めらやくらや よくろ ムすま 袋なども押入れの襖の上に下がっていた。床の間の方に片誰か来てそれを滅茶苦茶にぶちこわして行くの。何度もそ けんにはもう辛抱する力が無くなっ よせて、やわらかい清潔な寝床が敷きのべられ、げんは派んな目に会ううちに、・ だてま、 ゆかた たの。げん、泣いたわ。でも、げんは誠心をつくることを 手な縞模様の浴衣に赤い伊達巻を結んだくつろいだ姿で、 あきら すわ 一日中その上に横たわったり、坐ったりしていた。腰を病諦めた代りに別な一つの決心をもったの。それはね、どん そば な男の人をも愛すまいということなの。その力も資格も無 んでいたのだった。傍へよるとプンと香水の匂いがした。 げんは疲れたのか両足を前に投げ出し、片手を器用に動いのにあるようなふりをするのは、いけよい、恐ろしいこ かしてその上に軽い毛布をかぶせた。いつも友一の前では とですものね。げんは道端の石塊みたいに出来るだけ沢山 ほお 行儀を正しくしていたのだ。頬や首筋の白いふくやかな肉の人に踏まれたいの。踏まれて来たの。そうしてる間にげ づきが、近眼で見ると、もうそれだけでほかの希みが消えんの苦しみも悲しみも霧のようにうすいものになり、舞い ほこり うせてしまうほどの、満ち足りた、滾々とした美しさを溢上る埃や雲や樹や草や、そんなものと同じに、何の感じも 無い、ただ呆とした、だけど幸福って言えば言えるような れさせていた。 す、ま 「あのう、ね」 おかしい気持が湧いて来たの。朝、戸や障子の隙間から太 しま 友一はポツリと言った。 陽の光がさしこむわね。そしてその光の縞の中には何千っ だれ 「家で言ってたよ。 げんちゃんは、誰かたった一人のていう細かい埃が浮いて踊ってるでしよう。げんは、自分 からだ がその埃だと思うの。身軽い、ひろびろとした、はかな、 親切な優しい心の人に世話してもらえば、身体も丈夫にな しあわせ 気持 ! 人に踏まれた石塊が段々土の中に埋って、し ってもっと幸福になれるんだって : : : 」 「そんなこと : : : 」 まいには見えなくなるように、げんももう長生き出来ない げんは低い声で笑った。 と思うの。長過ぎも短か過ぎもしない。でも、げんは誰か 「世話しようって言う人は沢山あったの。だけど断わっち一人の人に『さよなら』だけ言っていきたかったの。 まごころささ やった。一人の人に仕えればその人だけに誠心を捧げなけその人がめつかって嬉しいと思うわ」 ればならないでしよう。げんにはその大切なものが無いの。友一はげんの言葉をまとまった一つの考えとして受取る ことが出来なかった。けれども、げんが吐くタ焼空のよう 誠心って、生れた時からあるもんじゃないわ。人が気長に かな 辛抱して少しずつ育て上げて行くものなの。げんもそれをに哀しく美しい真実の気が室に満ち始めると、酔ったよう あえ やったわ。だけど、少しそれらしい形のものが出来ると、 にボウと顔を上気させて、切なく喘いだ。 こんこん にお のぞ うれ いしころ
くー に包まれて運ばれました。すると鶏かけて来て、土の上に話」を聞かされて、ガンと打ちのめされてしまい、釘抜き はらわた 四こぼれている、血・肉・腸、食べました。鶏の間に争い起で挾まれたように、身動きもならず、ロをポカンと開け、 りました。死んだ百姓さん知りません : 目の縁をちちかませて、フランソワ先生の顔面の動きをヒ みなさん恐ろしいですか。しかし、もっともっと恐ろしタと凝視するばかりだった。 いことがあります。それ何でしようか。エス・キリストを子供等のこうした自失状態は、フランソワ先生の深く満 知らない人、もっともっと恐ろしい。なぜでしようか。私、足する所だった。で、勇躍して、長い十本の指をさまざま たた 教えましようね。エス・キリストはこの世の救い主、神のにくねらせ、性格的に執拗な表情を湛えながら、地獄の描 愛し子、一番気高い、一番尊い方です。キリストは私共の写をつづけていった。 罪あがなうために、十字架に上られました。しかしキリス 「また、地獄のほかの苦しみ、何でしようか。人、二本の トは死にません。またこの世の中にお下りになります。キ足で立っています。その足、溶けて一本になりました。そ リストがそれ私共に約束なさいました。そうして、その日して固い樹になりました。その人、動くこと出来ません。 は近い その人、苦しいので、両手をあげてもがきました。すると、 キリストがまた現われた時、キリストを信じない愚かなその手、曲った枝になりました。その人の目・耳・ロ、木 かくしどころ 人々どうなりますか。恐ろしい地獄に堕ちます。暗い、さの節穴になり、その人の乳・鼻・局所、木の瘤になりま むい、ひもじい、苦しい地獄 ! そこには、首の無い人、した。また、その人の十本の指、細い枝になり、髪の毛、 たくさん歩いています。首無くて、どうして歩きますか。木の葉になりました。悪い子供、その枝を折ります。悪い その人々、提灯もっています。その提灯、自分の首でした。大人、その幹を斧で切りました。悪い禿鷹、その節穴つつ 首の提灯から血流れて、二つの目、閉じたり開いたりしまきました。そのたびに木は赤い血流して、苦しみます。し あくび かし逃げられません。また、その木の枝・幹に、たくさん す。洟、垂れます。そして、首の提灯のロ、ときどき欠伸 どくばら の毒蜂が巣をつくって、チクチク刺しました。その人、苦 しました : : : 」 まね 真似に口をあけてみせると、喉の奥の赤い肉の突起が見しい苦しい えて、子供達はゾッとした。 地獄にまた、べつな人、おります。頭と身体、二つにた ひも はんばつりよく 太陽の直射と、砂の熱と、疲労とで、心身の反撥力を消てに割れた人、歩いています。長い腸、紐のように二つの なまぐさ 耗しつくしていた彼等は、のつけから血腥い「面白いお身体つないでいました。その人の頭、一つは右へ行こうと はな らようらん のど おの しつよう はげたか からだ こぶ
右「山のかなたに」映画化。前 列左よりうら子夫人 , 若山セッ すみりえ 子 , 洋次郎 , 角梨枝子 , 池部良 わくでき の惑溺と社会正義への志向とを、そのまま二人の女性 昭和一一十八年「馬車物語」映画化像として具現させたものではないかということである。貯 の時。左より洋次郎、榎本健一 「若い人」における橋本先生と江波恵子の鮮やかに対 かっし」よノ 立する姿は、そのまま石坂氏の内部の精神の葛藤とド ラマを表わしているのではないだろうか。この小説が とうめい 終始、知的で透明な印象を呼び起すのも、そこから来 ているようにわれる もちろん「若い人」がフィクションと言っても、そ の細部で作者石坂氏の教師の体験に負うていることは 論を俟たない。「若い人」にはその先駆的作品と目され る「金魚」という短篇がある。この短篇には、石坂氏 かさいぜんぞう が同郷の先輩としてつき合った葛西善蔵を思わせる人 物も登場してきて、作者の実生活を投影した私小説的 色彩の濃い作品である。この中にミス・田口という、 しの 橋本先生を偲ばせる女教師が出てくるので、実際に橋 本先生のモデルと見るべき人物がいたことも想像でき ないではない。また、 「若い人」の中で印象的な、文 佐部省の視学官の視察の場面なども、石坂氏の実際の教 焚師体験の中から生れていることは容易に察しがつく。 しかし「若い人」の真のリアリティーは、そうした細 吉 で部もさることながら、やはり作者石坂氏の内面のドラ 沢 マを投影したところに求めるべきであろう。「若い人」 井 軽を評価するのに、社会的視点に立って、主人公間崎に 一 1 ん
「ほかに逃げ場はねえ。そこの押し入れにでも隠れてるに なっていたのである ) に、乱れた足音がして、酔っぱらっ た男たちのだみ声で、 ちがいないんだ : : : 」 「こっちだ : : こっちだ : : : 」 「やい、女。おれたちはちゃんと金を払ったんだぞ。お前 「ふてえ女だ : : : 」 がおとなしく出て来なければ、おれたちは、この部屋のお 「痛い目に合わせてやれ」などと、ののしるのが聞えてき客さんに少しばかり迷惑をかけることになるそ。それでも いいのか : : : 」 すわ 瞬間、シンとした。押し入れの中からは、なんの返事も お坐りなさ 「奥さん : : : 落ちついて : : : 落ちついて : なかった。と、おばあちゃんは気をとり直したように、 、。・こ、じようぶですよ : : : 」 「ここにはそんな人が来ませんよ。逃げようと思えば、廊 おばあちゃんは、肩を押して、私を坐らせ、私をかばう ような位置に、自分も坐りこんだ。孫のヨシ子ちゃんも、下の窓からだって、いくらでも逃げられますからね。人の ついそこに眠っているのに、おばあちゃんが、そういう心部屋を断わりなしにあけて : : : 。貴方がた、一人ずつ名前 づかいをしてくれたことは、とっさの間だったが、私に強を名のりなさい : すうすう 「図々しいばばあだ。お前なんかに用はねえんだ。女さえ い感銘をもたらした。 「この部屋だよ : : : 」 返してもらえば : : : 」 「いませんよ、そんな人はーーー」 「ほかに逃げ場はねえ : : : 」 「構わねえから、あけちまえ : : : 」 「ほんとにいませんよ。そういえば、さっき、廊下の窓が そんなことを、しゃべり合っていた男たちの一人が、手あく音がしたようだったけど : : : 」と、私もはじめて口を ムすま 町 荒く襖をあけた。三人ともどてらをだらしなく着て、酒の利いた る くらびる く 4 りもと あ酔いで唇を赤くぬらした、中年すぎの男たちばかりだった。すると、一人の男が、ロ許を卑しくゆがめて笑い出し、 の - あなた 「貴方がた、なんです ! 女ばかりの部屋を無断であけて「奥さんだか、おかみさんだか知れねえが、どうです、わ しらと一緒に、向こうで愉快に飲もうじゃないですか。旅 山 : : : 何の用事があるんです ! : : : 」と、おばあちゃんが、 あなた きびしい口調でとがめたてた。 は道連れ、世は情けってね。貴女、まだ、いけるぜ。さあ 。わしらの買った女が一人、この部屋に逃げ と、手を伸ばして、いまにも部屋に入りそうにした。 こんだので、返してもらいに来たんだ : : : 」 すると、おばあちゃんま、、 をしずまいを正して、左手で、
そういう文面に、四人のあて名を記して、店の男衆に、 と、あさ子は不服そうに言った。 自転車で走らせた。 「私たちも食事中に、父が不意にそう言い出したんだから、 その間に、佐太郎は、食卓から離れて、座敷で、外出着仕方がないのよ。それがね、料理屋へみなさんを御案内す にきかえていた。 るんですって : 「料理屋へ 。わあ、すてき。私、生れてはじめてだわ、 「どうしたのよ、お父さん : : : 」 。芸者さんなんかも来る 「せつかくみなさんを呼んだんだから、料理屋で接待申しそんなとこへ上がるのは : ・ の ? 」と、あさ子は急にうれしそうに言った。 上げようと思ってな : : : 」 「どうだか 。田村さんもっき合ってくださるわね」 「そんなことをしていいの。私ゃあさ子さん、女学生よ」 しやだなあ。君のお父さんだの、先生たちだの、 「料理屋で料理を食う分には、いっこう構わん。お前も簡「・ほく、、 そんな人の前で、かしこまって物を食ったって、うまくも 単に着がえをしなさい : なんともないよ。ことに料理屋だなんて : 、てんで、場 羽目をはずすようなことになるのは、やはり父が寂しい ・・・ほく、帰るよ、わるいけど : ・・ : 」と、甲 からなのだ、とのぶ子はあらためて思った。そして、二階ちがいだよ。 吉は、頭に手をやって、二、三歩後じさった。 の部屋で、髪をなで、セーターやスカートや靴下をとりか あさ子は、その手をつかまえて、 えた。 「だめよ。一緒に行くのよ。 : : : 私よりも、まごまごして せまい町なので、よんだお客はすぐに集った。 まず、田村甲吉と貝塚あさ子が、連れだってやって来た。る人が一人ぐらいいないと、私、心細くなるじゃありませ んか」 二人とも、どちらかといえば、めいわくそうな顔をしてい 「チェ ! 人を踏み台にしやがって : ーと、甲吉はそれ でも、自分の存在価値が、いちおうハッキリしたようなの 「よく来てくれたわね。 ・ : 父が急にみなさんと一緒に、 ごちそう 御馳走をいただきながら、お話したくなったんですってで、覚悟を決めた様子だった。 つづいて、ほかの客もやって来た。ちょうど、八木敬助 。母が留守なもンだから寂しいのよ、きっと」と、の が、菅原の家に食事に招ばれていたところだったとかで、 ぶ子は、店の土間の所で迎えながら言った。 二人のほかに、正吉の細君のみね子も一緒たった。三人と 「そんならもっと早く、そう言ってくだされま、 。ししのに 。食事のあとだから、もうなんにも食べられないわ」も少し酒の気をにおわせていた。 くっした
が聞え、寝ている人がこちらを向いた。その顔 ! 一抱え二言三言話し合っていたが、すぐに二人のいる所へ引っ返 もある南瓜のように黄色くむくれて、眼鼻の形も分らず、して来た。 やけど 女である証拠に火傷のように禿げた地頭に、薄い髪が一握「あれね、あたいのお母ちゃんよ。でもほんとのお母ちゃ んじゃないの : : : 。悪い病気で、もう助からないってお医 りほど生えていた。 ・ : お菓子を食べたいって言うからあた トミは「ヒ工 ! 」とロの中で叫んで、友一に獅噛みつい者が言ったのよ。 : そんなにびつくりした ? いが持っていってやったの。 た。どっちからともなくガタガタ慄え出して、一一人はそこ : もうじき死ぬんだって。だからみんなで大 弱虫ねえ。 から動けなくなった。 めえだ 「お前達どこの子だえ : : : 。花子にはやく来いって言って切にして上げてんのよ : 花子は軽い言葉で事もなげにしゃべっていたが、二人の おくれよ : ・ : ・」 顔の穴からまた石を磨り合せるような声が出た。トミは恐怖は容易に鎮まらなかった。いや、花子の言葉が軽いほ 友一の胸をつき破りそうに頭突きをして来た。その苦しさど、かえって変な恐ろしさにつかまえられるような気がし が友一にわずかばかりの勇気を振い起させた。 ならく 「トミ、来う ! 」とかすれた声で叫んで、曳きずるように花子が案内して三人で舞台下の奈落を見に行った。所々 にお ちまげ にカンテラが灯され、かびくさい臭いが。フンと鼻をついた。 もと来た廊下へ引っ返しかけると、向うから稚児髷を結っ て振袖を・フラブラ垂れた花子がやって来た。一一人の様子をここは刺すように寒い。うつかり歩いてると蜘蛛の巣に顔 を包まれたりした。 見て、 花子はガラクタの中から壁がげた人形の生首を拾って 「どうかしたの ? 蒼い顔をしてるわよ」 プラ下げて歩いた。すると稚児髷に結った花子の姿がふだ 「なアーなア ! くら トミはそう呟くだけでロが利けず、代りに両手を使ってんよりもずっと美しいものに見えた。それに較べてトミは てまね なんと下品であろう・ : 顔がふくれている手真似を何べんもしてみせた。 だんな 「あたいが奥様で、あんたが旦那様で、この人は女中よ あそこに寝てる人 ? あれ、お化けじゃ 「ホホホホ : 。それで芝居をするの : : : 」 ないわよ。病気なのよ。待っててね、あたいすぐ帰って来 花子は子供等が集るとすぐそういう遊びをしたがった。 るから : : : 」 わがまま 花子は小走りにその恐ろしい室の中へ駆け込んで、何か言うことを聞かないとすぐ怒った。美しいものは我儘でも ムりそで あお ふる しが こ 0
隊どもがすばらしい武器をひっさげてこちらに突っこんで一と口ずつ紹介しておこう。 うれ くるので、女たちは嬉しそうな悲鳴をあげて、蜘蛛の子を 一一人とも農村の者だが、甲川のほうは、頬べたが少年の めじり あいきよう 散らすように逃げ去ってしまった。兵隊の中にも、女どもように赤く、目尻が垂れ、口元に愛嬌があって、全体に子 の中にも、これが朝のことでなく、夜だったら、どんなに供つ。ほい匂いのある好男子じゃった。オカマ好きなほかの すばらしいだろうと思った者もあったことじやろ。 小隊の下士官たちが、よく甲川に目をつけていたが、わし くら きら・ わしは甲川と乙山の顔を見較べていたが、不審に堪えな はそんなことが嫌いなので、甲川を守って、手厳しく弾ね そろ おやじ いのは、一一人揃って元気がないことだ。親爺は娘が一一人だっけてやっていた。それに甲川は、顔は子供つぼいが、小 すもう とは言わなかったし、とすると、一一人で娘を攻撃したとも力があって相撲が強く、動作も機敏で、申し分のない兵隊 考えられるが、そういう人倫にはずれた行為はあるべき道じゃったな。 理がない。 乙山のほうは、土の中から生れて来たようなズングリム 「貴様たち。とんでもないことをしてくれたな。これが表ックリした男で、顔も角ばって髭が濃く、仕事が念入りで ぎた 沙汰になると、ひどいことになるそ。連隊長の感状が分隊忍耐強いという特徴があった。たいへんなカ持だが、神経 の目の前に・フラ下がってる今日、貴様たち、軍隊にいるか は少し鈍い。だから、相撲をとると甲川に投げられてばか ぎり、分隊の者に恨まれるぞよ。わしも分隊長としてそう りいた。しかし、すばやいのと鈍いのと、好男子と醜男と、 いう目にあいたくない。何とか無事に収めたいと思うとる。二人はウマがあった無二の戦友じゃったのである : せんたくせつけん 貴様たちも川へ行って来い。わしの幕舎の中に洗濯石鹸が 緲あるから、それをもって行って身体を清めるんだ。それか 甲川一等兵の陳述。 ら服装を整えてわしの所に来い。ほかの者に何があ 0 たか 分隊長殿、申し訳ありません。すべて甲川が悪いのであ 行覚られるんじゃないそ : ・ ります。乙山を無理に誘ったのも甲川であります。これか 先甲川と乙山はうなだれて立ち去って行った。まもなく、 ちくいち 石二人は、軍服をつけて、灌木の緑の塊まりのかげで待ってら昨夜から今朝にかけての出来事を逐一申し上げますから、 なにぶん、分隊に傷がっかないようお取り計らいを願いま いるわしの所にやって来た。二人とも、わしが味方だとい 9 うことが分ったので、きかれると隠し立てせずに、スラスす : ラと白状したが : ・ 、その内容を言う前に、一一人の人物を演習もいい成績で無事にすんでみると、どうも最後の一 かんほく かた にお ひげ ぶおとこ
出来上がった熱いそばを、うまいな と思いながら食 雨と靄の中から、影絵のように、人の姿が現われ出た。 べていると、後ろに靴音が聞えて、暖簾の中に頭をつつこ 三人ほどだ。その中の一人の男が、すれちがいざま、 あいさっ んで来たのは、赤いセーターをつけた早川のぶ子だった。 「八木先生、今晩はーー」と、挨拶した。 ーと答えて、敬助が、無意識に後ろをふり向レイン・コートをまとった菅原正吉も一緒である。 「今晩は くと、三人連れは立ち止って、こちらを透かすようになが「あら ! 」 めていた。 「あら ! 」 自分たちは注目をされた、と敬助は思った。しかし、構みね子とのぶ子の女同士が、まず驚きの声をあげた。 あなた うことはない 「まあ、こんなとこで出会うなんて : : : 。私、貴方のお帰 「いまの、だれですの ? ーと、みね子が尋ねた。 りが遅いだろうと思ったし、雨も降っていて寂しいもんだ 「よく見えなかったけど、父兄のだれかでしよう、きっと から、八木さんのところにちょっとお邪魔して、いま送ら れて家に帰るとこでしたの : みずかさ 川に近くなったので、雨で水嵩が増した流れの音が、妓「ほくも家に帰ろうとしたら、のぶ子さんが、雨の中を少 膜を押すぐらいの強さで、どうどうと響いて来た。ゆく手し歩いてみたいから、そこまでついて行くって、一緒に出 の大橋の方を見ると、その上を、中華そばの屋台車がチャて来たんだ : : : 」と、みね子と正吉の夫婦が、こもごも自 ルメラを吹きながら、屋敷町の方に入ってくるところだっ分たちの立場を説明した。 のぶ子一人だけ、面白そうに、みんなの顔を見まわして、 「なんとなく、わるいことは出来ない、といったふうのめ 「おそば食べたいわ。八木さん、お金もってますの」 ぐり合わせですわね。ホホホ : 「もってますよ。どうぞ : : : 」 たもと 橋の袂に、屋台車を止めさせると、二人は傘をすぼめて、「お父さんはいらっしやるのかね ? 」と、敬助はテレ隠し 屋台に垂れ下がった短い暖簾の中に、頭をつつこんだ。と、のように尋ねた。 しようゆ かま : だから、今夜も、勉強 お釜から上る湯気が顔にふれ、熱い醤油のにおいがプンと「取引先を招待して宴会なの。・ ぶどう こわ がすむと、私、自分でフランスの白葡萄酒を土蔵から出し 鼻をついた。それが、硬ばった気分を、急速に柔らげるよ うで、二人は、カンテラの光りの中で、まちかに見合わせて来て、菅原先生にさし上げたの : : : 。私も、一一杯ぐらい いただいたかな : : : 」 た顔をほころばせた。 もや のれん くっ
映画館に入って桟敷に上がると、うちの人の後ろ姿がす「いや、分りましたよ」と、石中先生ははじめて口を利い ぐに分ったので、私もそばに行って並んで坐ったんです。た。 うちの人は私の方を見てニコッと笑ったので、私もクルメ 「誤解はたしかにあったんですが、そこらまでは一一人の気 つまず ンの中で笑い返してやりましたわ。それから、うちの人の持が、それそれに、躓きなく盛り上がっていったようなも 膝の上に食べ物があったので、私もそれをとって食べたりので : ・ : 。ただ、私がさっきから不審に思ってたのは、そ しましたの。 ういう心理状態にあった二人が、映画がハネて帰る時にな からだ そのうちに貴方、うちの人が、私の身体のそちこちに手つて、なぜバラ・ハラに離れたのか、それがどうも合点がい を伸べてよこすじゃありませんか。くらがりはくらがりできませんね。一緒に家に帰って来れば、誤解が途中で呑み こまれて、こんな悲劇にならなかったんでしようがねえ すけど、大勢の人中だし、私は恥ずかしかったんですけど、 まあ一一人は夫婦なんだしと思って、黙って好きなようにさ 「それなんですわ。先生」と、お銀さんは気負いこんで言 せておきましたわ。三度に一ペんはこっちからも手を握り った。「離れて先に出たのは私のほうなんですの。なぜっ 返してやりましたの。夫婦の情愛ですものねえ。ホホホ て、うちの人がこんなに燃えてるんだから、私もよりよき ところが、あの人のいたずらが、だんだんねちっこくな妻の勤めとして、おっき合いに燃えてやらなければならな るんで、私困ってしまったんだけど、一方ではまた、ああ、い義務があると思いましたのよ。そりゃあそうでしよう。 この人は若いころと同じ燃えた気持で私を愛しているのか夫婦の情愛ですものねえ。 緲しらと思うと、自分までボウッと若ゃいだ気分になってい その時、私は、ふっと、このごろ家には、夫婦のゴム風 たた 記 くようなんです。 : : : ごめんなさいね。亭主を敲き出した船が切れてることに気がついて、こりゃあいけないと思い 状 かおなじみ 行あとでこんなことを言うんだから、オノロケにならないと こんな時間に起きてる店もないし、わざわざ遠くの顔馴染 の薬屋さんに行きましたの。そして、戸を敲いてそこの人 先思うんだけど : ・ 石おしまいには、私も、二人が一緒になったころのことをを起し、ゴムを分けてもらい、うちの人が定めし待ち兼ね 思い出したりして、うっとりとした気持になってしまいまてるだろうと、雪こぶのくつついた足駄で、転げるように したの。また、今夜の映画が、むやみにキッスばかりするして、汗ビッショリに家へ帰って来たんです。そうしたら 甘っちょろいものだったんですわ : : : 」 ひざ すわ
昭和十五年転居 した奧沢の家で 、 1 しく暖い人柄が立ちどころに感じ取れるような人で、 いかにもさもありなんと田 5 わ 「咸」手黽」とい、つことも、 せるよ、つな方であった。 夫人は若い頃、ますキリスト教に感電して教会に通 牧師に恋をする。次は文学に感電して、石坂氏に 恋をし、結婚することになる。三度目の感電が共産主 義であった。 「結婚のおかげでお前の感電の習性がうすらいだが、 三人の子供を抱えた主婦になってから、お前はそのこ ろ青年たちの間にはやった共産主義の運動に捲きこま れ、小説なども中央の雑誌に二、三発表していた地方 の指導者の青年に感電し、セクシュアルな同志愛で と次 族洋結ばれて東京に出てい「た。これには地方の高等女学 家目 校、中学校などの教師であった私の女性関係に対する の人 猛烈な反抗心が作用しておったこともたしかで、でも なければ、庶民的な気質のお前が、三人の子供たちを 本よ 山左 一時的にしろ突っ放す気持にはなりきれなかったであ 長列 ろう。もう一つ、同志の集団の熱気に囲まれて、人の 社後 好いお前は、感電が溶ける時間が来ているのに、周囲 造へ 改峰彦の熱気から脱け出す機会がっかめなかったのだ。」 ( 「黒 リポンを結んだ妻の写真」 ) 年千本 塙山夫人は結局、出奔後一カ月はどで、迎えに行った石 昭九郎坂氏に伴われて、東京から家に帰ってくる。家に帰っ さねひこ 469