おおとものたむらけけのだいじよう 大伴田村家の毛大嬢が妺の坂上大嬢に与えた歌一首 あさち つばなを抜き取る浅茅が原のつぼすみれのように今真っ盛りですわたし 集が恋しく思うのは おおとものすくねさかのうえのいらつめ 葉 大伴宿彌坂上郎女の歌一首 萬鬱陶しいものではあったよ春霞のたなびく時に恋の激しいことは かさのいらつめ 笠女郎が大伴家持に贈った歌一首 かもはいろ ( 水鳥の ) 鴨の羽色のさ緑の春山のようにおぼっかなくも思われることで す きのいらつめ 紀女郎の歌一首名を小鹿という 2 やみ 闇ならばいらっしやらないのも道理でしようが梅の花の咲いているこの良 い月夜においでにならないおつもりですか 1451 うっとう おしか ま さカ 一大伴宿奈麻呂の娘。坂上大嬢・二嬢 の異母姉。『万葉集』に収められた歌はす べて坂上大嬢に贈ったもの。↓盟七五九左 えんし 注。「毛」は名か。衍字とする説もある。 茅花抜くーツ・ハナはちがやの若い花 ~ 穂。幼児は 0 れを抜き取 0 て食する。 ツはチ ( 茅 ) の交替形。〇つほすみれ↓一四 四四。以上三句「今盛りなり」を起す序。 ニ女子に姓を記すことは、「県大養宿 こなかち 禰三千代ー「広岡朝臣古那可智ーなど身分 の高い少数の者に限って見られる。 0 心ぐきーむグシは心が晴れ晴れしな 4 い意。作者の娘坂上大嬢が家持に贈 った歌「春日山霞たなびき心ぐく照れる 月夜にひとりかも寝む」 ( 当五 ) のそれと同 うっとう 様、この歌でも景色の鬱陶しい感じに誘 発された気分を表している。
春の相聞 おとものすくねやかもちさかのう、のいへだいちゃう 大伴宿禰家持、坂上家の大嬢に贈る歌一首 八我がやどに蒔きしなでしこいっしかも花に咲きなむなそ 巻 へつつ見む つまごひ 春の野にあさる雉の妻恋に己があたりを人に知れつつ 大伴坂上郎女の歌一首 よぶこどり 世の常に聞けば苦しき呼子鳥声なっかしき時にはなりぬ てんびやう 右の一首、天平四年三月一日、佐保の宅にして作る。 さうもん きぎし おの 自身をさす。〇人に知れつつー知レは知 らせの意。四段自動詞に対する下二段は 他動ないし使役を表す。 呼子鳥↓一四一九。ただし、ここは鳴声 が烏に似て不快な、ごいさぎをいう かとする説がある。〇声なっかしきーナ ッカシは心引かれる思いがする意。 一以上の「春の雑歌」のうち、この天平 四年より時代の下る歌もあるようで、む しろこの一首だけ後に追加したのであろ う。この三月一日は太陽暦の同月三十一 日に当る。 ニ大伴宿奈麻呂とその異母妹坂上郎女 との間に生れた。いとこの家持と贈答し た歌が、巻四およびこの巻に収められて いる。のち家持に嫁した。 なでしこーかわらなでしこ。秋の七 じきまき 1 種の一つ。春直蒔し、夏から秋にか けて咲く。家持の歌にはなでしこを詠ん だ歌が多い。 0 いっしかもーイッカ・イ ッシカは、早く、したい、早く、してほ しい、と願望希求する気持を表す。〇な そへつつーナソフは、なそらえる、見立 てる、の意。 ◆『伊勢物語』異九 ( 百三十四段 ) に「むか し男、え得まじかりける人を恋ひわび て」として、これの小異歌を載せている。 1447
うどねりおおとものすくねやかもち 右の一首、内舎人大伴宿禰家持 一この時一一十一歳。家持は原則として 以上は、冬十月十七日に、右大臣橘卿の旧宅に集って宴飲した時に詠んだも 宴歌の最後に自作を置く。この場合も彼 ふみもち の歌が弟の書持や大伴一族でも支流であ のである。 集 いけぬし おおとものさかのうえのいらつめたけだしよう ったと思われる池主よりも後にある。一 葉 大伴坂上郎女が竹田の庄で作った歌一一首 説に、この時筆録に当っていたためかと わず いおしろおだ 萬僅かばかりの五百代小田を刈り乱し仮小屋暮しをしていると都が思われいう。 ニ「右ーに同じ。当時の公文書の慣例で る は、「右」は一件のみに関して用い、「以 はっせ 前」は二件以上を一括してさす場合に用 ( こもりくの ) 泊瀬の山は色づき始めたしぐれの雨が降ったからであろう いた。ここは一天一以下の十一首をさして てんびよう 右は、天平十一年九月に作ったものである。 いう。 三十月は冬でありながら「秋の雑歌ーに 仏前の唱歌一首 収めたのは、黄葉がすでに秋の歌材と考 えられていたため。 四所在末詳。三会・一天八から推して奈 良山の近くにあったと考えられる。 五奈良県橿原市東竹田町の地か。同じ 作者がこの地から娘の大嬢に贈った歌一一 首 ( 七六 0 ・実 l) が巻四に収められており、 またこの後「秋の相聞の部に、これより 時間的には遡る八月にここを訪れた家持 と坂上郎女とが贈答した歌 ( 一六一九・一六 IIO) が見える。 然とあらぬーたいして広くない、の 意。〇五百代小田ー代は大化以前に 行われた田積の単位。五十代が一段 ( 三 1593 1592
っ 4 おとものたむらのだいちゃう さかのうへのだいぢゃう 0 大伴田村大嬢、妹坂上大嬢に与ふる歌一首 いもあ 八沫雪の消ぬべきものを今までに流らへぬるは妹に逢はむ 巻 とそ 0 きのをしかのいらつめ 紀小鹿女郎の歌一首 きょ あおも ひさかたの月夜を清み梅の花心開けて我が思へる君 とものすくねするがまろ 大伴宿彌駿河麻呂の歌一首 おと わぎも 梅の花散らすあらしの音のみに聞きし我妹を見らくし良 しも あわゆき ・・とわせ 問へ我が背 つくよ ひら すか不明。あるいは坂上二嬢かその母の 郎女とも考えられる。六哭には郎女に対 して「我妹ーといっている。〇見らくし良 しもー見ラクは見ルのク語法。シは強め。 ニ↓一六哭題詞。 ひさかたのーここは「ひさかたの天 の」の意で月夜にかけた。〇月夜を 清み梅の花ー清ミは清シのミ語法で、清 がって、とでも訳すべきところ ( ↓九一九 「潟をなみ」 ) 。以上二句、梅が花が開く ように、という気持で「心開けて」を起す 比喩の序であるが、その境目は明らかで ない。〇心開けてー心開クは、巻五、会 よろし 四の歌の前の吉田宜の書簡にもあった「心 神開朗」に当る。梅の花が開くように心 も開けて、と続く。花が咲くことをヒ一フ クというのは漢籍の「花開ーを直訳した翻 訳語であろう。 ◆「春の相聞」に収めた一妛一も梅に託した 歌で相手が不明だが、共に家持に贈った ものか。 ↓一四四九題詞。坂上大嬢の異母姉。 沫雪のー消の枕詞。〇消ぬべきもの を↓一五六四 ( 消ぬべく ) 。モノヲは逆接。 〇流らへぬるは↓一四一一 0 ( 流らへ ) 。ここは 人の生き続ける意に用いた。沫雪ー消・ 流ラフと縁語関係をなしている。 1662 1661
さかりうえのだいじよう おおとものたむらのだいしよう 大伴田村大嬢が妹の坂上大嬢に与えた歌一首 ならしおか 幻繝旧京の奈良思の岡のほととぎすを伝言役に行かせたのはどう告げました たらばな 葉 大伴家持が橘の花を折り取って、坂上大嬢に贈った歌一首と短歌 おしげ 萬いかといかとあるわが家の庭にたくさん枝を広げて生い茂っている橘は 玉に通す五月が近いのでこぼれんばかりに花が咲いています朝も昼も ↓一四四九題詞。 出て見るたびに命がけでわたしが愛しているあなたに ( まそ鏡 ) 清い月の = ↓一四哭題詞。 % 故郷ー『万葉集』のフルサトは古京の 光でほんの一目でも見せる時まで散ってくれるなと言ってこれほどに 1 意。平城遷都後に明日香・藤原の地 あかっき 気をつけているのにしやくにさわるくそほととぎすめが暁のもの悲しいをさしてフルサトといい、また久邇京に 都があった間、平城をフルサトと言った。 時に追っても追ってもやはり来鳴いて甲斐もなくこれ以上花を地面に散 ここはそのいずれか不明。〇奈良思の岡 ー所在末詳。「毛無の岡」 ( 一四六六 ) と同地と らしたらしかたがないので引き寄せて折りました見てくださいあなた する説もあるが、疑わしい。あるいは奈 良山の地名語源説として、「崇神紀ー十年 の条に官軍が大勢集って草木を踏みなら したのでナラ山という、とあるのと関係 があるか。〇いかに告げきゃーイカニカ ッゲシとあるべきところ。 三「攀」は、取る、つかむ、引き寄せる、 の意。 7 いかといかとー末詳。如何の意に解 して、どうかどうかと、とする説や、 厳シと関連させて、庭が広大である、と かい イカ
4 大伴坂上郎女の歌一首 のち 八酒坏に梅の花浮かべ思ふどち飲みての後は散りぬとも 巻 1655 おほとものさかのうへのいらつめ 大伴坂上郎女の雪の歌一首 しらゆき け まっかげ あさぢうへ 松陰の浅茅が上の白雪を消たずて置かむことはかもなき みくにのまひとひとたり 三国真人人足の歌一首 け すが しの たかやま 高山の菅の葉凌ぎ降る雪の消ぬとか言はも恋の繁けく さかづき 冬の相聞 、う・もん い しげ かもなきー未詳。原文に「言者可聞奈吉」 とあり、その「言」は「事」の意で、仕方は ないものか、と解するのが通説であるが、 コトに、方法・手段、の意は認めがたい ため、『万葉集略解』に引く本居宣長説な どは、「言」は「吉」の誤りでヨシ ( 由 ) の意 であろう、とした。それにしても、係助 詞ハが疑問のカ ( モ ) の上にある可能性が 少ないため、「言者」はコト・ハで、呪言と いうような意味に用いたかとする説もあ る。 一慶雲一一年 ( 占五 ) 従五位下。霊亀元年 ( 七一五 ) 従五位上、さらに養老四年 ( 七一一 0 ) 正 五位下に進んだ。 菅の葉凌ぎー凌グ↓一三 0 八 ( 率凌がむ ) 。 ここは対象物を押えつける意。〇降 る雪のー以上三句、消を起す序。〇消ぬ とか言はもーイハモはイハムの音転。 「音のみし泣かも」 ( 六一四 ) のような例もあ り、また『古今集』にこの歌が引かれ、 「消ぬとかいはむ恋のしげきに」 ( 五五 l) と して見える。↓一一◆。この消は命が消 えることをいう。〇繁けくー形容詞シゲ シのク語法。 酒坏に梅の花浮かべー盃に梅の花を 浮べて興ずることは、八四 0 ・会一一にも 例がある。〇思ふどち↓一究一。 1656 1655
179 巻第八 1449 ~ 1452 1451 や み 1452 とものたむらのいへけのだいぢゃう 三伝末詳。その作品はいずれも家持に 大伴田村家の毛大嬢、妹坂上大嬢に与ふる歌一首 贈ったものばかりで、特に巻四、天七、六 つばな あさぢ さカ 茅花抜く浅茅が原のつほすみれ今盛りなり我が恋ふら一 0 の二 + 四首は、激しい情念を斬新な手 法で歌い上げたものとして注目される。 水鳥のー鴨の枕詞。〇鴨の羽色の春 くは 山のーまがもの雄は、あおくびとも くび 呼ばれ、頭と頚が光沢ある濃緑色をして おり、翼も緑色に光るものがあるので、 おとものすくねさかのうへのいらつめ 緑色の春山の比喩とした。以上三句、オ 大伴宿禰坂上郎女の歌一首 ホッカナシを起す序。 0 おほっかなくも ーオホッカナシは、霞などに遮られて物 はるかすみ しげ むぐきものにそありける春霞たなびく時に恋の繁きはの形がは。きりしない意。ここは相手家 持の気持があいまいで、もどかしいこと をいう。 をしかの かひと 四「紀小鹿女郎」ともいう。紀鹿人の娘。 あきの いなばのやかみのうねめ 安貴王の妻となったが、因幡八上采女と のことで王が失脚した後、家持と親しく し贈答した歌が、この巻八および巻四に 見える。 2 うべも来まさじーウべは、当然、な 4- るほど、の意。相手の態度を妥当と して認める副詞。〇出でまさじとやーこ のイデマスは、来る、の意の敬語動詞。 トヤ・トカは相手の意中を推測する場合 に用いる。 ◆一奕一と同時の作とも考えられる。共に 家持に贈った歌か。 かさのいらつめ 笠女郎、大伴家持に贈る歌一首 かもはいろ 水鳥の鴨の羽色の春山のおほっかなくも思ほゆるかも 四 きのいらつめ をしか 紀女郎の歌一首名を小鹿といふ 闇ならばうべも来まさじ梅の花咲ける月夜に出でまさじ とや みづとり き つくよ い 1451
275 巻第八 1616 ~ 1618 1618 力さのいらつめおとものすくねやかもち 笠女郎、大伴宿禰家持に贈る歌一首 朝ごとに我が見るやどのなでしこが花にも君はありこせ ぬかも やまぐちのおきみ 山口女王、大伴宿家持に贈る歌一首 あきはぎ 秋萩に置きたる露の風吹きて落つる涙は留めかねつも 四 ゅはらのおきみをとめ 湯原王、娘子に贈る歌一首 たまぬ 玉に貫き消たず賜らむ秋萩の末わくらばに置ける白露 五 をばさかのうへのいらつめたけた 大伴家持、姑坂上郎女の竹田の庄に至りて作る歌一首 おうらとたふみのくに 〈大の浦は遠江国の海浜の名なり〉 わ しゃう うれ なみたとど あささ が朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけ む」 ( 四 00 と歌い、後年大伴池主が家持に 「うら恋し我が背の君はなでしこが花に あささ もがもな朝な朝な見む」 ( 四 0 一 0) と詠んで いる。ここも毎朝見てめでようという気 持で言ったもの。 ニ伝未詳。巻四の六一三、六一七も家持に贈 った歌である。 風吹きてー以上三句、落ツを起す序。 〇留めかねつもーせき止めようと思 っても止められないことだ。恋しさに溢 れる涙のとめどがないことをいう。 ↓一五四四題詞。 四未詳。巻四、六三一以下に湯原王と贈 答を繰り返している娘子と同一人か。 8 賜らむータ・ハル↓一四六一一 ( 賜りたる ) 。 〇末わくらばにー原文は諸本とも 「宇社和爻良葉尓」とあるが、しばらく 「宇礼和久良葉尓ーの誤りとし、ワクラ・ハ ニは、取り分けて、の意と解する説によ たわ る。一説に、撓む意の四段動詞ヲヲルと 通音のワワルという語があったと想定し、 原文のままで、枝先もたわむほどに、と する。 五父の姉味をさす。坂上郎女は旅人の 異母妹に当る。 ↓一究一題詞。 六 1617
( 玉桙の ) 遠い道のりをお懐かしいあなたにお目にかかりに出かけて来た のです おおとものさかのうえのいらつめ 大伴坂上郎女が答えた歌一首 葉 ( あらたまの ) 月が改まるまでもいらっしやらないので夢にいつも見て恋 萬しく思っていました 右の二首は、天平十一年八月に作ったものである。 鵐ぎ韵おの歌一首 はぎ 家の庭の萩に花が咲いています見にいらっしゃいもう二日ほどしたら散 ってしまいましよう おおとものたむらのだいしよう さかのうえのだいじよう 大伴田村大嬢が妹の坂上大嬢に与えた歌一一首 1619 1621 てんびよう ふつか 9 道は遠けどー遠ケは形容詞遠シの已 」 6 1 然形。平城京の東北佐保の地から東 竹田町まで約一九」。〇はしきやし↓一 三。ここも、愛すべき、の原義で用い た。〇妹ーイモの語は一般に恋人や妻に 対して用いるが、ここは恋歌めかして叔 母の坂上郎女に言ったもの。坂上大嬢を さしたとする説もある。 0 あらたまのー年または月の枕詞。ア 炻ラタマは、掘り出したままで研磨し ていない宝石や貴石の原石をいうのであ ろう。かかり方は未詳だが、動詞アラタ マルの語幹と同じであり、年月の循環更 新することに結び付けて解したか、とも
8 おほとものすくねするがまろ 大伴宿駿河麻呂の歌一首 4 わおも 八霞立っ春日の里の梅の花花に問はむと我が思はなくに 巻 かすみた かすが 霞立っ春日の里の梅の花山のあらしに散りこすなゅめ つみのおきみ ↓一六四一 ( 沫雪に降らえて ) 。〇咲きぬらむ 厚見王の歌一首 かもー完了の助動詞ヌは現象作用の生起 かむなびかは やまぶき かはづ鳴く神奈備川に影見えて今か咲くらむ山吹の花を表すことがある。 7 霞立っー実景を叙して春日にかけた 枕詞。カスミーカスガの類音反復の 興もあろう。〇散りこすなゅめーコスナ おとものすくねむらかみ ↓一 0 九七 ( 我が背子をこち ) 。ュメは禁止と 大伴宿禰村上の梅の歌一一首 呼応して用いられる副詞。 けさ ふふ うめえ あわゆき 三天平十五年 ( 七四三 ) 従五位下。越前守、 含めりと言ひし梅が枝今朝降りし沫雪にあひて咲きぬら出雲守などを歴任。宝亀七年卒。従 = 一位 を追贈された。坂上一一嬢に求婚した歌 ( 四 むかも 0 七 ) があり、それに関して二嬢の母坂上 郎女と唱和した歌 ( 四 0 一 l) もある。↓六四九 左注。 春日の里の梅の花ー坂上二嬢を寓意 したか。春日里は坂上郎女の別宅が ある所。この歌は雑歌の中に収められて いるが、内容的には譬喩歌の類と考えら れ、巻三「譬喩歌」の中の駿河麻呂の梅の 花「梅の花咲きて散りぬと人は言へどー ( 四 00 ) と同時の作とも考えられる。以上、 第四句のハナを起す序でもある。〇花に 問はむとー花↓一三六 0 ( 花にか ) 。〇我が思 はなくにー詠嘆終止のナクニ止め。 四『中臣氏系図』に、広見の子で正五位 じようむらじ 上尾張掾武良士という者があり、これ 、か A 」い - っ 0 四 なかとみのあそみむらじ 中臣朝臣武良自の歌一首