397 巻第十三 3247 ~ 3249 3249 3248 3247 ひり ぬながは 沼名川の底なる玉求めて得し玉かも拾ひて得し玉かもの転石を採拾したりすることをいうので あろう。このカモは反語的用法。〇あた を らしきーアタラシは、惜しむべきである、 あたらしき君が老ゆらく惜しも もったいない、の意。物が古び、荒れゆ くことを愛惜する気持を表す。 右の一首 ◆三一一一三などと同じく、結びが五・三・七 の古体をなしている。 一雑歌・挽歌と共に『万葉集』の三大部 立の一つ。↓田解説三六八。 きんめい 磯城島のー大和の枕詞。欽明天皇が 3 大和国磯城郡磯城島に遷都し、宮号 かなざし を磯城島金刺宮としたことに由来するか とお という。〇大和の国ーここは旧磯城・十 市両郡を中心とした用法か。さらに広く、 日本全体をさしたと考えられなくもない。 しきしま やまと 磯城島の大和の国に人さはに満ちてあれども藤波の思〇藤波のーモトホルの枕詞。藤波は藤の 花の雅語。ここは藤の蔓が物に巻き付く ひもとほり若草の思ひ付きにし君が目に恋ひや明かさむ意でかけた。〇思ひもとほりーモトホル は、ある物の周りに取り付く、まつわる の意。〇若草の↓一三六一。ここは君の枕詞。 長きこの夜を 0 思ひ付きにしー心が寄り付いてしまっ た。〇君が目に恋ひや明かさむー目ニ恋 フは相手に逢いたく思う意。詠嘆的疑問 9 人二人ありとし思はばーこの人は作 反歌 者が心から愛する人。この思ハバは 反事実の仮想を表す。〇何か嘆かむー何 おも ひとふたり 磯城島の大和の国に人二人ありとし思はば何か嘆かむを思い悩み嘆こうか。反語。 相聞 さう よ もん お ふぢなみ
491 参考地図 五畿山背大和河内和泉摂津 伊勢 丹波 播磨 淡 大和 紀伊 隠岐 0 . 出雲 . 伯 幡く 石見・ 備、美作 ーく後 山云陽 1 備則・・道播磨 讃岐 伊 - 予だ ~ . 、 / 王佐、、阿波。 , 50km 対馬 壱岐 0 波 摂 : ち 長門′ 周防 3 巴前 泉紀伊 豊後 後こ ノ日向 山陽道播磨美作 備前備中 備後安芸 周防長門 南海道紀伊淡路 讃岐阿波 上佐伊予 西海道筑前筑後 豊前 豊後 肥 ~ 則肥 ~ 像 日向大隅 薩摩壱岐 200km
右の三首 やまと おおとも 大君の仰せを恐れ謹んで ( あきづ島 ) 大和をあとにして大伴の三津の浜 そろ 集から大船に梶をいつばい取り付け朝なぎに水手が声を揃えタなぎに 葉梶の音を響かせながら漕いで行った君はいっ帰っていらっしやるかと占い ごと 萬をして斎み慎み続けていると狂気のしれ言を人が言ったのか ( 我が心 ) つくし 筑紫の山のもみじ葉のようにはかなく散って行かれましたと君の実情を聞 いた 大君の命恐み↓三一一四 0 。〇あきづ島↓ 反歌 一一三吾。〇大和を過ぎてーこの大和は ごと 狂気のしれ言を人が言ったのではないか ( 玉の緒の ) 長くとあなたはおっ現在の奈良盆地一帯をさす。この過グは その地をあとにする意。〇大伴の三津の しやっていたのに 浜辺ー大伴ノ三津↓一一七一三 ( 三津の埴生の ) 。 ここは「大伴の三津の浜松待ち恋ひぬら 右の一一首 む」 ( 六一 (l) 、「大伴の三津の浜辺にー ( 八九四 ) と ( 玉桙の ) 旅行く人は ( あしひきの ) 山越え野行き ( にはたづみ ) 日 もある一方、「難波津」 ( 八突 ) ないし「難波 潟三津の崎」 ( 一四吾 l) とも呼ばれる、外国 航路の大型船舶の発着する港湾をさした と思われる。〇ま梶しじ貫き↓一一四九四。〇 水手の声しつつーカコは水夫。自分の持 ち船を持たず、船主に雇われている船乗 り。力は梶をいう。↓一一三二 ( 八十梶掛け ) 。 水手は船を漕ぎ進める時、掛声を発して うら 調子を合せた。〇占置きてー占置クは占 部を連れて来る意か。原文は底本などに 3335
さくらばな たれ 桜花咲きかも散ると見るまでに誰かもここに見えて散り 3 十一何く 巻 っ 0 3128 あなし まきむく 巻向の穴師の山に雲居つつ雨は降れども濡れつっそ来し〇若久木ー久木の若木。久木↓ 3 一谷。 以上一二句、ワカヒサーワガヒサの類音に よってかけた序。〇我が久ならばーわた 右の二首 しが長い間旅にあったならば。 囲我妹子やーこのヤは呼掛けを示す。 引〇夢に見え来ーコはカ変来の命令形。 おも 〇大和道ー大和国へ行く道。〇渡り瀬ー 羈旅にして思ひを発す 徒歩または乗馬のままで横断できる川の わたらひ わかひさぎ 浅瀬。〇手向↓一一四一八。 度会の大川の辺の若久木我が久ならば妹恋ひむかも 四咲きかも散るー複合語咲キ散ルの咲 引キにはほとんど意味がない。〇見え てーこの見ュは姿を現す意。 や駅路などに人の往還集散するさまを見 わぎもこ やまとぢ わた 我妹子や夢に見え来と大和道の渡り瀬ごとに手向そ我がての偶感。相聞的内容ではない。 豊国ー豊前・豊後の総称。〇企救の 引浜松ー企救は旧豊前国企救郡。現在 する の北九州市の門司・小倉北・同南の三区 すおうなだ に当る。この浜は関門海峡側か周防灘側 か不明だが、三一一一九・三一三 0 の「企救の長浜」 「企救の高浜」が前者の趣であるのに合せ て考えておく。以上一一句、浜松の地上に 露出した根がもつれ合っているさまから ネモコロを起す序とした。〇ねもころに ↓一三査 ( ねもころの ) 。〇なにしかーナニ 力とも。これらのナニは理由を問う疑問 きく 副詞。苦しい恋の発端がふとした自分の とよくに 豊国の企救の浜松ねもころになにしか妹に相言ひそめ語り掛けであ。たことを後悔して言う。 たび いめ こ おこ ゐ ひさ いも あひい たむけあ
あおがきやま 並み重なる青垣山に隔てられたらたびたびあなたと話しもできなくなる のではないかしら 集 1 朝霞のかかっている山を越えて行ったらわたしは恋しくなるだろうな今 あ 葉度逢う日まで 萬 ( あしひきの ) 山は幾重にも隠してもおまえのことは忘れないよじかに逢 や うまでは〈また「隠していますがあなたを思うことは止む時もありません」〉 遥かかなたの海山を越えて行ったならわたしは恋しくなるだろうないっ かは共に寝られるにしても 7 たたなづくー山が幾重にも重なる意。 やまとたけるのみことくにしのびうた 引『古事記』中の倭建命の国思歌の一 首に「大和は国のまほろばたたなづく青 やまごも 垣山隠れる大和しうるはし」とあり、ま た巻六の山部赤人の吉野讃歌 ( 九一一三 ) にも 「たたなづく青垣隠り」とある。あるいは すでに枕詞として固定しかけていたとも 考えられる。〇青垣山ー垣根のように周 囲を取り巻いている青い山々。〇隔りな ばーへナル↓一一四一一 0 ( 山隔り ) 。ここは隔ニ ナルの意で、山が障壁となって、一つ所 にあったものが離れ離れになることをい う。〇君を言問はじかもー動詞言問フは 「妹に言問ひー ( 吾四 ) 、「我が妻に人も言問
きて打ち折らむ醜の醜手をさし交へて寝らむ君故 : : : 」 ( 三一一七 0 ) や、「 : : : 射目立てて鹿猪待つご とこし あ とく床敷きて我が待っ君を犬な吠えそね」 ( 三一一夫 ) のような野趣に満ちた表現もさほど違和感なく受 け人れることができるのではなかろうか。 この巻の中にも『人麻呂歌集』の歌が引かれているが、巻十一・十二の中においてそれが占めていたほど かむ の比重はなく、「相聞」の中に収められている出所不明の長歌の中の冒頭「あきづ島大和の国は神から ことあ しか あれ と言挙げせぬ国然れども我は言挙げす : : : 」 ( 三一き ) が『人麻呂歌集』所収の、内容的に恋とは言い とみかど あしはら がたい、「遠の御門」に赴く官人の壮行の歌 ( 三一一吾 l) の中の歌い出し部分「葦原の瑞穂の国は神ながら 言挙げせぬ国然れども言挙げぞ我がする : : : 」と形が近いというだけのことで参考として関連併記され ているとか、「問答」の中の男女の唱和、 ものおも ゅ ゅ あをやま ふさ をとめさくらばなさか 物思はず道行く行くも青山を振り放け見ればつつじ花にほえ娘子桜花栄え娘子汝をそ な あらやま も我に寄すといふ我をもそ汝に寄すといふ荒山も人し寄すれば寄そるとぞいふ汝が心ゅ め ( 三三 0 五 ) しか き としやとせ たちばな した 然れこそ年の八年を切り髪のよち子を過ぎ橘の上枝を過ぎてこの川の下にも長く汝が 心待て ( 三三 0 七 ) をつき交ぜたものが『人麻呂歌集』所収歌の三三 0 九とよく似ているので併記されている、という程度の扱いで 解ある。 この三一一一 0 九ほどにはしつくり融合していないが、本来内容的に別個の歌がたまたま共通の詞句を有する他の 歌と結合したため、全体としては意味をなさない歌もある。 われ しこしこて かみ あ ほっえ はな みづ かむ なれ
はぶまっ 葬り奉れば行く道のたづきを知らに思へども験をな◆山にかかる雲を故人に見立てる類の歌 は多い。 ことと おみそぞ み嘆けども奥かをなみ大御袖行き触れし松を言問はぬ % 磯城島の↓ = 一一哭。〇大和の国にーこ の大和も旧磯城・十市両郡を中心と あまはらふさ した用法か。城上を墓所とされたことに 木にはありともあらたまの立っ月ごとに天の原振り放け ついて、他にももっと適当な所もあろう しの に、という気持で続く。〇いかさまに思 見つつ玉だすきかけて偲はな恐くありとも ほしめせかー下記のことを思い立たれた 動機は何なのかを推量する挿人句。挽歌 に多く、凡慮の及びがたいところとしな がらも不満な気持で言ったもの。〇つれ もなきー生前何の関係もなかった。ツレ ナシは、無縁である、よそよそしい、の 意。〇城上の宮ー城上に設けられた墓所。 〇大殿を仕へ奉りてーこの仕へ奉ルは臣 下が宮殿を造営する意。ここは皇子が自 ら陵墓を構築するように表したもの。〇 殿隠り隠りいませばー殿隠リは殿隠リニ の意。皇子が墳墓の石槨の中に自ら入り しきしま やまと 横たわったように表したもの。〇舎人の 磯城島の大和の国にいかさまに思ほしめせかつれもなき 子らー舎人↓三三一一四。子ラは、皇子の立場 こ、も とのごも から見て信頼しいたわってやった者たち、 + 城上の宮に大殿を仕へ奉りて殿隠り隠りいませば朝に という気持で言った。〇行く鳥のー群ガ 巻 とねり ルの枕詞。空を飛び行く鳥の習性によっ は召して使ひタには召して使ひ使はしし舎人の子らはてかけた。〇あり待てどーアリは継続を つるぎたち表す接頭語。〇剣大刀↓一一四究。ここはト むら 行く鳥の群がりて待ちあり待てど召したまはねば剣大刀グの枕詞。 3325 きのヘ 反歌 いはれ つのさはふ磐余の山に白たへにかかれる雲は皇子かも 右の一一首 おとの ゅふへ つかまっ しろ かしこ め すめらみこ しるし あした せつかく
・七・七の歌末形式が現れている。〇う み吉野の御金の岳に間なくぞ雨は降るといふ時じくそ べなうべなー他人の言葉をもっともだと 雪は降るといふその雨の間なきがごとくその雪の時じき肯定する副詞ウべに間投助詞ナが付いた 形の重複形。以下息子の言葉。〇蜷の腸 いも ーカ黒キ髪の枕詞。↓ 3 一一一七。〇ま木綿 こうぞ がごと間も落ちず我はそ恋ふる妹がただかに もちーマは接頭語。木綿は楮から採った 繊維。モチは、、を以て、の意。〇あざ さ結ひ垂れーアザサは、現在あさざと呼 ばれるりんどう科の多年生水草と同じか。 反歌 あさざは沼地に生じ、泥中の地下茎から すいれんのそれのような葉を出して水面 み雪降る吉野の岳に居る雲の外に見し児に恋ひ渡るかに浮べ、夏黄色五弁の小花を開く。ここ は、髪飾りとしてその花を結び付けたこ とをいうのであろう。〇大和の黄楊の小 櫛ー黄楊ノ小櫛↓一一五 00 ( 朝づく日向かふ 黄楊櫛 ) 。この大和は現在の桜井・橿原 両市を中心とした最も狭い地域をさす用 法のそれであろう。〇押へ挿すうらぐは まげ し児ー押へ挿スは、髷を固定するためな ひたっち みやけ どの目的で、髪に飾り櫛を挿すことをい うちひさっ三宅の原ゅ直土に足踏み貫き夏草を腰にな う。原文に「抑刺、、細子」とあるが、「【」 こゅゑ は「トの誤りとする説による。ただし、 + づみいかなるや人の児故そ通はすも我子うべなうべな ウラグハシは主として風光の美しさを述 巻 みなわた べる場合に用い、美人の風姿の形容に使 母は知らじうべなうべな父は知らじ蜷の腸か黒き髪に った例がない点にやや疑問が残る。 や一首全体が父母とその息子との問答を おささ やまと っげをぐし ま木綿もちあざさ結ひ垂れ大和の黄楊の小櫛を押へ挿すまとめた形になっている。 3294 3293 右の一一首 みかねたけ たけ ゆた あれ よそ ふ ぬ ぐろ こし
5 やまのべ おのづからー自然のカで。自然に。 山辺の五十師の御井は天然に織りなされた錦を張り広げた山だな 3 〇錦ーここは、花ないし紅葉の華や 右の一一首 かなさまのたとえ。 やましろ つつき ならやま やまと 集 ( そらみつ ) 大和の国の ( あをによし ) 奈良山を越えて山城の管木の原を◆右の二首の歌の詠まれた時期について、 あごね おかのや 持統六年 ( 六九一 l) 三月の伊勢行幸の時、大 葉過ぎ ( ちはやぶる ) 宇治の渡しの岡屋の阿後尼の原を千年も欠けるこ 宝二年 ( 七 0 一 l) 十月の三河行幸の時など、 いわたやしろ やましな 萬 となく万代まで通い続けようと山科の石田の社の神様に幣を捧げて諸説がある。また元正天皇の養老元年 ( 七 おうさかやま 一七 ) 九月の美濃行幸の時と考えられなく わたしは越えて行く逢坂山を もない。「錦」の語が花・紅葉のいずれの 比喩とも考えられるため、春秋を決しが ある本の歌に たいが、「やすみしし・ : 日の皇子」の語の ( あをによし ) 奈良山をあとにして ( もののふの ) 宇治川を渡り ( 娘子らに ) 使用から、持統天皇の一一回の行幸のうち おうみ 逢坂山に手向ぐさの幣を捧げて ( 我妹子に ) 近江の海の沖っ波の寄せのどちらかであろう。 % そらみつー大和の枕詞。語義・かか 来る浜辺をとぼとぼとひとりでわたしは来る妻に逢いたくて り方未詳。〇大和の国ーここは奈良 盆地のうち北部を中心に言ったもの。〇 奈良山ー奈良市北部の丘陵地。〇山背↓ つづき 一一三六一一。〇管木の原ー京都府綴喜郡の原。 歌意から推して、そのうち特に井手町の 木津川東岸をさしたと思われる。〇ちは ゃぶるー宇治の枕詞。「ちはやひと宇治」 ( 一一四一一 0 という例もある。〇宇治の渡りー 宇治川の渡し場。位置は不明。あるいは 現在宇治橋のある辺か。〇岡屋ー宇治市 おぐら 岡屋。現在宇治川の東岸、当時巨椋池湖 岸にあった。『方丈記』にも「岡の屋に行 き交ふ船をながめて」とある。原文は底 ぬさ
右の一一首 ことあ やまと 3 乃 ( あきづ島 ) 大和の国は神意のままに言挙げしない国ですそれでもわた 集しは言挙げをします天地の神々も激しくわたしの思う心の内をご存じな 葉いのでしようか ( 行く影の ) 月もむなしく過ぎると ( 玉かぎる ) 幾日も重ね 萬て思うせいでしようか胸がせつないし恋い焦れるせいでしようか心が痛 いのはこれつきりあなたに逢えなかったらわたしの命の続く限り恋い 慕い続けてわたしはいることでしよう ( まそ鏡 ) じかにあなたに逢った時 こそわたしの恋も静まるでしよう 反歌 乃 ( 大船の ) 頼みに思うあなたのために捧げる心は惜しいとも思いません 乃 ( ひさかたの ) 都をあとにして ( 草枕 ) 旅に出られるあなたをいっ帰られる と待てばよいでしようか あ あきづ島ー大和の枕詞。語義・かか わきがみ り方末詳。「神武紀」に、天皇が腋上 ま あきず の賺間の丘で国見した時、蜻蛉 ( とんぼ ) となめ が臀砧 ( 交尾 ) しているような地形だ、と 言ったことから生れたという伝説を記す。 〇神からとー神力ラは神ナガラ ( 三一一吾 ) に 同じ。神意そのまま、の意。トは、、・と て、の意だが、意味は軽い。〇言挙げせ ぬ国ー言挙ゲ↓一一九ズ ( 言挙げせず ) 。日本 ことだま は「言霊の幸はふ国」 ( 八九四 ) といわれると