にちょこんとすわって、父が「このこは、きっとろうたけ清太は必死にその艦影をさがしたが、摩耶特有の崖のよう たシャンになるそーそのろうたけたの意味がわからずたずに切り立った艦橋の艦は見当らず、商大のプラス・ハンドか、 ねると、「そうだなあ、品のいいってことかな」たしかに切れ切れに軍艦マーチがひびく、守るも攻むるもくろがね 品よくさらにあわれだった。 の、浮かべる城そたのみなる、お父ちゃんどこで戦争して ご ) やみ 燈火管制にはなれていたが、夜の壕の闇はまさにぬりこはんねんやろ、写真汗のしみだらけになってしもたけど。 えいこうだん つりて 、螢の光を敵の曳光弾になそらえ、そ めたようで、支柱に蚊帳の吊手をかけ、中に入ると、外の敵機来襲パ わんわんとむらがる蚊の羽音だけがたより、思わず一一人体や、三月十七日の夜の空襲の時みた高射機関砲の曳光弾は、 螢みたいにふわっと空に吸われていって、あれで当るのや を寄せあって、節子のむき出しの脚を下腹部にだきしめ、 ふとうずくような昻まりを清太は覚えて、さらにつよく抱ろか。 しがい 朝になると、螢の半分は死んで落ち、節子はその死骸を くと「苦しいやん、兄ちゃん」節子が怯えていう。 散歩しようかと、寝苦しいままに表へでて二人連れ小便壕の入口に埋めた、「何しとんねん」「螢のお墓つくってん して、その上を赤と青の標識燈点減させた日本機が西へ向ねん」うつむいたまま、お母ちゃんもお墓に入ってんやろ、 こたえかねていると、「うち小母ちゃんにきいてん、お母 う、「あれ特攻やで」ふーんと意味わからぬながら節子う なずき、「螢みたいやね」「そうやなあーそして、そや、螢ちゃんもう死にはって、お墓の中にいてるねんて」はじめ つかまえて蚊帳の中に入れたら、少し明るなるのとちゃうて清太、涙がにじみ、「いっかお墓へいこな、節子覚えて かすがの * しゃいんまね えへんか、布引の近くの春日野墓地いったことあるやろ、 か、車胤を真似たわけではないが、手当り次第につかまえ くす あしこにいてはるわ、お母ちゃんー樟の木の下の、ちいさ て、蚊帳の中にはなっと、五つ六つゆらゆらと光が走り、 い墓で、そや、このお骨もあすこ入れなお母ちゃん浮ばれ 蚊帳にとまって息づき、よしと、およそ百余り、とうてい 墓お互いの顔はみえないが、心がおちつき、そのゆるやかなへん。 る動き追ううち、夢にひきこまれ、螢の光の列は、やがて昭母の着物を農家で米に替え、水汲みの姿を近所の人にみ 火和十年十月の観艦式、六甲山の中腹に船の形をした大イルられたから、二人壕で暮すとたちまちわか 0 たが、誰もあ ミネーションが飾られ、そこからながめる大阪港の聯合艦らわれず、枯木を拾って米を炊き、塩気が足りぬと海水を ねら 隊、航空母艦はまるで棒を浮かべたようで、戦艦の艦首に汲み、道すがら五一に狙われたりしたが、平穏な日々、 は白い天幕が張られ、父は当時、巡洋艦摩耶にのりくみ、夜は螢に見守られ、壕の明け暮れにはなれたが、清太両手 たい ほたる たか おび がけ
最初にお安をいためつけた女の一人にひきわたし、「あん着いた先が西成の釜ヶ崎。 あべの た、少しは体大事にせなあかんよ、お郷里あんねんやった男二人、阿倍野商店街をわがもの顔に歩き、ちいさな旅 ら、かえったらどう ? ー青ぐろく脹れて、どうみても四十館に入って、「その面やったらいくらアンコでも客とれん で、化粧せな、な、ここの部屋貸したるよって商売し。こ 近くみえるお安をみて、さすがに女が同情した。 やす カマは暮し易いとこやで」 「うちもう働けんのやろか」「その体ではなあ、無理なんわいことない、 だれ しようム いずれは誰か死んだ娼婦の化粧箱であろう、与えられ、 ちゃうかあー「どこでもよろしいねん、おねがいしますわ」 ひもじさや、寒さは我慢できたが、いや、二日くらい食化粧といえば香里園で写真とられた時だけ、それでもお父 たば べなくても平気な体になっていたが、男に抱かれ、その煙ちゃんに会うためやと、まっ白にぬたくって、釜ヶ崎に入 ると、たちまち三角公園のくらがりに連れこまれて、立木 草の臭いや、ひげの感触にふれ、とたんに心がしずまり、 なり やさしい父と一一人海の底で魚のようにたわむれる幻想、きをしとねに金一一百円也。ジキパンにみられたのだが、それ らびやかにお安をかざり、お安はただ、「お父ちゃん、おにしてはましな部類とみえ、以後、公園のお安と呼ばれて、 っそここま 三月四月はならして一夜千円の収入となり、い 父ちゃん」と呼びかけ、うっすら眼をあくと、のしかかっ て汗を噴く男の顔が、みたことのない父親の面影と二重写で身をおとすと、化粧もなりふりもかまったものではなく、 あんど しになり、そして深い安堵の中で、ひきこまれるように寝はじめうるさくつきまとっていた南の極道も、ジキ・ ( ンと なっては話にならず、自由に泳がせたから、ようやくお安 入ってしまう、このことをとり上げられるのがなにより怖 ろしく、金でも色でもない、 これはお安の、生きているしは気楽な日々を送って、それでも金のないアンコにせがま れると、尺八もしてやったし、カキもしたし、そして便所 女るしだった。 わら 少「ほなまあきいてみよか。南で極道しとるアンちゃん知っゃべンチ、藁の上で眼つかちびつこ肺病やみも委細かまわ 、そず、組敷かれるたびに、「お父ちゃん」とちいさくさけん りてんねんけど、その体ではなあ」心もとなく女がいい チれでも電話をかけてくれて、お初天神の横で待つうち、スで、身をすくめ、男の胸にすがりつき、甘えかかる。 一年経っと、お安の病気がすっかりばれて、もう金を出 ッと黒い乗用車がとまり、「はよ乗らんかい、話はきいて マ んねんやろ」と、ソフトかぶった男が助手台から首を出しして買うアンコはなく、時折り、酔っぱらいにからまれて、 ていう。まさか車とは思わないからうろうろしていると、着物を裂かれ、髪をはさみで切られ、ドヤに泊る金ないま ま、半コートをセーター、やがては汚れ半天と替え、秋の 後ろのドアがあけられ、吸いこまれるように乗りこんで、 くに おそ かまさ、
よっこ 0 六人といった時分だ。 「やろうぜ」 「どこへ行ってたんだい、ジョニー」 あいさっ と健ちゃんが言う。「挨拶がわりに駆けつけ三曲と行こ 「いや、ちょっと 彼がこんな具合にあいまいな物の言いかたをする事はめうじゃないか」 ずらしい。どうしたんだろう、と少年は思った。やつばり、 どこか変ったんだろうか ? と少年が言った。ジョニーを元気づけるには、それが一 少年は健ちゃんに電話をかけた。健ちゃんは、ひどく喜番だ。きっと、随分長い間、音楽から離れていたんで、そ んで、十一時半にホールを終えたら、すぐ駆けつける、とれでジョニ 1 は元気がないんだ。まず、一曲。それで何も 言う。 かも昔通りになるだろう。 ジョニーにそれを伝えると、彼はひどく悲しそうな顔を少年はトランペットのケースを洋酒棚からおろし、楽器 した。やつばり変だ。 を取り出した。 ジョニーは奥のテープルで一人でビールの小びんを前に、 「ひさしぶりね、淳ちゃん」 すわ と、由紀が言った。少年は姉に微笑を返した。その時、 ・ほんやり坐っていた。天井を見つめたまま、まばたきもし 少年は姉との間に一瞬間だけ、暖かいものが流れたのを感 十二時頃、健ちゃんがやってきた。・ヘースのケースを抱じた。 かっこう くようにかかえて、息せき切って駆けつけたといった恰好健ちゃんがべースをビアノの横に持ってきた。ジョニー はまだ奥の椅子に坐ったままだ。 「さあ、ジョニー」 「ジョニーは ? 」 と健ちゃんが声をかける。トラン。ヘットの・ハルプをカタ 「むこうにいるよ」 くらびる カタいわせながら、少年は何度も唇を手でこすった。 健ちゃんは顔をくしやくしやにしてすっ飛んで行った。 「やろうぜ、ジョニー」 少年は姉と代ってカウンターを出る。 ジョニーはどうしたのか、一向に立ちあがらなかった。 「ジョニー ! いつもなら、目と目が合っただけでニャリと笑って。ヒアノ 「やあ」 一一人が握手するのを見ていると、少年はジンと胸が熱くに向うのだが。 だな
生日、クリスマスカードのやりとり程度で、便りのないのったが、でも運動会の時のユニフォーム、旗日におろした は無事のしるし、妻になりきって、しかもめでたい妊娠の白い靴下、鏡に写してあかずながめ、ついでに粉ミルクを、 中に入ってるちいさなスプーンでなめる。「久子ちゃん、 しるし、何一つとっても不足ない若女房の明け暮れ。 陣痛は朝にはじまって、いよいよそれときまると、貞三ちいさい赤ちゃんがかわいそうでしよ、赤ちゃん、他にな てはず しゅうとめ 姑につきそわれて入院し、貞三はかねて手筈の通り、タんにも食べるものがないんだから、久子ちゃんはパンでも マージャン 方から自宅で友人と麻雀しながら待ち、午後九時に産れる御飯でも食べられるんだからーなめるところをみつかった とすぐ、ダークスーツに身を固めてあらわれ、「はじめてわけではないけど、減り方をみてれば、つまみぐいはすぐ 会うんだからな、第一種正装にして来た」だが夜おそくて、にばれる。もう甘いものといったら、黒砂糖のかたまりか、 伸子には会えず、この時、久子は夫の心づかいがうれしい慰問袋へ入れるくろん坊アメの横流しくらい、粉ミルクの より、なにやら空々しく、あのぬめっとしてどっしり腹のやさしい味は、この上ないもので、だから食べ盛り甘いも 上に置かれた感触を、思い出すまいとしてしきりに闇の中のに飢えきった私に、そうきつくはしからず、減るとわか で首をふりつづける。 、あの時、赤ちゃん っていて罐をかくしもせず、母がいい マッサージ受けると、天井にとどくほども乳がほとばしは生後半年くらいだったかしら。お腹の大きい母の姿、病 へた るのだが、伸子の吸い方が下手なのか、ふくませると、た院へいっしょについていってかえりに、ふと気づくと防空 ほにゆうびん だ泣くばかりで、自らの乳を哺乳瓶に入れ、あらためて与演習の最中で、警防団の人が、もんべはいていない母を、 ちょうらん え、日一日と提燈のしわのびるように形ととのえる姿みれ妊婦とわかっていてとがめ、ずい分恥かしく、「四十過ぎ ば、心なごんで、やはりあの脅えは、妊婦に共通のものなての恥かきっ子で」親戚の人としゃべるのをきいて、いや のかと納得し、七日過ぎて家へもどり、粉ミルクをといてな気持もしたけど、産れてしまえば、かわいい妹で、昭 くちびる その温度はかるため、柔らかい乳首を唇にあてると、思和十八年の春、学級の組みかえがあって早くかえって来た よっや いがけず多量のミルクが流れこんで、うっとむせ、その味ら、母が床についていて、産婆さんがいる、私は四谷の親 と温味に覚えがあった。 戚の家に連れていかれ、なんだかこのまま母は死んでしま かん うような恐怖感があり、表へ出て、人眼につかないよう涙 粉ミルクの罐は、いつも母の鏡台の横に置かれていて、 しゃれ 私は小学校五年生、いくらかお洒落が気にかかり、もとよをふいていたら、ちいさな子がうれしそうに泣きべそかく たかぎらよう り戦争中、女の児らしいリポンも色どりも許されていなか私をながめていた。翌日、そのまま学校へ行って、高樹町 おび しんせき なか
からはジャズの時間だった。客たちが帰っても、ずっと朝と、少年は言った。「あんたの。ヒアノはそう言ってるぜ。 がたまで夢中でやっている。〈ビアノ・・ハ ー・トリオ〉と音楽はごまかせないもんだよ」 ジョニーは肩をすくめて苦笑した。 少年は名前を決めていた。 「彼女は素晴らしい人だ」 演奏に疲れると、ジョニーと健ちゃんと少年の三人で、 とジョニーは小さな声で呟いた。 勝手なお喋りをする。もつばら話題はジャズの事だった。 「音楽は人間だ」 「そうでもないさ」 とジョニーはいつも同じ事を言った。「わたしが駄目な と少年は言う。「さて、じゃあ、もういっちょうやるか」 人間になる。すると音楽も駄目になる。わたしが高まると、 ジョニーは、とても素晴らしい。ヒアニストだった。だが、 演奏も高まってくる。そりゃあ怖いみたいなもんだ。音楽 ミュージシャンである以上に、大したジャズ学者だった。 はごまかせない。人間の内面を映す鏡みたいなもんさ」 健ちゃんと少年は、ジョニーから、さまざまなジャズの考 「そうは思わないね」 えかた、つまりジャズの思想といったようなものを教えら 健ちゃんはジョニーの意見に反対だった。「そんな事をれたのだった。 言ってりや、おれなんざ全くジャズをやる資格なんそ、あ りやしないって事になる」 その年の夏の終りに、ジョニーは突然、どこかへ出発し へた 「あんたは良い人だよ。だから下手だけど暖かい・ヘースが た。ベトナムへ行ったのさ、と健ちゃんが言っていた。 一弾けるのさ」 彼が現れなくなってしばらくして、かなりのまとまった ョ「よしてくれよ。おれは出来そこないの、ぐうたらパンド金が〈ビアノ・・ハ ー〉気付けで送られてきた。ジョニーか ジ マンさ」 らだった。この金で新しい。ヒアノを買っておいてくれ、と た い「自分を卑下する事で、自分の演奏までいやしめてはいけいう手紙がそえられていた。もし無事に帰っていけたら、 見ない」 その。ヒアノで健ちゃんたちと夜通しジャズをやろう、とも を とジョニーは怖い顔で言う。「あんたは良い人間なんだ。書いてあった。 海 それはあんたのペースが証明してる。ごまかしちゃいか だが、その金でビアノを買うことは出来なかった。少年 ん」 の姉が、マイクのポーカ 1 の借金を払うために無断でそれ 「ジョニー。あんた、おれの姉の由紀に惚れてるだろう」を流用したからだ。 しゃべ だめ つぶや
「ジュンイチ。わたしは駄目なんだよ」 ジョニーが弾き終えても、誰も手をたたく者はいなかっ 「どうした、ジョニー」 た。皆が黙り込んでいるのが、それ以上のものを示してい こ 0 と健ちゃんが、ボ、ポン、ポン、と・ヘースを鳴らす。 「わけがあるなら聞かせてくれ。友達だろ」 「わかったかね、ジュンイチ」 と少年がジョニーの肩に手をおいて言った。 とジョニーが言った。「どうだった、今の演奏は ? 」 「よし」 少年は大きな溜め息を一つついて言った。 ジョニーがやっと立ちあがって、。ヒアノの前に坐った。 「最高だ。何も言うことないよ。何か言うとになる。素 「ロで言うより、こいつを聞いてもらえばわかる。わたし晴らしい・フルースだったよ」 「なんだって ? 」 が独りで弾くよ。二人で聞いてくれ」 少年は健ちゃんと顔を見合わせた。独りで弾くって ? ジョニーの顔が、判らないと言った風に少年や、健ちゃ なが 二人が何か言おうとした時には、もう。ヒアノが鳴ってい んや、客たちを眺めた。 た。古い、あまり聞かない・フルースのメロディー。 「本当の事を言うんだ。これは大事なことなんだよ」 それは素晴らしいプルースだった。少年はその時はじめ「おれはジャズをやるのがいやになった。あんたのビア / て本当の・フルースを聞いたような気がした。。ヒアノが息づ が、あんまり良かったんでーーー」 うめ いて、人間のように呻いたり、嘆息したりするのを、少年と健ちゃんが横から言った。「実際、凄いプルースだっ 一は目をつぶって聞いていた。 たよ」 ジョニーの弾きかたを、どうこう言うことはなかった。 「そんな馬鹿な ! 」 彼は全身で呻いていた。彼のコードは肉声のようで、彼の とジョニーが叫んだ。 いタッチは震える心臓の鼓動そのものだった。 「そんな馬鹿な。今のわたしの演奏は、薄汚くって、通俗 見カウンターで飲んでいた若い兵隊さんが、みんなしゅん的で、まるつきり音楽になってなかったはずだ。そうだろ、 なが 海となって頭をたれているのを、・ほんやりと眺めていた。姉え ? 何も気を使ってくれなくってもいいんだよ」 の由紀はむこう向きになって、洋酒棚に額を押し当てたま「良い演奏だった。おれはあんたが昔言ってた事がようや かっこう ま動かない。健ちゃんは、ペースにすがりつくような恰好く判 0 たような気がする。ジャズは人間だって事が」 で、目を閉じている。 「よせ ! 」 だめ わか だれ す tJ
三日に一度は、継父に抱かれていたお安だったが、いざ父ちゃんに抱かれるように、また抱いてもらえるんや、そ 死なれてみると、なにもかも嘘みたいで、大工というのに う思うと矢も楯もたまらず、そして邪魔な母親を始末した ロクに削ってもいない棺桶に収まり、傷口を大仰にほうたのであった。 いで巻いた継父の死体をみても、涙一つ湧かず、さすが母 親は、きかぬ体をのたうちまわらせ、娘にうばわれた男の 身のまわりの品をまとめ、連れの女には両親がいたから、 死を悲しむ。 ちょうだい 「あんただけがたよりなんよ、面倒みて頂戴ね」 その目かいくぐって夜汽車に乗りこみ、朝八時に東京駅へ 急に心弱くなった母親が、朝にタにお安をかき口説き、着き、西も東もわからぬまま丸ノ内へ出ると、折からのラ ッシュで勤め人が滝のようにどうどうと流れ、その流れに だがお安はあの父親の臭いが恋しかった。その年の秋、喘 もまれるうち、心細くなって、「うち、帰るわ、お腹いた 息の発作を起した母親に薬といつわって、睡眠薬を与え、 、「安子ちゃんどないする ? 」 翌朝、お天気のぐあいでもみるように、その額に手をあてなって来た」と連れがいい ると、すでに冷たくなっていて、医者もまるで疑わず、すきかれてもお安は帰りの汽車賃もなく、「ほなうち迎えに おび 来るから、明日ここで待ってたらええわ」すっかり怯えき でに手足は針金細工ほどにも衰弱していた。 だれ 同じ工場に勤める同僚が、東京へ出ようとさそいをかけ、った連れは、少しでも長くいると誰かにとってくわれてし この女は妊娠三カ月で、東京のキャ・ハレーにつとめれば一まう風に、大阪行の汽車に乗りこんだが、お安は別段こわ 月十万にはなる、その金で子をおろすと語り、「安子ちゃくもなく、ただ秋風の冷たさに半オーパ 1 持ってきたらよ んも、じめじめしとらんと、 いこうな。金持のおっちゃんかったと思い、駅の構内のべンチにすわるうち、「お茶で ぜいたく ようけおって、なんばでも贅沢出来るやん、安子ちゃんえも飲みませんか」と、四十年輩の男が声をかけ、「おじよ え体してるもん」値踏みするようにながめ、お安はその言うさん家出して来たんでしよ、すぐわかりますよ」という ねこ 葉のおっちゃんに心ひかれた。工場にも男はいたが、すべ猫なで声が、ふと母の情夫に似ていた。 男のスケコマシのきまり文句も、実はお安には必要なか て一一十そこそこで、時に抱きすくめられ、わるさされるこ ったので、タクシーに乗せられ、「こりやすこし頭がとろ とはあっても、母親の情夫や継父のような、あのなっかし い臭いはなく、お安は、東京にいけば、父親にあえるかもい」とみた男の、はやくも肩に手をまわし、耳のあたりに くちびる 知れぬと考えた。名前も顔もわからぬが、すくなくともお唇を寄せるのに、お安はやさしい父親を感じて、抱かれ かんおけ たて なか
ア / はくつきりと再現していた。 「やめろ、ジョ = ー」 スパイダー と蜘蛛のハーマンが言った。「おれは、お前の・ヒア / が 嫌いなんだ。やめろ」 少年の姉の由紀は、ジョニーの事を、黒牛と呼んでいた。 だが、ジョニーは弾き続けた。壁際にいた客たちが一人、黒人に偏見を持っているわけではなかったが、何故か虫が 二人とカウンターに帰ってきた。テー・フルの客たちも、も 好かないらしかった。 だれスイ / ー う誰も蜘蛛の ( ーマンのほうを見ていなかった。彼らは皆、由紀は、目鼻立ちのはっきりした、どちらかといえば = 遠くを見るような目つきでジョニーの。ヒアノに聞き入って キゾチックな美人だった。少年は幼稚園の頃から、姉の事 スパイダー いた。蜘蛛のハーマンは何だか間が悪そうにもじもじし、 をひそかに誇らしげに思っていた。だが、最近では、姉は やがてカウンターにもどって、ジンをくれ、と由紀に言っ 姉、自分は自分、と、かなり突っ放して考える事ができる た。小屋に灯がともるように音楽が始った〈。ヒアノ・・ハ ようになってきていた。 ー〉は、さっきと打って変って、なごやかな温かい気分に トランペットをやり始めてからは、姉の男たちに嫉妬す 包まれていた。 る事もなくなった。今の男のマイクだって、軽蔑している もう誰も荒っぽい大声を出さなかった。ジョニーの。ヒア だけで、どうという事はない。ただ、これまでになく姉が ノの音は、新鮮な血液のように客たちの間に流れていた。 マイクにお・ほれている事だけは感じていた。由紀は自分よ ーについて、二つの事を知った。 少年はその晩、ジョニ り年下の美青年に、絶えず金を渡していた。その金でマイ 一つは、彼が天才ボクサーと言われながらも、途中でジャ クは外の女と遊んだりする。由紀はその事で、絶えずマイ ズメンに転向したミュージシャンであること。もう一つは、 クともめていた。店に目のふちを真黒にして出てくる事も ス只イダー ーマンを、 0 で破ったただ一人のボクサー 彼が蜘蛛のハ しよっ中だ。 であった事である。 べース弾きの健ちゃんの所へ時どきぐちをこぼしに行く その晩からジョニーは〈。ヒアノ・・ハ ー〉の常連の一人にらしいが、結局はマイクと別れる事ができないでいるのだ なったのだった。 少年はジョニーが店にくると、健ちゃんに電話をかけた。 ダンス・ホールがはねて、健ちゃんがやってくると、それ けいべっ しっと
ためい、 久子はふっと溜息をつき、刑事の顔をながめ、しばしだめなぶり殺しにされなければならないんだもの。 んまりのまま見合っていたが、刑事は閉ロして、まだ手に 「メンスは何時だったの ? だまってないでなにかいいな していた写真の束を机にたたきつけると、戸をあけて廊下さいよ、伸子ちゃんかわいそうだとは思わないの、あんた に待機していたらしい婦人警官を呼びこむ。 鬼なの ? 御主人いらしてるわ、気が狂ったようになって、 「伸子ちゃん、今頃、天国にいってるわよ。あなたも罪はあんたを殺してやるっていってたわ、かわいがってたんで 罪として、みんなおっしゃいな、伸子ちゃんのためよ。あすってね、伸子ちゃんを。よくお土を買ってらしたそう なた、とってもかわいがってたんですってね、御近所の方ね、 ハのペッドに パと一緒に寝るって、朝になると、 がいってたわよ。どうしてなの ? 育てる自信がなかった もぐりこんだんでしよ、まさかあなた、伸子ちゃんにやき の ? そうじゃないわね。丈夫だったそうだし」婦人警官もちゃいたんじゃないわね、ね、どうして伸子ちゃん殺し てくだ は、これも手管の一つか鼻すすり上げて、伸子の死顔の写たの ? あんた、血筋におかしい人でもいたんじゃない ? 真とり上げ、「苦しかったでしようね、まさか、世の中でふつうじや考えられないわよ」 いちばん頼りにしていたママに、殺されるなんて、あなた、久子は、手近かの、伸子の顔大写しにした写真を手にと どんな顔してたの ? その時」ふいに鋭くいい、久子はしると、まるで我が娘七五三の晴れ姿ながめるように見入っ かし無表情のまま。 て、ふっと笑い、「なにがおかしいのよ、うれしいのよ、 それはあんたが」婦人警官は立ち上るなり写真をひったく どんな顔してたかって、それはごくふつうの顔だった、 伸子を殺してから、気がつくと私は三面鏡の前にすわりこり、その見幕にまた一人刑事が入って来て、「じゃ、あな んで、ぼんやり自分の顔をながめていた、鏡の中に伸子のたから事情をきいてみて下さいな、どうも我々では始末に 寝台の端が写っていたのを覚えている。なにしろ一一年三ケ終えませんので」低声でいい、夫の貞三が前にいた。 る て月の子供だもの、殺すといったって別に息もはずまなけれ婦人警官は伸子の写真まとめて去り、「本当にお前がや あお くし をば、汗もかかない、少しは蒼ざめていたかしら。私は、櫛ったのか、ええ ? 」思ったより落着いた声で貞三がいう、 殞で髪をとき、しだいに暮れなずむ部屋の中にすわって、取「そう」「そうってお前」がたびしと殺気立った物音がひび り乱すわけはない、 これが約束事なんだもの、私は伸子をき、貞三は久子につかみかかろうとして、刑事に抱きとめ 殺すために、これまで育ててきたんだもの。私はねずみにられ、久子は貞三を、これはいったい誰なのか、今朝、会 ならなければならなかった、ねずみになって、火攻め水攻社へ送り出すまではたしかにわが夫、しかし眼の前で、低 こごえ
少年は自分を変だと思った事はなかった。変なのは姉の へは進学しなかった。彼は〈ビアノ・・ハ ー〉の仕事と、ジ 由紀のほうだ。一一年前に現地除隊して、ずっと日本に住んャズが気にいっていて、それ以外の事は、なんにも念頭に でいる若いアメリカ人に入れあげて、売上げを片つばしか みつ ら貢いでしまう。おかげで仕入れにも苦労するしまつだ。 ペース弾きの健ちゃんの仲間からもらったトランペット 男のほうは、すっかりヒモ気取りで、毎日ぶらぶら遊び暮を吹きだして三年目になる。小 遣いは全部、レコードとモ らしている。 ダン・ジャズ契茶につぎこんできた。街で女の子を引っか 母親は少年が幼稚園の頃、病気で亡くなっていた。税関けたり、洒落た服を着たり、スポーッカーに夢中になった 吏だった父親は、五年ほど前から精神病院に入院したままりするより、ジャズを聴いているほうが、どれだけ素敵だ だ。高台の住宅地にあった家を売って、港に近い飲食街のかわかりやしない。マイルズ・ディヴィス、ソニー ンズ、ディジー・ガレス。ヒー ーをはじめたのは、姉の由紀の思いっ 一角にスナック・ セロニアス・モンク、それ きだった。 だけじゃない。ディキシーも、ビッグ・・ハンドも、ヴォー 店の名前を〈。ヒアノ・・ハ ー〉という。古いビアノが一台カルも、みんな好きだった。 おいてあって、客が勝手に弾くようになっていた。 「気違いっ子」 近くのホールに出ているべース弾きの健ちゃんという青と同級生たちは、父親の事にかこつけて少年をからかっ 年が、仕事の帰りに毎晩やってきた。仲間を連れてきて、 たが、彼は平気だった。皆からのけものにされても、ちっ さび 好き勝手な演奏をやって遊んで行く。外国船の船員や、キとも淋しくなんかない。健ちゃんは親切に教えてくれるし、 す tJ ャンプのアメリカの兵隊たちの客の中には、なかなか大し〈ビアノ・・ハ ー〉は少年の城だった。凄い美人で、頭のい たミュージシャンもいた。白や、黒や、黄色や、いろんない姉貴もいる。 人種が〈。ヒアノ・・ハ ー〉へやってきた。 店を閉めて、楽器のケースを下げて、海そいの夜の道を 客たちは三つのグループに分れていた。ジャズが好きな歩いている時、少年は何か広い明るい世界へ向って歩いて いるような気がした。あたりは暗く、犬の子一匹いなくて 客と、ウイスキーを飲みにくるのと、姉の由紀を目当ての も、彼は雑踏をぬってステージへ急ぐ人気プレイヤーのよ 連中だ。 店をはじめた時は、由紀が一一十一一歳で、少年はまだ中学うな気分を感じるのだった。 生だった。それから四年、少年は中学を卒業したが、高校その晩、少年が道路から石段を降りて行くと、先客がい しゃれ