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検索対象: 完訳日本の古典 第4巻 萬葉集(三)
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1. 完訳日本の古典 第4巻 萬葉集(三)

うなひをとめ やとせこ かたお をばな 葦屋の菟原処女の八歳子の片生ひの時ゅ小放りに髪た利な大刀。〇手かみ押しねりータカミは 剣の柄。オシネルは、それを押え、鐺を を こも うつゆふ はね上げて濶歩する意か。「遅歩、ネル」 くまでに並び居る家にも見えず虚木綿の隠りて居れば ( 文明本節用集 ) 。〇白真弓ー白木の弓。 カき ちぬをとこ 〇靫↓一 0 会。〇我妹子↓一七四 0 。〇倭文た 見てしかといぶせむ時の垣ほなす人の問ふ時千沼壮士 まきーイヤシの枕詞。↓六七一一。 0 しし うなひをとこ ふせやや くしろー黄泉の枕詞。シシ ( 獣肉 ) の串刺 菟原壮士の廬屋焼きすすし競ひ相よばひしける時には しの意。ロは接尾語。黄泉と同音の旨肉 やたち しらまゆみゆき の意でかけた。〇隠り沼のーシタハへの 焼き大刀の手かみ押しねり白真弓靫取り負ひて水に人り枕詞。隠リ沼は流れロのない沼。下の方 わぎもこ を通わせる意でかけた。〇下延へ置きて 火にも人らむと立ち向かひ競ひし時に我妹子が母に語ら ーシタハフ↓一七空 ( 言を下延 0 。真意を 表に出さないことをいう。〇菟原壮士い いや わゆゑ あらそ 倭文たまき賤しき我が故ますらをの争ふ見れば生けーこのイは主格に付き、強めを表す。〇 叫びおらびーオラブはわめくこと。悲嘆 あ よみ こもぬ りとも逢ふべくあれやししくしろ黄泉に待たむと隠り沼の激しさを示す。〇地を踏みーじだんだ を踏んで悔しがり。千沼壮士が菟原処女 したは ちぬをとこ の下延 ( 置きてうち嘆き妹が去ぬれば千沼壮士その夜と死後の世界で逢うことをんだもの。 〇きかみたけびてーキカムはキ十カムで、 つつ ゅ おく うなひをとこ そのキはキ・ハの古語。タケプは猛シから 夢に見取り続き追ひ行きければ後れたる菟原壮士い天 派生した上二段動詞。〇もころ男ー自分 さけ っちふ まに匹敵する男。モコロは同じの意。〇と 九仰ぎ叫びおらび地を踏みきかみたけびてもころ男に負 ころづら↓二三三。ここはトメュクの枕詞。 秋、目印を付けておいた蔓を、冬たぐっ けてはあらじとかけ佩きの小大刀取り佩きところづら尋て行くのでいう。〇尋め行きければート ゅ うがら ゅ しるし ながよ メ↓一七一一四 ( ともしく ) 。〇親族どちーウガ め行きければ親族どちい行き集ひ永き代に標にせむと ラは肉親。ドチ↓一八 ( 思ふ人どち ) 。 あふ あしのや いめ た お をだち きほ き いもい つど あひ を あめ よみ

2. 完訳日本の古典 第4巻 萬葉集(三)

ことい 祐言に出でて言はばゅゅしみ朝顔のほには咲き出ぬ恋もす っ 0 力も 十 第 巻 ただあ みくさ あきづ 幻秋付けば水草の花のあえぬがに思へど知らじ直に逢はざから類推して、絶え人らんばかりに、の 意となったと考えられる。〇知らじー主 語は相手。 れば 3 なにすとか↓一六一一九。ここは、何故に、 の意で、反語的用法。 0 厭はむーイ トフ↓一九 ( 厭ふ時なし ) 。 0 嬉しきもの をーモノヲは逆接。 4 臥いまろび↓一七四 0 。 0 恋ひは死ぬと もー逆接の接続助詞トモは係助詞ハ を伴うことが多い。ここは恋ヒ死ヌの間 あさがにハが挟まれている。「濡れは漬っとも」 こ 臥いまろび恋ひは死ぬともいちしろく色には出でじ朝顔 ( = き、「焼けは死ぬとも」 ( = 西 ) などと 同じ構成。〇色には出でじ↓一堯五 ( 色に 出でめやも ) 。 0 朝顔が花↓一吾一八。ここ が花 けにごし も牽牛子をさしたのであろう。その花の 大きく色鮮かなさまを以て、色ニ出ヅの 象徴とした。朝顔は一般にガをとる。 はばか ゅゅしみーユュシは、忌み憚るべき だ、の意。ここは言葉に関する禁忌 に用いたもので、胸の内に秘めておくべ き、激しい思慕の情や相手の名を口にす ると、祟りがあり不吉な結果を招くと考 えられた。〇ほには咲き出ぬ↓一三会。 6 見に来ーコはカ変来の命令形。「帰 り来我が背」 ( 二占 ) 、「刈り来我が背 子」 ( 三四四五 ) などのように、女性でも敬語 のない命令形を用いることがあった。 2273 はっこゑ 雁がねの初声聞きて咲き出たるやどの秋萩見に来我が 背子 うれ はつはな あきはぎ なにすとか君を厭はむ秋萩のその初花の嬉しきものを いと こわ

3. 完訳日本の古典 第4巻 萬葉集(三)

47 巻第七 1152 ~ 1157 1157 住 土・の ロえ の 、・士・と 里 野の の も ち 摺す れ る の 盛ま り 過 ぎ 行 く 1155 11 % かちおと もか さいばら あまをとめ 梶の音そほのかにすなる海人娘子沖っ藻刈りに舟出すらる波にもいう。ここは後者。催馬楽に 「風しも吹けばなどりしも立てれば みなぞ ( き おと 水底霧りてはれその珠見えず」とあ しも〈一に云ふ、「タされば梶の音すなり」〉 るのもその意。〇乱れてあるらむーこの ラムは現在時における遠隔地での事柄を 想像する用法。住吉で詠んだ歌ではなか ひり はまへ すみのえ ろう。 おりおの 住吉の名児の浜辺に馬立てて玉拾ひしく常忘らえず 遠里小野ー大阪市住吉区遠里小野町 および堺市遠里小野町の地。近世初 期の宝永年間の新大和川開削工事によっ て南北に分けられた。〇ま榛もち摺れる ひり あごしほひ 雨は降る仮廬は造る何時の間に吾児の潮干に玉は拾はむ衣ー榛は、かばのき科の落葉高木はん のき。マは接頭語。その直径約一一弩の球 果の煎じ汁によって黒茶色に摺り染めし た。モチは、、を以て、の意。 0 盛り過 あさけ いそうらみ けふ 名児の海の朝明のなごり今日もかも磯の浦廻に乱れてあぎ行くーあるいは人の身の衰えの比喩的 表現か。 時っ風ー時を定めて吹く風。満潮か るらむ ら干潮に、また干潮から満潮に変る 時に一時的に強く吹く風をいう。ここは 後者。〇吹かまく知らずー吹カマクは吹 カムのク語法。今にも吹いて来るかも しれない、の意。〇潮ーここは潮干の意。 九ズでは、「潮満ち」というべきところを 「潮干満ち」とあった。〇刈りてなーテは 完了の助動詞ツの未然形。ナは意志・勧 あさけし たまも 時っ風吹かまく知らず吾児の海の朝明の潮に玉藻刈り誘を表す。 1153 1152 かりほ いつま つね ふなぞ 1157

4. 完訳日本の古典 第4巻 萬葉集(三)

反歌 0 ときかたま + 妹に逢ふ時片待っとひさかたの天の川原に月ぞ経にける 巻 ひこほし おも 彦星の川瀬を渡るさ小舟のえ行きて泊てむ川津し思ほゅは、固定する、据え置く、の意。主語は 天帝。〇さもらふとーサモラフ↓一三 0 八 ( さもらふ水門 ) 。ここは、時節の到来す るのを今か今かと待つ意に用いた。トは、 あめっち あま 、とて、の意。〇秋風の吹き反らへばー 天地と別れし時ゅひさかたの天っしるしと定めてし天 反ラフは反ルの継続態。この反ルは、夜 かはら いもあ 泣キ反一フフ ( 一ßll) 、死ニ反ル ( 六 OIII) 、見工 の川原にあらたまの月重なりて妹に逢ふ時さもらふと 反ル ( 一一兊 0 ) などのそれと同しく、反復を わころもゼ 表す接尾語的用法。待ちに待った秋が来 立ち待つに我が衣手に秋風の吹き反らへば立ちて居て たことの具体的表現。〇立ちて居てー居 トも ルはすわる意。心の落ち着かない状態を たどきを知らにむら肝の心いさよひ解き衣の思ひ乱れて示す。〇たどきを知らに↓一大一。〇むら 肝のー心の枕詞。ムラ肝は肝臓・肺臓・ こよひ いっしかと我が待っ今夜この川の流れの長くありこせぬ胆嚢などさまざまな臓器の総称。古代人 は精神作用の営まれる部位について一定 した理解がなく、これらの臓器のあれこ 力も れの活動と考えた。〇心いさよひーイサ ョフ↓一 0 七一。ここはあれこれと思い迷う ことをいう。〇解き衣のー乱ルの枕詞。 衣の縫糸を解けばばらばらに乱れてしま うのでかけた。〇いっしかと↓三七四。〇 この川の流れーコノ川は天の川をさす。 長く続くもののたとえとした。〇ありこ せぬかもーコセ↓一 0 九七 ( 我が背子をこち ) 。 ヌカモは希求。 片待っとー片待ッ↓一七 0 三。このトは、 2 、とて、、として、の意。 花を詠む あ をぶね あま かへ と きぬ かはづ へ

5. 完訳日本の古典 第4巻 萬葉集(三)

いわいべ 斎瓮に木綿を取り付けて掛け慎み続けてわたしが大切に思うわが子よ無 事でいておくれ 〇斎瓮ー神事に用いる土器の類。「斎瓮 を斎ひ掘りすゑ」という例が多いことか 反歌 たびびと そららみて、不安定な底を持っていたと思わ 葉Ⅷ旅人が仮寝する野に霜が降ったらわが子を羽でかばってやっておくれ天 れる。へはカナへ ( 鼎 ) ・ナベ ( 堝 ) などの せんぐ つる それで、本来は瓶状の饌具を広く言った 萬の鶴の群れよ 語。〇木綿取り垂でてー木綿↓一三七七。シ おとめを思って作った歌一首と短歌 ヅは、垂す、掛ける、の意の下二段動詞。 白玉のようなあの娘の名をなまじっか言葉に出さないで思い逢わない日榊の枝などに掛けることの方が多い。〇 斎ひつつーイハフ↓一一三一一 ( 神を斎ひて ) 。 が幾日も過ぎ恋しく思う日が積ってゆくと憂いを晴すすべもわからな 〇ま幸くありこそーマ幸クは、つつがな ちち 、無事で、の意。コソは、何かをくれ いので ( 肝向かふ ) 心も千々に乱れ ( 玉だすき ) 心にかけない時とてなく る意の動詞コスの補助動詞的用法の命令 絶えず口にしてわたしが恋い慕うあの娘を ( 玉釧 ) 手に取り持って ( まそ形。 かげ 宿り↓一六九 0 。〇羽ぐくめーハグクム 鏡 ) 目にじかに見ていないので紅葉した山の陰を流れる水のように表に は羽で包む意。親鳥がひなを羽毛で 出さずにわたしが思う心は平静なものか 覆い守ることをいう。この三年後の天平 八年の遣新羅使人の出発に際して詠まれ すどり た贈答に「武庫の浦の人江の渚鳥羽ぐく もる君を離れて恋に死ぬべし」 ( 三五七 0 、 「大船に妹乗るものにあらませば羽ぐく み持ちて行かましものを」 ( 三五七九 ) とあり、 人の身についても、いたわり抱える意に、 すでに用いられていたことが知られる。 なかなかにー中途半端に。積極的に はばか 胸中を打ち明けることも憚られ、と 1792 うれ 1791 かめ

6. 完訳日本の古典 第4巻 萬葉集(三)

295 巻第八 1647 ~ 1650 1650 梅の花枝にか散ると見るまでに風に乱れて雪そ降り来るて、ヨリの意と考える。『古今六帖』には 「枝にかさくと」という形で収められてい る。 一紀女郎 ( 一四吾題詞 ) に同じ。 知らねかもー疑問条件法。知ラネ・ハ カモに同じ。〇含めらずしてーフフ メラズはフフミアラズの約。フフム↓二 会 ( 含みてあり待て ) 。 9 雪に競ひてーこのキホフは、負ける 1 ものか、と対抗意識を燃やすこと。 漢詩的表現をまねたものか。「竜田山し ぐれに競ひ色付きにけり」 ( 一三一四 ) のキホ ヒもこれと同じ用法。 おとものすくねやかもちせつばい ニ平城宮内にあった池。第一次大極殿 大伴宿家持の雪梅の歌一首 ( 天平十一一年以前 ) の西北、今日の一一条町 けふ ふゅぎ 2 今日降りし雪に競ひて我がやどの冬木の梅は花咲きににある佐紀池の下層から平城遷都直後の 築造と思われる園池が発見された。その 中にはこぶし大の石が敷き詰められてい けり た跡があり、大小の自然石も配置されて いたことが確かめられており、これが 「西の池」であることは疑いないといわれ る。続紀には、その傍らにあった西池宮 という宮殿で宴会が催されることがあっ た記事を載せている。 三↓一六三八左注。 松の末葉ー末葉↓一一一会。〇五百重降 り敷けー幾重にも降り積れ。 きのをしかのいらつめ 紀小鹿女郎の梅の歌一首 あわゆき しはす 十二月には沫雪降ると知らねかも梅の花咲く含めらず して しえん にしいけへ 西の池の辺にいまして、肆宴したまふときの歌一首 うらば 池の辺の松の末葉に降る雪は五百重降り敷け明日さへも 見む へ きほ わ いヘふ あす ふふ

7. 完訳日本の古典 第4巻 萬葉集(三)

あまぎ いめ あひみ 夢のごと君を相見て天霧らし降り来る雪の消ぬべく思に来た男の呼ぶ声を、いとおしく思うの であろう。〇出でて行かばー女の方から 逢いに行く歌は、「はしけやし逢はぬ君 ほゅ 故いたづらにこの川の瀬に玉裳濡らし つ」 ( 一一七 0 五 ) など、なくはないが少ない。 〇裳引き著けむー裳引キは裳居を引きず って行くこと。著シは、はっきりしてい る、明瞭だ、の意。 それとも見えず↓一四一一六。〇降る雪の ー以上三句、イチシロシを起す序。 〇いちしろけむなーイチシロシは著シと 同じく、明瞭だ、顕著だ、の意。ナは詠 嘆の終助詞。〇間使ひ↓一六究。ここは恋 まっかや 梅の花それとも見えず降る雪のいちしろけむな間使ひ遣人との連絡を頼む使用人。〇「それと知 らむな」ー主語は第三者。われわれ二人 の関係を察知するであろう。 らば〈一に云ふ、「降る雪に間使ひ遣らばそれと知らむな」〉 天霧らひ↓一一三一。 0 降り来る雪のー 2 消を起す序。〇流らへ渡るー流ラフ ↓一六六一一 ( 流らへぬるは ) 。ここも雪ー消・ あまぎ 流ラフと縁語関係をなしている。 天霧らひ降り来る雪の消なめども君に逢はむと流ら ( 渡る うかねらふ↓一五七六 ( うかねらひ ) 。こ 2 こは跡見の枕詞。〇跡見山雪のー跡 十 見↓一五四九 ( 射目立てて ) 。跡見山は桜井市 第 とみ 巻 とみやま の東南部にある鳥見山か。高さ二四四 うかねらふ跡見山雪のいちしろく恋ひば妹が名人知らむ説に、それより八東北の宇陀郡籐 ばら 原町西峠北方の鳥見山 ( 高さ七三三 1 しか 力、も とする。以上一一句、イチシロシを起す序。 しる ことうるは い もび 我が背子が言愛しみ出でて行かば裳引き著けむ雪な降り そね わせこ い け あ いも

8. 完訳日本の古典 第4巻 萬葉集(三)

457 巻第十 1934 ~ 1937 あひおも 叫相田 5 はぬ妺をやもとな菅の根の長き春日を思ひ暮らさむ逆接とみるべき場合がある。ここもその 一例。↓三占 ( はなはだも降らぬ雨故 ) 。 0 玉の緒のー長シの枕詞。 0 思ひ暮らさ くー暮ラサクは暮ラスのク語法。ク語法 止めは一種の詠嘆的終止。 ◆この一首には対となるべき歌がない。 おそらく一査四と内容・語句が近似してい るところから関連併記したものであろう。 引ますらをー作者自身を心身堅固な男 子と自認して言ったことば。〇出で 立ち向かふーこの出デ立ツは門外に出 を 相思はずあるらむ児故玉の緒の長き春日を思ひ暮らさくる意。↓一岩〈。〇故郷の神奈備山ー故郷 ↓二孟題詞。神奈備山↓一 0 査 ( 三諸 ) 。〇 明け来ればー明ケは名詞。下の「タされ ば」と対句をなす。朝とタ、昼と夜とい う風に並立させ、時間の設定を厳密にし ないのは漢籍に例が多く、『万葉集』でも、 ことに長歌にその傾向が認められる。こ 夏の雑歌 の歌も、詠まれた時点が夜中であること は最後の句で知られる。〇柘の小枝ー柘 は山桑。山地に自生するくわ科の落葉高 木。サは接頭語。〇小松ーこのコは単な 鳥を詠む る接頭語的用法。必ずしも松の若木とは あ かむなびやま ふるさと 限らない。〇聞き恋ふるまでーこの恋フ ますらをの出で立ち向かふ故郷の神奈備山に明け来ればは、その声は聞えるが、姿を見ることが まれ 稀なほととぎすを見たいと思うことをい つみさえだ 柘の小枝にタされば小松が末に里人の聞き恋ふるまで ことさきだ 春さればまづ鳴く鳥のうぐひすの言先立ちし君をし待 たむ 1937 ざふか いも ゅふ こゅ すが うれ さとびと はるひ

9. 完訳日本の古典 第4巻 萬葉集(三)

593 巻第十 2264 ~ 2267 鹿に寄する をしか ふをの くさわか カく さ雄鹿の朝伏す小野の草若み隠らひかねて人に知らゆな 蝦に寄する あさがすみかひやした あれこ 朝霞鹿火屋が下に鳴くかはづ声だに聞かば我恋ひめやも 「朝霞香火屋」とある。〇鹿火屋ー鹿火を 焚く小屋か。鹿火は、田畑を荒しに来る 猪や鹿を追い払うためにくすべる火をい うのであろう。あるいは、巻十一、一一六四九 をち に「山田守る翁置く蚊火の」とあることか らみて、蚊火屋の義とも考えられる。現 在も「かべ」などと称して、田の草取りな どの際、蚊ゃぶよを駆除するために、ぼ ろきれを藁や竹の皮で包んだものに点火 してくゆらす所がある。〇鳴くかはづー 以上三句、声聞クを起す序。このカハヅ は、かえる一般の雅語に用いたものか。 出でて去なばー主語は作者。〇泣き ぬべみー主語は相手 ( 女 ) 。べミは推 雁に寄する 量の助動詞ペシのミ語法。〇今日今日と あまと けふけふ 出でて去なば天飛ぶ雁の泣きぬべみ今日今日と言ふに年言ふにー今日は出かけよう、今日こそは 出かけよう、と言っているうちに。 草若みー若ミは形容詞若シのミ語法。 そ経にける 春の若草は丈が低いので、鹿がその 中に隠れようと思っても身を隠しきれな いことをいう。比喩から主題への転換が なだらかで、序の範囲を明らかにできな い。 0 隠らひかねてー隠ラフは隠ルの継 続態。二人の関係を包みおおせなくなっ て。 ◆春の鹿に寄せた歌だが、鹿を秋の景物 と判断してここに収めたもの。 蟋に寄する ぬしるし まくらわれ ~ こほろぎの待ち喜ぶる秋の夜を寝る験なし枕と我は しか かはづ こ椴ろぎ 」カり - 2266 2267

10. 完訳日本の古典 第4巻 萬葉集(三)

221 巻第八 1519 ~ 1520 1520 1519 いたのであろう。〇いなむしろー川の枕 いなわら むしろ 詞。稲藁で編んだ筵の意だが、かかり方 未詳。原文には「伊奈宇之呂」とあるが、 どうもうしよう 「宇」は「牟ーの誤りとする『万葉童蒙抄』の けんぞう 説による。「顕宗前紀」に「いなむしろ川 ゃなぎ 副ひ楊」の歌謡があり、これを釈した『釈 日本紀』 ( 正安本 ) の注にこの歌を引き、 「伊奈牟之呂河向立、万葉第八」とある。 「宇」「牟」は音声的にも字形の上でも相 近く紛らわしい。〇思ふそら安けなくに ーソラは心地。不安な心理についてのみ いう。安ケは形容詞安シの末然形。〇青 しきつい 波ー天の川の波。「白雲ーと色対をなす。 漢詩の表現を学んだもの。〇望みは絶え ぬー望ミは遠くを眺めること。漢籍の常 ひこほし あめっち 彦星は織女と天地の別れし時ゆいなむしろ川に向き套語「望断」の翻訳語。〇かくのみや息づ き居らむ↓一一合 ( 見ずや過ぎなむ ) 。〇さ やす あをなみ 立ち思ふそら安けなくに嘆くそら安けなくに青波に丹塗りの↓一一。下の「玉巻きの」と共に 空想的装飾を示す。〇ま櫂ーマは接頭語。 しらくも のぞ いき を カイは舟を漕ぎ進める具。カヂが比較的 望みは絶えぬ白雲に涙は尽きぬかくのみや息づき居らむ 大型の船に固定させてあるのに対して、 こ をぶね 主に小舟に固定しないで操るという差が かくのみや恋ひつつあらむさ丹塗りの小舟もがも玉巻き あった。〇天の川原ー天ノ川の河原。こ の語の使用から、上代日本人には七夕伝 たかまのはら のま櫂もがも〈一に云ふ、「小棹もがも」〉 朝なぎにいかき渡り 説が、記紀に見える天上世界高天原を舞 ゅふしほ あま かはら台とした物語として、享受理解されるこ ゅふへ タ潮に〈一に云ふ、「タにも」〉い漕ぎ渡りひさかたの天の川原ともあったことが知られる。 な〈一に云ふ、「川に向かひて」〉 こた 右、養老八年七月七日、令に応ふ。 こよひ ひさかたの天の川瀬に舟浮けて今夜か君が我がり来ま さむ かい たなばたつめ 右、神亀元年七月七日の夜に、左大臣の宅にして。 あまかはせ じんき なみたっ をさを こ - っ よ にぬ わ