やまぶき 山吹の繁み飛び潜くうぐひすの声を聞くらむ君はともに、射水川をさしている。七・六 = の 左注、四三突・四三九七の題詞、四四六一一左注では 難波堀江、大阪市北辺を流れる大川 ( 天 しも 満川 ) をさす。 宅野に住む人。仕官しない人。隠者。 ^ その本性を十分に発揮している。琴 も酒も満ち足りていて快適である、の意。 九君子の交り。↓三突七前文 ( 蘭蕙 ) 。 一 0 聖人君子が自らの優れた才能を包み 隠して俗世間の中に身を置くこと。『老 子』第四章の「其ノ光ヲ和シ、其ノ塵ニ同 ズ」による。ここは君子が俗人と酒席で 親しく交わることをいう。 = 瑞星。賢人のたとえ。 七言、晩春三日遊覧一首剏せて序 四 一ニ無声のものをたたいて声を求める、 じゃうしめいしんしゅんれいけい つらて くれなゐわか の意で、文章を作ることをいう。『文選』 上巳の名辰、暮春の麗景なり。桃花臉を昭らして紅を分ち、柳 文賦の「寂寞ヲ叩キテ音ヲ求ムーによる。 き とりはる こけふふ たづさかうが 色苔を含みて緑を競ふ。ここに、手を携へ江河の畔を曠かに望一 = 同じく文章を作ること。『文選』蜀都 賦に「楊雄章ヲ含ミテ挺生ス」とあるによ し J ほよき きんそん八 とぶら七 る。 3 ) み、酒を訪ひ野客の家に迥く過る。既にして、琴罇性を得、蘭 一四自分のったない文筆の力。 けい一 0 やはら 七 一一すぞ 一五四つの韻字。第二・四・六・八句の + 契光を和げたり。嗟乎、今日恨むる所は、徳星已に少なきこと 末字が「遊・舟・流・留」と同韻字で押さ 巻 - も もち じゃくう せうえうおもぶきの れている。 か。若し寂を扣ち章を含まずは、何を以てか逍遥の趣を據べむ。一 = この「勒」は、詩を作る場合、文字の -0 順序を定めることをいう。ただし、ここ たちま いささ しゐんしる 忽ちに短筆に課せ、聊かに四韻を勒すと云爾。 は詩を作ることをいう。 3971 3972 こもゐ 出で立たむ力をなみと隠り居て君に恋ふるに心どもなし おとものすくねやかもち 三月三日、大伴宿禰家持 い 一四 おほ あ らん 五
を ともしび たはその製品。後に約まってユハタとも て曰く、「叔父来れ、この燭火を吹け」といふ。ここに翁唯 いう。原文に「結幡とあり、旧訓はユフ むしろ やくやおもぶおもふる ハタ。これによって読む。結フ機の義。 唯といひて、漸くに趨き徐に行き、座の上に着接きぬ。良久 このハタは織機から転じて織物をさす。 たれ ゑ あひニせ をとめら ふふ 〇袖付け衣ー袖を付けた普通の衣服。肩 にして、娘子等皆共に笑みを含み、相推譲めて曰く、「阿誰 衣に対していう。〇着し我をーこのヲは、 、なるものを、の意だが、逆接性は弱い。 かこの翁を呼びつる」といふ。すなはち竹取の翁謝まりて曰 〇にほひょるー娘子たちの輝くばかりに とど おもはざほか たまさかしんせんあ 美しいさまをいうか。〇児らがよちーこ く、「非慮る外に、偶に神仙に逢ひぬ。迷惑ふ心、敢へて禁 の児ラは相手の娘子たちをさす。ョチは 同年輩の者。 0 蜷の腸↓ 3 一一一七七。〇か黒 な あか こひねが むる所なし。近づき狎れぬる罪は、希はくは贖ふに歌を以て し髪ー「か黒き髪」 ( 三六四九 ) というのが普通。 〇ま櫛もちーマは美称の接頭語。〇ここ すなは にーこのココは現場指示としての用法。 せむ」といふ。即ち作る歌一首せて短歌 演技者が見物の前で歌舞しながら自分の ひむつき はふこ わきごがみ みどり子の若子髪にはたらちし母に抱かえ襁の平生肩の辺などを指さして示したものであろ う。〇上げても巻きみー垂した髪を折り もとどり うなっき ゅふはた わらはがみ ゅふかたぎぬひつら 髪には木綿肩衣純裏に縫ひ着頸付の童髪には纐纈の曲げて巻き込み髻を作。てみたり。ミは 下のナシミのそれと応じ、いろいろ試み こ みなわた そぞっごろもきわれ ることを示す。〇解き乱りー四段の乱ル 袖付け衣着し我をにほひょる児らがよちには蜷の腸か は他動詞。〇さ丹つかふー赤みを帯びた。 くし あ た ぐろ 〇大綾の衣ーアヤは模様。下の「にほし わ黒し髪をま櫛もちここにかき垂れ取り束ね上げても巻き し衣ーと同格。〇遠里小野ー大阪市住吉 おりおの 巻 むらさき とみだ わらは 区遠里小野町および堺市遠里小野町辺の み解き乱り童になしみさ丹つかふ色なっかしき紫の地。〇ま籐もち↓ 3 一一契。 0 にほししー ニホスはニホハスと同じく染める意か きぬ とほさとをの おあやきぬすみのえ 大綾の衣住吉の遠里小野のま籐もちにほしし衣に高麗〇高麗錦↓ = 鬢。 がみ を いは こ をち に はり むだ つか っ かしこ ややひさ
327 巻第十七 3921 きぬす Ⅷかきつはた衣に摺り付けますらをの着襲ひ狩する月は来兄と改名した。大納言、右大臣を経て、 同十五年従一位左大臣となり、この当時 たいかく の最高位で台閣の首班の地位にあった。 にけり 六十一二歳になったばかり。 むちまろ ふびと 四藤原不比等の嫡孫。武智麻呂の長男。 仲麻呂の兄。兵部卿、参議を経て、天平 十五年従三位中納言、一一十年に従一一位大 納言、天平勝宝一兀年右大臣となったが、 だざいのいんがいのそち 弟仲麻呂の中傷により大宰員外帥に左遷 ( ただし赴任せず ) 。仲麻呂死後復帰し従 一位に至り、天平神護元年 ( 七六五 ) 薨。六 天平十八年正月、白雪多く零り、地に積むこと数寸なり。ここ + 一一歳。ここに「大納言」とあるのは追記。 五元正天皇。聖武天皇の伯母。当時六 たちばなきゃうだいなごんふちはらのとよなりあそみ に左大臣橘卿、大納言藤原豊成朝臣また諸王諸臣たちを率て、 + 七歳。一一年後に崩。 六中宮は令制の三后 ( 皇后・皇太后・ まゐ つかまっ おほきすめらみことみましどころ六 太上天皇の御在所中宮の西院に参人り、仕へ奉りて雪を掃く。太皇太后 ) の総称。この当時、聖武天皇 の生母藤原宮子 ( 文武天皇夫人 ) と光明皇 さもら みことのりくだ あは おとの ここに詔を降し、大臣参議并せて諸王は、大殿の上に侍はし后が中宮に該当するが、元正天皇も含め ていうか。西院は元正天皇の常殿か。 りようげ しよきゃうだいぶ ほそどの しえん すなは 七令外の官の一つ。四位で朝政に参与 《′ーしかい め、諸卿大夫は、南の細殿に侍はしめて、則ち酒を賜ひ肆宴し させる者。定員は不定。当時大伴牛養・ いまししょわうきゃう いささ 藤原仲麻呂らが参議であった。 たまふ。勅して曰く、「汝ら諸王卿たち、聊かにこの雪を賦し 八回廊。 おのもおのも 九酒宴を催すこと。「肆」は敷き並べる て、各その歌を奏せよ」とのりたまふ。 意。 一 0 詩を作ること。ここは与えられた題 こた たちばなのすくね 左大臣橘宿禰、詔に応ふる歌一首 で歌を作る意。 みことのり の六首の歌、天平十六年四月五日に、独り平城故郷の旧宅 おほとものすくねやかもち に居りて、大伴宿禰家持作る。 を いは っちっ きそ しょわうしよしん カり - は き
たかしき ふなど 竹敷の浦に船泊まりする時に、各心緒を陳べて作る歌十 八首 やましたひか けふ あしひきの山下光るもみち葉の散りのまがひは今日にも 五 十あるかも 巻 っゅしも 秋されば置く露霜にあへずして都の山は色付きぬらむ どうしんの 八 1 しがそれかといわれる。〇もみたひ 慟心を陳べて作る歌三首 にけりーモミタフは紅葉する意の四段動 ももふね っしま あさちゃま 百船の泊っる対馬の浅茅山しぐれの雨にもみたひにけり詞モミツの継続態。対馬は紅葉より黄葉 が多く、その見頃は十一月上、中旬。対 馬の黄葉を詠んだ歌は七首あるが、今日 の黄葉の時期より幾分早いようである。 ひな あまざか 天離る↓三六 0 八。鄙の枕詞。〇眛そー 天離る鄙にも月は照れれども妹そ遠くは別れ来にける % 妹ヲソに同じく、ヲが係助詞ノの中 に潜在化している。動詞別ルは格助詞ヲ をとる。↓三五九四 ( 悔しく妹を別れ来にけ 置く露霜にあへずしてーアへズは、 耐えきれずに、の意。下二段のアフ は、抵抗する、耐え忍ぶ、の意で、副詞 格のアへテとなったり、押シ十アへ・捕 リ + アへ・堰キ + アへが押へ・捕へ・堰 力へなどとして複合動詞を作ったりする ほかは、一般に打消を伴い、あるいは反 語表現となる。中古以降単独ではタフと いう形で現れることが多い。 たけしきうちあそう ニ長崎県下県郡美津島町竹敷。内浅海 に面し、古くから風待ちに利用された港。 g 山下光るー山下は山の日陰部分。山 引の南斜面のみでなく、直接日が当ら ない北側までも輝くばかりである。連体 修飾格。〇散りのまがひー散り乱れるこ と。またその時期。ここは後者。 右の一首、大使 おのもおのもおもひ いも いろづ
とほ いもあひみ やまかは 山川のそきへを遠みはしきよし妺を相見ずかくや嘆かむ てんびやう こしのみちのなかのかみむろつみやまひふ 十 右、天平十九年春二月二十日に、越中国守の館に病に臥し 第 巻 いささ かなし て悲傷び、聊かにこの歌を作る。 戸 0 3963 まの黒髪敷きていっしかと嘆かすらむそ妹も兄も若き歌 ( 合四 ) にも「たまきはる命惜しけどせむ すべもなし」とあった。〇かくしてやー さわ たまこ 司詠嘆的疑問。〇荒し男すらにー荒シ男は 子どもはをちこちに騒き泣くらむ玉桙の道をた遠み 剛健勇猛な男子の意。ここは家持自身に おも や ことつや ついて心身共に堅固であるべきなのに不 使ひも遣るよしもなし思ほしき言伝て遣らず恋ふるにし 調沈滞の現況をもどかしく思っていう。 いのちを 形容詞荒シはク活用であるため、複合語 心は燃えぬたまきはる命惜しけどせむすべのたどきを知 を作る場合、荒・ : となるべきところであ なげふ るが、この歌や四三七一一・四四三 0 などではアラ らにかくしてや荒し男すらに嘆き伏せらむ シヲとなっている。三七九一で、普通は「か 黒き髪」というところを「か黒し髪」とし ているのと似た例。スラ ( ニ ) は一般に軽 いものを示して重いものを類推させる働 おも 世の中は数なきものか春花の散りのまがひに死ぬべき思きであるが、ここは例外。、なのに、の 意の「己妻すらを」 ( 三合 0 などのスラヲを 連想したものか。 へば 3 数なきものかー数ナシは、はかない、 3 無常な、の意。〇春花ー春咲く花一 般をさす。〇散りのまがひ↓三七 00 。天平 十九年の二月一一十日は太陽暦の四月四日 に当る。 山川のそき ( を遠みーソキへはソク へともいい、遠く隔たった所、の意。 都から幾つもの山川を隔てた遠い地なの でいう。 一元暦校本には「天平ーの一一字がなく、 日付も「廿一日」となっている。 つか かず あらを はるはな いもせ どほ
布勢の海の沖っ白波あり通ひいや年のはに見つつしのー携 ( ルは手を取り合う意。ここは仲良 く一緒に出かけることをいう。〇湊の渚 鳥ーミナトは河口。や千鳥・しぎなど はむ をさす。〇潟にあさりしーこの潟は潮干 潟。アサリ↓三五究。〇妻呼び交すーこの ツマは雌雄の別なくその配偶をいう。〇 ともしきにーこのトモシは心が引かれる 意。〇片搓りにー普通の糸は一一本搓り合 せるのに、一本だけ搓りを人れること。 敬みて布勢の水海に遊覧する賦に和ふる一首せて一絶 一究七では片思いで切れやすいことのたと えにしてある。ここは単なる文飾であろ はな ふぢなみ うが、単身赴任の身の憂さを訴える気持 藤波は咲きて散りにき卯の花は今そ盛りとあしひきの も含まれるか。〇縵ー蔓性植物の類を輪 山にも野にもほととぎす鳴きしとよめばうちなびく心も状にして頭上に載せる髪飾り。〇うらぐ はしー心にしみ人るように美しい。ウラ どひ しのにそこをしもうら恋しみと思ふどち馬打ち群れては心。ク ( シは繊細な美しさを表すシク 活用の形容詞。〇ま梶櫂貫き↓三六二 ( ま かた いみづかはみなとすどり たづさ 携はり出で立ち見れば射水川湊の渚鳥朝なぎに潟にあ梶しじ貫き ) 。梶櫂は、剣大刀が剣ノ 大刀であるように、本来カイは操舵具の かは 汎称、カヂはその中の一種の名であった さりし潮満てば妻呼び交すともしきに見つつ過ぎ行き と考えられる。〇袖振り返しー仲間の乗 かづら ありそ 七しぶたに っている舟に近づくと、漕ぐ手を止めて + 渋谿の荒磯の崎に沖っ波寄せ来る玉藻片搓りに縵に作 袖を振り合うことをいうか。憶良の長歌 巻 いも 八 0 四の別案に「白たへの袖振り交しーとあ 妹がため手に巻き持ちてうらぐはし布勢の水海に海。たのに倣。たものか。〇率ひてーこの アドモフは、調子を合せて漕ぐために漕 まぶね 人舟にま梶櫂貫き白たへの袖振り返し率ひて我が漕ぎぎ手が掛声を発することをいう。 3992 3993 ふせ つつし かみおとものすくねやかもち 右、守大伴宿禰家持作る。四月一一 + 四日 かちかいぬ みづうみ ふ こた たまも あども かたよ む わ あ
みを とほっあふみいなさほそえ あゆかわあぎな 遠江引佐細江の水脈つくし我を頼めてあさましものを「愛甲郡英那」の地の山かとする説がある。 〇引こ舟の↓三四一三 ( 降ろ雪の ) 。以上三句、 さかわ くりぶね とつあふみのくに 山中で作った刳舟の類を酒匂川の支流狩 右の一首、遠江国の歌 川などの水辺に下ろす際、転落防止のた めに船尾から引き止めるようにすること から、シリヒカシを起す序とした。〇後 引かしー後ろ髪を引かれるような気持を 表す形容詞。複合動詞シリヒクから派生 した語。〇ここばーこんなにも甚だしく。 〇児がたにータニは為ニの古形。ただし ここは故ニの意に近い。 ◆女の所から帰って行く男の歌。寄物陳 思という方が近い。 2 和乎可鶏山ー足柄峠の東北にある矢 倉岳 ( 標高八七〇 ) の古名。〇かづ しりひ あきな あしがり 足柄の安伎奈の山に引こ舟の後引かしもよここば児がの木のーカヅノ木は未詳。くわ科の落葉 高木カヂノキの音転とする説、うるし科 の落葉小高木ぬるでに擬する説などがあ たに る。以上三句、同音によってカヅサネモ のカヅを起す序。〇我をかづさねもーカ ヅサネモは未詳。誘惑する意の東国語力 あしがり わをかけやま ヅスという語があったとする説もあるが + 足柄の和乎可鶏山のかづの木の我をかづさねもかづさか不明。〇かづさかずともー未詳。カヅを 製紙の原料カヂの木と解し、そのカヂの 巻 ずとも 皮を剥ぐカヂ裂きの手を止めない男に向 って、自分を誘ってくれ、と女が言った と解する説もある。 しだ 斯太の浦を朝漕ぐ舟はよしなしに漕ぐらめかもよよしこ さるらめ するがのくに 右の一首、駿河国の歌 こ ひ ふね あれたの わ こ こ や
191 巻第十五 3715 ~ 3718 3718 3717 たれ いへどほ ひとりのみきぬる衣の紐解かば誰かも結はむ家遠くして あまくも もみち 天雲のたゆたひ来れば九月の黄葉の山もうつろひにけり 3716 くしめぐ うみっち みやこ 筑紫を廻り来、海路にて京に人らむとし、播磨国の家島に至 りし時に作る歌五首 こ うなはら 家島は名にこそありけれ海原を我が恋ひ来つる妹もあら なくに 予定より遅れたことをいう。 7 喪なくはや来ー喪は災、凶事。コは 引力変来の命令形。〇なれにけるかも ーナル↓三五七六 ( なるるまにまに ) 。ここは 垢がっき見苦しくなったことをいう。 一この間に三か月ないし五か月の空白 がある。新羅政府は使いの旨を受け付け ず、帰途大使の阿倍継麻呂は対馬で病死 し、大判官壬生宇太麻呂・少判官大蔵麻 呂らは翌九年正月一一十七日に人京したが、 病を得た副使の大伴三中らは三月二十八 日に人京拝朝した。以下の五首は、その いずれの組に在った者の作か不明。 わぎもこ むす 旅にても喪なくはや来と我妺子が結びし紐はなれにける = ↓ = 〈毛。今回は寄港停泊してい税』 名にこそありけれー有名無実で人惑 引わせである、の意。家という名を持 力も つからには妻が居るはずなのに居ないか ら言った。↓三六一一七 ( 家島 ) 。〇我が恋ひ来 つるー動詞来は完了の助動詞ヌ・ツのい ずれにも付くが、一般に来ヌが「遠き山 関も越え来ぬー ( 三当四 ) などのように、い つのまにか来てしまったことを表すのに 対して、来ツは「君に逢はむとたもとほ り来つ」 ( 一五七四 ) やこの歌などのように、 はず 心を弾ませながら何らかの目的を果すた めに来たことを表す。ここは妻に逢おう と思う一念から苦労して来たことを表す。 力も - も ころも ながっき ひもと あ はりまのくにいへしま き いも
をえ なには なま あしがに おしてるや難波の小江に廬作り隠りて居る葦蟹を大君東一坊に面した東辺中門をいう。なお、 平城宮の大膳職は宮域の中央北端に在っ あきら わ たと推定されている。〇ふもだしかくも 召すと何せむに我を召すらめや明けく我が知ることを のーフモダシはふんどし。馬の腹部を縛 ことひ うたびと ふえふ わ るにもこの語を用い、ここは蟹の胴を縛 歌人と我を召すらめや笛吹きと我を召すらめや琴弾きと って吊すことをいう。現代語でも蟹の腹 みことう けふけふ あすか 部の蓋板をふんどしと称する。〇鼻縄著 我を召すらめやかもかくも命受けむと今日今日と明日香 くれーハクは身につける意。牛の鼻壁を つくの おくな 穿ち鼻ぐりを通す習慣は新しい。〇もむ に至り置くとも置勿に至りつかねども都久怒に至り にれーにれ科の落葉高木。その白皮を搗 き干して製した粉末を今日の化学調味料 みかど 東の中の御門ゅ参り来て命受くれば馬にこそふもだのように用いた。〇天照るやー日の枕詞。 0 日の異にー日ニ異ニ ( 三六五九 ) の訛り。 0 はななはは かたやま しかくもの牛にこそ鼻縄著くれあしひきのこの片山のさひづるやー韓の枕詞。サヒヅル↓ 3 一 = 七三 ( さひづらふ ) 。〇韓日ー足で踏んで重 け あまて もむにれを五百枝剥ぎ垂れ天照るや日の異に干しさひづ石を上げ落す構造の臼。〇手臼に搗きー 手臼は手杵で搗く臼。「あしひきの」以下 からうすっ てうす この句までは末楡 ( にれの粉末 ) の製造工 るや韓臼に搗き庭に立つ手臼に搗きおしてるや難波の 程の説明か。〇初垂ー製塩の際、最初に けふゅ したたる濃縮した食塩水をいうか。〇陶 小江の初垂を辛く垂れ来て陶人の作れる瓶を今日行き 人ー陶器を作る技術者。スヱは素焼の土 きたひ あす 師器に対して高温で焼いた高級な焼物。 + て明日取り持ち来我が目らに塩塗りたまひ膤はやすも 〇膤ー魚介類の内臓を出さないまま干物 巻 にした食品。ここは蟹のニラキ ( 末楡を きたひ はやすも 混ぜた塩漬 ) をさす。 ◆この歌はもと蟹の姿をして踊る芸人た ちが謡ったものか わ め ひむがし わ はったり 右の歌一首、蟹のために痛みを述べて作る。 いほえは きわ からた かに た いっく すゑひと しほぬ ひ を わ かめ おほきみ
我が背子が犢鼻にする円石の吉野の山に氷魚そ懸れる五位下を授けられ延暦六年 ( 菶 ) 鎮守副 将軍に任ぜられた池田朝臣真枚かとする。 七天平宝字八年従五位下となる。 〈懸有は反してさがれるといふ〉 女餓鬼ー女の餓鬼。餓鬼↓六 0 八 ( 餓 とねりのみこ じざお椴 3 鬼の後に額つくごとし ) 。〇申さく 右の歌は、舎人親王、侍座に令せて曰く、「或し由る所なき ー申スのク語法。この申スは乞い願う意。 んばくもち 対象は仏であろう。〇大神の男餓鬼ー大 歌を作る人あらば、賜ふに銭・帛を以てせむ」といふ。ここ 神奥守が痩せているので戯れて言った。 おとねりあへのあそみこおぢすなは すなはちつの〇孕まむー原文に「将播」とあり、「播」は に大舎人安倍朝臣子祖父、乃ちこの歌を作り献上す。登時募種を蒔く意。産ムの継続態産フを当て、 産マハムと読む説が一般的だが、仮に旧 る所の物銭二千文を以て給ふ、といふ。 訓に従った。 仏造るー仏像を造る。ここは東大寺 の大仏をさすのであろう。東大寺の 大仏は天平二十一年 ( 七四九 ) に本体が完成 いけだのあそみ みわのあそみおきもりわら かいげん し、天平勝宝四年に塗金が完了し、開眼 池田朝臣、大神朝臣奥守を嗤ふ歌一首池田朝臣の名は忘失せり 会が行われた。〇ま朱足らずはーマ朱↓ めがきまを おほみわ をがきたば はら 寺々の女餓鬼申さく大神の男餓鬼賜りてその子孕まむ曩 0 ( 丹生のま朱の ) 。辰砂から採。た水 銀は金と混ぜ、アマルガムとして塗金し 8 た。『延暦僧録』の記載によれば、東大寺 3 ) の大仏の塗金には約二九一の膨大な こた 量の水銀を要したという。〇水溜まるー 十 大神朝臣奥守の嗤ひに報ふる歌一首 第 即興で池にかけた枕詞。〇池田の朝臣が 巻ほとけつく そ た ーアソは廷臣に対する親称。原文には 仏造るま朱足らずは水溜まる池田の朝臣が鼻の上を「阿曾、とあるが、『日葡辞書』には として見える。〇鼻の上を掘れー辰砂の ワ 1 掘れ 露頭する丹生の地は顕著に赤いのでいう。 3841 てらてら わ はん たふさき つぶれいし いけだ いは ひを よ さ