かつらぎやま ( 春柳 ) 葛城山に立っ雲のように立ってもすわってもあの娘のことばかり 田 5 う 春柳ー地名葛城の枕詞。カヅ一フとし かすがやま て頭に頂く意の四段動詞カヅラクの 集春日山が雲に隠れて遠いように離れているが家のことは思わずあなたの 連用形 ( キは甲類 ) と葛城 ( そのキは乙類 ) 葉 ことばかり思っています とが音声的に近いのでかけた。当時キ・ うわさ 萬 わたしのせいで噂をされたあの娘は高い山の峰の朝霧が消えるように心ギ・ヒ・ビ・ミの母音には、現代のそれ と同じ前舌 ( 甲類 ) とそれより多少ウに近 変りしたのではなかろうか い中舌 ( 乙類 ) との二種類があった。 0 葛 やますげ ( ぬばたまの ) 黒髪山の山菅に小雨が降りしきるようにしきりに思われる城山ー大和・河内の境をなし、二上山 ( 五一七 ) から葛城山 ( 九六〇 ) を経て 大野原に小雨がしきりに降っています木の陰にたびたび寄って来てくださ 金剛山 ( 一一一一一 1 しに及ぶ金剛山地をい う。〇立っ雲のー以上三句、タッを起す いわたしの恋人よ 同音の序。〇立ちても居てもー居ルはす ぎようじゅうざが ( 朝霜の ) 消え人らんばかりに思い続けてどのようにしてこの夜を明かし わる意。行住座臥、寝ても覚めても、の 意。 春日山ー奈良市東方の山。今日の春 みかさ 日・御蓋・若草などの山々を総称し ていう。〇雲居隠りてー雲居↓一茜四九 ( 雲 居たなびき ) 。ここは雲がかかる意、雲 居ルの連用中止形。三六一一七の原文に「久毛 為可久里奴」とあり、この力は清音。〇 遠けども↓一一六六八 ( 惜しけども ) 。〇君をし そ思ふー第四句から旅先での詠と思われ るが、「君」の語の使用から作者は女性と みられる。民謡では人称代名詞が転換し やすい。 2457 2456 2458 たものか
く左手にコンクリート造りの巨大な建物、親里やかたが見 えてくると、そこが・ハス停の石上神宮前である。 深い緑が重なりあった布留山の麓に、ゆるい上り坂の参 道が拓けている。わずかな日ざしが木の間を洩れてくる参 道の空気は、湿ってひんやりしている。 玉砂利を踏みしめて行くと、高さ一〇メートルばかりの 大鳥居が建っている。神号額に、 布都御魂大神 ーー古典文学散歩ーー の文字が見える。フッノミタマノオオカミ。石上神宮の主 祭神はこの名で呼ばれる剣である。 もののべ 柳瀬万里 ここは物部氏の氏神で、武門の物部氏が歴代奉仕してき たことでもわかるように、大和朝廷の武器庫であった。 石上神宮は天理市の東、布留川のほとりに鎮座する。 ななっさやのたち 。・ハスなら七分、徒歩でも三十分の距離石上神宮が剣と関係の深いことは、国宝の七支刀が有名 天理駅から二キロ であるのでよく知られている。 である。 くだら ぞうがん やま・ヘ 六十字余りの文字が金象嵌で刻まれた七支刀は、百済か ここは山の辺の道の起点ということになっているので、 春秋の好季節には、天理駅から石上神宮まで行き、そこから日本に献上されたことが『日本書紀』に見えるが、金象 ら三輪山めざして約一五キロの山の辺の道をハイキングす嵌の文字がそれを証明するものであったので、生きている 神話と騒がれた刀である。 る人を多く見かける。 みなぎ おやさと ・ハスで行くと、親里大路と名付けられた大きな通りを経境内は、端麗に整えられていて清浄の気が漲っている。 て、左手に天理教教会の神殿の大屋根が見え、右手には天右手の鏡池の奥からは、山の辺の道が三輪までのびている。 理大学、天理図書館などのある文教地区が広がる。間もな十数基の石灯籠の間に、放たれた鶏が遊び、時をつくるコ 第 5 巻萬葉集四 石上神宮 いそのかみ 日本の古典月報 3 ふる ・昭和年 2 月引日
かきのもとのあそみひとまろ や一一三五 0 と共通の語句があるところから併 柿本朝臣人麻呂の歌集の歌に曰く 記しただけで、恋歌を中心に集めた「相 ことあ 葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国然れども言挙聞 . の中に収めるにはふさわしくない。 遣唐使か地方官として遠方に赴く友人な さき さき ことさき どに贈った歌か。 げぞ我がする言幸くま幸くませとつつみなく幸くいまさ 言霊↓盟八九四。言葉の中に宿ると信 ももへなみちへなみ ありそなみ じられた霊力。〇助くる国そー「言 ば荒磯波ありても見むと百重波千重波にしき言挙げす 幸くま幸くませ」「つつみなく・ : ありて も見む」と言挙げしたから、言霊の助け あれ によって無事に帰着することは疑いない、 我は言挙げす我は という気持。〇ま幸くありこそーコソは 希求の終助詞。 から、の意 5 古ゅーユは、、より、、 の古い格助詞。〇言ひ継ぎけらくー 反歌 ケラクは「手折り来り」 2 三四 ) などのケリ ことだま しきしま やまと 磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸くありこそのク語法。 0 玉の緒のー継グの枕詞。〇 娘子らが心を知らにーこのラは複数を示 さない。知ラニは、知らないので。〇そ 右の五首 を知らむーソは、それ。娘子の心、自分 をどう思っているか、ということ。〇夏 つん 麻引くー命の枕詞。夏期、麻を根引きす る意だが、かかり方未詳。〇命かたまけ ーカタマケ↓一三当 ( タかたまけて ) 。ここ + 古ゅ言ひ継ぎけらく恋すれば苦しきものと玉の緒の は、傾けて、傾倒して、の意か。〇刈り 巻 をとめ 継ぎては言へど娘子らが心を知らにそを知らむよしのな薦の↓一一実ここは「心もしのに」にかけ た。〇心もしのにー心がうちしおれるほ いのち なっそび ければ夏麻引く命かたまけ刈り薦の心もしのに人知れどに。 3253 あれ いにしへ かむ いは たす こ - も さき を
3 巻第十三 3231 ~ 3233 ( 六 ) 六月の三回、『万葉集』にはその他 に神亀一一年五月の時の笠金村の歌 ( 九一一 0 、 空一 l) が詠まれた行幸があるのみである。 この歌はそのうちのどの行幸の際に詠ま れたものか不明。 斧取りてーこの斧は鉈の類をいうか にしん 3 〇丹生の檜山ー丹生は、本来丹 ( 辰 しゃ 砂 ) を産出する所の意の普通名詞だが、 それが地名化したものは全国的に分布し、 ことに大和国の周辺に多く、この歌のそ れは五條市で吉野川に注ぐ丹生川の上流 の吉野郡黒滝村一帯をいうかとされる。 〇木伐り来てーコルは樹木を伐採する意。 〇筏ー木材を川下に運ぶために数多くっ なぎ浮べ下すもの。 0 ま梶貫き↓一一四九四 斧取りて丹生の檜山の木伐り来て筏に作りま梶貫き磯 ( ま梶しじ貫き ) 。ここは筏師が棹を操る ミルは、 ことをいうか。〇磯漕ぎ廻っつー たき しまづた 漕ぎ廻っつ島伝ひ見れども飽かずみ吉野の滝もとどろに巡る、まわる、の意の上一段活用動詞。 0 島伝ひーこのシマは水に面した土地を 水面越しに眺めていう用法。〇滝もとど 落つる白波 ろに↓一一七一七。タキは急流。ここは丹生川 か吉野川の実景の鳴動を写したもの。 一反歌は一般に短歌形式だが、この一 首は例外的に旋頭歌形式である。 反歌 3 留まりにしー家に残り、作者につい 3 て来なかった。〇見せまく欲しきー み吉野の滝もとどろに落つる白波留まりにし妹に見せまクホシは中古語シの古形。 反歌 ひさふ とつみやところ 月も日も変はらひぬとも久に経る三諸の山の離宮所 あるん 右の二首、ただし、或本の歌に曰く、「旧き都の離宮所」 といふ。 をの 人ります見れば古思ほゅ いにしへ ひやま きこ き いは と みもろ いかだ ふる かぢぬ いも いそ さお
天雲の影さへ見ゆるー川の清らかな 天雲の影までも映って見える ( こもりくの ) 泊瀬の川は浦がないから舟 8 流れの具体的叙述。〇こもりくの↓ が寄って来ないのだろうか磯がないから海人が釣をしないのだろうかえい 一一。〇泊瀬の川↓一一七 0 六 ( 泊瀬川 ) 。〇浦 集ままよ浦はなくてもえいままよ磯はなくても沖の波を押し分けて漕いなみかーナミは形容詞無シのミ語法。ミ 語法による疑問条件。〇沖っ波ーこの沖 葉で来い海人の釣舟よ は川の中程をさす。〇凌ぎ漕人り来ーこ 萬 のシノグは邪魔物を押しのけて突き進む 反歌 意。原文は天治本や神宮文庫本などの仙 さざなみが浮んで流れる泊瀬川に舟を漕ぎ寄せられそうな磯のないのが 覚寛元本系諸本に「浄」とあるが、底本な どの仙覚文永本系諸本に「諍」とあるのに 惜しい よる。この「諍」は「争」と同じく、抵抗す 右の一一首 る、の意で、ここは波を押し分け進むこ いおよろずちょろずがみ あまくだ あしはら みず とを表す。コギリは漕ギ入リの約。コは 葦原の瑞穂の国に祭りをするために天降られたという五百万千万神の カ変来の命令形。 かんなび みもろ 神代から語り継がれてきた神奈備の三諸の山には春が来ると春霞が立や柿本人麻呂の石見国から妻と別れて上 り来る時の歌 ( 一三 l) と共通の詞句がある。 ち秋が来ると紅葉しているその神奈備の三諸の神が 『歌経標式』にこれとほとんど同じ形で載 わくご せてあり、柿本若子の「長谷を詠める四 韻歌」としている。 6 寄るべき磯ー舟が停泊できるような 磯。実際に舟はないが、あったと仮 定して言う。 葦原の瑞穂の国↓三一一吾。日本の古名 の一つ。〇手向すとータムケ↓一一四一八。 その対象は原則として国っ神であるが、 ここは天孫と称する征服者が新しい占 領地大和において先祖の天っ神に対して 3225 3227 はっせ 3225 3227
467 巻第十三 3333 ~ 3335 3335 3333 たまこ みちゅびと 玉桙の道行き人はあしひきの山行き野行きにはたづみる。 反歌 たはこと 狂言か人の言ひつる玉の緒の長くと君は言ひてしものを 右の一一首 「大タト置而」とあるが、元暦校本などに 「大ト置而」とあるのによる。「大」は接頭 語的に添えて書いたものか。〇斎ひ渡る にーイハフ↓一一四 0 三 ( 斎ふ命 ) 。このワタル おほきみみことかしこ やまと は継続を表す接尾語的用法。〇狂言か人 大君の命恐みあきづ島大和を過ぎて大伴の三津の浜辺 の言ひつるータハコトは精神に異常を来 おほぶね して口走る言葉。人の死などの、思いが ゅ大船にま梶しじ貫き朝なぎに水手の声しつつタなぎ けない知らせに驚く場合に用いられる挿 ゅ かぢおと 入句。〇我が心ー筑紫の枕詞。心を尽す、 に梶の音しつつ行きし君いっ来まさむと占置きて斎ひすなわち心をあれこれと悩ます意によっ てかけた。〇筑紫の山ー筑紫は、筑前・ たはこと あ つくし 渡るに狂言か人の言ひつる我が心筑紫の山のもみち葉筑後の併称にも、九州全体の古称にも用 いた。死んだ「君」の任地であろう。筑紫 ばくぜん ノ山はその死所周辺の山を想像して漠然 の散り過ぎにきと君がただかを と挙げたのであろう。〇もみち葉のー以 上三句、散リ過グを起す序。〇散り過ぎ にきー散リ過グは死の敬避表現。〇君が ただかをータダカ↓三三 0 四 ( 君がただか ) 。 この下に「人の告げつる」「我が聞きっ るなどの文末表現が省略されている。 玉の緒のー長シの枕詞。〇長くーこ の下に、愛して添い遂げたい、のよ うな表現が省略されている。 にはたづみー川の枕詞。庭を流れる 雨水をいう。「にはたづみ流るる涙」 ( 一七 0 などのように流ルにかけた例もあ 右の三首 かぢ を き - おとも うら みつ はま、 いは ば 3335
いしまくら こけ あすかがわ 帯になさっている明日香川の流れが速くて生えっきにくい石枕に苔が〇帯にせるー雷丘のそばを流れている。 0 ↓ 3 二 0 一一。〇水脈速み↓三一当。ここはそ 生えるまでも長く夜離れせず無事に通えるようなよい手だてを夢にお示 の周辺の明日香川の流れが速いことをい 集しください ( 剣大刀 ) 神官たちが大切にお祭りしてきた神であられるからはう。〇生しため難きームスは草や苔など が自然に生じること。タムは、留める、 葉 反歌 固定する、の意。苔がそれ自身を石に付 かんなび みもろ 着させることをいうのであろう。〇石枕 萬神奈備の三諸の山に大切に守っている神杉の思いが過ぎることがあろうか ー枕状の石をいうか。〇苔生すまでにー 苔が生えるまでも長く 遠い将来を予測して言う。〇新た夜の↓ 斎串を立て御神酒を捧げまつる神官たちの髪飾りのかずらは見るからに = 会 = 。ここも「新た夜の一夜も落ちず、の 意で用いたのであろう。〇事計り↓一一兊八。 ゆかしい ここは恋人と逢える良策をいう。〇見え こそーこの見工は、見せる、示す、の意。 右の三首、ただし、ある書には、最後の短歌一首を載せていない。 コソは希求の終助詞。〇剣大刀ーイハフ に・つみ ( みてぐらを ) 奈良の宮を出発して ( 水蓼 ) 穂積に着き ( 鳥網張る ) 坂手をの枕詞。剣大刀を神聖視し、穢れに触れ ないように努めることからかけた。〇斎 過ぎ ( 石橋の ) 神奈備山において朝宮の奉仕を受けられ吉野へと ひ祭れるーイハフ↓一一四 0 三 ( 斎ふ命 ) 。神職 が斎戒して奉祀している。〇神にしまさ ばー事実の仮定的表現。 8 斎ふ杉ー以上三句、スギの同音繰返 しの序。〇思ひ過ぎめやー思ヒ過グ は、思うことが消えてしまう、思わなく なる、の意。 や長歌の後半およびこの反歌一首は相聞 的内容。 9 斎串ー神を祭る時に立てる神聖なク ひえだ シ。最近大和郡山市の稗田遺跡から 3229 さかて
のとせ たかせ 高湍なる能登瀬の川の後も逢はむ妹には我は今にあらず 十とも 第 巻 四 洗ひ衣取替川の川淀の淀まむ心思ひかねつも みわやま やました のちわ 三輪山の山下とよみ行く水の水脈し絶えずは後も我が妻うにひそかに。〇人の児↓一一箜。 8 高湍ー所在末詳。「高」は、『古事記』 などにコ甲類の仮名に使われている ため、コセと読む説もある。〇能登瀬の 川のー能登瀬ノ川は所在末詳。「さざれ いそこしち 波磯越道なる能登瀬川」 ( 三一四 ) ともあった。 滋賀県坂田郡近江町能登瀬の地を流れる 天野川かとする説もある。以上二句、ノ おも やまがは トーノチの類音によってかけた序。 0 後 Ⅷ山川の滝にまされる恋すとそ人知りにける間なくし思も逢はむ↓ = 〈岩。 ◆類歌一一四三一。 へば 9 洗ひ衣ー洗い立ての新衣と汚れた古 衣とを取り換える意で、地名「取替」 の枕詞とした。交換を表すのは一般に下 二段カフであるが、「馬買はば」 ( 三三一七 ) の おとい あしひきの山川水の音に出でず人の児故に恋ひ渡るかも原文に「馬替者」と書いた例もあり、四段 のカフにも交換の意味用法があったと考 えられる。〇取替川ー所在未詳。『和名 抄』の「大和国添下郡鳥貝郷」にある川の 名とも、大阪府摂津市鳥飼の辺りを流れ る淀川の名ともいう。あるいは後者に平 行に流れる安威川をさすか。〇川淀のー 以上三句、ヨドムを起す序。〇淀まむ心 ーこの淀ムは通うことが止まる意。〇思 ひかねつも↓一一四究。ここも思うことがで きない意。 ◆以上十首、川に寄せる恋。 たき かみ おも 雷のごと聞こゆる滝の白波の面知る君が見えぬこのころ あらきぬとりかひがは やまがはみづ かはよど のちあ みを いも こゅゑ われ てんり
きん みかねたけ 3 御金の岳ー奈良県吉野郡吉野町の金 み吉野の御金の岳に絶え間なく雨は降るという休みなく雪は降るとい どろがわ 峰山か。あるいは同郡天川村洞川の さんじようがたけ うその雨の絶え間ないようにその雪の休みがないように間もおかず 山上ヶ岳 ( 一七一九 ) を主蜂とする大峯 山系の山々をいうか。〇間も落ちずー落 集わたしは恋しく思うあの娘のことを チズは、欠けることなく、の意。〇妹が 葉 反歌 ただかータダカ↓三三 0 四 ( 君がただか ) 。 萬雪の降る吉野の岳にかかっている雲のように遠くに見たあの娘を恋い慕◆類歌 = : 一一六こ三六 0 。 吉野の岳ー長歌の御金ノ岳に同じ。 、つこ A 」、刀 〇居る雲のー以上三句、ヨソニ見ル を起す序。 右の一一首 みやけ はだし 5 うちひさっー三宅の枕詞。宮にかか かおん 四 ( うちひさっ ) 三宅の原を裸足で歩いて足を痛め夏草を腰にからませて る枕詞ウチヒサスの訛音形か。〇三 むすこ 宅の原ゅー奈良県磯城郡三宅町の原。こ まあどのような娘ごゆえにせっせと通うのか息子よ。なるほどなるほど のユは経由地点を示す用法。〇直土に足 はだし 母上はご存じなかろうなるほどなるほど父上もご存じなかろう ( 蜷の腸 ) 踏み貫きー踏ミ貫クは裸足で歩き、釘や っげくし 黒髪に木綿の緒であざさを結い付けて垂し大和の黄楊の櫛を押え挿切株などを踏んで足に立てることをいう。 当時一般庶民の多くは裸足で外出した。 すⅡ ここは特に恋のためには身の苦労もいと わぬ我が子のさまを見ていとおしんで言 ったもの。〇夏草を腰になづみーナヅム ↓三一一五七 ( なづみぞ我が来し ) 。ここは、か らみつかせる、ひっかける、の意。〇い かなるやーヤは間投助詞。〇人の児故そ ー人ノ児↓一三六七。ここは親に養育されて いる若い娘をいう。〇通はすも我子ー通 ハスは通フの敬語形。ただし敬意は軽い。 以上、父母が息子に問いかけた言葉。五
399 巻第十三 3250 ~ 3252 3252 大 ロね の反 歌 ひ 頼 め る 君 故 に 尽つ く す は 惜を し け く も な し 3251 同時に、無用な言挙げは言霊に対する冒 漬として忌避された。〇知らずやーズャ は単純な疑問だが、自分の気持を察して 恋人に逢えるように計らってほしい、と ことあ あれ しまやまと 願う気持をこめる。〇行く影のー月の枕 あきづ島大和の国は神からと言挙げせぬ国然れども我 詞。このカゲは光の意。空を渡り行く月 ゅ あおも あめっち の意でかけた。〇月も経行けばー逢わな は一一一一口挙げす天地の神もはなはだ我が思ふ心知らずや行 いままに歳月も経過するので。 0 玉かぎ むねるー日の枕詞。カギルはかすかに光を発 く影の月も経行けば玉かぎる日も重なりて思へかも胸する意で、タにかかることが多いが、こ こは日にかけた。〇思へかもー疑問条件 あ いた すゑ 安からぬ恋ふれかも心の痛き末つひに君に逢はずは我法。思 ( ・ ( カモに同じ。下の恋フレカモ も同じ。〇生けらむ極みー生ケラムは生 いのち が命の生けらむ極み恋ひつつも我は渡らむまそ鏡正目キアラムの約。〇渡らむーこの渡ルは時 間的に長く生き続ける意。〇まそ鏡ー正 あ や 目ニ見ルの枕詞。〇正目ータダ目 ( 大一 0 ) に君を相見てばこそ我が恋止まめ に同じく、直接に見る目、の意。 大船のー思ヒ頼ムの枕詞。小舟と違 って大船は頼もしいのでかけた。〇 尽くす心ー尽クスは、尽きるようにする、 の意。ここはすべてを捧げることをいう。 2 ひさかたのー都の枕詞。一般には天 ひな にかかるが、ここは地の果ての鄙に 対して、都を天上界に擬してかけたので あろう。〇都を置きてーこの置クは、放 置する、顧みないで去る、の意。〇何時 とか待たむ↓一一六三。 ゅ くさまくら ひさかたの都を置きて草枕旅行く君を何時とか待たむ あひみ い 右の二首 きは かむ あれ かさ いっ し まさめ わ をう