娘子 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)
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1. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

女の許にやって来て見舞ったところが、娘子の顔かたちの、疲れやつれ たさまはあまりにも異様で、ただむせび泣くばかりで言葉にならない。 そこで男は、悲しみ嘆いて涙を流し、歌を作って大声で吟じた。その歌 葉 萬こんなにまでも情けなくなっていたとも知らずに ( 猪名川の ) 心の奥深く わたしは思っていたよ まくら 娘子は臥したまま、夫の歌を聞いて、枕から頭をもたげ、その声に答え て返した歌一首 あわゆき ( ぬばたまの ) 黒髪も濡れて沫雪の降るのに来てくださったのですかこん なに待ち焦れていたので 今考えてみるに、この歌は、その夫が駅使に派遣されて、すでに数年を経、 そして帰った時はちょうど、雪の降る冬であった。そこで、娘子はこの「沫 うんぬん 雪云々」の句を作ったものか。 おとめ 一病み疲れる意。 ニ「哽」はむせんで声が詰ることを表し、 「咽」は「噎」に同じく、胸がふさがって声 が士ロること」い - つ。 三大声を発する意。 かくのみにありけるものをーこんな ことでしかなかったのに。人の死を 悼み、こんなにはかない命だとは思って

2. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

萬葉集 224 萬葉集巻第十六 由縁有る歌と雑歌 おとめ さくらこ 昔娘子が居て、通称を桜児といった。当時一一人の若者が居て、二人とも いど どもこの娘に求婚し、命を捨てて争い、死を決して互いに挑み合った。 そこで娘子はむせび泣いて言うことには、「昔から今に至るまで、一人 もととっ の女の身で二人の男の許に嫁ぐということは、見たことも聞いたことも ない。今となっては男の人たちの気持は、和らげようもない。わたしが 死んで決闘をふつつりと止めてもらう以外にはない」と言った。そこで 林の中に死地を求め、 一原文に「有由縁并雑歌」とある。これ は「由縁有る歌、并せて雑の歌」の略。こ の「由縁」は、由来、事情、の意。この巻 を的確に前後一一分することは困難だが、

3. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

うちそ をみ 錦紐に縫ひ付け刺部重部なみ重ね着て打麻やし麻続の庭にたたずめータタズメは已然形で言い 放っ法。ただし原因・理由を示す格では きぬ ない。〇罷りな立ちとー五音句相当だが、 子らあり衣の宝の子らがうったへは綜て織る布日ざら 原文に「退莫立」とあり、訓釈に疑義があ る。〇禁め娘子がー上句からの続き方不 しの笋りを信巾裳成者之寸丹取為支屋所経稲置娘子が 明。〇水縹ー淡い藍色。〇引き帯ー小帯 ひきおび をちかた つまど あすか ふたあやしたぐっ の類。「衿、比岐於比、小帯也」 ( 和名抄 ) 。 妻問ふと我におこせし彼方の二綾裏沓飛ぶ鳥の明日香 0 韓帯に取らせー韓帯は大陸伝来様式の をとこ ながめい くろぐっさ まか帯か。取ラセは取一フスの已然形で言い放 壮士が長雨忌み縫ひし黒沓刺し履きて庭にたたずめ罷っ法か。自敬表現にな。ているのは演劇 である証か。〇海神の殿の甍ーイラカは みはなだ いさをとめ りな立ちと禁め娘子がほの聞きて我におこせし水縹の屋根の脊の部分。神仙譚の幻想性を示す ために、海宮の世界を借りたか。〇すが きぬおび からおび 絹の帯を引き帯なす韓帯に取らせ海神の殿の甍に飛びるのごとき腰細ースガル↓ 3 一実 ( すが る娘子の ) 。ただし、ここは男性の姿態 かけ な こしぼそ 翔るすがるのごとき腰細に取り飾らひまそ鏡取り並めの形容である点が異色。〇か ( らひ見つ っーカへラヒは、繰り返し、ためっすが 掛けて己が顔かへらひ見つつ春さりて野辺を巡ればおめつ、の意。美少年の自己陶酔のさま。 〇おもしろみ我を思へかーミ語法十思フ かけ やま のとり は、、だと思う、の意。疑問条件。〇さ もしろみ我を思へかさ野っ鳥来鳴き翔らふ秋さりて山 野っ鳥来鳴き翔らふーサ野ッ鳥は雉の異 あまくも 名。鳥獣までも美少年の魅力に引き付け + 辺を行けばなっかしと我を思へか天雲も行きたなびく られたことをいう。〇うちひさす↓三四。 巻 た とねり みやをみな 〇さすたけの↓三七天。ここは転じて舎人 かへり立ち道を来ればうちひさす宮女さすたけの舎人にかけた。〇舎人壮士ー舎人↓田一 ~ 一題 詞。〇忍ぶらひー上一一段忍プから派生し をとこ おも 壮士も忍ぶらひかへらひ見つつ誰が子そとや思はえてあた動詞か。ここは、ぬすみ見て、の意。 にしきひも こ へ し おの われ われ ひ おび われ た われ わたつみ へ とのいらか

4. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

おまじないをしたりしている今にも死にそうなわたしなのに 反歌 集占い師に尋ねたり八十路の辻でタ占したりしてもあの方に逢える手がか 葉りもない 萬 ある本の反歌に わたしの命は惜しくなんかないうるわしい君ゆえにこそ長かれと願った のです 〇死ぬべき我が故ーユヱ ( ニ ) は前後の文 おとめ くるまもち 右は、言い伝えによると、ある時娘子が居た、その姓は車持氏である。その 脈から、、なるものを、と逆接に解する 夫は長い年月経ても、消息さえして来なかった。そこで娘子は、恋い焦れ心方がよいことがある。ここもその一例。 ト部をもー「夜渡る我を問ふ人や誰」 ひん を痛め、重い病に沈み臥す身となった。日ごとに痩せ、思いも寄らず死に瀕 ( 一二 ) 、「タ占を我が問ひしかば」 ( 三 や 三一 0 、「家人のいづらと我を問はば」 ( 三六八 した。そこで使いを遣って、その夫を呼び寄せた。そして泣きじゃくりなが 九 ) などのように、問フは格助詞ヲをとる ら、この歌を大声で吟じ、すぐ死んだ、という。 のが普通。〇たどき知らずもータドキ↓ 三六突。 や長歌に「占にもそ問ふ」とあるのは、母 親が娘助けたさにその方法を占い問う意 と思われるが、この「占問へど」は、娘本 人が男に逢うすべを占い問う意と考えら れ、内容的に合わない。本来別々の歌で あったものを後で組み合せ、「たどき知 らずも」を、逢う方法がわからなかった、 と過去のことの叙述と解して辻褄を合せ ゅううら あ

5. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

207 巻第十五 3750 ~ 3754 3753 そこ あめっち 天地の底ひの裏に我がごとく君に恋ふらむ人はさねあある意の形容詞ウッシの未然形。 逢はむ日のー逢ハム日マデノの意か 引 0 たわやめーかよわい女。やや無理 らじ な当字であるが「手弱女」と書かれること が多い。娘子自身をさす。 4 過所ー関所の通行手形。遠方に旅行 引する者は、通過関名、行先国名、本 人および随行者の住所・年齢・携行品、 牛馬の数などを記した過所を携行するこ とが定められていた。京人は京職、地方 在住者は国司から交付を受けるべきこと とか、その有効期限などについて関市令 の規定は細かで、これを持たない通行者 は処罰された。今日平城京近くの下ッ道 の側溝から出土した木簡形式の過所が残 っており、それには近江国蒲生郡の者が 藤原京に行く際のもので、同伴者の身分 かたみ 逢はむ日の形見にせよとたわやめの思ひ乱れて縫 ( るや馬の特徴まで記されている。〇多我子 尓毛ー原文のまま。アマタガ子ニモ・マ ころも ネクアゴニモなどの試訓があるが、いず 衣そ れも歌意を得ない。 やこの歌が詠まれた少し後の天平十二年 に、大伴家持も「関なくは帰りにだにも うち行きて味が手枕まきて寝ましをー ( 一 0 三六 ) と詠んでいるが、過所なしに関所が かよ抜けられる鳥になれたら、という発想は や くわそ 過所なしに関飛び越ゆるほととぎす多我子尓毛止まず通奇抜である。 ただあ 白たへの我が下衣失はず持てれ我が背子直に逢ふまでに 3752 しろ がな 春の日のうら悲しきに後れ居て君に恋ひつつ現しけめ やも をとめ 右の九首、娘子 あ したごろも うら おくゐ わせこ うつ

6. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

昔若者と美女が居た姓名は不明である。両親に告げないで、ひそかに交 おとめ わった。その時娘子の気持として、親に知らせようと思った。そこで歌 を作って、相手の男に送り与えた歌に 集 葉人知れず恋い慕っていると苦しいわ山の端から出て来る月のように現し 萬たらどうでしよう 右は、ある人は、男の返歌があったという。しかし探し求めることができ ない。 昔若者が居て、新しく婚礼をなした。何程も経たないのに、はからずも 駅使の役にあてられて、遠い地域に派遣された。公務には規定があっ て、妻に逢うにも日が決められない。そこで娘子は、嘆き悲しみ、病の 床に倒れ臥した。数年の後に、男は任務を終えて帰り来り、報告を済せ た。早速ー ふ 一男女双方の両親か、女の方の両親か 不明。三八 0 六に準じて考えれば後者か。 ニ男女が相交わること。『日本書紀』の 古訓にトッギと読んだものがあるが、今 は字音で読む。 三「与」は上から下に遣わす意を表す字 で、この字の使用から考えて、作者の女 よりも相手の男の身分が低かったかと思 われる。

7. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

163 巻第十五 3661 ~ 3663 3663 つわ った つ み の 沖 縄陰 の り く る 時 と が 待 ら む 月 は 経、 に もすそぬ 風のむた寄せ来る波にいざりする海人娘子らが裳の裾濡 れぬ い岸辺で作業しているのを詠んだのであ ろう。〇裳の裾濡れぬー「鮎釣ると立た せる妹が裳の居濡れぬー ( 会五 ) 、「娘子ら が赤裳の裾の濡れて行かむ見む」 ( 一毛四 ) などのような例もあり、当時の男たちは 女の裳の、特に赤裳の裾の濡れた色調に 官能美を感じたようである。 振り放け見ればー振リ放ケ見ルは、 振り仰いで遥か遠方を眺めやること。 〇よしゑやしーままよ。不快な気分の時 に発する許容・放任のヨシに間投助詞ヱ が付き、さらにはやし詞のヤシが加わっ た形。本来「知らずともよしなどの、仮 あまはらふさ 天の原振り放け見れば夜そふけにけるよしゑやしひとり定逆接を受けて、どうな。てもかまわな い、の意のヨシが先行して陳述副詞とな ぬよ ったもの。 寝る夜は明けば明けぬとも 沖っ縄のりーこのオキは海底の意。 せどうか ↓三六一公沖っ白玉 ) 。縄ノリは縄状の 右の一首、旋頭歌なり。 海藻であろうが、今日の何に当るか不明。 一説に、べにもずく科のうみぞうめんか とする。以上一一句、長い物を少しずっ引 っ張る意の繰ルと来ルとが同音なのでか けた序。〇くる時とーもう夫が帰って来 る頃だと。↓三大一 ( 秋さらば相見むもの を ) 。〇味が待つらむ月は経につつーこ のラムは連体形。ツツ止め。どんどん過 ぎて行くことよ、の意。 はにしのいなたり 右の一首、土師稲足 一に云ふ、「海人の娘子が裳の裾濡れぬー よ あまをとめ

8. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

259 巻第十六 3822 ~ 3823 3823 をとめ 右、時に娘子あり、姓は尺度氏なり。この娘子は高姓の美人朝廷に仕えた者かとする説がある。 六血管の意だが、ここは診脈の意で用 四 しこを こ とぶら いた。古い医書に『脈訣』という本があり、 の誂ふ所を聴さず、下姓の士の誂ふ所を応許す。ここに児 診脈の方法について述べてある。「医疾 べのおほきみ わら 令」に「脈決」とあり、医針生らの重要な 部女王この歌を裁作り、その愚を嗤笑ふ。 教科書の一つであった。ここに「脈 : ・決 ・ : 」とあるのは、それを二つに分け、案 脈ー診決の気持でしゃれて書いたか。 七寺に同じ。やや俗語的用法。 古歌に日く 八俗世間の人。僧尼に対する。 たちばな ながや ゐね うなゐはな 九男子一一十歳を表す「弱冠」の語を、若 かみあ い女の意に転用するために、「弱」「若」 橘の寺の長屋に我が率寝し童女放りは髪上げつらむか 同音であることを利して作った新造語か じけ しひののむらじながとしとり 右の歌、椎野連長年、脈みて曰く、「それ寺家の屋は、人一 0 「丱」は小児の髪型あげまきを示す象 九 形文字。ここは若い娘を表すのに用いた。 うなゐはなり じゃくくわんをみない = ここは第四句をさす。↓ 3 一六三五題詞。 の寝る処にあらず。また若冠の女を個ひて、放髪丱といふ、 尼崎本や類聚古集などには「腹句」とある。 しか すなは一一すゼ ちゃくくわん 然らば則ち腰句已に放髪丱と云へれば、尾句に重ねて著冠の一 = ここは第五句をさす。↓豊 0 噐注記。 一三元服の意。ここは髪を結い上げる意。 判断して決定を下すこと。この手入 辞を云ふべからじか」といふ。 れは四一一八一と共に歌論の一例と見られる。 四橘の照れる長屋ー橘の果実がその近 くで熟し輝いている長屋。〇我が率 寝しーここは下に「子」などの主語となる 名詞を省いた形。〇童女放りーここは結 婚適齢期の娘の髪型をいうか。↓ 3 一合九 決めて曰く たちばな ゐね 橘の照れる長屋に我が率寝し童女放りに髪上げつら ( 小放りに髪たくまでに ) 。 こと いは ゆる わ さかと いは うなゐはな びく うまひと

9. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

おとめ さかと かばね 右は、ある時娘子が居た、その姓は尺度氏である。この娘子は高い姓の美男一「貴姓」ともいい、天武十三年に制定 やくさかばね まひとあそんすく こ・ヘのおおきみ された八色の姓のうち、真人・朝臣・宿 子の求婚に従わず、卑姓の醜男の求婚に応じた。そこで児部女王は右の歌をね 彌などの上位の諸姓を有する家系をさす。 ニ美男。下の「娩士」に対する。 作って、その愚かさをあざ笑ったのである。 三「卑姓」とも。「高姓に対する。ここ おびとふびとあたい 葉 古歌に は首・史・直などの雑姓の家系をさすか。 たちばな 萬橘の寺の長屋にわたしが連れ込んで寝た童女放りはもう髪を結い上げ 0 「娩」は、音キ、恥じる意だが、ここ は「醜」の通用で、みにくい、の意。 たことであろうか 2 橘の寺の長屋ー橘ノ寺は奈良県高市 つん しいののむらじながとし 郡明日香村橘にあった橘寺。聖徳太 右の歌は、椎野連長年が点検して言うには、「そもそも寺院の建物は、俗人 子の創建にかかるといわれる。天武九年 の寝るべき所でない。また若い女を童女放りというが、それでは第四句に童失火で十坊を焼失した後も兵火に遭いな どして衰え、現在残るのは近世末期の再 女放りとすでにあるから、第五句に重ねて髪を結い上げるなどいうべきでな 興にかかる。長屋は棟続きの長い建造物。 かろうと一言った。 ここは僧尼の起居する房舎の長いものを いう。〇率寝しーヰルは、引き連れる、 そこで決定案は次のとおり 連れ込む、の意。〇童女放りーウナヰと 橘の実の照る長屋にわたしが連れ込んで寝たあの娘は童女放りに髪を結放リとは同義。放リ↓ 3 一 = 噐 ( 放りの髪 ) 。 共に髪を肩のあたりまで垂した少女の髪 い上げたことであろうか すいはっ こんこうみようさいしよう 型、垂髪をいう。西大寺本『金光明最勝 おうを、よう 王経』古点に「被髪」をウナヰと読んでい る。当時女子は十四、五歳ごろまでも頭 髪を伸びるままにしていた。ここも、十 四、五歳の少女をその髪型で呼んだもの。 五伝未詳。神亀元年 ( 七一一四 ) 正七位上四 比忠勇という者が椎野連の姓を賜った。 その一族か。渡来人の子孫で医術を以て ぶおとこ こ

10. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

こた まくら かしら 娘子、臥しつつ、夫君の歌を聞き、枕より頭を上げ、声に応 こた へて和ふる歌一首 あわゆき ぬばたまの黒髪濡れて沫雪の降るにや来ますここだ恋ふ れば 十 第 巻 いたあひみ をとめか はなは 詣り相視るに、娘子の姿容の、疲羸せること甚異だしくし をとこ かうえっ かなし なみた て、言語哽咽す。ここに壮士、哀嘆びて涙を流し、歌を裁り て口号ぶ。その歌一首 ゐながは あおも かくのみにありけるものを猪名川の奥を深めて我が思へ りける 今案ふるに、この歌は、その夫使はれて、既に累載を経ぬ。 しか 而して還る時に当たりて、雪降る冬なり。斯に因りて、娘子 この沫雪の句を作るか。 かむが かへ ぬ つま おき き これよ 四 るいさい もみなかった、と嘆いたり、相手の変心 を恨み、こんな薄情な人とは知らなかっ ドレトうとうく た、と悲しんだりする常套句。本来、題 詞と歌と別々の内容であったのではない か。このままに解する場合、このカクは、 相手が自分の帰りを待ちわびてあさまし いばかりに変り果てたことをさすのであ ろう。〇猪名川のー奥ヲ深ムの枕詞。猪 とよの 名川は大阪府豊能郡能勢町および兵庫県 川辺郡猪名川町の山中に発し、川西・池 田・伊丹の諸市を過ぎ、尼崎市で神崎川 に人り大阪湾に注ぐ。 0 奥を深めてー心 の底から深く田 5 うことを表す。このオキ は心の深部をいう。湖海の沖のみならず、 比較的に川幅の広い川についてもその中 流をオキと称することがある。 ◆類歌四七 0 ・一一突四。 降るにや来ますーマスは敬語の補助 動詞。形式は疑問文だが、内容的に は疑う気持がほとんどない。 0 ここだ恋 ふればー主語は作者。自分の思いが通じ て男が帰って来てくれた、という気持。 四「累年」に同じ。「載」は「歳」に通じる。 五右の歌は内容的に三八 0 四やその前の題 詞と必ずしも合わない。本来無関係な一一 首の歌を組み合せて歌物語の形にしたか らであろう。