筑紫 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)
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1. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

257 巻第二十 4370 ~ 4372 4372 4370 4371 たちばな こ つくは 橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめ 力、も との許しを得る意でいう。〇荒し男ー勇 猛な男子。三突一一・四四三 0 などにも例がある が、ク活用の形容詞が複合する場合には 「荒 : ・」などと語幹から続くのが通例。〇 立しやはばかるー立シは立チの訛り。東 あもしし 国語では「母父ー ( 四三七六 ) 、「立し出もー ( 四三八 あめっし 三 ) 、「天地」 ( 四三九一 l) など、チがシに訛った 例が少なくない。 ・ハカルは障害にあっ てたじろぐ意。このままでは歌意が通ぜ ず「立ちはばかるやしの意と解しておく。 0 不破の関ー岐阜県不破郡関ヶ原町にか ってあった関。東山道から侵入する外敵 を撃退するための関所。 0 馬の爪ー馬の ひづめ 蹄をすり減らす、の意で尽クシと同音の 筑紫にかけた枕詞。ムマは実際の発音 あしがら さかたまは ゅ た かへり 足柄のみ坂賜り顧みず我は越え行く荒し男も立しやは〔 mma 〕に忠実な表記であろう。〇留まり 居てーチマルはトマルの訛りか。あるい かむづま わゆ むまつめつくし ばかる不破の関越えて我は行く馬の爪筑紫の崎に留まは祝詞に多い「高天原に神留ります」など のツマルの訛りとも考えられる。〇諸は もろもろ あれいは さけ 幸くと申すーこのモロモロは留守家族の り居て我は斎はむ諸は幸くと申す帰り来までに 者いろいろをさす。申スは神に祈る意。 四 しとりべのからまろ 四伝未詳。 右の一首、倭文部可良麻呂 三「防人部領使」に同じ。 六 きながのまひと ひたちのくにさきもりのことりづかひだいさくわん 六大国である常陸国の大目は従八位上 一一月十四日に、常陸国の部領防人使大目正七位上息長真人相当官。 七宝字六年に従五位下を授けられた。 くにしまたてまっ 国島が進る歌の数十七首。ただし、拙劣の歌は取り載せず。 ^ 元暦校本などには「廿七首」とある。 あられふ かしま すめらみくさ 霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍士に我は来にしを なかのこりじゃうていおとねりべのちふみ 右の一一首、那賀郡の上丁大舎人部千文 ゐ した ふは じよていうらべのひろかた 右の一首、助丁占部広方 あれく まを せつれつ あらを われき

2. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

天地の神々に幣を捧げ慎み守ってお行きなさいあなたわたしを思ってく 0 ワ 3 ださるなら 天地の神↓四三九一一 ( いづれの神 ) 。〇幣 しの 置きーこのオクは献上する意。「幣 集家の妻がおれを偲んでいるらしい本結びに結んでおいた紐が解けたこと 置かば」 ( 一当一 ) などの例はあるが、ヌサ 葉を思うと マツルという方が一般的 つくし 7 家の妹ろーイハ↓四四一六 ( 家なる我 ) 。 萬囲あなたを筑紫なんかに旅立たせてお気の毒で紐は解かずに案じながら寝 ィモロは妺に同じ。ロは接尾語。東 ることでしようか 歌の未勘国歌に「味ろを立てて」 ( 三哭九 ) と 馬屋の縄を切って出る駒のように残るものかと妻が言っていたのを置いいう例がある。〇真結ひに結ひしーマュ スヒは真結び。紐の端と端とを字形に て来て悲しい してからみ合せる最も一般的な結び方。 たばさ ますらおが矢を手挟んで的に向うようにまわりが静まってから家を出て = スフはフとムスプとの折衷形か。現 代方言でも結ぶことをユスプという地域 は多い。〇解くらく思へば ; 下紐が自然 に解けるのは相手が自分を思っているし うる るし、とする俗信による。「愛しと思へ りけらしな忘れと結びし紐の解くらく思 へば」 ( 一一 0 という例もある 筑紫は遣りて—このハはヘハの約か。 四四一三には「筑紫 ( 遣りて」とあった。 0 結は解かななーエヒはユヒの訛りか 四四一三に「於妣波等可奈 : 」 ( 原文 ) とあるた め、オビに通ずるエビと解されることが 多いが、原文に「叡比」とあり、その「叡」 はヤ行のエ ( ) の仮名であって、オビの 通音ェビとは解釈しにくい。 なわ ぬさ ひも

3. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

ひょう 0 霰降りー地名鹿島の枕詞。雹のばら ( 霰降り ) 鹿島の神を祈り続けて皇軍の兵士としておれは来たのだに じようていおおとねりべのちふみ ばら落ちる音がかしましいのでかけ 右の一一首は、那賀郡の上丁大舎人部千文 たか。 0 鹿島の神ー鹿島神宮。茨城県鹿 たちばな こかげ つくば 島郡鹿島町宮内にある東国第一の大神宮。 たけみかずちの 集橘の木陰を吹く風もかぐわしい筑波の山を恋い慕わずにいられようか しょていうらべのひろかた 祭神は天孫降臨に活躍した武神建御雷 葉 右の一首は、助丁占部広方 神と言い伝えるが、確かでない。〇皇御 萬足柄の神の坂を通していただきあとも見ずおれは越えて行く荒くれ男で軍士ースメラはスメロキと同源で天皇を つくしみさき 意味するが、接頭語的用法しかない。 さえ進みかねるという不破の関を越えて行くのだ ( 馬の爪 ) 筑紫の岬に クサはミイクサの約。イクサは兵士。 駐留しておれは慎み守ろう故国の皆達者で居るように神に祈る帰って来 lé常陸国の郡名。茨城県那珂郡および 那珂湊・勝田両市と水戸市の一部を含む。 るまでは 一一伝未詳。 なめ 1 橘の下吹く風ー『常陸風土記』に、行 右の一首は、可望紀甼 4 方郡および香島郡に橘の木が生い茂 おきながのまひとくにしま ひたちのくにさきもりぶりようしだいさかん 二月十四日に、常陸国の防人部領使大目正七位上息長真人国島が提出した っており、行方郡の新治の洲からは筑波 山を望見できる、とある。〇かぐはしき 歌の数は十七首。ただし、ったない歌は採録しなかった。 ↓四一一一 0 。〇筑波の山をー動詞恋フがヲ格 をとる珍しい例の一つ。〇恋ひずあらめ かもーメカモは東国語に多い反語表現。 「弦はかめかも」 ( 三四三七 ) などもその例 三伝未詳。助丁の歌が上丁のそれより 後に置かれているのは違例 足柄のみ坂賜りー足柄ノミ坂は神奈 川県南足柄市矢倉沢から地蔵堂を経 て静岡県駿東郡小山町竹之下に越える足 柄峠。高さ七五九」けこの賜ルは、旅人 の通過を妨害する手向の神に通行するこ 4370

4. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

289 巻第二十 4422 ~ 4425 おびと つくしゃ つるばみぞ 我が背なを筑紫へ遣りて愛しみ帯は解かななあやにかも = 伝未詳。 -4 色深くー防人たちは黒い橡染めを着 ばいせん ていたと思われる。ここは媒染の鉄 寝も 分が不足して色が淡かったのでいうか 〇み坂賜らば↓四三七一一 ( 足柄のみ坂賜り ) 。 タ・ハルはタマハルの約。 0 まさやかにー マは、完全・純粋の気持で冠した接頭語。 やこの夫婦の唱和だけが内容的によく調 和している。 四伝末詳。 五この年の二月は小の月で、この二十 九日はその月末、難波津来着の日限であ ったろう。 六宝字八年 ( 七六四 ) 藤原仲麻呂討伐に功 があったとして従五位下に叙せられてい さかたば ころも 色深く背なが衣は染めましをみ坂賜らばまさやかに見むる。武蔵は大国で掾は二人居たはず。 「大」「少」のいずれかの字があるべきと 四 めもののべのとじめ 右の一首、妻の物部刀自売 防人に行くは誰が背ー作者の夫が防 っ 4 六 あづみのすくね むざしのくにさきもりのことりづかひしよう 人に指名されて筑紫に行くのを見送 二月二十九日に、武蔵国の部領防人使掾正六位上安曇宿禰 る群衆の中の一人の女が言った言葉。〇 うらや の みくにたてまっ 見るがともしさーこのトモシは羨ましい 三国が進る歌の数二十首。ただし、拙劣の歌は取り載せず。 の意。見ルの主語は作者。〇物思もせず 0 ー第一二句の問フにかかる ◆防人の妻が自分の悲嘆を直叙せず、無 関心でいられる傍観者の言葉を借りて表 さを、もり ものもひ 防人に行くは誰が背と問ふ人を見るがともしさ物思もした歌。 わせ あしがら さかた いは いも そぞ 足柄のみ坂に立して袖振らば家なる妹はさやに見もかも さきたまのこりじゃうていふちはらべのともまろ 右の一首、埼玉郡の上丁藤原部等母麻呂 いろぶか はとりべのあざめ 右の一首、妻の服部呰女 五 た め せ そ うつく せつれつ み ころ。

5. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

0. たかまど 妻呼ぶ雄鹿ーヲシカは小さい雄鹿。 引高円の秋野のあたりの朝霧に妻呼ぶ雄鹿はたたずんでいることだろうか 4 かんせい 4 ここは大小と関わりなく雅語として 2 ますらおが喊声を上げたのでさ雄鹿が胸で押し分け行っていることだろう 用いた。〇出で立つらむかーこの出デ立 はぎはら ツは、姿を現してたたずむ意。 集その秋野の萩原よ 0 ますらをーここは俄か勢子の大宮人 ひょうぶのしよう 葉 右の歌六首は、兵部少輔大伴宿禰家持がひとりきりで秋の野を思い、まずは をさすか。〇呼び立てしかばーこの 萬 呼ビ立テは、狩で勢子が繋みに潜んでい 私感を述べて作ったものである。 み」を、もり る鳥獣を追い出すために大声を発するこ つくし てんびようしよう種う 天平勝宝七年二月に、交替して筑紫に遣わされる諸国の防人たちの歌 と。 0 胸別け行かむー胸別クはその胸で かや 草などを押し別けること。このムはラム 拒めない勅命を受けて明日から萱と寝るのかおまえも居なくて と同じく現在推量に用いている。連体格。 もののべりあきもち こくぞうていなかたのしも 右の一首は、国造丁長下郡の物部秋持 一兵部省の次官。従五位下相当官。家 おれの妻はひどく恋い慕っているらしい飲む水に影まで映ってとんと忘持は勝宝六年四月に兵部少輔とな 0 た。 ニ七五五年。「歳」は「年」に同じ。勝宝 れられない 七年正月に「歳」の字を採用し、九歳八月 に宝字元年と改元するまで続いた。 しらぎ っしまい 三唐・新羅の侵略に備えて、対馬・壱 岐および筑紫に配置された兵士。人員約 三千人、一交替約千人かという。「軍防 令」の記載によれば、所定の武具や難波 までの旅費は各自自弁で、各国司に率い られて難波津に集結し、その後、専使が さきもりのつかさ 引率して大宰府に至り、防人司の管轄に 人り、釛務に就いた。この当時東国兵士 を以て専ら充てていた。この防人歌には 防人のみならずその家族の作も含まれて おり、詠まれた時点も、出発時、道中、 4321 4322 おしか おじか にわせ (

6. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

さ 1 大君の遠の朝廷とー遠ノ朝廷↓四一一三。 ここは、大宰府は朝廷の地方官庁で あるぞと、の意。〇しらぬひー筑紫の枕 詞。〇敵守るー外敵の来襲を警戒する。 カまくらのこほりしゃうていまりこのむらじお嶽まろ 〇おさへの城ーオサへは鎮護。城は要塞。 右の一首、鎌倉郡の上丁丸子連多麻呂 〇聞こし食す↓四 0 八九。〇人さはに満ちて さがむのくにさきもりのことりづかひかみ ふぢはらのあそみすくなま はあれどー東国兵士がとりわけ勇敢であ 一一月七日に、相模国の防人部領使守従五位下藤原朝臣宿奈麻 ることを言うための前置き。〇鵙が鳴く ろたてまっ ー東の枕詞。〇東男ーこの東は遠江・信 呂の進る歌の数八首。ただし、拙劣の歌五首は取り載せず。濃以東をさす。〇出で向かひー国を出て 敵に直面し。〇顧みせずてー後ろを振り 向かないで。任務を完遂するまで個人的 事情を顧慮しないことをいう。〇猛き軍 士ータケシは、勇壮である、勢いが激し 防人が悲別の心を追ひて痛み作る歌一首剏せて短歌 い、の意。イクサは兵士。 0 ねぎたまひ とほみかど つくし あたまも 大君の遠の朝廷としらぬひ筑紫の国は敵守るおさへの ; ネグは上二段、慰めいたわる意。主語 は天皇。兵士を慰労する詔を勅使が読み よも ひと 城そと聞こし食す四方の国には人さはに満ちてはあれど聞せることをいう。 0 任けのまにまに↓ 四 0 九八。〇若草の ! ツマの枕詞。 0 あらた まの」」・年・月などの枕詞。〇月日数みつ 鶏が鳴く東男は出で向かひ顧みせずて勇みたる猛き軍 っーヨム : 四 0 七一一 ( 数みつつ ) 。〇葦が散る ー難波の枕詞。葦は古代難波の代表的景 二士とねぎたまひ任けのまにまにたらちねの母が目離れて 物。その穂が散るのは晩秋で、この歌が よ あし 作られた旧暦二月ごろには見られない。 若草の妻をもまかずあらたまの月日数みつつ葦が散る 観念的な枕詞であろう。〇難波の三津ー おぶね ゅふ難波津 ( 四三三 0 ) に同じ。 0 ま櫂しじ貫き↓ 難波の三津に大船にま櫂しじ貫き朝なぎに水手整へタ豊岩 ( ま梶しじ貫き ) 。 43 引 けふ 難波津に装ひ装ひて今日の日や出でて罷らむ見る母な しに なには とり・ おほきみ なにはっ みつ あづまをのこ よそよそ を かい かへり まカ かこレ」レ」の たけいく はは

7. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

萬葉集 232 4331 なにわ・つ 難波津ー一般に大阪市南区三津寺町 一難波津でだんだん用意も整い今日こそは出発することか見てくれる母も 4 辺とされるが、これに対して、それ なくて より二・五ー キ北北東の東区東横堀川高 しようていまりこのむらしおおまろ 麗橋辺にあった南北に長い人江を改修し 右の一首は、鎌倉郡の上丁丸子連多麻呂 さがみのくにさきもりふりようしかみ た人工港とする説がある。なお不明な点 一一月七日に、相模国の防人部領使守従五位下藤原朝臣宿奈麻呂の提出した歌 もあるが、難波宮や堀江の位置から推し てこの方が好都合と考え、これによる。 の数は八首。ただし、ったない歌五首は採録しなかった。 〇装ひ装ひてー着々装備を整えて。〇出 防人の別れを悲しむ心を後から思いやって作った歌一首と短歌 でて罷らむー詠嘆的疑問。このマカルは しず おおきみ つくし 大君の遠い伐所であるぞと ( しらぬひ ) 筑紫の国は敵を監視する鎮めの筑紫に下ることをいう。 とりぞ 一相模国の郡名。現鎌倉市にほぼ当る。 砦だぞとお治めになる四方の国に人は多く満ちてはいるがわけても ニ伝未詳。「丸子」は、「孝徳紀」に見え むらじ ( 鶏が鳴く ) 東国の男子は敵に向ってわが身を顧みず血気にはやる勇猛る東国人「椀子連」に合せてマリコと読む。 三宇合の第二子。兄広嗣の謀反に座し なる兵士であると褒めいたわられ仰せのままに ( たらちねの ) 母とも別れて伊豆国に流されたが、天平十四年 ( 七四 てまくら 一 l) に許され、大宰少判事となる。同十八 ( 若草の ) 妻の手枕もせず ( あらたまの ) 月日を数えて ( 葦が散る ) 難波の 年従五位下。越前守、上総守を経て相模 そろ 三津で大船に櫂をいつばい通し朝なぎに水手を揃えタ潮に 守となったのは勝宝四年で、宝字元年ま でその職にあった。その後民部少輔、右 中弁、上野守、大宰帥などを歴任、天平 神護一一年従三位。宝亀元年に良継と改名、 同八年内大臣従二位で薨じ、従一位を追 贈された。六十一一歳。薨伝によれば、宝 さえきのいま 字六年ごろ仲麻呂の横暴を憤り、佐旧今 えみしいそのかみのやかつぐ 毛人や石上宅嗣・大伴家持らと謀ってこ れを殺害しようとして発覚したが、ひと かば り罪を着て他人を此ったという。 かい めまくら ふしわらのあそんすくなまろ

8. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

おさかべのむしまろ 右の一首は、刑部虫麻呂 つくし 父母よ慎み待っていておくれ筑紫の水中の白玉をみやげに持って帰る日 集まで かわらのむしまろ 葉 右の一首は、川原虫麻呂 たちばなみおり 萬橘の美袁利の里に父を残して長い旅路は行きにくいことよ はせつかべのたりまろ 右の一首は、丈部足麻呂 っ 4 ま、ばしら 真木柱を祝って建てた宮殿のように堅固にあってくだされ母上お顔も変 らずに さかたべのおびとまろ 右の一首は、坂田部首麻呂 おれは旅は旅だとあきらめるが家に居て子をかかえ痩せておろう妻がい としい 4343 や 一伝未詳。以下八人の防人に身分の記 載がないのは一般の兵士だからであろう。 父母えートチはチチの訛り。あるい 4 はもと児童語か。工は呼び掛けの助 詞ョの訛り。〇水漬く白玉ー水に漬かっ ている真珠の玉。 ニ伝未詳。 橘の美袁利の里ー所在未詳。橘を清 水市小島町立花に当てる説もある。 〇道の長道ー長い道のり。ここは駿河か ら難波までの道中をいうのであろう。ミ チノナガテという語形もある。〇行きか てぬかもーカテズは不可能を表す。 三伝未詳。 真木柱ーケはキの訛り。マッノキを 4 マッノケと言った例 ( 四三 ) もある。 4 1

9. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

一。もが起きていて聞くのだほととぎすがこの暁に来鳴くその初声は 8 はなたちばな ほととぎすが来て鳴きとよもしたら草を取ろう花橘を庭に植えたりせず 4 たじひ 葉 都の丹比の家に贈る歌一首 えっちゅう 萬あなたに逢わずに越中の国で年を過していますとわたしの心のなごむ日 もありません しゅんえんばいか つくしだざい 筑紫の大宰の時の春苑梅歌に追和する一首 春のうちの一番の楽しみは梅の花を手折って呼び寄せ遊ぶことであるに ちがいない 右の一首は、二十七日に興味を覚えて作ったものである。 4174 たお あかっき 1 起きつつーこのツツは多数の人の習 慣的反復を表す。〇来鳴く初声ー倒 置してあり、第二句にかかる。 来鳴きとよめばーこのトヨメは下二 段トヨムの末然形。仮定条件。トヨ モサ・ハに同じ。〇草取らむー草取ルは不 明。同じくほととぎすの鳴くのを待っ歌 つくよよ 一九四三に「月夜良み鳴くほととぎす見まく われくさと 欲り我草取れりーとある。〇やどには植 ゑずてー越中の家持の公館に橘の木があ ったことは、この後の「我がやどの植ゑ 木橘」 ( 四一一 0 七 ) からも知られる。ここは、 こんな木は不要だ、というつもりで言っ たものか 一「丹比」は「多治比」とも書き、二十八 まひと 代宣化天皇の子孫で真人姓。橘氏と共に あがたもり 皇親系の名家。『万葉集』に県守・広成・ 乙麻呂などの名が見えるが、名を記さな いことも多く、四一一三も家持が京の丹比家 4172

10. 完訳日本の古典 第7巻 萬葉集(六)

類歌四四一三。その作者服部呰女はこの歌 を誦詠して自作に代えたものか 縄絶っ駒のー駒が厩の綱を振り切っ て飛び出して行くように、の意で後 ルガへを起す比喩の序。〇後るがヘーガ わさか へは「親は離くれど我は離るがへ」 ( 三四一一 0 ) 、 「合はすがへ」 ( 三四七九 ) など、動詞の終止形 を受けて反語を表す東国語特有の語法。 防人に出る夫について行くと言ってだだ をこねる妻の言葉。下に引用のトが省か れている。 荒し男のー荒シ男・・・四三を。このノは 上三句の内容の主格を示す。〇いを さ手挟みー「さっ矢手挟み」 ( 六一 ) や「投ぐ るさ」 ( 三三三 0 ) などの例から考えて、サは つくしゃ えひ 我が背なを筑紫は遣りて愛しみ結は解かななあやにかも矢の古語と思われるが、イヲは不明。 0 向かひ立ち ! 的に向って突っ立っさま 以上三句、的を見詰めている間、時間の 寝む 流れが止まっているような感じによって、 カナルマシヅミを起す序。〇かなるまし づみー「足柄のをてもこのもにさすわな あれ 十 のかなるましづみ児ろ我紐解く」 ( 三三六一 ) ともあり、これらのシ・ツミは、静まって、 静かになるのを待って、の意であろうが、 カナルマが不明。出発前夜のざわめきが 静かになって、の意と解しておく。〇出 “荒し男のいをさ手挟み向かひ立ちかなるましづみ出でてでてとこのトは係助詞ノの訛り 4427 天地の神に幣置き斎ひつついませ我が背な我をし思はば あらを 厩なる縄絶っ駒の後るがヘ妹が言ひしを置きて悲しも うまや わ あめっし ばの ろ 我わ を 偲 ら し 真ま 士ゆ 、ロす に 士ゆ 、ロす し 紐 の 解と く ら く 田も せず なはた ぬさ たばさ おく いは うつく いも わせ あれ い