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検索対象: 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集
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1. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

城のある町にて 183 う子 持 る っ ー 1 ー 1 ー 1 は袖く勝ゃな う 活か * ゆ姉そ衣 : あ姉間 が姉っさ奥 て扇 、のな子がどど の煙 : 子 がう嚢しん う 」っ がて あ う がに 呼長さ 、ん種来 合やにた義姉 、間管るな と んやど て 、い姉仕奥な々た 、兄も をまし 音点なあ / し . での 。ん信詰かを と 活や れ . 合 . 。る 度の 扇に信 むと 勝 動 た服と が間持衣砂な 婦 つどさ点あけ子 子 義 糖はのた 子や まを の 出 せなれどは で服 う の 、を屋奈ど はあ ま着母娘来気 仕のでてども た配ま着な何う度をも煙し汚三 兄 く ムがのにた どやを 気 ま ぇ 、草こて の 近 手 っそ で心どながな えをゆて に な所たこ峻をん し配伝しわ 呑の つま - つ の 。らはやな ってなんくす も っ と に カ 、子 っ 風い 。で に て り の ムて い で 女 ム 一等 いきたでる 行 - 早 い捜 つやた ・つ 着き 。うた っ へり て の し、の っ し の 子 あな す下し附。をた団ち うて 仕兄カ り が 度はけ でりたけ見 団扇わい 化 っか 、て 。をな扇をナ は い雑き よ下げ で二義 や しが や を の っ ぼ駄た し てらあ三母 ん を し 0 て・ 、る本カ た つを し い て て穿は る彼 。寄 い じ と る やし、 だは た せ ゆ 勝 ろ信 ム う った て ナこ に た で の ー 1 ー 1 ー -1 ー 1 。勝 、往 ム勝姉そ勝お見姉早 し朝う朝し 義い よ ヨ ち今 よ鮮う 魚羊 来 待、 子が ん子 えと う兄ゃう よ のわ 、そなはちた信おがらち や 晩に う 閣ん閣 う なん ち は 涼 の帰う ら小遠 。子出い出 しえ せ ん 力、 。ん 、み、 がでて し . へや ムおさ ささ ろ と か 此こ今台 入ん帰う 母 し 、ま つ出な来 幼 , ? 。た う く 処こ晩 さ扇 稚 . つなろ と て 勝 の来放ほ。園 何は出 んを か ム 行 、ち子団 、し 来勝わ て ナこ ・つ く と、と 行らは扇 た 子ん 晩 か て の 。を白い く 。は っと こ、声し の て見勝 そ返や 一粉て をる は と し事ん 来 か近 せ子つをゆ あ ま 、ず濃く 彼け て 所 のな れ ま て た の 峻カ す姉 扇 つ く・ぞ はた や 。人 と に持持はな そ はわ で ん ・つ り義 び 手 ん わ っ い とつ て な と を に母 いててた が ロ気よ っる い顔 ひ る と い真ま勝 きか が る て似ね子 を 通 訊き り 歩を冫 け や 日み い す き た しム が 出 て 見 し設た り ん

2. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

どに宿している死んだ義兄の面影をそのまま見出した。 兄の許に送ったが、義兄は一と眼視て、「上のほうは先き 「豊ちゃん、お父さんを覚えているかね ? 」 でおれを覚えているかもしれないが、下のほうは何も分る 「別段覚えようと思うとらんか 0 たから覚えとりませんが、まい」とくなり、直ぐべッドの下に隠してしま 0 たとい おも うる そえでも写真を見りやこねな顔じゃったぐらい思い出しまうことなど憶い出して、私は声の自然とむのを感じた。 す」 , 「豊ちゃんも、とうとう一人ぼっちだな、僕の田舎の子供 「何年になるかなあ、ちょうど暑い時分であったが : : : 」も一人・ほっちだし、将来仲好く助け合ってくれないか、頼 「この八月十二日が七回忌に当るちゅうことで、秀郎の三むよ」 周忌と合せて法事をするから、それまでにや戻って来い 私は、カッ子が座を外した時だったので期う覚えず愚痴 ちゅうてお母さんが言いました。」 をこ・ほして、返事に窮した豊次の顔を見ると、極り悪くな 「ああ、そうそう、秀ちゃんが亡くなったんだってな ! 」 む くだもの 秀郎の身體ったことは、本郷に居たころ父の便りを読ん カッ子が果物の皮を剥きながら代って話相手になってく すこぶひょうぎん かんてん で知った。豊次の黙んまりやと異って秀郎は頗る剽軽ものれたので、私は腿邁いになってタ刊を見ていた。旱天三旬、 ようせつ とて で、今にして思うと夭折するだけに迚も普通でないほど人立秋も近づいたというのにここ数日来の炎熱、しかし、武 いとけな なっこく、殊に稚いながら兄の豊次に篤かった。さして蔵野の空をよぎる雲の色にも、わくら葉にそよぐ風の音に ひょわ 脾弱な方とは思っていなかったが、豊次の話すところによも何処かほのかに秋の気は動いで田園の夏はゆたかにたけ ると、小学校の教室で貧血から眩輦を起し、その度に豊次た、黒土のめぐみに旱魃にもめげぬ稲の伸び、畑の収穫の ほうじよう が負ぶって帰るようなことは度々だったというのである。すばらしさーーーそうした文字を拾って行って、田園豊穣の わずら とうとう患いついて脳膜炎を併発して果てたこと、電話が景を載せた写真の、畑中に立っている大きな朝鮮牛に眼を ぬれえん でかかって来て学校から豊次が帰って濡縁に腰掛けていると、やると、私は思い出したように、 なきがら っ姉は冷たくなった秀郎の亡躯を抱いて人力車で町の病院「豊ちゃん、叔父さんとこの牛は、まだ生きているかね 立から帰って来たこと、その死の前後を断片的に豊次から聞 ? 」と、跳ね起きて訊いた。 うめ いているうち、義兄が九州の大学病院で死の床に呻いてい 「あ、あれかの、ありや去年の春休みにわたしが村へ行っ 四る時、私の家に預っていた豊次と秀郎とを、私は自転車にた時に売ってでありました」 乗って町から早取り写真屋を連れて来て写真に撮って義「やつばし売ったのか。飼い殺しにするとか言っていたの へいはっ あっ さしの どこ よらま かんばっ なかよ み

3. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

も来ないのによちょちと歩いて、エヘラエヘラ薄気味わる ぜん 「まだ下可ん」 く笑いながら汚れた指で膳の上のものを撮んだりされると、 と、ロの中で答えて猶も私は依怙地に黙り切 0 ていた。私は厭気のさす自分の心を強く 0 ても、自然と根を ただ りようてひざ 房子も手のつけようがなく唯身じろぎもしないで両掌を膝めないではいられなかった。 かしこ の上に重ねたままきちんと畏まっていた。ちらとぬすみ視翌朝私は独りあたたかい寝床を離れ兼ねていると、潔が くびねしらじら ぶっちょうづら をすると彼女は頸を捩じ白々しい仏頂面を外方に向けた。 自分を芝居に誘ったらどうだろうと台所で母と相談する声 やが せきばら 軈て潔の咳嗽払いが聞えた。私は潔の心づくしに対して済が手に取るように聞えた。「そやぜひ伴れて行きなさんせ。 まないと思えて来て焦り焦りする心をいい加減なところで気散じにもなるし、ちったあ人間が開けて好えから」と母 は言っていた。 切上げねばならなかった。 げいごと 「房さんの方は ? 」 遅朝食の時潔はそれを言い出した。鳴物などの芸事には かげさま 「お蔭様で痛みだけは大方とれましたの。ひどい我儘して生来興味の疎い私のことだから別段気がすすみはしなかっ たけれど、潔の折角の言葉とあれば断りづらく承知の旨を 心配かけて申訳ありません。赦えて下さんせ」 くちもとすほ 房子はロ許を窄めて優しく言った。私は急に機嫌を取直答えた。 した。折から乱れた跫音がして、房子の父や母や、祖父や、芝居とあれば璢をぬかすたちの潔は喜び勇んで早速床屋 末弟の負ぶった妹やが帰って来て室内の話声を聞きつに出かけて行 0 た。そして慌しく帰って来ると、机の上 けると気色立って縁側から上 0 て来た。そしてどやどやとに立ててある鏡に剃立ての顔を映し、蒼味を帯びたや あいさっ なでさす 騒がしくかわるがわる挨拶した。 頬の辺を撫摩りながら、自分の色男振りに見惚れるかのよ 程なくご馳走が運ばれて酒になったが、又しても私の気うに飽かずに眺めていた。その時私は妙な気持の上から潔 むやみ ひざ 分は無闇に沈んだ。私は不断から融を見る度に言いようのに対して馴れ馴れしくしたくなくて、膝も崩さず腕組みし 日 るないへんな不快に襲われた。融は、私達の結婚後間もなく、 たまま冷々と対座していた。其処へ房子がって来ると と房子の父が六十を過ぎ、母が五十近くにもなって出来た子潔の顔に眼を遣って、 父供なので、房子も父母も軽蔑されることをれてか、当分「ほう、綺麗にな 0 たこと、剃跡が蒼々して : ・ : ・」と言っ かくま の間は私に見せないように匿っていた程だった。私の父母たと同時に、彼女は私の顔に眼を落して言った。「久松さ くちひげ も多分まだ知ってないだろうと私は思っている。未だ誕生んにやロ髭たら一本もありやせんわの。抜くこた止めて、 ちそう じ こら をげん わがまま なが

4. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

はヤか かも、その跡が今や天下に顕彰されることになったという 「帰るのは易い。だが、又辱しめを見るだけのことではな かえ いか ? 如何 ? 」言葉半ばにして衛律が座に還ってきた。事実は、何としても李凌にはこたえた。胸をかきむしられ せんばう 二人はロを噤んだ。会が散じて別れ去る時、任立政はさりる様な女々しい己の気持が羨望ではないかと、李陵は極度 気なく陵の傍に寄ると、低声で、竟に帰るに意無きやを今に惧れた。 こう・ヘ 別れに臨んで李陵は友の為に宴を張った。いいたいこと 一度尋ねた。陵は頭を横にふった。丈夫再び辱しめられる くだ 能わずと答えた。その言葉がひどく元気の無かったのは、 は山程あった。しかし結局それは、胡に降った時の己の志 なへん が那辺にあったかということ。その志を行う前に故国の一 衛律に聞えることを惧れたためではない。 族が戮せられて、もはや帰るに由無くなった事情とに尽き 後五年、昭帝の始元六年の夏、此の儘人に知られず北方る。それを言えば愚痴になって了う。彼は一言もそれにつ たけなわ いてはいわなかった。ただ、宴酣にして椹えかねて立上 に窮死すると思われた蘇武が偶然にも漢に帰れることにな じようりんえんちゅう はくしょ 、舞い且っ歌うた。 った。漢の天子が上林苑中で得た雁の足に蘇武の帛書が もらろん うんぬん ついていた云々というあの有名な話は、勿論、蘇武の死を ばんりをへてさばくをわたり きみがしようとなりてぎようどにふるう ぜんう でたらめ 径万里兮度沙幕為君将兮奮匈奴 主張する単于を説破するための出鱈目である。十九年前、 ししゅうほろびて なすでにくずる じようけい みちきゅうせっしてしじんくゼけ 路窮絶兮矢刃摧士衆減兮名已饋 蘇武に従って胡地に来た常恵という者が漢使に遭って蘇武 ろうほすでにししおんにむくいんとはっすといえどもはたいずくにかきせん うそもっ 老母已死雖欲報恩将安帰 の生存を知らせ、此の嘘を以て武を救出すように教えたの さっそく であった。早速北海の上に使が飛び、蘇武は単于の庭につ さすが れ出された。李陵の心は流石に動揺した。再び漢に戻れよ歌っている中に、声が顫え涙が頬を伝わった。女々しい うと戻れまいと蘇武の偉大さに変りは無く、従って陵の心そと自ら叱りながら、どうしようもなかった。 しもと の笞たるに変りはないに違いないが、併し、天は矢張り見蘇武は十九年ぶりで祖国に帰って行った。 陵 ていたのだという考えが李陵をいたく打った。見ていない おそ ようでいて、やつばり天は見ている。彼は粛然として懼れ 李 司馬遷は其の後も孜々として書続けた。 た。今でも、己の過去を決して非なりとは思わないけれども、 なお はず 尚ここに蘇武という男があって、無理ではなかった筈の己此の世に生きることをやめた彼は書中の人物としてのみ の過去をも恥ずかしく思わせる事を堂々とやってのけ、し漑きていた。現実の生活では再び開かれることのなくなっ あた いかん つぐ おそ しか おそ しばせんそ しか ふる ため ほお こ

5. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

ようにして立って行って戸棚から蒲団を出して隣室に床をめき出した。私は法要に集う近親や遠縁の人達と顔を合す のべた。 ことを厭がって、皆が留めるのをすげなく退けて村へ帰っ 「義兄さん、お疲れでしようからすこし横におなりなさい」た。 私は即座に羽織を脱ぎ棄てて床の中に k った。午前の くちひげ うんぬん ロ髭を抜き取る云々の場合と思い合せて、期うした房子の 敏感さを欠いた心は今日にはじまったことではないにしろ、 しかし実家に来ているという気安さから附け上って誰置法事の後始末もついたとおぼしき日を待って私は再び房 ず振る舞う彼女だと思うと、姆何にも不愉快で腹立たしか子の許へ行かないではいられなかった。出がけに、房子の お産を実家でさせて貰いたいという町の親達の希望を私 ゆっぽ えんぎよく その夜独りで線路伝いに川向うの温泉に行って、湯壺のは父母に婉曲に相談してひたすらに同意を求めた。それは 縁を跨げようとした時、正面の大鏡へ映った自分の姿に私町の親達の願いであると同時に私としても心底の願いで にんしん はぎよっとした。私は泣き出したいような気持に浸って、 あった。私には姙娠と知れた当時からお産の場面に遠ざか どうき うなだ 隅っこに向いて動悸の波打っ胸を畳んで項垂れてしまった。 りたい心が半分、仲らいの悪い母の世話になそなるものか ようぼう 容貌が醜くて生き甲斐もないことだと思い歎いた独身時という意地が半分あって。 代の極端な悲しみは、それでも近頃は幾らかうすらいで下兎に角二三日じゅうに手紙で何んとか通知を寄越すとい もたら 火になっておったが、それが父親になろうとする今日此頃、う父母の回答を齎して私は町に行った。・、 カ二三日は愚、 よみがえ あか・こ おとさた 別な意味で新に急劇に蘇生って来た。生まれ出る嬰児が自一週間経っても十日経っても一向に音沙汰がない。私はむ 分に似ていたらどうしようー どうか男の児であって房子ろん、房子も母も腹を立てた。温厚な父までが房子を村へ に似ていて欲しい。自分にそっくりの女の児が生まれると帰らすとしてももう臨月を控えてのことで途中でどんな失 日 るして、そしてその子が成長して物心がっき出した頃を想像策が起らないとも限らないと言って、目に角を立てた。 よだ せつな せんりつ とするだに身の毛が弥立ち、刹那的な戦慄以上に恐ろしい罪即日、私は自家へ帰って、すこし芝居気も混っていたが 父をつくるようにさえ思い做された。 父の前で涙を零して承諾を強盡んだ。父は苦情を持出す母 しようつきめいにち しか 維新の際に戦死した房子の祖父の祥月命日が間近に迫っを叱りつけた。母の不賛成は、嫁のお産を実家でさすこと にわか て障子の張替えや畳の表がえやのため家じゅうは遽にざわは田舎としてはあまり例のないことであるということから、 また とだな ふとん なげ このごろ こほ つど

6. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

やますそ その悪婆は紛れもなく房子の祖母であった。と奇怪なこと村の駅で下車すると私は山裾を曲りくねった旧道を歩い には房子のお産を避けて村へ帰ると言い出した時の自分をて家路についた。赤々と燃えている紅葉した裏山を背にし くさぶき わがや た大きな草葺屋根の吾家が見え出すと、私は子供のように 睨め付けたあのきつい祖母の目玉が今不動尊に乗りうつり、 うれ ばか らんぐいば と忽ち又それが角を生やして太い乱杭歯を剥いた見るから嬉しくなった。たった一ヶ月許りの滞在なのに十年も帰ら に恐ろしい鬼と化けヌウヌウと拡が 0 て自分にいかぶない人のように田舎の景色が物珍らしく懐しか 0 た。小高 い岡の畑で芋掘りをしていた祖父が私の姿を見付けると家 さって来るのであった。それが夢に似て実は訳のわからな うつつ い現の神経のせいだった。私は叫び声を揚げて意識を取戻の下まで迎えに来て息をはずませ、 くぼ したが、その目玉は私の眼先に絡みついて消え失せようと「久松や、産まれたのかえ ? 」と眼を窪めて訊いた。 よろいびつふた はしない。時か祖母が押入れの鎧櫃の蓋を取って其中の おぶれ かっちゅう そうぜん 四 古色蒼然とした甲胄を示し、今こそ零丁はしていても、と 言わぬばかりに祖先の某の戦功を誇った時、「ふふん」と ある 自家に帰った私は以前とは全然ちがって母が自分に優し 私が或反感から鼻でせせら嗤った時の祖母のった目玉の 色もごっちゃにいりまじって。 : : : 私は祖母を平素から何くして呉れることを、言葉からも素振りからも感じて何よ あか りも異様に思ったが、それは正に産まれ落ちょうとする嬰 んとなしに眼の敵にしていた。 私は寝そびれて、明け方からようよう浅い眠りについた。児に深い愛情を覚えて来た今日、私とこれまでのような反 すずめ あいだがら そして眼の醒めた時はもう九時を過ぎ、雀は庭先に囀って目し合った間柄でいては初孫に対する母自身の愛を私に拒 まれるに相違ないという恐怖がさせるものだと解釈された。 朝日は障子に冴えた光を投げた。田舎町は田舎町らしく、 にぎわ それでもそれ相応に朝の賑いを示していることが、今朝にそうだと思うと私は何かやたらに又がむしやらに憤ろしさ ある そそ が胸に込み上げて、妙に意地悪いことが言いたくて仕様が 限って或特殊の感慨を唆るのであった。 しよくぜん 母の真情罩めた食膳に向ったが胸が痞えて食物は咽喉をなかった。 通らず鵜呑みにした。そして急ぎ身支度を済ますと私は房「祖父さま、もう守子を傭うとこじゃないかの、要る段に 子と母とに送られて裏木戸から屋外へ出た。私は房子を顧なってやれそれに見当るもんじゃないし、どうせお守だけ みて「左様ならーと言ったが、声はうるみ眼からは涙が飛は守子にさしようとわたしゃ前々から考えとるがの」と祖 むしろ いしうすそばこ び出しそうであった。 父に向って、私が土間に莚を敷いて石日で蕎麦粉をごろご たちま わら その さえず おか やと

7. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

194 っ伏せになって両手で墻を作りながら ( それが牧場の積り「何を立って見とるのや」兄が怒ったようにからかうと、 であった ) 信子は笑いながら捜しに行った。 「芳雄君。この中に牛が見えるぜ」と云いながら弟をだま「ないわ」信子がそんなに云って帰って来た。 ふた した。両手にかこまれて、顔で蓋をされた、敷布の上の暗「カフスの古いので作ったら : : : 」と彼が云うと、兄は はず 黒のなかに、そう云えばたくさんの牛や馬の姿が想像され「いや、まだたくさんあった筈ゃ。あの抽出し見たか」信 るのだった。ーー・・彼は今そんなことは本当に可能だという子は見たと云った。 気がした。 「勝子がまた蔵い込んどるんやないかいな。一遍見てみ」 田園、平野、市街、市場、劇場。船着場や海。そう云っ兄がそんなに云って笑った。勝子は自分の抽出しへ極く下 た広大な、人や車馬や船や生物でちりばめられた光景が、 らないものまで拾って来ては蔵い込んでいた。 どうかしてこの暗黒のなかへ現れて呉れるといい。そして「荷札なら此処や」母がそう云って、それ見たかというよ それが今にも見えて来そうだった。耳にもその騒音が伝わうな軽い笑顔をしながら持って来た。 って来るように思えた。 「やつばり年寄がおらんとあかんて」兄はそんな情愛の籠 葉書へいたずら書をした彼の気持も、その変てこなむずったことを云った。 痒さから来ているのだった。 晩には母が豆を煎っていた。 たかし 「峻さん。あんたにこんなのはどうですな」そんなに云っ て煎りあげたのを彼の方へ寄せた。 雨 「信子が寄宿舎へ持って帰るお土産です。一升程も持って 帰っても、じきにペろっと失くなるのやそうで : : : 」 八月も終りになった。 信子は明日市の学校の寄宿舎へ帰るらしかった。指の傷峻が話を聴きながら豆を咬んでいると、裏口で音がして なお が癒ったので、天理様へ御礼に行って来いと母に「ムわれ、信子が帰って来た。 近所の人に連れられて、そのお礼も済ませて来た。その人「貸して呉れはったか」 がこの近所では最も熱心な信者だった。 「はあ。裏へおいといた」 「荷札は ? 」信子の大きな行李を縛ってやっていた兄がそ「雨が降るかも知れんで、ずっとなかへ引き込んでおい う云った。 がゆ かを みやげ ひきだ

8. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

けれどもわたくしお兄さまのお心も理解してあげます。と、しくりしくり泣いて家の中に駈け込みます。そしてお お兄さまとお嫂さまとの過ぎる幾年間の生活に思い及ぶ時、父さまの膝に乗っかると、そのまま夕飯も食べない先に眠 きまぐ 今度のことがお兄さまの一時の気紛れな出来ごころとは思 ってしまいます。台所の囲炉裡に柵柮を燻べて家じゅうの ある われません。或いは当然すぎる程当然であったかもしれま者は夜を更かします。お父さまは敏ちゃんの寝顔を打戍り ながおっしゃ のう せん。何時かの親族会議では咲子嫂さまを離縁したらいい 乍ら仰有います「圭一郎に瓜二つじゃ喃」とか「焼野の雉 いち : やかぎし との提議が多かったのです。それを嫂さまは逸早く嗅知っ子、夜の鶴・・ーー圭一郎は子供の可愛いということを知らん て、一文も金は要らぬから敏雄だけは貰って行くと言ってのじやろうか」とか。 敏雄を連れていきなり実家に帰ってしまったのです。しか先月の二十一日は御大師様の命日でした。村の老若は丘 も敏雄はお父さまにとっては眼に入れても痛くないたったを越え橋を渡り三々五々にうち伴れてお菓子やお赤飯のお ねむ 一粒の孫ですもの。敏雄なしにはお父さまは夜の眼も睡れ接待を貰って歩きます。わたくしも敏雄をつれてお接待を ちょうだい あぜみちかご ないのです。お父さまはお母さまと一つしょに、町のお頂戴して歩きました。明神下の畦径を提籃さげた敏雄の手 さとわ 実家に託びに行らして嫂さまと敏雄とを連れ戻したのです。を扶いて歩いていると、お隣の金さん夫婦がよちょち歩む とて 迚も敏雄とお嫂さまを離すことは出来ません。離すことは子供を中にして川辺りの往還を通っているのが見えました。 ざんこく 惨酷です。いじらしいのは敏ちゃんじゃありませんか。 途端わたくし敏雄を抱きあげて袂で顔をいました、不憫 おくびよう 敏ちゃんは性来の臆病から、それに隣りがあまり隔ってじゃありませぬか。お兄さまもよくよく罪の深い方じゃあ いるので一人で遊びによう出ません。同じ年配の子供達がりませんか。それでも人間と言えますか。 わたくしの たんぽかわら おっと 向うの田圃や磧で遊んでいるのを見ると、堪えきれなくなお胎内の子供も良人が遠洋航海から帰って来るまでには産 とをたま よろ - 」 はず って涙を流します。時偶仲間が遣って来ると小踊して歓び、まれる筈です。わたくし敏ちゃんの暗い運命を思う時慄然 仲間に帰られてはと、ご飯も食べないのです。帰ると言わとして我が子を産みたくありません。 このごろ れると、ではお菓子を呉れてあげるから、どれ絵本を呉れ お兄さまの居られない今日此頃、敏雄はどんなにさびし てあげるからと手を替え品を替えて機嫌をとります。いよ がっているでしよう。「父ちゃん何処 ? 」と訊けば「トウ いよかなわなくなると、わたくしゃ嫂さまに引留方を哀願キョウ」と何も知らずに答えるじゃありませんか。「父ち ねえ に来ます。それにしてもタ方になれば致し方がない。高いやん、いつもどってくる ? 」って思い出しては嫂さまやわ たそがれ 屋敷の庭先から黄昏に消えて行く友達のうしろ姿を見送るたくしにせがむように訊くじゃありませんか。敏ちゃんは や ぎげん つる いろり かわい

9. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

いさ。百姓は百姓でも、ちったあ作法のある家だぞ。とりし、ただただ尋常にお受けしとれま、 ーしいが、先生への気 へんしゅう わけお袋など一ト通りや二タ通りの気むずかしさではない持とは全然別に、僕も十人もの編輯同人の中に混って、こ いたばさ んだから、お前との折れ合いで、おれが始終板挾みの苦労の頃では平助手の分に過ぎた扱いを受けていてさえ、三十 ひが を見るに決っているから、お前は町の場末あたりへかく過ぎての仕末の悪い僻みから自分の職分も忘れ、時には屈 しつけ まって置くより外仕様があるまい。幼い時から下等な躾ば辱だとも口惜しいとも思うこと、もっと同人の多かった先 じだらくほうだい しばしばまぶた かしで自堕落放題に育って来ているんだから、新しく品の頃には暖々瞼の熱くなることさえあったね。けれど、泣く ある真似は得覚えまい ! 」 も笑うもお前と一緒だと思えばこそ、共苦労だと思えばこ びたすら 「だって、そんなこと、今の場合に持ち出して、どうのこそ、夫婦の礼譲、そんなものに只管慰安を求めようとして おっしゃ うのってがみがみ仰言らなくたっていいでしよう。 わたし、来てるんだ。それが分らんのか。何も今度の着物を恩に着 かしこ 四五時間も畏まり通しに畏まって疲れて帰って来て、夕飯せるわけじゃないが、全体の生活にもちっと敬虔の心があ の支度をすれば遅くなるし、それに内藤さんもお腹を空かるなら、僕におなご共の食べ残りを : : : 」ここまで言って きわ ばかやろう しているので、一ト折食べて貰って、わたしも先方で箸を来るとかっと感極まって、「この馬鹿野郎、出て行け、馬 ちょうだい どこ つけなかったので、お鮨を少し頂戴していたんですもの。鹿奴、出て行け、何処へでも行っちまえ ! さあ出ろ ! 」 しやく たけ あなたは、内藤さんに食べさしたのが癪に触るんですか。 と、私は大粒の涙を撒き散らし声を絞って哮び狂った。 よ ・、いカき そんな食餓鬼みたいなことをつけつけ仰言るなんて、あな「あーれ、止して下さい、矢部さんの二階からーと、おゅ さえぎ たにも似合わない」と、彼女は滅多になく興奮して対抗しきの声で木立で遮った構えの大きい隣家を見ると、何時か ふじだな くりぬぎじゅうしん 編輯室の前庭の藤棚の小鳥へ刳抜銃身の空気銃を一発放っ たいかっ 「黙れ ! 」と、私は大喝を浴びせたが、喰い千切ってやり たので危険だと思えてらしめのため厳しく叱り飛ばして はら にわ はやし 日たいほど肚の中は煮え返っても、俄かに愛想がっき何も言やった腕白者の中学生が、三四人の女中ときやっきやっ囃 た らんかん こちらのぞ りいたくなくなって、らく胸へ頭を押しつけ腕を組んでい 立てながら欄干に身体を乗り出して此方を覗き込んでいた。 「矢部へ聞えたら何んだ、あの小僧野郎威彊るな」と、ひ きくよう 曇 くちもとてのひらおお 「おい、僕の言い分を聴け。 : 先生鞠養の恩に、、、 と声ふた声自棄に叫ぶ私のロ許に掌を掩おうとするおゅ ごう や、僕は先生の徳を謝そうなんて、そんな生意気な心は毫きを突き飛ばし、障子をしめて電気を消した。丁度その時 もない。僕の分際で報いられるような小つぼけなものでな 門の外で「どう遊ばしたんでございましよう」「ほんとう めった な し へんしゅう め ま けいけん

10. 現代日本の文学 Ⅱ-7 嘉村礒多 梶井基次郎 中島敦集

へだ 彼の一日は低地を距てた天色の洋風の木造家屋に、どのった。みたされない堯の心の燠にも、やがてその火は燃え 日もどの日も消えてゆく冬の日に、もう堪えきることが出うつった。 あお 来なくなった。窓の外の風景が次第に蒼ざめた空気のなか「こんなに美しいときが、な・せこんなに短いのだろう」 ひかげ へ没してゆくとき、それが既にただの日蔭ではなく、夜と彼はそんなときほどはかない気のするときはなかった。 名けられた日蔭だという自覚に、彼の心は不思議ないら燃えた雲はまたつぎつぎに死灰になりはじめた。彼の足は もう進まなかった。 だちを覚えて来るのだった。 「あの空を涵してゆく影は地球のどの辺の影になるかしら。 「あああ大きな落日が見たい」 彼は家を出て遠い展望のきく場所を捜した。歳暮の町にあすこの雲へゆかないかぎり今日ももう日は見られない」 もちっ ふくじゅそう にわかに重い疲れが彼に凭りかかる。知らない町の知ら は餅搗きの音が起っていた。花屋の前には梅と福寿草をあ しらった植木鉢が並んでいた。そんな風俗画は、町がどこない町角で、堯の心はもう再び明るくはならなかった。 をどう帰っていいかわからなくなりはじめるにつれて、だ みら んだん美しくなった。自分のまだ一度も踏まなかった路 けんか ーー其処では米を磨いでいる女も喧嘩をしている子供も彼 を立停まらせた。が、見晴らしはどこへ行っても、大きな こずえ 屋根の影絵があり、タ焼空に澄んだ梢があった。その度、 遠い地平へ落ちてゆく太陽の隠された姿が切ない彼の心に 写った。 わず 日の光に満ちた空気は地上を僅かも距っていなかった。 彼の満たされない願望は、ときに高い屋根の上へのぼり、 空へ手を伸している男を想像した。男の指の先はその空気 ジャポンだま あお に触れている。 また彼は水素を充した石鹸玉が、蒼ざ めた人と街とを昇天させながら、その空気のなかへパッと 七彩に浮び上る瞬間を想像した。 青く澄み透った空では浮雲が次から次へ美しく燃えてい たちど とお みた へだた ひた おぎ