偲びつづけようと思う。御名にゆかりの明日香川をいつまでもいとおしい わが明日香皇女の形見としてここを 短歌一一首 集 葉明日香川にしがらみをかけ渡してせき止めたとしたら流れる水もゆった よど 萬 りと流れるだろうに〈また「流れる水が淀にでもなるだろうか」〉 あ 明日香皇女にせめて明日だけでも〈また「明日も」〉お逢いしたいと毎日毎日思 い暮しているので〈また「思うからか」〉わが皇女の御名を忘れることはない〈ま た「御名が忘れられない」〉 たけちのみこのみこときのえあらきのみや 高市皇子尊の城上の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌 网むに思うのもはばかり多いことだ〈また「はばかり多いことだが」〉ロで申すの しの あすかがわ 〇偲ひ行かむー句切れ。〇御名にかかせ るーカカスは関連する意の下二段動詞カ たかいち クの敬語形。〇明日香川ー奈良県高市郡 いなぶち 明日香村畑の山中に発し、稲淵山の西麓 を回り、細川 ( 冬野川 ) と合流して甘樫丘 の北を過ぎ、藤原宮址を経て大和川に注 ぐ。〇はしきやし↓三八。〇形見にここ をーココは明日香川をさす。 7 しがらみー川の水をせき止めるため くい に杭を打ち並べ、木の小枝や竹など をからませた装置。〇塞かませばーセク はせき止める。マセ・ハは事実に反する仮 定を表す。〇のどにーのどかに。〇「水 の淀にかあらまし」ーこの「一に云ふ」の 方は水モノドニカ・ : という本文の形が伝 けた
73 巻第一 76 ~ 78 ともおと おまへつきみたて 祐ますらをの鞆の音すなりもののふの大臣楯立つらし後、長屋王は無実の罪で自尽させられた。 ↓四四一。〇なけなくにー形容詞ナシのナ クニ止め。 ニ七一〇年。 三『続日本紀』には三月十日 ( 太陽暦四 月十三日 ) 平城京に遷都したとある。元 きようごく みなべのひめみここたまつみうた 明天皇の一行は新旧両京の東の京極を結 御名部皇女の和へ奉る御歌 ぶ中ッ道を北上し、その中間点に位置す わ おほきみもの すめかみ る長屋原でこの歌は詠まれた。 我が大君物な思ほし皇神の継ぎて賜へる我がなけなく 0 奈良県天理市西井戸堂町・会場町付 近の平野。 に 五古郷は旧都。明日香をさす。 六「一書に云はく」は元明天皇在世中に できた原資料に対して崩御後に加えられ た注記。 飛ぶ鳥のー明日香の枕詞。「天武紀」 朱鳥元年 ( 交六 ) に大和国から奉った しゅち 朱雉の祥瑞によって冠したという。〇君 があたりー元明天皇の亡夫草壁皇子の墓 のある真弓の岡 ( 明日香村真弓 ) をさす。 ◆題詞には藤原宮を去る時の歌としなが ら、歌の中に「明日香の里を置きて去な ば」とあることは一見矛盾している。女 帝の感慨は藤原宮そのものに対してより も、彼女が生れ育ち夫草壁皇子とともに 暮した明日香旧都の方に、はるかに深い ものがあったからであろう。 ふぢはらのみやならのみやうつ 和銅三年庚戌の春一一月、藤原宮より寧楽宮に遷る時に、御輿 四 とど かへり ながや を長屋の原に停めて、古郷を廻望みて作らす歌一書に云はく、 おきすめらみことおにみうた 太上天皇の御製 あすか 飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えず かもあらむ〈一に云ふ、「君があたりを見ずてかもあらむ」〉 わどう かうしゆっ ふるさと い たま わ みこし
襁紀甼の歌一首 ワ】 あすか 今日もまた明日香の川では宵ごとに蛙の鳴く瀬がすがすがしいことだろ 集う〈ある本の歌には、初めの方の句が「明日香川今もいたずらにーとある〉 葉 塒律赭の歌六首 なわ 萬引縄の浦から後ろに見える沖の島を漕ぎまわっている舟は釣をしているら しい こぶねあわしま 武庫の浦を漕ぎまわっている小舟粟島を後ろに見ながら漕いでいる心ひ かれる小舟 やまと 阿倍の島の鵜の住む磯に寄せる波そのように絶えずこのごろは大和が思 われる いそ よい かわず つり 一伝末詳。 今日もかもーかって見たあの日の様 子と同じように今日も。文法的には 第五句に続くが、地名明日香の「明日」に 対して「今日」という連想も働いている。 疑問助詞のヤ・カがあると、文の主格は ノ・ガをとる。下の「川の」のノは主格。 〇タ去らずー時間語に付いたサラズは、 、・ことに、の意。〇かはづ↓三一一四。〇〈発 句〉ーここは第一・一一句をさす。〇「今も かもとな」ーモトナ↓一一三 0 。ここは、心が 引かれながら見に行けない自分のじれつ たい気持を表す。 356
やまべのすくねあかひと 神丘に登って、山部宿彌赤人が作った歌一首と短歌 かんなびやま 神のいます神奈備山にたくさん枝をひろげ隙間なく生い茂っているつが 集の木の名のようにつぎつぎに ( 玉葛 ) 絶えることなくこのようにして通 あすか 葉いたい明日香の古い都は山高く川も雄大である春の日は山が見飽き かわず 萬 ることなく秋の夜は川がすがすがしい朝雲に鶴は乱れ飛びタ霧に蛙 は鳴き騒ぐ何を見ても泣けてくる昔を思うと 反歌 かわよど 明日香川の川淀を離れず立っ霧のようにすぐ消え失せるような懐旧の念 ではないのだ かどべおおきみなにわ いさりび 門ロ王が難波にいて、漁師の漁火を見て作った歌一首後に日 お 一「神丘」 ( 一究 ) に同じ。 みもろのーミモロ↓九四 ( みもろの山 ) 。 このノは同格を示す。〇神奈備山ー 元来、カムナビは神のいます山、祭場を 表す普通名詞で、その祭神は出雲系の 神々であったといわれる。しだいに地名 として固定するものも現れ、大和では特 に三輪・明日香および竜田のカムナビが 有名であった。ここは明日香のカムナビ いかずちのおか をさし、雷丘がそれに当ると思われる。 0 五百枝さしー多くの枝を出し。このサ スは木が枝を伸ばし、根を広げることを いう。〇しじにー隙間もなくいつばいに。 〇つがの木の↓一一九。冒頭からここまで眼
165 巻第二 197 ~ 199 しのい みな あすかがはよろづよ く偲ひ行かむ御名にかかせる明日香川万代までにはし誦の過程で変化したものであろう。 明日香川ーここは皇女の名にゆかり わおきみ かたみ のある明日香川を取り上げて、間接 きやし我が大君の形見にここを 的に明日香皇女のことをさすと同時に、 次の句の「明日ーと同音の韻を踏んでいる。 〇明日だに〈一に云ふ、「さへ」〉ー本文の ダニは最大限の譲歩を示しながら、ただ し、だけは、したい、という気持を表す 助詞。この場合の「明日」は、来る日も来 る日も明日こそは逢いたいと願っている、 その「明日」をいう。「一に云ふ」の「明日 さへ」の方は、これまでと同じように明 日も、の意。サへは添加を表す副助詞。 〇思へやも〈一に云ふ、「思へかも」〉ー後 者「思へかも」は純粋な疑問。前者「思へ やも」はそれよりやや反語的な気持が強 い表現。 0 作者は、明日香川という川によせて、 さまざまな角度から明日香皇女の薨去を 詠じている。 ↓二四題詞。 たけちのみこのみこときのへあらきのみや ↓一突題詞。 高市皇子尊の城上の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌 かけまくもゆゅしきかもー心にかけ て思うのもはばかり多いことだ。こ 一首并せて短歌 のカクは、心にかけること。〇「ゆゅし けれども」ーこの下に、あえて言う、の い かけまくもゆゅしきかも〈一に云ふ、「ゆゅしけれども」〉一一一口はまくような叙述部が省略されている。 あす 明日香川明日だに〈一に云ふ、「さへ」〉見むと思へやも〈一に云ふ、 みな わおきみ 「思へかも」〉我が大君の御名忘れせぬ〈一に云ふ、「御名忘らえぬ」〉 短歌一一首 明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあ らまし〈一に云ふ、「水の淀にかあらまし」〉 あは よど 199 198
むささびーりす科の小獣。巧みに木 から木へ斜め下に滑空する。猟師は 幹を駆け登る時を待って射落すという。 〇木末求むとーむささびは滑空する前に 必ず梢に駆け登る習性を持つのでモトム ウし という。コヌレは木ノ末の約。〇さつを ー猟師。サツは矢の古語。 やこの歌は、暗に大津皇子などの高い地 位を望み身を滅した者に対する寓意をこ めて詠んだ歌かともいう。 ニ↓七五左注。飛鳥から藤原宮へ遷居し た時十九歳であった。 三旧都飛鳥をさす。 しきのみこみうた 我が背子ーここは男から男をさして 志貴皇子の御歌一首 いう。〇古家の里の明日香ー左注に こぬれもと むささびは木末求むとあしひきの山のさつをにあひにけあるように、明日香は藤原宮遷居の後に ふるさととなったので、以前住んでいた 家には人が住まず、廃屋に近い状態にな るかも 8 っていたのであろう。〇鳴くなりーナリ ↓三 ( 中弭の音すなり ) 。〇妻待ちかねて ・ 6 ー原文「嶋待不得而」とあるが、「嶋」を ながやのおきみるさと 「嬬」の誤字とする説によって改める。妻 長屋王の故郷の歌一首 を呼ぶ千鳥の声がむなしく聞えるばかり 第 さと ちどり 〕わせこ ふるヘ だ、の意。 我が背子が古家の里の明日香には千島鳴くなり妻待ちか 0 千鳥が妻を待ちかねて悲しく鳴くとい う裏に、新都に去った友を思う作者の感 ねて 慨がこめられている。 苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらな くに かきのもとのあそみひとまろ 柿本朝臣人麻呂の歌一首 ゅふなみちどりな あふみ 近江の海タ波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゅ あすか さの いにしへ つま
なっ おおきみ ( やすみしし ) わが大君が治められる国々のうちでは都がやはり懐かしい 2 藤の花は今満開になりました奈良の都を恋しく思いますか君は そちおおとものたびときよう 帥の大伴旅人卿の歌五首 葉わたしの元気だった時代がまた戻って来ることがあろうかひょっとして奈 萬良の都を見ずにおわるのではなかろうか わたしの命はいつまでもあってくれないものか昔見た象の小川を行って 見るため あすか ( 浅茅原 ) つくづくと物思いに沈んでいると明日香の古京が思い出される ことだ きさ 敷きませるーお治めになっていらっ 3 しやる。敷キマスは「敷きいます」 ( 三 一一一 I) に同じ。〇国の中にはー数ある国々 のうちでは。 藤波ー藤の花。藤の花房を波にたと えた歌語。〇君ー旅人をさす。作者 四綱にとって旅人は上司であると共に同 族の族長でもあった。
とねり 役民たちが夜昼となく行く道をわれわれ舎人はみんな宮仕え道にしてい る じとう 右は、日本書紀に、「持統天皇の三年四月十三日に亡くなった」とある。 葉 柿本朝臣人麻呂が瀬韵と坂とに奉った歌一首と短歌 しも たまも かみ あすか 萬 ( 飛ぶ鳥の ) 明日香の川の上の瀬に生えている玉藻は下の瀬に流れて触 はたこらーハタコは陵墓造営のため れ合うその玉藻のようにゆらゆらと寄り添い横たわり寝た夫の皇子の の役民か。動詞ハタル ( 徴 ) の語幹と ( たたなづく ) 柔肌さえも ( 剣大刀 ) 身に添えて寝ないので ( ぬばたまの ) 子との複合語であろう。〇宮道ー宮殿に 通じる道。ここは、陵墓に奉仕するため 夜の床もむなしく荒れていることであろう〈また「むなしく荒れてゆくことであろ に通う道。 あ みこころ 一十三日。太陽暦の五月七日に当る。 ししひとのおみおおまろ う」〉そのために御心も慰めかねてひょっとすると夫君に逢えもしようか ニ天武天皇の皇女。母は宍人臣大麻呂 と思って〈また「夫君が現れもしようかと思って」〉 ( 玉垂の ) 越智の大野の朝露の娘、擬媛娘。忍壁皇子・多紀皇女ら と同母。川島皇子の妃。天平九年 ( 当一七 ) に裳はびっしよりと濡れタ霧に衣はしっとりと濡れて 三品となり、同十一二年没。 三忍壁皇子。天武天皇の第九皇子。藤 原不比等らと律令の撰定に力を尽した。 大宝三年 ( 七 0 三 ) 知太政官事となり、慶雲 二年 ( 七 9 ) 三品で没した。四十歳か。こ こに泊瀬部皇女と並べ記してあるのは喪 主の弟で、二人が同じ所に住んでいたた めか。しかし左注による方がわかりやす い。 明日香の川↓一突 ( 明日香川 ) 。〇流 れ触らばふーフラ・ハフは触れる。記 193 ふびと
萬葉集 56 とこよ 常世になるというめでたい模様を背に負った不可思議な亀も新時代を祝福 して いづみの川に運び入れた檜丸太を ( 百足らず ) 筏にして川を さかのぼらせているのであろう精出して働いているのを見ると神である天皇〇常世ー不老不死の理想郷。この前後、 中国の神仙思想の影響が認められる。 の御意のままらしい 〇図負へる寄しき亀ー甲羅に模様のあ しようしょこうん きゅう 右は、日本書紀に「朱鳥七年八月、藤原宮地に行幸された。八年正月、藤原る神秘な亀。『尚書』 ( 洪範 ) の「洪範九 疇」の孔安国伝に「神亀文ヲ負ヒテ出ヅ」 しるし 宮に行幸された。同年十一一月六日に藤原宮に遷られた」とある。 とあり、その文は天子受命の兆の河図で しきのみこ あすかのみや あった。神亀は祥瑞の最高とされた。〇 明日香宮から藤原宮に遷った後に、志貴皇子が作られた歌 新た代とー新時代が到来したとして。泉 引采女らの袖を吹き返した明日香風は都が遠くなったのでむなしく吹いて ノ川のイヅ ( 出 ) にかかる。〇泉の川ー泉 。今の木津川。当時は木津川も宇治川 いる おぐら とともに巨椋池にそそいでいたかという。 藤原宮の御井の歌 上述の「そを取ると騒く御民 : ・は巨椋池 ( やすみしし ) わが大君の ( 高照らす ) 日の神の御子天皇が ( 荒た ( の ) 藤南部での作業の実況描写であろう。〇持 ち越せるーコスは運ぶ意。〇百足らずー はにやす 井が原に宮殿を造り始められ埴安の池の堤の上にお立ちになってⅡ イカ ( 五十日 ) の枕詞。百に足りない数の 五十日の意で筏のイカにかけた。イは五 十の古語。〇筏ー当時の筏は木材の両端 に筏穴を明けて藤蔓などで綴じ合せた。 〇いそはくー先を争って作業に精出すこ と。競争する意のイソフのク語法 ( ↓七四 ) 。 〇神からー神ナガラ ( 三八 ) に同じ。 一六九三年。持統七年のこと。 ニ六日。太陽暦の一一十七日。 三天智天皇の第七皇子。光仁天皇の父。 うねめ うつ いかだ あや
たまも 玉藻でさえも絶えるとまた生えるし板橋に生い茂っている川藻でさえも あすかのひめみこ 〇玉藻もぞーこのモはスラに近く、、で 枯れるとまた生えるものだ。それなのにどうしてわが明日香皇女は立たれる さえも、の意。〇生ひををれるーヲヲル 集と玉藻のようになよなよと横になられると川藻のようになびくその姿のは、枝葉が茂り、花が咲き乱れる、など の意か。〇なにしかも↓一査。どういう 葉美しい夫君の朝宮を忘れて逝かれたのかタ宮を離れ去られるのかいっ わけで。下の「忘れたまふや」「背きたま 萬 までも生きているもののように思っていた時に春のころは花を折って髪にふや」にかかる。〇我が大君のーこの我 ガ大君は薨去した明日香皇女をさす。ノ 刺し秋のころはもみじを髪に刺し ( しきたへの ) 袖を互いに取りあって は主格助詞。述語は「忘れたまふや」「背 ( 鏡なす ) 見ても飽きずに ( 望月の ) いよいよいとしく思われた夫君とたきたまふや」。〇玉藻のもころーモコロ きのえ は、、のように、の意。〇臥やせばーコ びたびお出かけになってお遊びになった ( 御食向かふ ) 城上の宮を今や ャスは上二段コュ ( 四 ) の敬語形。〇な かわ 永久の宮殿とお定めになって ( あちさはふ ) 逢うことも言葉を交すこともなびかひの宜しき君ー寄り寝る感じが好ま しい夫君。忍壁皇子をいう。〇タ宮を背 くなった。そのためであろうか〈また「そのことを」〉むしように悲しみ ( ぬえ きたまふやータ宮は朝宮と共に朝夕住み 鳥の ) 一人残された夫君忍壁皇子〈また「片恋しながら」〉 ( 朝鳥の ) 〈また「 ( 朝霧馴れた宮殿をいう。ソムクは背 + 向クが 原義で、古くは格助詞ヲをとった。この の ) 」〉いつも通っておられたその皇子が ( 夏草の ) 思いしおれて ( タ星の ) ヤは間投助詞の終助詞的用法であろう。 〇うっそみーこの世の人。死ぬなどと夢 あちらへ行ったりこちらへ行ったりして ( 大舟の ) 心も落ち着かないのを見る にも思わずにいた存在としていう。〇袖 と晴れ晴れする気持とてないしだからといってそのためにどうすること携はりータ・ツサハルは、互いに手を取り みな 合うこと。〇鏡なすー見ルの枕詞。鏡の もできない噂だけでも御名だけでも絶えず天地のようにますます遠く長 ように、の意。〇望月のーイヤメヅラシ の枕詞。〇いやめづらしみーメヅラシは 心引かれるの意。↓一三九。ミ語法十思フ は、、だと思う、の意。〇時どきーしば しば。トキトキ ( その時、定期的に、の