方違えのためによその家に厄介になりにいった時に、 主人の着物を貸してくれたので、翌朝返しがてら詠 んだ歌 紀友則 集 6 拝借した夜の着物は蝿の羽のように薄いものですが、香 和 がみごとにたきしめてありましたので、今では私の下着 古にそれが移って、いい香りを放っています。 平易な歌であるが、優美な言葉を取り合せてあるので、 なんとなく口マンチックに感じさせる。 題知らず 読人知らず 出るのが遅くて人を待たせる月だ。しかし、山の向こう 側で人々が月との別れを惜しんでいるので、彼らを残し てこちらに来るわけにいかないのだろう。 秋の十五夜の月を待つ人の心と見たいが、雑の部に置 かれたのは季節にかかわらないとしているのであろう。 この歌から八八三番までは、月の出から月の人りまでの 経過に従って、歌を配列している。 読人知らず さらしなおばすてやま 8 私は心をついに慰められなかった。更級の姨捨山の上空 8 に輝く月を見た時はかえって悲しくて。 かたたが 在原業平 9 よく考えてみたが、私は人の愛でる月だって愛でること 8 はしまい。このことが積り積れば、人を老いさせる原因 になるのだもの。 月を見ると不吉だという俗信は、阪倉篤義の『竹取物 語』 ( 日本古典文学大系 ) に詳しく説明されるが、不吉 であるうえに人を老いさせるといっているのは、この むか 歌と『白詩文集』巻十四の「月明ニ対イテ往事ヲ思ウ コト莫カレ君ノ顔色ヲ損ジ君ノ年ヲ減ズ」という詩 句とだけのようである。 この地方に旅をした人の歌であろうか。昔の旅の実感 がしみじみとうたわれた歌と見る。ただし、この山に 老人を捨てた人の歌だとか、その捨てられた老人の歌 としよりずいのう だとかいう伝説も『大和物語』や『俊頼髄脳』などに ある。 め
題知らず 読人知らず 読人知らず うわさ 9 あなたを忘れようとする私を恨んではいけません。ほと 世人の噂がこれほどうるさくては、いくら忘れないとは いえ、しぜんに遠ざかってしまいそうだ。 7 とぎすをご覧なさい。あれほど人に愛されていても、秋 「蝿」に縁のある歌を二首配列してあるが、あとの歌まで鳴こうともしません。私だって人に厭きられるのを待 歌 和 は七 0 一一番などと同じ主題の歌である。 っていたくありません。 以上三首、愛情が高潮している時に終末を恐れる歌が 続いたが、冷えた心もどこかにちらついている。 読人知らず 7 愛している間柄の者が離れるのは、十分に楽しみを尽さ 7 ない間のほうがいいだろう。それだったら別れる時の名 残惜しさだけでも、後々の記念にできるから。 何かの品物よりも、純真な感情を記念として残したい というのだが、素性などが好みそうなテーマである。 読人知らず あの人を忘れてしまおうと思う心が起るとすぐに、前に ~ もまして恋い焦れる心が真 0 先に起 0 てくる。 「忘れよう」というのは相手の不実を恨んでいるのだ ろうか。徴妙な人間心理を詠んだもので、『和歌躰十 種』にいう写思体の歌。 読人知らず あすかがわ 絶えず流れる飛鳥川がもし淀むことがあるならば、流れ 7 に深い所があるからだとあの人は思うだろうよ。私の通 うことがとどこおったら、二心を持ったのだと思われるだ ろう。 この歌は、ある人の言では、中臣東人の歌である 中臣東人の歌は『万葉集』に一首出ている。この歌は 『万葉集』一三七九 ( 作者不明 ) の類歌で、飛鳥川が流れの 絶えないものとしてうたわれ、無常のたとえとなって いないから、やはり古い歌であろう。
読人知らず 薄情者のあの人を恋したあげく、大きな嘆息をもらして 弸しま 0 たら、山のこだまが返事をしてくれました。 集民謡調の軽い歌である。恋人が反応を示さないで、そ 和 のかわりに山彦が返事をしたというのであろう。 読人知らず 2 流れる水に数を書いてもはかなく消えるものである。そ れよりもっとはかないのは、思ってくれない人を思うこ とである とど ねはんぎよう 『涅槃経』の「是ノ身ハ無常ナリ、念々住マラズ。猶 また 電光ト暴水ト幻炎トノ如ク、亦水ニ画クニ随ッテ画ケ ・ハ随ッテ合ウガ如シ」に『万葉集』一一四三三の類句は拠っ ている。第四、五句も『万葉集』六 0 八・一一七 0 九に類想が あるから、『古今集』のはこれらの慣用句を寄せ集め て一首としたのだろう。 読人知らず あの人を思っている心は、もう私ではなくなっているか らなのか、わが身がこうまでとまどっていることさえ、 読人知らず 4 あの人について思いめぐらす私の想像は遠くの方まで行 5 きすぎたのかしら。私は夢路を惑いながらゆくが、夢に あの人は現れない。 恋人の夢を見ないことを、自分の思いが人のいない辺 土にまでいってしまったのかと、技巧的にうたったの である。以下、夢に関するものが四首続く。 読人知らず 5 夢でなりとも逢えるであろうことを頼みとして一日を送 って夜になったが、さてどうしたら夢に見られるだろう かと思うと寝る方法さえわからない。 末句は五一六番の第一一、三句参照。契沖は「あやにくに 枕も定めがたく、目も合はぬよしなり」というが、心 身疲れ果てて夢の見方もわからないというのだろう。 心には知ってもらえないようだ。 心が体の主人たる機能を失い、恋の苦しみを理解せず、 私を見殺しにするという理屈であろう。
上 歌 業平朝臣 つも おほかたニ 第大方は月をもめでじこれぞこの積れば人の老となるもの 巻 おんみようどう 一絵陽道で、自分が行こうとする方角に 方違へに人の家にまかれりける時に、主の衣を着せた 「 / なめがみ 天一神が宿っている場合に、その方角が きのとものり あした ふさ 紀友則塞がっているとして、前夜他に泊り、目的地 りけるを、朝に返すとてよみける 六 四 への方角を変えること。ニ主人の着物を着 よるころも うつ、がこ せみは せてくれたのを。三翌朝。四衣の薄いこと 蝿の羽の夜の衣はうすけれど移り香濃くも匂ひぬるかな のたとえ。季節は夏。五借りた着物にたき しめた香りが自分の下着に移ったもの。六 「濃し」は、香りについても用いられるが ( ↓ 読人しらず会 D 、ここは、「うすし」の対照でもある。 題しらず 一月であるなあ。「も」は強意。ニ「山」 新おそくいづる月にもあるかなあしひきの山のあなたに惜しむ の枕詞。三人々が愛惜しているようだ。 または、月が人々に惜しまれて出かねている べらなり 意。「べらなり」↓一三。 さらしなをばすてやま わが心慰めかねっ更級や姨捨山に照る月を見て おしかふちのみつねニ 「月おもしろし」とて、凡河内躬恒がまうできたりけ るじきぬ おい 8 一私の心をまぎらわすことができなかっ た。「つ」は、事実が確実なことを表す。 ニ今の長野県更埴市の地。「や」↓全一。三長 野県北部の善光寺平の南方にある山。 一よく考えてみた結果。↓三八八。ニ上に、 人々が愛でるの意を補って解する。三 これこそ有名な。「これ」は月を愛でること。 「ぞ」の結びとして末句に「なる」が省略されて いる。↓九一一 0 ・究七。 879 だいら
宗岳大頼 読人知らず こしじ ふもと 9 あなただけを思ってはるばると越えてきた越路の白山で 2 私の粗末な家は三輪山の麓にあります。私が恋しくなっ は、いっ雪が消える時があるでしようか たらどうぞ訪ねてきてください。門の脇にある杉を目印 上の句に型通りの掛詞があるが、一流歌人、躬恒の歌として。 歌 和 と比べると平凡であるのはやむをえまい。 前のは伏見の仙人、これは三輪の神の作だという伝説 古 があるが、大和地方で最も古い土地が衰微したころに 北陸にいた人に贈った歌 紀貫之 発生した民謡であろうか。和歌としても古い格調を残 こしのくに している。 都で想像する越国の白山を、私はまだ見たことがありま 9 せんが、私の夢は一夜といえどもその山を越えないこと はないのです。 人を思う時に会いにゆく夢路の有様を想像した歌は恋 の歌の二、三に多いが、これはそのテーマを男同士の 友情の歌に転用した。 題知らず 読人知らず 1 さあ、わが生涯はここで過すととにしよう。荒廃の一途 9 をたどるであろう菅原の伏見の里も、私には去るにしの びない土地なのである。 喜撰法師 私は都の東南にあばら屋を作り、このように暮していま 前の二首と同様の立場の作者・テーマであるが、そう いう場合は読人知らず歌の後に、作者名のある歌が置 かれるのである。
古今和歌集 170 読人知らず 5 さきざき恋しくなった時には、手には取らぬにせよ、見 てなりともありし日の思い出にしよう。今は木を離れて 庭に散り敷いたそのもみじ葉を吹き散らしてくれるな。山 おろしの風よ。 山おろしが静かに舞わせている落葉を見て、楽しかっ た日を思い出して詠んだ歌であろう。落葉は楽しみの 残骸かもしれないが、せめて落葉なりとも離散させな いで記念に残しておこうというのである。 読人知らず かんなびやましぐ 龍田川に紅葉した葉が流れている。上流の神奈備山に時 2 雨が降り、木の葉を散らしているに相違ない。 ある説では第一、二句が「飛鳥川もみぢ葉流る」である 眼前の風景から他の土地の天候を想像したもの ( 一 0 七七 も同様 ) で、『万葉集』にも類例が多い。第一句は左注 いかずらおか の「飛鳥川」に従うほうが、神奈備山 ( 雷の丘 ) がそ の上流となり、地理的には適切である。 読人知らず 冷たい秋風に堪えられないで散る紅葉はどこへ飛んでい くのだろう。それを見ているわが身の行く末だって、悲 読人知らず 7 寂しい秋になった。紅葉はわが家の庭にいつばいに散っ うずま こみち ている。その紅葉に埋った庭の小径を踏み分けて、私を 訪れる人は一人もいない。 前二首が風に舞うもみじ、以下二首が地に散り敷くも みじという、静と動との見事な対照。↓三一三評。 読人知らず 8 きれいに散り敷いた紅葉の道を踏み分けてまで、やはり 8 たず 2 お訪ねしましようかねえ。紅葉が宿の主人の希望に従っ うず て、埋めつくした道だと思いながらでも。 契沖もいうように前の歌との問答歌と見られ、その第 一、二句で前の歌の第四、五句を受ける。「訪ねても よろしいか」と聞いたのは一言葉の技巧で、きれいな紅 葉の落葉をそのままにしておきたいーーそれほど理想 的な隠者の住いである、といったのであろう。 しいことには全くわからない。 もみじの落葉に人の運命を託して表現したもの。ヴェ ルレーヌの詩「秋の歌」の一節とよく似ている。↓ 会九評。
読人知らず いただきすそ 山の桜を私が見に来たところが、春霞が山の頂にも裾に も立ちこめて、花をすっかり隠していて、これでは花見 歌に来た甲斐がないというものだ。 和 この作者は花見に来た都の人であろう。大きな風景を 古 スケッチ風にうたったもので、読人知らずらしい大ま かな歌風の歌である。 染殿后 ( 藤原明子 ) のお部屋に、花瓶に桜の枝をお 挿しになっていらっしやるのを見て詠んだ歌 藤原良房 長い年月の後にここまできたのだから、私はもはや老人 である。けれども、今が満開のその花のようなわが娘さ え見ていれば、すべての悩みは消え失せる。 良房は藤原氏として初めて摂政になった人である。素 朴な調べではあるが、娘の栄達を祝う言外に、よくぞ 自分はここまできたものだという、ほっとした気持が 表明されている。 なぎさのいん 渚院で桜を詠んだ歌 在原業平 およそこの世に桜というものが全くないと仮定したら、 人々の春の心は本当にのどかでいられるのだが。 春はのどかであるべき季節である。それを花が咲くと いっては心をときめかせ、散るといっては悩まされ、 心の休まる暇がないというのである。複雑な内容を巧 みに三十一字にまとめ上げたのは、業平独自の手法で ある。 読人知らず 題知らず 石の上を走って流れるその急流がなくなってもらいたい。 向こう側のきれいな桜の花を一枝なりとも折って帰ろう よ。見に来なかった人に見せてやるために。 自然への素朴な呼びかけ、「石走る」 ( 正しくは「岩走 るしという枕詞、完全な五七調など、『古今集』とし ては比較的古い歌風である。
古今和歌集 136 読人知らず 7 鹿が秋萩を絡み倒しながら鳴いているに相違ない。姿は 2 さつばり見えないが、なんとその音がはっきりと聞える ことカ 前の歌と情景は似ているが、作者の感情は全く違う。 空気が清澄で、そして周囲が静かなので、音がよけい に大きく聞えるのである。 是貞親王家歌合で詠んだ歌 藤原敏行 秋萩の花がきれいに咲いた。都だってこのとおりきれい めいび おのえ 2 なのだから、風光明媚な高砂の尾上では鹿がその花を喜 び、今しきりに鳴いていることだろうよ 萩を鹿の妻と見なす習わしは古くからあった。高砂の 尾上に鹿を配した歌も、後世の勅撰集などにしばしば 見られる。 以前に親しくしていました女性と、秋の野でばった り出会い、しばらく世間話をしたついでに詠んだ歌 凡河内躬恒 この秋萩は去年の古い枝に咲いているところを見ると、 昔の真心を今でも忘れないで持 0 ていたのですね。 から 読人知らず 1 空を鳴きながら飛ぶ雁が昨夜落していった悲しみの涙な のだろう。それがちょうどわが家の庭の萩に置かれた露 になったのだが、その家の主人である私もまた物思いによ って泣いているのだ。 萩の露を雁の涙かと疑い、その露によって作者の悲し みを象徴させている。優艶な歌である。 話の途中で、その辺に咲いていた萩のひと枝を折って 女性に示しながら詠んだ即興の歌だろう。女の心が冷 たくなったことを恨んでいるのだが、男も本気でより を戻すつもりでもあるまい。 題知らず 読人知らず 秋萩の下葉が色づきはじめるころになったが、これから こけい が孤閨を守る者が寝つきにくくなるのだよ。 けいえん 中国の閨怨の詩を思わせるが、とにかく女性の作であ ろうか
読人知らず た 久しい時が経ってしまったものだ。「久しい」といえば すみのえ 「住江の松」がすぐに思い出されるが、「まっ」とはこん 集なに苦しいものだった。 和第四句の「待っ」と「松」との掛詞は読人知らず歌に もう一首 ( ↓一 0 兊 ) 見られ、同じ技巧は後の歌人たち 古 に何回でも繰り返され、「百人一首」で有名な定家の 「来ぬ人をまつほの浦の : : : 」の歌に及んでいる。 兼覧王 9 あの人を待っ間が久しいのは、住江の松を見ている久し 7 さと同じこと。私は鶴と同様に声をたてて泣かぬ日とて はないのだ。 枕詞を対照させたのをはじめ、技巧の多い歌である。 ねんご 藤原仲平と懇ろにしておりましたが、足が遠のき気 味になってしまったので、大和守をしていた父の所 に行こうと思って、仲平に詠んで贈った歌伊勢 やまと 私は大和に下りますが、三輪山の神様はどれほどあなた 様のお越しを待っことでしよう。今後年が経ってもお越 しいただけまいと思うと悲しゅうございます。 この歌は枩一番を本歌とする。本歌は三輪山の神が人 の来訪を待っ歌だが、この歌でも第一一句「いかに待ち 見む」の主語は第一句「三輪の山」、すなわち山神で、 歌の作者自身をそれに暗になぞらえている。いわゆる 後ろ髪を引かれる思いを訴えたもので、女性の悲しみ に心打たれる歌である。 題知らず 常康親王 吹き乱れる野風が寒くて秋萩の花の色が変るが、世の中 次第で移り変るのは人の心も同様だろうか。 作者常康親王は母が藤原氏でないために不遇に終り、 この歌は世人の心の軽薄さを嘆いたものだという ( 目 崎徳衛『紀貫之』 ) 。本来は恋歌でないものを、「人」の 意味を転じてここに置いたものか。
隠岐国に流罪になり、舟に乗って出発する時に都に 野篁 残された人々に贈った歌 おおうなイらこ 集 7 たくさんの島々を目当てとして、私は大海原に漕ぎ出し 和ていったと、家人にきっと伝えてくれ。この辺の舟で釣 古糸をたれている漁師たちょ。 せつつなにわ 摂津の難波まで送ってきた人に託して、家人にことづ けた歌であろう。すべて、海路で実際に見られる風物 により、作者の感情を率直に吐露した、『万葉集』に 近い写実風の作である。 読人知らず 題知らず 都を出発して今日で三日目の瓶の原にいると、泉川の川 風がしみじみと身にしみる。川向こうに聳える鹿背山さ ん、私に着物を貸せませんか。 都を出てすでに三日目を迎えるが、まだ泉川の付近に いるのであろう。後世の謡い物の道行きのように、掛 そび 読人知らず ほのぼのと夜の明けるころ、明石の浦は朝霧に包まれて いるが、一艘の小舟が島陰に隠れそうになるのを私はし みじみと眺めている。 この歌は、ある人によれば、柿本人麿の作である 朝霧に紛れて、島伝いに漕ぎ出していく小舟によって、 旅の心細さをそれとなくうたっている。表現がなだら きん かで、しかも人麿作と伝えられたので、平安中期の公 とう しゅんい 任あたりから特に注目されはじめ、俊成にも高く評価 されている。第五句を舟に乗っている人を思うと解す る説もあるが、近代人の鑑賞としておもしろい。波間 をゆく舟そのものを見て感傷的になった歌は『万葉 集』天・一一七 0 などがあり、本集一 0 当番も同様である。 詞をあやつって、地名を羅列しているが、民謡風の軽 い内容の歌である。↓四五五評。