社より刊行。九月、連作小説集「 = ロスの妖精たち」を中央公論社五月、第十回参議院議員選挙東京地方区から無所属で立候補を表明。 より刊行。十一月、 = ッセイ、対談、小品集「欣求穢土」を徳間書公害、食糧危機、刑法改正、小選挙区制、靖国法案、戦争責任等に つじ 店より刊行。「野坂昭如リサイタをを日比谷公会堂にて開催。「日ついて″辻説法〃の形で訴える。五木寛之、井上ひさし、永六輔、 うじしゅうい 小沢昭一らが″野坂支持れを表明。結果は五一一万七一一一四票で惜し 本の古典 9 」 ( 河出書房新社 ) 「宇治拾遺物語」の現代語訳を担当。 しゅうねんめおとのそぶし すなえしばりごにちのかいだん 十一一月、「砂絵呪縛後日怪談」で第四回小説現代ゴールデン読者賞くも次点。この間、六月、短篇集「執念夫婦添い節」を講談社より 受賞。杉並区下高井戸に移転。この年「エロ事師たち」が z ・ウェ刊行。七月、短篇集「ああ軟派全落連」を番町書房、八月、エッセ イ集「子噛み孫喰い」を筑摩書房よりそれそれ刊行。「面白半分」臨 ルフによって独訳、ドレメールクノール社より刊行。 昭和四十七年 ( 一九七一 l) 四十一一歳時増刊号「「四畳半襖の下張」裁判証言全記録・その一」を刊行。 とらもん 四月、短篇集「マ リリン・モンロー・ノー・リターン」を文褻春秋また虎ノ門日消ホールにて第一回「事後運動の会」を開く。″四畳 より、限定版「野坂昭如自選作品」を角川書店より刊行。五月、コ半裁判〃は三月十五日の第六回公判には五木寛之、井上ひさしが証 じゅんのすけ まんじ ラム、エッセイ集「野坂昭如雑文の眼」を久保書店、長篇「卍とも言、四月十六日の第七回公判には吉行淳之介、開高健が証言。九月、 え」を講談社より刊行、六月、短篇集「俺はだ」を文ェッセイ集「かさぶた喰いの思想」、十月、対談集「おたがいの思 藝春秋より刊行。雑誌「面白半分」の編集長を七月号から十一一月号想」をそれそれ中央公論社より刊行。ペンクラ・フ理事になる。東京 ふすま わいせつ まで担当。七月号に掲載の「四畳半襖の下張」が猥褻文書配布容疑貶チャンネル「男のスタジオ」の司会を担当。池袋百貨店にて「野 もよ′み、よノ 、せき で摘発される。七月、短篇集「砂絵呪縛後日怪談」を講談社より刊坂昭如 1974 〈妄想の軌跡〉」を開催。渋谷公会堂にてリサイタル 行。猥褻文書配布容疑供述のため、警視庁保安一課へ任意出頭。十開催。ベストドレッサーに推挙される。十一一月、日本武道館にて野 坂昭如、永六輔、小沢昭一とにより「花の御三家大激突 , 開催。ゴ 月、次女亜未生れる。 ールデンアロー話題賞を御三家の一人として受賞。 昭和四十八年 ( 一九七三 ) 四十三歳 昭和五十年 ( 一九七五 ) 四十五歳 一一月、短篇集「浮世一代女」を新潮社より刊行。宮本常一、野坂昭 如監修による「日本の民話」 ( 全巻 ) を角川書店より刊行開始。三一月、「野坂昭如のオフサイド」を「週刊朝日」に連載開始。石 月、エッセイ集「漂泊の思想」を中央公論社より刊行。四月、エッ原慎太郎との対談「闘論」を文藝春秋より刊行。一一月、四畳半裁判 じゅん わらべじゅすい 譜セイ集「修羅の思想」、短篇集「童女入水」を中央公論社より刊行。再開第十回公判に石川淳が証言。五月、長篇「生誕の時を求めて」 はんらよういんがくことはじめ 六月、短篇集「死の器」を読売新聞社より、短篇集「本朝淫学事始」を中央公論社より刊行。五月、神田共立講堂にて野坂昭如、五木寛 年を講談社より刊行。八月、ラグビーを始め、チーム " アドリプ倶楽之、井上ひさしによる春の音楽祭を開催。埼玉県秤根町にてアド 、ゆうそ リプ農業を始める。ェッセイ集「窮鼠の散歩」を朝日新聞社より刊行。 部〃を結成。十一一月、長篇「錬姦作法」を文藝春秋より刊行。レコ うた 六月、「自弔の鐘」を「毎日新聞」に連載開始。「野坂昭如抒情作品 「野坂昭如不浄理の唄」をエレック・レコードより発行。 昭和四十九年 ( 一九七四 ) 四十四歳集」を朝日出版より刊行。七月、「戦争童話集」を中央公論社より しゆら ムじようり うわ れんかん おれ
読物」に発表。十一一月、「とむらい師たち」を「月刊タウン」に発イ集「新戦後派」を毎日新聞社より刊行。四月、長篇「真夜中のマ リア」を新潮社より刊行。五月、短篇集「色即回帰」を講談社より 表。雑文集「道楽のすすめ」を桃源社より刊行。この年より oäン ングの作詞などの仕事をやめ、テレビの司会等をつとめながら小説刊行。六月、長篇「騒動師たち」を光文社より刊行。七月、「現代 長篇文学全集野坂昭如」を講談社より、エッセイ集「洋酒マメ天 を書き続けてゆく決心をする。 ほわがみ 昭和四十ニ年 ( 一九六七 ) 三十七歳国ポーノトビア」をサントリーより刊行。九月、短篇集「骨餓身 」よノげはル」けかす・り こもりうた じゅたい 三月、「プレイボーイの子守唄 , を「婦人公論」に、「受胎旅行」を峠死人葛」を中央公論社より刊行。十月、ニーより「ポ こもりうた ・ポーイ」「松浦の子守唄」を発売、歌手としてデビュー。十二 「オール読物」に発表。七月、「受胎旅行」が第五十七回直木賞候補 作となる。「ゲリラの群れ , を「平凡パンチ」に連載。八月、小説集月、「野坂昭如の本」をベストセラーズより刊行。ェッセイ集 きようもの 「とむらい師たち」を講談社より刊行。九月、「アメリカひじき」を「日本土人の思想」『卑怯者の思想」を中央公論社より刊行。 昭和四十五年 ( 一九七〇 ) 四十歳 「別冊文藝春秋」に、十月、「火垂るの墓」を「オール読物ーに、 「ラ・クンパルシータ」を「別冊小説現代」に発表。短篇集「受胎旅行」一月、野坂昭如監修「犯罪学入門」を勝利出版より刊行。一一月、言 」しゆき 、ようかしょ 論妨害問題で梶山季之ら六名と共に、創価学会系雑誌の執筆を拒否。 を新潮社より刊行。雑文集「男の狂化書」を青春出版より刊行。 昭和四十三年 ( 一九六八 ) 三十八歳野口ジムでキックボクシングを始める。四月、小説集「好色覚え帳』 一月、「アメリカひじき , 「火垂るの墓」の一一作で第五十八回直木賞を新潮社より刊行。五月、渋谷公会堂にて「題のない音楽会」のワ ンマンショー。、、、 ~ / 月説現代新人賞の選考委員を始める。七月、 受賞。「プレイボーイの子守唄ーで第六回婦人公論読者賞受賞。三 月、短篇集「アメリカひじき・火垂るの墓」を文藝春秋より、長篇ェッセイ集「風狂の思想」を中央公論社、長篇「水虫魂」を朝日新 「好色の魂」を新潮社より刊行。四月、新装版「エロ事師たち」を聞社より刊行。九月、短篇集「インポテンツ」を講談社より刊行。 講談社より刊行。六月、短篇集「八方やぶれ」を桃源社より刊行。十月、エッセイ集「風来めがね」を文藝春秋より刊行。 昭和四十六年 ( 一九七一 ) 四十一歳 八月、「週刊朝日」の「アメリカ報告」 ( 九月・三回連載 ) の取材で 一月、現代日本秀作シリーズ「エロ事師たち」を講談社より刊行。 渡米。十月、短篇集「軍歌独歌」を講談社より刊行。「エロ事師た しかばねがわらみすこぐさ 一一月、短篇集「死屍河原水子草」を文藝春秋より刊行。三月、エッ ち」の英訳が「 Pornographer 」 ( マイケル・ギャラガー訳 ) として、 うた セイ集「野坂昭如・戯れ唄道中」を日本交通公社より刊行。四月、 アメリカのクノップ社より刊行。 ・ノー・リターン , 発売。 昭和四十四年 ( 一九六九 ) 三十九歳三枚目のレコード「マリリン・モンロー のまひろし 一月、大学紛争中、野間宏等六十名と共に″国家権力の秩序から東テレビ「遠くへ行きたいーに月一回出演。五月、エッセイ集「エロ トビア①」を文藝春秋より刊行。六月、新装版「騒動師たち」を講 大の解放を“という、全共闘支持を表明、自ら「心情三派」と称し みすむしだましい て全国の大学で講演。一一月、「水虫魂」を「週刊朝日」に連載 ( 必回 ) 。談社より刊行。七月、五木寛之との対談集「対論」を講談社より刊 ろくすけ 行。八月、「エロトビア②」を文藝春秋、長篇「てろてろ」を新潮 三月、寺山修司・永六輔・野末陳平との共著による語り下しェッセ
刊行。八月、エッセイ集ズ不安者》の予言」を文藝春秋より刊行。 レコード「絶唱野坂昭如」をコロンビア・レコードより発売。九 月、エッセイ、講演、対談などを集めた「売舌流転」を現代史研 究会より刊行。短篇集「ぼくの余罪」を筑摩書房より刊行。十月、 ヨーロツ。ハへ三週間の取材旅行。十一月、四畳半裁判第十一一回公判 で、田村隆一、有吉佐和子が証言。ェッセイ集「行動と妄想」を筑 摩書房より刊行。 ( 村上玄一編 )
か「げんれい 昭和四十七年 ( 一九七一 l) 四十歳 一月、「戒厳令の夜ーを「小説新潮ーに連載開始。「深夜草紙」を 一月、「わが心のスペイン」を晶文社より刊行。「優しい人びと」を「週刊朝日」に連載開始。「青春の門・筑豊篇ー東宝より映画化 ( 監 「小説新潮」に発表。一一月、「わが憎しみのイカルス」 ( のちに「わが督・浦山桐郎 ) 。一一月、「白夜草紙」を文藝春秋より刊行。三月、南 憎しみのイカロス」と改題 ) を「小説現代」に、「スタジオ番外地ー米チリへ旅行。七月、「深夜美術館ーを「小説現代」に連載 ( 3 回 ) 。 を「オール読物」に、「グラスの舟」を「週刊小説」に発表。三月、 八月、五木寛之作品集月報に連載の「異国の街角で」を文藝春秋よ 「夜のシン・ハル」を「別冊小説現代ーに発表。四月、いっさいの執筆り刊行 ( 非売品 ) 。九月、「旅の幻燈」を「日本経済新聞」に連載開 活動をやめ休筆に入ゑ五月、「鳩を撃つ」を新潮社より刊行。六月、始。松水伍一との紀行対談「日本への逆回帰・帰りなんいざ : : : 」 京都へ転居。七月、「青春の門・自立篇・下」を講談社より刊行。八を講談社より刊行。 月、「五木寛之作品集」の取材のため北欧へ旅立つ。九月、「わが憎 ( この年譜は、文藝春秋「五木寛之作品集」収録の「略年謙巴及び しみのイカロス」を文藝春秋より刊行。十月、「五木寛之作品集」「ワークリスト」を参照し編集部で作製、著者の校閲を得ました。 ) ( 全一一十四巻 ) 刊行始まる。十一月、エッセイ集「地図のない旅」を 講談社より刊行。十一一月、「朱鷺の墓・愛怨の章」を新潮社より刊 行。この年、「ヘアビン・サーカスー東宝より映画化 ( 監督・西村 潔 ) 、「にっぽん三銃士」東宝より映画化 ( 監督・岡本喜八 ) 。 昭和四十八年 ( 一九七三 ) 四十一歳 六月、長篇「変奏曲」を新潮社より刊行。月刊誌「面白半分ーの編 集長を六月号から十一一月号までっとめる。七月、ユーモア小説「に っ・ほん退屈党」を文藝春秋、「夜のドンキホーテ」を河出書房新社よ り刊行。八月、対論集「箱舟の去ったあと」を講談社、九月「青春 の門・放浪篇・上」を講談社より刊行。 昭和四十九年 ( 一九七四 ) 四十一一歳 ムすましたばり 譜一一月、京都から再び横浜へ転居。三月十六日、〈四畳半襖の下張裁 判〉第六回公判に弁護側証人として出廷。六月、リチャード・ 年ク「かもめのジョナサン」を翻訳、新潮社より刊行。八月、「青春 の門・放浪篇・下」を講談社より刊行。九月、作品集の完結と同時 に執筆再開。「喇」を「朝日新聞、に連載 ( 翌年七月完結 ) 。 昭和五十年 ( 一九七五 ) 四十三歳 やさ
月の朝に」を「小説現代」に発表。「ヒットラーの遺産」を光文社よ部」に連載 ( 翌年三月完結 ) 。六月、「奇妙な果実」を「オール読 らつば り刊行。ェッセイ「現代青春のなかの頽廃ーを「展望ーに発表。キン物ーに、七月、「帝国陸軍喇叭集」を「問題小説」に発表。「につ。ほ グレコードより作詞「鳩のいない村」を発表、同年の日本作詞大賞ん漂流」を文藝春秋より刊行。九月、「ヘアビン・サーカス」を「小 ( 第三回 ) 「作品賞」を受賞。八月、「望郷七月歌」を「小説セプン」説現代ーに、「フルーディ・プルース」を「小説セプン」に発表。 えん に、「われらはうたへど」を「オール読物」に発表。九月、「デラシ「五木寛之の本」をベストセラーズより刊行。十月、「実録・怨 ネの夜の終りに」 ( のちに「根の国紀行」↓「津軽漂流記」と改題 ) 歌の誕生」 ( のちに「怨歌の誕生」と改題 ) を「オール読物 , に、十 を学研「現代日本の文学⑩」に発表。長篇「テラシネの旗」を文藝一月、「ポンジョールノ野郎」を「小説現代」に発表。作品集「こが 春秋より刊行。十月、金沢から横浜へ転居。「暗いはしけ」を「小 ね虫たちの夜」を河出書房新社、「青春の門・筑豊篇・上下」を講談社 うらなだ びやくや 説現代 , に発表。長篇「内灘夫人」を新潮社、現代長篇文学全集より刊行。十一一月、北欧小説集「白夜物語』を角川書店、長篇「樹 「五木寛之集」を講談社より刊行。十一月、「自由をわれらに」を氷」を文藝春秋より刊行。 「小説エース , に発表。ェッセイ「デラシネ草紙」を「 z 0 」に 昭和四十六年 ( 一九七一 ) 三十九歳 連載 ( 翌年十一一月完結 ) 。十一一月、「文学者と物書き」を「文学界」 一月、「夜の世界ーを「オール読物」に発表。「白夜草紙 , を「文藝 に発表。長篇「朱鷺の墓・空笛の章」を新潮社より刊行。 春秋」に連載 ( 十一一月完結 ) 。一一月、「を撃つ」を「小説現代ーに、 昭和四十五年 ( 一九七〇 ) 三十八歳「イエスタディ」を「小説新潮」に発表。三月、「五木寛之の真夜中 一月、「聖者が街へやってきた」を「別冊文藝春秋」に、「モルダウ対談」を「週刊読売」に連載 ( 九月完結 ) 。ェッセイ「魔女伝説」 の重き流れに」を「週刊朝日カラー別冊ーに、「ダブル・クラッチ」を季刊誌「 zo* 」に連載 ( 翌年三月完結 ) 。四月、「朱鷺の墓・風花 を「オール読物 . に発表。野坂昭如との「対論」を「話の特集ーにの章」を新潮社、対談集「白夜の季節の思想と行動」を冬樹社より刊 びとみ 連載 ( 十一一月完結 ) 。一一月、「夜明けのラグタイム」を「小説現代」行。五月、「狼の瞳の奥に」を「小説現代」に発表。六月、「浅の川 に発表。日記「作家のノート」 ( のち「作家の日記」と改題 ) を「週暮色」を「小説新潮」に、「府への使者 . を「オール読物 [ に発 刊読書人ーに連載 ( 翌年三月完結 ) 。三月、「プラ ( の春とおく」表。七月、長篇「にっぽん三銃士上・下」を新潮社、「対論野坂昭 を「小説セプン」に発表。「につぼん退屈党 . を「週刊文春」に連如 x 五木寛之」を講談社、「四月の海賊たち」を文藝春秋より刊行。 載 ( 十月完結 ) 。作品集「涙の河をふり返れ」を文藝春秋より刊行。八月、「ユ = コーンの旅 , を「オール読物ーに発表、エッセイ集「ゴ 四月、「夜のドンキホ・ーテ」を「小説新潮」に発表、エッセイ「ゴキプリの歌」を毎日新聞社より刊行。十月、「東京より愛をこめて」 おおかみ キプリの歌」を「毎日新聞日曜版」に連載 ( 翌年三月完結 ) 。「狼のを「小説現代」に発表。「ヒットラーの遺産」を講談社より刊行。 かいぞく プルース」を講談社より刊行。五月、「四月の海賊たち」を「小説十一月、長篇「青春の門・自立篇・上」 ( 立志篇の改題 ) を講談社よ かたすみ びつぎ 現代」に発表、エッセイ「ある日日本の片隅で」を「小説セプり刊行。「風の柩」を「小説新潮」に発表。十一一月、『五木寛之真 ン」に連載 ( 九月完結 ) 。ェッセイ「地図のない旅ーを「婦人倶楽夜中対談」、小説集『ュニコーンの旅」を文藝春秋より刊行。 はと
月、「白夜のオルフこを「小説現代」、十一月、「・フルース」を ール読物ーに発表。「男だけの世界ーを「中央公論」に連載 ( 六月完 えんか 「オール読物」、十一一月、「艶歌」を「小説現代」に発表。 結 ) 。四月、「第三演出室ーを「オール読物」、「ヴァイキングの祭り」 昭和四十ニ年 ( 一九六七 ) 三十五歳を「小説現代」に発表。「朱鷺の墓ーを「婦人画報、に連載 ( 四十七 あお 一月、「蒼ざめた馬を見よ」を「別冊文藝春秋」に発表。「蒼ざめた年三月休筆のため中断 ) 。中篇集「幻の女」を文藝春秋より刊行。 馬を見よ」で第五十六回直木賞を受賞。処女作品集「さらばモスク六月、エッセイ「幻想の城」を「小説セプン」に連載。七月、エッ とむら セイ集「風に吹かれて」を読売新聞社、長篇「裸の町」を文藝春秋 ワ愚連隊」を講談社より刊行。一一月、「弔いの・ハラード」を「オール おそ 読物ーに、三月、「霧のカレリア」を「小説現代」、「夏の怖れーをより刊行。「野火子 . を「女性セプン」に連載 ( 十二月完結 ) 。八 おんねん おおかみ 「小説新潮」、「赤い広場の女」を「」に発表。「狼のプルース」を月、「深く暗い海ーを「小説現代」に、「怨念コマソン館」を「オー うちなだ 「スポーツニッポン」に連載 ( 九月完結 ) 。「青年は荒野をめざす」 ル読物」に発表。「内灘夫人」を新聞三社連合に連載 ( 翌年五月完 を「平凡パンチ」に連載 ( 十月完結 ) 。四月、「天使の墓場」を当別結 ) 。九月、長篇「恋歌」を講談社より刊行。十月、「デラシネの旗」 すてき 冊文藝春秋」、「海を見ていたジョニー」を「小説現代」に、「素敵なを「別冊文藝春秋」、「聖者昇天」 ( のちに「ソフィアの秋」と改題 ) きようはく 脅迫者の肖像」を「別冊小説現代」に発表。ェッセイ「風に吹かれを「文藝春秋」に、「人情プラウン管」を「小説現代ーに発表。長 て」を「週刊読売」に連載 ( 翌年三月完結 ) 。作品集「蒼ざめた馬を篇「男だけの世界」を中央公論社より刊行。「樹氷」を「スキージ ャーナル」に連載 ( 四十五年四月完結 ) 。十一月、「暑い長い夏ーを 見よ」を文藝春駄より刊行。五月、「盗作狩り」を「オール読物」 カぎよう に、六月、「 oä稼業」を「小説新潮」に、七月、「の世界」を「別「ポケットパンチ。 ! 」に発表。十一一月、「幻の秘密兵器」 ( のち 冊文藝春秋」に、「私刑の夏」を「小説現代ーに発表。作品集「海に「ヒットラーの遺産」と改題 ) を「小説宝石」に発表。紀行「故 を見ていたジョニー」を講談社より刊行。八月、「黄金時代」を「新郷に女ありて」を「小説セプン」に連載 ( 四十五年四月完結 ) 。 三十七歳 昭和四十四年 ( 一九六七 ) 潮」に、九月、「幻の女ーを「オール読物」に発表。「裸の町」を 「週刊文春」に連載 ( 翌年四月完結 ) 。十月、「恋歌」を「新聞七社一月、「・ハルカンの星の下に」を「小説新潮」に、「ローマ午前零時」 連合」に連載 ( 翌年五月完結 ) 。「星のザール . を「小説現代」を「小説現代 , に発表。一一月、「こがね虫たちの夜」を「オール読 に、「美しきスオミの夏に」を「文藝春秋」に、十一一月、「白夜の終物ーに発表。三月、紀行ェッセイ「につ。ほん漂流」を「文藝春秋 , 譜 り」を「小説新潮」に発表。長篇「青年は荒野をめざす」を文蟄春に連載 ( 十一一月完結 ) 。四月、「スペインの墓標」を「小説現代」に 秋より刊行。この年、「さらばモスクワ愚連隊」東宝より映画化発表。「につ・ほん三銃士」を「読売新聞」に連載 ( 翌年八月完結 ) 。 年 ( 監督・堀川弘通 ) 。「ーーわが命の唄」日活より映画化 ( 監督・六月、「双面のヤヌス、を「小説新潮」に発表。「青春の門」を「週 刊現代ーに連載 ( 筑豊篇四十五年四月完、立志篇四十五年五月 ~ 四 舛田利雄 ) 。 三十六歳十六年五月、放浪篇四十六年九月 ~ 四十七年三月休筆のため中断 ) 。 昭和四十三年 ( 一九六八 ) ぎんこく 一月、「夜の斧」を「別冊文藝春秋」に、「涙の河をふり返れ」を「オ海外小説集「ソフィアの秋」を講談社より刊行。七月、「残酷な五 うた
三十一一歳 昭和三十七年 ( 一九六一 I) 一一十五歳 昭和三十年 ( 一九五五 ) 四月から五月、父相如の参議員補欠選挙の応援。父は落選。義母の八月、コラム集「現代野郎入門」を久保書店より処女出版。九月、 製」・ - っ・フ しゃふ 援助で上京。知人の紹介で写譜屋をはじめる。暮、三木鶏郎音楽事野坂昭如編集「プレイボーイ入門」を荒地出版より刊行、ベストセ ラーとなる。黒メガネのプレイボーイとしてマスコミに登場。十一 務所の事務員となる。 一一十六歳月、日本テレビ「春夏秋冬」で「女は人類ではない」と発言、反撃 昭和三十一年 ( 一九五六 ) まっせき 三月、授業料納入を停止、早大仏文科を抹籍処分となる。四月、音を受ける。十一一月一一十一日、ホテル・オークラで宝塚の藍葉子 ( 本 ようこ まるやさいいち ばいしやく 楽事務所が有限会社「冗談工房 , となり、マネージャーとなる。十名・野村暘子 ) と結婚。媒酌人は丸谷才一夫妻。 ムな くび 三十三歳 昭和三十八年 ( 一九六 = l) 一月、経理不訓れで馘になる。 八月、水口義朗のすすめで小説を書き始める。十一月、「エロ事師 昭和三十ニ年 ( 一九五七 ) 一一十七歳 十月、「工房 , の責任者となる。このころ阿木由起夫の。ヘンネたち」を「小説中央公論ー ( ~ 十一一月号 ) に連載。十一一月、童謡「お もちゃのチャチャチャ」で、レコード大賞作詞賞受賞。 ームでさかんにコントを書く。 三十四歳 昭和三十九年 ( 一九六四 ) 一一十八歳 昭和三十三年 ( 一九五八 ) 小説の注文はほとんどなく、もつばら雑文を書く。「小説現代」「月 五月、いずみたくと組んで、ソングをつくる。三十一一年から三 ・ビンク」「カシミャタッチの歌」等約刊マン ( ント」のカラーセクション、「婦人公論ーの映画評、野末 十四年にかけて、「セクシー 陳平と共同担当で「週刊サンケイ」のコラム「笑いまショー 三百五十曲以上を作詞する。 一一十九歳サヒ芸能ーの連続インタビ = ーなどを担当。一一月、野坂昭如編集 昭和三十四年 ( 一九五九 ) 三月、「ニッケ・ミ、ージカル・テザイン」「ヤマ ( ・タイム」等の「いじわる読本」を新書館より刊行。五月、長女麻央出生。 三十五歳 昭和四十年 ( 一九六五 ) テレビ台本を書く。春、クロード野坂の芸名で「銀巴里」でシャン ソンを歌う。三木鶏郎と縁を切り、月にラジオ十八本、テレビ六本この年もコラム、ルボ、雑文等を書く。十一一月、雑文集「弱者の悪 知恵」を青春出版より刊行。 のレギュラー番組を担当。 三十六歳 昭和四十一年 ( 一九六六 ) 三十歳 昭和三十五年 ( 一九六〇 ) 譜五月、新宿松竹文化演芸場で野末陳平と″ワセダ中退落第れの名で三月、初の長篇小説「エロ事師たち」を講談社より刊行。今村昌平 漫才をやる。放送作家の危機を感じ、タレント、ファッション監督により「人類学入門」として映画化。五月、ホテル・ニ = ーオ ータニで「エロ事師たち」の出版記念会。六月、「ああ水銀大軟膏」 年モデルなどをやるも失敗。 三十一歳を「小説現代」に発表。九月、雑文集「わるい本」を芳賀書店、「立 昭和三十六年 ( 一九六一 ) 菊一月、「週刊公論、に野末陳平と 0 ンビで 0 ラムを担当。以後、「週ち読み厳禁の書」を青春出版より刊行。十月、雑文集「いじわる紳 士」を講談社より刊行。十一月、「マッチ売りの少女ーを「オール 刊現代」「週刊サンケイ」等にコラムや雑文を書きまくる。 らんべい あぎゅ、お パリ だいなんこう
づッ ゲ経ゅ のをて 説夜 = = 。上 、の筆来 ル令加出 ん 9 当 「ロ ・内キ ? ゲー >... 小ス岔劈・第 当あー 昭和 49 年文春 アニス大会にて ま勢个み しー 1 ぐめ呈 体業・物のカレリア 作聞業 4 第二出室 亠一一作品集ーソフィアの秋 作集・の河よりきれ 作集 , 内大人 こ . ーー風に疾て 作品集 , 墨んダウのきれ、 体集第青の月 - 」ー集”与ト - , 、・の造務 作集物歌 物体品業複の町 - 一 : ~ 作第私の夏 - 件気物製のアルーース 件翌集第ー第 件集わき一コーーンの 作集物につ第戸な「二トゞ ) 作忍第物いうにん三ト・、 ~ 件第強りのを 第一ない & 第“ー伝 4 イ和年加月 = 000 年 0 月 0 0 藝春秋 = 0 刊行 0 。五木 之作品集 ( 全 24 巻 )
秋山駿 たぶん、その異色さにおいて今後数十年を生き延び るに違いない作品、『エロ事師たち』によって、野坂昭 如が文学界に星のように登場したのは、昭和三十八 年末、彼が三十三歳の時だった。 この小説が、最初「ト説中央公論」に発表されたと しゅんのすけ き、三島由紀夫と吉行淳之介の二人が激賞したという。 才能という、人が自分の内部に無意識に持っている芸 術的な資質の、発見とか判定において、この二人ほど 眼利きの鑑定家はいない 」説という、ちょっと造 紙幣を造る作業によく似た行為の裏の裏にまで精通し ている、二人のお師匠さんの厳しい眼識に捉えられた のは、この作品にとって決定的なことであった。 しかし、だがそれでは、一片の処女作によって自己 を強烈に印象づける、そのほとんど幸運と言っていし 出発によって、この作品が彼に名誉をもたらし、その 後彼は小説家として幸運な道を歩んだのか、と言うと、 世間は面白いものである。彼は得な道、小説家に 昭和四十九年 ( 撮影・山本和夫 ) とって有利な道ばかりを歩いた訳ではなかった。時に 評伝的解説 とら 480
と彼は考えた。速見部落で別れる時、五条はきいた。 と、彼は自分に言いきかせた。だが、その天気の変りよ 「教えてください、一体あなたは私の仮説の上に、またどうは、異常なほどに早かった。風は一方からだけでなく、 前後左右から激しく吹き出した。 んな仮説をつけ加えたんです ? 」 「それは言えない」 粉雪が横に走りだした。雪煙が不意に足もとで起こり、 と黒木は答えた。「そいつを言うと、あなたはまた奥さ体を包む。視界がさえぎられた。ヌクビガ原はもう一時間 んを忘れて面倒な仕事をやりたくなるかも知れませんから前のそれではなくなっていた。 〈後退すべきだ。天気はまたすぐに変るだろう〉 今になってみると、それを教えなくてよかった、と黒木黒木は足跡をたどって、夏道の方へもどりはじめた。さ ためいき は思う。言えば彼は必ず黒木に、ヌクビガ原への同行を迫きほどの・フナの林までたどりつくと、彼は思わず溜息をつ ったに違いなかった。 黒木はヌクビガ原の北端に立って、さまざまな回想にふ いわかげせつどう けっていた。時間にすれば十五分足らずの短い回想だった 一時間後に、黒木は更に後退し、夏道寄りの岩蔭に雪洞 ムぶき が、彼はその間、目に見えぬものを見ていた。 を掘って坐っていた。外はすでに吹雪になっていた。黒木 す、ねら そのわずかの隙を狙っていたように、天候が急変したのは雪洞の中で、冬眠する動物のように身動きもせずうずく まっていた。 だった。気がついた時には、もうさっきまで陽に輝いてい プラック・エンジェル た白羊の山頂が、すっかり雲におおわれていた。東斜面は、彼はあの晩、黒い天使の機体の中で、生徒たちと抱き 暗い無気味な傾斜の相を見せはじめていた。足もとを、す合って寝た事を思い出していた。 うめ 、ようこ っと北西の風が吹き抜けたかと思うと、たちまち雪になっ 呻いていた谷杏子。。ハラシュートにくるまって眠ってい やまはだ た。白い雪煙が白羊山の山肌を駆け抜けて行く。 た白井。イヤホーンで携帯ラジオを聞いていた江森。大男 の〈しまった〉 の花村と、小柄な木島。 天と、黒木は舌打ちした。それから、リ、ツクを揺すりあ〈あの時は、おれは独りじゃなかった〉 デラック・エンジェル げると、勢いよくヌクビガ原の中央をめざして突っ込んで と彼は思った。だが、〈あの黒い天使の標識を見た時か 行った。中央部まで、約一・五キロあまりのコースである。ら、すべてが悪い方へ滑り落ちていったような気がする〉 〈一一度と同じ失敗をくり返すんじゃないそ〉 黒木はリュックサックを開け、中から大型の厚いノート