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検索対象: 現代日本の文学Ⅱ-10 五木寛之 野坂昭如集
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1. 現代日本の文学Ⅱ-10 五木寛之 野坂昭如集

昭和 9 年 ( 1 歳半 ) 朝鮮にて。母と 上中昭和 9 年 ( 2 歳 ) 朝鮮全羅南道某 市にて。母カシェは小学校の教師だった て二左 わ三左 田年 ら年 舎の昭 。昭 を頃和 受ア和 験ル わ紙十 っ芝し九 強イ / て年 をト年 続の た持大 けか高 るた校 昭和 11 年 ( 5 歳 ) 朝鮮論山にて 上昭和二十五年高校二年の時。 当時はテニス部に所属していた 昭和 30 年大 学 3 年の夏金 沢旅行中に 昭和 28 年春戸塚の下宿で

2. 現代日本の文学Ⅱ-10 五木寛之 野坂昭如集

昭和四十九年十月日活映画「バー プルース」出演の時、秋吉久美子 ( 左 ) と 上昭和四十九年十一月四日 学習院で歌う御三家″。左よ ろくすけ り永六輔、昭ロ、小沢昭一 昭和五十年右より昭ロ、 みわあきひろ 戸川昌子、美輪明宏 昭和四十九年度のベスト ・ドレッサーに選ばれる で催 館毒 1 , ′ 年タ 和サ 三 = 三 三一三三三三 昭和 50 年 1 月 30 日 49 年度「ゴールデン ・アロー大衆賞」を、、御三家〃として受 賞。左より五木寛之 , 高橋圭三 , 昭如

3. 現代日本の文学Ⅱ-10 五木寛之 野坂昭如集

昭和 45 年 9 月家族でヨーロッパ 旅行を楽しむ。長女麻央と 左昭和 46 年キックボクシングの槽古 昭和 47 年東洋英和女学院で 自宅書斎にて執筆中 昭和 47 年 自宅庭で愛大サラと 昭和 48 年 昭和 49 年 3 月リコ—OB とのラグビー戦で大活躍

4. 現代日本の文学Ⅱ-10 五木寛之 野坂昭如集

昭和四十二年生年月日が 同しの石原慎太郎 ( 左 ) と 昭和四十二年十月 文藝春秋講演会で 昭和四十三年 文士劇に出演 蟲狐臨 右昭和四十三年夏ソ フィアの古い教会の前で 左昭和四十四年 昭和四十四年「石の会」メ 卩ー日ー月ーを ーと金沢城石川 て。左より桂英澄、高橋昌男、 山田力、佃実夫、色川武大、 有馬頼義、寛之、高井有一、 早乙女貢、福井馨、黒須重彦

5. 現代日本の文学Ⅱ-10 五木寛之 野坂昭如集

昭和 42 年取材でストリップ劇場を訪れる ちくほう 昭和 43 年筑豊の炭鉱を訪れる 昭和 43 年 1 月 27 日酔 きようれんかんまい 狂連の寒詣りで銀座へ 昭和四十三年一月ラブミー 農場へ深沢七郎 ( 左 ) を訪れる

6. 現代日本の文学Ⅱ-10 五木寛之 野坂昭如集

第意Ⅱ 昭和四十一一年直木賞受賞。ハーティ で。芥川賞受賞の丸山健二 ( 左 ) と 昭和 42 年夏金沢自宅前にて 昭和 42 年 2 月金沢を訪れた浅見淵を囲ん で。左より寛之 , 浅見 , 高井有一 , 高橋昌男 昭和 42 年金沢城内にて 右 42 年夏四谷「マロウド」にて あきゅきたちはらまさあき 左より野坂昭如 , 立原正秋 , 寛之

7. 現代日本の文学Ⅱ-10 五木寛之 野坂昭如集

した。妹恵子との悲惨な生活が始まる。八月、疎開先の福井県春江 の知人を頼り、そこで終戦。恵子栄養失調のため死亡。 昭和ニ十一年 ( 一九四六 ) 十六歳 もりぐち 一月、養父の兄を頼り、大阪府守口市に行き、大阪市立中学校へ転 、よ・フか おださくのすけ 校。正岡子規、泉鏡花、久保田万太郎、織田作之助等を読みあさる。 昭和ニ十ニ年 ( 一九四七 ) 十七歳 昭和五年 ( 一九三〇 ) 三月、三高を受験して失敗、大阪市立中学校を四年修了後退学。 すけゅ、 しようちゅう 十月十日、神奈川県鎌倉郡鎌倉町小町三〇五番地に、父相如、母ヌ クダン焼酌の運び屋、インチキ新聞の広告取りなどをしながら自 しんせ、 イの次男として生れる。父相如はのちの新潟県副知事、随筆家。母活。十月、祖母が死亡したため、東京・目黒区の養母の親戚を頼っ ひだ ヌイは昭如を産んで三か月後、産後の肥立ちが悪く死亡。昭如は神て上京。十一月、窃盗のため摩少年院東京出張所へ入所。十一一月、 はりまや 戸市の実業家、張満谷善三家の養子となる。 新潟の実父相如に引取られ、野坂姓にもどる。 昭和十一年 ( 一九三六 ) 昭和ニ十三年 ( 一九四八 ) 十八歳 なだなかごうまち 十一月、学校区を考え、永手町から、神戸市灘区中郷町三丁目八番四月、新潟高等学校文科乙類に入学。 地へ引越す。 昭和ニ十四年 ( 一九四九 ) 十九歳 昭和十ニ年 ( 一九三七 ) 七歳四月、学制変更により、新潟大学人文学部新発田分校に入学。三日 四月、神戸市立成徳小学校へ入学。級長や副級長をつとめる。 後に退学届を出す。 十一歳 昭和十六年 ( 一九四一 ) 昭和ニ十五年 ( 一九五〇 ) 一一十歳 四月、張満谷家に養女紀久子来る。十一月、紀久子急性腸炎で死亡。四月、早稲田大学第一文学部仏文科に入学。学業に身が入らず、大 この年、戸籍抄本により、はじめて養子であることを知る。 洗い、薪割り、土方、売血、偽製造販売、中古服行商、知能 昭和十八年 ( 一九四三 ) 十三歳検査指導、パチンコ必中器製作販売、不動産営業部員、ゴミ箱販売、 三月、成徳小学校を卒業。四月、神戸第一中学校へ入学。秋、出征 引っ越し請負業等をやりながら自活。 兵士守宅の農家に動員。 昭和ニ十八年 ( 一九五三 ) 一一十三歳 昭和十九年 ( 一九四四 ) 十四歳春、一一年半維持した池袋の事務所を夜逃けする。秋、タクシーの乗 三月、一一人目の養女恵子来る。このころまでに春陽堂「明治大正文り逃げをして自首、新潟へ戻る。 そうせ、 学全集」や岩波「漱石全集」を読む文学少年であった。 昭和一一十九年 ( 一九五四 ) 一一十四歳 昭和ニ十年 ( 一九四五 ) 十五歳夏、アルコール中毒治療のため、新潟大学附属病院精神科に入院。 六月五日、神戸大空襲によって、養父母は死亡、中郷町の家は焼失退院後、新潟市近郊の大栄寺に入門。 野坂昭如略年譜 せいとく せっとう しばた

8. 現代日本の文学Ⅱ-10 五木寛之 野坂昭如集

昭和 49 年 3 月 15 日、、四畳半裁判″ 第 6 回公判で証言に立つ右より井上 ひさし , 五木寛之 , 昭如 , 丸谷才一 昭和 49 年第 10 回参議院議員選 挙に東京都地方区から立候補 事第運重わ 上参議院議員選挙街頭演説 左より井上ひさし、黒田征太 郎、昭如、菅原文太、殿山泰司 主催野調 昭和 49 年 8 月 15 日 , 日消ホールで第 1 回、、事後 運動の会″を開催。のち , 各地でつづけられた 右昭和 49 年 7 月 7 日参議院 議員選挙投票日に。暘子夫人と

9. 現代日本の文学Ⅱ-10 五木寛之 野坂昭如集

左昭和 16 年養子に 来た妹紀久子と。紀久 子はこの年 11 月に死亡 = 、日物 昭和 20 年 6 月 5 日神戸地区は大空襲に 見舞われた。一帯は焼土と化し , 昭如は 養父母を失い , 妹恵子との悲惨な生活が 始まる。この大空襲が昭如の人生を大き く変え , 野坂文学の原点となった。写真 上神戸市元町右上三ノ宮駅付近 昭如が通った当時の神戸中学校 昭和 22 年 , 当時新潟県副知事の実父野 すけゆき 坂相如に引取られ , 野坂姓にもどる。 写真は昭和 23 年新潟高等学校在学当時

10. 現代日本の文学Ⅱ-10 五木寛之 野坂昭如集

(,iBER 昭和 48 年 2 月三木卓芥川賞受賞パ ーティで早大露文科横田瑞穂教授を 囲む同門の作家たち。左より宮原昭 りかいせい 夫 , 三木卓 , 横田教授 , 寛之 , 李恢成 さんろく 昭和 48 年浅間山麓にて ( 撮影・高梨豊 ) 昭和 47 年 8 月 サン・ミシェル広場にて