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検索対象: 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)
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1. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

0. たかまど 妻呼ぶ雄鹿ーヲシカは小さい雄鹿。 引高円の秋野のあたりの朝霧に妻呼ぶ雄鹿はたたずんでいることだろうか 4 かんせい 4 ここは大小と関わりなく雅語として 2 ますらおが喊声を上げたのでさ雄鹿が胸で押し分け行っていることだろう 用いた。〇出で立つらむかーこの出デ立 はぎはら ツは、姿を現してたたずむ意。 集その秋野の萩原よ 0 ますらをーここは俄か勢子の大宮人 ひょうぶのしよう 葉 右の歌六首は、兵部少輔大伴宿禰家持がひとりきりで秋の野を思い、まずは をさすか。〇呼び立てしかばーこの 萬 呼ビ立テは、狩で勢子が繋みに潜んでい 私感を述べて作ったものである。 み」を、もり る鳥獣を追い出すために大声を発するこ つくし てんびようしよう種う 天平勝宝七年二月に、交替して筑紫に遣わされる諸国の防人たちの歌 と。 0 胸別け行かむー胸別クはその胸で かや 草などを押し別けること。このムはラム 拒めない勅命を受けて明日から萱と寝るのかおまえも居なくて と同じく現在推量に用いている。連体格。 もののべりあきもち こくぞうていなかたのしも 右の一首は、国造丁長下郡の物部秋持 一兵部省の次官。従五位下相当官。家 おれの妻はひどく恋い慕っているらしい飲む水に影まで映ってとんと忘持は勝宝六年四月に兵部少輔とな 0 た。 ニ七五五年。「歳」は「年」に同じ。勝宝 れられない 七年正月に「歳」の字を採用し、九歳八月 に宝字元年と改元するまで続いた。 しらぎ っしまい 三唐・新羅の侵略に備えて、対馬・壱 岐および筑紫に配置された兵士。人員約 三千人、一交替約千人かという。「軍防 令」の記載によれば、所定の武具や難波 までの旅費は各自自弁で、各国司に率い られて難波津に集結し、その後、専使が さきもりのつかさ 引率して大宰府に至り、防人司の管轄に 人り、釛務に就いた。この当時東国兵士 を以て専ら充てていた。この防人歌には 防人のみならずその家族の作も含まれて おり、詠まれた時点も、出発時、道中、 4321 4322 おしか おじか にわせ (

2. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

もち じようくめのあそみひろつなてんびやう みやこ 数や回数が多い意の形容詞サマネシのミ 国の掾久米朝臣広縄、天平一一十年を以て、朝集使に付きて京 語法。〇恋ふるそら ! ノラは不安な心理 てんびやうかんう うるふ ん 状態を表す語。〇蓬かづらきーヨモギは に人る。その事畢りて、天平感宝元年閏五月二十七日、本 きく科の多年草。その香りに邪気を払う うたげま むろつみ 力があると信ぜられて、五月五日の端午 任に還り至る。仍りて長官の館に、詩酒の宴を設けて楽飲す。 の節句にいろいろ利用された。カヅラク あろじかみ ↓四 0 七一 ( 柳かづらき ) 。〇酒みづき↓四 0 五九。 ここに主人守大伴宿彌家持の作る歌一首剏せて短歌 〇遊び和ぐれどーナグは心がなごみ静ま ま る意の上二段動詞。ここは気を紛らす意 大君の任きのまにまに取り持ちて仕ふる国の年の内の の他動詞として用いたか。〇射水川 ゅ 矢部川。富山県西南部の大門山に発し、 いはね 事かたね持ち玉桙の道に出で立ち岩根踏み山越え野行き小矢部市を経て高岡市伏木で富山湾に注 ぐ。〇行く水のー以上三句、イヤ増シを みやこへ 都辺に参ゐし我が背をあらたまの年行き反り月重ね見起す序。〇いや増しにのみーイヤ増シは、 ある傾向がますます増大強化する一方で きな ぬ日さまねみ恋ふるそら安くしあらねばほととぎす来鳴あることを表す。このノミは強めを表す 用法。下の「思ひ結ぼれ」に続く。〇鶴が よもぎ さっき 鳴くー奈呉江を修飾するが、心もとない、 く五月のあやめぐさ蓬かづらき酒みづき遊び和ぐれど 頼りない、の意の形容詞タ・ツガナシの副 な いみづかはゆきげはふ たづ ・ 6 詞形をかけて用いている。〇奈呉江の菅 射水川雪消溢りて行く水のいや増しにのみ鶴が鳴く奈 4- のー奈呉江↓四 0 三一一 ( 奈呉の海 ) 。以上一一句、 ごえ すげ あ ネモコロを起す序。↓四四五四 ( 菅の根の ) 。 物呉江の菅のねもころに思ひ結ぼれ嘆きつつ我が待っ君が 〇ねもころにー心をこめて。〇思ひ結ぼ 第 を ゆり れームスポルは気がめいって心が晴れ晴 巻 事終はり帰り罷りて夏の野のさ百合の花の花笑みにに れしないこと。〇花笑みにー花がほころ びるようににつこりと。〇にふぶにーに けふ つね ふぶに笑みて逢はしたる今日を始めて鏡なすかくし常見こにこ。〇鏡なすー常見ルの枕詞。 4116 おきみ こし J にんかへ あ まか たまこ わせ よ をは の い さカ てうしふし がヘ ゑ かさ

3. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

4 ・ -4- けふ わ垂姫の浦を漕ぎつつ今日の日は楽しく遊べ言ひ継ぎに 第 巻 せむ おのもおのもおもひ 水海に至りて遊覧する時に、各懐を述べて作る歌 たるひめ 神さぶる垂姫の崎漕ぎ巡り見れども飽かずいかに我せむ 右の一首、田辺史福麻呂 ま 沖辺より満ち来る潮のいや増しに我が思ふ君がみ舟かも かれ 浜辺より我が打ち行かば海辺より迎へも来ぬか海人のーイヤ増シ = はずんずん程度が進むこと を表す。我ガ思フ君は福麻呂をさす。こ つりぶね の下のガは所有格を示す。〇み舟かもか 釣舟 れーお迎えに参ったお舟でしようかあれ は。カレは遠称の指示代名詞。人称に限 らず事物をさしても用いる。上代語では 一般に中称のソ ( レ ) が遠称にも用いら れ、このようにカ ( レ ) を用いることは少 ない。 神さぶるー神サプは、年を経て神々 しくなる意の上二段動詞。社祠や霊 木・巨岩の類があったのであろう。〇垂 姫の崎ー「乎市の崎」 ( 四 0 三七 ) の一部か。そ みみうら の先端の氷見市園の丘陵地の西麓、耳浦 の辺に擬する説もある。〇いかに我せむ 」・どうせ大したことはあるまい、と思っ ていたのに、目のあたりに絶景を見、茫 をん 然自失しているさま 7 楽しく遊べー楽シという語は酒宴の 席で用いられることが多い。ここも 舟の中で遊宴しているのであろう。〇言 ひ継ぎにせむー都から来られた貴公子た ちが嘆賞した名勝の地であると後代に言 い伝えよう。 一遊女。『和名抄』に「遊行女児、和名 あそび うかれめ 宇加社女、又云フ、阿曾比」とある。土 師は氏。伝未詳。 かむ おきへ はまへ みづうみ そびめはにし 右の一首、遊行女婦土師 しほ うみへ あ われ しやし

4. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

ちどり 十二日に、内裏に侍候して、千鳥の鳴く声を聞いて作った歌一首 0 8 かわす 2 囲川洲まで雪は降っているので宮中で千鳥も鳴いているのだろうとまる所 集がないので 葉 二月十九日に、左大臣橘家 ( 諸兄 ) の宴で、折り取った柳の枝を見て作 萬 った歌一首 かずら やしき 9 あおやぎ 青柳の梢を折り取り縵にするのは君のお邸で千代を祝う気持からです 二十三日に、興を覚えて作った歌二首 かすみ 春の野に霞がたなびいてもの悲しいこの夕暮れの光の中にうぐいすが鳴 いている 一太陽暦の二月十九日に当る。 川渚にもー川中の洲にまでも。この 川は佐保川か。〇雪は降れれしー降 レレは、降レリの已然形で言い放っ法、 シは強めのそれであろう。シは推定の助 動詞ラシと応じることが多い。このよう な場合、一般には疑問条件形式により、 「雪の降れれか : 千鳥鳴くらむ」という形 をとる。しかし作者はその推測に自信が あり、不確実な推量で表すよりも推定の ラシを用いた方が適当と考えて、この変 則的な表現となったのであろう。ただし、 疑問条件に限らず、ゾ・コソを用いた条 件句でも、「かくばかりなねが恋ふれそ」 ( 七一一四 ) 、「降る雪の千重に積めこそ」 ( 四一一三 四 ) などノ・ガをとるのが普通。ここに 「雪は降れれし」と係助詞ハに用いている のは、あるいは内容的に二句切れに近い

5. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

か。〇浦廻するーこのウラミは湾内を漕 ぎ巡ることをいう。〇人とは知らにー官 人が舟遊びをしていると第一二者は知らな いので。〇海人とか見らむー当時漁業従 事者は一般に身分賤しい者とみなされて いた。旅行中の官人が海人と見間違えら れることを懸念して、「海人とか見らむ」 「海人とや見らむ」と詠んだ歌はこのほか にも多い。ここはむしろ海人とみる人が あればよいと興じて詠んだものであろう。 うら ほととぎすな 一伝未詳。広縄の家族か。 霍公鳥の喧かぬことを恨むる歌一首 3 何を語らむー何をみやげ話にすれば 4 よかろうか。ここでほととぎすが鳴 ゅ 家に行きて何を語らむあしひきの山ほととぎす一声もいたら良いみやげ話になるのだが、とい う気持。 ニほおのき。もくれん科の落葉高木。 鳴け 幹は直立し、葉は大形の倒卵形で三〇 に及ぶものさえある。五月ごろ直径一五 4 ・ 弩ばかりの帯黄白色の香り高い花を開く。 ぎつ 「厚朴」と書くこともあり、古くは菓子雑 こう -4- 肴の類を盛る皿の料に用いられた。正倉 九 ほほがしは 院文書にも「保、ゝ柏十把」などと見える。 攀ぢ折れる保宝葉を見る歌一一首 第 我が背子ー家持をさす。〇捧げてー ささ 〕わせこ ササグはサシ上グの約。高くかかげ 我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青きる意。〇あたかもーさながら。まるで。 きぬがさ 〇青き蓋ーキヌガサは貴人の後ろからさ 蓋 し掛ける織物の傘。 4203 4202 ふぢなみ かり うらみ あま 藤波を仮廬に造り浦廻する人とは知らに海人とか見らむ めのあそみつぐまろ 久米朝臣継麻呂 を 判官久米朝臣広縄 じようくめのあそみひろつな 判官久米朝臣広縄 ひとこゑ

6. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

うれ 新しき年の初めに思ふどちい群れて居れば嬉しくもあ 0 一尺二寸。約三六 五この「拙」は自分のことを謙遜して用 いる接頭語。このあと四三一一 0 左注、四三六 0 題 るカ 詞にも見え、いずれも家持が自作につい て用いたもの。この事実は、『万葉集』全 体とまでは拡大できないとしても、少な くともこの前後が家持の手記のままの姿 を残したものであることの証とみなされ 三 る。この場合はあるいは場所が内裏であ を、ト 4 うく 十一日に、大雪降り積みて、尺に二寸あり。因りて拙懐を述 ることから恐懼して用いたかとも思われ る。 ぶる歌三首 めづらしくーめったに見ることがで 4 きない。 ↓四 0 五 0 。〇な踏みそねー四一一 うち おみや 大宮の内にも外にもめづらしく降れる大雪な踏みそね毛の「大のこのもとほりの雪な踏みそ ね」を模したものか ・ 6 み園生ー貴人の庭園。ここは平城宮 惜し 4 内の庭園をさす。〇しば鳴きにしを シ・ハは、ーしをり・に、の意。シ・ハ喰クし」 -4- 複合して用いられることが多い。ヲは逆 4- 8 6 接。以前この庭で鳴いていたうぐいすも、 2 囲み園生の竹の林にうぐひすはしば鳴きにしを雪は降り 4 今はこの雪に閉じ込められて鳴くことが 九 できないでいることだろうと思いやって + つつ いう。 巻 7 垣内↓四 0 七 ( 古き垣内 ) 。ここはどこ の屋敷をさしているのか不明。〇う 0 かきっ つろふらむかーこのウッロフは梅の花が うぐひすの鳴きし垣内ににほへりし梅この雪にうつろふ散ることをいう。 4285 4284 を あらた そのふ だいぜんのだいぶふなどのおきみ 右の一首、大膳大夫道祖王 はじ と っ む を よ せつくわい

7. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

ふだい おおきみ 清廉な曇りない誠を大君のもとに捧げ尽して仕えて来た譜代の職だ〇隠さはぬー隠サフは隠スの継続態。他 氏の思惑に気兼ねして自らの忠誠心を控 ぞ」と明言し依嘱せられた大伴家の子孫らが代々言い伝え目に見た人 え目に示すようなことはしない、の意。 集が賞め称え聞く人の手本にもしように名誉ある清いその家名だぼん〇明き心ー公明で曇りのない心。〇祖の 職とー先祖代々からの職務であるぞと。 葉やりと軽く考えてかりそめにも先祖の名を絶やすな大伴の氏を名に持 冒頭から「祖の職」まで、天皇が大伴氏に 期待して言われた言葉。〇言立ててー言 萬つますらおたちょ やまと 立ツは、きつばりと言う、揚言する、の ( 磯城島の ) 大和の国に隠れもない名を持つ大伴の一族の者よ怠りあるな 意。〇子孫のいや継ぎ継ぎにーこの下に、 ( 剣大刀 ) いっそう研ぎ澄ますのだ昔から清く負い持って来たその名であその光栄を言い伝えて、のような内容が 省かれている。〇語り次ててーツギッは 順序を付けて並べる意の下二段動詞。こ おうみのまひとみふねざんげん いずものかみおおとものこじひすくね こは高く評価する意に用いたのであろう。 右は、淡海真人三船の巉言によって、出雲守大伴古慈斐宿禰が解任された。 〇鑑にせむをーこの鑑は模範の意。ヲは そこで家持はこの歌を作ったのである。 逆接だが反戻性は少ない。〇あたらしき ーアタラシは、このままにしておくのは 惜しい、の意。〇おぼろかにーぼんやり と。いい加減に。〇空言もー空言ニモの 意。空言は、出任せ、気紛れの言葉。 磯城島のー大和の枕詞。欽明天皇の 都宮、磯城金刺宮の名によってかけ たものという。〇名に負ふ伴の緒ー名ニ 負フは、名として持つ、の意。ここは、 人に知られていることをいう。伴ノ緒は 古代の豪族たちが私有民を率いて朝廷に 奉仕した集団。ここは大伴氏一族の者に 呼び掛けていう。 るぞ はんれい かなさし

8. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

だいさかんしようさかん が、大国並みに大目・少目と二人の目が 居た。↓ 3 三九五一左注。その館の位置不明。 六宝字八年 ( 実四 ) 藤原仲麻呂討伐に功 があったのにより正六位上から外従五位 はりまのすけ 下を授けられ、さらに飛駒守、播磨介に も任じられた。「伊美吉」は「忌寸」に同じ。 たかっき そとう セ高坏 ( 三犬 0 ) のこと。俎豆ともいい、 元来肉類を盛る足付き食器の象形文字。 なお、まめの意に用いるのは「荳」の転用。 八この「賦」は詩歌の材とする意。 跖油火↓四 0 五四 ( 灯火 ) 。ここは当時貴重 かや であった胡麻や榧・椿などの実から 搾った油を用いたものか。〇さ百合の花 のー下のノは対象語格を示す。対象語格 は「聞きのかなしも ( 四 0 兊 ) 、「見が欲し」 ( 四二 l) などとノ・ガをとることがある。 7 さ百合花ー以上三句、同音によって 8 ュリ ( 後 ) を起す序。 0 ゆりも逢はむ とーユリは後の意。後モ逢フは、今は逢 えなくてもせめて将来は逢おう、の意に 0 用いることが多い。ここは恋の歌に似せ て詠んでいるが、おそらく各人帰京した 後も親しくしようと語り掛けたものであ 第 ゆりばな 蛛】 7 ともしび ろう。すなわち作者はこのモを、今も今 灯火の光に見ゆるさ百合花ゆりも逢はむと思ひそめてき後も、と並立させる気で用いたのではな すけくらのいみきなはまろ いか。次の歌の「ゆりも」も同じ。 右の一首、介内蔵伊美吉縄麻呂 九 ↓四一一 00 左注。 せうさくわんはだのいみきいはたけむろつみ 同じ月の九日に、諸僚、少目秦伊美吉石竹の館に会ひて飲 あろじゅりはなかづら とうき 宴す。ここに主人百合の花縵三枚を造り、豆器に畳ね置き、 おのもおのも かづらふ 賓客に捧げ贈る。各この縵を賦して作る三首 油火の光に見ゆる我が縵さ百合の花の笑まはしきかも 右の一首、守大伴宿家持 てんびやうかんう へいえいら 天平感宝元年五月五日に、東大寺の占墾地使の僧平栄等に かみ 饗す。ここに守大伴宿家持、酒を僧に送る歌一首 やたち となみ もりへや 焼き大刀を礪波の関に明日よりは守部遣り添 ( 君を留 めむ あぶらひ せんこんぢし あ とど しな

9. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

4 ・ ゅ ル秋野には今こそ行かめもののふの男女の花にほひ見に 十 第 巻 ワ】 やちくさ 八千種に草木を植ゑて時ごとに咲かむ花をし見つつしの孝謙に譲位し、政治の実権は光明皇太后 とこれに拠る藤原仲麻呂の掌中に移り、 影の薄い存在になっていた。以下の六首 はな の歌には、天皇を敬慕同情する家持の純 粋な気持がこめられている。 炻高円の宮の裾廻ー廻は山麓周辺を いう。この語の使用からも離宮の位 置がかなり高い所にあったことが知られ る。現在高円山ドライプウェイの道路わ きに離宮跡と称する標識があるのはこの 趣によく合う。 0 野づかさーッカサは小 高い所。〇をみなへしはもーハモは現在 眼前にないものについて、今ごろどうな すそみ 高円の宮の廻の野づかさに今咲けるらむをみなへしっているだろう、どうしているだろう、 など思い遣る場合に用いる終助詞 7 もののふ↓四 0 九四 ( もののふの八十伴 はも の緒 ) 。ここは男女の別なく用いて いる。〇花にほひ見にーこの花ニホヒと は花やかに着飾って美しいこと。↓四三九七。 高円離宮で現在太上天皇の催す萩の花の 遊宴が行われているように想像していう。 あたらー惜しい、もったいない、な どの意。接頭語的に用いる。〇過ぐ っゅお たを してむとか ! この過グスは散りゆくまま 引秋の野に露負 ( る萩を手折らずてあたら盛りを過ぐしてにすること。ここは見に行く機会を得な いことを残念に思い、これでよいのか、 むとか と自らを責める気持でいう。 4316 4 引 5 みやひと そぞっ ごろもあきはぎ よろ ーたかまと 宮人の袖付け衣秋萩ににほひ宜しき高円の宮 右の一首、同じ月二十八日に、大伴宿禰家持作る。 をとこをみ外み

10. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

71 巻第十八 4114 ~ 4115 4115 やさ も百 ーコ 花 ゆ り も 逢 は む と 下児 延は る し な く は ー 1 も 経、 め 4114 まろね かず丸寝をすればいぶせみと心なぐさになでしこをやしなでしこ、と見える。株分け、挿芽も 行われるが一般には実生で、春直蒔する。 ゆり どに蒔き生ほし夏の野のさ百合引き植ゑて咲く花を出で下の「さ百合」と共に実景を対句的に写し ながら、それぞれ「その花妻」「ゆり」の ゆりばな はなづま 語を起す導人部のをなす。〇なでしこ 見るごとになでしこがその花妻にさ百合花ゆりも逢はむ がその花妻にーナデシコは花に続く時、 なぐさ あまざか ひなひとひ ナデシコノ花ともナデシコガ花ともいう。 と慰むる心しなくは天離る鄙に一日もあるべくもあれ ただしノをとったただ一例はほかならぬ 家持の歌 ( 一四突 ) であるが、一般にはガを や 用いる。ここは原文に「那泥之古我・ : 」と あって、ガと読むべきことが明らかだが、 内容的には、なでしこのような、の意で あるから、「なでしこの」と比喩を表すノ を用いるのが普通で、ガを用いているの 反歌一一首 は珍しい。花妻は花のように美しい妻。 をとめ なでしこが花見るごとに娘子らが笑まひのにほひ思ほゅ奈良に残して来た坂上大嬢をほめていう。 0 さ百合花ー同音によってユリ ( 後 ) を起 すが、形式面からは二句対の序の末端に るかも 当り、枕詞とも言い切れない。〇ゆりも 逢はむと↓四 0 全。〇あるべくもあれやー アレヤは反語。 娘子らー妻の坂上大嬢をさす。この 引ラは複数を表さない。 下延ふるーシタハフは心中ひそかに 引思うこと。シタは心の奥。延フは長 く延ばす意。 や類想歌一一会八・三九三三・四 0 八八。 まお おとものすくねやかもち 同じ閏五月一一十六日に、大伴宿彌家持作る。 うるふ ゑ あ