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検索対象: 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集
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1. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

読人知らず 題知らず この実は梅の花が咲いた後になったものだからなのだろ 1 うか、酸つばいとばかり人が言っているのは。私もまた 集人からすき者だといわれている。 和 上の句は結局自分の若い時の好色を認めているので、 そこにおかしさのある歌である。梅の実を人に贈るか、 古 あるいは贈られたかした時の歌であろう。 おおい 宇多法皇が大堰川にお出まし遊ばした日に、「猿、 山の峡に叫ぶ」という題を出してお詠ませになった 凡河内躬恒 時の歌 猿よ、そんなに心細そうに鳴いてくれるなよ。山の峡に 」るお前たちには、今日こそい」声で鳴」て鳴きが」の かい かい ある日ではないか。 九一九番と同じ時の献詠歌で、意識して滑稽味を出そう としたものではあるまい。「ましら」は歌語または雅 語であり、この語が俗語であるからこの歌が誹諧歌で あるとする説はよくない。 読人知らず 題知らず 私は世を捨てた行雲流水の身の上、木陰があれば今夜の 1 宿とうつぶしますが、そんな時の着物をうつぶし染めの 麻の衣というのです。 僧侶が自分の着物を詠んだものとも、誰かが僧衣を贈 る時に添えた歌だろうともいわれる歌である。

2. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

5 凡例 凡例 一、本書の本文は、貞応元年十一月二十日の藤原定家の奥書をもつ高松宮家所蔵の伝二条為世筆本を底本と し、同系統の故池田亀鑑氏旧蔵桃園文庫本、故西下経一氏蔵初雁文庫本などをもって校訂した。 一、底本には「真名序」がないので、宮内庁書陵部蔵の貞応一一年書写の定家本である享禄一一年三条西実隆筆 『古今和歌集』 ( 繝 行 ) の「真名序」をもって補った。 一、「真名序」は、適宜段落にくぎり、書下し文によって掲げ、原文は後に一括して示した。原文の訓読に は、書陵部所蔵の伝一一条為重筆、貞応一一年本『古今和歌集』 ( 高・当訓点をはじめ諸書を参考にした。 一、本書の本文は、読解の便宜をはかるために次に示すような改訂を加えた。 ことばがき 濁音と推定される語には濁点を加え、仮名序・真名序・詞書・左注については適宜改行をし、会話等 の部分は「ーでくくった。 2 適宜、仮名書きの語を漢字に改め、漢字で表記されている語を仮名書きにした場合もある。また、原 則として常用漢字以外にはふり仮名をつけた。特に歌においては漢字・仮名の一方にかたよって読みに くくなることを避けたが、その改訂には原則的な統一性はない。 はつおん 3 仮名づかいは歴史仮名を用いた。この場合、撥音 ( はねる音 ) については、活用語の「む」「らむ」 「けむ」等は「む」とし、他はすべて「ん」と表記した。「むめ ( 梅 ) 」「むま ( 馬 ) 」「むばたま」の類は、 おくがき

3. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

335 巻第十三恋歌三 0 恋人の家を訪れたがむなしく引き返した歌 に始り、そのために浮名が立ったこと、せつ かく逢ったが夢のようにはかなく過ぎたこと、 その翌朝の悲しかったことなどをうたった歌 えしやじようり へと続いていく。「会者定離」の宿命におびや かされた恋人たちにとって、恋に伴う情緒は 喜びではなく、彼らは別離の不安に恐れおの のいている。 ついたち 一三月 ( 陰暦 ) の一日ごろ。朔日は月の第 一日目または上旬。「より」は動作の行わ れる場所・時間を示す助詞。「に」「ころに」 とある古写本もある。ニひそかにの意であ るが、忍ぶ恋の場合に多く用いられる語。三 女と語り合って。「ものらー↓評。『教長註』に よひついたち コトトモの意で、小野道風が女性にあてた消 弥生の朔日より、忍びに人にものら言ひて、のちに、 息にコトラの語があるという。「らは、事物 ありはらのなりひらのあそん 雨のそほ降りけるによみて遣はしける 在原業平朝臣をおおよそに示す接尾語。四「そほ降る」は、 雨が霧のようにしめやかに降る意。『邦訳日 よる ね 起きもせず寝もせで夜をあかしては春のものとてながめ暮し葡辞書』に「 sou ぎソプフル細雨が降る詩 歌語」とある。五一夜を明かした翌日の今日、 は。「は」はあることを提示し、下にその説明 っ 等をもとめる形をとる助詞。六長雨を春の 景物と見て、物思い ( 昨夜眠られなかった程 ふけ に恋の思いに苦しんだ、その延長 ) に耽って なが 一日を暮した。物思いの意の「ながめ」に「長 雨」をかける。「つ」は、話手の意志が加わっ た完了を表す助動詞。 お 古今和歌集巻第十一一一 なりひらのあそん 業平朝臣の家に侍りける女のもとに、よみて遣はしけ る こひのうた 恋歌三 としゆきのあそん 敏行朝臣 616

4. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

一どれと指定して私の宿りだといったら よかろうか。「いづれかは反語。どれと 指定しても仕方がないという意。「わが」の下 に末句にある「宿」が省略された形で、本集で は珍しい語法。ニ歩いていって足が止った 所をその夜の宿りと決めるのだ。「宿」はここ では「やどり」 ( 旅先で泊る所 ) ↓七六。 一今の大津市辺 り。ー↓三七四。ニ「嵐の風」 三この句の主語は嵐 は強い風。↓一一四九。 でもあり、作者でもある。四寝にくいなが らもここに寝るのだ。「わぶ」は「寝わぶ」の略 で、こういう場合は、・ : しかねるの意。 一「風のうへ」という言い方は珍しいが、 風にのって、風に従っての意で、風に吹 かれる塵の軽々としている状態をいったもの である。ニ徴小で数にも人らぬものにしば みじん 伊勢しばたとえられる。仏教語の微塵によるか。 家を売りてよめる ↓一 00 三。三古今集時代の歌語。↓一三。 あすかがはふち ↓三四一。ニ「淵」と「扶持」の掛詞か。 网明日香川淵にもあらぬわが宿も瀬にかはりゆくものにぞあり 下 九三三番を本歌とし、川の淵でもないわが 歌 家といい、さらに私の扶持 ( 助カ ) でもないと 雑ける いう意を裏に持たせたものと見る。三「瀬 十 に」と「銭」の掛詞。本歌によって、淵でもな 第 巻 いわが家でも瀬に変ったという意を持たせる。 一↓三全。ニ「まかる」は謙譲語。「通ふ」 は同じ所に何度も行くこと。「つつ」は動 作の反復。三「来る」意の謙譲語。 あふさかニ 逢坂の嵐の風は寒けれどゆくへ知らねばわびつつぞ寝る ちり 風のうへにありかさだめぬ塵の身はゆくへも知らずなりぬべ らなり ゅ 世の中はいづれかさしてわがならむ行きとまるをぞ宿とさだ むる 筑紫に侍りける時に、まかり通ひつつ碁うちける人の もとに、京にかへりまうできて遣はしける 紀 友 987 988 989 991

5. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

題しらず 読人しらず うばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざり 第けり 巻 さいぐう 一下向した時。「まかるー↓一七 0 。ニ斎宮 業平朝臣の伊勢国にまかりたりけるとき、斎宮なりけ に住んでいた女性とも、斎宮であった皇 あした五 女とも解せる。「斎宮」は、伊勢神宮に奉仕す る人にいとみそかに逢ひて、またの朝に、人やるすべ る未婚の内親王または女王で、もとはその居 なくて思ひをりけるあひだに、女のもとよりおこせた 所を指した。三人目を忍んで。漢文訓読体 ではヒソカニを使う。本集では「しのびに」が りける 読人しらず多い。四翌朝。五手紙を届けさせる使い。 六「をり」は、動作・状態の継続を表す。 ね ↓全。ハ夢だっ 君やこし我やゆきけむ思ほえず夢かうつつか寝てか覚めてか一五三。セ「思ほゅ」は歌語。 たのだろうか、それとも現実だったのだろう か。「か」は、詠嘆をこめて話手の疑問を自分 自身に問う意の助詞。 一かき乱すように真っ暗にする。分別を 失わせる。ニ分別を失った心を闇にた とえているが、ここの闇は昨夜の実際の状況 を連想したものか。次の歌の例を参照。三 世間の人。第三者。 一闇・夜・黒等の枕詞。ニ闇の中の現 実。闇の中で実際に恋人と逢ったのであ る。三はっきりと見た。四二人が逢ってい る夢のこと。 一「さ」は接頭語。ニ空を渡る。↓一二一一。 ここでは月を舟にたとえる。三物足り なくも ( ↓枩 l) 。「も」がついた修飾語は下の 句全体を修飾する。四あなたに逢ったこと だった。「あひ」は、互いにの意を持っ接頭語。 さ夜ふけて天の門わたる月影にあかずも君をあひ見つるかな「見る」は、男女が逢うこと。 業平朝臣 やみ かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人さだめよ あまと 六 いせのくに一 四 よひと

6. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

343 巻第十三恋歌三 631 ・も A 」、刀・た一 一あなたのほうはさあ ( どうか知らない けれど ) 。↓四一一。「人」は、相手とも第三 人はいさ我はなき名の惜しければ昔も今も知らずとを言はむ者ともとれる。 = 事実無根の噂。 = あなた を知らないと言いましよう。「を」は詠嘆。 一懲りずに。「ま」は状態を表す接尾語。 「に」を伴って副詞的に用いられることが 読人しらず 多い。この句は第二・三句を修飾する。ニ こりずまにまたもなき名は立ちぬべし人にくからぬ世にし住人 ( 異性 ) を憎くは思えない現世。この世に住 めば人を愛するのは宿命だとする。 一東の京 ( 平安京の朱雀大路を境とした まへば 観東の部分 ) の五条大路付近。 = 人 ( 女性 ) とあらかじめ親しい関係を結んでおいて。三 「まかる」は他の動詞について謙譲語を作る かよ ( ↓四 0 六 ) 。「通ふ」は、関係を結んだ女の所に 東の五条わたりに、人を知りおきてまかり通ひけり。 五 行くこと。四必ずしも門から人ることがで カど かきくづ きないで。下に打消のある「しも」は、必ずし 忍びなる所なりければ、門よりしもえ人らで、垣の崩 ついし ふ も : ・の意。五築地 ( 土塀 ) 。六伏す ( 下二段 ) は隠す、ひそませる。セ逢うことができな れより通ひけるを、たびかさなりければ、主聞きつけ いでばかり。ハ誰にも知らせない。「知れ」 よごと ( 下二段 ) は知る ( 四段 ) の使伎形。九↓二谷 てかの道に夜毎に人を伏せて守らすれば、行きけれど 一 0 毎晩。夜毎。「よひ」↓一六六。男が忍んで通 業平朝臣う時間。 = 居眠りなりともしてもらいたい。 も逢はでのみ帰りて、よみてやりける 「うちも」は接頭語「うち」に「も」がついたもの。 かよぢせきもり一 0 ね 人知れぬわが通ひ路の関守はよひょひごとにうちも寝ななむ宣長は「チョットナリトモ」と訳す。「なむ , は 活用語の未然形につき、他に対して不可能と 思いながらも誂え望む意の助詞。 を ふハ い あるじ い 631

7. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

られる。それには白詩風の漢詩を作り、宇多天皇の行幸に従って和歌も作った道真の指導力も考慮に人れる べきであろう。『万葉集』への撰者たちの憧れは『古今集』の序によってもうかがわれるが、最初は模倣に 集始り、『古今集』の撰進後になれば、万葉語を彼らの作風に合うように同化する方向に進んでいったことで 和あろう。 参考書〇小沢正夫『作者別古今和歌集』 ( 昭明治書院 ) 〈以下は撰者時代の歌人を主として論じたもの〉〇峯岸義秋 年代順 『平安時代和歌文学の研究』 ( 昭桜楓社 ) 〇藤岡忠美『平安和歌史論』 ( 昭桜楓社 ) 〈以下は一人の歌人を主とす るもの〉〇横田幸哉『小野小町伝記研究』 ( 昭風間書房 ) 〇片桐洋一『小野小町追跡』 ( 昭笠間書院 ) 〇山口博 『閨怨の詩人小野小町』 ( 昭三省堂 ) 〇蔵中スミ『歌人素性の研究』 ( 昭桜楓社 ) 〇目崎徳衛『紀貫之』 ( 昭 吉川弘文館 ) 〇大岡信『紀貫之ー「日本詩人選」 7 ー』 ( 昭妬筑摩書房 ) 〇菊地靖彦『古今集以後における貫之』 ( 昭 桜楓社 ) 〇村瀬敏夫『紀貫之伝の研究』 ( 昭桜楓社 ) 〈以下は古今集の表現に関するもの〉〇小島憲之『古今集 以前』 ( 昭引塙書房 ) 〇菊地靖彦『古今的世界の形成』 ( 昭笠間書院 ) 〇表現の研究には小町谷照彦・鈴木日出男 などの雑誌論文がある。 五むすび 和歌に用いられる枕詞・序詞・縁語・掛詞、その他の独自の言いまわしや特殊の単語 ( 歌語 ) などはどの 時代にあっても日常の会話とは別のものである。それらは広くいえば表現技法のうちに人るだろうが、その 時代の歌人たちはいうまでもなく後世の読者・研究者たちの間に共通のことばであり、詩 ( 歌 ) の言語、詩 ( 歌 ) の文法などと呼んでもいいだろう。 かような言語はその時代のロ語や外来語を取り人れて、かえって新鮮味を加えることもあるだろうが、ど

8. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

東歌 歌 みちのくうた 東 陸奥歌 あぶくまき 第阿武隈に霧り立ちくもり明けぬとも君をばやらじ待てばすべ 巻 なし ながはままさご 君が代は限りもあらじ長浜の真砂の数はよみ尽すとも にんなお椴んべいせのくに これは仁和の御嘗の伊勢国の歌 大友黒主 ちとせ あふみ 近江のや鏡の山を立てたればかねてそ見ゆる君が千年は 四 きんじゃう これは今上の御嘗の近江の歌 あづま うた おにとものくろぬし 一帝のご寿命。ニ三重県員弁郡にある という。「長」という語で特に「大きい」と いうことをいおうとしたもの。三「よむ」は 数を数えること。四光孝天皇 ( ↓一二題詞 ) の 大嘗祭。 跖一「近江の、と同じ。「や」は語調を整える ために添える語であるが、この「やーによ り第一句が独立語的なものとなり「近江国で 八究。三今から前 は」の意に近くなる。ニ↓ もって鏡に映って見える。「ぞ」によって「か ねて」を強調している。なお、第四句と第五 句とが倒置されている。四「今上ーは醍醐天 皇。 みちのく 一伊勢国以東、陸奥までの歌を収めている。 東国地方の歌謡として、宮廷または諸社の神 事において演奏された東遊びの歌詞の中から 選んだものであろう。 7 一ここでは阿武隈川。福島県・宮城県を 1 流れ太平洋に注ぐ。ニ「君ーは、歌を詠 みかける相手。ここでは恋人。三苦しくて どうしようもない。 いなべ

9. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

127 巻第四秋歌上 人のもとにまかれりける夜、きりぎりすの鳴きけるを 一「行く」の謙譲語。 ↓一七 0 。勅撰集なの ふぢはらのただふさ 聞きてよめる で、臣下の行為を帝に申し上げる意味で 藤原忠房 謙譲語を使用した。ニ今のこおろぎ。三ひ きりぎりすいたくな鳴きそ秋の夜のながき田 5 ひはわれぞまさどく。仰山に。 0 「な・ : そ」は、優しい禁止 表現。五秋の夜長と自分の思いの長いこと をかける。六私のほうがまさっている。 れる ありはらのもとかた 月をよめる 在原元方 秋の夜の月の光しあかければくらふの山も越えぬべらなり ただみね ひさかたニ かつら 久方の月の桂も秋はなほもみぢすればや照りまさるらむ これさだのみこのいへのうたあはせ おえのちさと 是貞親王家歌合によめる 一↓一八九。ニさまざまに。限りなく。三 大江千里 「物」は何となく。↓ 一四五。「こそ」は、特 月見ればちぢに物こそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらに強調する意を表し、後続句との接続は逆接 になることが多い。ここでは「物」ではなく ねど 「ちぢに」を強調すると見る。 よ 五 一↓一七三。ニ桂の大樹が月に生えている という中国の伝説が日本に伝わっていた。 三するからなのか。「や」の結びは「らむ」 ( 連 体形 ) 。四複合動詞。月がいっそう輝くのだ ろうか 一光がこんなに明るいから。「し」は、そ れがついた語を特に指示する助詞。ニ くらふ山と同じ。↓三九。三たしかに越える ことができそうだ。「ぬ」は、ここでは末来の ことを述べているのだが、それが確実である ことの判断として用いられている。「べらな 195 196 194 193

10. 完訳日本の古典 第9巻 古今和歌集

古今和歌集 6 「うめ」「うま」「うばたま」と表記した。 4 異体字は原則として現行の漢字に改め、当て字書きは普通の書き方に改めた。 5 作者表記に関しては、姓名ともに記されている場合には漢字で、名のみの場合は仮名で表記するのを 原則とした。また黒主の姓の「大伴」は「大友」に改め、「遍昭ーは「遍照」に統一した ( 校訂付記六一 五ハー参照 ) 。 6 底本にある作者注記・イ本との異同・声点の類はすべて省略した。 一、前項に示した範囲外に本文を改訂した場合は、巻末の「校訂付記」に記した。 一、本文の歌番号は『国歌大観』の番号によった。 一、脚注には作品の理解に必要な各種の事柄を簡明に記すとともに、原作の語法に即した現代語による言換 えを試みたところもある。 一、重要なことば・語法については、同様の説明を繰り返すこともあるが、前に説明がある場合や類例・類 ↓印によりその歌の番号を掲げた。 句・類想を参照してもらいたい場合には、 一、漢詩文を引用するには、かた仮名で現代仮名づかいによる書下し文とした。ただし、ダ行下二段の動詞 の終止・連体・已然形の語尾はヅ・ヅル・ヅレとした。 一、各巻のはじめには 0 印を付し、その巻の性質を概説した。 一、現代語訳は、それだけ独立しても意味がよくわかるように努めたので、ときには原作の語順・語法を変 え、また原作にない語句を補った場合もある。 一、現代語訳の後に二字下げで、鑑賞批評、前後の歌との関連など、その歌の全般に関することを記した。