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検索対象: 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集
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1. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

「唐天子だ」 まうということがありうるだろうか。 といった。源四郎は、笑いだした。 「おまえは、本当にわしのことをわすれてしまっていたの 「妙な名前だ」 か」 真実、はじめて聞くような新鮮さで、その名前の奇妙さ と、唐天子は、かれにすればかってないほどのなまな、 を笑っている。冗談ではない、と唐天子はおもった。唐天人間くさい、気弱な声を出して源四郎に質問した。 かただ 子は、堅田ノ入道にも歯が立たなかったが、この、あらた「さあな」 めて出現した兵法気ちがいの若者にも、どうやら昔とちが源四郎は、自然にと・ほけた。 って歯が立ちそうにないとおもいはじめた。この調子では、 自然なはずであった。源四郎自身、唐天子をすっかり忘 めくらまし 幻戯にかけようもないのである。 れていたし、それがこのようにして語りあうにつれておい おい思いだしているにすぎないのである。 あお 蒼い天に、白銀のような雲が一朶、北のほうにうかんで「いや、それが」 いる 源四郎は唐天子をのそきこんだ。 やまあり 「いま、いろいろ思いだしている。しかしひとつわからぬ 地に、無数の山蟻がはたらいている。唐天子はその蟻の ことがある。むかし、わしはたしかに唐天子というばけも いっぴきをつまみあげ、ロのなかに入れ、かちっと噛んだ。 「すつばかろう」 のにさんざんな目に遭わされたが、そのとき見た唐天子の と、源四郎は同情した。「腹がへっているなら、これで顔は」 かぎいろてぬぐい も食え」とふところから柿色手拭につつんだ餅をとりだし と、頭をひねりながら、 たが、唐天子はにがりきってことわった。 「夢のなかの記憶のようでよく覚えてはおらぬものの、と 「わしは、道士だからな」 にかくひとを吸いこんでゆくような暗い、すさまじい顔で 仙人が、通常の人間のたべものが食えるか、といった意あったようにおもわれる。ところがおまえは」 いぎどお 味の慣りがこもっている。唐天子は不愉快になっている。「ただの田舎おやじか」 源四郎がこのような人間になってしまった以上、幻戯はい 「そうだ」 すおおだこ よいよ通用しない。しかしいかに兵法が人を変えるという 源四郎は、笑いはじめた。深海に棲む大章魚を陸にひき ことがあるにせよ、人間がうまれかわったようになってしあげて塩でもみ、ぬるみをとってしまい、あとは天日で于 いちだ

2. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

334 あこがれ こちに別荘をつくったり、相国寺などにゆくと何カ月も泊 くいえば都への憧憬の光源は富子であるような気がする。 りこみになって御所にもどらなかったり、ほとんど政治を 「会えるかね」 かえりみなくなっているという。・ なんといっても将軍御台所なのである。さあどうだろう、 「富子に、会えるか」 と、唐天子は、じらせるようにいっこ。 「富子は、いまわが世の春のようなものだ」 源四郎は、ついに唐天子に頼る気になった。唐天子にす と、唐天子はいった。 れば思うつぼであったであろう。 例の関所をまた建てなおしたという。そのために毎日・せ「わしのいうとおりにすれば会える」 と、唐天子はいった。 にがかますに詰められて花ノ御所に運ばれているという。 ちゃくし 「それに、将軍の嫡子を富子が生んだことを知っている か」 「富子に会えるのか」 「ほう、ついに」 と、源四郎がいうと、唐天子は耳もとでささやいた。 わしの言うとおりにすれば。 源四郎は、声をあげた。道をゆく人が、狂人のひとりご という。古来、こういう言葉は魔性をふくんだ言葉なの とかとおもってふりむいた。 「いやもう、とっくの以前だ。おまえさんが京を出奔してであろう。「それも造作はかけぬ。ただほんのすこし、目 をつぶるだけでいいのだ」と、唐天子は言葉優しくいうの ほどなくうまれたのだからな」 である。 「子供は、どこにいる」 「日野家で育てられている」 「ほんのすこし ? 」 「そう、目をつぶるだけで」 それが貴族の慣習である。うまれた子は妻の実家でそだ なるほど、源四郎がやるべく動作は目をつぶるだけであ てられ、ふつう、妻の父または兄弟が傅人になる。唐天子 っこ。しかし目をつぶることが唐天子に魂を売り渡してし のいうところでは日野勝光が傅人であり、そのために勝光オ まうことになるとは、源四郎はついぞ思わず、 の権勢というものは非常なものだという。 「こうか」 「将軍は ? 」 と、路傍に腰をおろし、目をつぶった。 「これは、 いよいよ妙な男になったな」 ひへい さるがく 民力が疲弊しきっているのに猿楽の興行をしたり、あち「わしがゆるすまで目をひらいてはならない」 めのと しゆっぱん

3. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

322 「私の目は」 堅田ノ入道は、おどろきもせずにいった。というより、 驚くことをおさえていた。浄土真宗の教えでは、神という唐天子は、あきらめたように瞬いた。 ものの格別な力も存在しなければ魔力というものも世に存「これが癖でね。仕方がない」 ( こいつはだめだ ) 在せず、まじないやりということもあれはうそである、 しんらん といわれている。入道は真宗的合理主義の信者であるだけという表情が、唐天子にあった。本願寺門徒は親鸞がひ がんこ れんによ にこの場合、この怪奇さにおどろくことはその信仰への裏らき蓮如がひろめた合理主義を頑固に信奉している。 あみだによらい 切りになることであり、ともかくも抑えねばならない。 「門徒は、阿弥陀如来が本尊だな」 「おまえは、何者かね」 唐天子がいった。そうだ、と堅田ノ入道がいう。「それ 「お今さまの従者でござる」 ならば」と唐天子はしばらくだまっていたが、やがて、 小男は影のようにもうろうとしており、陰気な声でいつ「阿弥陀如来をおがみたくはないか」 めくらまし ーいった。この男は、堅田ノ入道を幻戯にかけ 唐天子ま、 「名は」 て生きた阿弥陀如来を現出してみせ、その心を奪ってしま 「唐天子と申す」 おうと考えているのである。 「ああ、その名はきいている。しかし唐天子よ、本願寺御「目をつぶっていろ。ほんの五つばかり呼吸をしているあ 門徒であるこのわしに対してはおまえのまやかしはきかぬ いだ目をつぶっていれば、浄土へつれて行って阿弥陀如来 ぞ」 に会わせてやる」 「唐天子は、まちがっている」 しったい、なにをしにきたのかね」 入道はいった。入道のいうところでは、阿弥陀如来とい と、堅田ノ入道はきいた。 うものは人間のかたちをしておわすのはあれは説法の方便 ほっしようしんによ でそうなっているだけで、本当は法性、真如 ( 真理 ) とい 「さあね」 唐天子は目をつりあげ、またたきをせずに入道をみつめってもいいのだ。それゆえ阿弥陀如来はお浄土という一ッ またた 場所だけをお住いにしておられるのではなく、宇宙あまね た。瞬かない 「おまえ、目が痛くはないか。瞬いて、目の玉をぬらさねく満ちみちておられる。 ば目が干しし・ほんでしまうぞ」 「たとえばこの部屋にも」

4. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

しとみど てのひら 森のなかに夜の靄がわきあがっている。その靄が蔀戸のに源四郎に掌を出させ、その上にぶどうを一粒のせた。 「なんのまじないだ」 すきまからしのび入って、燈火をぬらした。 と、源四郎はさからったが、唐天子は無言ですわってい 唐天子はあぐらをかき、まぶたを重く垂れ、一同を見ま るためにそれを食せざるをえなかった。口に入れ、物んだ。 わし、つぶやくように、 をんりつ 酸い味がロ中にひろがり、粘膜を戦慄させた。 「都も」 と、 腹大夫の順番になった。この男はさからおうとしたが、 ひざ 「川を渡ると、こうも冷えるものか」 唐天子が膝を立て、じわりと顔を寄せ、 こわいのか。 あとは、沈黙している。なにを語りだすのか、一同は唐 くち 天子の唇のひらくのを待たねばならなかった。 とささやいたため、食べざるをえなくなり、結局は食べ が、唇はひらかず、手が動き、ふところから山ぶどうのた。酸い 実をとりだした。それを左のてのひらに盛りあげた。 一巡した。 小指のさきほどの小さなつぶである。そのひとつぶを、 「あっははは、酸つばかったろう」 右側の男にあたえた。 と唐天子は立ちはだかり、一人一人の顔にむかって問い、 「これは ? 」 念を押した。一同はうなずかざるをえなかった。 「が、こんどは 男は気味わるそうな顔をした。唐天子はいった。 と、唐天子は房から一粒をもぎ、その一粒をかざし、 「山ぶどうの実である。召されよ」 「あまい。舌が、とろけるように」 「食べれば ? 」 「どうということはない。すこしくあまく、はなはだしくそれを、前とおなじ順に渡して行った。 すつばい。それだけのことだ」 「なるほど、あまい」 怪ちょうだい 「頂戴つかまつる」 最初の男が、笑った。つぎの男も、あまかったらしく、 男はあごをひらき、ロのなかに入れた。唐天子はそのつ無言で微笑した。つぎつぎに進み、源四郎の掌に一粒がの せられた。 ぎの男の前にかがみ、一粒をあたえた。 ( かけられまいぞ ) さらにつぎの男に。 と、源四郎はおもった。なぜならば、最初のぶどうとす やがて源四郎の前にきた。唐天子は、他の者にしたよう もや ふさ

5. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

327 妖怪 しあけて千しかためたような神秘感のない姿で唐天子はこをもっているのは、わぬしだけだ」 こにすわっているのである。 「面倒だな」 「どうもちがうなあ」 源四郎は気のない返事をした。本心から面倒くさかった。 「ちがってしまったのは」 そういう源四郎の態度が、唐天子の姿勢をいよいよ低くし 唐天子は苦笑した。 「お前さんのほうだ。お前さんがかわってしまった。わし「頼む」 はもとの唐天子で、わしはすこしも変わらず、わしの通力とおがんでいる。頼む側に立てばこれほどのばけもので も身を小さくし、目まで哀れな小動物のそれのようになる。 も衰えてはおらぬ」 「しかし顔がちがう・せ」 「いやだな」 「お前さんの目が、ちがってしまったのだ。修行を積んだ「そのように申すな。こう、拝んでいるのだ」 のか」 「そういうお前がゆけばよかろう」 「いや、修行などは積まぬ。ただ、死ぬのは平気になって源四郎は背のほうに手をまわして赤い実をむしり、ロに からてんじく しまっている。生きるのも平気になってしまっている。死入れながら、「お前は日本はおろか、唐天竺にまでひびい も生も、なんのかわるところもないということがわかった」た憑き神ではないか。神が出来ぬことはあるまい」という 「欲も、なくなったか」 と、唐天子は、 じつは打ちあけるがな。 「ないなあ。むかし、わしは将軍になろうと思って熊野の 山奥から京にの・ほってきた記憶があるが、いま思えばおか と、卑屈な、自分の秘密をそっと教えることによって相 しくてならぬ」 手に媚びようとする、そういう態度をみせながら、 ( こまった男になった ) 「神とはいえ、できぬものはできぬのだ。神というものは と、唐天子はそのような顔をした。 人間に信仰され、祭られぬかぎり神としての力を発揮でき 「つまり ? 」 「なににしても源四郎」 唐天子はいった。 「わしは堅田ノ入道という男にわしを信仰させようとした。 「お今を、沖ノ島から救いだしてやってくれぬか。そのカ沖ノ島の配所に祠をたててわしを祭らせようとした。わし ほこら

6. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

117 妖怪 その挙に出ようとするや、それに先きんじて撃つ。逆に自「あれは人間かね」 分のそういうものを相手に見すかされれば負けであった。 「わしとおなじだ」 かれの関東での兵法の師は、 「とは ? 」 敵の目をみよ。しかし敵の目をみて敵からわが目の「答えはそれだけだ」 うちを見すかされるな。ときに目をはずし、敵の帯のあた指阿弥陀仏を人間であるとすれば、唐天子も人間という りを見よ。敵はかならずとまどう。 ことになるのだが、しかし本当はどうであろう。 と教えてくれた。 「殺せば人間ということがわかるか」 要するに、「おまえの望みはなんだ」などと正面をきっ 源四郎は、大まじめだった。唐天子とこの指阿弥陀仏が てきかれて正直に音をあげてしまえば、相手は猫を首の根同類とすれば、この男を殺せば唐天子が人間かどうかわか で吊りあげるように当方のそれをつかまえて自由にしてしるではないか。といったときには源四郎は指阿弥陀仏を抱 かま わきざしさかて まう。 いていた。脇差を逆手にもち、鎌で草を刈るようなかっこ こうがん 指阿弥陀仏は、 うで指阿弥陀仏の首に白刃を当て、左腕でこの男の睾丸を ( こいつ、食えない ) にぎっている。 しやペ とおもったのだろう、そのあととりとめもないことを喋「殺すな」 っては源四郎の表情に出る手ごたえをさぐっていたが、つ指阿弥陀仏は叫んだ。 いにあきらめたらしい。そのとき不意に源四郎は、 「しかし、言えぬのだ」 とりつ 「唐天子とはどういうばけものだ」 この男がいうには、唐天子はお今に取憑き、指阿弥陀仏 きゅうてき と、きいた。それをきくと指阿弥陀仏は急に落ちつきをは日野家に憑いているが、本来、仇敵ではない。そこは物 めくらまし うしなった。 の怪 ( あるいは幻戯か ) として同類であり、非力な指阿弥陀 「それをおれにきくな」 仏は唐天子に大目に見のがされていることによってやっと というこの男の目に、あきらかに恐怖が宿った。唐天子いのちをとられずにいる。いまもし唐天子に害意をもてば のことはわしに言わせるな、とこの男はふたたびいった。 まっさきに自分は殺されるだろう、と悲鳴をあげるように 「たとえばそこの小石、いまそこへ走った野ねずみ、それ しー が唐天子かも知れぬ」

7. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

わざ「御当家の屋敷神になりたい」といってことわったし、ぎりで別れるということだ」 男れてやれ」 そのうえ「祠をこしらえてわしを祭ってもらいたい」と要「結構な分別だ。¯ 求した。お今がそのとおりにしたため、唐天子はお今の憑「ひとのことだと思い、すげなくいうな」 き神になったのである。要するに、そういう装置をつくっ と、唐天子は、ちょっと腹が立ったらしい てもらうことによって、唐天子は「神」としての力を人間 しかし、堅田ノ入道は、大まじめである。 どもの心に発揮することができるのだろう。この場合も堅「いったい、なんのためにお今どのに憑いてぎたのだ。利 か欲か金か」 田ノ入道に、 「あっははは」 「島に祠を作り、わしを祭ってもらいたい」 こんどは、唐天子が勢いを盛りかえした。 と、要求した。入道はさも興なげに、 「利や欲や金がめあてで人間というものに憑けるかよ。憑 「な・せだ」 ときいた。唐天子は目をすえて、 くということは、気根はもとより、五臓六守が胸と腹のな さかま 「わしは、神だからな」といった。「とくにお今の憑き神かで逆巻くほどに力の要るものだ。たかが利や欲や金でこ のようなことができるか」 「では、な・せかね」 「憑き神などはない」 * さんぜ 入道はいう。入道の宗旨では、三世の世界を支配してい 「憑きたいからさ」 あみだによらい るのは阿弥陀如来の法則のみであり、それ以外の変則など それだけが、答えである。唐天子はさらにいった。 くも はいっさいない、というのである。変則がもしあるとすれ「憑きたいからだよ。人間の魂を、この唇で吸いとってゆ もうそう ばそれは人間の妄想だという。 くほどの悦楽はこの世にもあの世にもあるまい。慄えがく ( 歯が立たない ) るほどのたのしみだ。これを浮世の現象にたとえていえば、 と唐天子はおもったのであろう。 色恋に似ている。色恋の百倍、千倍、万倍のものだと思っ 「されば、あきらめよう」 てもらえば、ややあたっている」 と、唐天子はいった。 「島に渡ることはあきらめる。島に渡ることをあきらめる時が経った。 秋が深まりはじめたころ、丹波路を京にむかってあるい ということは、ながいつながりであったお今ノ局と今夜か ほこら つほね ふる

8. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

させている。 水を汲むうち仏法に倦き、道教にゆき、仙術をおさめた。 しかしながら仙術を悪用したために仙界を追われ、一舟を唐天子は、源四郎の機嫌をとるような、卑屈な愛想笑い あたえられ、風をおこしてこの倭国へきた。それがこの唐をうかべて、 「いやさ、こんなむだ話をしていてもはじまらない。じっ 天子よ」 は頼みがあるのだ」 ( なにを世迷いごとを言ってやがる ) 「頼まれる筋はないよ」 と源四郎はおもったが、しかし世の中というのは広大無「仲間だろう。われわれにとって」 辺だから、ひょっとすると唐天子のいう数奇な身の上も本「われわれとはなんだ」 当かもしれないともおもうのである。 「わし、わぬし、そしてもろもろの連中だ」 「連中とは ? 」 めくらまし 「幻戯師、極楽誘いのにせ坊主、くぐっ、兵法つかい、と ふん。そうかえ。 いった連中だ」 とあごをあげて聴いてやり、咄を咄としておもしろがっ てやるだけで、唐天子の作りだすふんい気に惹き入れられ、「おどろいたな」 魂もろともに魅せられてしまうような、そういう聴き入り源四郎はおもった。唐天子は、そういう連中と兵法使い 方はしよ、。 オしこれも、兵法修行の一徳というものかもしれを一緒にしている。なるほどそういう奇妙な渡世の連中は この天下になってから、にわかにわき出たようにこの世間 ( こいつをどうすれば打ち殺せるか ) に出、世間の裏街道ながらも勢いたけだけしく歩いている。 あや しかし源四郎としてはそういう妖しげな渡世の者と兵法使 という工夫が、源四郎には対座しつつ、三つ以上は思い いを一緒にしてもらいたくない。 うかんでいる。いますぐ殺そうと思えば抜き打ちざま真っ 「ところで、なにを頼みたいのだ」 二つにできる自信は源四郎にはある。 いわば、唐天子は源四郎にとってたかがそれだけの存在「造作もないことだ。将軍の御台所日野富子を殺してほし てのひら いのよ」 である。唐天子の生命は、掌ににぎられている卵のよう ( えっ ) に源四郎の手のうちにあるようなものだ。 とおもったが、源四郎は何食わぬ顔で、 その自信が、源四郎をして唐天子の魔術にかからぬ男に はなし きげん

9. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

147 妖怪 われるか、どちらかしかない。 ねいた」 しかし源四郎は堪えた。唐天子のその大きな両眼を見ず、髪の毛が、波だっている。その激しいくせ毛を頭上で無 がんじよう その頑丈そうなあご骨のあたりを見ることにつとめた。そ理にたばねてむすんでいるあたり、絵にある唐人の結髪風 うであろう。唐天子の巨眼はときに動く。横へ目がゆくと俗に似ている。 それだけ部屋全体がななめにゆがんだような錯覚をもち、 ( べつにまねかれたわけではない ) その視線が下へ落ちてまぶたがさがると、とたんに部屋の と、源四郎は胸中でつぶやくと、おどろいたことに唐天 光が薄ぐらくなるような錯覚を感じた。 子はひびきに応ずるように、 「すこしは、出来たな」 「そう、わぬしにすればべつに招かれたわけではなかろう。 めくらましひ と、唐天子は体を動かさずにいった。出来た、とは源四わしの幻戯に魅かれひかれてここへきただけだ」 郎の兵法のことらしい ( わしは酔っていたのだ ) 「以前とは、すっかり別人だ。どうも、われわれのにが手「そのとおりである。わぬしは酔っていた。醒めていれば な人間になった」 あの足は南にむかったろう」 源四郎は、だまっている。 ( ここはどこだ ) くず ただす ものをいうと、自分が崩れそうで、頭上に水を張ったた「糺ノ森さ」 らいをのせているようにみずからの心のまりを懸命にま ( ち 0 ) もっている。 と、源四郎はおもった。胸のなかのことばをあわてて掻 き消し、なにもおもわぬようにつとめた。ふと思いっき、 ( この男は、に人ではないな ) 唐天子のあごから視線をはずし、そのひざに移した。 とおも 0 た。倭人でないとすれば、韓んか唐人か。それ「あ 0 はははは」 要らもんそう * てんじく とも天竺の羅門僧がこの国に流れつきでもしたのか。 唐天子の声が、頭上で鳴った。 「大丈夫さ、おびえずともよい」 「もうわからぬ。わぬしの目が下に落ちた。素直になれ」 と、唐天子はいっこ。 わぬし 「源四郎。和主をたぶらかそうとおもってここにあらわれ「わしも素直になろう」 たのではないわさ。話そうとおもって、わぬしをここへま と、唐天子はことばを継いだ。

10. 現代日本の文学 Ⅱ-9 司馬遼太郎集

かれらは当初、この屋敷を脱出するために邸内をけ、 それによって、唐天子はさまざまの装置をつくり、かれ % たまたま塀にかけられていた子をつたって外側へ出ようらをして兜率天にのぼらしめたのである。 とした。 が、時がたつにつれて疲労がはなはだしくなっている。 が、かれらにとってそれは幻覚にすぎず、梯子は老杉にあのふたりにあれほどの世界をみせるためには、唐天子は じゅういっ とどこお かけられていたにすぎない。それをの・ほりはじめ、そのの意力体力の充溢しているときでさえ、血行は滞り、爪の しょ′ ) もう・ ぼる途中のあたりから唐天子の世界に入ってしまった。唐色まで青ざめるほどの消耗をするのだが、いまはもうその とそってん 天子は蜘蛛が糸をはき出すようにして兜率天の世界を幻出限度に達しようとしていた。 させ、かれらはそのなかに入った。 ( これは、最後までゆけるかどうか ) その兜率天の様子やそこでのかれらのふるまいは、かれ最後、というのは、唐天子が構想している最後のことで らの声をきくことによってお今にはすべて想像できた。 あった。要するに腹大夫にその華麗な夢を見させたまま、 かれをこの老杉の梢から飛びおりさせ、でも粉砕させ しのび 唐天子は、このところ疲れている。この屋敷に徴行でやて死にいたらしめるということであった。 ってきた将軍義政をたぶらかして茶室で幻視、幻聴の世界 はたしてそこまでおれの念力が持ちこたえられるか。 をみせたとき、はなはだしく疲労した。本来ならそのあと とみずからを疑いはじめたころ、その徴候はすでに樹上 十日以上は寝ねばならず、寝ねば体力も気力も回復せず、にあらわれはじめていた。 人の心に作用をするほどの念力はふるいおこせないのだが、「腹大夫」 しかし腹大夫がこのように忍び入ってきたために唐天子は と、源四郎がおどろいたのである。 かす やむをえず、自分自身をふるい立たせた。 「みろ、霞みはじめている」 腹大夫が忍びこんだ夜、じつはお今はこの屋敷にタ刻か梢の上から見おろす兜率天の風景が、である。あの華麗 らもどっていた。唐天子が「腹大夫という者が、源四郎をだった色彩世界も、風化してしまったふすま絵のように色 脱出させにきている」とお今に報らせると、 があせ、建物のかたちなども、水につけた絵のように薄に 「さればそなたはこの屋敷の守り神らしく神変不思議の神じみににじんでしまっている。 わざをみせよ」 「これはいかん」 そで 腹大夫はおどろき、源四郎の袖をとり、 と、そのことを要求した。