らえばいいさ」 すを見た、「ーーーでかけるのか」 「参ちゃんがどうしたって」 「用じゃあねえんだ、あがってくれ」 「なんでもねえよ」と繁次は云った、「 一一三日まえに 「うちへ来てくれないか」と参吉が云った、「ここじゃあ あわせ 縫ってた参吉の袷も、ちょうど仕上ったんじゃねえのか」話しにくいんだ」 母はロをつぐんだ。 三日まえの夜、おひさが縫いかけの袷を持って来て、ひ とところどうしてもうまくいかないからと、母の手を借り つむぎじま ていた。こりこりするような紬縞で、母は針を動かしなが参吉はそわそわしていた。い っしょに家へいってみると、 ら「参吉さんにびったりの柄じゃないか」と云っていた。老人も女も留守だった。 繁次は木綿のほかに着たことはないが、参吉は渋い絹物を「茶でも淹れようか」と参吉が云った、「ちょうど湯が沸 好んで作った。多くは紬で、色も柄も渋いものだし、光る いてるが」 ような生地は決して使わないから、絹物といっても、着た「どうしたんだい」繁次は不審そうに参吉を見た、「茶だ ところにいやみはなかった。 なんて、珍しいことを云うじゃねえか」 酒でも飲むか。 「おれだって茶ぐらい淹れるさ、まあ楽にしないか」 繁次は・ほんやりそんなことを思った。 「それはおめえのほうだろう」と繁次は云った、「なんだ おひさは参吉のもの、と自分でもはっきりきめているのか今日はようすがおかしいじゃねえか、相談てなあなんだ」 に、おひさが参吉の着物や羽折などを縫っていたりすると、「まあとにかく茶を淹れよう」 いつものように胸が痛くなる。以前のように耐えがたいと繁次はロをつぐんだ。 いうほどではない。いっとき経てば消えてしまうが、その なにかあったな。 の痛みを感じたときの、頼りないような淋しさのほうが、心 そう思いながら、ふと脇にある机のような物に、片肱を ムろし、 突いて倚りかかった。唐草の風呂敷が掛けてあるからわか に残るようにな 0 た。 明るいうちから飲みにもゆけず、浅草の奥山へでもいつらないが、倚りかかった感じは机のようであった。 てみようかと思い、着替えをしているところへ参吉が来た。「あ、ちょっと」とすぐに参吉が云 0 た、「そいつはいけ 「ちょっと相談があるんだが」と云って参吉は繁次のようねえ、そいつに触るのはよしてくれ」 わき かたひじ
いたが、まだ足腰は達者で、酒もよく飲むし、しばしばあとまえの或る夜、繁次は怒って参吉を殴った。いつものよ うわさ じようろくろがんな そびにもゆくという噂があった。上り端の三帖に轆轤鉋をうに将棋をさしていて、繁次が二番負け、三度めに勝った。 す わん 据え、一日じゅう椀の木地を作っているが、いい腕なのでそして四番めの駒を並べるとき、参吉が「こんどはかげん ほと かなりな稼ぎになるのだ、といわれていた。黙りやで殆んなしにやるぜ」と云った。これが繁次にかちんときた。 どロはきかないけれども、色の浅黒いおも長な顔や、六尺「じゃあ」と繁次が訊き返した、「これまではかげんして からだ たのか」 近い長身の軅つきに、どこかの大店の隠居といったような 品のよさがあり、武助という差配までが一目置いているよ「いいからやんなよ」と参吉がおうように云った、「待っ たなしだぜ」 うであった。 繁次はみじめに負けた。参吉のさしかたは辛辣で、それ 繁次は将棋を覚えてから、毎晩のように参吉の家へでか けていった。ーー彼は指物職になるつもりで、浅草橋外のまでとは人が違うようにするどく、繁次は手も足も出なか さしさだ っこ 0 福井町にある「指定」という店へ弟子入りをしたが、母が 病身なため住込みでなく、特にかよい奉公をゆるされ、朝「ちえつ」と参吉は駒を投げだしながら云った、「おめえ はだめだな」 八時からタ方の五時まで勤めるようになっていた。仕事は ・も・り まわ 「だめだって」繁次はふるえた、「なにがだめなんだ」 追い廻しか使い走りで、駄賃くらいの銭しか貰えなかった が、母と妹も内職をするので、親子三人どうやらくらすこ「繁ちゃん」と参吉が云った。 とができた。ーー参吉の家へゆくのはタめしのあとで、茂「だめとはなんだ」と繁次はどなった、「なまいきなこと 兵衛老人はたいてい酒を飲んでいるが、繁次を見ると必ずを云うな」 げんこっ そして彼は参吉にとびかかり、押し倒して拳骨で殴った。 茶をれたり、菓子を出してくれたりした。 老人はあまり口はきかないが、孫の参吉がひじように可参吉は手向いもせず、されるままになっていた。繁次は相 の愛いらしく、そのため繁次にもあいそよくするようであつ手が無抵抗なので、ちょっと気ぬけがし、同時に、相手の まゆ 眉のところが切れて、血がふき出しているのを認め、ぎよ 落た。参吉はうるさそうな顔をするだけで、なにも云わない し、もちろん自分でやろうとすることもない。繁次と将棋っとしてとびのいた。 すす 「怒らして悪かった」と起きあがりながら参吉が云った、 をさしながら、平気でその茶を吸り、菓子を喰べた。 「ごめんよ、繁ちゃん」 参吉は十月の末に仏具屋へ奉公にいったが、そのちょっ かせ だらん おおだな はな しんらっ
「いまは本町一一丁目の小村屋のもので、この下の段、下層った。彼のまわりにもずいぶん凝り性な者や、変った性質 っていうんだが、ここのところの螺鈿がいけなくなったんの者がいる。それは職人かたぎといって、どんな職にも一 で、おれが五十日がかりで繕ったんだ」 風変った、名人はだの人間がいるものだ。参吉もそういう 小村屋という名は繁次も聞いていた。日本橋本町二丁目一人なのだろうが、それらよりもっと大きな、底の知れな あるじ の唐物商で、長者番付にも載るほどの富豪だという、主人い才能、といったものが感じられた。 はし力し たんのう しゃべ の喜左衛門は茶人としても名高く、歌、俳諧なども堪能た 「いけねえ、饒舌りすぎた」参吉はふと繁次を見て、苦笑 という評判だった。 その厨子は先代の喜左衛門が紀伊した、「すっかり退屈さしちゃったようだな」 家から賜わったのだが、作られたのはおよそ七百年まえで「退屈なもんか、戸惑ってるだけだ」 あり、関白藤原のなにがし家の調度だった。そういう由緒「七百年か」参吉は絵をたたみながら、独り言のように云 のある品だから外へは出せない、参吉は小村屋へかよってった、「 こいつはきっと千年以上も残るぜ」 すご 修理をし、終りの七日ばかりは泊りこみでやった、という参吉の凄いような眼つきを見て、繁次はずっと以前のこ ことであった。 とを思いだした。 「この青貝の脇を見てくれ」参吉は指で五カ所をさし示し 金なんかいらない、一生貧乏で、たとえ屋根裏で死 た、「これは鈴虫なんだ、こことここに五疋いるだろう、 んでもいい、百年さきまで名の残るような物を作ってみせ それで鈴虫の厨子という名が付いているんだ」 うるしまえ そして漆や蒔絵の図柄や、螺鈿のこまかい技巧について、参吉はそう云ったことがあった。たしか二人とも十三だ 蚊にくわれるのも知らず、熱をこめたロぶりで、熱心に説ったろう、仏具屋をやめて「島藤ーへはいるまえのことだ。 明した。 それからまる十年の余も経ち、繁次は忘れていたが、参吉 やつばりたいしたやつになったな。 の心の中にはいまでもあのときの火が燃えている。十年以 の繁次はそう思ってたじろいだ。彼にはその厨子が、そん上ものあいだ休みなく燃え続いていたのだろうし、いまで 落なに貴重な品かどうか見当もっかない。もちろん実物を見はもっと激しくなっているようだ。やつばり参吉は何万人 たわけではない、参吉の描いた絵と、その説明を聞いただ に一人っていう人間なんだな、と繁次は思った。 その前後から、参吉の家がうまくいっていない、という けであるが、それだけでも実物を見るような感じがした。 うわさ しかし彼がたじろいだのは、厨子に対する参吉の態度であような噂を聞くようになった。祖父の伴れこんだ女はおみ らでん ひ、
「ねえな」と参吉が答えた、「ーーおれにゃあずっと、か 「これが気になるのか」 「そうでもないけれど」と繁次は赤くなった、「でも、 あちゃんがいなかったから」 将棋さえやらなければ、あんなことにはならなかったろう繁次は頭を垂れた。 からね」 「長屋の者が悪く云ってるってことは知ってるよ」と参吉 「なんでもねえのにな」と参吉が云った、「じゃあ浅草へが云った、「人のわるロを云うのに銭はかからねえからな、 いこう」 云いたい者には云わせておけばいいさ」 妹のおゆりと向うのおひさが、伴れていってくれとせが それからさらに云った、「そんなことを気にしてくれな んだ。参吉は伴れていってもいいような顔をしたが、繁次くってもいいぜ、繁ちゃん」 うなず はいつになく強い調子ではねつけ、参吉と一一人だけででか繁次は黙って頷いた。 けた。 おれとは段が違うんだな、とあとで繁次は思った。おひ 繁次は小遣など持ってはいないので、見世物や芝居の看さに蟹を捕ってやっていたときのこと、鉄や与吉を追っぱ なが 板を眺めたり、大道野師の口上を聞いたりしながら、折がらってくれたが、どなりもしなかったし威しもしなかった。 いっちまえよ、鉄。 あったら、参吉にあの女のことを訊くつもりでいた。しか し参吉はきまえよく一一人分の銭を出し、芝居を一つと軽業そう云った静かな声が思いだされた。まだこっちは坊主 もらた を見たのち、掛け茶屋であべ川餅を喰べた。五時までに店頭で遊び相手もないとき、将棋をやろうと云ってくれた。 へ帰らなければならないというので、茶店を出るとまもな知らなければ覚えればいいさ、うちへ来ないか。そうして、 く帰ることにしたが、かみなり門をぬけたところで、繁次覚えの悪いおれに、半年も辛抱づよくつきあってくれた。 おめえはだめだな。 はそれとなくあの女のことを訊いてみた。参吉はやや暫く、 りなにも云わずに歩き続けてから、いつもの穏やかな、おと舌打ちをしてそう云われたとき、おれはのぼせあがるほ しやく のなびたロぶりで云った。 ど癪に障った。竄に障ったのは本当はあいつのほうだった つまで経っても手 落「呼ぶのに困るんだ」と参吉は苦笑した、「おっ母さんじろう、半年も辛抱づよく教えたのに、い があがらない。誰だっていいかげん飽き飽きするさ、それ ゃあねえし、おばあさんて呼ぶのは悪いようだしな」 まゆ 十歩ほどいってから、繁次がまた訊いた、「参ちゃんはをおれはかっとなって殴りつけた。左の眉のところが切れ て、血がふきだしたときの驚き。だが参吉は怒らなかった、 嫌いじゃあねえんだな」 かに おど
は悔みを述べ、香典の包を置くと、繁次にめくばせをして、繁次は圧倒された。参吉がそんなようすをみせたのも初 わ、 脇へ呼んだ。 めてであるが、屋根裏で飢え死にをしてもいいとか、百年 「おれは田原町をよすことにしたよ」と参吉は云った、 のちまで名の残るような仕事をする、などという言葉は、 ま、え 「蒔絵職人になるつもりなんだ、おちついたらまた話に来聞くのも初めてであるし、その意味もよくのみこめないの るからな」 で、参吉が自分の知らない世界にはいり、見あげるほど高 そのときおひさがこっちへ来て、参吉さん、と呼びかけく、えらい者になったように感じられたのであった。 あいつはきっとそうなるだろう。 た。参吉がそっちを見ると、おひさは繁次のうしろへ隠れ 繁次はそれを確信した。そして、自分が彼の額を傷つけ て、恥ずかしそうに笑いかけた。参吉も微笑み返したが、 なにもものは云わず、繁次に「じゃあまた」という手まねたときのことや、怒りもせずに、おちついた手つきで傷の をして、たち去った。 手当をしていたことを思いだし、あんなところにも人にま 妹に死なれたことは、繁次にとっても大きな痛手であつねのできない性分があらわれていた。やつばりえらくなる た。しかし育ちざかりのことであるし、母がいつまでもくやつは違うんだな、と思った。 かえ さしさだ どくど嘆き続けるので、それがうるさいために、却って早年があけて二月、繁次は「指定」の店へ住込みで奉公す く悲しさを忘れるようになった。 それよりまえ、九月ることになった。母のことは向うのおひさのうちで面倒を みそか の晦日に参吉が訪ねて来て、蒔絵師のところへ弟子入りがみてくれるというし、かよいでは本当の仕事が覚えられな きまったと云い、ちょっと外へ出ようと誘った。それから それに年も十四になったので、思いきってそういうこ とにした。そして、住込みときまったとき、横山町の「島 隅田川の河岸へゆき、そこで半刻ばかり話した。きまった とうべえ 先は日本橋横山町の島田藤兵衛といって、大名道具を扱う藤」の店へゆき、参吉を呼びだしてそのことを告げた。 店だということだった。 「おれは参ちゃんのような能はねえけれど」と彼は別れる こうふん の「おれは名をあげてみせるよ」参吉は珍しく昂奮したロぶときに云った、「それでもいちにんまえの職人にはなるつ 落りで、なんどもそう云った、「金なんかいらねえ、一生貧もりだよ」 乏でいい、たとえ屋根裏で飢え死にをしてもいいんだ、 「おめえは腕っこきになるさ」と参吉は励ますように云っ た、「やぶいりに会おう」 その代り、これは誰それの作だと、百年さきまで名の残る ような物を作ってみせるよ」 ほほえ
「いやなやつらだな」と云って、参吉は唾を吐いた、「い おひさは妹の友達としてすぐ彼に馴染んだ。妹のおゆり とうもろ より一つとし下の七つで、軅つきも顔だちも貧相な、玉蜀っちまえよ、鉄」 五人はぐずぐずとそこをはなれ、なにかあくたいをつき 黍の毛のような赤毛のしょぼしょぼと生えた頭の、まった こまがた ながら、駒形のほうへ逃げていった。繁次は石垣にしがみ く見ばえのしない子だったが、「繁ちゃんのあんちゃん」 ついたままこのようすを見ていたが、参吉に感謝するより と云って、一日じゅう彼に付きまとった。 おくら 五月はじめの或る午後、ーー御蔵の渡しと呼ばれる渡も、自分が人に助けられたという、みじめな、やりきれな かに し場の近くで、繁次はおひさに蟹を捕ってやっていた。隅い気持でまいった。 だがわいしがき す、ま それから半月くらいあとに、長屋の路地で出会ったとき、 田川の石垣にしがみついて、石の隙間にいる蟹を捕るのだ が、五つ六つ捕ったとき、近所の子供たちが五人ばかりや参吉のほうから繁次に笑いかけて、将棋をささないかと云 きっ まゆ った。参吉は色の白いおも長な顔で、眉が濃く、いつも屹 って来て、「坊主、坊主、 」とからかいだした。寺か ら帰ってまだ十日ほどにしかならず、彼の頭はまだ坊主だとひきむすんだような口つきをしてい、話しぶりや動作も った。自分でもそれが恥ずかしいので、長屋の子供たちをおっとりと、ぜんたいが大人びていた。繁次は眩しいよう 避けていたくらいだから、繁次はふるえるほどはらが立っ な眼つきをし、将棋は知らないんだと答えた。 た。かれらの中には鉄造、与吉などという乱暴者がいて、 「そんなら覚えればいいさ」と参吉が云った、「うちへ来 繁次をからかいながら、おひさの小桶を取りあげて、中のないか」 蟹を川の中へ抛り投げてしまった。おひさの泣きだす声を繁次は初めて参吉の家へいった。 もへえ 聞いて、繁次は石垣をよじ登ろうとした。鉄や与吉は腕カ参吉は両親がなく、茂兵衛という祖父と一一人ぐらしであ が強い、とうていかなう相手ではないが、とびついていっ った。ずっとあとでわかったことだが、参吉の父母は夫婦 て指の一本も食い千切ってやろうと思ったのだ。 養子で、茂兵衛と折り合いが悪く、そのときから四年まえ そのとき参吉があらわれた。 に、長屋を出て別居してしまった。繁次はその二人をうろ 「おい鉄、よせよ」と参吉がおっとりした声で云った、 覚えに覚えていたので、どうしていなくなったのか不審に 「五人がかりで一人をいじめるなんてみつともねえそ」 思ったが、なにかしら訊いてはいけないような感じがした 「あたしのもよ」とおひさが泣きながら小桶を指さした、 ので、参吉にはなにも云わなかった。 「あたしの蟹も逃がしちゃったのよ」 茂兵衛の年はもう七十に近かった。背丈が高く痩せては こおけ まぶ
惣さんは不審でたまらなかった。 ろこいつあやられるそっと思った」 「そこでおれは、吉がしらふのときにきいてみた、いった たんばさんはおちついて吉の側へゆき、なにか話しかけいあのときたんばさんはなにをいったんだ、ってな、う た。眺めていた人たちはぞっとし、ざっくり斬られる老人ん」と惣さんは語った、「するとおめえ、吉のやっ頭を掻 の姿が見えるようで、かみさんたちは眼をつむり、お互いきながら、いまさらどうも面目ねえが、ばかなまねをして だがそんなことはおこらなかつみんなに済まねえが、といってわけを話した」 に肩へしがみついた。 吉の話によると、たんばさんは彼の側へ来て、少し代ろ た。たんば老に話しかけられた吉は、刀をだらっとさげ、 なにか二た言ばかりいったとみると、そのまま抜き身をさうかねといったという。吉は振向いて、へんな老い・ほれだ げて家の中へはいってしまった。それだけであった。家のなと思い、なんだと問い返した。少し私が代ろうかってい ったんだよ、とたんば老人がくり返した。そして、片手を 中はしんとして、べつに暴れているようすもない。たんば もど 老人は柔和な微笑をうかべながら、みんなのほうへ戻って柱のほうへ振って、一人じゃ骨が折れるだろうからなと付 け加えた。 来、もう大丈夫ですよといって、たち去った。 せー おらげつそりしちゃった、と吉は惣さんに告白した。 みんな奇蹟を見たように騒ぎだした。あれは剣術の名人 にちがいないとか、催眠術使いだろうとかいいあい、し 、つ代ろうかなってたっておめえ、おらあなにも工事をしてい たいなに者だという疑問につき当った。 たんばさんじるわけじゃねえや、たんばさんはやさしい顔で笑ってらあ、 ゃないか、知らないのか、と二、三人の者がいった。もう一人じゃ骨が折れるだろうったっておめえ、骨替りをして ながいこといるようだ・せ、あんないい人はめったにいやしもらえるもんでもありゃあしねえ、それじゃあお願えしま 街ねえ、本当に知らなかったのか、とかれらはいも屋の惣さすってわけにいくかえ、おらあ手に持ってる刀と、傷だら んに問いかけた。惣さんが親の代からの定住者だ、というけになった柱を見て、急にげつそりしててれくさくなっち のことはよく知られていたからであろう。惣さんはそのときやって、しようがねえからうちへへえって、あの日はいち んちふて寝しちゃったよ。 季初めてたんば老人という存在を認めたのであった。 それにしても、あの手に負えない吉が、泥酔し逆上して惣さんがその話をするときには、自分がくまん蜂の吉そ わず 四暴れているのをどうしてなだめたか、僅か二た言ばかり話のものにでもなったように熱を入れ、身振りや表情や声な しかけただけなのに、吉はなぜ一遍でしゅんとなったのか、どに、可能な限りまで実感をあらわそうとするのであった。 でいすい
っちは腕だ。とにかく当ってみろと、まず娘に自分の気持えてる、思いだしたが、それはおめえの思いすごしだ」 をうちあけた。娘はべつに驚いたようすもなく、あっさり 「どこが思いすごしだ」 「ええいいわ」と答えた。 「おめえの云うとおりおれは十九、おひさちゃんは十四だ 「そのへんのおうようなところが、なんとも云えずおすが・せ」と参吉が云った、「好きだというほかになんの気持も らしいんだ」と参吉が云った、「それで勇気がついたから、ありゃあしねえ、子供同志のちょっとしたいたずらで、そ だんな すぐ旦那に話してみた、ちょっとごたごたしたが、おすがのくらいのことは誰にだって覚えがあるだろう」 がゆくというので結局はなしがまとまった」 「ちょっとしたいたずらだって」繁次の顔から血のけがひ 「ちょっと、話の途中だが」と繁次が舌のもつれるような いた、「あれがちょっとしたいたずらだってえのか、野郎」 ロぶりで遮った、「そうすると、おひさはどうなるんだ」 繁次は片手で参吉を殴った。参吉の顔がぐらっと揺れた 参吉は諏しそうな眼をした、「どうなる 0 て、おひさちが、避けもせず抵抗もしない。それでさらに繁次は逆上し、 こぶし よこびん ゃんがどうかしたのか」 とびかかって馬乗りになると、拳で相手の横鬢を殴った。 いけねえ、またやった。 「あの子は昔からおめえが好きだった、おめえだって好き だったじゃあねえか、おらあいつも見ていてよく知ってる 心のどこかでそう叫ぶ声がし、そこへおひさが駆けこん んだ・せ」 で来た。 「そりゃあ好きなことは好きだったさ、しかし好きだって 「よして繁ちゃん、危ない」おひさは繁次にしがみついた、 いうことと夫婦になるならねえってことは」 「ごしようだからよして、危ない、よしてちょうだい」 まゆ 「しらばっくれるな」と云ってから繁次は声を抑えた、 繁次は殴るのをやめ、参吉の眉のところにある ( 昔の ) きずあと 「おい、おれはこの眼で見たんだぜ、おめえとおれが十九、薄い傷痕を見た。 おひさが十四の年だ、おれの店へ訪ねて来たおめえは、勝「穏やかに話そう」と参吉が平べったい声で云った、「近 まきごや 手口の外にある薪小屋のところで、おひさと抱きあってた、所へみつともねえから」 どんなふうに抱きあってたか、おれの眼にはいまでもはつ「繁ちゃん。とおひさが泣き声で云った。 えり きり残ってるんだ、あれが、ただ好きだっていうだけでで繁次は軅をどけ、参吉は起き直って、着物の衿を合わせ こ 0 きることか」 あえ 「待ってくれー参吉は額を横撫でにした、「ーーーうん、覚「もういい大丈夫だ」と繁次は喘ぎながらおひさに云った、 よこな たな からだ
あお 「たいへんだ、血が出てる」繁次は蒼くなった、「おれか両手で耳を塞いでも、その手をとおして聞えてくるようだ、 というのであった。 あちゃんを呼んで来る」 そのとき老人はいなかったので、彼は母を呼びにゆこう としたが、参吉は「そんな大げさなことはよせよ」と云い、 まゆ 勝手へいって傷を洗った。左の眉のところが斜めに、一寸 おやゅびつめ 参ちゃんはどう思うだろう。 ばかり切れていた。殴ったとき拇指の爪が当ったのだろう、 しお おとなたちの話は、繁次には理解できなかったが、下町 それほど深く切れてはいないが、上げ汐どきとみえてなか なか血が止らなかった。参吉が洗った傷へ塩を擦りこむので育てばませるのが一般だから、お・ほろげながらいやらし いということは感じた。暫くいて出てゆくのならいいけれ を見ながら、繁次はおろおろとあやまった。 「なんでもないよ、繁ちゃん」とそのとき参吉が云ったのども、あのまま女がいつくとすれば参吉の母ということに なる。 だ、「ーー大丈夫だ、む配しなくってもいいよ」 その言葉がこたえたのはあとのことだ。 あんな女を母と呼べるだろうか。 おれならまっぴらだな、と繁次は思い、参吉が気の毒で 参吉はまもなく仏具屋へ奉公にゆき、すると茂兵衛はヘ んな女を家へ入れた。年は三十五六、小柄でひき緊まったたまらなくなった。 がんたんひる 正月元旦の午ころ、参吉はやぶいりで帰って来た。どう 嫗つきにも、あさ黒い膚の、よくととのった目鼻だちに こび ひがみひぶ も、水しようばいをした者に特有の媚があり、日髪、日風なることかと心配していると、暫くして、将棋をさそう、 にお おしろい 呂で、いつも白粉や香油の匂いをさせているため、たちまと迎えに来た。なにも変ったようすはなく、家へ来いと云 ち長屋の女房たちの非難の的になった。ーー差配の武助がうのを聞いて、繁次は安心すると同時にちょっとがっかり 人別しらべにゆくと、親類の者で名はおみち、年は三十一一した。 しばら 歳、暫く滞在するだけだ、と答えたそうであるが、両隣り「将棋はよしたんだ」と繁次は云った、「それより浅草へ でもいかないか」 の人たちはあざ笑った。昼間はもちろん、近所が起きてい るうちは静かであるが、夜半から明けがたまではひどいと繁次の眼に気づいて、参吉は左の眉のところを撫でた。 いうのである。息をころし、声をひそめてはいるが、それそこにはあのときの傷が、薄く茶色の糸を引いたように残 っていた。 が却ってなまなましく、深い実感に満ちていて、たとえば かえ ふさ
自分で傷の手当をしながら、なんでもない、心配しなくっ おひさは彼を繁ちゃんのあんちゃんと呼ぶが、参吉のと てもいいよ、と云ってくれた。 きは名前にきちんとさんを付けて呼んだ。 ーー人間の段が違うんだな。 こんなちびでも人の見分けはつくんだな。 繁次はそう思った。人の悪口を云うのに銭はかからない、 繁次はそのころからそう思いはじめた。おひさは参吉が とあいつは云ったが、長屋の人たちが悪く云うには理由が好きなんだ、よせばいいのにな、あいつはいまにきっとえ ある。おれだってあんな女はいやらしいし、あいつだってらい人間になる、おめえみてえなみつともねえ子なんか、 はず 好きにはなれない筈だ。朝つから白粉の匂いをぶんぶんさ見向いてもくれやあしねえ。あんまり好きにならねえほう かっこう せて、だらしのない恰好をしている女なんそ、あいつだつがいい・せ、などと思うこともあった。 * りびよう てがまんがならないに違いない、けれどもあいつはそんなその年の秋ぐち、七月にはいるとすぐに、長屋で痢病が けぶりもみせなかった。 はやりだし、妹のおゆりが五日病んで死んだ。激しい下痢 ああいうのを十万人に一人っていう人間かもしれねが続き、しまいには血をくだしたが、蒲団から畳にとおる えな。 ほどの血で、医者にも手当のしようがなかった。その長屋 繁次は十三歳の頭でそう思った。 で子供がほかに三人、老婆が一人死に、隣りの町内でも幾 田原町と黒船町はわりに近いので、月に三度か五度くら人か死んだ。 、参吉は長屋へあらわれた。たいていは使いに出たつい 「さそ苦しかったろうね、可哀そうに」母はおゆりの死顔 きしさだ でのことで、繁次は「指定」へいっているからんど会わに化粧をしてやりながら、同じことを繰り返して云った、 からだ なかったが、妹のおゆりや向うのおひさからよくそれを聞「あたしはこんなに嫗が弱いんだもの、死ぬならあたしが オしか、あたしはもう先に望みはありゃあしな いた。ことにおひさは、参吉のことになるとむきになり、死ぬ順じゃよ、 彼の云った言葉や、どんな顔つきをしたか、などというこい 、おまえはこれからどんなにでも仕合せになれたのに ね」 とまで、詳しく覚えていて繁次に告げた。 「あの人にお土産を持って来るのよ」とおひさは云った、 棺を出そうとしているところへ、参吉が悔みに来た。急 「いつでもよ、あたいちゃんと知ってるわ」 に背丈が伸びたようだし、ロのききようもいっそうおちっ 「あの人って誰だ」 いて、繁次にはちょっと近づきにくいようにさえ感じられ 「参吉さんちにいる女の人よ、わかってるくせに」 た。近所の人たちのごたごた混みあっているなかで、参吉 おしろい にお ムとん