142 はず 老眼鏡を気忙しく耳に拠んだり外したりし乍ら、相好を崩「僕も黒いか ? しんそっき 畳みかけて伊藤は真率に訊いた。相当黒いほうだと思っ した笑顔で愛弟子の成功を自慢した。 うそ 「ウウ、この中で、誰が第二の芳賀になる ? ウウ、誰じたが、いや、白い、と私は嘘を吐いた。 ごう 毫も成心があってではないが、伊藤は折ふし面白半分に 私の色の黒いことを言ってからかった。それが私の不仕合 教室を出ると私は伊藤の傍に走り寄って、 「伊藤君、先生は君の顔を見た、たしかに見た、第二の芳せなさまざまの記憶を新にした。多分八九歳位の時代のこ とであった。私の一家は半里隔った峠向うに田植に行った。 賀に君は擬せられとる ! 」と私は息を弾ませて言った。 「ちょツ、鹿言うな、人に笑われる・せ、お止しツ」と伊水田は暗い低い雲に蔽われて、も鳴かず四辺は鎮まって たしな かぶ いた。母がそこの野原に裾をまくって小便をした。幼い妹 藤は冠せるように私を窘めた。 が母にむずかっていた。その場の母の姿に醜悪なものを感 私は中学を出れば草深い田舎に帰り百姓になる当てしか まゆ たすき ない。もう自分などはどうでもいいからと私は心で繰返しじてか父は眉をひそめ、土瓶の下を焚きつけていた赤い襷 た。幾年の後、軍人志望の伊藤の、肩に金モールの参謀肩がけの下女と母の色の黒いことを軽蔑の口調で囁き合った。 ながわりご 章を、胸に天保銭を、そうした彼の立身出世のみが胸に宿妹に乳をふくませ乍ら破子の弁当箱の底を箸で突っついて かなた って火のように燃えた。時として遠い彼方のそれが早くもいた母が、今度は私の色の黒いことを出し抜けに言った。 今実現し、中老の私は山の家で、峡谷のせせらぎを聞き、下女が善意に私を庫うて一言何か口を拠むと母が顔を曇ら かっ 星のちらっく空を仰ぎ、ただ曾ての親友の栄達に満悦し切せぶりぶり怒って、「いいや、あの子は、産れ落ちるとき くび っているような錯覚を教室の机で起しつづけた。ふと我にから色が黒かったい、あれを見さんせ、頸のまわりと来ち 返って伊藤が英語の誤訳を指摘されたりした場合、私の心や、まるつきり墨を流したようなもん。日に焼けたんでも、 あか ようしゃ 臓はしばし鼓動をやめ、更に深く更にやるせない一種の悲垢でものうて、素地から黒いんや」と、なさけ容赦もなく しようそう うず いんえい 壮なまでの焦躁が底しれず渦巻くのであった。 言い放った。その時の、魂の上に落ちた陰翳を私は怦時ま くびすじ てぬぐい 「君は黒い、頸筋なんそ墨を流したようなそ」 でも拭うことが出来ない。私は家のものに隠れて手拭につ と言 0 て伊藤は私の骨張 0 た頸ッ玉に手をかけ、二 = 一歩後つんだで顔をこすり出した。下女の美顔水を盗んで顔 うちかす すさりに引っ張った。私の衷を幽かな怖れと悲しみが疾風にすりこんだ。朝、顔を洗うと直ぐ床の間に据えてある私 のごとく走った。 専用の瀬戸焼の天神様に、どうぞ学問が出来ますようと疇 きぜわ まなでし おそ なが そうごう すそ どびん た けいべっ ささや
員会議が開かれた折、ひとり舎監室で謹慎していた川島先も二人でやった。君はそれ程強くはないが粘りつこいので 生は、通りがかりの私を廊下から室の中に呼び入れ、「わ誰よりも手剛い感じだと、そう言って褒めたと思うと、彼 くら きっと すの子供も屹度停学処分を受けることと思うが、それでも独得の冴えた巴投げの妙技を喰わして、道場の真中に私を うれ 君のように心を入れかえる機縁になるなら、わすも嬉しい投げた。跳ね起きるが早いか私は噛みつかんばかりに彼に こうせん ふんば うった がのう」と暗然とした涙声で愬えた。私の裡に何んとも言組みついた。彼は昻然とゆるやかに胸を反らし、踏張って えりくびそで すく カむ私の襟頸と袖とを持ち、足で時折り掬って見たりしな えぬ川島先生へ気の毒な情が湧き出るのを覚えた。 ゅうよう かっさい ほど無く私は幾らかの喝采の声に慢心を起した。そしてがら、実に悠揚迫らざるものがある。およそ彼の光った手 何時しか私は、独り・ほっちであろうとする誓約を忘れてし際は、学問に於いて、運動に於いて、事毎にいよいよ私を おそ あなが しんぎん 畏れさせた。このような、凡て、私には身の分を越えた伊藤 まったのであろうか。強ち孤独地獄の呻吟を堪えなく思っ しっと ある たわけではないが、或偶然事が私を伊藤に結びつけた。伊との提携を、友達共は半ば驚異の眼と半ば嫉妬の眼とで視 かつばっぴんしよう 藤は二番という秀才だしその上活敏捷で、さながら機械た。水をさすべくその愛は傍目にも余り純情で、殊史らし ごと 人形の如く金棒に腕を立て、幅飛びは人の二倍を飛び、木い誠実を要せず、献身を要せず、而も聊の動揺もなかっ 馬の上に逆立ち、どの教師からも可愛がられ、組の誰にもた。溢るる浄福、和やかな夢見心地、誇りが秘められなく 差別なく和合して、上級生からでさえ尊敬を受けるほど人て温厚な先生の時間などには、私は柄にもなく挑戦し、 ききよう おびただ 気があった。彼は今は脱落崩壊の状態に陥っているが夥ろいろ奇矯の振舞をした。 中学の卒業生で、このほど陸軍大学を首席で卒業し、 しい由緒ある古い一門に生れ、川向うの叔母の家からびか びか磨いた靴を穿いて通学していた。朝寄宿舎から登校す恩賜の軍刀を拝領した少佐が、帰省のついでに一日母校の けんしよう る私を、それまではがやがやと話していた同輩達の群から漢文の旧師を訪ねて来た。金モールの参謀肩章を肩に巻き、 彼は離れて、お 1 、お早う、と敏活な男性そのもののき天保銭を胸に吊った佐官が人力車で校門を辞した後姿を見 びきびした音声と情熱的な眼の美しい輝きとで迎えた。私送った時、さすがに全校のどんな劣等生も血を湧かした。 ちんうつ 「ウウ、芳賀君の今日あることを、わしは夙に知っとった。 は悩ましい沈鬱な眼でじっと彼を見守った。二人は親身の 兄弟のように教室の出入りや、運動場やを、腕を組まんば芳賀君は尤も頭脳も衆に秀でておったが、彼は山陽の言う かりにして歩いた。青々とした芝生の上にねころんで晩夏た、才子で無うて真に刻苦する人じゃった」と、創立以来 の広やかな空を仰いだ。学科の不審を教えて貰った。柔道勤続三十年という漢文の老教師は、癖になっている鉄縁の みが くつは かわい てんばうせん あふ もっと ともえな はため しか こと′」と いささか
140 しかし、何うしためぐり合せか私には不運が続いた。こ熊手の柄でよかった : : : 」 たと ろべば糞の上とか言う、この地方の譬え通りに。初夏の赤ほんとうに、もし過ってその人の脳天に熊手の光る鉄爪 い太陽が高い山の端に傾いたタ方、私は浴場を出て手拭をを打ち込んだとしたら、私は何んとしたらいいだろう ? さげたまま寄宿舎の裏庭を横切っていると、青葉にかこま一瞬私の全身に湯気の立っ生汗が流れた。私は、その後幾 おお れたそこのテニス・コートで。ほん。ほんポールを打っていた 日も幾日も、思い出しては両手で顔を蔽うて苦痛の太息を せつな はしゃ 一年生に誘い込まれ、私は減多になく躁いで産れてはじめ吐いた。手を動かし足を動かす一刹那に、今にも又、不公 てラケットを手にした。無論直ぐ仲間をはずれて室に戻っ平な運命の災厄がこの身の上に落ちかかりはしないかと怖 その たが、ところで其晩雨が降り、コートに打っちやり放しにじ恐れ、維持力がなくなるのであった。 暑中休暇が来て山の家に帰った五日目、それのみ待たれ なっていたネットとラケットが濡れそびれて台なしになっ こと′」と すご た。そこで庭球部から妻い苦情が出て、さあ誰が昨日最後た成績通知簿が届いた。三四の科目のほか悉く九十点を しらみ にラケットを握ったかを虱つぶしに突きつめられた果、私取っているのに、今度から学期毎に発表記入されることに の不注意ということになり、頬の肉が硬直して申し開きのなった席次は九十一番だった、私はがっかりした。私は全 たが 出来ない私を庭球部の幹事が舎監室に引っ張って行き、有く誰かの言葉に違わず、確かに低能児であると思い、もう つり ばっしよう 無なく私は川島先生に始末書を書かされた上、したたか説楽しみの谷川の釣も、山野の跋陟も断念して、一と夏じゅ あお ふさ う鬱ぎ切って暮した。九月には重病人のように蒼ざめて寄 法を喰ってしまった。 引き続いて日を経ないタ食後、舎生一同が東寮の前の菜宿舎に帰った。私はどうも腑に落ちないので、おそるおそ 園に出て働いた時のことであった。私のはっしと打ち込んる川島先生に再調査を頼むと九番であったことが分った。 かいしゅん だが、図らず向い合った人の熊手の長柄に喰い込んだ「君は悔悛して勉強したと見えて、いい成績だった」と、 途端、きやアと驚きの叫び声が挙った。舎生たちが仰天し初めてこぼれるような親しみの笑顔を見せた。私は狂喜し にわか た。こうした機会から川島先生の私への信用は俄に改まっ て棒立ちになった私を取り巻いた。 うら たび 「えーい、君、少し注意したまえ ! 」と色を失って飛んでた。私の度重なる怨みはたわいなく釈然とし、晴々として よいふ たてじわ みけん 来た川島先生は腑を絞った声で眉間に深い堅皺を刻み歯翼でも生えてひらひらとそこら中を舞い歩きたいほど軽い をがたがた顫わして叱ったが、を流れる私の涙を見ると、気持であった。一週日経ってから一級上の川島先生の乱暴 「うん、よしよし、まア、 x x 君の頭で無くてよかった、 な息子が、学校の告知板の文書を知ぎ棄てた科で処分の教 ふる しか めった あが てぬぐい てつづめ
ひをよう はなはすんぎ 「き、き、君の態度は卑怯だ。甚だ信義を欠く。た、た、 に涙を流した。 誰にも言わぬなんて、実ーーに言語道断であるんで、ある。停学を解かれた日学校に出る面目はなかった。私は校庭 ちょうかい ぶんどりびん かばん わすはソノ方を五日間の停学懲戒に処する。佐伯も処分すに据えられた分捕品の砲身に縋り、肩にかけた鞄を抱き寄 かしやく る考げえであったが、良心の呵責を感ずて、今ここで泣いせ、こごみ加減に皆からじろじろと向けられる視線を避け ゆる ていた。 だがら、と、と、特別に赦す ! 」 二度という強度の近眼鏡を落ちそうなまで鼻先にずらし「イヨ、君、お久しぶりじゃの。稚児騒ぎでもやったんか ども た、鼠そっくりの面貌をした川島先生の、怒るとひどく吃え ? 」 けん - 一うこっ る東北弁が終るか、前々日の午前の柔道の時間に肩胛骨を と、事情を知らない通学生がにやにや笑いながら声をか ほうたい 挫いて、医者に白い繃帯で首に吊って貰っていた腕の中にけてくれたので「いいや、違うや」と、仲間に初めて口が 私は顔を伏せてヒイと泣きだしたが、もう万事遅かった。 利けて嬉しかった。私はその通学生を長い間徳としていた。 うすべり 最早私には、学科の精励以外に自分を救ってくれるもの 私は便所の近くの薄縁を敷いた長四畳に孤坐して夜となく たた 昼となく涙に【はせんだ。自ら責めた。一切が思いがけなか はないと思った。触らぬ人に祟りはない、己の気持を清浄 けが った。恐ろしかった。便所へ行き帰りの生徒が、わけてもに保ち、怪我のないようにするには、孤独を撰ぶよりない れいちょう 新入生が好奇と冷嘲との眼で〈顔をすりつけて前を過と考えた。教場で背後から何ほど鉛筆で頸筋を突 0 つかれ くっ ぎるのが恥ずかしかった。誰も、佐伯でさえも舎監の眼をようと、靴先で蹴を蹴られようと、眉毛一本動かさず瞬き きたん おもんばか 慮って忌憚の気振りを見せ、慰めの言葉一つかけてくれ一つしなかった。放課後寄宿舎に帰ると、室から室に油を くや ないのが口惜しかった。柔道で負傷した知らせの電報で父売って歩いていた以前とは打って変り、小倉服を脱ぐ分秒 かけっ ナ 1 プルケじ が馬に乗って駈付けたのは私が懲罰を受けた前日であるのを惜んで卓子に噛りついた。いやが上にも陰性になって仲 に、そして別れの時の父の顔はありありと眼の前にあるの 間から敬遠されることも意に介せず、それは決して嘗ての ごと 上 に、一体この始末は何んとしたことだろう。私は巡視に来如き虚栄一点張の努力でなく周囲を顧みる余裕のない一国 ひざ かんもく た川島先生に膝を折って父に隠して欲しい旨を頼んだが、 な自恃と緘黙とであった。ただ予習復習の奮励が教室でめ 途 けれども通知が行って父が今にもやって来はしないかと思きめきと眼に立っ成績を挙げるのを楽しみにした。よし頭 あたり つどごと ほうたい めいせき うえん うと、もう四辺が真っ黒い闇になり、その都度毎に繃帯で脳が明晰でないため迂遠な答え方であっても、答えそのも おえっ かす しばった腕に顔を突き伏せ嗚咽して霞んだ眼から滝のようのの心髄は必ず的中した。 くじ かん わずみ めんぼう こざ もはや すが えら かっ
138 学年始めの式の朝登校すると、控所で、一と塊になって伯の鼻意気をい、気に入るよう細心に骨折っていた。 誰かれの成績を批評し合 0 ていた中の一人が、私を次る或夜、定例の袋敲きの制裁の席上、禿と綽名のある生意 くら そろ と即座に、一同はわっと声を揃えて笑った。 気な新入生の横づらを佐伯が一つ喰わすと、かれはしくし 二年になると成績の良くないものとか、特に新入生を虐く泣いて廊下に出たが、丁度、寮長や舎監やの見張番役を とびら さら めそうな大兵のものとかは、三年生と一緒に東寮に移らな仰付かって扉の外に立っていた私は、かれが後頭部の皿を ければならなかったが、私は運よく西寮に止まり、もちろふせたような円形の禿をこちらに見せて、ずんずん舎監室 ん室長でこそなかったにしろ、それでも一年生の前では古のほうへ歩いて行ったのを見届け、確かに密告したことを ふる なだすか 参として猛威を揮う類に洩れなかった。室長は一年の時同直観した。私はあとでそっと禿を捉え、宥め賺し誰にも言 しつよう 室だった父親が県会議員の佐伯だった。やはり一年の時同わないから打明けろと迫って見たが、禿は執拗にかぶりを せがれ ′」うはら 室だった郵便局長の伜は東寮に入れられて業腹な顔をして掉った。次の日も又次の日も、私は誰にも言わないからと くど ずる いた。或日食堂への行きずりに私の袖をつかまえ、今日わ狡い前置をして口説いたすえ、やっと白状させた。私はほ れわれ皆で西寮では誰と誰とが幅を利かすだろうかを評議くほくと得たり顔して急ぎ佐伯に告げた。した佐伯に おとなし したところ、君は温順そうに見えて案外新入生に威張る手詰責されて禿は今度はおいおい声を挙げて泣き出し、掴ま 合だという推定だと言って、私の耳をグイと引っ張った。 えようとした私から滑り抜けて飛鳥のように舎監室に走っ 事実、私はちんちくりんの身体の肩を怒らせ肘を張って、 た。三日おいて其日は土曜日の放課後のこと、舎監室で会 おうよう 廊下で行き違う新入生のお辞儀を鷹揚に受けつつ、ゆるく議が開かれ、ビリビリと集合合図の笛を吹いて西寮の二年 おおまた 大股に歩いた。そうして鵜の目鳩の目であらを見出し室長生全部を集めた前で、旅行中の校長代理として舎監長の川 てつけん じゅんじゅん の佐伯に注進した。毎週土曜の晩は各室の室長だけは一室島先生が、如低に鉄拳制裁の野蛮行為であるかを諄々と に集合して、新入生を一人一人呼び寄せ、いわれない折檻説き出した。日 丿島先生が息を呑む一瞬のあいだ身動きの音 をした。私は他の室長でない二年生同様にさびしく室に居さえたたず鎮まった中に、突然佐伯の激しい吸り泣きが起 残るのが当然であるのに、家柄と柔道の図抜けて強いこと った。と、他人ごとでも見聞きするようにぼッんとしてい へぎれきごと とで西寮の人気を一身にあつめている佐伯の忠実な、必要た私の名が、霹靂の如くに呼ばれた。 ふとんむ こしぎんちゃく な欠くべからざる腰巾着として、鉄拳制裁や蒲団蒸しの席「一歩前へッ ! ー休職中尉の体操兼舎監の先生が行き成り につらなることが出来た。一番にも二番にも何より私は佐私を列の前に引き摺り出した。 たか てつけん ひじ せつかん おおせつ の とら
137 途上 のご飯の食べ方がきたないことを指摘し、ロが大きいとか、ているとが切れ跳ね飛ばされて天に上り雷さまの太鼓叩 ようぼう 行儀が悪いとか、さんざ品性や容貌の劣悪なことを面と向きに雇われ、さいこ槌を振り上げてゴロゴロと叩けば五五 ののし って罵った。私は悲しさに育ちのいい他の二人の、何処かの二十五文、ゴロゴロと叩けば五五の二十五文儲かった、 あんばい はなしか 作法の高尚な趣、優雅な言葉遣いや仕草やの真似をして物といった塩梅に咄家のような道化た口調で話して聞かせ、 じようるり ほとん ふしまわ 笑いを招いた。私の祖父は殆ど日曜日毎に孫の私に会いに次にはうろ覚えの浄瑠璃を節廻しおもしろう声色で語って 、つこう 来た。白い股引に藁草履を寧いた田子そのままの慨好して室長の機嫌をとった。病弱な室長の寝小便の罪を自分で着 かしわもち ふとん 家でこさえた柏餅を提けて。私は柏餅を室のものに分配して、蒲団を人の目につかない柵にかけて乾かしてもやった。 たが、皆は半分食べて窓から投げた。私は祖父を来させな期うしてとうとう棘の道を踏み分け他を凌駕して私は偏 いよう家に書き送ると、今度は父が来出した。父の風采身屈な室長と無二の仲よしになった。するうち室長は三学期 はじめごろじんぞう なりとも祖父と大差なかったから、私は父の来る日は、入の始頃、腎臓の保養のため遠い北の海辺に帰って間もなく 学式の前晩泊った街道筋の宿屋の軒先に朝から立ちつくし死んでしまった。遺族から死去の報知を受けたものは寄宿 て、そこで父 ? 掴まえた。祖父と同様寄宿舎に来させまい 舎で私一人であった程、それだけ私は度々見舞状を出した。 おれ とする魂胆を勘付いた父は、「俺でも悪いというのか、わ室長の気の毒な薄い影が当分の間は私の眼光にこびりつい がくせん れも俺の子じゃないか、親を恥ずかしゅう思うか、罰当りていた。が、愕然としてわれに返ると、余り怠けた結果、 にわかろうばし くちびる どな め ! 」と唇をひん曲げて呶鳴りつけた。とも角、何は措私は六科目の注意点を受けていたので、俄に狼狽し切った いても私は室長に馬鹿にされるのが辛かった。どうかして、勉強を始め、例の便所の入口の薄明の下に書物を披いて立 へつら 迚も人間業では出来ないことをしても、取り入って可愛がったが、そうしたことも、何物かに媚び詔う習癖、自分自 られたかった。その目的ゆえに親から強請した小遣銭で室身にさえひたすらに媚び語うた浅間しい虚偽の形にしか過 ちそう 長に絶えず気を附けて甘いものをご馳走し、又言いなり通ぎないのであった。 り夜の自習時間に下町のミルクホールに行き熱い牛乳を何 かろ いたがき 杯も飲まし板垣を乗り越えて帰って来る危険を犯すことを辛うじて進級したが、席次は百三十八番で、十人の落第 とん 辞しなかった。夜寝床に入ると請わるるままに、祖父から生が出たのだから、私が殆どしんがりだった。 せんち のうみそ ようかいへんげ 子供のおり冬の炉辺のつれづれに聞かされた妖怪変化に富「貴様は低能じゃい、脳味噌がないや、なんぼ便所で勉強 わたた ばなし おけ っちばたらい したかって : : : 」 んだ数々の昔噺を、一寸法師の桶屋が槌で馬盥の箍を叩い とて わざ ごと まわ ふうさい こ ひら
136 せんりつ さいな 遣いな戦慄が残り、幾日も幾日も神経を訶んでいたが、や告もしなかったのだろう ? その場合の、無言の父のほう みまね がて忘れた頃には、私は誰かの姿態の見よう見真似で、ズが、寧ろどんなにか私の励みになっていた。 ポンのポケ ' トに両手を差し、隅 0 こに俯向いて、先で何かしら贍な感慨が始終胸の中を往来した。私は或時 コトコトと羽目板を蹴って見るまでに場馴れたのであった。舎生に、親のことを思えば勉強せずにはおられん、とつい れん たちま 二年前まではこの中学の校舎は兵営だったため、控所の煉興奮を口走って、忽ちそれが通学生の耳に伝わり、朝の登 びよう しようびはん あいさっ 瓦敷は兵士の靴の鋲や銃の床尾鈑やでさんざん破壊されて校の出合がしら「やあ、お早う」という挨拶代りに誰から いた。汗くさい軍服の臭い、油ッこい長靴の臭いなどを私も「おい、親のことを思えば、か」と、揶揄されても、別 ぎま は壁から嗅ぎ出した。 に極り悪くは思わなかった。夜の十時の消燈ラッパの音と 日が経つにつれ、授業の間の十分の休憩時間には、私は共に電燈が消え皆が寝しずまるのを待ち私は便所の入口の しよっこう 控所の横側の庭のクロ 1 ウヴァーの上に坐って両脚を投げ燭光の少い電燈の下で教科書を開いた。それも直ぐ評判に 出した。柵外の道路を隔てた小川の縁の、竹にかこまれたな 0 て、変テケレンな奴だという風評も知らずに、口々に まわ きかいのこ 藁屋根では間断なく水車が廻り、鋼鉄の機械鋸が長い材木褒めてもらえるものとばかり思い込み、この卑しい見栄の を切り裂く、ぎ 1 ん、ぎんぎん、しゅッしゅツ、という恐勉強のための勉強を、それに眠り不足で鼻血の出ることを ろしい、ひどく単調な音に、そしてそれに校庭の土手に一勉強家のせいに帰して、内心で誇っていた。冷水摩擦が奨 うな とうせい つるべ 列に並んでいる松の唸り声が応じ、騒がしい濤声のように励されると毎朝衆に先んじて真っ裸になり釣瓶の水を頭か から さび 耳の底に絡んだ。水車が休んでいる時は松はひとりで淋しら浴びて見せる空勇気を自慢にした。 しばしば く奏でた。その声が屡々のこと私を、父と松林の中の道を 西寮十二室という私共の室には、新入生は県会議員の息 通って田舎から出て来た日に連れ戻した。受験後の当座は、子と三等郵便局長の息子と私との三人で、それに二年生の 毎晩父が風呂に入るとお流しに行く母の後について私も湯室長がいたが、県会議員や郵便局長が立派な洋服姿で腕車 殿に行く度、「われの試験が通らんことにや、俺ア、近所を乗り着けて来て室長に菓子箱などの贈物をするので、室 ためいき 親類へ合す顔がないが」と溜息を吐き、それから試験がう長は二人を可愛がり私を疎んじていた。片輪という程目立 まゆ かればうかったで、入学後の勉強と素行とについて意見のたなくも室長は軽いセムシで、二六時中蒼白い顔の眉を逆 百万遍を繰返したものだのに、でも、あの松林を二人きり立てて下を向いて黙っていた。嚥み込んだ食べものを口に で歩いて来た時は、私の予期に反して父は何ゆえ一言の忠出して反芻する見苦しい男の癖に、反射心理というのか、私 がじぎ わらやね にお おれ むし はんすう あおじろ
しる すく 「おい君、君は汁の実の掬いようが多いそ」 わんしやくし と、晩飯の食堂で室長に私は叱られて、お椀と杓子とを みみたぶ 持ったまま、耳朶まで赧くなった顔を伏せた。 あさごと 当分の間は百五十人の新入生に限り、朝毎おかしいぐら い早目に登校して、西側の控所に集まった。一見したとこ くっ ろ、それぞれ試験に及第して新しい制服制帽、それから靴 を穿いていることが十分得意であることは説くまでもない が、でも私と同じように山奥から出て来て、寄宿舎に入れ ぎゅうぎよ られた急遽な身の変化の中に、何か異様に心臓をときめか ひざ し、まだズボンのポケットに手を入れることも知らず、膝 なぎさ 六里の山道を歩きながら、いくら歩いても渚の尽きない坊主をがたがた顫わしている生徒も沢山に見受けられた。 はだ とかく 細長い池が、赤い肌の老松の林つづきの中から見え隠れす一つは性質から、一つは境遇から、兎角苦悩の多い過去が、 こずえ る途上、梢の高い歌い声を聞いたりして、日暮れ時分に父ほんの若年ですら私の人生には長く続いていた。それは入 その けたたま と私とは町に着いた。其晩は場末の安宿に泊り翌日父は学式の日のこをであるが、消魂しいベルが鳴ると三人の先 私を中学の入学式につれて行き、そして我子を寄宿舎に生が大勢の父兄たちを案内して控所へ来、手に持った名簿 托して置くと、直ぐ村へ帰って行った。リ 男れ際に父は、舎を開けていちいち姓名を呼んで、百五十人を三組に分けた。 費を三ヶ月分納めたので、先刻渡した小遣銭を半分ほどこ私は三ノ組のびりつこから三番目で、従って私の名が呼ば あるいぎっと おびただ っちに寄越せ、宿屋の払いが不足するからと言った。私はれるまでには夥しい時間を要した。或は屹度、及第の通 うった 胸を熱くして紐で帯に結びつけた蝦蟇口を懐から取出し、知が間違っていたのではないかと、愬えるようにして父兄 もんっきはかま つま 上 幾箇かの銀貨を父の手の腹にのせた。父の眼には涙はなか席を見ると、木綿の紋付袴の父は人の肩越しに爪立ち、名 ったが、声は潤んでいてものが言えないので、私は勇気を簿を読む先生を見詰め子供の名が続くかと胸をドキつかせ 途 鼓して「お父う、用心なさんせ、左様なら」と言った。眼ながら、あの、嘗て小学校の運動会の折、走っている私に うなず たま 顔で頷いて父は廊下の曲り角まで行くと、も一度振り返っ堪りかねて覚えず叫び声を挙げた時のような気が気でない っ てじっと私を見た。 狂いの発作が、全面の筋肉を引き吊っていた。その時の気 たく 途上 と ひも がまぐち ぼうず かっ ふる しか
じゅそ あって義兄は又口を開き、小作人たちの機嫌を損じないよ時の日も呪詛の真正中にあった。 とくしん う万事に気をつけて、これが一番大事なことだからと二一一一漬神 ! おれは今、一体、何を言い、何を考えようとし こんだく の注意を繰返したが、二十分と経たないうちに軽い太をているのだ ? 浅間しい人畜境の、溷濁した、暗い暗い嘆 みやくはく 一二度吐いて脈搏が絶えたーー・姉が斯う話した時、私は廊きが私を圧して、私は机に獅物みついた。五体じゅうの筋 れいきゅうしゃ 下に飛び出し、腕を顔に押当てて号泣した。やがて霊柩車という筋を一本一本引っこ抜かれるような苦痛に襲われ、 わきばら こ′ ) 篳、う が来て、私達も別の自動車に乗り、郊外の火葬場に向った。私は抗争に顔をしかめて脇腹を抑えた。あの時、あの断崖 せんじん こみち かんおけかっ 街道から小径にさしかかると、二人の人夫が棺桶を舁いでから真逆さまに飛び降りて、千尋の底にこの骨も肉も打砕 あいいき 私達は後に従うた。日は傾いた。私達の足もとからは幾つくべきであった。猛然とひと思いに穢域を去って永く昏迷 やますそう かの長い塔のような影が伸びたり縮んだりした。山裾を迂の闇を減すべきであったものを ! ぼうしやわらどこ いただき 軋し嶮岨な道を上って山の巓に達した。茅舎の藁床の上 が、鉉まで来て、私は、もう、一点のはからいもなかっ に腰をおろしていた御坊の手渡した鍵を貰って、私達は無た。・ ふもと だいぶ久しくして急に部屋が暗くなったので我に返り振 言のまま打連れて山を下った。麓には湖のように静かな がらす 川の流れにタ日が映り、それが林立した二タ抱えもある杉り仰いだ。硝子障子を細目に開けて見ると、隣家の高い樫 こずえごし の樹間から遙かに俯瞰された。黒い夜鳥が頭上の枝からばの木の梢越に、西と北との空からすさまじいタ立雲がむく さばさ翼音をさせて飛び立った。道が絶壁の突っ端に臨んむくと低く動き迫って、空気は微動だにせず沈んでいた。 りつぜんふる ただよ うな ひらめ だ時、漂うようなタの薄明に慄然と顫え、身をこごめて、 と見る間に、電光の閃き、雷鳴の唸り、さっと陣風が襲う ひょう はいぜん 姉に何かささやこうとする途端、「なに ? 」と、おどろにと、雹のような大粒の重い雨が沛然とひからびた地上を打 乱れた髪にわれた顔を捩向け、唇を物み、眦を高くち出した。庭も、家屋も、樹木も、街の方も、万象は逆巻 たた にら 吊って、真黒い色を湛えた窪い眼ではったと睨まれ、私のく津浪のごとくに荒れ狂い、鳴動して、と、眼の前の硝子 のどっま からかみは は詰り、舌は固くな 0 て動かなか 0 た。その時の憎悪と侮障子の一ト窓の、壊れたなりに無精して唐紙を貼りつけて 蔑に輝いた姉の眼の光りを私は終生忘れ得ないであろう。 あったのが、ひとたまりもなく打ち抜かれ、雨はポンプの かっ 嘗て女学生時代の姉の文箱の中に、義兄の恋文を見出し水のように三畳に飛び込んで来て、私はたじろき気味に、 た時の仰天の余りの xx 的反感、ーーそれは少年の日の単小机をかかえて一歩後しざったが、背中が壁につかえてそ すく なる遊戯に過ぎないものではないか。それを境に姉弟は何のまま立ち竦んでしまった。 けんそ はる ふかん くほ こ きげん つなみ だんがい こんめい
ですよ。 いいか、老いて、死んで、身体にウジがわいたつうだったけれど、期するところは、一体現 / 二同一身 て構うものか ! 」 これが、最後の理想なのだから。 「ええ、そうよ」 うなず 彼女は小走りながら頷いて、大股に歩く私に跟いて来た。 八月十二日ー・・ー午前中にはじめて頼まれた短篇を書いた。 しようつきめいにち 其日の昼間、豊次さんが豊次さんがと、彼女が、私の血続きようは義兄の祥月命日である。私は裸にもならず、帯 すが きでありさえすれば、何か盲目的に取り縋ろうとするのがをかたく締め、三畳の机の前に坐っていた。おのずから回 ふびん 不憫やら腹立たしいやらごっちゃになって、私は狂人のよ想は私を七年前に連れ戻す。私が父と一しょに市の病院 なじ せんだって うに息巻いて彼女の間違いを詰り、彼女が先達から愛でてに馳せ付け玄関を入ると、四階の窓から私達の門を入る姿 かきわ いた草花を鉢から引っこ抜いて垣根に投げつけ、お前が常を見附けた姉は玄関取着きの階段を二階まで出迎え、欄干 常草花の類にまで求めようとする根性がさもしいと散々叱に身を寄せて手招きした。義兄は既に、日除幕を張った室 りつけた興奮が、私に返って来た。私は、かねがね、彼女の真中に、白木の横棺におさめられていた。姉が白布をと の老先に、或はそんな場合がないとも限らぬという気がしり、私と父とは掌を合せて拝んだ。午前の三時、義兄は早 て、今という今、思い知らしてやろうと思って、炬燵の火や末期の近づいたことを姉に告げ、姉が、「どうしても生 あきら で焼け死んだ叔母のことをカッ子を振り返り振り返り口早きられませんか」と言うと、「諦めてくれ諦めてくれーと - 」うとう に話した「私が十九歳の冬の出来事であった。夜中に、き喉頭結核で出ないかすれた声を絞って言葉をつづけ、「俺 と一二声異様な悲鳴が聞えて私が雨戸を繰ると、 が死んだ後は、また良人を持つがよい」と言って、カの限 ただ 闇の中に川向うの薬師堂前の一人ものの叔母の家の真赤な り目を開いて姉の返事を糾した。「そないことをいたしま 障子が眼に入った。父は跣足のまま駈けつけ私も駈けつけ、すか。わたしは立派に独りで、豊次や秀郎を育てますから、 で近所の人達も寄って来たが、もう下す手がなかった。よほ安心して行って下さんせ」斯う姉が涙ながらに手を取って とびぐち けむかい つどの時間が経って父は、柄の長い鳶ロで、ぶすぶす燻る灰誓うと、「そうか、独りでいってくれるか、それでは何う ただ 竝燼の中から真 0 黒に焼け爛れた死体を引きずり出したことかそうしてくれ、子供の成長の日を待 0 てくれ、と言い終 くちびるほころ を、私は一種残酷を超越した心持で、文字通り火宅を聞でって微かなよろこびの笑いの唇を綻ばせた。僅か十町足 ひれき ずという意味を披歴して言ったのであった。宿命という言らずの小地主として、絶えず小作人との折合いに心身を耗 のろ かわい 葉を呪え ! 私はずいぶん残酷な話しをしてお前に可哀そり減らした義兄の一生は、悲惨に近いものであった。やや じん その おいさき あるい おおまた こたっ かす おっと ひょけ わず おれ