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検索対象: 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集
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1. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

334 あこがれ こちに別荘をつくったり、相国寺などにゆくと何カ月も泊 くいえば都への憧憬の光源は富子であるような気がする。 りこみになって御所にもどらなかったり、ほとんど政治を 「会えるかね」 かえりみなくなっているという。・ なんといっても将軍御台所なのである。さあどうだろう、 「富子に、会えるか」 と、唐天子は、じらせるようにいっこ。 「富子は、いまわが世の春のようなものだ」 源四郎は、ついに唐天子に頼る気になった。唐天子にす と、唐天子はいった。 れば思うつぼであったであろう。 例の関所をまた建てなおしたという。そのために毎日・せ「わしのいうとおりにすれば会える」 と、唐天子はいった。 にがかますに詰められて花ノ御所に運ばれているという。 ちゃくし 「それに、将軍の嫡子を富子が生んだことを知っている か」 「富子に会えるのか」 「ほう、ついに」 と、源四郎がいうと、唐天子は耳もとでささやいた。 わしの言うとおりにすれば。 源四郎は、声をあげた。道をゆく人が、狂人のひとりご という。古来、こういう言葉は魔性をふくんだ言葉なの とかとおもってふりむいた。 「いやもう、とっくの以前だ。おまえさんが京を出奔してであろう。「それも造作はかけぬ。ただほんのすこし、目 をつぶるだけでいいのだ」と、唐天子は言葉優しくいうの ほどなくうまれたのだからな」 である。 「子供は、どこにいる」 「日野家で育てられている」 「ほんのすこし ? 」 「そう、目をつぶるだけで」 それが貴族の慣習である。うまれた子は妻の実家でそだ なるほど、源四郎がやるべく動作は目をつぶるだけであ てられ、ふつう、妻の父または兄弟が傅人になる。唐天子 っこ。しかし目をつぶることが唐天子に魂を売り渡してし のいうところでは日野勝光が傅人であり、そのために勝光オ まうことになるとは、源四郎はついぞ思わず、 の権勢というものは非常なものだという。 「こうか」 「将軍は ? 」 と、路傍に腰をおろし、目をつぶった。 「これは、 いよいよ妙な男になったな」 ひへい さるがく 民力が疲弊しきっているのに猿楽の興行をしたり、あち「わしがゆるすまで目をひらいてはならない」 めのと しゆっぱん

2. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

261 妖怪 「樹からおりよう。下界へかえるどころか、兜率天さえな源四郎は、ばかばかしくなった。 くなるとなれば帰るところがない。早くしろ」 「夢のようだ、というが、あれは夢だぜ」 と言い、源四郎もそう思い、あわてて幹にすがりつき、 「夢かね、あの兜率天が。いし 、や、あれほどにあざやかな ずるずるとおりはじめた。下はどれほどあるのか。この樹色彩、建物、ひかり、水の色、そして天女。あれは夢では の下はなにやら雲がかかっているような感じがし、よほどあるまい。どうおもっても本当に兜率天に舞いあがったと 高いのかとおもっていたのだが、どうやらそれは思いちがしかおもえぬ」 いのようであった。 といわれれば源四郎も、そのように思えてくる。「とこ ほどなく、土に足がついた。念のため踏みしめてみると、ろで」と、源四郎はいった。 たしかに土である。腹大夫もずるずると降りてきた。 「あんたは、途中でわしとはぐれたな。あのときは何をし 「なんだ、こりや」 ていた」 腹大夫は、闇を見まわした。 「あのときか」 「これはお今の里屋敷ではないか」 二人は、声をひそめ、顔を寄せあい、憑かれたようにあ 「まことに」 のときの兜率天での体験をかわるがわる語りはじめた。 源四郎も認めざるをえなかった。それにしてもいったい、 「女と一緒だったのさ。玉楼の上へのぼった。女はおれに なにがどうなっているのであろう。 もう」 腹大夫は、つばをのみこんだ。思いだしているのであろ 藪のあたり いんじ 「首ったけだった。手を握ってな、こう、婬事をする。そ 「いやさ、夢のようだ」 のときのあの女の表情 : : : 」 と、腹大夫は、藪のそばのかれの小屋にもどってから、 腹大夫は、泣きだした。その思い出のよさにこの男は泣 とうてんし 声をひくめていった。子分にきかれてはまずい。唐天子にいているのである。 「よかったなあ。おれはもう一生のうちであれだけの女に 一晩中たぶらかされていたなどとは、印地の大将としてこ けんにかかわるのである。 会うことはないだろう」 藪に、風が吹き渡っている。 「また、兜率天にもどろうか」 とそってん

3. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

物が静止したようにあたりの物音が絶え、あまりの静かさ に源四郎の耳がおかしくなり、わが耳が耳鳴りをはじめた やがて足の裏が浮いた。源四郎は泳ごうとあがいたが、 ようであった。 藻が足にからみ、うまく泳げない。 ( だめだ ) 「舟。指阿弥陀仏、舟を」 とおもった。この耳鳴りが幻聴になり、幻術がそれを支と、源四郎はさけんだ。櫓の音が大きくきこえて、舟が 配するという。源四郎はたまりかねてものを言った。 目の前にせまってきた。 「あの絵は」 「早く」 ついたて と、背後の衝立を指さした。 「源四郎、物語をしよう」 からわた と、指阿弥陀仏は櫓をこぎながらいった。 「唐渡りものでござるか」 「じよ、冗談ではない」 わが声が堂内に満ち、耳がいたくなるほどであった。 かす 「わかったか、おれがどういう者であるかということが」 源四郎は、衝立の絵を見た。湖水の図である。遠山が霞 「わ、わからぬ」 み、水がびようぼうと天地に満ち、一艘の小舟がうかんで おぼ わか 「解れ、わかってしまえ。わからねばおまえは溺れ死ぬだ いる。小舟を、漁夫がひとりであやつっていた。 けだ」 「あの漁夫は ? 」 「なにをわかればよいのだ」 「あれが、わしさ」 と、指阿弥陀仏がいうと、その小舟がゆらゆらとこちら「わしの力を、だ」 へ近づいてくるのである。それとともに湖水そのものが近指阿弥陀仏は、ふなばたから顔をつきだし、歯のない口 で笑った。人のいい顔である。 づいてきて、櫓の音、櫓で水がはねる音がきこえ、水はい 「カならー よいよ満ち、あっというまに源四郎は画中の人間になって わかっている。すでに熊野路であれほどひどい目に遭わ 怪しまった。 湖のなかにいる。 されているから、わかりすぎているほどではないか。 水が、すねをひたした。あわてて源四郎は袴をたくしあ「とっくにわかっているのだ」 げると、さらに水がふえ、満ち、腹をひたし、源四郎は衣「それがいかん。おれのような神の、いや神以上の者のカ あが 服を胸まであげざるをえなくなった。 がわかれば信じねばならぬ。信ずるということはおれを崇 いっそう はかま

4. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

しとみど てのひら 森のなかに夜の靄がわきあがっている。その靄が蔀戸のに源四郎に掌を出させ、その上にぶどうを一粒のせた。 「なんのまじないだ」 すきまからしのび入って、燈火をぬらした。 と、源四郎はさからったが、唐天子は無言ですわってい 唐天子はあぐらをかき、まぶたを重く垂れ、一同を見ま るためにそれを食せざるをえなかった。口に入れ、物んだ。 わし、つぶやくように、 をんりつ 酸い味がロ中にひろがり、粘膜を戦慄させた。 「都も」 と、 腹大夫の順番になった。この男はさからおうとしたが、 ひざ 「川を渡ると、こうも冷えるものか」 唐天子が膝を立て、じわりと顔を寄せ、 こわいのか。 あとは、沈黙している。なにを語りだすのか、一同は唐 くち 天子の唇のひらくのを待たねばならなかった。 とささやいたため、食べざるをえなくなり、結局は食べ が、唇はひらかず、手が動き、ふところから山ぶどうのた。酸い 実をとりだした。それを左のてのひらに盛りあげた。 一巡した。 小指のさきほどの小さなつぶである。そのひとつぶを、 「あっははは、酸つばかったろう」 右側の男にあたえた。 と唐天子は立ちはだかり、一人一人の顔にむかって問い、 「これは ? 」 念を押した。一同はうなずかざるをえなかった。 「が、こんどは 男は気味わるそうな顔をした。唐天子はいった。 と、唐天子は房から一粒をもぎ、その一粒をかざし、 「山ぶどうの実である。召されよ」 「あまい。舌が、とろけるように」 「食べれば ? 」 「どうということはない。すこしくあまく、はなはだしくそれを、前とおなじ順に渡して行った。 すつばい。それだけのことだ」 「なるほど、あまい」 怪ちょうだい 「頂戴つかまつる」 最初の男が、笑った。つぎの男も、あまかったらしく、 男はあごをひらき、ロのなかに入れた。唐天子はそのつ無言で微笑した。つぎつぎに進み、源四郎の掌に一粒がの せられた。 ぎの男の前にかがみ、一粒をあたえた。 ( かけられまいぞ ) さらにつぎの男に。 と、源四郎はおもった。なぜならば、最初のぶどうとす やがて源四郎の前にきた。唐天子は、他の者にしたよう もや ふさ

5. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

じゅうぐら 「待った。べてん師だからおれはおぬしを尊敬しているの 「さそ、米蔵には米が満ちているだろう。什器蔵には珍宝 だぜ。おれは印地の大将になろうとおもって京にのぼってがあふれているだろう。銭蔵には床が沈むほどに銭が積み ゆくが、途中おぬしを知り、将軍になろうとおもっての・ほあげられているにちがいない。これはそういう家だ」 ってゆくやつがいるのに驚いた。おれがこの世で人を尊敬と、腹大夫は見立てた。この男はその志望する印地の大 したのはおぬしが最初だ。おれの夢をこわすな」 将よりも盗賊の頭目になるほうが才能に適っているらしく、 「まあいい」 家の外観を見ただけでどのぐらいの財産があるかわかると いうのである。 源四郎は怒りをおさえながらいった。 「とにかく、さつぎの件だ。あの歩き巫女は日野富子に会「当節、公卿の相場は貧乏ときまっている。ましてこの日 えといった」 野家など」 っえ 「雲の上のひとだ・せ」 と、腹大夫は杖のさきで指した。 「訪ねてゆけば会えるようになっているといった。あの女「ご大層な公卿じゃない」 と指阿弥陀仏は一味だ」 公卿にも階等がある。 せつけ このえたかっかさ 「えつ、な・せ早くいわねえ」 最高は摂家で、近衛、鷹司、一条、二条、九条の五軒で さいおんじ 腹大夫はそのへんにまたあの幻術師がいるような気がしあゑついで華という。西園寺、三条、徳大寺、久我、 だじようだいじん てあわててまわりを見まわし、真っ青になった。 広幡などがそうで、この清華の家なら太政大臣までのぼる ことができる。 源四郎は、町のひとから教えられたとおり室町を北への 三番目は羽林という階等である。四番目は名家という階 くすき ぼって大きな楠の樹のある屋敷の門前に立った。 等であった。老いて大納言までやっとゆけるという低さで ある。 「これが、公卿日野勝光の屋敷か」 どぺい 怪と、腹大夫が驚きの声をあげた。土塀のうつくしさ、門 「日野家は、名家さ」 ひわだ の屋根の檜皮のすがすがしさは、よほど裕福であることを腹大夫の演説はつづく。 ふき あらわしていた。家産が乏しくなると、屋根の葺がわるく「当然、貧乏であるべき家だが、ところがそこはたねがあ 9 なっても捨てておかねばならず、築地がくずれても補修がる」 てんそう できなくなるからである。 当代の日野勝光が「伝奏」という朝廷にあって幕府との ついじ うりん

6. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

へきぎよく た。かれは神体という碧玉を両手で捧げ、ひたいの上まで夏が、近づいた。 あげておし頂いた。 が、雨が降らない。 この年の梅雨期はほとんど塵をしめ きみようちょうらい かん 「帰命頂礼」 らせる程度の雨が降ったきりで、諸国に干ばっ騒ぎがつづ と、三度つぶやき、碧玉を目の下へおろさぬようにしていた。 かもがわ 坂をくだり、樹間を歩き、馬をつないだふもとまで降りた。陽は、都のいらかを灼いている。鴨川の水をも涸らしは やまがや じめていた。 その姿を、山萱のしげみのなかで唐天子はみていた。 ( わがものになった ) 河原は、夜ごと寝ぐるしい とみた。 「もはや、生きているのがいやになった」 その夜から、唐天子は細川勝元と毎夜会った。地上にお と、腹大夫のような男でさえ、 いった。ひとつには食が いてではない。 なく、毎日ひだるく、ひだるさが生きる意欲をうしなわせ 天上でもない。天上と地上の間である夢の中においてではじめていることであった。さらに河原では無数の餓死者 ししゅうな と同居しなければならない。その屍臭に馴れきってしまっ あった。唐天子は毎夜、勝元の夢の中であらわれた。 「富子を殺せ」 たためにかえって死に親しみが出来はじめた。 なむあみだぶつ と、唐天子は説いた。富子を殺さねばおまえは自減する「南無阿弥陀仏 : : : 」 と、さまざまな宗旨の乞食坊主たちが河原で念仏をとな そ、ということである。その理屈は、勝元自身が平素考え よしみ えてあるく。極楽へゆけ、この世は苦界ぞ、苦界からのが ていたことであった。勝元は将軍の養子義視の後見者にな っている。もし日野富子が生んだ実子が相続者になれば幕れる道は極楽へゆくことである、と唱えてゆく。これらの よしひさ 僧たちも餓えていた。 府の権力は義尚の後見者である山名宗全に移るであろう。 きんらんそうてい かれらは、手に帳簿をもっていた。帳簿は金襴で装幀さ ( 殺すには、源四郎という者を使え ) と、唐天子は夢のなかで源四郎の顔、姿を映し出してみれた豪華なもので、かれらの破れ衣にはおよそ似つかわし からぬものであった。 せた。 御坊、わが名を記してくだされ。 と、ひとが駈けよってくる。僧はいくばくかの銭をうけ 小路殿 とり、名をきき、もったいらしく筆をとって施主の名を記 らり

7. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

ぎおんしゃ 祗園社も東山の、一峰のふもとにある。その台上を真葛ふった。「どうせ狐狸のたぐいでございましよう、殺して ヶ原、さらにつづくひくい台地は祗園林とよばれていた。 やるのもあわれであり、手捕りにいたしましよう」と言い とりい 元来、祗園社の楼門や鳥居は、塘今のように西にむかっ豪胆にも坂をひたひたとのぼり、怪物の背後にしのび寄り、 ていない。南が、正門である。境内は、いまよりもせまい むずと組みついた。 まる とうろう 正門のわずか南に蓮花寺という寺がある。現今でいえば円正体は、意外であった。老僧である。かれは燈籠に灯を あぶらつほ 山公園の音楽堂のあたりであろう。 入れるために右手に油壺をぶらさげ、雨夜であるため笠を 「そう。中宿には、蓮花寺がよかろう」 かぶって灯入れの作業をしていた。左手に大きなかわらけ と、富子はながい思案のすえそうきめた。蓮花寺とはなをもち、そこに火だねのための火を大きく燃やしている。 んとやさしげな名であろう。その名にふさわしくここは尼その火が笠に映え、むこうから透かせば銀の針のようにみ あんじゅ えたのである。 寺であった。富子の庶姉が、この寺の庵主なのである。 あんど ーーー蓮花寺の庵主さま。 法皇も、安堵した。忠盛の沈着によって僧ひとり殺さず らくちゅう たた といえば、尼僧ながらもそのうつくしさは洛中で知らぬに済んだ。あやまって殺せば僧は祟るにちがいなく、それ を思えば忠盛は法皇のいのちの恩人でもある、というので 者はなかった。それにこの寺はいまひとつ、由緒がある。 ちょうあい ちょうき 遠いむかし、王朝の最後の栄華期、ここに白河法皇の寵姫法皇は、ほうびとして自分の寵愛している祗園女御を忠盛 によご かいたい にあたえた。女御はほどなく懐胎し、男児をうんだ。それ 祗園女御がすんでいた。白河法皇はここへしばしば忍びか きよもり よってゆく。 が平清盛である、というのである。 ただもり 従えているのはいつも気に入りの北面ノ武士平忠盛であ蓮花寺にはそういう由緒がある。そこを女合戦の中宿に る。五月のある雨夜、法皇が祗園の坂をのぼっていたとき、するというのも、なにかの因縁ではあるまいか。 ゆく手に妖しいものをみた。平家物語によると、 怪 「場所は御堂のあたりである。光物がうごいており、よく翌日、出陣ー・ーーである。 そういう武張ったことばがすこしも不似合いでないほど、 妖見すかすと、首は銀の針をみがきたてたようにきらめき、 うわなりうち 片手に槌のようなものをもち、片手に光る物をもってい この女合戦の一行のいでたちはすさまじかった。 ぎようあん る」とある。法皇はおびえ、忠盛をかえりみた。「殺せ」 まず、暁闇のなかに旗がささやかながらもひるがえって というのが、法皇の命令であった。しかし忠盛はかぶりをいる。旗には富子の実家である日野家の紋所が染めぬかれ あや れんげじ まくず かさ

8. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

105 妖怪 「これか」 「わかった。赤松を斬った」 腹大夫は、そのホコラの屋根を両手でおさえ、床のあた「そうだろう。お前さんはいま、心気がもうろうとした。 りを試しに蹴ってみた。もうそれだけで床の脚が折れたほ赤松が、女に見えた。横からそれがわかったから注意した のだ」 どにもろい。腹大夫は気をよくし、足を大きくあげ、 「な・せ赤松が女に化けたのだろう」 「源四郎、みろ、神も仏もない証拠を」 というや、カまかせに蹴りあげた。ホコラは無残に倒れ「気のせいさ」 と腹大夫がいったとき、ホコラがいつのまにかもとどお りに立っていることに気づいた。 がひどくまずいことがおこった。その物音をきいてやっ たいまっ 「源四郎、ホコラが立っている」 てきたのか、松明をかかげた女があらわれ、 「気のせいではないか」 「あなたたちは、何者です」 「いや、これをみろ」 と、ものしずかにとがめた。女はふしぎな服装をしてい かをいろ た。柿色の衣をまとい、同色のもすそをながく垂らし、髪腹大夫は剣をぬき、剣をもってホコラのとびらを突き刺 はどうみてもみどり色なのである。 した。ひきぬくと、とびらはひらいた。 「なかに入ってみよう」 「源四郎、そいつに口をきくな」 と腹大夫が身をかがめたとき、源四郎はあきれた。あれ 腹大夫はいった。 ほど醒めている、と豪気なことをいっていた腹大夫が、手 「なぜです」 「おまえは、たぶらかされようとしている。うそと思うな文庫ほどしかないホコラのなかに身を入れようとしている のである。 ら、剣を抜いてみろ」 「抜いて ? 」 「斬れ」 「腹大夫」 とその帯をつかんでひきもどそうとしたが、腹大夫はす 源四郎は言われるや、腰をひねって抜き打ちに横にはら ったが、つかを持つ手がしびれるほどの反動がもどってきさまじいカでなかに入ってしまった。ひきずられて源四郎 もなかに入った。 て、刃がはねかえった。 がらん なかは、伽藍のように広く、あちこちに円柱がそびえて 「見たか」

9. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

うんーるうたん . う 腹大夫は用心のために雲州、丹州というふたりの手かと歩いている。その数は何百という数ではあるまい 下を源四郎につけてくれる。八条坊門のあたりまで来か」とある。怪奇至極なイメージである。 ると、いつもは猫一匹歩いていない夜道が夜祭りのよ 源四郎は「火を消すな・ : 」 と、雲州、丹州をはげま なぎなた うにっている し、さらに「その薙刀で、地蔵を撃「てみろ」という 「人がいそがしげに東へ北へ南へあるいてゆく。おか と、歩いている地蔵がいっせいにこちらをむいた。そ まっ とら しなことにどの人も夜目がきくのか、明ももってい のとき、朱雀地蔵の堂の扉のひらく音がきこえた。 ない。どの人の足もおなじ足音をたてている。コトコ 「・ : ・ : 巨大な地蔵が出てきた。背丈は一丈ほどもある しやく - う トと軽い、乾いた音である」 であろう。錫杖をつき、ゆるゆると動き、やがてくる この足音の記述も衝撃的であるが、つづけて、「そ りとこちらのほ、フに向きを変えると、しっと源四郎た れに ( これはもっともおどろくべきことだが ) みな背がひ ちをみた」 せたけ 十歳そこそこの背丈の者ばかりである」 源四郎は「雲州、矢をつがえよ。丹州、薙刀をとれ」 すざく そこは朱雀地蔵堂のあたりである。その奇妙な行列 と叫び、腰の太刀を抜いたが、ふたりは動転し、転倒 はすべて地蔵であった。 「小さな石地蔵どもはせかせした。

10. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

321 妖怪 「さあ、どうかな」 とその胸をゆすぶった。 「私は入道のおんなになったではないか。入道は自分の可と、何度目かのつぶやきを洩らした。入道は、頭のなか しやペ わゆ 愛き者を沖ノ島にやるのか、そのようなむごいお人か、入の思案をいちいち口に出して喋らなければ物事を考えられ 道は門徒であるという、門徒は他宗にないやさしい心をも ない。べつに奇癖ということではなく、この時代の人間の くちびる っているときくのに左様にむごいことをするのか」 多くはこうであった。いちいち唇をうごかす。唇がしき りに動きつづけていたが、ふと、 というふうなことを、ひと晩寝ずにかきくどいた。が、 やかた 「島へ流さず、この館でかくまってやろうかな」 入道の一存ではどうにもならない。 といったとき、 ( おや ) ( いやさ、これはどうも ) だだ とおもった。いまつぶやいたのはたれだとおもった。自 堅田ノ入道は思案した。お今に駄々をこねられてみると、 分ではない。 むげに、 「京の命令でござる。御教書まで下っております。おとな「たれだ」 しゅう沖 / 島に渡られるがお身のおためでござる」 と唇を動かしたが、このたれだということも、どうも違 などと切り口上ではねつけてしまう気になれない。しか和感があって、自分の唇がそのように動いたとはおもえな もまだ一夜とはいえ交わりを結んだ以上は入道にとってた 唇が、他人のもののようになってしまっている。 だの女ではない。 ( どうもおかしいな ) と、わざと唇を動かさず頭のなかだけで思った。この思 ( 男女の縁とは、奇妙なものだな ) いはたしかに自分の思いらしい とおもわざるをえなかった。ただ一夜のまじわりだけで はあり、お今への情愛がそれほど深くはなかったが、しか「唇が、よそへ行ったか」 これは、どうか。自分のつぶやきか。そうおもい、あわ し捨てられるか。島送りにするというのは捨てることにな るではないか。 てて唇をなで、塩でたこでももむように唇をもんでみた。 入道は別室へしりぞき、思案した。風が出てきたらしく、そのとき、ふと部屋のすみにひとりの小男がすわっている しおざい ことにはじめて気づいた。 裏の浜からひびいてくる潮騒の音が部屋いつばい満ちては 「おまえは、たれだ」