度三度ご飯を運んでくれたり、町の本屋に走ってくれた「わたしは、屹度、もう直き年寄のように眼が薄くなるで ただいま りした。「お父ちゃん、只今。古本屋をあちこち探し歩い しようよ」 て、漸っとのこと見附けて来ました」と、セルロイドの玩不気味な沈黙が行き渡った。 うれ ど 具を悦しげに振っている子供を負ぶった汗ばんだ咲子が、 「あなた、一体、さきざきは何うなさるおつもりです ? 」 土蔵の二階の金網を張った窓際の私の机辺に帰って来て、 「又か、煩いね。今の僕の心をしてくれるな。考えて としま いそいそと包みをほどく年増女房らしい甲斐甲斐しさが、 いるんですよ、創作のことを。 : : : 乗り出した舟だから、 おも つい昨日のことのように想い回される。百姓の手助けを拒ここ数年奮闘して見て、どうしても駄目な場合は故郷の山 ころう む私へ固陋な苦情を持出す父母に対して、咲子はどんなにの家に遁世するからって、その時はあなたもいっしょに連 しよう あおぎりかげ 勇敢であったことか。でんでん太鼓に笙の笛ーーー梧桐の蔭れて行くからって、あれだけ日頃言って聴かしてあるじゃ もた がてん の土蔵の壁に靠れた彼女の子守唄が、今も猶お、故郷の石ないの。どうして又、それが合点ゆかないのだろうね」 垣の上の古い土蔵の中ならぬ、この矢来中里の三畳へ聞え 、え、違います。将来の暮し向きのことなんか これん るのであった。顧恋の情が潮のように迫って来て、私は身今心配して言ってるのじゃありません。頼みにする子供の あるきまわ を扱いかね、すたすたと部屋の中を歩廻るのであった。 無いわたしの老い先を何うすればよいのです。わたし、お 勝手口へ遊びにいらっしやるお向いのあのお嬢さんを見る さ カッ子は、六畳で、昨日も今日もなく猫のように背中をたんびに、わたしも一人ほしくて、寝ても醒めてもそれば あいま 丸めて針の手を動かしずめに動かしている合間、彼女は絶かり思って、日毎に気がへんになりそうですの。あなたは、 ふきようげ えず私に問いかける。私は機械的に、時に不興気に、極くどうしても、わたしに子供を産ませるのはお厭 ? 」 簡単な答えをする。私がわずらわしくなって三畳へ逃げて で行くと、彼女は縫物を携えて後を追っかけて来るのであっ 「あなたが、もし、わたしに子供を産ませないままで亡く また。彼女は最近にわかに眼が翳み出したと言って、有無をなったら、わたし、あなたの死を悲しんではあげませんよ。 めがね 立いわせず私の眼鏡をふんだくり自分の眼に掛けて仕事をつ しいですか。何んとかおっしゃいな、言ってごらんなさい しよさ つるおりたた づける風の所作をしたが、外して蔓を折畳むなり、恐ろしな。 : ええ、訊かなくたって、あなたのおの中は分っ けいれん い混乱と悲哀の中に突き落されて、痙攣がロ端を引き吊ってますよ。あなたは、わたしに子供を産ませては、国の子 やっかい 供さんに先々厄介かけて悪いと思って、子供さんに気兼し はす こもりうた っ がん とんせい きっと ごと だめ
泣きれて充血した気味悪い白眼を据えた顔をあげて彼せら笑う。負け惜しみの強い彼はどんなに恥悲しんだこと 女にそう言われると、圭一郎は生きていたくないような胸か。そうした記憶がよみがえると、このたわけもの奴 ! 苦しさを覚えた。が、威嚇したり、したりして、どうにと圭一郎は手をあげて子供を撲ちはしたものの、悲鳴をあ ぎげん かして彼女の機嫌を直し気を変えさせようと焦りながらも、げる子供と一諸に自分も半分貰い泣いているのであった。 鞄を肩に掛け、草履袋を提げ、白い繃の鋓巻した頭に兵また子供はチビの因果が宿 0 て並鱶れて丈が低か 0 た。 きっと いたいた あみだ 隊帽を阿弥陀に肥 0 た子供の傷々しい通学姿が眼の前に浮子供が学校で屹度一番のびり 0 こであることに疑いの余地 てこず かんで来ると、手古摺らす彼女からは自然と手を引いてひはない。圭一郎は誰よりも脊丈が低く、その上に運わるく の 奇数になって二人並びの机に一人になり、組合せの遊戯の そかに圭一郎は涙を呑むのであった。 圭一郎の心は、子供の心配が後から後からと間断なく念時間など列を逃げさせられて、無念にも一人ポプラの木の くわ 下にしょん・ほりと指を銜えて立っていなければならなかっ 頭に附き纏うて、片時も休まらなかった。 た。それにも増して悲しかったのは遠足の時である。二列 子供は低脳な圭一郎に似て極端に数理の頭脳に恵まれな かった。同年の近所の馬車屋の娘っこでさえも二十までのに並んだ他の生徒達のように互に手と手を繋いで怡しく語 加減算は達者に呑み込んでいるのに、彼の子供は見かけは り合うことは出来ず、弁当袋を背負って彼は独りちょこち し まで 悧巧そうに見える癖に十迄の数さえお・ほっかなかった。圭よこと列の尻っぽに小走り乍ら跟いて行く味気なさはなか 一郎は悍り立って毎日の日課にして子供に数を教えた。 った。斯うしたことが、痛み易い少年期に於いて圭一郎を 「一二三四五六七、さあかずえてごらん」というと「一二どれほど萎縮けさしたことかしれない。 圭一郎は、一 むだぽね 日に一回は、必ずそうした自分の過ぎ去った遠い小学時代 三五七ーとやる。幾度繰り返しても繰り返しても無駄骨だ かな った。子供はとうとう泣き出す。彼は子供を一思いに刺しに刻みつけられた思い換えのない哀しい回想を徴細に捕え 殺して自分も死んでしまいたかった。小学時代教師が黒板て、それをそっくり子供の身の上に新に移し当て嵌めては とけ に即題を出して正解た生徒から順次教室を出すのであっ 心を痛めた。と又教師は新入生に向ってメンタルテストを たが、運動場からは陣取りや鬼ごっこの嬉戯の声が聞えてやるだろう。「 x x さんのお父さんは何しています ? 」「はい 来るのに圭一郎だけは一人教室へ残らなければならなかっ田を作って居られます」「 xx さんのは ? 」「はい。大工で なかたがい た。彼の家と仲違している親類の子が大勢の生徒を誘ってあります」「大江さんのお父さんは ? 」と訊かれて、子供 来てガラス窓に顔を押当てて中を覗きながらクックッとせはビックリ人形のように立つには立ったが、さて、何んと り・こ′ ) たけ あせ こ ながっ つな たの
している妻の傍に寝ころんで楽しく語り合っていると、折妻は思わず両手で持って子供の頭をぐいと向うに突き退 からとんとんと廊下を走る音がして子供が遺って来るのでけたほど自分の剣幕はひどかった。子供は真赤に怒って妻 かむし あった。「母ちゃん、何していた ? 」と立ちどまって詰めの胸のあたりを無茶苦茶に掻き捲った。圭一郎はかっと逆 しやにむに るように妻を見上げると、持っていた枇杷の実を投げ棄て上せてあばれる子供を遮二無二おっ取って地べたの上にお ひざ て、行きなり妻の膝の上にどっかと馬乗りに飛び乗り、そっ。ほり出した。 えり いがぐりあたま して、きちんとちがえてあった襟をぐっと開き、毬栗頭を「父ちゃんの馬鹿ゃい、のらくらもの」 妻の柔かい胸肌に押しつけて乳房に喰いついた。さも渇し「生意気言うな」 むさぼ まっち ていたかの如く、ちょうど犢が親牛の乳を貪る時のような彼は机の上の燐寸の箱を予供目蒐けて投げつけた。子供 かっこう 乱暴な恰好をしてごくごくと咽喉を鳴らして美味そうに飲も負けん気になって自分目蒐けて投げ返した。彼は又投げ むのだった。見ていた彼は妬ましさに身震いした。 た。子供も又やり返すと、今度は素早く背を向けて駈け出 はだし 「乳はもう飲ますな、お前が痩せるのが眼に立って見えした。矢庭に圭一郎は庭に飛び下りた。徒跣のまま追っ駈 しおりど すんで る」 けて行って閉まった枝折戸で行き詰まった子供を、既の事 とら 「下がおらんと如何しても飲まないではききません」 で引き捉えようとした途端、妻は身を躍らして自分を抱き とうがら 「迦言え、飲ますから飲むのだ。唐辛しでも乳房へなす留めた。 がん りつけて置いてやれ」 「何を乱暴なことなさいます ! 五つ六つの頑是ない子 げつこう 「敏ちゃん、もうお止しなさんせ、おしまいにしないと父供相手に ! 」妻は子供を逸速く抱きかかえると激昻のあま しか かま ちゃんに叱られる」 り鼻血をたらたら流している圭一郎を介いもせず続けた。 やきもち 子供はちょいと乳房をはなし、じろりと敵意のこもった「何をまあ、あなたという人は、子供にまで悋気をやいて。 斜視を向けて圭一郎を見たが、妻と顔見合せてにったり笑 いいから幾らでもこんな乱暴をなさい。今にだんだん感情 い合うと又乳房に吸いついた。目鼻立ちは自分に瓜二つでがこじれて来て、とうとうあなたとお母さんとのような取 にら も、心のうちの卑しさを直ぐに見せるような、偽りの多い返しのつかない睨み合いの親子になってしまうから : : : ね、 笑顔だけは妻にそっくりだった。 敏ちゃん、泣かんでもいい。母さんだけは、母さんだけは、 いつまで 「飲ますなと言ったら飲ますな ! 一言いったらそれで諾お前を何時迄も何時迄も可愛がって上げるから、碌でなし の父ちゃんなんか何処かへ行って一生帰って来んけりやい はだ ねた こうし やにわ いちはや
のだろうか」と、自分でいやになって了うのである。友人ヴンスン氏にとっては、ファニイが米国人であり、子持で さっそう かく おとな 引と話合っている時ならば、颯爽とした ( 少くとも成人の ) あり、年上であることよりも、実際はどうあろうと兎に角 議論の立派に出来る自分なのに、之は一体どうした訳だろ彼女が戸籍の上で現在オスポーン夫人であることが第一の ぎせきはんばくろん う ? 最も原始的なカテキズム、幼稚な奇蹟反駁論、最も難点だったのである。我儘な一人息子は、年歯三十にして まで もっ 子供欺しの拙劣な例を以て証明されねばならない無神論。初めて自活ーーーそれもファニイとその子供迄養う決心をし はず 自分の思想は期んな幼稚なものである筈はないのにと思うて、英国を飛出した。父子の間は音信不通となった。一年 マイル セント のだが、父親と向い合うと、何時も結局は、こんな事になの後、何千哩隔てた海と陸の彼方で、息子が五十仙の昼食 ひとづて って了う。父親の論法が優れていて此方が負けるというのにも事欠きながら病と闘っていることを人伝に聞いたトマ すくい では毛頭ない。教義に就いての細緻な思索などをした事のス・スティヴンスン氏は、流石に堪えられなくなって、救 しゅうと ない父親を論破するのは極めて容易だのに、その容易な事の手を差しのべた。ファニイは米国から未見の舅に自分 をやっている中に、何時の間にか、自分の態度が我ながらの写真を送り、書添えて言った。「実物よりもずっと良く 厭になる程、子供つ。ほいヒステリックな拗ねたものとなり、撮れております故、決して此の通りとお思い下さいませぬ までリディキュラス よう。」 議論の内容そのもの迄が可嗤なものになっているのだ。 父に対する甘えが未だ自分に残っており ( ということは、 スティヴンスンは妻と義子とを連れて英国に帰って来た。 おとな せがれ 自分が未だ本当に成人でなく ) それが「父が自分をまだ子意外なことに、トマス・スティヴンスン氏は伜の妻に大変 もたら あいま 供と視ていることと相俟って、こうした結果を齎すのだ満足した。元来、彼は伜の才能は明らかに認めながらも、 ろうか ? それとも、自分の思想が元来くだらない未熟な何処か伜の中に、通俗的な意味で安心の出来ない所がある そぼく 借物であって、それが、父の素朴な信仰と対置されて其ののを感じていた。此の不安は伜が幾ら年齢を加えても決し まぎさ まっしようてき 末梢的な装飾部分を去られる時、その本当の姿を現すのて消えなかった。それが、今、ファニイによって ( 初めは ため だろうか ? 其の頃スティヴンスンは、父と衝突したあと反対した結婚ではあったが ) 息子の為に実務的な確実な支 もろ で、何時も決ってこの不快な疑問を有たねばならなかった。柱を得たような気がした。美しく・脆い・花のような精神 きようじん を支えるべき、生気に充ちた強靫な支柱を。 スティヴンスンがファニイと結婚する意志を明かにした けわ 時、父子の間は再び嶮しいものとなった。トマス・スティ 長い不和の後、一家ーー両親、妻、ロイドと揃って・フレ だま さいち これ こちら しま わがまま さすが こ かなた そろ
と′′ 答えるだろう ? 「大江君の父ちゃんは女を心安うして逃のものに甘やかされて放縦そのもので育ち、今に家産も蕩 げたんだい。ャーイヤーイ」と悪太郎にからかわれて、子尽し、手に負えない悪漢となって諸所を漂泊した末父親を わが 供はわっと泣き出し、顔に手を当てて校門を飛び出し、吾探して来るのではあるまいか。額の隠れるほど髪を伸ばし、 いっさんか がいとう 家の方へ向って逸散に駈け出す姿が眼に見えるようだった。薄汚い髯を伸ばし、ポロポロの外套を羽織り、赤い帯で腰 子供ごころの悲しさに、そんな情ない悪口を言ってくれるの上へ留めた、足首のところがすり切れた一双のズボンの へつらう いでたち なと、悪太郎共に紙や色鉛筆の賄賂を使うて阿諛ような不衣匣に両手を突っ込んだような異様な扮装でひょっこり玄 びんまわ ひつじよう 憫な真似もするだろうがなどと子供の上に必定起らずには関先に立たれたら、圭一郎は奈何しよう。まさか、父親の さるぐっわ すまされない種々の場合の悲劇を想像して、圭一郎は身を圭一郎を投げ倒して猿轡をかませ、眼球が飛び出すほど喉 ぷえ 灼かれるような思いをした。 吭を締めつけるようなことはしもしないだろうが。彼は気 しようちん が銷沈した。 はしな 「あなた、奥さんは別として、お子さんにだけは幾ら何ん圭一郎は子供にきつくて優し味に欠けた日のことを端無 でも執着がおありでしよう ? 」 くも思い返さないではいられなかった。彼は一面では全く ときたま 千登世は時偶だしぬけに訊いた。 子供と敵対の状態でもあった。幼少の時から偏頗な母の愛 のろ 「ところがない」 情の下に育ち不思議な呪いの中に互に憎み合って来た、そ 「そうでしようか」彼女は彼の顔色を試すように見詰めるうした母性愛を知らない圭一郎が丁年にも達しない時分に くちびるか と、下唇をんだまま徴塵動もしないで考え込んだ。「だ二歳年上の妻と有無なく結婚したのは、ただただ可愛がら おっしゃ けど、何んと仰言っても親子ですもの、口先ではそんな冷れたい、優しくして貰いたいの止み難い求愛の一念からだ おっしゃ たいことを仰云ってもお腹の中はそうじゃないと思いますった。妻は、予期通り彼を嬰児のようにい劬わってくれ きっと わ。今に屹度、お子さんが大きくなられたらあなたを訪ねたのだが、しかし子供が此世に現れて来て妻の腕に抱かれ 下 ちょう ていらっしやるでしようが、わたし其時はどうしようかして愛撫されるのを見た時、自分への寵は根こそぎ子供に奪 の くら い去られたことを知り、彼の寂しさは較ぶるものがなかっ なげ 崖 千登世は思い余って度々制えきれない嗟きを泄らした。 た。圭一郎は恚って、この侵入者をそっと毒殺してしまお たちま と忽ち、幾年の後に成人した子供が訪ねて来る日のことが うとまで思い詰めたことも一度や二度ではなかった。 想われた。自分のいかめしい監視を逸れた子供は家じゅう ー・圭一郎が離れ部屋で長い毛糸の針を動かして編物を みじろぎ おさ わいろ その のが じん かくし ひげ あかご このよ めだま いた へんば のど
気で言葉を継いだ。 かな このような憶い出も身につまされて哀しく、圭一郎は子「でもね、仮令、子供が出来たとしても、戸籍のことはど 供に苛酷だったいろいろの場合の過去が如実に心に思い返うしたらいいでしよう。わたし、自分の可愛い子供に私生 されて、彼は醜い自分というものが身の置きどころもない 児なんていう暗い運命は荷なわせたくないの。それこそ死 程不快だ 0 た。一度根に持 0 た感情が、それは決して歳月ぬよりも辛いことですわ一 の流れに流されて子供の脳裏から消え去るものとは考えら圭一郎は急所をぐっと衝かれ、切なさが胸に悶えて返す れない。甘んじて報いをうけなければならぬ避けがたい子言葉に窮した。町で二人の恋愛が黙った悲しみの間に萌 供の復讐をも彼は覚悟しないわけにはゆかなかった。 し、やがて抜き差しのならなくなった時、千登世は、圭一 圭一郎は息詰るような激しい後悔と恐怖とを新にして魂郎が正式に妻と別れる日迄幾年でも待ち続けると言ったの ほそく いっこく をゆすぶられるのであった。そして捕捉しがたい底知れなだが、彼は一剋に背水の陣を敷いての上で故郷に闘いを挑 い不安が、どうなることであろう自分達の将来に、また頼むからと其場限りの偽りの策略で言葉巧みに彼女を籠絡し りない二人の老い先にまで、と思い及ぼされた。 た。もちろん圭一郎は千登世を正妻に据えるため妻を離縁 もぎどう 同じ思いは千登世には殊に深かった。 するなどという没義道な交渉を渡り合う意は毛頭なかった。 「わたし達も子供が欲しいわ。ね、お願いですからあんな偶然か、時に意識的に彼女が触れようとする >.* 町での堅い てぶたおお うやむや 不自然なことは止して下さいな。」 約東には手蓋を蔽うて有耶無耶に葬り去ろうとした。ばか りでなく圭一郎は、縦令、都大路の塵芥箱の蓋を一つ一つ 「手足の自由のきく若い間はそれでもいいけれど、年寄 0 開けて一粒の飯を拾い歩くような、うらぶれ果てた生活に てから、あなた、どうなさるおつもり ? ろう子供のな " 面しようと、それは若い間の少時のことで、結局は故郷が い老い先のことを少しは考えて見て下さい。ほんとうにこあり、老いては恃む子供のあることが何よりのカであり、 下 んな惨めなこったらありやしませんよ。とりわけ私達は期その羸弱い子供を妻が温順しくして大切に産職り育ててく の うな 0 てみれば誰一人として親身のもののない身の上じゃれさえすればと、妻の心の和平が絶えずられるのだ 0 た。 のぞ 崖ありませんか。わたし思うとぞ 0 とするわ」 期うした胸の底の暗い秘密を覗かれる度に、われと不実に 千登世は仕上の縫物に火熨斗をかける手を休めて、目顔思い当る度に、彼は愕然として身を縮め、地面に平伏すよ まぶたし を嶮しくして圭一郎を詰ったが、直ぐ心細そうに萎れた語うにして眼瞼を緊めた。うまうまと自分の陋劣な術数に瞞 しお こ たとい ごみばこふた
「父ちゃん、キュー。ヒー射的をやろう」 らん」とすっかり落胆して二三日言いつづけた。今の今ま 「やろう」 で、子の愛のためにはどんな儀牲をも払おう、永年棄て置 つぐな キュービー射的というのは、ユキが銀座の百貨店で買っ いた償いの上からもとばかり思い詰めた精神の底の方から、 みやげ すぎま ふい 1 」 かしやく て帰った子供への土産だった。初めはチャンチャン坊主と隙間の小穴から、鞴のようなものが風を吹出して呵責の火 あお ばかし思っていたが、よく見るとメリケンで、それ等七人を煽るのであった。 のキュ 1 ビー兵隊を鉄砲で撃って、命中して倒れた兵隊の 「ああ疲れた。父ちゃんは休ませて貰おう」 こたつまい ふとん 背中に書いてある西洋数字を加えて、勝ち負けを争うよう私は居間の火燵に入って蒲団を引き掛け寝ころんだ。 に出来ていた。一間の間隔を置いて、私と子供とは代る代もう二月号創作の顔触れも新聞の消息欄に出たのだろうが、 る縁板に伏せ、空気鉄砲の筒に黒大豆の弾丸を籠めては、定めしみんな大いに活躍しているだろう、自分などいっそ 鉄砲の台を頬べたに当ててキュ 1 ビーを狙った。 のこと世を捨てて耕作に従事しようかしらと、味気ない、 うつろ すみ 「松ちゃん、何点 ? 」 頼りない心で。ほかんと開いた空洞の眼をして、室の隅に積 ふるごうり 「将校が五十点、騎兵八点、ラッパ卒十五点 : : : 七十三み重ねてある自分達の荷物の、古行李、パスケット、萌黄 いろあ 点」 色の褪せた五布風呂敷の包みやを見ていた。 「よしよしうまく出来た」 「父ちゃん、ハガキ : : : 」 かいそう 私が帰郷当座は、極端に数理の頭脳に乏しい松美は尋常仰向けのまま腕を延べ、廻送の附箋を賰った ( ガキを子 六年というのに、こんなやさしい加算にも、首を傾げて指供から受取り裏を返すと、きやッ ! と叫んで私は蒲団を まで を折って考えたものだが、私の鞭撻的な猛練習でそこ迄で蹴飛ばして跳ね起ぎた。 こころや わめ も上達させたのだと子供のために喜び、せめて心遣りとし「おい、 = キは何処に居る、早く来い、早く来い」と喚き 婚たか 0 た。それにつけても、余りにも = キとの営みにのみ立てながら台所〈走 0 て行 0 た。「おーい、何処〈行 0 た、 娃きゅうきゅう 汲々としないで、子供を東京につれて行き学業を監督し早く来い、早う早う」 ほとん ただ てやるのが親の役目だと思い、殆ど一度はそう心を定めた 只ならぬ事変が父の運命に落ちたと思ったのか、子供は 神 おもんばか はだし が、子供を奪われた後の年寄のさびしさを慮り、且、自跣足で土間に下り「母ちゃん、母ちゃん ! 」と二タ声、鼓 たま まくつんざ 分の生活境遇と併せ考えて取消した。東京へ行きたくて堪膜を劈くような鋭い異様な声を発した。途端、向うに見え あて らない子供は「父ちゃんの言うこたア、当にならん当になる納屋の横側の下便所からユキが飛び出し、「父ちゃんが、 あわ ペんたっ わら かっ いつのぶろしき ふせんよ
ごろ 頃を確めようと焦った。幾度もペンを執ろうと身を起した頭の中がばりばりと板氷でも張るように冷えるので、圭一 すふとん が心は固く封じられて動こうとはしなかった。 郎は夕食後は直ぐ蒲団の中に脚匍いになって読むともなく こまぬなが さら まで 圭一郎は黙然として手を拱き乍ら硬直したようになって古雑誌などに眼を晒した。千登世が針の手をおく迄は眠っ たちま 日々を迎えた。 てはならないと思っても、体の疲れと気疲れとで忽ち組ん 桜の枝頭にはちらほら花を見かける季節なのに都会の空だ腕の中に顔を埋めてうとうととまどろむのであった : ・ あんうつ みそれ は暗鬱な雲に閉ざされていた。二三日霙まじりの冷たい雨「敏ちゃん ! 」と狂気のように叫んだと思うと眼が醒め こや が降ったり小遏んだりしていたが、そうした或る朝寝床をた。その時は夜は随分更けていたが千登世はまだせっせと 出て見ると、一夜のうちに春先の重い雪は家のまわりを隈針を運んでいたので魘される圭一郎をゆすぶり醒ましてく まどびさし なく埋めていた。午時分には陽に溶けた屋根の雪が窓庇をれた。 かす 「夢をごらんなすったのね」 掠めてドッツッと地上に滑り落ちた。 おそ 「あっ ! あぶない ! 」 「ああ、怕ろしい夢を見た : : : 」 と圭一郎は、無といして両手で机を押さえて立ち確かに「敏ちゃん」と子供の名前を大声で呼んだのだが、 かやぶき わか 上った。故郷の家の傾斜の急な高い茅葺屋根から、三尺余千登世には、それだと判らなかったらしい。平素彼は彼女 なだ たとい ごうぜん おくび も積んだ雪のかたまりがド 1 ッと轟然とした音を立てて頽の前で噫にも出したことのない子供の名を仮令夢であるに おそ れ落ちる物恐ろしい光景が、そして子供が下敷になった怖しても呼んだとしたら、彼女はどんなに苦しみ出したかし ろしい幻影に取っちめられて、無意識に叫び声をあげた。れなかった。彼は息を吐いて安堵の胸を撫でた。圭一郎は よいやみ 「どうなすったの ? 」 夢の中で子供に会いに故郷に帰ったのだ。宵闇にまぎれて のぞ わがや 千登世はびつくりして隣室から顔を覗けた。 村へ邁入り閉まってる吾家の平氏門を乗り越えて父と母 その 圭一郎は巧に出たら目な言いわけをして其場を凌いだが、とを屋外に呼び出した、が、親達は子供との会見をゆるし さすがに眼色はひどく狼狽てた。彼は、その日は終日性急てくれない。会わしたところで又直ぐ別れなければならな あまだれ な軒の雪溶けの雨垂の音に混って共同門の横手の宏荘な屋いのなら、お互にこんな罪の深いことはないのだからと言 はるまる 敷から泄れて来るラジオの一 : 1 スや天気予報の放送にも、う。折角子供見たさの一念から遙本帰って来たのだから、 気遣わしい郷国の消息を知ろうと焦心して耳を澄ました。 一眼でも、せめて遠眼にでも会わしてほしいと縁側で押問 夜分など机に凭 0 ていると〈んに息切れを覚え、それに答をしていると、「父ちゃん」と能袖のあぶあぶの寝巻を きづか ひる しの こうそう うな あんど
引 6 「小説中に於ける事件ーへの蔑視ということは、子供が無供を認める人達は、今度は、私が同時に成人だということ おとな 理に成人っぽく見られようとする時に示す一つの擬態ではを理解して呉れないのだ。 おとな へた ないのか ? クラリッサ・ハアロウとロビンソン・クル 成人、子供、ということで、もう一つ。英国の下手な小 ンーとを比較せよ。「そりや、前者は芸術品で、後者は通説と、仏闌西の巧い小説に就いて。 ( 仏聞西人はどうして、 とぎばなし 俗も通俗。幼稚なお伽話じゃないか」と、誰でも「ムうに決あんなに小説が巧いんだろう ? ) マダム・ポヴァリイは疑 よろ っている。宜しい。確かに、それは真実である。私も此のもなく傑作だ。オリヴァ・トウイストは、何という子供じ 意見を絶対に支持する。ただ、此の言を為した所の人が、 みた家庭小説であることか ! しかも、私は思う。成人の 果して、クラリッサ・ ( アロウを一度でも通読したことが小説を書いたフロオペエルよりも、子供の物語を残したデ おとな ただ あるか、どうか。又、ロビンソン・クルーソ 1 を五回以上 ィッケンズの方が、成人なのではないか、と。但し、此の しささ 読んだことがないか、どうか、それが些か疑わしいだけの考え方にも危険はある。期かる意味の成人は、結局何も書 ことだ。 かぬことになりはしないか ? ウィリアム・シェイクスビ 之は非常にむずかしい問題だ。ただ云えることは、真実ア氏が成長してアール・オヴ・チャタムとなり、チャタム しせいじん 性と興味性とを共に完全に備えたものが、真の叙事詩だとが成長して名も無き一市井人となる。 ( ? ) いうことだ。之をモッアルトの音楽に聴けー 同じ言葉で、めいめい勝手な違った事柄を指したり、同 ロビンソン・クルーソーといえば、当然、私の「宝島」じ事柄を各々違った、しかつめらしい言葉で表現したりし が問題になる。あの作品の価値に就いては暫く之を措くとて、人々は飽きずに争論を繰返している。文明から離れて するも、あの作品に私が全力を注いだという事を大抵の人いると、この事の茣迦らしさが一層はっきりして来る。心 が信じて呉れないのは、不思議だ。後に「誘拐」や「マ理学も認識論も未だ押寄せて来ない此の離れ島のツシタラ しよせん アスター・オヴ・・ ( ラントレエ」を書いた時と同じ真剣さにとっては、リアリズムの、ロマンティシズムのと、所詮 で、私はあの書物を書いた。おかしいことに、あれを書いは、技巧上の問題としか思えぬ。読者を引入れる・引入れ ため ている間ずっと、私は、それが少年の為の読物であること方の相違だ。読者を納得させるのがリアリズム。読者を魅 をすっかり忘れていたらしいのだ。私は今でも、私の最初するものがロマンティシズム。 の長篇たる・あの少年読物が嫌いではない。世界は解って 呉れないのだ。私が子供であることを。所で、私の中の子七月 x 日 これ べっし ぎら しばらこれお キドナッブド わか ぎよう おのおの こ おとな
なお ていたため、指という指はすっかり節つくれてしまい、左めて、今度こそ名医の手で手術して根本的に癒してやると めつかち の人差指は木伐りの際斧を打ち込んで骨を砕き村の隻目の息まうのを、私は一生脱腸機を腰に巻いていても構わない こうやく わすら 漢法医が膏薬を間違えて半歳も患ったのであるが、今尚おから外科刀を子供の局部に刺し込むのは危険だと、相互に まをたばこ いもむし 厳冬の朝など微かな疼きを覚えるほどの、その慴えた芋虫ひどく言い募った果て、私が過って子供の指へ巻煙草の灰 のように短く縮かんだ人差指の無慨好を私は都会の人の前を落して、子供はわっと泣き出し、見る見る腸が睾丸いっ では恥じろうて、右の手指でい隠そうとすることが、独ばいに滑り出て来た。と妻は耳の附根まで真赤にして軋 うた りして私の手の甲を爪切って血を出した。ーー追懐の念転 坐の場合にも習慣づけようとしていたのである。 ほえ 或日も、私は怯けた微笑みを面に浮べて、兎もすれば記転禁じ難きものがある。私は右手の甲を眼近に引き寄せ、 しばしば つめあと たど 憶はそうした若かった日をぼんやり辿りながら、重ねた手歴々と残っている咲子の爪痕を見詰めると、々経験する らち ふけ の甲に眼を落し、埓のない考に耽っていた。咄嗟に火でも耳鳴りの伴う暗い暗い心地に落ち込むのであった。 まがき もくれんっぽみ 籬の上に枝を伸べている隣家の木蓮の蕾は日増に赤みが おっ付けられたかの如く私は周章てて手を引っ込めたが、 わきした ひやあせ てくびあたり か 0 た紫色を加えた。が、蕋家の二坪程の中庭をうてい 腋下から気味のわるい冷汗が一滴二滴手頸の辺まですべり しな ふじだな つる とりはだ 流れて、体じゅうに鳥肌の寄るのが感じられた。ーー折かて藤棚のふじの蔓は枯れ死にでもしたのか萎びて一向芽ざ せぎれき こがらし ら私の眼は、おおよそ十年まえの木枯の寒い晩、脱腸を病しを見せないことが喞たれたが、湘瀝と降り頻った霖雨が ぎようえん なま む子供を r-n 市の私立病院に夫婦で連れて行こうとして、村霽れ、生温い日が続くと、見る間に嬌艶な花房のしだれを ふきさら ほのぐら の駅の吹曝しの仄暗い歩廊で汽車を待っ間、妻の咲子がち見せた。 ようど目を覚したねんねこに負ぶった背中の子供に、魔「ああ、綺麗ね」 物の目玉のようなシグナルを指し示して何かささやいてい 「おお、美事ね」 しばらく かきね でた時の母性らしい姿を見出した。私は少時眼を挙げて咲子垣根に沿うた路地を行き交う人々の高調子な讚歎の声が、 つの可憐な幻を懐しがって追ったのである。あの時は一年半足を留める気配が、日に何回か私が独居の三畳へ聞えた。 はかな わむ ものうはちうな 立 かかりつけの医者に見限られて夫婦は興奮し切っていた。 だが春栄の果無さ、花は散って、睡りを誘う慵い蜂の唸り こう かわしもまんきち 董車に乗ると咲子は、川下の万吉という左官が脱腸した睾声は聞えなくなり、やはり蜜を吸いに時おり舞い込む黄い 丸を両股に挾んでカンガルーそのままの恰好して、いつものや白いのや蝶々が絶えずあわただしく翅をはためかし どな 村の悪童共を呶鳴っている惨めなさまを子供の将来に当嵌ているのは見えなくなった。そうして紙捻のように巻いて かれん ある ごと おの とっさ おび あては きれい みつ かみより しき さんたん いっこう りんう こうがん