しかくし聞こさば天地の神を乞ひ疇み長くとそ = 志貴親王の曾孫。安貴王の子。天平 十五年に従五位下、備中守、玄蕃頭など おも 思ふ を歴任、勝宝八年ごろには正五位下治部 大輔であったことが知られる。宝字七年 ごろ造東大寺長官兼御執経所長官であっ たが、卒年は不明。 八千種の花はうつろふー九か月前に 家持自身「咲く花はうつろふ時あり」 と おも 弸繝梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしのに君をしそ思ふ禽会 ) と詠んだのと同趣の寓意が認めら れる。〇松のさ枝を我は結ばなーこのワ ちぶのだいふいちはらのおきみ レは複数的用法。ナは勧誘を表す。松の 右の一首、治部大輔市原王 枝を結ぶことは吉凶を占い、また幸福を 十 祈ってする呪術的行為。庭前の松を借り てその永遠性にあやかろうとしていう。 第 ときは 巻やちくさ や仲麻呂の専横を憎みながらも、奈良麻 八千種の花はうつろふ常磐なる松のさ枝を我は結ばな 呂の変で破滅した人々のような過激な行 為には走らず、中道を歩み、長く生き続 右の一首、右中弁大伴宿家持 けようではないかという提案の言。 4501 わ あろじなかとみのきょまろあそみ 右の一首、主人中臣清麻呂朝臣 えだ の われ
一帰京前の予作歌はこれ以前にも四 0 九八 都に向う途中で、興を覚えあらかじめ作った、宴に侍して天皇の詔に答 0 ・四一一一 0 などあった。 える歌一首と短歌 あきづ島ー大和の枕詞。〇天雲に磐 とも やまと いわふね へさき 船浮かべー磐船は石で造った堅固な 集 ( あきづ島 ) 大和の国を天雲に磐船を浮べ艫にも舳先にも櫂をいつばい にぎはやひの あめのさぐめ ちょ あまくだ 船。饒速日命や天探女などの天降る神の 葉通し漕ぎ巡っては国見をなさって天降り賊を伐ち平らげ千代も続けて 交通機関として使用されたとする伝承が ひつぎみこ 萬代々治めて来られた日継の皇子として神の御心のままにわが大君が天ある。天孫降臨の際に用いられたという ばん 記録はないが、家持の虚構か。あるいは 下をお治めになりもろもろの官人たちを慈しみ整え給い海内の万 そのような伝承もあったか。〇ま櫂しじ もら みん きずい 民たちも洩さずにお恵みになると昔から例のなかった奇瑞がつぎつぎ貫き↓四一一四 0 ( ま梶しじ貫き ) 。このカイは むい カヂを含めた総称的用法か。大規模な出 と報告されています。無為にして平和な御代だと天地や日月と共に長く航のさまを想像して述べた。〇国見しせ してーこの国見は高所から地上を俯瞰す 万代に書き残されるであろう ( やすみしし ) わが大君が秋の花を色とり る意。セスはサ変スの敬語。〇天降りま どりにご覧になり御心を安んぜられ酒盛りをして賑わう今日はまこと しーアモリはアマオリの約。天から地上 に降りること。〇天の日継とー天照大神 にめでたいことでございます の直系子孫の天皇として。〇神ながらー 神である天皇の御心のままに。〇ものの ふの八十伴の緒↓四 0 九四。以下「恵みたま へば」まではこの上の「天の下治めたまへ ば」の内容を具体的に述べたもの。〇整 へたまひートトノフはまとめる意。身分 に応じて適正に待遇すること。〇食す国 のー原文は底本や元暦校本に「食国毛」と あるが、一部の非仙覚本や紀州本・金沢 文庫本などに「食国之」に作るのによる。 〇あぶさはずー残すことなく。アプサフ よろずよ にぎ かい かいだい ふかん
だいしふぢはらのあそみきよかは 用している。〇我が背の君ー遣唐使人の 大使藤原朝臣清河の歌一首 誰をさしたか不明。〇かけまくーカケム ちかづ あおも あらたまの年の緒長く我が思へる児らに恋ふべき月近付のク語法。このカクはロに出して言う意。 〇ゅゅし恐きーユュシクカシコキの約か。 ュュシは、忌み憚るべきだ、の意。この きぬ カシコシは恐れ多い意。〇住吉の我が大 御神ー航海の安全を守る住吉の神に対す る呼び掛け。住吉神社の神主が遣唐使随 かんづかさ いまつばひ にふたうし 行の主神となるのが慣例。〇船舳にうし 天平五年、人唐使に贈る歌一首剏せて短歌作り主未だ詳ら はきいましーへは舳先。ウシハクは神が につとうぐう 空間を占有すること。円仁の『人唐求法 しゅんれいこうき かならず 巡社行記』に「舳頭神殿」とあり、これに よって遣唐使主神は大使の乗る第一船の やまと そらみつ大和の国あをによし奈良の都ゅおしてる難波舳先の社殿にあって住吉の大神を祭って あらひとがみ いたことが知られる。住吉の神は現人神 つか みつ ふなの ただわた すみのえ に下り住吉の三津に船乗り直渡り日の人る国に遣はさで、しばしば船内に姿を現すことがある と言われた。〇船艫ー船尾。〇もとの朝 かしこ あおほみ る我が背の君をかけまくのゆゅし恐き住吉の我が大御廷ーミカドの原義は宮殿の門だが、転し て、宮殿そのもの、朝廷の意にも用いる。 かみふなのヘ ふなども ここは原文に「国家」とあり、対外的な意 一 4- 神船舳にうしはきいまし船艫にみ立たしまして、さし寄 味が加えられている。 さきざきこ 九 ◆この歌は、天平十一年に土佐国に流さ + らむ磯の崎々漕ぎ泊てむ泊まり泊まりに荒き風波にあ れた石上乙麻呂のことを詠んだ一 0 一一 0 ・一 0 巻 みかど 一二と、用語の上で近いものがある。時代 はせず平けく率て帰りませもとの朝廷に の先後からいえば、この方が六年早いが、 本来は共に一種の神事歌謡の常用句を利 用したものであろう。 4245 くだ わせ てんびやう たひら と なには
放っ法。已然形で言い放っ法は、さまざ まな意味用法に分れる順接確定条件の中 でも、原因・理由を表す場合に近く、 「うちなびき臥やしぬれ」 ( 莞四 ) 、「過ぐし や よのなか 遣りつれ」 ( 八 0 四 ) など、ロ語訳すれば「の 世間の無常を悲しぶる歌一首剏せて短歌 で」「から」に当ることが多く、、すると、 っ あめっち 、したところ、のような継起的・偶然的 天地の遠き初めよ世の中は常なきものと語り継ぎ流ら な場合には用いない。この場合はむしろ あまはらふさ 連用中止に近い用法で、例外的といって へ来れ天の原振り放け見れば照る月も満ち欠けしけり よい。〇満ち欠けしけり—このケリは過 去から現在まで継続している恒常的事実 あしひきの山の木末も春されば花咲きにほひ秋付けばを述べる用法。〇露霜ー露の雅語。霜を さしたとみるべき例はない。〇うっせみ もみち っゅしもお 露霜負ひて風交じり黄葉散りけりうっせみもかくのみなー生きてこの世にある人。〇行く水の止 まらぬごとくー『論語』子罕篇の「子川上 くれなゐ らし紅の色もうつろひぬばたまの黒髪変はり朝の笑み = 在リテ曰ク、逝ク者 ( カクノ如キ力、 昼夜ヲ舎カズ、ト」による。この前後の ゅふへか ・ 6 タ変はらひ吹く風の見えぬがごとく行く水の止まらぬ二句対は巻十五の「古き挽歌」 ( 『〈一に類 -4 ・ 似したものがある。〇にはたづみー流ル なみたとど の枕詞。庭を流れる雨水の義。 よのなかとどかた 4- ごとく常もなくうつろふ見ればにはたづみ流るる涙留 ◆この歌は憶良の「世間の住み難きこと かな を哀しぶる歌」 ( 八 0 四 ) を学んだものといわ + めかねつも れ、類似句も多い。 巻 言問はぬー言葉を発しない。〇黄葉 ・ 6 引散らくー原文は「毛美知遅良久」とあ 0 り、その「遅」は濁音仮名。↓四 0 九一一 ( 花散 つね ことと もみちち 一一一口問はぬ木すら春咲き秋付けば黄葉散らくは常をなみこる時に ) 。 4161 けり きた ま こぬれ づ こ
おきみみことかしこ 大君の命恐み妻別れ悲しくはあれどますらをの心振り現在の淀川河口の大小さまざまの島をさ すのであろう。〇鶴がねーここは鶴その よそ かどぞ 起し取り装ひ門出をすればたらちねの母かき撫で若草ものをいう。〇はろばろに↓一一。原文 には、底本などに「波呂波呂尓」とあるが、 さき 一兀暦校本などの非仙覚本に「波呂婆呂尓」 の妻取り付き平けく我は斎はむま幸くてはや帰り来と とあり、これによれば第三音節が濁音で ことど むらとり なみだのご あったと思われる。「皇極紀」の歌謡や ま袖もち涙を拭ひむせひつつ一一一口問ひすれば群鳥の出で 『万葉集』でも巻五にはハロハロニとあり、 とどこに とに きはな たかそれが古形と思われるが、今は元暦校本 立ちかてに滞り顧みしつついや遠に国を来離れいや高の文字を尊重しておく。ただし 0 〈には 同じ家持が「波呂 , 、、尓」とも記しており、 あし きゐ に山を越え過ぎ葦が散る難波に来居てタ潮に船を浮け疑問がなくもない。〇負ひ征箭ーノヤは ゃなぐい 戦闘用の矢。胡にさして負うので負ヒ こ す 据ゑ朝なぎに舳向け漕がむとさもらふと我が居る時に征箭という。〇そよと鳴るまでーソョは 風によって発する音。ここは激しい嘆き はるかすみしまみ 春霞島廻に立ちて鶴がねの悲しく鳴けばはろばろに家の息で音を発することをいう。 鶴が音ーここは鶴の鳴声をいう。 0 ぞおそや 0 国辺ー防人の故郷の辺り。 を思ひ出負ひ征箭のそよと鳴るまで嘆きつるかも 眠を寝ず居ればーイヲヌは眠ること。 この・ハは、、しているところへ、の -4 意。〇鶴が鳴く↓四二六。葦辺にかかる連 たづね 十・うなはら 体修飾語だが、頼りない、おぼっかない、 二一海原に霞たなびき鶴が音の悲しきタは国辺し思ほゅ の意の形容詞タヅガナシの連用形をかけ 巻 て用いている。 や防人の身になって詠んでいるが、傍観 者としての家持の立場からなお離れ切っ ねを あしへ いへおも 家思ふと眠を寝ず居れば鶴が鳴く葦辺も見えず春の霞にていないと評されている。 4398 そぞ たひら かへり たづ われいは たづ なには よひ ゅふしほ くにヘ わ を こ い 4400 4399