城のある町にて - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集
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1. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

とがある。わたし個人に限っていえば、プロレタリア ト説に熱中していたのに作家たちが弾圧され、ひそか に尊敬していた人たちがどんどん転向して裏切られた ような気持ちになり、そのあとは辻・林無想庵・ みやじますけお 宮鴫資夫らの文章が痛決に思え、そこからスチルネル やクロポトキンを読みかしっていた。そんないわば少 年の心の混迷のなかに梶井はふとあらわれ、小さいか もしれないけれど、ことばの確固とした結晶体のよう に感しられたのではないかと思、つ。さらにいえば、梶 井は無自覚のうちに少年のわたしに詩精神の蘇生を促 室したのではないか ? しかし、そのころのわたしは「檸檬」や「ある心の 松風景」などの舞台が京都であることは察しがついてい ても、「城のある町にて」のそれが三重県松阪であり、 そう・や 1 現「蒼穹」「箟の話」「冬の蚶」「闇の絵巻」などの温泉場 が伊豆湯ヶ島であるとはまったく知らなかったし、第 務一知ろうともわなかった。小説の舞台などどうでも 会よかったのだ。 「城のある町にて」が松阪であるのを知ったのは、伊 蹟勢の神宮皇学館という専門学校にはいってからで、そ もとおりはるにわ のときはびつくりした。さらにずっと後年、本居春庭 のり 一鈴の事歴を調べるために城跡の鈴屋遺蹟保存会、本居宣 9 長記念館にかようようになると、この短編はまた、ま なが せき

2. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

髴とした。 タ立はまた町の方へ行ってしまった。遠くでその音がし ている。 「チン、チン」 「チン、チン」 ちみつ 鳴きだしたこおろぎの声にまじって、質の緻密な玉を硬 度の高い金属ではじくような虫も鳴き出した。 彼はまだ熱い額を感じながら、城を越えてもう一つタ立 が来るのを待っていた。

3. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

のおもかげが残っているが、宮田家はそこの堀跡の溝 川に面した二階長屋の一軒で、古びて補修されながら も構えはそのまま残っている。 従って城はすぐ近く、梶井は毎日のように城跡を散 歩したらしい。セミの声に聞き入ったのもそうした一 日でのことであったが、別の日の夕方には三人づれの 男の子が涼みながら遠くにあがる花火を数えていた。 猫越川に臨む伊豆・湯ヶ島の湯川屋そのうち、ひとりが「花は ? 」と聞くと、十七歳ぐら いの一番年長の少年が「フロラ」と答えた、と「城の とうリゅう 基次郎が逗留していた当時からあった「湯ある町にて」のなかに書かれている。 川屋」の看板 ( 井上靖氏の父隼雄の書 ) でなくて「フロラ」といったところが、梶井にはおも しろかったのであろう。この「フロラ」は「花の」と いうエスペラント語で、あるいは名詞の場合の「フロ ーロ」を梶井が聞きちがえたのかもしれない。 いまも殿町の御城番とよばれる武家屋敷に今村幸雄 さん ( 明治三十九年生まれ ) という白髪の美しい弁理 税理士が住んでいるが、少年のころエスペラントに熱 中し、城へよく登っては近所の子どもたちに教えてい たという。それがたまたま梶井の耳にとまり、作品に もちろん、梶井は「フロラ」 書き残されたものらしい がエスペラント g であるとは知らなかっただろ、つ。が かれの鋭い音感は、少年の純粋な知識欲を宿した発音 この土日、ことば にひそかに共鳴したのにちがいない みぞ

4. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

182 がる方を熱心なふりをして見ていた。 「ハリケンハッチのオート・ハイ」 たかし はしくらげ 末遠いパノラマのなかで、花火は星水母ほどのさやけさ 先程の女の子らしい声が峻の足の下で次つぎに高く響い た。丸の内の街道を通ってゆくらしい自動自転車の爆音がに光っては消えた。海は暮れかけていたが、その方はまだ きこえていた。 明るみが残っていた。 しばら この町のある医者がそれに乗って帰って来る時刻であっ 暫くすると少年達もそれに気がついた。彼は心の中で喜 た。その爆音を聞くと峻の家の近所にいる女の子は我勝ちんだ。 に「ハリケンハッチのオート・ハイ」と叫ぶ。「オート・、 「四十九」 と云っている児もある。 「ああ。四十九」 はず そんなことを云いあいながら、一度あがって次あがるま 三階の旅館は日覆をいつの間にか外した。 での時間を数えている。彼はそれらの会話をきくともなし 遠い物干台の赤い張物板ももう見つからなくなった。 ひぐらし に聞していた。 町の屋根からは煙。遠い山からは蜩。 「 x x ちゃん。花は」 「フロラ」一番年のいったのがそんなに答えている。 手品と花火 城でのそれを憶い出しながら、彼は家へ帰って来た。家 これはまた別の日。 あわ の近くまで来ると、隣家の人が峻の顔を見た。そして慌て 夕飯と風呂を済ませては城〈登 0 た。 たように 薄暮の空に、時どき、数里離れた市で花火をあげるのが 「帰っておいでなしたぞな」と家へ云い入れた。 見えた。気がつくと綿で包んだような音がかすかにしてい ものを見奇術が何とか座にかかっているのを見にゆこうかと云っ る。それが遠いので間の抜けた時に鳴った。いい ていたのを、がぼっと出てしまったので騒いでいたので る、と彼は思っていた。 ところへ十七程を頭に三人連れの男の児が来た。これもある。 食後の涼みらしかった。峻に気を兼ねてか静かに話をして「あ。どうも」と云うと、義兄は笑いながら 「はっきり云うとかんのがいかんのやさ」と姉に脊負わせ ロで教えるのにも気がひけたので、彼はわざと花火のあた。姉も笑いながら衣服を出しかけた。彼が城へ行ってい こ ひおおい

5. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

ど音感が鋭かったが、その資質がこの文章にも端的に ほどはわからないけれど、そのとき梶井が感得したも あらわれている。 のは各国語を越えて共通することばの変化の微妙な美 松阪城跡にはサクラの木が多く、晩夏、その暗いま しさではなかったかとい、つ気がする。もっとも、この一 での葉ザクラの影ではつくつく法師がいまでもしきり 節に特に、いを惹かれるようになったのは近年のことで、 に鳴く。わたしは記念館でその日の調べをすませての熱読していた少年のころにはそこは読み流していたの 帰り、その声を聞くごとに梶井の文章を自然に思いお この「城のある町にて」は大正十四年二月の『青空』 こした。そして、梶井が「文法の語尾の変化」と書い たのは、一体何であったのかと考えた。はじめは日本に発表された。その前年八月、梶井は姉富士がとっ 語の用言の語尾変化だと思ったが、それはわたしの関 いでいた義兄宮田汎の家に遊び、そこでのスケッチが 心にある春庭が動詞の研究に生を費したことからの作品となったものである。その年、かれは三高から東 勝手な連想にすぎない。 大英文科へ進み、創作の意欲が盛んに動いていたとい 梶井は「文法の語尾の変化」とは書いても、それ以 上のことは何も書いていない。かれは旧制三高理甲か 富士は梶井にはとりわけやさしい姉であったらしい きたむろ ら東大英文科〈進んだので英語のそれのように思える中学教師宮田汎と結婚して三重県北牟楼郡村に居 ろくまくえん が、フランス語の人称の語尾変化だろうという人が多住していたころも、大正九年八月、肋膜炎にかかって い。なかにはドイツ語だという人もある。その事実の 留年した梶井はその家で療養し、文学書に親しみ、そ のことはわずかながらも「城のある町にて」にもふれ てある。そして、死の前日、富士にしきりに会いたカ たようすが母ひさの「看護日記」に「病人伊勢の姉を 求む」 ( 昭和七年三 ) の記述に見える。 とのまち 姉夫妻の家は、殿町丸ノ内にあった。城壁のすぐ南 側にあたり、町名が示すようにもとは城内の一郭で武 まもマキ垣をめぐらした武家屋敷 家が住んでいた。い

6. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

417 注解 梶井基次郎集注解 一九 ^ 伎楽古代、インド・チベット地方で発生した仮面劇。推古 よなよ 天皇の時代に伝わった。能面に比・ヘて齧だ大きく、グロテスク。 一究省線電車今の国電。運輸 ( 鉄道 ) 省時代の呼称。明治の鉄 道院時代は院線といった。 一一 0 一唐物屋中国及び諸外国から渡来した雑貨を売買する店。転 じて舶来品を扱う店のこと。 一一 9 一玻璃水品。ガラス。 一茜南泉玉物製または硝子製の小球形。孔に糸を通し、つなぎ ある心の風景 合わせて指環・首飾りなどにする。 一茜ゴルゴン Gorgon 頭髪が蛇で、これを見た人は石に化した一一実帙書物 ( 特に和本 ) の損傷を防ぐために包むおおい。 一嫖客花柳界に遊ぶ男の客。 といわれる三人姉妹の怪女。ギリシア神話に出てくる。 ひょり げた 一売柑者之言「続文章軌範」中にある明の劉基の文章。当時き〈利休利休下駄。木地のままで薄い一一枚歯を入れた日和下駄 ふうし の一種。 の文部大臣の無能を諷刺した文。 = 三七宝「無量寿経、には、・・・玻璃・碎硬・珊瑚・ めの , めのう 城のある町にて 瑪瑙とあり、「法華経」には、金・銀・瑪瑙・瑠璃・碑磔・真 珠・致とある。高価な宝物のこと。 一—湾伊勢湾と推定される。作者は大正十三年夏に「城のあ る町にて」の舞台である三重県松阪町に滞在した。 しやりよ , の昇天 一 ^ 一軽便軽便鉄道。軌間が狭小で小型の機関車・車輛を使用す 1 ベルトの代表的歌曲集「白鳥の歌」の中 三五「海辺にて」シュ かな る鉄道。この前後は散文詩的な書きかたとなっている。 の第十一一曲。夕暮れの海辺を背景に男女の哀しい愛の姿をうた 天一コンステイプル J0hn Constable ( 1776 ー 1837 ) イギリスの っている。 風景画家で、印象派に影響を与えた。 三五「ドッ。ヘルゲンゲル」 Der Doppelgänger 歌曲集「白鳥 ハリケンハッチアメリカの無声映画時代の人気俳優。 の歌」の第十三曲。一般に「影法師」と訳されている。 一全フロラ Flora ラテン語で花の意。 三セジュール・ラフォルグ Jules Laforgue ( 1860 ~ 1 7 ) ヴ 一 ^ 三かつどう活動写真の略。映画。 エルレ 1 ヌと並称されるフランスの詩人。象徴主義派で、皮肉 で的な作風で知られている。 泥濘 三セヴィヴィッド vivid ( 英語 ) 生き生きとした。鮮明な。 オ , ス

7. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

故神途秋曇足父崖業業嘉 評嘉 伝村年注郷 苦村 の礒嘉 的礒解冫 解多 墓多村 帰前 辺文礒 説文 学多 つり相なの 紀集 ろ婚上で日撲日下苦 ロ : ・六八 一 0 四 ・ : 一六九 紅野敏郎巴五 四三三 紅野敏郎当三 足立巻一一七 梶井基次郎集目次 梶井基次郎文学紀行 蝉の文法、闇のことば 城のある町にて : ある心の風景 : の昇天 冬の日・ 筧の話 : 器楽的幻覚 冬の蠅 ある崖上の感情 : 桜の樹の下には : 足立巻一一穴 ・ : 一九七 一一 0 四 一一三六

8. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

文学紀行。足立巻一 評伝的解説 , 紅野敏郎 監修委員編集委員 ′↑ー月 丿奏整足立巻一 井上靖奥野健男 川端成尾崎秀封 三島由紀大北杜大 嘉村礒多集 業苦 崖の下 父となる日 他六編 梶井基次郎集 城のある町にて 他十四編 光と風と夢 かめれおん日記 山月記 李陵 現代日本の文学 嘉本寸礒多 梶井基集 中島敦 現代日本の文学 ミをン = = 一及 3 ? ー I ト 7 中梶嘉 島井村 次礒 山 0 仁蜘上郷 0 嘉村礒多 0 生家 ( 「爛 0 下」 )

9. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

母ひさ 三高時代の基次郎 大正 9 年三高時代の基 次郎 ( 右 ) と友人津守萬夫 みよしたつじ 「青空」関係者、あるいは三好達治の縁につながり梶 やっか 井の愛読者でもある石原八束氏、そういう面々が秋の 一日を梶井について思い出深く語りあった。詩人の石 むしゃのこうじさね 川弘氏は梶井の研究者でもあるが、元来は武者小路実 あっ 篤の影響を強く受け、「白樺」の雰囲気を好み、「新 しき村」機関誌「この道」刊行に大きな役割を果した 人物であった。私は梶井や中谷夫妻を軸とする「青空」 交響楽がここにあることを思い知った。すでにこの世 に亡い三好達治や外繁や淀野隆三の魂もここに参集、 とい、つふ、つに咸 5 じとれた 生前は不遇の連続のような梶井であったが、没後ー その友人と愛好者に強く守られ、近年飛躍的にその評 価がたかまっている。そ、つい、つ点ではむしろマイナー ポエッ トの本質にかなった幸福な作家といってよい 昭和四十九年春には、伊勢松阪の地に二番目の文学 碑が建てられた。これは主として地元の人々の力によ ったものである。碑 には「城のある町にて」の一節 「今空は悲しいまでに晴れていた いらわ そしてその下に町は薨を並べていた はくあ 白堊の小学校土蔵作りの銀行 寺の屋根そして其処此処西洋 くす 菓子の間に詰めてあるカンナ屑 めいて緑色の植物が家々の しらかば 444

10. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

三重県・松阪城跡 左伊豆・湯ヶ島湯川屋旅館付近の径 もうそこからは私の部屋は近い。 電燈の見えるところ が崖の曲角で、そこを曲れば直ぐ私の旅館だ。電燈を見 あんど ながらゆく道は心易い私は最後の安堵とともにその道 を歩いてゆく 闇の風景はいつ見ても変らない。私はこの道を何度と い、つことなく歩 いつも同じ空想を繰返した。印象 が心に刻みつけられてしまった。街道の闇、闇よりも濃 、樹木の闇の姿はいまも私の眼に残っている。それを思 い浮べるたびに、私は今いる都会のどこへ行っても電燈 の光の流れている夜を薄っ汚なく思わないではいられな いのである ( 「闇の絵巻」 ) たかし 「家の近所にお城跡がありまして峻の散歩には丁度良い と思います」姉が彼の母の許へ寄来した手紙にこんなこ とが書いてあった。着いた翌日の夜、義兄と姉とその娘 と四人で初めて此の城跡へ登った。 ( 「城のある町にて」 )