たかしき ふなど 竹敷の浦に船泊まりする時に、各心緒を陳べて作る歌十 八首 やましたひか けふ あしひきの山下光るもみち葉の散りのまがひは今日にも 五 十あるかも 巻 っゅしも 秋されば置く露霜にあへずして都の山は色付きぬらむ どうしんの 八 1 しがそれかといわれる。〇もみたひ 慟心を陳べて作る歌三首 にけりーモミタフは紅葉する意の四段動 ももふね っしま あさちゃま 百船の泊っる対馬の浅茅山しぐれの雨にもみたひにけり詞モミツの継続態。対馬は紅葉より黄葉 が多く、その見頃は十一月上、中旬。対 馬の黄葉を詠んだ歌は七首あるが、今日 の黄葉の時期より幾分早いようである。 ひな あまざか 天離る↓三六 0 八。鄙の枕詞。〇眛そー 天離る鄙にも月は照れれども妹そ遠くは別れ来にける % 妹ヲソに同じく、ヲが係助詞ノの中 に潜在化している。動詞別ルは格助詞ヲ をとる。↓三五九四 ( 悔しく妹を別れ来にけ 置く露霜にあへずしてーアへズは、 耐えきれずに、の意。下二段のアフ は、抵抗する、耐え忍ぶ、の意で、副詞 格のアへテとなったり、押シ十アへ・捕 リ + アへ・堰キ + アへが押へ・捕へ・堰 力へなどとして複合動詞を作ったりする ほかは、一般に打消を伴い、あるいは反 語表現となる。中古以降単独ではタフと いう形で現れることが多い。 たけしきうちあそう ニ長崎県下県郡美津島町竹敷。内浅海 に面し、古くから風待ちに利用された港。 g 山下光るー山下は山の日陰部分。山 引の南斜面のみでなく、直接日が当ら ない北側までも輝くばかりである。連体 修飾格。〇散りのまがひー散り乱れるこ と。またその時期。ここは後者。 右の一首、大使 おのもおのもおもひ いも いろづ
あしがも きのう ぐるぐるまわり葦鴨の群れている旧江に一昨日も昨日も居ました早け 8 ればもう二日ほど遅くとも七日以上にはなりますまい帰って来ますよ 集あなたそんなに心からお慕いなさるな」と夢に知らせてくれた たか みしまの 2 やかたお ひとっき 葉矢形尾の鷹を手に据えて三島野に狩をしない日が積り一月が過ぎた 3 ふたがみやま 萬 Ⅷ二上山のあちらこちらに網を張ってわたしが待っ鷹を夢に告げてくれた ( 松反り ) どこか変になって山田のじじいがあの日捜し出せなかったので はないか ふるえ おととい 〇飛びたもとほりータモトホル↓三九四四。 ここは同じ所をぐるぐるまわる意。〇葦 鴨↓三究三。〇旧江↓三究一題詞。ここは村 名でなく、布勢の水海湖岸の一部をさす のであろう。〇近くあらばーこの近ク・ 遠クは時間的に早いこと遅いことをいう。 巻十三に「久ならば今七日だみ早か らば今二日だみー ( 三三一 0 とあった。〇 今二日だみーこのイマは、さらに、の意。 ダミは、、ばかり、、辺り、の意の接尾 語。まわる、巡る、の意の上二段動詞タ ムの名詞形から転じたものか。〇七日の
( 栲衾 ) 白山風の寒さで眠れないがあの娘のおそきがあるのだけはうれし い こうぞ 栲衾ー白の枕詞。タクは楮の皮から 集空を行く雲になれたらなあ今日行ってあの娘と語り合い明日帰って来よ とった繊維。フスマは掛蒲団。〇白 葉 うに 山風のー白山は所在末詳。石川県石川郡 萬 と岐阜県大野郡との堺の白山に擬し、そ 引くどかれて青い峰にたなびく雲のようにどうしようと思い悩んでいるこ の地の民謡が伝播したとする説がある。 の数年というものは 以上一一句は白山から吹き下ろす風で眠れ あおね 一つ山だと言われていながらもわたしが寝ようというと青嶺ろにためらつない、として寝ナ ( にかけたか。↓三三全 うわさ ( 露霜の ) 。〇寝なへどもーこのナへは打 ている雲のような噂だけの妻よ 消の助動詞ナフの已然形。〇おそきー未 ぬのぐも 詳。肩に掛ける広幅の布オスヒの類かと 夕方になると山を離れずたなびいている布雲のようになんで切れましよう する説がある。〇あろこそ良しもーアロ と言ったあの娘よ はアリの連体形アルの訛り。ェシは良シ の古形。形容詞は係助詞コソを受けて一 般に連体形で結ぶが、ここは終止形で結 んである。 み空行くー雲や月などにかかる枕詞 的修飾語。〇雲にもがもなーこのニ モガモは、、でありたい、の意。ニは断 定の助動詞ナリの連用形だが、変化の結 果を表す格助詞ニと考えられることもあ ったと思われる。ナは詠嘆の終助詞。〇 妹に言問ひーこの言問フは男女が交わる ことをいう。 類想歌一一六七六。 3512 3513 しらやまか 3510
沖っ白波恐みとーミト↓三六毛 ( 験を 跖なみと ) 。太陽暦の八月下旬になる と、玄海灘の波もしだいにうねりが高く なり荒れることが多いので、出発を危ぶ んでいう。〇能許の泊まり↓三六と ( 能許 の浦波 ) 。 ふなこし 一福岡県糸島郡志摩町岐志から船越に かけての筒人部をいうか。糸島半島の西 けやのおおと 側、芥屋大門の東南に当る。 可也の山辺ー可也ノ山は糸島郡志摩 町にある可也山。標高三六五。岐 志の東三はじにあり、小富士とも呼ばれ る。〇さ雄鹿鳴くもー雄鹿も妻を呼んで いると考え、共感している。 高く立つ日に遭へりきーこのアフは 思いがけない幸運や災害を体験する 意。ここは三六四四題詞に記されていた暴風 あ 雨の難を体験したことをいう。〇都の人 沖っ波高く立つ日に遭へりきと都の人は聞きてけむかも ーここは妻を主としていうか。〇聞きて っ 4 けむかもーテは完了の助動詞ツの連用形。 右の一一首、大判官 天飛ぶやーヤは連体格の下に置かれ 五 % る間投助詞。〇雁を使ひに得てしか 十 もーテシカ ( モ ) は願望の終助詞。雁を使 第 そぶきようど 〕あまと ことつや いにみなすのは前漢の武将蘇武が匈奴に 天飛ぶや雁を使ひに得てしかも奈良の都に言告げ遣らむ使いしてわれた時、雁の脚に書状を付 けて故国に音信を通じたという、いわゆ がんしん る雁信の故事による。 きっとまりふなど 引津の亭に船泊まりして作る歌七首 こ くさまくら を かややまへ 草枕旅を苦しみ恋ひ居れば可也の山辺にさ雄鹿鳴くも とも いとま ひさかたの月は照りたり暇なく海人のいざりは灯し合へ り見ゅ 風吹けば沖っ白波恐みと能許の泊まりにあまた夜そ寝る カり・ かしこ をしか よぬ
萬葉集 12 3350 3351 にいぐわまゆ つくばね 筑波嶺の新桑繭の衣はともかくとしてあなたのお召し物がむしように着 たい 0 / トルこ 筑波嶺ー筑波山。標高八七六メ 1 。 こはその山麓一帯を主としていう。 ある本の歌には「母上の」とあり、また「たんまり着たい」ともある。 はるご ぬのさら 〇新桑繭の衣はあれどー春蚕の絹衣はそ 筑波嶺に雪でも降ったのかな違うかないとしいあの娘が布を晒している れなりに結構であるが。柔らかい新葉の さん 桑で育った春蚕の絹糸は初秋蚕や晩秋蚕 のかな のそれに比べて品質が優れている。マヨ ひたちのくに 右の一一首は、常陸国の歌 はマュの古形。・ : ハアレドは、それなり 信濃の須我の荒れ野でほととぎすの鳴く声を聞くとその時節は過ぎたらに良いが、それはともかくとして、のよ うな気持を表す語法。〇御衣しーケシは しい 着ルの敬語形ケスの名詞形。下のシは強 しなののくに め。〇あやに着欲しもーアヤニは副詞、 右の一首は、信濃国の歌 ロでは言い表せないほどに、の意。着欲 シは着たく思われる意。〇「たらちねの」 ー第一句の異伝。ここは「たらちねの母 のーの意でかけた。〇「あまた着欲しも」 ーこのアマタは程度副詞で形容詞を修飾 し、程度の甚だしいことを表す。 雪かも降らるー降ラルは中央語の降 レルに当る東国語形。東国語では がに転ずることがあり、良ケ・ハが良カ 、遠ケドモが遠カドモなどとなって現 れた例がある。狙ヘリ・置ケリなどの、 動詞の連用形 + アリの約まった継続や結 果の残存を表す語法も狙ハリ・置カリな どとなることが時にあり、着リや助動詞
秋になったら逢えるだろうになんでそう霧に立つほども嘆くのですか あらうみ 大船を荒海に出して出かけられるあなたつつがなくすぐにも帰っていら 集っしゃい ものい 葉弸お元気でと言ってそなたが物忌みをしてくれたら沖の波が千重に立とうと 萬 も事故などあろうか 5 別れたら悲しくなりますよわたしの衣でも肌に着けていらしてください じかに逢うまでは そなたが肌につけるようにと贈ってくれた衣の紐をわたしは解くものか 3585 ころも はだ ひも 秋さらば相見むものをーこの後にも、 秋のうちに帰京できると考えていた ことがわかる歌が、三天六・三六一一九・三交一・ 一一一六犬・三七 0 一・三七一九などある。〇なにしか もーこのナニは理由に関する疑問副詞。 シは強め、カモは疑問助詞。〇嘆きしま さむー嘆キシは嘆キ + サ変スの連用形。 敬語マスは一般にかなり重い敬意をこめ て用いられ、このように男から女に対し てマスが使われることは少ない。 ◆前の歌の第三句「霧立たば」を受けて和 した使人の歌。 荒海ーアルミはアラウミの約。〇っ つむことなくーツツムは事故や傷病 などの障害にあうこと。『名義抄』に「障、 サハリ、ツ、ム」とある。「つつみなく幸 くいまして」 ( 八九四 ) のツツミはこの名詞形。 3 ま幸くてーこの下に「はや帰り来」の ような内容が省略されているが、さ らにそれを統括する引用の助詞トも省か れている。「はじめより長く△言ひつつ」 3582
381 巻第十七 3983 ~ 3984 3984 3983 おとものすくね よのうち たちまれんじゃう 右、三月二十日夜裏に、忽ちに恋情を起して作る。大伴宿禰であろう。岩交注記および七一題詞によ れば、天平二十年四月二日 ( 太陽暦五月 やかもち 三日 ) 、天平勝宝一一年三月二十四日 ( 太陽 家持 暦五月四日 ) がそれぞれ立夏に当ること が知られる ( 現行暦では普通五、六日 ) 。 仮に太陽暦五月四日をこの天平十九年に ないまととぎすな 求めると、三月二十一日が立夏であった 立夏四月、既に累日を経ぬるに、由し末だ霍公鳥の喧くを聞 と考えられる。 3 山も近きをーヲは逆接。この山は二 かず。因りて作る恨みの歌一一首 上山をいうか。〇月立つまでにー月 立ツは新月が空に姿を現し、それと同時 あしひきの山も近きをほととぎす月立つまでになにか来に暦の月も改ることをいう。この天平十 九年の三月は大の月であるため三十日ま であり、四月になるのはこの歌が作られ 鳴かぬ た三月二十九日から二日後のはず。ただ し月齢と暦日とは必ずしも一致しないこ とがあり、この三月二十九日は西の空に とも はなたちばな 玉に貫く花橘を乏しみしこの我が里に来鳴かずあるらし新月があ。たのであろう。 玉に貫く↓ 3 一五 0 一一 ( 玉にこそ貫け ) 。 ひっちゃう ととぎす 〇花橘を乏しみしートモシミは形容 霍公鳥は、立夏の日に来鳴くこと、必定なり。また越中の風 詞トモシのミ語法形。シは強めの助詞。 まれ 歌末のラシと応じる。 土は、橙橘のあること希らなり。これに因りて、大伴宿禰家 三風俗・土地。ここは土地を主として いささ いう。柑橘類は元来暖地に生育する植物 持懐に感発して、聊かにこの歌を裁る。三月二十九日 で、北陸では当時一般に教培されていな かったのであろう。 四 ↓三九二題詞。 よ と こころ 四 たうきっ るいじっ つく よ
巻十六 この巻十六は収める歌一〇四首、巻一に次いで第二に分量の少ない巻である。底本など仙覚本系諸本の冒 集頭に「有由縁雑歌」という標目があり、それは「由縁ある雑歌ーすなわち作歌事情の明らかな歌と解される が、尼崎本などの非仙覚本系諸本には「有由縁并雑歌」とあり、それは「由縁ある ( 歌 ) と雑歌」と解すべ く、その方がこの巻全体の内容を表すのに適している。現に「由縁」を語るべき題詞・左注を欠く歌が八首 もあり、題詞や左注があってもそれらが「由縁」を述べていると言えない歌も四〇首ばかりある。 ただし、明瞭に一線を引いて前後を分け、どこまでが「有由縁」、どこからが「雑歌ーとすることはでき づみのみこ ない。尼崎本を見ると、三八一六の穂積親王の歌の前に朱で「以下雑歌歟」と書き人れてあるのが注目されるが、 この種の書人は書写者が内容についてかなり深く理解していたことを示すものではあっても、そのまま従う ことはできない。いかにも、その後しばらく題詞・左注があっても歌の由縁を語っていると言えないものが 三話ばかり続くが、以下において再び「有由縁歌」とおぼしい歌が散見するからである。このように「有由 縁歌」と「雑歌」との境目が明らかでないことは、この巻が量的に小さいわりに成立過程が単純でないこと を示すであろう。 全体としては次のような構成が認められる。 第一部物語歌 題詞のみ ( 「昔」で始り、左注があっても、由縁を述べない ) ⑧左注のみ ( 「右、伝へて云はく」で始る ) 0 題詞・左注共存 ( 由縁は左注にある ) 、三合五 三七八六 三八 0 六、三八一 0 せんがく
そかのあかえ 一天武天皇の第五皇子。母は蘇我赤兄 作って送り、再婚した由を明らかにした、ということである。 おおぬのおとめ の娘、大娘。慶雲二年 ( 七 0 五 ) 一一品で知 穂積親王のお歌一首 太政官事となり、和銅八年 ( 七一五 ) 正月一 こう たしまの ひっかぎ 集家にある牘に鍵を掛け閉じ込めておいた恋の奴めがっかみかかりおって品に進み、同年七月薨。異母妹但馬皇女 との秘められた恋、晩年に坂上郎女を娶 葉 右の歌一首は、穂積親王が酒宴の日、宴もたけなわになった時に、よくこの っていたことなどが『万葉集』によって知 萬 られる。 歌を口ずさみ、いつも座興とされた、ということである。 6 牘ー蓋付きの大型木箱。衣類・調度 「ーカらうす 唐臼は田廬のもとにどっかりとあの人はにつこり笑ってお立ちになって ・書籍・食料品などを収納するのに 用いる。〇錬ー「鎖」の俗字。音サ。掛け いる〈田廬はたぶせと読む〉 かひや 金。この歌のそれの形状は不明だが、正 ( 朝霞 ) 鹿火屋の陰の蛙の声のように慕わしく思っていますと言ってくれ倉院御物の厨子の類で正面中央に鍵を用 いて開ける、いわゆる錠前を掛けたもの る娘はいないかなあ がある。〇恋の奴がー奴↓三全八題詞。恋 かわむらのおおきみ 右の歌一一首は、河村王が家でくつろいでいる時に、琴を手にするとすぐ真を憎み擬人化していう。「恋といふ奴」 ( 一一 五七四 ) という例もある。憎むべき者、下賤 っ先にこのⅱ な者を主語とした文の主格助詞にはガを 用いるのが通例であるため、「・ : ャッコ ガと読む。〇つかみかかりてーッカム は激しく痛めつけるように握ることを表 す。作者の孫広河女王も「いづくの恋そ つかみかかれる」と詠んでいる。 ◆尼崎本にはこの歌の題詞の右肩に朱で 「己下雑歌歟」とある。この歌で巻十六を 二分する案があったのであろう。 ニ酒宴の真っ最中。 三玩弄の料。 づみのみこ たぶせ かわず やっ
とこは + しらとほふ小新田山の守る山のうらがれせなな常葉にも 第 巻 力、も たきぎこ かまくらやま な 薪伐る鎌倉山の木垂る木をまっと汝が言はば恋ひつつるのに盛んに使用された。〇着き宜しも よーヨラシはヨロシに同じく、好ましい、 の意。相手が自分によくなじんでいるこ ゃあらむ とを表す。〇ひたヘーヒトへの転。相手 が自分にひたむきに心を寄せているさま。 衣の縁語。 % しらとほふー小新田山の枕詞。語義 にいイり ・かかり方末詳。『常陸風土記』新治 ことわざ 郡の条に「自遠新治国」という諺があると いう記事により、その「自遠」は「白遠」の 誤りで、シラトホフはニヒにかかる枕詞 かとする説がある。〇小新田山のー小新 田山は新田山 ( ↓三四 00 に同じか。一説に、 その南にある標高一六九 ( 比高約一一一 五 ) の小山かとする。このノは同格で、 はりはらわきぬ つよら おも 伊香保ろの沿ひの籐原我が衣に着き宜しもよひたへと思小新田山、それは人の守る山なのだが、 と続く。〇守る山のー守ルは、番をする、 守護する、の意。親などが秘蔵娘を監視 へば する趣か。このノは、、のように、の意。 その山容がみずみずしいので比喩とした か。〇うらがれせななーウラガレは梢や 葉先など植物の先端が枯れること。ウラ はウレ ( 三四 ) の交替形。ナナ↓三四 0 八 ( 嶺 には付かなな ) 。〇常葉にもがもートコ ハはトキハに同じく、いつもみずみずし いこと。ニは断定の助動詞ナリの連用形。 モガモは願望にも希求にも用いる終助詞。 かみつけのあそやま は 上野安蘇山つづら野を広み延ひにしものをあぜか絶え せむ いかほ かみつけののくに 右の三首、上野国の歌 右の三首、相模国の歌 に た や ま そ さがむのくに こだ