山崎 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学Ⅱ-6 石坂洋次郎集
15件見つかりました。

1. 現代日本の文学Ⅱ-6 石坂洋次郎集

「おかしくないよ。雨でなくとも、湯がかかっても靴は濡観的に反省に上せていた。 れる、味噌汁がかか 0 ても濡れる、酒がかか 0 ても濡れる。第一に、中村君は林檎一一箱を獲た代りに、ドラム鑵四百 そうしたもんだよ、君。さっさと穿きたまえ」 六十本を失った訳であるが、しかし自分が物欲に囚われな きげん 中村君はあくまで機嫌がわるかった。で、河合君と中村い人間であることを、自分自身に証明してみせた満足さは、 りんご あがな 君は、それぞれ、一箱分ずつの林檎をつめこんだリュック物や金で購えないほど大きいものである。 ごらよう うわさ を背負い、シャ・ヘルやツル ( シを肩に担ぎ、石中先生は往第二に、河合元憲兵伍長は、一時、世間の噂に刺激され みやげ きと同じく名所土産の細いステッキを一本抱えて、埋蔵物て、とり上せた傾きもあるが、しかし今は、小心で正直な なごり むこ 資が地下に眠る山崎林檎園に、名残惜しい別れをつげたの本来の姿に返って、山崎園主の一人娘の婿になろうとして しゅうと であった。 いる。土中に埋没された彼の持参金が、舅の山崎園主に怪 山崎園主とモョ子は、松並木の往還まで一行を見送り、 しまれるころは、モョ子との間に可愛い赤ン坊が生れてお てつこう モョ子は娘らしく、手甲を穿めた片手をあげて、・ハイ・ハイ って、山崎園主に孫を抱く幸福を与えることだろうから、 、づか と振ってみせた。その手ぶりに牽かれて、河合君がしばしとかくの面倒は起る気遣いがない。 ねこぶつまず ば後ろをふり向くもので、地面に浮き出した松の根瘤に躓つぎに山崎園主は、林檎一一箱を無償提供したことになる いて、何度ものめりそうになったほどだった。中村君はさが、それぐらいの。フレゼントは、彼がこのあと半年か一年、 もにがにがしげに、 四百六十本のドラム鑵を独占する夢にふけりながら、自分 くら 「河合君は、あのコンクール娘に惚れたんだね ? 」 の畑を掘り探る楽しみに較べると、物の数ではないのだ。 こう考えて来ると、誰も彼も得をしてる中に、石中先生 「チェ ! 君は大体、はじめから掘るべき目的物を間違えだけが、ライター用のガソリンをふいにしたということに ていたんだね。ねえ、先生、こんなたよりない人と一緒でなるが、飛び入りで途中から加わった身分だから、それぐ は仕事が成功しないのが当り前ですよ : : : 」 らいのことはあきらめるしかない : 肩や背に載った荷物の重さのためか、首を抜き出して前 部落から町に入った所で、石中先生は低い声で中村君に 屈みに歩いている中村君は、しきりに毒舌を吐いた。何と呼びかけた。 言われても黙っている河合君もしおらしくてよかった。 「君、今日の一件はうちの細君が東京から帰っても話さん 石中先生は帰り道にふさわしく、今日一日の出来事を客ようにな」 かが かっ くっ勲 とら

2. 現代日本の文学Ⅱ-6 石坂洋次郎集

中村君はいくらか気負いたって、肩にしていたツルハシ を下ろして、ドシンと地面を突 0 ついてみた。と、ゴボゴ ボという音の代りに、しわがれた男の声が聞えた。 っこ 0 あなた 「おお、モョ子ちゃん。こないだはどうも。貴女から頼ま れたクリームを今日もって来ましたからね」 うれ 「まあ、嬉しいわ。河合さんは親切ね : ・ モョ子は山崎園主に似た顔立の娘で、背は低いがポッテ リ肉づいており、赤味がさした頬の肉などはちきれそうに すがめ 「やあ。きましたですな。待っておりあした。わし一人で盛り上がって、鼻がひくく見えるほどだった。少し眇目だ ヒヒヒ : ったが、年頃だけに、それが「白痴美」といった感じを漂 仕事をはじめる訳にもいかねえだし : さんかく、んこん 、、が、かげ そう言って、曲りくねったひば垣の蔭から出て来たのは、わせているところもあり、ともかく、トキ色の三角巾、紺 がすりまえだれてつこう 陽やけして頬のこけた五十年配の男で、小ざっぱりした仕絣の前垂と手甲、赤縞の手織りのモンべなどで装われたモ 事着をきており、髪はゴマ塩で、片方の目が変に青味がかョ子の様子には、顔形の美学的な批判をヌキにして、いき なりとって食・ヘてしまいたくなるような心やすい魅力が溢 って大きく、どこやら生々しい感じのする百姓だった。 りんご 「やあ、山崎さん。 : : : 林檎園の主人の山崎さんです。ソれていた。 で、元憲兵伍長君はそばへひつついたぎり離れようとも ラ、たしかに石中先生を御案内して来たからね ! 」 「へえ、これは石中先生。ようこそ ! 先生がお出でくだせず、二人でペチャクチャしゃべりつづけていた。中村君 あこが は苦い顔をしたが、かってサーカスの女の子に憧れた石中 さったからにや、もうだいじようぶですよ。ヒヒヒ : 山崎園主は黄色い歯を剥き出して、お愛想に笑ったが、先生は、河合君の心境に大らかな理解を抱いた。 山崎園主は畑をすみかとしているらしく、林檎の木の間 どこやら下卑ていて感心できなかった。 こぎれい あち 「いや、君。わしが来たからって安心されては困るよ。わの空地に、小綺麗な住宅を構えていた。座敷を開け放し、 しの目は、土の中の大根がどっちに曲って生えているかも拭き清めた縁側に、西瓜、林檎、お茶道具などを並べてあ るところをみると、石中先生の一行を歓迎していることが 見通せないんだから : : : 」 垣根の蔭に、赤い色がチラッとしたかと思うと、それま分る。 ごちょう うるさ で石中先生の隣に立っていた元憲兵伍長、河合君が、その 「なあ、中村さん。わしは邪魔が入ると煩いと思うて、昨 肥った身体にも似合わぬ素早さで、赤い色の方に飛んで行夜こんなものをこさえておいたんだが、どうじやろな ムと からだ ほお すいか あム

3. 現代日本の文学Ⅱ-6 石坂洋次郎集

だれ が、金鵄勲章のようにひそかな光を放っていた。辰は恩義れについては誰もその真実の事情を詳かにしないのだが、 あき も弁えず妙に意固地に突っかかって来る友一を、むしろ呆去年あたりから彼等の話の中だけでは厳とした存在を示し ていたのである。友一は妙に自信が持てなくなった。けれ れたもののように眺めたが、留しゆと山崎は、自分達ばか りに機買いをさせて置く友一に対して、くすぶるようなども意地半分で、母方の祖父から教わった岩木山女性説を 敵意を抱いた。山の神様が男だか女だかという話題でこの固執した。 や込もら 「そで無え。岩木山は女子の神様だから女子あ登れば焼餅 対立がはっきり表面に現われた。 「男だべった。第一女子だば山さも上れねし、第一女子のやぐんだべ。男どだば性が合うどもな。オレ知らねども世 神様だば有難く無えし、第一女子の神様だなんて世の中にの中は男と女の合せ物だという話だ : : : 」 焼餅だとか合せ物だとか、これは祖父の話には無いこと 無えべった ! 」 留しゆが興奮して恐ろしく非論理的な意見を吐いた。山だったが、留しゅの神秘に対抗して、こちらも「神秘」の 弾丸込めをしたのである。 崎も辰もそれを支持した。 あまてらすおおみかみ 「鹿けだな。女子の神様あ無えってが ? 天照大神様あ「フン。せば岩木山、助平たがれで無えがや、おかしな」 「おかしな。誰だか見たいになーー」 何だってが ? 」 のばり 芝居小屋に興行があると幟持ちゃ札配りに雇われて学校言いかけて山崎は囲い板の外に身を乗り出し、おどけた を休む留しゅや山崎は、学問にかけては、一年生から級長身振りで、 「世界中の人、みな聞いてけれ工。世の中は合せ物である や副級長を勤めてきてる友一に敵いっこ無かった。 いわきさん * じんぐう 「それあそだ。神功皇后様も女子だせ工。したども岩木山んであるんであーる、エヘンー こうして留しゆと山崎は、鼻穴をふくらませて友一に猛 だば確かに男だ。何してがっていえば、そもそも岩木山さ 女子登られない訳は、女子つものは月に一ペんの汚れがあ襲して来た。 めえだ 「ーーお前達知らねえんだ」 るから男の神様あ嫌いだんだべた」 友一は少し悪い顔になった。辰はニャニヤ笑いながら仲 「そだ、そだ , だいぶ しやくふ 間の論戦を傍聴していたが、大分生意気な友一に最後の止 姉達が酌婦をしている留しゅは、男女の神秘については 仲間じゅうで一番通じて居り、またこの神秘ほど彼等の深めを刺すつもりで、わざと公平ぶ「た口調で発言した。 めえだ い関心を呼び起すものはほかに無いのであった。女子の汚「お前達、待で待で。こうした事は大人さ聞かねばほんと なが 、ら かな つまびら とど

4. 現代日本の文学Ⅱ-6 石坂洋次郎集

りません。土というものは魔物なんですな : : : 」 と′ものらよう 山崎園主は床の間に立てかけてあった、新しい立札のよ「だめだよ、君。捕物帖くさい話なんかどうでもいいよ。 うなものを抱えて来た。それには禿びた筆の走り書きで、僕たちは泥棒でなく、隠退蔵物資を摘発して国家の再建に 「 xx 警察署御許可、石中先生摘発隊、無用ノ者立チ入ル奉仕しようという仲間じゃよ、 オしか。こないだの地形調査で したた ・ヘカラズ」と認められてあった。 は、ここの畑だというところまで、君の鼻を利かせたんだ 「ウーム。よろしいでしようーと石中先生は、思わず顔をから、今日はそいつをもう少し働かせてもらいたいんだ。 あなた そ向けて答えた。 : 山崎さん、貴方も気が利かない人だね。今日の仕事に 「それじや入り口に立てて来ますべえ : : : 」と、山崎園主は河合君の鼻がいちばん大切な役目をするのに、朝つばら かっ は手柄顔に立札を担いで行った。 からコヤシの臭いをさせて何ですか。こう臭くっては、ガ ひなた 明るい縁側の日向で、ナフタリン臭いお茶をってから、ソリンやドラム鑵の匂いを嗅ぎ分けられないじゃないか」 うわぎ 中村君は八つ当りの気味だった。 上衣を脱いだり、腕まくりをしたり、みんな発掘の支度に くせ レ J り・カカ十ー 「そんなに臭えだかね ? わしは大根畑にちっとべえやっ ただけだが : : : 」 「さあ、河合君。鼻を利かせてくれたまえよ。どこ掘れワ っえ 山崎園主はいかにも恐縮したように、青いほうの目をパ ンワンだね ? 」と、中村君はツルハシを杖に、小手をかざ チパチ瞬かせた。 して、ひろい林檎園の中を見まわした。赤い毛糸の帽子が さっそう 陽に映えて、颯爽としている。 「河合さん。みなさん待ってるんだから、歩きまわって思 緲河合君はビックリしたような顔で、鼻毛を抜いているば い出しなさいよ。私、ドラム鑵が出たら、今度のコンクー * こんじきやしゃ 、しよう ル芝居の『金色夜叉』のお宮の衣裳を買ってもらうって、 墟かりで、なかなか腰をあげようとはしなか 0 た。 行「そう言われたって、私も困りますよ。三年前の暗夜にやお父つつあんにちゃんと約束してあるの。ね、探してね。 先ったことですからな。なにしろこの、 いったん土に埋めるよう : モョ子という娘にも、甘ったるい声でねだられて、河合 石と、昨日のことでも、 ( ッキリした目印でもないと、なか どろばう うす なか分らないものでしてね。泥棒をつかまえたら、盗品を君はしぶしぶと日のような腰を上げた。そしてほんとに鼻 どこそこに埋めたという。さあ、泥棒にその場所に案内さをクンクンさせながら、林檎園の中をしばらくうろついた せて掘らせてみても、一度や一一度では出て来るものではああげく、 すす またた にお かんにお

5. 現代日本の文学Ⅱ-6 石坂洋次郎集

浮きしゃべり続けて居た仲間は、一時にふっと沈黙し、辰 タケがロ汚なく罵った。 が一番手で、 「なにイ」 ハゲはちょっと立ち止ってこちらを睨んだが、急に恐ろ「チキショウ ! 」 しい早さで仲間のいる所に駆け去った。 と低く洩らしながら、身体がひとまわりする位な勢いで 、、、だろう」 タケは 「友ちゃん、オレもやる、ね 第一弾を投じた。続いて、新吉、友一、山崎 がけ タケが友一の手をひつばってせがんだ。 女の癖にわざわざ崖の端までのり出して、卵大の角石を十 「石運びだ。女が入ると負けらい」 分な力でほうり投げた。橋の欄干に当ってガチンと弾ね返 うな 「やだい。オレやるんだ」 るのが見えた。敵からもビューン ! と唸り けんか いつけんじよ 下町組とは今までに一一、三度喧嘩したがいつも上町組がを上げて弾丸が飛来した。その一つが斥候穴の禁錮所に命 負けていた。今日は闘士の一郎が欠けているのでよけいた中すると、今まで昼寝でもしていたらしい狂人が羽目板を よりないが、売られた喧嘩で後へは引けない。くそ、やっ乱打してけたたましくわめき出した。ゆがんだ奇妙な恐ろ てやる ! 友一はテキパキと戦闘準備を命じた。女の子等しさがみんなを囚えた。舌がひきつってフッフッと洩らす は一の鳥居の砂利置場から手頃の玉石を着物の前にいつば呼吸だけがお互いの心持を切なく伝え合った。と、敵方の いつめ込んで運んだ。新吉と辰とは仲間を召集に飛んで行一人がヒエー と鋭い呻き声を発し、両手で顔を抑えて った。男十一二人と女四人揃った。辰はお袋に・ハリカンをか地面に伏すのが見えた。二、三人介抱にかけよった。 けてもらってる最中に飛び出して来たので、頭の髪がだん「ばんざーイー けっ だら模様になっていた。その辰、新吉、山崎、それに自分、山崎が白い尻をまくって敵に向けた。ほんとに屁をひっ やれるのはこれだけしか無い。ほかの奴等はタケよりも駄た。皆笑ったので見当ちがいの方に石が外れていった。そ のうち敵のもう一人が悲鳴をあげた。こいつは倒れなかっ たが、だらしない泣き方をして家のある方に逃げて行った。 橋際の電柱の陰に陣どった下町組からは盛んに挑戦のか け声があがった。玉石をつめこんで懐ろがポンとふくらん山崎は図に乗って一回ほうるごとに着物をめくって尻べた たた を敲いて見せた。一一、三回それを繰り返した時、ヒエー で居るのが、ここからでもハッキリ見えた。 まゆげ と短くうめいて芝生に仰のけに倒れた。眉毛が切れて黒し 「いいそウ」 友一の合図で皆一斉にわめいた。それまで興奮して浮き綿血がんで居た。見る間に目の上が紫色に腫れ上った。 ののし いっせい たっ ふとこ やつら にら ちょうせん からだ うめ せつこう

6. 現代日本の文学Ⅱ-6 石坂洋次郎集

「ところでなあ、先生、どうでごわしような。わしは春かコ一人というてもな、河合さんのほうは心配ねえだよ。こ ら秋まで毎日この畑で働いている身体だし、穴掘りは一つ の前一一度ばかり見えた時から、娘のモョ子とだいぶ気心が わしに委せてもらいてえですがね。この人たちじゃあ、畑合ってるようだし、何だったら婿に来てもろうてもええと のどこに埋まってるか分らねえドラム鑵を、片はしから掘思ってるです。本人さえ百姓仕事がいやでなければな。百 なわしろか り探してる間に、身体をそこねて、死んでしめえますよ。姓というても苗代を掻く訳でもねえし、大して辛え仕事で あなた わしは決して欲で言うんじゃあねえ。出た時は貴方がたに はねえ。もし、縁がまとまったら、こりゃあどうしても先 なこうど ちゃんと報告しますだ。ともかくお互いに便利にやろうじ生に仲人をお願いすべえと、わしは今から考えを決めてあ やごわせんか : りますだよ。 これで、人に自分の畑を掻きまわされるってのも、気疲そんな訳で、気がかりなのは、そこでうわばみみてえな れするもんでしてな : ・ 一つわしに委せてくだせえよ。鼾声をかいている中村さん一人だよ。中村さんさえウンと その代り、今日の骨折った分は、わしの畑の林檎を好きな言えばな : 。まあ、あとで目を覚ましたら、身体をこわ 分だけお持ちなせえまし。わしは百姓だども、その辺のこしちゃあつまらねえから、穴掘りは山崎に委せるようャン とは話が分る人間のつもりです。イヒヒヒ : 。林檎だっ ワリ言うてくだせえよ。 : そういうことにが決まれば、 て、相場がはね上がって、一昨日から一箱千一一百円になっ先生にはまた別に林檎の一一箱もな。イヒヒヒ : たでがすよ : ・ 「うむ。まあ・ : 。少し酔ったようだから風に吹かれて来 「ウム、ウム : ましよう あいづら 抄 石中先生は、相槌を打ちながらも、稲妻のようにツーツ 山崎園主の片方の青い目玉で、長く見つめられていたせ いか、石中先生は気分が悪くなったので、そう断わって縁 垢ーと、四方八方に思案を走らせていた。 行「貴方の言うことはもっともですよ。私もそう思うな。先から畑に下りた。 先 ・ : しかし、一一人の意見も聞かなければ、私の一存ではど 石うもね : 五 「そこですよ、先生 : ・ と、山崎園主はグイといざり寄 ひぎがしら って、膝頭で、石中先生の軽い身体をちょっとばかり後ろ ( 土百姓奴 ! 太いやつだ ! 元憲兵伍長、河合君を、四 に押しつけた。 百六十本のドラム鑵を持参金として娘の婿に迎え入れ、中 かん むこ つれ

7. 現代日本の文学Ⅱ-6 石坂洋次郎集

中村君よ、・こ、・ をナしふ働いたらしく、胸毛などをさらけ出し 四 て、グッタリした様子を示していた。 林檎の下枝を透かして、畑の方を眺めると、掘り起した いろあざ あれから、どれぐらい時間が経過したのかも知れないが、あとの黒土が、ひときわ色鮮やかに見えたが、・ トラム鑵の きやくぜん お座敷には、赤塗りの高脚の客膳が四つ並んでおり、まん影も形もなかった。 らようしはいせん 中にはお銚子や盃洗なども用意されておって、中村君と河「さあ、みなさん。何もありませんが、一つゆっくりやっ 合君は、もっともらしい顔をして、めいめいのお膳の前にてくだせえ : : : 」 あぐら デンと胡坐をかいていた。 山崎園主は銚子をとり上げて、みんなに一杯ずつ注いで そればかりではない。床の間の蓄音機が、笛、太鼓の囃まわり、その後は、娘のモョ子が、慣れたそぶりで、お酌 にぎ うた 子も賑やかに、陽気なジョンガラ節をガアガア唄っているの役目を勤めた。 お膳の中は、魚あり肉あり豆腐あり、山海の珍味が、田 かと思えば、モョ子という娘は、顔に白粉を塗りこくり、 ひざ すみ お盆を膝に抱えて座敷の隅に控えているというありさまで、舎風にゴッテリ盛られてあった。小ざっぱりした仕事着を つけた、山崎園主のおかみさんらしい大柄な女と、もう一 トンとお祭の気分だった。 「さあ、先生。何もないですが、昼飯を食べてくだせえ。人の手伝い女が、台所と座敷の間をまめに往復して、サー ビス大いに勤めると、後ろの床の間の蓄音機は、ジョンガ よかったらドプロクもありますで : なにわぶし うな 山崎園主はそう言いながら、石中先生を抱え上げるようラ節から浪花節、歌謡曲とつぎつぎに唸って、座興を添え 緲にして、床の間の前に坐らせた。なんだか狐につままれたるという趣向だ 0 た。 ような気持だった。 穴掘りで、腹が減ってるに違いない中村君と河合君は、 状 行「君イ、ドラム鑵でも出たのかね ? ーと、石中先生は寝杲すすめられるままに、大きな口をあけて飲んだり食ったり した。その効果がてきめんに現われて、二人とも・ハンドを 先け声で、隣の中村君に尋ねた。 弛め、顔を金時のように赤くして、フウフウ忙わしい爭吸 ・ : どうも素人の人は、物事を探すのにあせるか づか らいけませんよ。四百六十本のドラム鑵がそうやすやすと遣いを洩らしていた。 と、背後の蓄音機が新しい歌を唄い出すのと同時に、台 出るものですか。 : : : 先生が煙草をくわえながら、チョチ すげがさ ョッと小説を書くのとは、訳が違いますからな : : : 」 所の方から、菅笠をかぶり、腰に棒きれを一本ぶちこんだ おしろい はや しやく

8. 現代日本の文学Ⅱ-6 石坂洋次郎集

二間下がっていた友一等は、そのまま隣の店の葦簾の陰に 二人は後もふり向かずに屋台店が並んだ往来の人混みに 身を隠した。 紛れ去った。その時から友一は、生れてから一度も経験し 「ちょっと待で。 : ・辰イ、辰イ」 た事が無い多勢の中の一人ぼっちになって夜中の今まで過 留しゆが顔を現わさないで呼んだ。辰がしぶしぶ出て来したのだった : こわ 土台柱を背にしてウトウトと眠った。夢の中でも恐く寂 かたな け 「山刀返して呉れ ! 」 しかった。新たに床下に冊い込んでくる人も沢山あり、そ ろうばい すね 辰は狼狽して、三尺にぐるぐる巻きつけた山刀の紐を解の一人にイヤという程投げ出した脛を踏まれた。 きにかかった。 「やや、不調法したし、親爺様 : : : 」 うそ 「この、嘘たがれ ! 」 自分を大人だと思っているので友一は危うく噴き出す所 いび、 留しゅは、受けとった山刀の鞘ぐるみ、ゴッンと辰の頭だった。そこここに鼾が聞えた。それが寝床の温か味を思 を食わせて、そこを離れた。 い出させた。眼を閉じてるよりも開いてる方が余計に真暗 : 。理科の先生ならどう教えるだろうか : 「やられた、やられた。辰の臍まがり : : : 荷車アいっ発っ が分らねがら、遅れねように荷車の傍で遊んで待ってべしリ丿 チ 1 、地虫が鳴いていた。ふと友一は異様な怪物を目に たまが、 止めた。黄色い、恐ろしく大きな獣が、地面や玉垣や杉の おくびよう 臆病者の山崎はもう家に帰ることの心配を始めた。留し幹や、どこでもを変幻自在に動きまわっているのだ。伸び からだ ゅも帰るには帰る腹だが、道中構えて来た対立が、これん上ったり平べったくなったりまたふくれたり自分の身体を じよっぱり ばかりの事では剛情な友一の心から消え失せないかも知れ自由に扱いながらーー。友一は覚えず「わッ ! 」とうめい だれ がんどうこうまう ぬと察したので、気を負うて、そろりと訊ねた。 た。怪物は誰かがぶら下げて歩いてる龕灯の光芒だった。 夢 「友ちゃん、お前どうする ? 」 縁の下にじっと差し向けて、 やしろ 日「オレが ? ーーー山かけする ! 」 「ここに長坂町の八代づ人あ居ねんが。お祖母様急病だと それは意志を表わすというよりか、留しゅの気にこちて、迎えの車ア来てるがら、下の太田旅館さすぐ来て呉 らも反撥する、それだけの声だった。 おれだ 「そうが。そだば俺達ここで別れる。さいなら。・ ・ : 山崎闇の中からしわがれた声が聞えた。 「居ね、居ね : : : 」 へらよ さや そは よしず ひも

9. 現代日本の文学Ⅱ-6 石坂洋次郎集

目を覚ましたばかりらしい中村君が、飲み食いしたあとの「大損ですな。ドラム鑵四百六十本と林檎一一箱じゃあ : ・ ぎんがい 残骸を前にして、ポリポリ頭を掻いているところだった。 しかし、 いいですよ、それでも。とにかくわしの先祖は小 額にジットリ汗を滲ませ、床の間に押しつけていた片頬に身ながら士族でしたからな : : : 」 は赤く茣蓙の目を浮かせて、いかにもむごたらしい顔をし中村君はあんがい無造作に申し入れを承認した。と、ど まばた ていた。そして、石中先生が部屋へ上がるのと入れ違いに、 こで聞いておったのか、山崎園主が青い目をパチ。ハチ瞬か らようし お銚子などを踏んづけながらフラフラと縁側に立って行き、せて、「イヒヒヒ : ・ : 」と媚び笑いをしながら座敷に入っ もた 雨戸袋の柱に凭れて、起き抜けの長い小用を足した。 て来た。 「先生、ドラム鑵は出ましたかね ? 」 「中村さん、それがええだよ。物事は何でもお互いに便利 「出るって、君。あれから誰も動きゃあしないよ。元気回にしたほうがええだからな」 あなた 復したところで、また掘りつづけるかね ? 」 「貴方にやられたよ。・ ・ : ところで、河合のデ・フはどこへ しようしん 「 : : : 先生、わしの先祖は小身ながら士族でしてね。百姓行ったんですか : : : 」 や土方の真似はわしに適しないことがよく分りました。山 中村君はまだ寝覚めの不機嫌が抜けないのか、乱暴な言 崎のとつつあんや河合君をけしかけますよ : : : 」 葉遣いをした。 にんじん 中村君は、そちこちのお膳から、肉のきれや人参の煮付「ヒヒヒ : : : 。若え者同士、向うで話がはずんでますだ を、キンをつまんだ指先でひろってロの中に入れながら、 ム、げん 恐ろしく不機嫌そうな調子で言った。 それを裏書きするように、台所の方から、河合君とモョ 緲「いや、中村君。君がそういう心境ならばだね。さ 0 き山子のもつれた笑い声が聞えて来た。 記崎園主から耳よりな申し入れがあ 0 たんだよ。つまり、忙「チ = ! 仕様がねえな。・ : おーい、河合君、もう帰る 行しい君や河合君には、このひろい畑をすみからすみまで掘んだそう : ・ 先り起すことはまず不可能だし、自分に委せてくれって言う呼び出された河合君は、しぶしぶと帰り支度をはじめた。 そろ 石んだ。私もそのほうがいいと思うね。それに山崎さんも話縁側に並んで腰を下ろし、雨戸袋の下に揃えておいた自分 くっ が分って、今日半日でもムダ骨を折ったのはお気の毒だかの靴をとり上げた河合君は、ふとけげんそうに、 3 ら、林檎の二箱も背負っていって、みんなで食べてくれつ 「おかしいな。雨も降らないのに僕の靴は底までグショ濡 て言ってるんだよ。そうしたまえ、君」 れだけど : かん まか

10. 現代日本の文学Ⅱ-6 石坂洋次郎集

村君には少しばかりの林檎をしゃぶらせて、地中の隠退蔵それにしても、今日で四回目とかの会見だというのに、 あきら 物資を諦めさせようとしている。そして、あとは自分たちこの体たらくでは、河合君のように肥満した人間が、万事 こんたん にスローモーションだとする考え方が、いかに間違ったも の一家でゆるゆると細工をしようという魂胆なのだ ! によじっ のであるかを如実に証明している。だが、悪い気分ではな 石中先生は、畑の中を歩きまわりながら、一応腹を立てかった。若い一対の男女が、明るい日光と甘味のある空気 たような形で、山崎園主の野心を ( ッキリ表現してみたが、の中で、愛の陶酔に浸っている情景は、石中先生の胸に、 今日はじめて、人間の正常な営みに接した幸福感を味わわ しかし実際にはそう感情を刺激されたわけではなかった。 とぎばなし というのは、半ばお伽噺的に存在する土中の財産など、最せたのである。 石中先生は、自分も仲間入りをさせてもらうつもりで、 も執着力の強い人間がその権利を占有するのが当然だとい う気持がしたからである。そして、執着力ということにな柔らかい土を一「三歩踏み出したが、ふと、二人の会話が ると、ある種の魚のそれのように青光りする、山崎園主の耳に入ったので、足を止めた。 ・ : ねえ河 片方の目玉に示されたものほど根強いものは、気むらでお「ポカボカして、あたし眠くなっちゃったわ。 人よしでもある中村君には、到底期待できない性質のもの合さん、あたし、石中先生って恋愛小説を書いたりするか ら、もっと好男子かと思ったら、萎びてクシャンとした顔 であった : ・ なのね。おかしいわ」 赤い実がたわわにくつついた林檎の下枝をくぐりながら、 けさ 「全くですよ。僕も今朝はじめてお目にかかったんだけど、 空がひろく見える場所を探して、畑の中をぶらついて行く ・ : あれでも若い と、やがて地勢がいちだんと低くなって、遠くに岩木山や納豆をかけて朝飯を食っていましたよ。・ しり 青い水田を見晴らす一画に出た。が、その中のいちばんい時は、サーカスの女の子の尻を追いまわして、学校を退学 い場所は、すでに河合君とモョ子によって占領されていた。されそうになったというから、おかしい話ですね : : : 」 すわ 一一人は身体を寄せ合って坐っており、河合君はその太い腕「あら、サーカスの ? 教養が低いわね」 せきばら・ を窮屈そうにモョ子の背中にまわしていた。 「エッヘン ! 」と石中先生は大きな咳払いをした。 どういう訳か、モョ子はさっきのやくざ踊に用いた棒き「あら ! 」 えり かすりつつ れを、まだ腰にさしていたが、しかし赤い襟がけや絣の筒ふり向いて、。 ( ネ仕掛けのように立ち上がったモョ子は、 いきなり、腰にさしたやくざ踊の棒きれを抜いた。殴りか 袖が秋の陽にはえて、目が覚めるように鮮やかだった。 そで からだ なか りんご しな