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検索対象: 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)
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1. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

遠く離れた野ででも逢ってくれたらよいのに分別もなく人里の中で逢う なんてあなた まくら うわさ 集人の噂がひどいからとて薦で作った一緒の枕をわたしたちはせずにいよ 野にも逢はなむーナムは希求の終助 葉 詞。反事実的内容を表すのに用いら 萬 高麗錦の紐を解き放 0 て寝ている上にさらにどうしろというのかたまられることが多い。このモは、せめて、な りとも、というような気持を表し、希求 なくいとしい 表現と呼応している。〇心なくー浅慮に も。〇背なー夫。恋人。ナは古い連体格 いとしさに寝ると噂に上るし寝ずにいると心の上に乗りかか 0 てせつな 助詞から派生した愛称の接尾語か。 い 人言の繁きによりてーヨリテは、 というわけで、の意。第五句のマカ ジまでの内容にかかる。〇まを薦ーコモ に同じ。その葉で作った敷物がマヲ製品 に準じるところからいうか。マヲ ( 苧麻 ) はいらくさ科の植物からむしの古名。ち よま。その皮の繊維をとって織物にする。 コモはまこも。沼地に生えるいね科の多 年草。その葉を編んでむしろの類を作っ た。〇同じ枕ーオヤジはオナジに同じ。 オナジ・オヤジ共に仮名書例数がほぼ等 しい。男女が共同で用いる枕。〇我はま かじゃもーこのワはわれわれ。マクは枕 にする意。ジャ ( モ ) は反語。、しないな どということがあろうか、必ず、しよう、 という決意を表す。愛を貫き、結婚する ひも

2. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

123 巻第十五 3581 ~ 3585 3584 で別 にれ な う ら 悲 し け む 我あ が 衣豸 も 下児 に を 着き 直 に 逢あ ま 3585 3583 き【り・ あひみ 秋さらば相見むものをなにしかも霧に立つべ さむ 3582 わぎもこ した 我妹子が下にも着よと贈りたる衣の紐を我解かめやも おぶね 大船を荒海に出だしいます君つつむことなくはや帰り ませ く ~ 墺きしま ( 六一一 0) 、「玉敷かず△君が悔いて言ふ」 ( 四 9 七 ) など、引用の助詞トが△の位置にある べきなのに省略された例はほかにもある。 〇斎はばーイハフ↓三四六 0 。旅行者特に船 旅に出る者の家族は旅中の安全を祈って さまざまの禁忌を守り身を慎んだ。〇障 りー妨げられる意のサハルの名詞形。事 故。前の歌の「つつむこと」に同じ。 うら悲しけむーウラガナシ↓三五 00 ( うらがなしけ ) 。主格は夫。〇下に を着ませーシタはウへの対。ウへが人目 につく所、表面を表すのに対して、人目 につきにくい所、裏面、衣服では下着・ ま幸くて妹が斎はば沖っ波千重に立っとも障りあらめ肌着にいう。ヲは間投助詞。命令や意志 を表す文中の連用格の下に用いられる。 〇直に逢ふまでにー男女が逢った後、互 やも いに下着を交換し、また逢う時まで脱が ない習慣によっていう。 ◆類歌三一・三七夫。 下にも着よーこのモは、せめて、だ あめっち けでも、の意。「天地の神も助けよ」 むなこと ( 五四九 ) 、「空言も逢はむと聞こせ」 ( 三 0 六三 ) などのように命令や希求、反実仮想の表 現にはこのようなモが用いられることが 多い。〇衣の紐を我解かめやもー家で慎 み待っ妻と同じく、自分も旅先で操を守 り通そうという気持。 さき あるみい いもいは ひも あれと さは

3. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

秋になったら逢えるだろうになんでそう霧に立つほども嘆くのですか あらうみ 大船を荒海に出して出かけられるあなたつつがなくすぐにも帰っていら 集っしゃい ものい 葉弸お元気でと言ってそなたが物忌みをしてくれたら沖の波が千重に立とうと 萬 も事故などあろうか 5 別れたら悲しくなりますよわたしの衣でも肌に着けていらしてください じかに逢うまでは そなたが肌につけるようにと贈ってくれた衣の紐をわたしは解くものか 3585 ころも はだ ひも 秋さらば相見むものをーこの後にも、 秋のうちに帰京できると考えていた ことがわかる歌が、三天六・三六一一九・三交一・ 一一一六犬・三七 0 一・三七一九などある。〇なにしか もーこのナニは理由に関する疑問副詞。 シは強め、カモは疑問助詞。〇嘆きしま さむー嘆キシは嘆キ + サ変スの連用形。 敬語マスは一般にかなり重い敬意をこめ て用いられ、このように男から女に対し てマスが使われることは少ない。 ◆前の歌の第三句「霧立たば」を受けて和 した使人の歌。 荒海ーアルミはアラウミの約。〇っ つむことなくーツツムは事故や傷病 などの障害にあうこと。『名義抄』に「障、 サハリ、ツ、ム」とある。「つつみなく幸 くいまして」 ( 八九四 ) のツツミはこの名詞形。 3 ま幸くてーこの下に「はや帰り来」の ような内容が省略されているが、さ らにそれを統括する引用の助詞トも省か れている。「はじめより長く△言ひつつ」 3582

4. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

しなぬ すが あらの 。信濃なる須我の荒野にほととぎす鳴く声聞けば時過ぎに + けり 第 巻 3351 つくはね にひぐはまよ みけし 筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣しあやに着欲しケリが功リとな。た例もある。ラ。 ( = 四六九 ) ・萌ラロ ( 三五四六 ) はこの連体形がさら に音転したもの。第五句の乾サルも乾セ ルの東国語形。〇いなをかもーイナカモ ヲカモの意。イナは否、ヲは諾の応答詞。 違うかな、いやそうかな、と判断に迷う 場合に用いる。この句を含む歌は前述内 容が疑われ、後述内容が真相。 0 かなし き児ろーカナシはせつないばかりにいと しい意。ロは接尾語。〇布ーヌノの訛り。 ヌノは麻などで製した粗布。 筑波嶺に雪かも降らるいなをかもかなしき児ろが布乾さ◆筑波山麓に、辺り一面に雪が降 0 たか めのさら と見紛うほどに白布を乾してある、布晒 るかも しの景を詠んだ歌。後世の俗謡類にこの 種のものが多い。 一今日の茨城県の大半に当る。 信濃ー現長野県。 0 須我の荒野ー所 在未詳。『和名抄』 ( 高山寺本 ) に「筑 摩郡崇賀」とある所、現在の松本市西方 ちいさがたさなだ すがだいら の地とする説や小県郡真田町菅平辺に 擬する説がある。「荒野」の原文は「阿良 能」とある本によって、「能」は仮名違い とされていたが、 最近発見された一兀暦校 本の断簡に「安良野」とあるのに従うがよ い。〇時過ぎにけりーこの「時」がいかな る内容をさすかについて諸説がある。田 植えの時期とする案が比較的に穏やかか。 しなぬのくに 右の一首、信濃国の歌 たちのくに 右の二首、常陸国の歌 あるん 或本の歌に曰く、「たらちねの」、また云はく、「あまた着欲 しも いは きぬ い こ にの 3352

5. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

ゅ ごひ 待っとうら恋すなり心ぐしいざ見に行かなことはたな元実の歌によれば、この歌は山吹に添 えて送られたものと思われる。 5 恋ひすべながりー一九一五・大一一一などの ゅひ 「恋ひてすべなみ」に同じ。スペナガ リは、仕方がない意の形容詞スペナシか ら派生した動詞スペナガルの連用中止形。 やまぶき おも『新撰字鏡』にコ、ロモトナガルの例があ 山吹は日に日に咲きぬ愛しと我が思ふ君はしくしく思 、上代語にすでに接尾語ガルがあった ことは疑えない 。ミ法や知ラニ・カテ ほゅ ニさらには欲リなどの理由を表すと考え られている語格が「われ」「ひと」に共通 して用いられているのと同様に、この接 、だと思う場合 尾語ガルも、話し手が、 あしかき 我が背子に恋ひすべながり葦垣の外に嘆かふ我し悲しにも用いられた。なお、原文に「古非須 敝奈賀利ーとあり、その「賀」は、家持は ほとんど全部カの仮名に、そして池主は 常にガに用いている。〇葦垣のー外の枕 詞。〇外に嘆かふーホ力は離れた所の意。 一四日付の七言詩とその序を持って来 4 ・ た池主の使い。 ニ五日付の歌 ( 三九当、三九七五 ) とその前文 るいをさす。 + 昨暮の来使は、幸しくも晩春遊覧の詩を垂れたまひ、今朝の累 三野遊びへの誘いの歌。 四 巻 ぎよくさうみ たま しん かたじけな さうせうばうや やくや四四日付の池主の詩。 信は、辱くも相招望野の歌を肌ふ。一たび玉藻を看るに、稍 = もやもやしてほぐれない心。 五 六優れた歌。五日付の歌をさす。 しうく うた すぞしうしょのぞ うつけつのぞ く鬱結を写き、一一たび秀句を吟ふに、已に愁緒を鷁きつ。このセ憂いの心。 3974 ひ 三月五日、大伴宿禰池主 むが うるは あ ほか あれ

6. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

・も うへ こころがな 波の上に浮き寝せしタあど思 ( か心悲しく夢に見えつる 五 十 第 巻 これやこのー慣用句。これがあの噂 % に聞いた、だったのか、の意。話に 聞いてどんな所だろうと空想していた想 像と、現地で直面した実景との差に驚き を感じている場合に用いられる。〇名に 負ふー名として持つ。また、その名にそ むかない、音に聞えた、の意にも用いる。 ここは後者。文末までかかっている。 しまなると のち 三伝末詳。「田辺」はタノベと読む。京 大島の鳴門を過ぎて再宿を経ぬる後に、追ひて作る歌一一首 大本などにタノへの訓が付せられており、 うづし たまもか あまをとめ『色葉字類抄』姓氏の部にもタノへの訓が これやこの名に負ふ鳴門の渦潮に玉藻刈るとふ海人娘子ある 9 あど思へかーアドは、どのように、 」も の意の疑問副詞。「あどかも言はむ ( 三三七九 ) 、「あどか絶えせむ」 ( 三三九七 ) などと 東歌に用いられることが多い。思へ力は 思へ・ハ力に同じく疑問条件。妻が夢に見 えたわけを推量していう。夢に相手が見 えるのはその相手が自分を思っているし るし、とする俗信による。〇む悲しくー 相手が自分の夢に見えたことについて作 者が抱いた感情を表す。 むろっ 四山口県熊毛郡上関町室津の湾。同郡 ひらお おぐにひかりむろづみ 四 くまげ ふなど 平生町小郡や光市室積港などに擬する説 熊毛の浦に船泊まりする夜に作る歌四首 もある。 一都辺に行かむ船もが刈り薦の乱れて思ふこと告げ遣らむ一〇刈り薦の↓『 ~ 兌左注。 草枕旅行く人を伊波比島幾代経るまで斎ひ来にけむ いはひしまいは たびゅわれ 家人は帰りはや来と伊波比島斎ひ待つらむ旅行く我を くさまくら いへびと たのべのあきには 右の一首、田辺秋庭 お よひ よ いくよふ いめ 0 一三ロ

7. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

269 巻第十六 3837 ~ 3838 はちすば ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる 見む むしんしょぢやく 無心所著の歌一一首 わぎもこ ひたひお すぐろく 我妹子が額に生ふる双六の牡の牛の鞍の上の瘡 はかせせなのぎゃうもんだいぶ 右の歌一首、博士消奈行文大夫作る。 六古く食物を盛るのに乾燥したカシハ やホホガシハなどを用いたことは四一一 9 や 四三 0 一の歌からも知られるが、夏は蓮の葉 を用いることもあった。『延喜式』大炊寮 式宴会雑給条には、五位以上の者などに 「葉椀」を用い、「五月五日青柏、七月廿 五日荷葉、余節干柏」のように時期によ って材料が変動したことが記されている。 うひやうゑ 「荷葉」は蓮の葉。 右の歌一首、伝へて云はく、右兵衛なるものあり姓名未だ詳七「絡繹」に同じ。相次ぎ途絶えない意。 八相互に無関係な語を並べて詠み込み、 しゅし わざ らかならず、歌作の芸に多能なり。ここに府家に酒食を備へ設全体として意味がわからないように作っ た歌。『歌経標式』にも「雑会」という項目 きゃうえん せんし はちすば やくしぞら けて、府の官人等に饗宴す。ここに饌食は盛るに、皆蓮葉をで、「春日山峰漕ぐ舟の薬師寺淡路の島 からすき の犂のヘらーという歌を挙げ、牛・馬・ もろひとたけなは かぶらくえき すなは すす 用ちてす。諸人酒酣にして、歌併駱駅す。乃ち兵衛に誘め大・鼠などの類を一処に集めたようなも ので雅意がない、と注している。『正徹 すなはち て云はく、「その蓮葉に関けて歌を作れ」とい ( れば、登時物語』には「一句 / \ 別 / の事をいひた るなり」として、例歌に「我せこが犢鼻褌 ことひ こた のをのつぶれ石特牛の牛のくらの上の 声に応へてこの歌を作る、といふ。 瘡ーという以下二首の混合したもの、お よび三八四六を挙げている。 双六↓三全七題詞。〇牡の牛ー雄牛。 0 鞍の上の瘡ーこの鞍は牛の荷鞍。 馬の乗鞍に似るが、それより小さい。擦 過傷を予防して下鞍を敷き、その上に載 せる。瘡は腫れもの。 い ことひ た くらうへかさ ふか いまつばひ

8. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

255 巻第十六 3816 ~ 3818 3818 が朝を も霞 み 鹿カ 火ひ 屋や が 下 の く は 偲と ひ つ あ り と げ む 児こ も 口かるうすーカラウス ( 三八会 ) の約カル スを元の四音節の形に延ばした形。 トユケ ( 豊受 ) を『古事記』にトユウケと記 した例があり、オホイシ ( 大石 ) を『古事 おひい 記』にはオヒシ、「神武前紀」には「於費異 之」と記す。 0 田廬ー田の中の番小屋。 〇にふぶにーにこにこと。〇立ちませり 見ゅー見ュ↓三四四九 ( 海人漕ぎ来見ゅ ) 。 んせつ 四本来漢字の発音を示す反切をいうが、 『万葉集』では訓義の意に用いた。 8 朝霞ー朝焼けの空をいうか。鹿火屋 の枕詞であろうが、かかり方末詳。 〇鹿火屋↓ 3 一三六五。〇鳴くかはづーこの カハヅはかじかがえるか、かえる一般の 雅語に用いたものか不明。以上三句、か たぶせもと 弸かるうすは田廬の本に我が背子はにふぶに笑みて立ちまえるの声に聞き人。ている意で、賞美す る意に用いられることもある動詞シノフ を起す序とした。 0 告げむ児もがもー告 せり見ゅ〈田廬はたぶせの反〉 ゲムの主格について、児とする説、作者 とする説の二種があるが、仮に前者とし ておく。↓ 3 一三四四 ( 衣にかき付け着せむ 児もがも ) 。 ◆類歌一三六五。 五伝未詳。『続日本紀』に、宝亀八年 ( 七 七七 ) に無位の川村王に従五位下を授ける、 五 との記事があるが、それとの異同は不明。 かはむらのおほきみ六 すなはま 右の歌一一首、河村王、宴居の時に、琴をきて即ち先づこ一閑居する。「宴」は安らかの意。 ほづみのみこ 穂積親王の御歌一首 をさ ひっかぎさ やっこ 家にある櫃に錬刺し蔵めてし恋の奴がっかみかかりて たけなは 右の歌一首、穂積親王、宴飲の日に、酒酣なる時に、よく つねめ この歌を誦み、以て恒の賞でとしたまふ、といふ。 もちかいせきよしあらは 作り報へ送り、以て改適の縁を顕す、といふ。 こた よ 四 はん わせこ ゑ

9. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

117 巻第十四 3577 挽歌 ゅ やますげ かなし妹をいづち行かめと山菅のそがひに寝しく今し悔 しも 萬葉集巻第十四 ばん いも 以前の歌詞は、末だ国土山川の名を勘へ知ること得ず。 いま かむが 多少漠然と広がりを持たせて、どこら辺、 の意に用いることがある。ここもその一 例。上にタレなどの疑問語があって、下 を已然形で結ぶと反語を表す。引用文中 に用いられた格助詞ヲは主格に当ること が多い。愛する妻が死ぬなどということ があるものかと思って、の意。〇山菅の ーソガヒの枕詞。山菅はゆり科の多年草 くややぶらんか。高さ約五〇の細長い葉の 間から花茎を出し、やがて直径六ミリの実 の房となる。その葉がそれぞれ勝手な方 向に伸びているのでノガヒにかけたので あろう。〇そがひに寝しくーソガヒ↓三三 九一 ( 筑波嶺にそがひに見ゆる ) 。寝シクは 寝キのク語法。「思へりしく」 ( 四 ) 、「拾 ひしく」 ( 一一、「来しく」 ( 一毛七 ) などの 類例がある。夫婦が一つ床で背中を向け 合って寝たことをいう。ささいな事で互 いに口をきかなかったことがあったのを 思い出していうのであろう。 ◆類歌一四一一一。ただし男女の立場が逆。 一右、以上、の意。三四三八、七をさす。 ニ調査してもどの国のどの山川の名か わがらないので一括した、というこの巻 の編者の注。原文に「末レ得レ勘 = 知国土山 川之名ことあり、一般に「未勘国歌」と呼 ばれている。

10. 完訳日本の古典 第6巻 萬葉集(五)

たれよ ただしわれ ひんせいゑ 眺翫に非ずは、孰か能く心を暢べむ。但惟下僕、稟性彫り難く、文字およびそれと同韻の字を整え用いて 四 詩を作ること。 あんしんみが かんと げんむか 闇神瑩くこと靡し。翰を握り毫を腐し、研に対ひて渇くことを一 0 池主の詩文をほめていう。 一一無学無教養な人のたとえ。 もくる あた いはゆる 一ニ昔の人はどんな言葉に対しても返答 こた 忘れ、終日目流して、これを綴るに能はず。所謂文章は天骨に した。『毛詩』大雅抑に「言トシテ讎へズ あに 九 けふトイフコト無シ」とあるのによる。 して、これを習ふに得ず。豈字を探り韻を勒さむに、雅篇に叶 一三三突五前文の「玉頤を解く」に同じ。 むく わ はたひりせうに 一四以下、元暦校本になく、底本など大 和するに堪へめや。抑鄙里の少児に聞くに、古人は言に酬いず部分の古写本は小字一一行に書いてある。 「豈字を探り」以下に対する家持の別案か。 いささ かいせうあてはか ↓三突九前文。 といふことなしといふ。聊かに拙詠を裁り、敬みて解咲に擬ら一 = 一六未詳。手前勝手に詩を作っていい気 たままじ いまし かさく 一五も くのみ。如今言を賦し韻を勒し、この雅作の篇に同ず。豈石を将ちて瓊に間になる意か。 宅紙切れ。 簡 うたどと はた 書 へ、声に唱へ走が曲に遊ぶに殊ならめや。抑小児の濫りなる謡の譬し。敬みて穴「乱」には、おさめる、の意があり、 持 詩歌の末尾の一節をさす。ここは詩の後 家 一七 えふたん もち一八 に付け加えた歌をいうのであろう。 葉端に写し、式て乱に擬りて曰く、 日 一九暮春。「杪ーは末。原文は諸本共に 五 月 「抄とあるが、「杪」の誤りとする『万葉 七言一首 集新考』の説による。 一九 べうしゅんよじっぴけいうるは ニ 0 春の残った日にち。 + 杪春の余日媚景麗しく、 ニ一愛惜すべき日の光。 〕しよし おのづか 一三「上巳」に同じ。 初巳の和風払ひて自らに軽し。 ニ三この「払」は地に触れる意。 品燕や雀が家に人って来るのを吉兆と する中国思想によっていう。 来燕は泥をみ宇を賀きて人り、 てうぐわんあら あ かろ いは の 五 かうくた - つく どう しる つつし かわ