150 のろ なんじむな であろう ! 囚われのしこ鳥よ、汝は空しき白日の呪いにそめの娯楽をも邪慳に罪するような態度に出て、二人は絶 生きょー こんなふうの詩とも散文とも訳のわからな 間なく野獣同士のごと啀み合 0 た。ルてが悔恨というのも ばふん たたヤ い口述原稿を、馬糞の多い其処の郊外の路傍に佇んで読み言い足りなかった。自制克己も、思慮の安定もなく、疲労 返し、ふと気がつくと涙を呑んで、又午後の日のカンカンと倦怠の在るがままに流れて来たのであった。 そうじ 照っている電車通りの方へ歩いて行くのであった。そして或年の秋の大掃除の時分、めつきり陽の光も弱り、蝉の しりはしょ てぬぐい 私は、自分が記者を兼ね女と一しょに宿直住いをさして貰声も弱った日、私は門前で尻を端折り手拭で頬冠りして、 うしごめ たた っている市内牛込の雑誌社に持ち帰ったことであった。一竹のステッキで畳を叩いていた。其処へ、まだまるで紅顔 このよ 九二八年の真夏、狂詩人が此世を去ってしまった頃から私の少年と言いたいような金釦の新しい制服をつけた大学生 の健康もとかく優れなかった。一度クロープ性肺炎に罹りが、つかっかと歩み寄って、 くにもと けったん 発熱して血痰が出たりした時、女が私には内証で国許に報「あなたは、大江さんでしよう ? 」と、問いかけた。 ちょっと もた じ、父が電報で上京の時間まで通知して来たが、出入りの 「 : : : 」私は頬冠りもとかずに、一寸顔を擡げ、きよとんと みすば 執筆同人の文士たちに見窄らしい田舎の父を見せることを大学生の顔を視上げた。「あなたは、どなたでしようか ? 」 ぎやはん 憂えて、折返し私は電報で上京を拒んだ。中学時代、脚絆「僕、香川です。四月から大学に来ています。前々から わらじ 草鞋で寄宿舎へやって来る父を嫌ったおり父が、オレで悪お訪ねしようと思っていて、ご住所が牛込矢来とだけは聞 いというのか、オレでは人様の手前が恥ずかしいというの いていましたけれども : ・ : ・」 さかえ か、われも矛レの子じゃよ オいか、と腹を立てた時のように、「香川 : : : あ、叉可衛さんでしたか。ほんとによく私を覚 病む子を々見舞おうとして出立の支度を整えた遠い故郷えていてくれましたねえ」 たまげ の囲炉裏端で、真赤に怒っているのならまだしも、親の情私はすっかり魂消てしまった。香川は私の初恋の娘雪子 しりぞ を斥けた子の電文を打黙って読んでいる父のさびしい顔が、の姉の子供であった。私は大急ぎで自分の室を片附け、手 ふとん 蒲団の中に呻いている私の眼先に去来し、つくづくと何処足を洗って香川を招じ上げた。そして近くの西洋料理屋か あつら まで行っても不幸の身である自分が深省された。略これとら一品料理など誂え、ビールを抜いて歓待した。彼の潤ん くちじり 前後して故郷の妻は子供を残して里方に復籍してしまった。だ涼しい眼や、ロ尻のしまった円顔やに雪子の面影を見出 どうせい あわれ はかな それまでは同棲の女の頼りない将来の運命を愍み気兼ねしして、香川を可愛ゆく思い、また夢見るような儚い心地で、 ていた私は、今度はあべこべに女が憎くな 0 た。女のかり私は遠い過去の果しない追憶にルるのであった。 よるばる かか けんたい ある じやけん きんぽたん ほおかむ かたづ
かぎ 行きっ戻りつした。強いて心を翌しようとすれば、弥が藤の変節を腹の底から憎んだ。私は心に垣を張 0 て決して 上に私の顔容はひずみ乱れた。が、逐一犯罪は検挙され、彼をその中に入れなかった。避け合っても二人きりでばっ ただ わッという只ならぬ泣声と共に、私たちは食事の客を投げたり出逢うことがあったが、二人とも異様に光った眼をチ ある ラリと射交し、ああ彼奴は自分に話したがっているのだな て入口に押しかけると、東寮の或三年生が刑事の前に罪状 あらわ を告白して泣き伏していた。私は自分が刺されたように胸ア、と双方で思っても露に仲直りの希望を言うことをしな そび かった。私はやぶれかぶれに依怙地になって肩を聳やかし が痛んで、意識が朦朧と遠くなった。 そのころ 人もあろうに、どうしてか、其頃から伊藤はばア様と親て己が道を歩いた。 しく交わり出した。従来伊藤の気づいてない私の性分をば 長い間ごたごたしていた親族の破産が累を及ぼして、父 ア様が一つ一つ拾い立てて中傷に努めていた矢先、藩主の まっ の財産が傾いたので、三年生になると私は物入りの多い寄 祖先を祀った神社の祭に全校生が参拝した際、社殿の前 げたや つまず ッ宿舎を出て、本町通りの下駄屋の二階に間借りした。家か で礼拝の最中石に躓いてよろめいた生徒を皆に混ってく ひばみ ゆきひら くッ笑った私を、後で伊藤がひどく詰った。これと前後しらお米も炭も取り寄せ、火鉢の炭火で炊いた行平の中子の よそ て、二人で川に沿うた片側町を歩いていた時、余所の幼いできた飯を物んで食べた。自炊を嫌う階下の亭主の当てこ おもちゃ 子供が玩具の鉄砲の糸に繋がったコルクの弾丸で私を撃っすりの毒舌を耳に留めてからは、私はたいがい乾餅ばかり しか たので、私が怒って・ハ力と叱ると、伊藤は無心の子供に対焼いて食べていた。階下の離座敷を借りている長身の陸軍 士官が、毎朝サ 1 ・ヘルの音をガチャンと鳴らして植込みの する私のはした無い言葉を厭うて、「ちえツ、君には、い かつばっ ほお ろいろイヤなところがある」と、顔を真赤にして頬をふく飛石の上から東京弁で、「行って参ります」と活な声を かけると、亭主は、「へえ、お早うお帰りませ」と響の音 らませ下を向いた。そして、それまでは並んで歩いていた ごと ふろしき まゆ 彼は、柳の下についと私を離れ、眉を寄せて外方を見詰めに応ずる如く言うのであった。私は教科書を包んだ風呂敷 アクセント はしごだん 上 包みを抱えて梯子段を下り、士官の音調に似せ、「行って ロ笛を吹き出した。 日増に伊藤は私から遠去り、そうした機会に、ばア様は参ります」と言うと、亭主は皮肉な笑いを洩しながら「へ 途 だんだん伊藤を私の手から奪って行って、完全に私を孤立え」と、頤で答えるだけだった。私は背後に浴びせる亭主は ちょうしよう ほのぐら またた 妬せしめた。思うと一瞬の目叩きの間に伊藤は私に背向いたじめ女房や娘共の嘲笑が聞えるような気がした。仄暗い あぎ のであった。私は呆れた。この時ばかりは私は激憤して伊うちに起きて家人の眼をかくれ井戸端でお米を磨いだりし もうろう つな そっぱ かか をら ほしもち と
みまも うらら なが なまり された不幸な彼女の顔が真正面に見戍っていられなかった。来て、麗かな春日をぼかぼかと浴び乍ら、信州訛で、やれ こわいろ 圭一郎は、自分に死別した後の千登世の老後を想うと、福助が、やれ菊五郎が、などと役者の声色や身振りを真似 ふるいおと にぎや 篩落したくも落せない際限のない哀愁に浸るのだった。社て、賑かな芝居の話しで持切りだった。何を生業に暮らし への往復に電車の窓から見まいとしても眼に入る小石川 ているのか周囲の人達にはさつばり分らない、ロ数少く控 うまぐるま たもと あわせ こうじん 橋の袂で、寒空に袷一枚で乳母車を露店にして黄塵を浴びえ目勝な彼等の棲へ、折々、大屋の医者の未亡人の一徹 ながら福餅を焼いて客を待っ脊髄の跼 0 たさんを、な老婢があたり惞ぬ無遠慮な権柄ずくな声で縫物の催促 どな だらけの顔を鏝塗りに艶装しこんで、船頭や、車引や、オに呶鳴り込んで来ると、裏の婆さん達は申し合せたように あいぎよう その ワイ屋さんにまで愛嬌をふりまいて其日其日の渡世を凌ぐばったり弾んだ話しを止め、そして声を潜めて何かこそこ ささや らしい婆さんの境涯を、彼は幾度千登世の運命に擬してはそと囁き合うのであった。 よだ 身の毛を弥立てたことだろう。彼は彼女の先々に知れず天気の好い日には崖上から眠りを誘うような物売りの声 展がるかもしれない、さびしく此土地に過ごされる不安をが長閑に聞えて来た。「草花や、草花や」が、「ナスの苗、 愚しく取越して、激しい動揺の沈まらない現在を、何うにキュウリの苗、ヒメュリの苗」という声に変ったかと思うと やが も拭い去れなかった。 瞬く間に「ドジョウはよごぎ ) い ドジョウ」に変り、軈て みずばなすす さわや 圭一郎は車の中などで水鼻洟を駸っている生気の衰え初夏の新緑をこめた輝かしい爽かな空気の波が漂うて来て、 切って萎びた老婆と向い合わすと、身内を疼く痛みと同時金魚売りの声がそちこちの路地から聞えて来た。その声を ごとふんぬ に焚くが如き憤怒さえ覚えて顔を顰めて席を立ち、急ぎ隅耳にするのも悲しみの一つだ。故郷の村落を縫うてゆるや ふしのがわ っこの方へ逃げ隠れるのであった。 かに流れる椹野川の川畔の草土手に添って曲り迂った白っ すげ ぽい往還に現れた、県の方から山を越えて遣って来る菅 がさかぶ 陽春の訪れと共に狭隘しい崖の下もに活気づいて来た。笠を冠 0 た金魚売りの、天秤棒を撓わせながら「金魚 = ー ぶちねこ まわ 大きな斑猫はのそのそ歩き廻った。渋紙色をした裏の菊作イ、鯉の子 : : : 鯉の子、金魚ョイーという触れの声がうら さび かいちょう りの爺さんは菊の苗の手入れや施肥に余念がなかった。怠淋しい階調を奏でて聞えると 1 村じゅうの子供の小さな心 つれあい なめしがわ けものの配偶の肥った婆さんは、これは朝から晩まで鞣革臓は躍るのだった。学校から帰るなり無理強いにさせられ こしら こづちたた おほ をコッコッと小槌で叩いて琴の爪袋を内職に拵えている北 る算術の復習の憶えが悪くて勝ち気な気性の妻に叱りつけ かなめ 隣のロ達者な婆さんの家の縁先へ扇骨木のををくぐってられた愁い顔の子供の、「父ちゃん、金魚買うてくれんか ひろ しな こてぬ せせこま がけ この しか うず しの のどか がけ てんびんぼうしな しか
からって、行く道は難い。これで前途が明るくなるとか、 と妙見神社の境内に着いたここからは遠く碧空の下に雪 平安とか、そういうのとは違うんだもの」 を頂いている北の方の群峰が鮮かに見えた。 わざわい かな うれ かな 災なる哉災なる哉、と思った。嬉しいような哀しいよ私は二十年もここに参に来てないわけであった。が昔 うな、張合抜けのしたような、空無とも虚無とも言いよう ながらに、森厳な、幽寂な、原始気分があった。雨にしめ ゅううつおお のない重い憂鬱が蔽いかぶさって、それきり私は押黙った。 った庭の桜の木で蒿雀が一羽枝を渡り歩いて、チチチと鳴 てきめん たた げた 一と時、覿面に来た興奮の祟りから顔が真赤に火照って いていた。乱雑な下駄の足跡を幾つものこしながら私達は せき とうつう くすり かやぶぎ 咳が出て、背筋の疼痛がジクジク起った。持って帰った薬燈籠の間を歩いて、茅葺の屋上に千木を組み合せた小じん びん しずみかす しか 瓶を取り上げると底の沈滓が上って濁れたが、私は顔を蹙まりした社の前に立った。拝殿の鴨居の , ・ーー旧在南山霊験 うんぬん めて口飲みにして、小一時間ほど静かにしていた。 神今遷于此、云々 : : : 寛文四年秋ーーーと彫り込んだ掛額の 外では小雨がそ・ほ降り出した。 前にぶら下った鈴の緒を、てんでに振って、鈴をジャラン 六里隔った町から午砲が聞えて来た。「おい、行こうそジャラン鳴らして拝殿に上り、正面の格子を開いて二畳の たんぜん え」と父の声がかかり、私は大儀だったが起きて丹前の上内陣に入った。 を外套でつつみ、戸口に立 0 て私を待 0 ている父と連れ立七五 = 一繻を張 0 た扉の前には、白木の = 一方に土器の御酒 かさ って私だけ傘をさして家を出た。私は帰郷以来初めての外徳利が二つ載ていた。そこへ持って来た重箱や徳利を供 たもと ろうそく 出だった。一と足遅れて家を出た、茣蓙を持った松美と、 えると、父は袂から蝋燭を三本出して、枯木の枝のような こげちゃ かっこう しよくだい レース糸の編み袋に入れた徳利をさげて焦茶色のコートを恰好した燭台に立てて火をつけた。そして畏まって扉に向 かしわで 着たユキと、重箱を抱えた母との三人が、家の下の土橋をつて柏手を打ち、「ナム妙見、ナム妙見」とロの中でぶつ あぜ こみち たた 一列に渡って田の畦を近道して山寄りの小径では一と足先ぶつ言った後、傍らの太鼓を叩くと、 婚にな 0 て、父と私との追い着くのを待った。学校服に吊鐘マカ ( ン = ャ ( ラミタシンギ ' ウ、カンジザイボウサッ ながぐっは おきよう マントを着て長靴を穿いた子供は、小犬のようにどんどん ・ : と御経を高々と読み出した。父の背後に私と子供とは 前 先へ走 0 て、積み藁のや伽の蔭から、わツー と言っきちんと畏まっていた。御経がずんずん進んでいる最中、 神 つまさき あかっちみち て飛び出してユキを魂がしたりした。爪先上りの赭土の径ユキが「お母さま、ほんとに静かないいところでございま きつにら を滑らないよう用心しいしい幾曲りし、天を衝いて立ってすね」と話し出したので、私はユキを屹と睨んで黙らせた。 どきよう さっそく いる樫や檜の密林の間の高い高い石段を踏んで、ようやっ 読経が終ると早速お重を下げ、ユキが寿司を皿にもって かしひのぎ たま ござ とうろう さん あおぞら さら
118 さび は消え褪せて、カッ子の無精から錆を出し、亀裂が入ってりの遅くなった夜など、橋が落ちて川に流されでもしたの 一度鋳掛屋の手を煩わしたことさえある。追々、彼女の心ではないかと気遣い豪雨を冒して不案内の新開街まで尋ね にも錆が出、亀裂が入って来たのではないかしら ? 私は尋ね迎えに来た彼女も、この頃では変り果てた有様で、私 しゅうう うけが めいもう よくめ 慾目から迷妄から、半ば否定し、半ば肯うのだが、カッ子は驟雨に遭って飯田棏駅でものの一時間ほど立ち尽し、と うっちゃ せんさくしばら の気持の詮索は姑く差置くとして、郷里の村に打遣ってあうとう待つ人は来なくて濡れ鼠のようになり、烈しい息遣 のろ った妻は、私がカッ子と駈落ちして一箇年半経った森川町いをして女の冷たさを呪い呪い帰って来る始末なのである。 がけ それにしても森川町時代は、わが身ながら、こうもあわ 崖下の廃屋に佗び住む当時自ら離籍を迫って町の実家に ぽんのう しよせん * たんあいしんぞう 帰ってしまったのである。後に残された小学校へ上ったばれではなかった。所詮、貪愛胸憎の意地悪い不可抗な煩悩 かりの子供は、私の両親に養育されて不自由を知らないとを、私はどう急作し急修すればよいのか ? 大体は何もわ はいうものの、丹毒の恐ろしい手術の結果、頭部に数ヶ所かっていることながら、よるひるつねにさびしい くろめがね の禿ができ、片眼を失明して黒眼鏡を掛けているという不 ひき ほとん 幸を知って以来、私の絶望には限りが無かった。それはひ私は殆ど誰にも会うことなしに幾箇月かの間打続けに引 ふさ ふふく 籠っていた。三方は壁で塞がれ、びったり締め切った庭に どい悲しみであった。私は地びたに身を俯伏せんばかりに からかみは がらす わめ して泣き喚いた。そして、別れた妻、片輪の子供、老いた面した二枚の硝子障子には唐紙を貼りつけてあるので従っ しやだん ふたおや 双親、に対する謝罪的な良心の苛責を感ずる毎に、ただたて外界の風物を眼から遮断した心安い三畳に、私は掻巻き おきふし ろうれってくだ だ私の陋劣な手管にかかって引き攫えられて来て起臥を共代りの古マントにくるまり、大抵は寝ころんで眼を瞑り、 にしているカッ子に、昼夜の別なく反動を持って行った。所在ないままに自ら問うて自らの答に窮するような、そう らんだ かわ 女ごころにさしての渝りも懈怠もないにしろ、私の火の性、した無為の一日一日の繰返しであった。と言えば、懶惰に たまたま またてきめん 水の性、に乗り憑かれては、彼女も亦覿面、火となり水と似て、しかし何んでそれが願っていられよう。偶々跳ね起 たちま ならざるを得ない。私が発作的に悩乱してカッ子に飛掛りきて、壁際に据えた小机に向って見ても、忽ち荒々しい気 うなだ くび そそう なぐ 顔の曲るほど擲りつけ闕みつくかした場合、彼女は歯の痕力に沮喪を来し、ガクリと頸を折って俛首れてしまうので ひざ が紫色にれ上った二の腕をまくって実に驚くべき劣等あった、両手を強く膝の上に攀じ屈するようにして。 ちゅうちょ な言を投げかけることに躊躇しないし、三年前私が雑誌私は十四五歳から二十四五歳までの十年間を、故郷の寒村 つめき の用事で郊外の或小説家に詰切っていて降り籠められて帰で、牛飼や、芋掘や、荒地の開拓など、家業の手伝いをし はげ きれつ ある かけお さら おいおい あと ぬわずみ かいま
205 過古 はげ その子供は何も知らないで、町角を曲って見突然烈しい音響が野の端から起った。 なみだ 華ばなしい光の列が彼の眼の前を過って行った。光の波 えなくなってしまった。彼は泪ぐんだ。何という旅情だー おえっ は土を匍って彼の足もとまで押し寄せた。 それはもう嗚咽に近かった。 きかんしやけむり 汽鑵車の烟は火になっていた。反射をうけた火夫が赤く 或る夜、彼は散歩に出た。そして何時の間にか知らない動いていた。 くらやみ みち 路を踏み迷っていた。それは道も灯もない大きな暗闇であ客車。食堂車。寝台車。光と熱と歓語で充たされた列車。 った。探りながら歩いてゆく足が時どき凹みへ踏み落ちた。激しい車輪の響きが彼の身体に戦慄を伝えた。それはは それは泣き度くなる瞬間であった。そして寒さは衣服に染じめ荒々しく彼をやつつけたが、遂には得体の知れない感 情を呼び起した。涙が流れ出た。 み入ってしまっていた。 おそ 時刻は非常に晩くなったようでもあり、またそんなでも響きは遂に消えてしまった。そのままの普段着で両親の ないように思えた。路を何処から間違ったのかもはっきり家へ、急行に乗って、と彼は涙の中に決心していた。 しなかった。頭はまるで空虚であった。ただ、寒さだけを 覚えた。 たもと 彼は燐寸の箱を袂から取り出そうとした。腕組みしてい る手をそのまま、右の手を左の袂へ、左の手を右の袂へ突 込んだ。燐寸はあった。手ではんでいた。然しどちらの つか 手でんでいるのか、そしてそれをどう取出すのか分らな 暗闇に点された火は、また彼の空虚な頭の中に点された 彼ま人心地を知った。 火でもあった。 , 冫 ほのお 一本の燐寸の火が、烙が消えて炭火になってからでも、 闇に対してどれだけの照力を持っていたか、彼ははじめて 知った。火が全く消えても、少しの間は残像が彼を導い っ せんりつ
静に帰っていた。そこへ友達の折田というのが訪ねて来た。「あと一と衝きというところまでは、その上にいて鶴嘴を 食欲はなかった。彼は直ぐ二階へあがった。 あてている。それから安全なところへ移って一つぐわんと 折田は壁にかかっていた、星座表を下ろして来て頻りにやるんだ。すると大きい奴がどど 1 んと落ちて来る」 目盛を動かしていた。 「ふーん。なかなか面白い」 「よう」 「面白いよ。それで大変な人気だ」 折田はそれには答えず、 堯らは話をしているといくらでも茶を飲んだ。が、へい ちやわんしき 「どうだ。雄大じゃあないか」 ぜい自分の使っている茶碗で頻りに茶を飲む折田を見ると、 それから顔をあげようとしなかった。堯はふと息を嚥んその度彼は心が話からそれる。その拘泥がだんだん重く堯 だ。彼にはそれが如何に壮大な眺めであるかが信じられた。にのしかかって来た。 せぎ 「休暇になったから郷里へ帰ろうと思ってやって来た」 「君は肺病の茶碗を使うのが平気なのかい。咳をする度に 「もう休暇かね。俺はこんどは帰らないよ」 ・ハイキンはたくさん飛んでいるし。ー・・ーー平気なんだったら 「どうして」 衛生の観念が乏しいんだし、友達甲斐にこらえているんだ 「帰り度くない」 ったら子供みたいな感傷主義に過ぎないと思うなーーー僕は 「うちからは」 そう思う」 「うちへは帰らないと手紙出した」 云ってしまって堯は、なぜこんないやなことを云ったの 「旅行でもするのか」 かと思った。折田は目を一度ぎろとさせたまま黙っていた。 「いや、そうじゃない」 「しばらく誰も来なかったかい」 折田はぎろと堯の目を見返したまま、もうその先を訊か「しばらく誰も来なかった」 うわさ なかった。が、友達の噂学校の話、久の話は次第に出て「来ないとひがむかい」 来た。 こんどは堯が黙った。が、そんな言葉で話し合うのが堯 このごろ 「此頃学校じゃあ講堂の焼跡を毀してるんだ。それがね、 にはなぜか快かった。 労働者が鶴嘴を持って焼跡の煉瓦壁へ登って : : : 」 「ひがみはしない。しかし俺も此頃は考え方が少しちがっ その現に自分の乗っている煉瓦壁へ鶴嘴を揮っている労て来た」 「そうか」 働者の姿を、折田は身振をまぜて描き出した。 つるはし おれ れんが なが こわ きゅう、つ ふる たび ちやわん こうでい
261 愛撫 イのなかに、外観上の年齢を遙かにながく生き延びる。と つくに分別の出来た大人が、今もなお熱心にーー・厚紙でサ ンドウィッチのように挾んだうえから一と思いに切って見 たら ? こんなことを考えているのである ! ところ が、最近、ふとしたことから、この空想の致命的な誤算が ばくろ 曝露してしまった。 うさぎ 元来、猫は兎のように耳で吊り下げられても、そう痛が らない。引張るということに対しては、猫の耳は奇妙な構 造を持っている。というのは、一度引張られて破れたよう な痕跡が、どの猫の耳にもあるのである。その破れた箇所 には、また巧妙な補片が当っていて、全くそれは、創造説 猫の耳というものはまことに可笑しなものである。薄べ じゅうもう ったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛がを信じる人にとっても進化論を信じる人にとっても、不可 こつけい 生えていて、裏はビカビカしている。硬いような、柔らか思議な、滑稽な耳たるを失わない。そしてその補片が、耳 ゆる いような、なんともいえない一種特別の物質である。私はを引張られるときの緩めになるにちがいないのである。そ 子供のときから、猫の耳というと、一度「切符切り」でパ んな訳で、耳を引張られることに関しては、猫は至って平 みた たま チンとやって見度くて堪らなかった。これは残酷な空想だ気だ。それでは、圧迫に対してはどうかというと、これも つ、つか ? 指でつまむ位では、、 しくら強くしても痛がらない。さきほ つね 否。全く猫の耳の持っている一種不可思議な示唆力によどの客のように抓って見たところで、極く稀にしか悲鳴を ひざ るのである。私は、家へ来たある謹厳な客が、膝へあがっ発しないのである。こんなところから、猫の耳は不死身の つね て来た仔猫の耳を、話をしながら、しきりに抓っていた光ような疑いを受け、ひいては「切符切り」の危険にも曝さ 景を忘れることが出来ない。 れるのであるが一ある日、私は猫と遊んでいる最中に、と このような疑惑は思いの外に執念深いものである。「切うとうその耳を物んでしまったのである。これが私の発見 符切り」でパチンとやるというような、児戯に類した空想だったのである。物まれるや否や、その下らない奴は、直 も、思い切って行為に移さない限り、われわれのアンニュちに悲鳴をあげた。私の古い空想はその場で壊れてしまっ あい こわこ こんせき はる まれ さら
へだ 彼の一日は低地を距てた天色の洋風の木造家屋に、どのった。みたされない堯の心の燠にも、やがてその火は燃え 日もどの日も消えてゆく冬の日に、もう堪えきることが出うつった。 あお 来なくなった。窓の外の風景が次第に蒼ざめた空気のなか「こんなに美しいときが、な・せこんなに短いのだろう」 ひかげ へ没してゆくとき、それが既にただの日蔭ではなく、夜と彼はそんなときほどはかない気のするときはなかった。 名けられた日蔭だという自覚に、彼の心は不思議ないら燃えた雲はまたつぎつぎに死灰になりはじめた。彼の足は もう進まなかった。 だちを覚えて来るのだった。 「あの空を涵してゆく影は地球のどの辺の影になるかしら。 「あああ大きな落日が見たい」 彼は家を出て遠い展望のきく場所を捜した。歳暮の町にあすこの雲へゆかないかぎり今日ももう日は見られない」 もちっ ふくじゅそう にわかに重い疲れが彼に凭りかかる。知らない町の知ら は餅搗きの音が起っていた。花屋の前には梅と福寿草をあ しらった植木鉢が並んでいた。そんな風俗画は、町がどこない町角で、堯の心はもう再び明るくはならなかった。 をどう帰っていいかわからなくなりはじめるにつれて、だ みら んだん美しくなった。自分のまだ一度も踏まなかった路 けんか ーー其処では米を磨いでいる女も喧嘩をしている子供も彼 を立停まらせた。が、見晴らしはどこへ行っても、大きな こずえ 屋根の影絵があり、タ焼空に澄んだ梢があった。その度、 遠い地平へ落ちてゆく太陽の隠された姿が切ない彼の心に 写った。 わず 日の光に満ちた空気は地上を僅かも距っていなかった。 彼の満たされない願望は、ときに高い屋根の上へのぼり、 空へ手を伸している男を想像した。男の指の先はその空気 ジャポンだま あお に触れている。 また彼は水素を充した石鹸玉が、蒼ざ めた人と街とを昇天させながら、その空気のなかへパッと 七彩に浮び上る瞬間を想像した。 青く澄み透った空では浮雲が次から次へ美しく燃えてい たちど とお みた へだた ひた おぎ
「このべべ何としたんや」と云って濡れた衣服をひつばつ行った北牟婁の山の中だっただけに、もう一つその感じは て見ても「知らん」と云っている。足が滑った拍子に気絶深かった。 おぼ しておったので、全く溺れたのではなかったと見える。 峻が北牟婁へ行ったのは、その事件の以前であった。お そして、何とまあ、何時もの顔で踊っているのだ。 祖母さんは勝子の名前を、その当時もう女学校へ上ってい はず 兄の話のあらましはこんなものだった。丁度近所の百姓た筈の信子の名と、よく呼び違えた。信子はその当時母な こちら 家が昼寝の時だったので、自分がその時起きてゆかなけれどと此方にいた。まだ信子を知らなかった峻には、お祖母 たびごと ばどんなに危険だったかとも云った。 さんが呼び違える度毎に、信子という名を持った十四五の 話している方も聞いている方も惹き入れられて、兄がロ娘が頭に親しく想像された。 をつぐむと、静かになった。 「わたしが帰って行ったらお裡母さんと三人で門で待って はるの」姉がそんなことを云った。 なが 「何やら家にいてられなんだわさ。着物を着かえてお母ち峻は原つばに面した意に倚りかかって外を眺めていた。 ゃんを待っとろと云うたりしてなあ」 灰色の雲が空一帯を罩めていた。それはずっと奥深くも 「お祖母さんがぼけはったのはあれからでしたな」姉は声見え、また地上低く垂れ下っているようにも思えた。 を少しひそませて意味の籠った眼を兄に向けた。 あたりのものはみな光を失って静まっていた。ただ遠い ちょっと、、 「それがあってからお祖母さんが一寸ぼけみたいになりま病院の避雷針だけが、どうしたはずみか白く光って見える。 してなあ。何時まで経ってもこれに ( といって姉を指し ) 原つばのなかで子供が遊んでいた。見ていると勝子もま てよしゃんに済まん、よしゃんに済まんと云いましてなあ」じっていた。男の児が一人いて、なにか荒い遊びをしてい 明「なんのお祖母さん、そんなことがあろうかさ、と云ってるらしかった。 勝子が男の児に倒された。起きたところをまた倒された。 あいるのに : : : 」 のそれからのお祖母さんは目に見えてぼけて行って一年程今度はぎゅうぎゅう押えつけられている。 一体何をしているのだろう。なんだかひどいことをする。 経ってから死んだ。 峻にはそのお祖母さんの運命がなにか惨酷な気がした。 そう思って峻は目をとめた。 それが故郷ではなく、勝子のお守りでもする気で出かけて それが済むと今度は女の子連中が・ーー・それは三人だった たかし こ こ