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検索対象: 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集
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1. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

在原業平 私が今日来なかったら、明日は雪となってどこかに消え ていたろう。たとえ、消えないでここにいたとしても、 歌私の花として見ることができるだろうか。 和 前の歌と合せて六歌仙時代の典型的な贈答歌である。 古 主題となっているものが、後世の貴族恋愛よりも古い 時代のいきいきとした恋愛である。 題知らず 読人知らず ひとたび散ってしまえば、いくら恋い焦れたところであ との祭になるからなあ。今日という今日こそ、意を決し て、折りたい桜ならば折ることとしよう。 読人知らず あまりに美しいので、折り取るのは惜しそうに見える桜 でもある。さあ、この家に宿をとって、散るところまで 紀有朋 私の着物は桜の花の色に、真心こめて色濃く染めて着る ことにしよう。それが花の散ったあとまでの記念になる ように。 花の中で遊ぶことから、その色に染色することを連想 したもので、野山で花見をした時の思い出であろう。 は見ようじゃないか 前の二首に続き、この二首も問答歌に仕立てられてい るが、二首とも男性の作のようである。主題が桜を散 る前に手折ることも双方に共通である。あとの二首で あんゅ も前のと同様に、桜は女性の暗喩であろう。なお、本 集中の、題も作者名もしるされない問答歌を本書では その都度注意することにする。

2. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

読人知らず これはお命の永遠に続くあなたに差し上げようとて折り 取った花なのです。それで花も季節にこだわらないで、 集今時分咲いているのでしたよ。 和 ある人の説だと、この歌は前太政大臣 ( 藤原良房 ) の作 である 古 時節はずれの花か、造花を長寿の祝いに持っていった 時の歌であろうといわれる。賀の歌の部に人れてもさ しつかえないものだが、前の歌にも祝意があるので、 それに続けてここに置いたものか。 読人知らず むらさきそう 7 ただ一本の紫草があればこそ、武蔵野じゅうに生えてい るすべての草が懐かしいものに見えるのである。 愛するひとりの人があるのでその関係者のすべてに親 しみを感じると後には解釈された歌であるが、本来は 草そのものへの愛着をうたったものであろう。歌の配 列からいえば、草に関する歌を前の花の歌の次に置い たもの。 そくたいうえのきぬ 自分の妻の妹を妻にしていました人に、束帯の泡 在原業平 を進呈するといって詠んでやった歌 紫草の色が濃い時には、目もはるかに芽を張っている野 辺の草木までも紫草と区別なしに懐かしいとは古歌にう たわれているとおり。親しい姉妹をそれぞれ妻にした私た ちが懐かしさを感じるのは当然でしよう。 作者がこの時贈った泡が紫であったかどうかまでを追 求する必要はあるまい。妻への愛情を通して、義弟へ の好意を古歌 ( 前出の八六七番 ) を踏まえ、表面では武蔵 野の草を詠んだ巧妙な技法の歌。 大納言藤原国経が参議から中納言に昇進した時に、 袍にするための染めてない綾絹を贈るといって詠ん 源能有 だ歌 9 無色の絹を贈るとはまさしく色のない ( 無風流な ) 人間 だとあなたはお思いでしようよ。しかし私はこの絹を、 以前からあなたを思う深い心で染めておいたのです。 衣服を贈った時の歌が続くが、前の歌が染めたものを 贈った時、これは白絹を贈った時という対照もある。

3. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

読人知らず 四 6 私は毎晩枕の方角の決めようもない。どんなふうに寝た 5 夜、恋人が夢に見えたのだったかしら。 集 寝る時の枕の方角によって、変った夢を見るという俗 歌 和 信があったのであろう。↓吾 読人知らず 7 人を恋する苦しい気持を、命をやるという条件で誰かが 5 貰ってくれるならば、死ぬことなんかいたって簡単なは ずなのだがなあ。 恋する心を命と交換できる「物」と見る類想は四八 0 番 などに見られ、素朴ながら理知的である。 読人知らず 「あの世」とかいうものに早くなってもらいたい。そう 読人知らず 5 したら、今、私の目の前で平然と構えているあの人を前 8 人の体でも慣らせば慣れるはずじゃないか。だから逢わ世の人だと思えるだろうから。 5 ないでいて、ひとっ試してみよう。逢わぬために恋い死 「来世」がうたわれてはいるが、観念的であり、むし にすることがあるだろうかと。 ろ現実に執着した歌である。 真淵は、前の歌までは逢わぬ恋の歌、この歌は一度逢 読人知らず …忍ぶというのは本当に苦しいものだ。あの人にわからな いように恋していることを、誰に告白しようかしら。 もんん 「忍ぶ恋」の歌が相変らず続く。契沖は『文選』巻十 こころひそ おも 九「神女の賦」 ( 宋玉 ) の「情ニ私カニ懐ウ、誰レノ者 ニカ語ル可キ」を引いている。 った後にまた逢えないことを嘆いた歌として、ここに 配された理由を疑っているが、松田武夫は「恋ひや死 ぬる」ということで前の歌と続くとする。 ひと

4. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

めかという状態になったので、「それならこれを都 在原業平 病気をして衰弱した時に詠んだ歌 に持って帰って、母に見せてくれ」と言って、使い 1 死というものが人生最後の行路だとは前から聞かされて の者にことづけてやりました歌 在原滋春 いたのではあるが、それが昨日や今日旅立つべき道であ 集 るとは思わなかったよ。 2 今度の旅はほんの一時の甲斐国にゆきかいの道だと思っ 歌 和 て来たのです。しかし、それが今では私の生涯で最後と 『伊勢物語』の最終段にあって、昔から有名な歌であ 今 る。特に無常思想を強調したり、悲しみを大げさに表いう重大な旅行だったのでした。 古 ふしめ 人生を旅、死を一つの節目とする前の歌を知っている 現したりすることなく、平凡な人間の心をそのまま述 上で作られた歌のようである ( 業平と滋春は親子 ) 。こ べている点で、かえって我々に親しみやすい歌となっ ているのであろう。 のほうが作者の環境などを具体的に説明しているので、 人の運命そのものを形象化した前の歌より迫力が少し 甲斐国に知人を訪ねようとて下って行ったところ 弱いであろう。 が、途中で急に病気になって、もうだめか、もうだ

5. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

古今和歌集 66 古今和歌集巻第一一 春の歌下 題知らず 読人知らず 霞がたなびく山のみごとだった桜の花ではあるが、もは や散る時期に向うのだろうか、色が少し変ってきた。 山の桜を遠望した者の作であろう。散る時期が近づい けいちゅう た桜がこの巻頭に置かれたことを、契沖は前の巻に盛 りの花までを載せたので、以後に散る花を掲げるため の準備とするためだとする。 読人知らず 散るのを待ってくれという要望にこたえて、もうしばら く枝にとどまってくれるものならば、私は何をすき好ん 読人知らず そうではない。形見一つ残さずに散るところが最高の美 徳なのだ。世の習わしとして、なまじ生きながらえてし まっては、最後が醜くなるのだから。 契沖をはじめ、この歌と前の歌とを問答と見る説が多 い。本来は問答でないものを、『古今集』の撰者がそ のように配列したのだろう。前の歌の作者名もそのた めに除かれたものか。↓九七・究。 で桜以上に愛するものをつくるだろうか。あまり早く散る ので、ほかのものに心を移すのさ。 散るのを惜しむ気持を、多少の恨みをこめて裏からい ったもの。ここでは読人知らずであるが、『素性集』 に出ている歌で、彼の作風に似たところがある。

6. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

一宵ごとに。「よひ↓一六六。ニ方角さえ もわからない。三どのように寝た夜、 あの方が夢に見えたのだったろうか。「かは、 話手自身がいずれとも定めかねている気持を 表す ( あゆひ抄 ) 。 一恋しいという私の気持と。ニ命と交 換できるものならば。「もの」は、確かな 事実・法則等の意。三「死ぬ」の名詞形。 一「慣らはしもの」は名詞で、習慣となる もの、習慣によってどのようにでもなる ものの意。「を」は詠嘆の助詞であるが、この な 人の身も慣らはしものを逢はずしていざこころみむ恋ひや死歌では願望がこめられている。 = このまま 焦れ死んでしまうだろうかと。「や」は問いか ける意。この句から第四句に返る。 ぬると 一我慢をしていると苦しいなあ。「もの を」は強い詠嘆。ニ ↓四突・五 0 六。三語 たれ三 忍ぶればくるしきものを人知れず思ふてふこと誰に語らむれるだろうか、誰にも語れないと疑問形では なく、反語にも解すことができる。 歌 恋 らいせ 一前世・現世・来世に分けたうちの来世 四 のこと。「も」は強意。ニ「早し」の語幹 第来む世にもはやなりななむ目の前につれなき人を昔と思 巻 で用言を修飾する。↓四二題詞。三目の前に いる冷淡な恋人。四過去 ( 前の世 ) の人だと はむ 思えるようになるだろう。「む」は、しぜんに そうなるだろうという推量。 恋しきに命をかふるものならば死はやすくぞあるべかり ける ね よひょひに枕さだめむ方もなしいかに寝し夜か夢に見え けむ かた あ しに よ 520 517 518 519 516

7. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

紀貫之 雪中の梅の花を詠んだ歌 梅の花の匂いが、そこに積っている雪の匂いと紛れるよ 3 うだったら、誰が花と雪とを区別して、これを手折るこ 集 とができようか 歌 和雪に匂いがあったなら : : : などと思いついたのはいか にも貫之らしい。真淵は、前の歌は花の上に雪が降っ 古 たところ、この歌は雪の積っているのに花が咲いたと ころを詠んだのだといっている。 紀友則 雪の降ったのを見て詠んだ歌 きごと 7 雪が降ったので、木毎に花が真っ白に咲いた。さて、 3 「木毎 ( 梅 ) 」に真っ白であるものの、雪の中からどれを 本当の梅と見破って折ればいいのかしら。 「雪の匂い , を想像している前の歌ほどには理知的で なく、「離合」という技巧を別とすればなだらかな歌 である。第五句が前のと全く同じなのは意識的な配列 であろう。 よそへ行った人の帰りを待って、十二月のみそかに 凡河内躬恒 詠んだ歌 8 私が待ってもいない新年はもはや目の先まで来てしまっ たが、今どきの枯草同様に離れてしまったお方は、帰る のはおろかお手紙さえもくださらない。 題詞の「待ちて」よりは『躬恒集』 ( 諸本 ) に「思ひや りて」「尋ねて」とあるほうが具体的だが、『古今集』 は歌の第一句の「またぬ」に合せて、題詞を変えたも のか。この歌以外は暦の上の年末を主題とする。 在原元方 年の終りに詠んだ歌 9 今年もまた暮れてゆく。だが、年の終りになるごとに雪 3 もますます降り、わが身にも古さが増してくるとは情け ないことだ。 冬の終りはすなわち年の終りである。後世「歳暮」 「除夜」という歌題もできるが、そうなると述懐的な 歌が多くなる。

8. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

寛平御時后宮歌合の歌 読人知らず 8 秋になれば木の葉はすべて色が変るが、私があなたを ことは 「思う」と言った言の葉だけは例外で、何年経っても色 集ひとっ変るものではありません。 和前の歌に続いて愛の不変を誓った歌である。変らない のは心でなくてはならないが、秋・色などの語の縁で 古 「言の葉」といったのである。 題知らず 読人知らず 敷物の上に着物をただ一人で敷き、今夜も私の訪れをさ びしく待っているのだろう、宇治の橋姫は。 あるいは末句を「宇治の玉姫ーとする 以下六首は「待っ恋」の歌である ( 契沖 ) 。この歌は橋 姫の説話に関係ある歌か、旅行者が家に残した妻を橋 姫に見立てたものかであろう。 読人知らず あなたが来てくださるのを待とうかしら、それとも私が いざよい 行こうかしらとためら 0 ていると、十六夜の月までがた 素性法師 1 暗くなったらすぐに行くよと、あなたが言われたばかり 6 に、私は九月の長い夜を待ちつくしましたが、 , 待ち人は きた ついに来らず、出るのが遅い下旬の月のほうが空に現れて しまいました。 前の歌の「いさよひーに対し「有明け」の月を詠んだ。 歌の配列によれば一夜だけ待った歌と解せるが、本来 は長い期間待たされた時の歌かもしれない。素性の父 遍照が第一、二句のよく似た歌 ( 七七 I) を詠んでいる。 同じテーマで二人が同時に詠んだものなら、この歌も 長い間待ったことを詠んだものとなろう。 まき めらいがちに出てきた。とうとうその月を眺めながら、槙 の板戸も閉ざさずに仮寝したことであった。 松田武夫は前の男の歌と呼応して女が男を待ちわびる 歌であるとする。「槙の板戸」は万葉以来の素材だが、 第三句の掛詞は『古今集』の技法である。

9. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

この歌は「ある天皇が近江国から出ていた采女に与えた ものである」と、ある人はいっている 采女が差し上げたもの 歌 和山科の音羽の滝という言葉はあるが、私はその音 ( 単な 古ⅱる評判 ) としてだって、他人に知られる恋をするもので すか。まして事実を知られるような言動は、絶対に慎みま す。 前の歌は左注が七 0 一一番とほとんど同じで、歌が『万葉 集』一一七一 0 の類歌。二 0 九は六六四番と重複するが、前の歌 の返歌の意味で重出させられたものか。 巻第十四 「思ふてふ言の葉のみや秋を経て」の歌 ( 交 0 の次 にある歌 いんぎようてんのう そとおりひめ 衣通姫がひとりおられる時に、背の君允恭天皇をお 慕い申しあげて詠んだ歌 0 今晩は夫が訪ねてきてくれそうだ。それを蜘蛛の動きが 1 今からはっきり知らせてくれる。 『日本書紀』允恭天皇八年の所載歌とほとんど同じで、 七七三の本歌でもある。作者といわれる衣通姫は「仮名 序」で小野小町の先駆者とする。

10. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

読人知らず 7 逢坂の関の傍に湧き出る岩清水は何も語らない。私は何 5 も言わぬが花と、心に秘めているのだが、片時も忘れは 集しない。 和第三、四句の同音の繰返しを中心として、母音ではじ まる句が多く、流麗な調べの歌である。逢坂の語によ 古 って、前の歌に続けられた。 読人知らず 私の心は表面に浮草が茂り、その下で静まりかえってい 5 る淵なのかしら。だから、深い心の底を誰も知ってくれ ないのだよ。 と九番と同じ構文の歌。第一、二句の初めに同じ音の 語を揃えて調子を整えている。前の歌の水 ( 清水 ) の 縁で浮草の歌を配列したものか。 読人知らず 9 思いわずらった末は、大声で呼び続けるだろうが、それ 5 に山彦が答えない山はあるまいと、私は思う。しかし、 あの人だけは決して返事をしてくれない。 最後にはきっと返事があるはずだとも解せる歌だが、 この辺には絶望的な歌が配列される。『後撰集』九七 0 も 読人知らず むというものが人換えのできるものであってもらいたい。 そうしたら、あの人の心と人れ換えて、私の片思いがこ んなに苦しいのだと、知ってもらおう。 れっし へんしやく 第一、二句は『列子』湯問篇の扁鵲という名医が、人 の心を人れ換えたという説話に拠る。「片恋」という 語は『万葉集』二七・一一七突に見られる。 読人知らず 1 遠く離れて恋するのは苦しいものだ。人紐を通すように 二人が一つ心になって、さあ、結び合おうよ。 読人知らず 氷は春になれば消えて残らなくなるのだ。あなたの心も 残るところなく私にうちとけてもらいたい。 二首とも「忍ぶ恋」の歌と違い、不和になった相手と の和解を望む歌である。前の歌の「心に結ぶ」と、こ の歌の「心が解ける」とを対照させ、さらに五四一一番か らこの巻の終りまでを季節順に配列するために、やむ をえず異質の歌を人れたのであろう。 「返事せぬ人につかはしける」として載せる。 いれひも