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検索対象: 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)
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1. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

245 巻第十六 3806 ~ 3807 こも いはき をばっせやま おもわせ 事しあらば小泊瀬山の石城にも隠らば共にな思ひ我が背水。以上三句、浅シを起す序だが、アサ の同音繰返しの興味もある。 をみなご ひそかをと 右、伝 ( て云はく、時に女子あり、父母に知らせず、竊に壮◆『古今集』の仮名序にこの歌を「難波津 に咲くやこの花」と並べて、後世歌の父 母に擬し、手習いの最初の歌ともするよ 士に接る。壮士その親の呵嘖はむことを悚惕りて、稍くに猶 うになったといっている。 おもこころ をとめ つま五葛城王に二人あり、一人は天武八年 予ふ意あり。これに因りて、娘子この歌を裁作りて、その夫 に四位で卒した系統末詳の王、他は橘諸 兄 ( 三九一三前文 ) の天平八年に改名する以前 に贈り与ふ、といふ。 の名。ここは後者か。↓一 00 四左注。 六 ↓三四一一七 ( 陸奥の香取娘子 ) 。 セ国庁の官人たちの総称。 ^ 謹んで奉仕する。 わおも あさかやま やまゐ 安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに九いいかげんで不熱心なこと。 一 0 「饌」は客に進めるために用意した飲 かづらきのおきみみちのくのくにつか 右の歌、伝へて云はく、葛城王、陸奥国に遣はされける時食物。 一一「宴ーは心が安らかなこと。『古今集』 九 しじようくわんたい はなは に、国司の祗承、緩怠なること異甚だし。ここに王の意悦び仮名序の古注には「・・・国の司、事おろそ かなりとて、まうけなどしたりけれど、 あ おもへりおもてあらは % ぜんま すさまじかりければ : ・」とある。 ずして、怒りの色面に顕れぬ。飲饌を設けたれど、肯へて 一ニ以前采女であった者の意。ただし、 さきうねめ みや 『続日本紀』大宝一一年四月の条に、陸奥国 宴楽せず。ここに前の采女あり、風流びたる娘子なり。左手 からは采女を貢進しないとある。 ひざう さかづきささ 一三当座の機転で山の井の水に擬した。 に觴を捧げ、右手に水を持ち、王の膝を撃ちて、この歌を詠一 0 この「詠」は他人の作を唱することを いう。『大和物語』百五十五段などにこれ ひねもす む。すなはち王の意解け悦びて、楽飲すること終日なり、との小異歌があるが、物語は異なっている。 こ 四 まじは と よ ころ おそ つく やくやうら こころよろこ よ 一四

2. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

153 巻第十五 3641 ~ 3643 かぢおと あまをとめ いへごひ うらみ 暁の家恋しきに浦廻より梶の音するは海人娘子かも 用いるのは特殊仮名遣の違例。巻十五の 中でヨの甲類であるべきなのに乙類にな っている例として「人よりは ( 比等余里 波 ) 」 ( 三七 ) のヨがある。 ニ周防国旧佐婆郡の海域。旧佐婆郡は うふ 山口県の現佐波郡および防府市に当るが、 現在佐波郡は徳地町のみで、海に臨まな さば い。防府市の沖合に佐波島があり、ここ さわにいう「佐婆の海」はその島を中心とした 沖辺より潮満ち来らし可良の浦にあさりする鶴鳴きて騒周防灘沿岸地帯をさすと思われる。 三西航する一行の船に逆らう西風ない し西北風をいうのであろう。 きぬ 四福岡県東部と大分県の西北部、中津 しもげ ・宇佐両市および下毛・宇佐両郡を含む。 しもげ 五豊前国の旧郡名。大分県の現下毛郡 ふなびとのぼ 沖辺より船人上る呼び寄せていざ告げ遣らむ旅の宿りをおよび中津市の地。下ッ三毛の名称は福 岡県側の上ッ三毛 ( 豊前市および築上郡 東部 ) に対する。 わまはな 一に云ふ、 - 「旅の宿りをいざ告げ遣らな」 六中津市東部田尻の東北、現在和間鼻 と呼ばれる辺か。今日中津市内の海岸線 は近世末の干拓によって大きく変ったが、 中世以前は福岡県との境をなす山国川河 こいわい ロの三角州小祝から田尻にかけて弧状に 湾入していたといわれる。遣新羅使人一 行の船はその湾人部の東端近くに漂着し たのであろう。 七心が晴れ晴れせず痛み悲しむ意。 あかとき おきへ たた なみ たちま さばわたなか 佐婆の海中にして忽ちに逆風に遭ひ、漲へる浪に漂流す。経 六 さきはひ とよくにのみちのくちしもつみけのこりわくま 宿て後に、幸に順風を得、豊前国下毛郡の分間の浦に かんなん 到着す。ここに艱難を追ひて怛み、悽惆して作る歌八首 よへのち はくり 右の一首、羽栗 いた あ たづ ひと やど

3. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

そん 切々と伝わってくる。 のは有名だが、これは道了尊が人間界の修羅場を守る十一 とび 坂はしだいに登りがきつくなり、十八丁目茶屋、十九丁面観音の化身であるという信仰のせいで、火消し、鳶職、 たど 目茶屋を過ぎて、・ハスの終点に辿りつく。ここからまた、漁師など、生命を賭ける職業の人が多かったのである。 かなりの石段を登ることになる。 なるほど現在でも建物や石段を寄進している講中の名に どうりよう うおがし 最乗寺といわれてもピンと来ないが、一般には「道了は、魚河岸、消防、漁船などの記名が目につく。一般には 尊」の名で親しまれている、といえば、関東の人なら誰で「道了さま」とよぶが、読みぐせで「ドウリュウサン」と も、何だ、あそこのことか、とわかるだろう。実際には曹発音する由で、江戸期のものには「道流」と記載している ものもある由。 洞宗の寺で、開山は室町期の由。その開山に協力したのが、 しゅげんどう るりもん 相模房道了尊者として知られる修験道の行者だった。これ ともかくも石段が多い。瑠璃門をくぐってようやくたど は実在の人物らしいが、大雄山最乗寺の土木工嚀を一年でりついた本堂から、さらに結界門、御真殿、奥の院と、何 仕上げるという功績をあげ、その霊力にはすばらしいもの百段をのぼって行く。絶え間ない滝の音、秋蝿の声、そし 4 りようあんえみよう せんげ があった。開祖の了庵慧明禅師が遷化されたとき、自分のてただまっすぐに天を指して並ぶ杉木立。建造物の新しい 務めも終った、以後はこの山中にあって大雄山を守り、諸のが少々目障りだが、どこともなく深山幽谷の清洌な気が 人を助けよう、といって、道了尊は火炎とともに身をかく迫り、心身を洗われる感じがある。つい近くには足柄市の からすてんぐ した、と伝えられている。その時の姿が烏天狗に見えた、森林公園丸太の森があるが、これはもつばら森林浴のため はうちわ というので、今でも烏天狗の像があり、天狗の羽団扇や鉄の公園だという。 一番高い奥の院にたどりついたとき、急速にタ映えがひ の下駄の奉納が絶えない。 いわば山岳信仰の混じった面があるわけだが、江戸時代ろがって、杉木立にかこまれた空が鮮やかな茜色に染まっ こうじゅう ひぐらし わ から、江戸庶民の講中が盛んで、昔は、大山詣りをすませた。蜩の声が湧き上がる。これはまさに万葉時代と同じタ て道了尊へ詣で、帰途は江の島で精進落し、というのがコ暮れの風景である。東国訛りで恋人を想う歌のひとつも作 あっ ( 歌人 ) ースだった。威勢のよい江戸の職人たちの尊崇が篤かったれそうなひとときであった。 あかねいろ

4. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

おまじないをしたりしている今にも死にそうなわたしなのに 反歌 集占い師に尋ねたり八十路の辻でタ占したりしてもあの方に逢える手がか 葉りもない 萬 ある本の反歌に わたしの命は惜しくなんかないうるわしい君ゆえにこそ長かれと願った のです 〇死ぬべき我が故ーユヱ ( ニ ) は前後の文 おとめ くるまもち 右は、言い伝えによると、ある時娘子が居た、その姓は車持氏である。その 脈から、、なるものを、と逆接に解する 夫は長い年月経ても、消息さえして来なかった。そこで娘子は、恋い焦れ心方がよいことがある。ここもその一例。 ト部をもー「夜渡る我を問ふ人や誰」 ひん を痛め、重い病に沈み臥す身となった。日ごとに痩せ、思いも寄らず死に瀕 ( 一二 ) 、「タ占を我が問ひしかば」 ( 三 や 三一 0 、「家人のいづらと我を問はば」 ( 三六八 した。そこで使いを遣って、その夫を呼び寄せた。そして泣きじゃくりなが 九 ) などのように、問フは格助詞ヲをとる ら、この歌を大声で吟じ、すぐ死んだ、という。 のが普通。〇たどき知らずもータドキ↓ 三六突。 や長歌に「占にもそ問ふ」とあるのは、母 親が娘助けたさにその方法を占い問う意 と思われるが、この「占問へど」は、娘本 人が男に逢うすべを占い問う意と考えら れ、内容的に合わない。本来別々の歌で あったものを後で組み合せ、「たどき知 らずも」を、逢う方法がわからなかった、 と過去のことの叙述と解して辻褄を合せ ゅううら あ

5. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

海人だと見ていることだろうか」ともある。 ひな ( 天離る ) 遠い鄙からの海路を恋しく思いながらやって来ると明石の海峡か 集ら家の辺りが見える やまと 葉 柿本朝臣人麻呂の歌には「大和の山々が見えて来た」とある。 つりぶね 萬武庫の海の漁場が良いらしい魚を捕 0 ている海人の釣舟が波の上に見え る 柿本朝臣人麻呂の歌には「飼飯の海の」とあり、また「 ( 刈り薦の ) 乱れて 天離るー鄙の枕詞。空のかなた遠く 漕ぎ出している海人の釣舟が」ともある。 に離れている、の意。〇鄙の長道ー もすそ 安胡の浦で舟遊びをしているであろうそのおとめたちの赤い裳の裾に潮鄙は都から遠く離れた田舎。大和・山背 ・摂津・河内のいわゆる畿内以外をさし が満ち寄せていることだろうか たと思われる。ここは瀬戸内海の長い船 旅をさしていう。〇明石の門ー明石海峡。 「明石大門」とも。幅約四 % 〇「大和 島ーー故郷大和のある陸地。シマには水 に面した土地を水面越しに眺めて称する ことがある。ここは生駒・葛城などの 山々を望見して言ったと思われる。 ◆左注に示すものは一一に近く、三六 0 八の 歌はその「一本の歌」に当る。 8 武庫の海ー武庫は摂津国の旧郡名。 現在の尼崎市から西宮市にかけての 沿岸地帯を広くさす。〇庭良くあらしー ニハは作業場。ここは漁場としての海面 あかし やましろ

6. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

高い峰に雲が寄り付くようにわたしもあなたに寄り付きたい高い峰と信 じて 集わたしの顔を忘れた時は平地に溢れて峰に立ちのぼる雲を見てんでお 葉 萬っしま 対馬の山は下雲がないのだ可牟の嶺にたなびいている雲を見ておまえを 偲ぼう 雲の付くのすーノス↓三四三 ( 波に遭 ( 白雲の ) 切れてしまったあの娘なのにどうしろという気でいったい心にの ふのす ) 。〇我さへにーこのサへニ しかかってこうも悲しいのか は主格的用法。サへは添へ ( おまけ ) の転、 岩の上にかかる雲のようにかのまづく人そおたはふさあ寝させておくれニは、、として、の意。〇付きななー上 のナは完了の助動詞、下のナは願望の助 とら 詞。〇高嶺と思ひてーあなたを頼るべき ものと信じて。 忘れむしだはー下二段の忘ルは自動 詞。シダは時の意。〇国溢りーこの くにはら クニは国原、平地で人の住む地域をいう。 ハフルは四段、溢れる意。 ◆旅立っ男の歌。類歌三五一一 0 ・四三六七・四四一二。 6 対馬の嶺ー対馬には矢立山 ( 六四九 ) をはじめ五〇〇前後の山が幾 つかある。ここは国府に近い有明山 ( 五 五八 1 しなどを中心に、それらを漠然と 一括していう。〇下雲あらなふー下雲は 地表近く這う層雲の類をいうか。ナフは 3514 3516 3517 3518 かむね あふ

7. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

( 剣大刀 ) いつも傍にあったあの娘を引き留めきれずに声に出して泣いてし まった赤ん坊でもないのに 集いとしい妻を弓束に合せてまき恋敵のことだとあらばなおいっそう堅く 葉 まこう 萬 7 あずさゆみ 剣大刀ー身ニ添フの枕詞。肌身離さ 梓弓の末に玉を飾り付けるようにこんなに大事にしながら寝ずに終った ず持つ大切な物なのでかけた。〇取 将来をあれこれ考えるうちに ートリミルは、世話をする、庇 り見がね もとやま 生い茂る枝のこの本山のましばーめ 0 たにも言わない恋人の名が占いに護する、の意。ガネはカネの連濁形。ガ ネテとも。他人に嫁ぐ恋人を引き留める 出はしないだろうか ことができないことをいう。〇手児にあ らなくにー手児は、手に抱く子、幼児の 意。このニアラナクニは、まるで、のよ うに、の意。 弓束なべ巻きーユヅ力はユミッカの 約、弓を射る時に左手で握る部分。 弓束巻クはその部分に革や桜の皮などを 巻き付けることをいう。マクに娶クがか けてあるか。ナベは未詳。あるいは並メ の意で、弓を数挺並べることをいうか 〇もころ男ー自分に匹敵する男。モコロ ↓一一一吾七 ( 小鴨のもころ ) 。〇こととしいは ばーこのトイフは形式的用法。、である、 の意。〇いや堅増しにーもっとしつかり 堅く巻こう、の意か ◆疑問の語はあるが、一人の女を幾人か ゅづか

8. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

人妻に触れるのをなぜそう戒めるのだろうそれならば隣の衣を借りて着 ないだろうか 3 さのやま 集佐野山で打っ斧の音のように遠くなのに寝たいと思ってかあの娘が面影 葉 に見えたことよ もと 萬 彅植え竹の本まで鳴るほどに大騒ぎして出て行ったらどちらを向いて妻は 嘆くだろうか 彅恋い慕いながらもじっと待っていようと思うが遊布麻山に隠れたあの人を 思うとどうにもならない おの ゅうまやま 人妻とあぜかそを言はむー人妻と触 れること、どうしてそれを世人は非 難するのだろうか、の意。〇然らばかー そんなに堅苦しいことを言うのだったら。 歌末にかかる。〇隣の衣ーこの隣は必ず しも軒を並べた隣家に限らず、近くに住 む人を漠然とさす。〇借りて着なはもー ナハは打消の助動詞ナフの末然形。モは ムの訛り。 3 佐野山ー佐野は「上野佐野の茎立」 ( 三 四 0 六 ) などと詠まれた群馬県高崎市東 南の地と同じか。ただし佐野は各地に多 い地名で、決定は困難。〇打つや斧音の ーヤは連体格の下に用いられることの多 い間投助詞。ヲノトはヲノオトの約。以 上二句、遠シを起す比喩の序。〇遠かど もー遠ケドモの訛り。互いに遠く離れ住 んでいるが。〇寝もとかー寝モは寝ムの

9. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

遠く離れた野ででも逢ってくれたらよいのに分別もなく人里の中で逢う なんてあなた まくら うわさ 集人の噂がひどいからとて薦で作った一緒の枕をわたしたちはせずにいよ 野にも逢はなむーナムは希求の終助 葉 詞。反事実的内容を表すのに用いら 萬 高麗錦の紐を解き放 0 て寝ている上にさらにどうしろというのかたまられることが多い。このモは、せめて、な りとも、というような気持を表し、希求 なくいとしい 表現と呼応している。〇心なくー浅慮に も。〇背なー夫。恋人。ナは古い連体格 いとしさに寝ると噂に上るし寝ずにいると心の上に乗りかか 0 てせつな 助詞から派生した愛称の接尾語か。 い 人言の繁きによりてーヨリテは、 というわけで、の意。第五句のマカ ジまでの内容にかかる。〇まを薦ーコモ に同じ。その葉で作った敷物がマヲ製品 に準じるところからいうか。マヲ ( 苧麻 ) はいらくさ科の植物からむしの古名。ち よま。その皮の繊維をとって織物にする。 コモはまこも。沼地に生えるいね科の多 年草。その葉を編んでむしろの類を作っ た。〇同じ枕ーオヤジはオナジに同じ。 オナジ・オヤジ共に仮名書例数がほぼ等 しい。男女が共同で用いる枕。〇我はま かじゃもーこのワはわれわれ。マクは枕 にする意。ジャ ( モ ) は反語。、しないな どということがあろうか、必ず、しよう、 という決意を表す。愛を貫き、結婚する ひも

10. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

わあふ ( 隠り沼の ) 心の底から君恋しさが湧き溢れて ( 白波の ) 目立つようになりま した人がそれと知るほどに 集 ( 草枕 ) 旅に何度もこんな風に君を送り出してわたしは恋しく思い続ける 葉ことか 萬 ( 草枕 ) 旅に出たあなたがいっ帰って来られるか月日を知ろうとしてもそ のすべがありません こうまでもわたしは恋しく思い続けるのか ( ぬばたまの ) 夜の紐さえ解き 放たずに 3935 ひも