縄が居住している掾の公館をさす。↓四 0 至題詞。 7 古き垣内ーカキツはカキウチの転。 垣で仕切られた地域をいう。後世カ イトと呼ばれ共同生活を営む農業中心の 村落をさすように変化するが、古くは個 人のかなり広域を占める住宅地をさした。 古キとあるのは以前池主が住んでいたの でいう。四一一 0 七ではその地をさして「我が 背子が垣内の谷」と家持が言っている。 〇いまだ含めりーフフム↓四 0 六六 ( 含みた りとも ) 。〇来ねーネは希求の終助詞。 ただし、来いと言われても国司が私用で 他国を訪れることは許されなかったと思 われる。↓四一三一 ( よしもさねなし ) 。 おも きうたく g 四 0 七五の歌をさす。 一、属目して思ひを発すに答へ、兼ねて遷任せる旧宅の西北 五昔の人の作品をさすのであろうが、 あうしゅうた 『万葉集』の中に該当すべき歌はない。 隅の桜樹を詠ひ云ふ 4 8 恋ふといふはえも名付けたりーエは わせこ かきっ さくらばな 能力・可能を表す副詞。打消と呼応 我が背子が古き垣内の桜花いまだ含めり一目見に来ね することが多いが、「さ小舟のえ行きて 八 泊てむ ( 一一 0 九 l) やこの歌のように打消を 十 伴わない例も古くにはあった。「恋ふ」と 第 すなは五 もち けふ 巻 いう言葉は実によく自分の気持を表して 一、所心に答へ、即ち古人の跡を以て、今日の意に代へて いる、と感心して言った。 0 言ふすべの なづ たづきもなきはーどう表現すべきか、そ 町恋ふといふはえも名付けたり言ふすべのたづきもなきはの手がかりもないほどっらいものとは。 こしのみちのなかのかみ 越中国守大伴家持の報へ贈る歌四首 一、左人のはくに答 ( て へだ あしひきの山はなくもが月見れば同じき里を心隔てつ しよしん 一、所心の歌 あひおも あや 相思はずあるらむ君を怪しくも嘆き渡るか人の問ふまで しよくもく おこ こた ふふ
右の一首は、 かみつけののきみするが こうャけのくにさきもりぶりようしだいさかん 二月一一十三日に、上野国の防人部領使大目正六位下上毛野君駿河が提出し た歌の数は十二首。ただし、ったない歌は採録しなかった。 葉 防人の別れを悲しむ心を述べる歌一首と短歌 おおきみ 一伝未詳。 萬大君の仰せのままに防人にわたしが出て来た時 ( ははそ葉の ) 母君は もすそ ニ伝末詳。上野は当時上国で目は一人 裳の裾をつまみ上げてわたしを撫で ( ちちの実の ) 父君は ( たくづのの ) のはずだが、ここに大目とあり、大国並 あふ 白いひげの上を伝って涙溢れ嘆いて言われたことに「 ( 鹿子じもの ) ひとみに目が一一人置かれているのは違例 8 任けのまにまに↓四 0 九八。〇島守ー防 あさとゼ りぼっちで朝戸出するいとしいわが子よ ( あらたまの ) 年月長く逢わな 人に同じ。壱岐・対馬などの九州西 北部の海辺を警備する任務によっていう。 かったら恋しくなるにちがいないせめて今日だけでも語り合おう」と言っ 〇我が立ち来ればーこの歌も防人の立場 なごり て名残を惜しみつつ悲しまれると ( 若草の ) 妻も子どももあちこちに で詠んでいる。〇ははそ葉の↓四一六四。〇 み裳の居摘み上げ↓四一一六五 ( 朕が裳の居に 群がって身を寄せ合い ( 春鳥の ) うめいて嘆き ( 白たへの ) 袖を泣き濡らし 斎ひて ) 。語り手が自分の親のことを他 手を取り合いⅡ 人に語るのに、接頭語のミやノタブ・イ マスなどの敬語動詞を用いるのは違例 家持が防人の身になりきっていない証と いうべきか。〇ちちの実の↓四一六四。〇た こうぞ くづののー白ヒゲの枕詞。タクは楮など の樹皮から採った繊維。ッノは未詳。 ただむき 「たくづのの白き腕」 ( 記神代 ) 、「たくづ のの新羅」 ( 四六 0 ) のように白にかけた例ば かりで、その色が白かったところからか けたのであろう。〇涙垂りーこの垂ルは さかん
こ ひとこゑ 立ちタには谷を見渡し恋ふれども一声だにもいまだ聞当時一般によそ者同士の結婚は許されず、 娘と同郷の若者たちは名誉にかけても娘 を奪おうとするよそ者を排除したことを こえず いうのであろう。〇たまきはるー命・世 などの枕詞。語義・かかり方未詳。〇争 ひにー競争で。〇処女らが聞けば悲しさ ー処女ラは壮士二人を含めた三人をさす。 聞ケ・ハの主語は家持。「照れる月夜の見 れば悲しさ」 ( 突一 l) と同じ表現。 0 にほえ 栄えてーニホュは、赤く照り輝く意ニホ フと同源のヤ行下二段動詞ニホュの連用 形。「にほえ娘子」 ( 三三 0 五 ) という例もあっ た。〇にほひにーこのニは比喩を表す用 法。〇あたらしきーアタラシは、惜しむ べきである、もったいない、の意。〇身 をとめはか ついどう の盛りすらーこのスラはスラヲと同じく、 処女墓の歌に追同する一首剏せて短歌 、であるのに、の意の逆接的用法。下の ちぬをとこ 古にありけるわざのくすばしき事と言ひ継ぐ千沼壮士過ギマシ = ケレに続く。処女がまだ若い 盛りに死んで行ったのでいう。〇いたは うなひをとこ いのち しみー気の毒だ、の意の形容詞イタハシ いや 一 4- 菟原壮士のうっせみの名を争ふとたまきはる命も捨てて のミ語法。一八 0 九では「倭文たまき賤しき わゆま 九 つまど をとめ はるはな 我が故」二人の壮士が争うのを見かねて、 + 争ひに妻問ひしける処女らが聞けば悲しさ春花のにほ ということになっている。〇申し別れて 巻 」か ー原文に「啓別而」とある。マヲスの方が え栄えて秋の葉のにほひに照れるあたらしき身の盛りす マウスよりも古形だが、奈良朝中期では こと マウスが一般的であったと認めて、マウ ちちはは まう いへざか らますらをの言いたはしみ父母に申し別れて家離り シと読む。↓四四 0 八 ( 祈り申して ) 。 4210 ふぢなみ 藤波の茂りは過ぎぬあしひきの山ほととぎすなどか来鳴 かぬ いにしへ ゅふへ しげ じようくめのあそみひろつなこた 右、二十三日に掾久米朝臣広縄和へたり。
死んだ妻を傷み悲しむ歌一首と短歌作者は不明である 天地の神々などないのかいとしいわが妻は遠く ( 去ってしまった光る神 おとめ 鳴りはた娘子と手を取り合って共に長生きしようと思っていたのに期待 集 葉は外れた。言うすべもしようもないので木綿だすきを肩に取り掛け倭文 ぬさ 萬幣を手に取り持って引き離し給うなとわたしは祈ったが交し合って寝た かいな 妻の腕は雲となって空にたなびいている 反歌一首 現にそばに居るものと思いたいものだ夢にだけ手枕を交すと見るのはた まらない あそびめ 右の一一首は、伝誦したのは遊行女婦の蒲生である。 がもう てまくら % 神はなかれやーナカレヤはナカレ・ハ ヤに同じく疑問条件だが、ここは、 ないのであろうか、という意味の文末的 用法に近い。疑問条件句の主格は格助詞 ノ・ガの類を伴うのが普通であるのに、 ーハか使われていることからも、こ れが文末形式に近いことがわかる。妻が 死んだことを悲しみ、神も仏もないもの か、と恨んだ言葉。〇愛しきーウックシ は弱小の者に対するいたわりの気持を表 す語。〇離るー遠のく。ここは死後の世 界に赴くことをいう。〇光る神鳴りはた 娘子ー光ル神が、稲光を放っ神、雷をい
一浜伝いにわれらが行ったら海辺から迎えに来てくれないかなあ海人の釣 舟が 集沖辺から満ち来る潮のようにますます慕わしくわたしが思うあなたのお 葉 迎え舟でしようかあれは 萬 水海に着いて遊覧する時に、各人思いを述べて作った歌 たるひめ 0 神々しい垂姫の崎は漕ぎ巡り見ても飽きませんどうすればいいでしよう 右の一首は、田辺史福麻呂 垂姫の浦を漕ぎつつ今日の日は大酒を召して楽しくお遊びなさい後の世 まで語りぐさにしましよう あそびめはにし 右の一首は、遊行女婦の土師 ぶね こうごう あまつり 我が打ち行かばーこの打チは乗馬を 急がせるために鞭を当てることを表 す。馬上に在って進行中でありながら、 この状態が未来に続くものとして、仮定 条件で述べている。〇海辺よりーこの海 辺は、国庁から布勢の水海へ行く途中右 ありそうみ 手に見える有磯海をさす。当時の海岸線 は、氷見線が走っている現在のそれ よりも沖合まで伸びていたと言われ、岩 崎の正面にある女岩辺まで陸地であった ようである。〇迎へも来ぬかー来ヌ力は 希求の表現。 満ち来る潮のー以上二句、イヤ増シ 4 を起す序。〇いや増しに我が思ふ君
189 巻第十九 4264 ~ 4265 しゆかうにふたう つか こまのあそみふくしんみことのり なったと思われる。〇返り言ー返事。復 従四位上高麗朝臣福信に勅して難波に遣はし、酒肴を人唐 命。〇豊御酒ートヨは美称。 せんみよう しふぢはらのあそみきよかはら ◆この歌の原文は大部分の古写本で宣命 使藤原朝臣清河等に賜ふ御歌一首剏せて短歌 書になっている。底本によって示せば、 うへ っちゅ やまと みづうへ 「虚見都山跡乃国波水上波地住如久 : ・」の そらみつ日本の国は水の上は地行くごとく船の上は床 ように助詞・助動詞や活用語尾の類が小 を たひら ふねふなのへなら 字で書かれており、『万葉集』の原本にす に居るごと大神の斎へる国そ四つの船船舳並べ平けく でにそう書かれていたのであろう。この とよみを、 かへことまう 歌には、聖武天皇が天平四年に派遣した 早渡り来て返り言奏さむ日に相飲まむ酒そこの豊御酒はに使らに酒を賜い、労をねぎらう歌 ( 〈 当 ) と共通の語句が認められる。建前か ら言えば、孝謙天皇 ( ↓四一一六八題詞 ) の御製 であるが、実際は宣命が中務省の内記が 草したものであるように、重臣を差遣す 反歌一首 る際にこれを慰労する御製の型がすでに ふね もすそ 四つの船はや帰り来としらか付け朕が裳の裾に斎ひて待あり、これに多少の変更を加えてその場 に合せたものであろう。 はや帰り来ーコはカ変クの命令形。 たむ 〇しらか付けーシラカは不明。木綿 こうぞ ( 楮から採った繊維 ) を細かく裂いて白髪 のように見えるものとする説がある。一 説に、シラカックと読み、色が白いこと を意味し、裳にかかる連体修飾と解する。 0 朕が裳のに斎ひてー裳の居に付けて まじないをすることをいう。このイハフ は、何らかの事の成就を祈って呪文を唱 えるなどのまじないをすることをいう。 4265 よ ま みことのりこた 詔に応へむために儲けて作る歌一首并せて短歌 らくえん いまつばひ 右、勅使を発遣し、并せて酒を賜ふ。楽宴の日月末だ詳審ら かにすること得ず。 おはかみ こ いは なには あひの わ いは とこ
4- -4- ・卞あまくも はぎしたば 二天雲に雁そ鳴くなる高円の萩の下葉はもみちあへむかも 一 0 巻 さちゅうべんな力とみのきょまろあそみ 右の一首、左中弁中臣清麻呂朝臣 ふたりみたりまへつきみたちおのもおのもこしゆと たかまと 八月十二日に、二三の大夫等、各壺酒を提りて高円の野 いささおもひ に登り、聊かに所心を述べて作る歌三首 をばな ひもと あ ただ 高円の尾花吹き越す秋風に紐解き開けな直ならずとも さきゃうのせうしんおとものすくねいけぬし 右の一首、左京少進大伴宿池主 だいなごんふちはらのあそみ 右、天平勝宝五年五月に、大納言藤原朝臣の家に在りし時も。山頂で紐を解き開けるのは暑さのせ いとくつろぐためであろうが、紐解くと せいもん せうしゆれいやまだのふびとっちまろ 、いう語が男女の交りを連想させるので、 に、事を奏すに依りて請問する間に、少主鈴山田史土麻呂 戯れて言った。池主は家持とこのような せうなごんおほとものすくねやかもち いは こと 軽口を言って興ずる親しい仲であった。 少納言大伴宿家持に語りて曰く、昔、この言を聞くといひ セ左京職の第三等官。正七位上相当官。 えちをんのしよう すなは この一、二年の間に池主は越前掾から京 て、即ちこの歌を誦せるなり。 官に転じていた。 ハ ↓四 0 当題詞。 % 雁そ鳴くなるーこのナリは伝聞推定。 萩の花は初雁の声を聞いて咲くとい われている。 0 萩の下葉ー下葉は花や上 葉の陰になっている葉。〇もみちあへむ かもー下二段のアフは、抵抗する、耐え 忍ぶ、の意だが、補助動詞的に用いて、 、しおおせる、の意を表すこともある。 十分に色づかないうちに、枯れたり風に 散ったりしないかと案じていう。 九 ↓四一一毛題詞 ( 左大弁 ) 。正五位上相当 官。清麻呂が左中弁になったのはこの翌 年の天平勝宝六年 ( 四 ) 七月で、これを さかのぼらせて記している。 ↓四四突題詞。従五位上でありながら 氏名姓順に署名しているのは私的敬称法。 家持より十六歳も年上だが、清慎温厚で 好ましいその人柄に敬意を表したのであ ろう。 てんびやうしようなう まう よ
りつう 謹んで思うに、先の数か条は立法の基盤であり、徳化の淵源である。ゆえに義一夫が妻に対して平等無差別に遇する ことをいう。 夫たるの道は、人情として夫婦は平等とする点にあり、一家財を共有するのが ニ同居共財とも。家産分割しない間は なにゆえ 集 当然である。何故に旧妻を忘れ新たな女を愛する心などあってよかろうか。そ同財は強制される。 6 大汝少彦名ー大汝は大国主命の別名。 葉 こで数行の歌を作り、旧妻を棄てる迷いを後悔させようと思う。その歌とは、 二神相助けて国作りしたという伝説 ~ 禺おおなむちすくなびこな で有名。『万葉集』では物事の由来を説く 大汝と少彦名の神代から言い伝えられたことに「父母を見れば貴く のに引かれることが多い。〇父母を見れ 妻子を見ればせつなくいとしい ( うっせみの ) 世間の道理だこれが」とこ ば貴くー以下の六句は、山上憶良の「惑 こころか、 のように言ってきたのにこれが世の人の守る約束であるのにちさの小花へる情を反さしむる歌」 ( 八 00 ) によったか。 律令制度の根本精神は人民を善導して良 の咲いている盛りにほやほやのその妻と朝夕に浮き浮きしたり時には民たらしめようとする儒教的教化徳治主 沈んで嘆いて語ったろうことは「いつまでもこうしていようか天地の義にあった。〇かなしくめぐしーこのカ ナシは、どうすることもできないほどせ 神のご加護で春花のような栄えの時期もあろう」と言って待ったその真っない、の意。メグシは見た目につらい さいくん ほどにかわいい意。〇うっせみのー世の っ盛りだぞ今は。離れ住み嘆く細君がいつになったら使いが来るかと待 枕詞。〇言ひけるものをー第四句の「言 あふ いみずがわ こころさび っていよう心淋しく。南風が吹き雪解け水が溢れ射水川に浮いて流れるひ継ぎけらく」に応じる。モノヲは逆接 みなわ だが、その逆接性は弱い。〇立つる言立 水泡のようにⅡ て↓四 0 九四。この言立テは俗諺・スローガ ンをいう。この前後、「父母を・ : かなし くめぐし」というのが「うっせみの世の 理」であり、また世の人の社会通念だ、 という構文であろう。 0 ちさの花咲ける 盛りにーチサは食用になるきく科のちし ゃ。夏期黄色く目立たない小花を開く。 下の「春花の盛りもあらむ」に対して、貧 ゆきど
ばんか 挽歌一首と短歌 4 天地の初めの時ゅー律令官僚たる者 は自己の任務に忠実であるべきだと かいびやく 幻天地の初めの時から世の中の官人たる者は大君に従うものと定まっ いうことを、天地開闢以来の伝統とし て言った。下の定マレルに続く。〇うつ 集た職にあるため大君の仰せのままに都を遠く離れた国を治めに来て かをく - も そみーウッセミ ( 四一六 0 ) に同じ。〇八十伴 葉 ( あしひきの ) 山川に隔てられ風雲まかせの便りはあるもののじかに逢わ の緒↓四 0 九四 ( もののふの八十伴の緒 ) 。〇 萬 ずに日が積りましたので恋しく思い嘆いているところへ ( 玉桙の ) 道を官にしあればーこのツカサは官職・官吏 の意。以上家持は自分の置かれている状 来る人がお一言づてですとてわたしに言うには「お気の毒にあの方は最近 況を一般化して述べている。〇鄙離るー 楽しまず嘆いておいでですこの世で何よりいやなことつらいことは咲く都から鄙へ遠く離れている。「天離る鄙」 の変化形か。家持はまた「しなざかる越」 花も時が経てば変りこの世の人も無常なものであることです ( たらちね という形を五回使っている。〇国を治む などう とー治ムトは、治めるとて、治めるため の ) 母堂がどういうお気でか時もありましように ( まそ鏡 ) 素晴しく に、の意。ただし、かかる所がなく、 ( 玉の緒の ) もったいない盛りに立っ霧がなくなるように置く露が消え「山川隔り」に、遠く下って来て、という ふ 気持を含めて続けたものと解しておく。 て行くように ( 玉藻なす ) 倒れ臥されて行く水のようにお引き留めできま 〇山川隔りーへナルには、山川や関など せんでした」とのこと狂人のうわ言を人が言ったのか人惑わしのでたらめの介在物が主語になる場合と、人が主語 あずさゆみ つまび うわさ となってそれらの介在物を中に置いて離 を人が告げたのか梓弓を爪弾き鳴らす夜音のように遥かな噂とは言え れ離れになる、という表現の場合とがあ 聞くと悲しくて ( にはたづみ ) 流れる涙はー る。ここは前者。〇風雲ー遠い所まで去 来するものの代表。ここはそんなものし か便りを頼むすべがないとしていう。〇 ふいん 道来る人ー京から計音を届けに下って来 た者を伝達内容の意外性を強調するため にこう言った。〇伝て言にーこのニは、 、であるとて、の意。〇はしきよしー四一 おおきみ
おおきみ 8 ますらをの心振り起しーマスラヲノ 大君の仰せのままに妻と別れるのは悲しいがますらおがその心を奮い したく 心↓四三三一。いかにもますらおらしい 起し支度を整え門出をした時 ( たらちねの ) 母は撫で慈しみ ( 若草の ) 勇猛心をいう。振リ起スは奮い立たせる じゅうぐ こと。〇取り装ひー戎具や携行衣食類を 集妻は取りすがり「何とか無事に居てわたしたちは慎み守ろうつつがなく ふ 身に着けて。 0 平けくー残る者が元気で 葉すぐ帰って来ておくれ」と両袖で涙を拭きしやくり上げながら物を言う 居ることを約束していう。以下「帰り来」 まで、母や妻が別れ際に言った言葉。 0 萬ので ( 群鳥の ) 発つのもつらく去りかねて振り返りつつしだいに遠く なにわ ま幸くてー防人が無事なことをいう。〇 国を離れて来だんだん高く山も越え去り ( 葦が散る ) 難波に到着しタ潮 ま袖もちーマノデは左右両方の袖。モチ に船を浮べて朝なぎに漕ぎ出そうとて潮待ちしてわれわれがいる時は、用いて、の意。〇むせひつつームセ フのフは清音。〇群鳥のー出デ立ツの枕 春霞が島辺に立って鶴が鳴くのが悲しく聞えると遥かに家を思い出し 詞。鳥の群れが朝早くねぐらを飛び立っ 習性によってかけた。〇出で立ちかてに 背負った矢がひゅうと共鳴するほどに激しくため息をついてしまった ー出デ立ッ↓四三当 ( 出で立っ我は ) 。カテ 海原に霞がたなびき鶴の声の悲しく聞える晩は故郷が思い出される ニは可能を表す下二段活用のカツに「偲 あしべ はく知らに」 ( 四一九五 ) などのニが付いた形。 家を思い眠れずにいるともの憂げに鶴が鳴いているその葦辺も見えない 0 いや遠にー次の「いや高に」と対をなす。 さか 春の霞で 人麻呂の「いや遠に里は離りぬいや 高に山も越え来ぬー ( 一三 I) などの模倣か。 0 船を浮け据ゑー浮ケは浮べ、据ヱは安 定させ、の意。「み船下ろ据ゑ」 ( 四三六一 (l) に 同じ。〇舳向け漕がむとー船首を進行方 向に向けて漕ぎ出そうとして。〇さもら ふとーサモラフは伺い待つ意。ここは潮 時や出発の合図などを待っことにいう。 トは、、とて、の意。 0 島廻ー島の周り。 ここは八十島と呼ばれることもあった、 4398