「新次郎様、たれにも口外するのではありませぬそ」 いたに相違ない。妙はそれに気づいたように、そっと小く びをかしげ、のそきこむような表情で、 妙はすばやく裾のみだれを直しながら、 かわゆ 「でも、妙は、むかしから、新次郎様を可愛く思っており「もういけませぬよ、新次郎様」 ました。妙は、悪いことをしたとは思っておりませぬ」 といった。新次郎は、赤面した。妙は笑わず、秘密を共 かげ まな 新次郎は、もらった菓子をいきなりその場にすて、部屋有しあった者だけがわかる翳のある眼ざしで、新次郎の体 から駈けだした。夢中で屋敷へもどった。下着のなかで自をじっとみた。 分のそそうした物がなまあたたかく流れていた感触をいま「ごりつばにおなり遊ばしたこと。すっかりおとな」 新次郎は、こわい顔をした。気はずかしさを押しかくす もまざまざとお・ほえている。 ためだった。 そのときの妙と、おなじ妙が、いま庭のしげみの中にいた。 六年の歳月がたっている。当時とちがっているのは、妙「六年たてば、たれでも大人になります」 がひどくつややかな新造姿になっていることだった。妙は「妙はまだお・ほえています」 新次郎の姿を見つけて、 「新次郎様のおにおいを。ー・ーー新次郎様は ? 」 「まあ」 「そ、そんなこと。私はなにも覚えていません」 と遠くからおどろいて見せ、小腰をかがめた。歯は染め まゆ けしよう 「うそ、ちゃんと顔にかいてある」 ていなかった。眉をおとし、すこし厚目の化粧をしていた。 「きようは、あいさつに何がたのです。これで失礼しま 「おひさしゅう。ーーーー」 逃げ出そうとしたが、妙の余裕のある微笑が、かれの足す」 おがたじゅく くぎづ 「こんど大坂の緒方塾へいらっしやるんですってね。うか を釘付けにした。 たかとり 砲つい伏目になった。妙の腰が、そこにあった。妙の体ががいました。ご出世なされば、もう高取などへはお帰りに その視線を敏感に察したのか、ほとんど本能的なしぐさで、ならないのではないかしら」 しよせん 啼帯の前でそっとタモトを重ねた。新次郎はあわてて目をそ「圭之助殿のように長男ならともかく、次男は所詮は故郷 らした。しかし手の指に、あのときの妙のなまなましい感を捨てねばなりません」 「女とおなじようにね。 でも、お医者になれば、金峯 触の記憶がのこっていた。 こりゅう 新次郎は、おそらくあのときのような異常な表情をして古流はどうなさるのです」 すそ しんぞう をんぶ
っと息をのむような表情になった。とっさに後じさりした。 妙と顔を見あわせるのは、六年ぶりだった。隣家とはい え、町家とちがって、幼友達の姉と口をきく機会などほとしかしすぐ、相手は子供だ、と思い返したのだろう、目を 見はったまま、微笑を作った。 んどなかった。 「どうなさったの ? 」 が、新次郎は、それを思いだすさえ顔の赤くなるような 異常な記憶を妙と共有しあっていた。新次郎が十四のとき、妙は、長身で姿のいい女だったが、美人とはいえなかっ ほお ふきで 妙はたしか十七歳だった。あのときの二人の行為は、おそた。声に精気があり、色が浅黒く、頬にいつも小さな吹出 もの 物をこしらえていた。小さな顔をすこしほほえませると、 らく魔性が仲立ちしたのだろう。 ひどく男好きのする顔になった。その妙の微笑が頬に張り その日、新次郎は、この屋敷で圭之助とあそんでいた。 かわや ついたままになった。・ とこも見ずに大きく目を見ひらいた ふと、中座した。厠に行くためであった。 くちびる 屋敷の勝手は知っていたから、新次郎は、長持を置いたまま放心したように唇をあけた。 暗い廊下を通って、左手に坪庭のある濡れ縁へ出、なに気ふたりとも、声を出さなかった。ふたりが気がついたと ひざだ なく、渡り廊下を通ろうとしたとき、不意に妙の声がした。きは、どちらも畳の上に膝立ちしたまま、ひどく不器用な 姿勢で抱きあっていた。 右手に妙の部屋があることをそのときはじめて知った。 妙は、いま思い出してもおどろくほど大胆だった。相手 「新次郎様、お手洗 ? 」 あんどかん が子供だという安堵感もあったのかもしれない。手を新次 はい、と答えると、 こかん 郎のハカマの中に入れた。妙の指が新次郎の股間で動いた。 「お菓子が到来しています」といった。 新次郎は、目がくらみそうになった。いつの間にか新次郎 「戻りに寄っていらっしゃいね」 ただそれだけのことだった。いつもなら何でもないことの手も、妙のすそを割ろうともがいた。妙は、わずかに、 ひざ なのに、新次郎は、体が小きざみにふるえた。なぜそうな膝をひらいてみせ、新次郎の手が、妙のその場所に触れて 濡れはじめたとき、不意に新次郎のからだに異変がおこっ ったのかは、いまでも理解できない。 戻りに妙の部屋に入ったとき、新次郎の中から少年がきた。 えて、男がいた。男は妙を異常な目で見つめていた。妙は、 「ああー と、声をたてた。新次郎の体に、はじめて成人のしるし 部屋の真ん中で、菓子を派手な春慶塗りの器からとりだし たかっき ては、高杯にのせていたが、何気なくふりむいたとき、あがあったのはこのときだった。 たえ
「ばか。 と新次郎は自分におどろいてみせる。そうではないか。 兄は苦い顔をした。伝授されていようがいまいが、荷厄たった十一日前の朝、大坂を発っときは、こういう境遇の 介な弟の身のふりかたがこれで解決するのである。しかも、変化は夢にも想像しなかった。いまは、まるで、生まれた 五十石の家禄がころがりこんでくるのだ。二万七千石の植ときからここで暮らしているような錯覚さえもつのである。 平山玄覚房のことなどは、遠い夢のように思われるのだ。 村藩では、五十石は上士だった。 「いっておくが」と兄はこわい顔でいった。「用意があれ人間の能力のなかで、環境の順応力ほどふしぎなものはな ばしておけ。三日のうちに婚儀をとり行なうぞ」 しよせん 「婚儀とは」 ( 所詮は、人とは、他愛のないものだ ) たえ 「妙殿も、そちならばよいと申されているそうじゃ」 妙が、第一そうだった。この姉女房は、すっかり、新次 ない 「えつ」 郎の内儀になりきって、まるで生まれたときから、新次郎 ふしぎとこれだけは気がっかなかった。プリキトースのに仕えているようなごく自然な暮らしをしはじめていた。 おおづつがた ただ、新床の夜だけは、妙は洗われたような目をしてい 大砲方になることは、同時に妙の婿になることではないか。 にわかに新次郎の記憶の奥から、黒びかりした・フリキト た。すこし表情を固くして、 ースの砲身のつめたい感触が、妙の体の濡れたなまあたた「覚えていらっしゃいます ? 」と、妙の手が新次郎の男の かい感触を伴なって、新次郎の脳裏にうかびあがってきた。根に触れ、「このことを」といった。 みようなことだが、砲と性器とが一時にかれの脳裏で煮え新次郎も、十四のときにそうしたように、妙のその場所 はじめた。頭痛がする、と立ちあがって自室にひきとったをやさしく触れてやった。そして、 のは、そのときのことであった。 「ああ」 砲 と花のひらく衝動で、あることに気づいたのである。十 大 四のとき、・フリキトースの家の娘である妙に自分のそのも それから、十日たった。 啼新次郎はすでに笠塚新次郎になっていた。ばかりか、仙のを触れられたとき、神秘的に考えれば、すでに新次郎の 兵衛や圭之助がいた部屋にすみ、 ときどき自分をふり生涯の運命は、家康購入の青銅砲にむすびつけられていた のであろう。しかし新次郎はそのことはロに出さなかった。 かえる瞬間があった。 ( おれは。 口を妙の耳につけて、 むこ にやっ
386 なんど と使っていた納戸のとなりの部屋にひきこもってしまった。 た。しかし運がよかった。京都の風雲がこの家を救ってく 新次郎にすれば、ひさしぶりの部屋だった。しかし、部れたのだ。 屋のカモイの下に立った新次郎の表情は次第に曇ってきた。京の宮廷をめぐる様子では、いっ内乱がおこるかもしれ なるほど、間取りこそ以前の部屋であった。しかし兄嫁のぬ時代なのである。長藩の主張する攘夷の国是がきまれば、 ようしゃ 千代がすっかり新次郎の持ち物を整理し、建具などの様子当然、外国艦隊の陸戦隊が容赦なく上陸してくるだろう。 がかわっていた。屋敷は完全に兄夫婦のものになってしま三百諸侯は、戦国時代以来、はじめて武装して立ちあがら やまとたかとり っているのだ。考えてみると、兄の子の鹿之助がもう八歳ねばならないのだ。大和高取の地も、当然戦場になる可能 そうりよう になっている。兄嫁が、この部屋をその惣領の部屋にしょ性はあった。 うとして模様替えしつつあることは明らかだった。新次郎すると、さしあたって重要なのは、笠塚家である。この るいだい は、この生家にとって自分は、もはや他人にすぎなくなっ家の累代の役目は、将軍家から下賜された巨砲プリキトー ていることを、まざまざと知らされた。 スの六軒の砲術方の家の一軒であった。他の役目の家なら ( あたりまえのことだ ) ばともかく、この家をいま取りつぶすわけこよ、 . を . をし・カ / . し かさづか 新次郎は西窓をみた。そこから隣家の笠塚屋敷の樟の葉このことが藩庁で論議され、重役のなかで「大坂にいる の茂りがよくみえた。新次郎は、「そうか」と何度も同じ隣家の中書新次郎が、先代笠塚仙兵衛の生前、ひそかにプ ことをつぶやいた。 リキトースの操法を伝授されている」と発言する者があり、 「圭之助は死んだのか」 それは都合がよい、ということになって、急に主命をもっ ふう 死んだのだ。兄の話によれば、この訃報は大坂まで報らて新次郎に笠塚家の相続を命じられたのである。藩命をう せなかったが、死んだのは、十日前だったという。笠塚家けた兄は、一議にもおよばなかった。請けた。新次郎に対 わすら では、若い当主が半日の患いで死んだために後嗣についてしては高圧的に、 は、なんの用意もなく、届出も出していなかった。これは「よいな、主命であるぞ」 笠塚家にとって非常事態だった。 といっこ。 かいえき 後嗣なき場合は、家禄は返上、家は改易 ( とりつぶし ) と「しかし、プリキトースの操法などは、私は伝授されてお * ばいしん いうのが、上は大名から下は陪臣にいたるまでの定めでありませぬ。おそらく、幼時に、仙兵衛殿にあの砲を見せて ったからだ。笠塚家は当然とりつぶさるべきところであつもらったということが、誤伝したのではないでしようか」 かろく あとつぎ じようい
400 通にちかい元旗本二百石木下右近の屋敷を買いとって開業 「なるほど」 たえ としうえ 妙は、新次郎よりは三つ齢上のくせに、子供がないせい 六兵衛はほっと救われたようになり、 「そうだろうな。戦さとはそんなものよ。おれは不覚にもか、すこしも老けず、むしろ齢が逆もどりして若くなった 吉村に突かれたが、おれが剣をぬいて吉村と打ち合ったかのではないかと亭主の新次郎さえ首をひねるほどだった。 らこそ、敵の従士は闇鉄砲を射ったのだ。とすれば、おれそれに生来愛想がよかったから患者のうけもよく、このあ の一剣が、やつらを撃退したことになるではないか。戦さ たり一帯の開業医の仲間では、 とはそういうものよ。世間のやつらは、そこがわからない」「あすこは、内儀でもっている」 とやっかみ半分の悪口をいう者さえあるほどだった。 いよのかみ ある冬の日、新次郎が、御台所町の旧岩城伊予守屋敷に 槿りどめ それから五年たち、都は江戸に移り、東京と改称され、住んでいる官員を往診してのかえり、堀名のそばで旗本屋 年号が明治になった。 敷をつぶしてレンガ積みの洋館をたてている現場に通りか かさづか その間、笠塚新次郎は、ずっと平山玄覚房が高取へ訪ねかった。ひどくめずらしい光景だったので見物していたと とうりよう てくるのを待った。しかしついに来なかったし、消息も知 ころ、工事現場を指揮している棟梁らしい男が、不意にふ れなかった。 りむいた。 新次郎のきくところでは、奥大和の山中に逃げこんだ天「あっ」 ちゅうぐみ 誅組の隊士のほとんどは、戦死、自害もしくは刑死の運命男が、逃げ腰になった。身なりこそ変わっていたが、平 をたどったというから、 山玄覚房にまぎれもなかった。 ( やはりあの男も死んだのだろうか ) 「なぜ逃けるんです。平山さんじゃないか」 と思ったりした。 「よわったなあ」 明治になってから新次郎の身辺が急に多忙になった。 平山は大きな顔に例の卑屈な笑いをうかべて、 * はんせきほうかん 明治二年の版籍奉還後、新次郎は屋敷をたたんで大坂へ 「たれにも言いっこなしですぜ、私を見かけたっていうこ おがたじゅく らんい せんばふしみ 出、緒方塾の先輩で船場伏見町で医業を営む闌医安田帆斎とは」 の代診にな 0 て医術をまなび、明治十年、東京町中坂と妙なことをい 0 た。新次郎は、いやがる平山を引きず やまと てん ないぎ
あねのこうじきんとも 新次郎はたしかに平山に八月十四日という勝負の日を約中では公卿のなかでも出色の才幹といわれた姉小路公知が 束しておいた。しかし、平山がきてから一月ほど経った七何者ともしれぬ刺客に暗殺された。暗殺は、京では日常の しんせんぐみそんじよう 月十日に、国もとから急使がきて、至急、退塾して高取ペ話題だった。新選組が尊攘浪士をつぎつぎと倒していたし、 ひょりみ 帰るようにといってきたのである。 尊攘方のほうも負けずに佐幕論者や日和見主義者たちを斬 塾での勉強もいそがしくなっていたころだから、兄の使り殺していた。 いなら、 ( ああいうなかで、平山玄覚房のような男がどんな仕事を しているのだろうか ) 「勝手すぎる」 と追い返したところだが、使いは国老の使者であり、し世の中はたぎっていた。 国内の情勢が日に日に変わってゆく激流のなかで、平山 かも帰国の命は、主命だということで、やむをえなかった。 などの「浪士」は、自分のあすの運命をひらいてゆこうと ( こまったな ) しているのだ。 八月十四日に平山玄覚房がやってくれば新次郎の違約を ( いろんな身の立て方もあるものだ ) 立腹するだろう。立腹するほどの男ならまだしも気が軽い とばくてき 新次郎は、かれらの賭博的な情熱をちょっとうらやまし が、あの男なら気を落してがっかりするだろうと思うと、 いと思ったが、しかしかれのようなおだやかな人間の歩く 新次郎は居てもたってもいられなくなった。 道ではなかった。 「とにかく、すぐ出立します」 ところが、運命というものは、かならずしも穏やかな人 と使者を帰し、家主の魚住屋源兵衛のもとを訪ね、もし 紀州浪人平山某という者が来れば大和高取のほうへたずね物に、穏やかな運命を与えるとはかぎらなかった。 ことづ 高取に帰った新次郎には、意外な事態が待ちうけていた てくるようにと言伝てを頼んでおいた。 砲新次郎は、塾頭や懇意の塾生にあいさっし翌々朝、大坂のである。 大た を発った。 お その日が、文久三年七月十三日であった。 お この年は、物情が騒然としていた。長州藩が、過激派の高取に帰ると、兄は旅装を解いたばかりの新次郎を自室 公卿を動かして宮廷の主導権をにぎろうとしていたし、一によんで、さっそく話をきりだした。兄からその話をきい くにもと 方では、五月、長州は国許でフランス船を砲撃し、京の市たあと、新次郎は、急に頭痛がする、といって、自分がも
う錻力会社もあるということは、新次郎が、のちに大坂る。 らんがく 8 * おがたこうあんじゅくてきじゅく 他家へ養子にゆくか、それとも、坊主、儒者、医者にな の緒方洪庵の塾 ( 適塾 ) で闌学をまなんだときに知った。 るしかなかった。でなければ、生涯兄の飼いごろしになる スとは」 とお ま、よよ 「徹す、である」 なるほど、・フリキをもとおす、という異名なのであった。 ' 新次郎は親族に医者がいて、その者が緒方塾に入ること をすすめた。 「わかりました」 た いよいよ発っという数日前、新次郎は親類へあいさつま 「ばかな話よ」 と突如そういう声が、一座の別の方角からあがった。新わりをした。 「新次郎、医者になるというのは正気か」 次郎の母方の叔父で、浦川六兵衛という男である。藩の剣 * ほくしん と怒ったのは、例の叔父剣術指南役浦川六兵衛正房であ 術師範で、北辰一刀流の精妙をきわめ、大和一国の剣客の こおりやまやぎゅうはん なかでも、郡山、柳生藩をふくめて三番とはくだらぬ男とった。 「正気であるまい。たれかが、いらぬ智恵をつけたのであ いわれていた。 「ああいう・フリキトースがあるために、わが藩の武備はつろう。緒方塾へなどは行くな」 いそれにたよって、家中の者は剣技を練ることをわすれて「しかし、もうきめてしまったのです」 きんぶこりゅう おおづっ いる。いざ出陣のときには、大砲のうしろにでもかくれる「金峯古流はどうする」 「申しわけございませぬ」 つもりであろうかい」 がでんいんすい みな、沈黙した。我田引水はこの男のくせで、かれがそ「どうするのかときいているのだ」 れを言いだすときは、無視するほか手がないことを一座の 「剣法は生涯が修業ですから、学問のあいまをみて修業し 者は知っていた。 ます」 「ばかめ。剣は命をかけるべきもので、あいまをみて修業 などはできぬ。言うておくが、武士とは剣をとる者をいう。 二十歳のとき、新次郎は、大坂の緒方塾に蘭学を学ぶた脈をとるのは武士ではないそ」 ( なにを言やがる ) めに家郷を出ることになった。 家を出ることは、武家の次男坊の宿命のようなものであ とおもったが、新次郎は、沈黙していた。うかつにさか じゅしゃ
376 の目にはぶきみだった。その夜、新次郎は、砲が体をうね弟にこの教誡があたえられた。 らせておろちのように河を渡っている夢をみて、うなされ兄の啓之助は、その日ネ月 、し匱をきて父にともなわれ、高 はいえっ するがのかみ 取城のふもとにある城主植村駿河守に拝謁して言葉をたま ぶぎよう その日から、十九歳になるまで、新次郎は、大砲のことわり、ついで、国老、支配の奉行、同役などにあいさっし、 ひろう はすっかりわすれていた。 その翌日は、屋敷に親族の者をよんで、披露の酒宴をし うままわりやく むりもなかった。新次郎の家は、お馬廻役であり、大砲た。 のはなしが家族の話題のなかで出ることは、まったくなか披露の宴では、おもに植村藩の藩譜と中書家の家譜が、 ったからである。 一座の長老の口から物語られるのが、どこの藩にもあるな ところで、新次郎が十九歳のとき、父新左衛門が隠居届らわしで、中書家もそうした。 をだして、鷹斎と号し、長男の啓之助に中書家の家督をゆ新左衛門の外祖父滝田芥軒というのが、八十六歳まで存 ずった。 命していて、かれが事こまかく植村藩の藩譜を物語った。 その前夜、新左衛門は新次郎をよび、 一座の者は、すでに耳にタコができるほど知りぬいてい 「もはやあすからは、兄の啓之助は、兄であって兄ではなる事柄だったから、私語をしたり庭のほうに目をむけなが 。中書家の主人である。弟とはいえ、主人に仕えるつもら独酌で酒をのんでいたが、末座で、新次郎は懸命にきい りでいよ」 武家のシキタリとして、いざ戦陣のばあいは、部屋住み藩主植村家の家祖は、家康の祖父の代から仕えてきた徳 やっかいもの の弟は兄の家来になる。平時は厄介者として兄に養われ、 川家きっての譜代で、小藩ながらも代々の将軍家から、御 兄に長男がうまれると、臣下の礼をとらねばならなかった。連枝親藩以上の信任をうけている、といった。 「そのけじめをあやまったがために、源平のむかし、九郎「その証拠に」 よりとも ほうがんよしつね 判官義経は、勝手に朝廷から官位をうけたりして兄の頼朝と、六門の大砲が引きあいに出されたのである。このあ から不興を買い、追討をうけた。義経には当然の罰であっ たりから、新次郎は、目をかがやかした。 た」 老人の話では、あの大砲は、家康が天下の諸侯をこぞっ とよとみびでより このセリフは、新左衛門が考えだした独特のものではなて大坂城の豊臣秀頼を攻めたとき、攻城砲として用いたも く、どの武家の家庭でも、兄が世を継ぐとき、部屋住みののであるという。 ようさい どくしやく きようかい
さんろく 蔵は、山上と山麓とにあり、それそれ三門ずつ格納され ていたが、ほとんどの藩士はそれを見たことがなかった。 見ようと思えば国老でも大砲奉行北沢家のゆるしがなけれ ばならず、蔵に入るときは礼装をつけねばならなかった。 だから、たかが子供の中書新次郎が、その砲をみせてもら きせき ったのは、奇蹟に近い幸運だったといえるだろう。 なぜ見せてくれたのか、新次郎にはその前後の事情に記 かさづか 憶がない。ただその日、隣家の大砲方笠塚仙兵衛が、ひど じようきげん く上機嫌で仙兵衛のせがれ圭之助にも紋服を着せ、新次郎 めみえ にもまるで殿様にお目見得するときのような服装をさせて、 * たかとり むかし、和州高取の植村藩に、ブリキトースという威力山上の大砲蔵へ連れて行ってくれたことを覚えている。新 ある大砲が居た。居た、としか言いようのないほど、それ次郎は十歳であり、圭之助は十一歳だった。 じよう ちんでん は生きもののような扱いを、家中から受けていた。 錠をはずして中に入ると、何百年ものあいだに沈澱した 六門あった。 闇が新次郎の手足にまとわりつき、仙兵衛が燈火をつけて 三貫目玉を五丁余 ( 六百メートル ) も撃ち渡せるという巨くれるまでは、圭之助とふたりで、戸口で抱きあうように 砲で、むろん六門とも、高取植村家二万五千石の藩宝になして立っていた。なにかしら、異教の神殿に押しこめられ こわ っていた。 たような怖さがあった。 ちゅうしょ 中書新次郎も、子供のころ、その藩宝の砲を、山上の城事実、神殿でもあった。笠塚仙兵衛は、蔵の壁にとりつ かみだな でみたことがある。新次郎の記憶では、材質は青銅だったけてある神棚へのぼって燈明をつけ、ハシゴから降りてく ちんじゅ ぶかっこう が、青銅のくせに黒光りにひかり、砲身が不恰好なほど長ると、鎮守の神主などがもっている妙な紙細工をくくりつ 大砲の腹には、樫材でつくられた砲架がはめられてい けたサイ ( イのような道具で、、颯、と、ふたりの子供 た。樫は歳月をへて質がひきしまり、ずしりと鉄のようなの頭上をはらい 感じがした。 「去った」 大砲は、白壁の蔵におさめられていた。 といった。 おお、大砲 くら やみ
叔父の浦川六兵衛とおなじようなことをたずねた。 「いずれ大坂へ立ち回りましよう。高取のお屋敷にまだ新 「あんなもの。刀術などは、よほどはやりの流派をまなび、次郎様がいると思うたのか、五日ばかり前に立ちあらわれ、 名ある人の直弟子にでもならねば、それで身をたてるわけ試合をしたい、というのでございます」 にはいきませぬ」 「いったい、それは何者か」 ぎようざいん きんぶこりゅうじぎでん 「そうね。だけどわたくしは、新次郎様は、あのご流儀を「やはり奥吉野の行坐院の栄昌房様からの金峯古流の直伝 よしの どろかわ 相伝してお坊さんになり、奥吉野のお寺にお住いになるとをうけたかたで、印可のシルシの独鈷と「洞川行坐院山林 ばかり思っていました。お坊さまは、おきらいなのね。奥絵図」をゆずりうけたいと申されるらしゅうでございます。 すじよう 様をもてないから ? 」 素姓は、紀州家の鉄砲足軽平山勝左衛門という方のお子と だんな いうことでございました。しかし旦那様は」 妙は、のある笑顔で、またのぞきこんだ。新次郎をか と、四方次は、兄の言葉を伝えた。 らかっているのである。 「渡してはならぬ、と申されます。新次郎様が万一学業が 成らずとも、あの印可のシルシを持っているかぎり、京都 しようごいんとくど 聖護院で得度して僧にさえなれば行坐院を継げるからだと おがたじゅく ちゅうげんよ 緒方塾に入ってから、半年ばかりして、実家の中間の四申されるのでございます」 方次が、兄の手紙をもって使いにきた。ひらいてみると、 「兄は、次男坊のおれが、医者になりそこなってまた高取 かさづか 隣家の笠塚仙兵衛が、急死したという。 にもどってくるのがこわいのだろうな」 もど 手紙には、兄の稚拙な文字で、「戻るほどの義理はある「それを申されますな。部屋住みの冷やめし食いと申し、 くや まいが、せめて悔み状でもしたためて、四方次に持たせてこれは、兄上様にとってもあなた様にとっても、つらいこ 帰すように」と書かれていた。 とでございます」 「それから、新次郎様。これは四方次の口から申しておけそういってから四方次は、不意に真顔になって、 もど こおりやま ということであったので申しあげるのでございますが、平「笠塚様のお妙様が、郡山で不縁になってお戻りになって ざおうどう 山玄覚房という吉野蔵王堂に僧籍をもっ修験者が、まだこ いらっしゃいますそ」 ちらにあらわれませぬかな」 いつのまにか、笑顔で、新次郎の目をのぞきこんでいる。 「平山 ? 知らぬ」 「新次郎様は、お妙さまがお好きだったのではございませ たえ どっこ