ねえ」 慶三の出勤時間、帰宅時間、娘たちの登校時間と帰宅時間、 これでおるいさんは、この街のかみさんたちのにんきを、食事、入浴も物差で計ったようにきっちりときまっていた 一遍に集めてしまった。 し、この「街ーではかなり稀な例だが、家族の衣服も季節 せんたく によって変った。もちろんそれらは幾たびも洗濯し、縫い あわせ ひとえ 主人の塩山慶三は酒もタ・ハコもたしなまず、勤めを休む直されたものだったし、色も柄もじみな品で、袷から単衣 ようなこともなかった。はる、ふき、とみの三人姉妹は、 に着替えても、さして人の注意をひくようなことはなかっ 痩せていて顔色こそわるいが、温和しくてあいそがよく、 たが、中に眼のするどいかみさんなどがいて、はら立たし 親にさからったり、ロ答えをするようなことはなかった。げに耳こすりをすることがないでもなかった。 「ええ、おかげさまで」とおるいさんは水道端で、例のよ「おまえさん見たかい」と眼のするどいかみさんは云う、 うに洗い物をしながら、かみさんたちに答えて云う、「み「おるいさんとこじや今日つから袷を着てるよ、へつ、あ んなよく云うことを聞いてくれますよ、それだけがとりえてつけがましい、なまいきじゃないかほんとに」 ですけれどね、なにかわるいところがあったら、構わない こういう長屋に住む以上は、長屋どうしのつきあいとい しか からどしどし叱りつけてやって下さいな、他人さまに叱らうものがある。てめえのうちでは袷を着られるからいいわ れるのがなによりのくすりですからね、お願いしますよ」で、勝手に袷を着るというのはっきあい知らずのみえっ張 こうして洗いあげた物を、自分の家の横に戸板を置いて、りだ、とその眼のするどいかみさんはきめつけたものだ。 おるいさんは敏感にこういう蔭口を聞きつける。そして その上にきちんと並べて干す。なになにが並べられるかは この章の初めに記したから参照していただくが、それはますぐに巧みな手を打つのだ。 「あんたのとこではみなさんお丈夫でいいわねえ」おるい さしく清潔好きと物持ちのよさを示す点で壮観とさえいえ ただろう。 或るとき、通りかかった中年の女性が、こさんは眼のするどいかみさんに向って、あいそよくこう話 たちどま なが の展観物を認めて立停り、つくづく感じ入ったように眺めしかける、「あたしんとこはみんな弱いんで困っちまうの かせ ていたが、やがておるいさんに向ってこうきいたものであよ、あんたのとこみたいにいい稼ぎがあればいいんだけれ った。 ど、うちじゃあ配達の仕事だけでたかが知れてるし、あた しが内職したってろくな物も喰べられやしないわ、だから 「あの、失礼ですが、これは売り物ですか ? 」 からだ 塩山一家の生活は、時計の針のようにきちんとしていた。子供たちの驅にも精が付かないんでしようね、秋ぐちにな おとな まれ
てるのは高価薬を捨てるようなもんですよ」といっていた。替えるため、中通りの郵便局へいったところ、塩山家で貯 金をしていることがわかったのだ。 ビタミン 0 などというからには栄養についても多少の知「あの髭を立てた人、郵便局の主人公だろ ? 」とそのかみ 識があると思われる。むろんこの「街」の住人たちは低収入さんはいった、「あの人がさ、事務をとってるはるちゃん まかな で家族の食事を賄わなければならないから、本能的に食物を呼んでさ、利息の書き入れが済んだから、帰りに持って の栄養価の・ハランスをとっている。現代的栄養学にまなんゆきなさいって、貯金通帳を三冊はるちゃんに渡したじゃ しいえさ、あたしもよもやと思ったんだよ、とこ だのではなく、親の代からロ伝された経験による知恵なのないの、 だ。おるいさんは新しい知恵をもっているらしいのに、鯲ろがあんた髭の主人公がよ、きみのがだんだん減るねって いうだろ、するってえとはるちゃんが、あたし学費がいり などを買うと、水道端で頭や骨を抜き、身だけにひらいた のを丹念に洗う。水道の水を出しつばなしにして、一尾ずますからってはっきりいったんだよ」 っ繰り返して洗うのだ。 「まあどうだろ」とそのかみさんはゆうれいでも見たよう 「あんた、そんなに洗ってどうするの」と近所のかみさんな顔つきをした、「あたしやまあ肝がつぶれて、うちへ帰 が注意する。「それじゃあせつかくの味も滋養もなくなつるのにどこをどう通って来たかもわからないくらいだった ちまうじゃないの」 「そうなんですけどねえ」おるいさんは答える、「うちじ「このご時世に貯金とは」と他のかみさんがいった、「世 きら ゃあみんなが鰯のあぶらを嫌うんですよ、ええ、ちょっとの中にはとんだ罰当りなことをする人がいるもんだね」 でもあぶら臭いと喰べないんですから」 このとき、おるいさんはにんきを失い、塩山一家はなに 困っちまいますよといって、ざぶざぶ洗い続けるのであか悪い病気持ちかなんそのように、近所づきあいからそれ となくはずされたようであった。 けれども、おるいさ 一一年すぎ三年すぎた。中学を出た長女のはるは、父親のんはもうびくっともしなかった。こういう「街」では住人 勤めている郵便局へ就職し、夜は定時制高校へかよいだしの移動がはげしく、三年も定住すれば古参のほうだから、 た。そのすぐあとのことだが、近所のかみさんの一人が驚おるいさんとしては近所の人たちに気がねをしたり、 不必 くべき事実を発見し、この街の住人たちに大きなショック要なきげんとりをしなくともよくなっていたのだ。 を与えた。 というのは、そのかみさんが小為替を金に こで彼女は秘し隠しせずに、徹底した倹約ぶりを遠慮なく こがわせ
ている瓦や瀬戸物のかけらを拾って、捨てにいったりした。意味は違うが、かれらは知らないのだ。平さんの小屋で は、かみさんたちの想像するようなことはなにもおこらな 女が平さんの小屋にいついたことは、すぐ近所の人たちかった。 にみつけられた。初め水道端でみかけたときは、新しく移晩めしが済むと、平さんは少し食休みをしたあと、およ って来た人だと思い、こんなところに住むような人柄ではそ十時ころまでマットレスを編む。必要があるからではな かわい 時間つぶしのようで、仕事はあまりはかどらない。蠍 ないとか、可愛い顔をしているとか、小さくて軽そうなあく、 からだ の嫗つきを見ると女のあたしでも抱いてあやしてやりたく燭の火で眼が疲れ、涙が出てくるようになると、織り機を なるなどと、かみさんたちは云いあった。しかしそれは一一片づけて寝る。ーーー女はあと始末をし、平さんの脇で、薄 日ばかりのことですぐに事実がわかると、かみさんたちのい蒲団一枚にくるまって横になる。むろん蝋燭は消してし まうから、月夜でない限り小屋の中はまっ暗になる。平さ 評は逆転した。 しいとしをしてんはときどき寝返りをうつが、いびきをかくようなことも 「おどろいたね、押しかけ女房だってさ、 めったにない。そしてやがて、女がすすり泣きをはじめる なんてこったろう」 「平さんも平さんだ、あんなおばあちゃんに入れあげてたのだ。 草原を風が吹きわたるような、ひそかな声ですすり泣き、 とは思わなかったよ」 のど 「あの顔つきを見な、あの驅つきを見な」とあるかみさん喉になにか詰ってでもいるような、かすれた囁き声で、と は云った、「あたしの昔よく知ってた人にああいうふうなぎれとぎれに話しだすのであった。 人がいたけれどさ、あれは人並はずれていろぶかい性分だ「店のほうはうまくいってます、婿がよく働いてくれます よきっと、五十になっても六十になっても、からだはいろから」と或る夜は云った、「よくできた婿で、あたしにも 街 ざかりでちっとも衰えないっていうくちさ、よく見てみれよくしてくれます、いまでもあなたの話がでると、うちへ 来てもらおうって云うんです」 のばわかるよ」 季「それだもんであんた、抱いてあやしてやりたいなんて云「あたしどうしたらいいの」と或る夜は云った、「家付き 娘に生れて、わがままいつばいに育ったから、罪なことも ったんだね、いやらしい」 「へえ、いやらしいって」とそのかみさんは反問した、罪だとは知らなかったんです、とくべつに好きだからあの 人とそうなったんでもなし、生んだのがあの人の子だとい 「おまえさん知ってるのかい」 かわら ふとん ささや わき
たと思うまもなく、福田くんが梯子段を駆けおりて来、土 肇くんと光子 間にあった誰かのサンダルを突っかけてろじへとびだすな 、振返って、いま自分の出て来た一一階を見あげながら、 黄色いようなきんきん声で叫びだした。 はじめ 福田肇くんは一一十七歳、なにがし私立大学中退だそうだ 「やい、光子、出ていけ」彼はじだんだを踏み、どぶ板が が、いまはこしかけに廃品回収業をやっている。痩せてい はねあがった、「光子のやろう、・ほくはもう別れるそ、 したあご て小柄で、顔色の冴えない男で、下顎のほうが出ているたやい、出ていけーっー うわくちびるか め、いつも下の歯が上唇を噛んでいるようにみえた。 ろじを挾んだ左右の長屋から、なにごとかと思って、住 ねま、 ほそひも 彼の妻は光子という、としは二十三だと自称しているが、人たちがとびだして来た。福田くんは寝衣ゆかたに細紐を 近所のかみさんたちは三十五歳より下ではないと判定してしめただけで、前がはだかり、貧弱な胸と、生気のない足 いた。これは福田くんよりも背丈が低く、痩せていて、か があらわに見えた。 ねずみ みさんたちに、「鼠そっくりだ」といわれる顔つきに、ゆ「顎のところに歯形があったよ」あとでかみさんたちがそ だんなさそうな、よく動く眼がなによりも人の注意をひい う話しあった、「あれはおかみさんに噛みつかれたんだよ、 きっと」 た。いつもまっ白におしろいを塗り、濃い口紅をさして、 常識外れにはでな色柄のワンビースか着物を着て、これま「よけいなお世話かもしれないけど、あたしゃあんな夫婦 げんか たかみさんたちの言葉を借りれば、「朝から晩までじゃら喧嘩を見たのは生れて初めてだよ」とべつのかみさんはい ていしゅ じゃらして」いた。 った、「夫婦喧嘩で出ていけはいいけどさ、亭主がうちの くずてつ この夫婦は相沢七三雄という、屑鉄専門の廃品回収業者外へ逃げだして、うちの中にいるかみさんに向って外から、 の二階に住んでいた。相沢家は夫婦のあいだに七人の子が出ていけーってどなるなんて、いったいあれはどういう勘 あり、長男が十一で末っ子が一一歳。妻のますさんがまた妊定になってるのかね」 としま 「わる気はないのさ」年増のかみさんの一人が面白そうに 季娠ちゅうという、賑やかな家族であった。 福田くん夫妻は、引越して来て五日か六日めに、その存 いった、「たまにはあのくらいの人がいてくれなくっちゃ 在を長屋じゅうには 0 きり印象づけた。ーー或る朝、およあね、長屋の空気が浮き立たなく 0 ていけないよ」 そ八時ころのことだったが、一一階でなにか云い争いを始め こういうわけで、福田くん夫妻は一遍に、この長屋のに にぎ はし 0
耗率よりも、とみの病勢のテンボのほうが優勢であって、 とうてい追いつけなかった、というのが実情のようで とみは勤め始めてみ月めに倒れた。近所の人たちはまっ たく知らなかった。隣りの片沼二郎のかみさんは、このあった。 「街」きっての情報通で、他のかみさんたちから放送局と「あの子は脂っこい物ばかり喰べたがっていたね」おるい あだな いう渾名を付けられているくらいだったが、或る夜、塩山さんは云った、「お医者が云ってたけど、心臓の弱い者に 家がにわかに騒がしくなり、おるいさんが「とみや、とみは脂っこい物がなにより悪いんだってよ、丈夫な者でもそ からだ びつくり や」と呼びたてる声で、吃驚してとんでゆき、初めてとみうだって、脂っこい物は血を濁らせて、濁った血が躯じゅ まわ 、、た びようが うに廻ってかすを溜めるから、癌になったりよいよいにな が病臥していたこと、いま急に吐血して気を失った、とい ったりするんだってよ」 うことを知った。 おるいさんは自分の言葉だけでは信用されないと思った 医者が来たときには、とみはもう死んでいた。生れつき 心臓が弱いのに、勤めをし内職をするという過労が重なつのだろうか、新聞紙から切抜いた「医療相談」の記事を亭 て、心臓のどこかが破裂したのだと医者が診断したと、片主と娘に読んで聞かせた。要約すると、食事は低カロリー 沼二郎のかみさんは放送した。彼女はおるいさんに頼まれに、野菜を多く、米飯は少量、果物は好ましい。という内 て医者を呼びにゆき、その診察にしぜんと立会うチャンス容であったが、その記事は高血圧に悩んでいる読者の投書 に、なにがし博士の答えたもので、おるいさんはその部分 を儲けたのであった。 「でもさあ、はるちゃんより孝行もんだよねえ」とかみさは省いて読んだのであった。 「牛や馬をみてごらん、草だのわらを喰べるだけで、あん んの一人は云った、「はるちゃんは半年くらい寝たつけ、 とみちゃんはあっというまもなかったじゃないの、あのけな立派なからだをしてるじゃないか」とおるいさんは云っ た、「ーーそうだ、象だって河馬だって草しきや喰べやし ちんぼ一家の損得勘定じゃよっぽど儲けものだったにちが いないよ」 ないだろ、それであんな大きなからだをしているし、みん がん、、、、 かみさんたちは知らないのだ。 おるいさんは損得勘な癌やよいよいになんかなりやしないじゃないの、ね、そ 定などは、 少なくとも意識的には、考えもしなかった。 うでしよ、よいよいの象なんて見たことがあって ? 」 うなず むしろはるの前例があるので、必要以上に神経を使ったよ 内職の手を動かしながら、慶三は無表情に頷き、ふきは、 うであった。けれども、おるいさんが使い減らす神経の消やはり休みなしに仕事をしながら、欠伸をかみころしてい がん あくび
いささ らね、その分を取返すためにもうんと稼がなきや、ふきも た家族の生活には、些かの変化も認められなかった。 とみもわかったね」 うなす わりばし 慶三がまず頷き、娘二人が頷いた。おるいさんはまじめ 「ええおかげさまで」と水道端で割箸を洗いながらおるい だった。近所の人たちがなんと云おうと、はるのためにで さんは明るい表情でかみさんたちの問いに答える、「 もうね、来月になったら床ばらいをしようかなんて相談しきるだけのことをしたのだ。日に一個の卵は欠かさなかっ ているんですよ、貧乏していると病気がいちばんこたえまたし、中通りの鳥九という店へいって、鶏をつぶすときに 絞る生血を貰って来て、これも日に一度は飲ませていた。 すよねえ」 だがはるはまもなく死んだ。病みだしてから半年とは経けれども、そんな食物よりも大切なのは、愛情だというこ っていなかったろう。通夜にいった人たちは、はるが人間と。愛情をもって当人に「自分は治る」という自信をもた のようではなく、かさかさに干しあがった枯れ木の、細いせること。それが新薬より食餌より大切だと、おるいさん は信じていたのだ。 枝のようになっているのを認めた。 「あたしゃ田舎にいるとき、お盆にお寺まいりをして、地「天皇さまの赤ちゃんだって寿命がなければ亡くなるんだ 獄の絵を見たことがあるけどさーとかみさんの一人が通夜よ」とおるいさんは云った、「喰べ物や薬や医者さえあれ ば、病気が治ると思うのは迷信だからね、とうちゃんにき のあとで云った、「その中に餓鬼地獄とかなんとかいって、 いてごらん、いまの天皇さまの何番めかの赤さんは、につ 骨ばかりみたいに痩せた亡者の絵があったよ、はるちゃん ぽんじゅうの博士を集め、金に飽かせて療治をしたけど、 はその亡者にそっくりだったね」 「あれは病気で死んだんじゃない、飢え死にだよ」とべつやつばり寿命には勝てないでお亡くなりになった、人間て うのはそういうものなんだよ」 街のかみさんは云 0 た、「肺病だ 0 てのに卵一つ食わせたよい 塩山一家は立ち直り、いさましく生活の平常性をとり戻 いうすもないんだから」 いわし のたまに鰯を買えば、半日も水洗いをするんだから、身にした。そして年があけ、とみが中学を卒業すると、彼女も またすぐに就職した。父の慶三が配達人をしてい、亡きは 季も皮にもなりゃあしない、と他のかみさんも付け加えた。 「さあ」と初七日が済んだとき、おるいさんは亭主と一一人るが勤めていた郵便局である。とみは三人姉妹の中でもい の娘に向って云った、「これではるちゃんのことは忘れるちばん痩せていて小さく、就職試験のとき、髭の老局長は のよ、いるちゃんのために貯金をずいぶん使っちゃったかとみのことを、小学生ではないかと疑ったそうであった。 しよくじ かせ ひげ もど
と一文字にむすばれていて、蓋を閉じたはまぐり貝のよう 本気にそう思いつめていたんです」と小田滝三は云った、 コ一番めの子が生れてまのないときだし、しようばいに気にみえる。 としは三十五歳だが、誰もそれを信じる者 乗りがし始め、これならどうやらやっていけるって思ってはいない。四十五、六だという者が大部分であり、五十歳 たときでしたからね、その上とくいを横取りされたうえ、 より下ではないと断言する者さえあった。 ばかみたように云われたんですから、こんなその日ぐらし彼女はお琴という名であるが、女性とはうまが合わない の者にとっては、それこそ生き死にの問題なんですからようで、苦情を云うとか怒るとか、自分のほうに云い分の あいさっ あるときだけはロをきくが、さもなければ朝夕の挨拶もし 「六、七年まえにそんな年寄はいなかったな」と寒藤先生ないし、挨拶をされても返辞はしないのであった。その代 は云った、「そんなような年寄がいたという記憶はないな、 り男性とはうまが合うのだろうか、老人でも若者でも、男 それははなしだな」 に対して常に関心があるらしく、男を見ると眼の色が変る、 「私もあとでそうじゃないかと思いましたよ、どうしてもと云われていた。 とんし 死にたいとか、一時間たっと頓死する毒薬とかいうんで、 お琴は近所のかみさんたちに、刷毛屋の妻のみさおとよ うわさ からだ ムうばう つい聞きとれているうちに熱がさめちゃった」 く並べて噂をされた。驅つきや風貌も共通した点が多いし、 「にえ湯がぬるま湯になったというわけだ」寒藤先生は笑男好きなところもよく似ているというのである。 って云った、「そのはなしの年寄のように、小田くんも一 「でも刷毛屋の人のほうがまだましだね」とかみさんたち 服盛られたということだな」 は云った、「こっちは鬼ばばあだけれど、刷毛屋の人はま 「おかげでばかなまねをしずに済みましたがね」 だあいそがいいし、つきあいってことを知ってるもの」 或るとき、曽根隆助がたんばさんをたずねて来て、自分このように、お琴はかみさんたちから嫌われていた。 の妻が男をつくったがどうしたらいいか、と意見を求めた。 曽根は左官の手間取で三十八歳、妻とのあいだに五人の子お琴が男性に対していかに大きな関心と興味をもってい あだな 供があった。そのかみさんはここの女房たちから、鬼ばば たにしても、鬼ばばあという渾名が示すような風貌と性分 あと呼ばれていたが、とぎすのように痩せて色が黒く、抜では、なかなか色つ。ほい問題はおこりにくいであろう。刷 けあがった狭い額の下に、鷲のようなするどい眼が光って毛屋の女房がそのほうの達人であるのと正反対に、お琴は ほおばねとが くちびる いる。頬骨は尖って高く、いつも紫色の薄い唇は、きっそれまで潔白であり無傷であった。五人の子供たちも正し わし ムた
らず、亭主たちも細君たちも従来どおり仲良く、平和につ勝子や良江が来ればみんな口をつぐむ。もちろん、彼女 きあっているという事実を慥かめると、さらに深い驚きをたちの会話が、勝子や良江の耳にはいらないわけではない。 感じ、ここの住人として例のない、道徳論までもちだして二人に聞きとれる程度までは話し続けているし、その効果 非難しあった。 を見る快楽を放棄する、などという贅沢なまねはしないの 「どっちもどっちだけどさ、まああんな夫妻ってあるかねであった。 にもかかわらず、かみさんたちの期待は裏切られた。勝 子も良江もぜんぜん反応をあらわさず、平気な顔でおしゃ 「こんにちさまが黙っちゃいないよ、こんにちさまがねー ィーに加わり、活澄に笑ったり話したりした。 「あたしや子供にきかれて弱りぬいたよ、このごろの子供べりパーテ ときたらませているからね、うちでもおとっちゃんと作さたまりかねたかみさんの一人が、或るとき勝子に向ってあ をいいだってさ、あいたロが塞が いそよく増田益夫のことをたずねた。 んのおじさんが取っ替れま りやしない」 「そう云われてみればそうね」と勝子はあっさり問いに答 「子供は眼が早いからね」 この会話にはデリケイトな含みがあった。つまり、左官えて云った、「相変らず飲むことは飲むけれど、酔って暴 の手間取りをしている松さんの細君と、若い土方の作さんれるようなことはなくなったわ、お良っさんとこはどう」 とは、かなり以前から親密にしており、松さんのいないと「云われてみればそうね . と良江も明るい表情で云った、 きにその親密の度がぐっと高くなる、という事実が相当ひ「飲むことは相変らずだけれど、酔っぱらって暴れるなん てことはなくなったようだわ」 ろく知られていたのだ。 ごう 問いかけたかみさんは業をにやし、せきこんでなにか云 「眼が早いのは子供だけじゃないけどね」と松さんのかみ てんたん おうとしたが、二人のようすがあんまり恬淡としているた さんは平然とやり返した、「人目を憚ってする浮気ぐらい はずか なら、にんげん誰だって覚えのあるこった、あんまりきれめ、ついに追い打ちをかけることができず、自分が辱しめ いな口のきけるにんげんはいやあしまいと思うけどさ、あられでもしたような、重量たつぶりの怒りを抱えてそこを の夫妻たちのようにおーっぴらでやるなんてひどすぎる去った。 勝子と良江とが、亭主たちのことにまったく無関心だっ せんたく 「おてんとさまが黙っちゃいないよ、おてんとさまがね」たかどうかは、判然としない。或るとき、水道端で洗濯を はばか ふさ かつばっ ぜいたく
だが、この場合はそういうふうにははこばなかった。細まう。 君であるところのくに子が、隣り近所とっきあわず、水道「うちのくに子は箱入りでね」と彼はにやにや笑いながら 端へも出て来ず、買い物にでかける姿もみせないのである。攻勢に出た、「あいつはまだ世間ずれがしてねえし、恥ず かしがりゃなんで、当分は箱入り女房ってことにしとくっ これまで同様、そういうことは徳さんが・せんぶやった。 せんたく ムろし、てかご 風呂敷や手籠を持って買い物にもゆくし、水道端で洗濯ももりですよ」 はだぎ 「夫婦となればね」と彼はまた云う、「亭主が女房の物を する。しばしばくに子の肌着や下の物なども洗うので、か 洗うのは情愛ってもんで、悪口を云う人もあるようだが、 みさんたちはの・ほせあがった。 うらや ・、弓、ような場合にはゆるされるそれはいらねえお節介、羨みのあげくのそねみてえもの とし古い夫婦で、細君カ弓し が、徳さんのように新婚そうそうであり、かくべつ新妻がさ」 弱いわけでもないのに、大の男がそんなことをするという かみさんたちの怒りは頂点に達した。自分たちの評を のはタ・フーであった。ーー特にこの「街」のかみさんたち せんぼう ていしゅ は、それそれ亭主や子供たちのために苦労させられている「羨望のあまりのそねみ」だと、面と向って云われようと から、こんな不徳義なことを見せつけられては黙っているは思わなかったし、そんな暴言を聞いた例もないし、さら にがまんがならないのは、それが「事実」だったからであ わけにはいかない。 ののし くす 「なんだいあのおしやもじは、どこのなにさまだい」おしる。かみさんたちは徳さんのことを男の屑だと罵り、かの どろ やもじとは云うまでもなくくに子のことだろう、「嫁に来袋の中身はきんどころか銀でも鉄でもなく、どぶ泥でも詰 っているのだろうとわらった。 たばかりだってえのに、亭主に腰巻まで洗わせる罰当りが 徳さんはなんと云われても平気だった。こんなにいい女 どこの世界にいるかさ」 、、た 「水しようばいの女にきまってるよ、めしも炊けず針も持房をもてば、悪口を云われるくらい当然のことだ、と自認 していた。彼はこの「街」ではたんば老人ともっとも親し てない代りには、きっとあのほうが巧者なんだろうよ」 くしていた。たんば老人だけは、彼の話をまじめに聞いて 「徳さんも徳さんだ、築正親分の身内だなんて云ってなが ら、あのざまはなにさ、こっちで恥ずかしくなっちまうくれるし、ときたま困って少額のむしんをすれば、こころ よく貸してもくれるのであった。しぜん、新妻くに子の自 これまた例によって、徳さんの耳には筒抜けに聞えてし慢がしたくなると老人のところへいってたつぶりと話して
家へ取ったことがあるのだろう、長屋のかみさんたちはそ うにらんだ。 「みせびらかしてるんだよ」と一人のかみさんは云った、 をしいくらしをしていて、毎日のようにてん屋ものを 「昔よ、 東の長屋の、水道端に近い端の一軒に、塩山慶三の家族取って喰べてたんだからねって、きっとそれにちがいない が住んでいた。妻の名はるい、娘が三人あって、長女のはよ」 るが十一一歳、一一女のふき子が十歳、三女のとみ子が八歳で そして或るとぎ、おせつかいなかみさんの一人が、その あった。 これは一家が長屋へ移って来たときの年齢で、ことをおるいさんにほのめかしてみた。 けんそん 塩山は四十がらみ、郵便局の配達をしていた。 、えとんでもない」おるいさんは謙遜な顔で、しんけ 塩山一家は、妻女るいさんの采配よろしきを得て、勤勉、んに否定した、「うちのような切詰めたくらしでそんな贅 倹約、質素、温順、清潔などの美徳をそなえた、善良な市沢ができるもんですか、これは貰い物なんですよ」 民の典型のような生活を実践していた。 まえに住んでいた家のすぐおもてに小さなそば屋があり、 ここの住民がまず驚いたのは、おるいさんの物持ちのい しようばいがうまくいかなくなって世帯じまいをした。 いことであった。天気さえよければおるいさんは一日じゅそのとき売れない物をまとめて捨てている中に、一と束の ほと もったい う、いや、殆んどというべきだろうが、いつも水道端にいて、割箸があり、それを勿体ないから貰い受けた。そのあと、 なにかかにか洗い、器物類は家の横に並べて乾した。 客のあるときに出して使ったが、割ってしまえば、もう客 あしだかさ わん それらは古い箱膳や、椀や、箸、おはち、下駄、足駄、傘、には出せない。けれども役に立っことがあるかもしれない あまがいとう ゴム底の足袋、古いゴム長靴、ゴム引きの雨外套に、ゴムし、「それを作った人のことを考えると」むざむざ捨てる い引きの雨天用帽子、などといった類であるが、その中には気にもなれない、とおるいさんは云うのであった。 すぎ の三、四十本の杉の割箸がめだっていた。この「街」の人た「どんなつまらないようなものでも、それを作る身になっ 季ちはてん屋ものなどを取る例は稀だが、そば屋とか大衆食てみれば粗末にはできませんよ、ねえ、あなた」とおるい 堂などで、杉の割箸を出すぐらいのことは知っていた。けさんは云った、「たとえ紙一枚だって、それを漉くには れどもそういう店から割箸を持って帰るようなことはない。ろいろな手数や、辛いおもいをするんだっていいますもの、 もし割箸があるとすれば、そばとか丼物とか、なにかをほんとになに一つだって、形のある物は大事にしなければ 倹約について たび はこぜん ながぐっ さいはい まれ どんぶりもの たく