うんーるうたん . う 腹大夫は用心のために雲州、丹州というふたりの手かと歩いている。その数は何百という数ではあるまい 下を源四郎につけてくれる。八条坊門のあたりまで来か」とある。怪奇至極なイメージである。 ると、いつもは猫一匹歩いていない夜道が夜祭りのよ 源四郎は「火を消すな・ : 」 と、雲州、丹州をはげま なぎなた うにっている し、さらに「その薙刀で、地蔵を撃「てみろ」という 「人がいそがしげに東へ北へ南へあるいてゆく。おか と、歩いている地蔵がいっせいにこちらをむいた。そ まっ とら しなことにどの人も夜目がきくのか、明ももってい のとき、朱雀地蔵の堂の扉のひらく音がきこえた。 ない。どの人の足もおなじ足音をたてている。コトコ 「・ : ・ : 巨大な地蔵が出てきた。背丈は一丈ほどもある しやく - う トと軽い、乾いた音である」 であろう。錫杖をつき、ゆるゆると動き、やがてくる この足音の記述も衝撃的であるが、つづけて、「そ りとこちらのほ、フに向きを変えると、しっと源四郎た れに ( これはもっともおどろくべきことだが ) みな背がひ ちをみた」 せたけ 十歳そこそこの背丈の者ばかりである」 源四郎は「雲州、矢をつがえよ。丹州、薙刀をとれ」 すざく そこは朱雀地蔵堂のあたりである。その奇妙な行列 と叫び、腰の太刀を抜いたが、ふたりは動転し、転倒 はすべて地蔵であった。 「小さな石地蔵どもはせかせした。
ぎようゼん といわれれば、事実石になったように凝然と草のなかに陰陽師は藤葛をつかんで用心ぶかく谷底へおりてみると、 貶うずくまった。吐く息さえ糸のようにほそくなり、そのま念閑は死んではおらず谷底で倒れていた。手も足も傷だら ま二時間も動かなかった。陰陽師はときどきそばへ寄ってけになっていた。陰陽師は、ささやいた。 みやくよく 医師のように脈搏をしらべた。脈搏はかすかになってしま「歩け」 っており、このまますてておけばついに絶えるであろう。 そういうと、念閑は鷲が歩くようにして歩いた。鷲の歩 そういうときは、念閑の催眠状態をほどいてやった。 き方が記憶にないらしく、にわとりの歩き方に似ていた。 「おまえは、鷲だ」 ( これは本物だ ) といってやると、念閑は両手をいつばいにひろげ、波だ と、陰陽師はおもった。これほどに念閑の魂がわが所有 たせつつ舞いはじめた。さすがに飛び立たなかったが、足になった以上、鷲として将軍の御所へ入れといえばかれは だけはうごいていた。 すぐさまそのようにするだろう。 「飛ぶそ、飛んでいるぞ」 というと、直線に走ってゆく。走ってゆく途上、松の木その翌日、陽がやや傾いてから、かれら二人は市中へ出た。 が近づいてきたが、念閑の目にはそれが見えない 。目は大 ( きようこそ、この坊主を鷲として飛ばしてやる ) きくひらいているのだが、何物も見えないのである。 と、陰陽師の阿倍晴道はおもっている。それには、陽が ぐわっ もっと西へ傾くまで待たねばならない。 と、念閑は松の木にぶつかって、あおむけにひっくりか時刻を待っために、陰陽師は念閑を堀川までつれてゆき、 えったが、痛みも覚えないのか既ねおきては走ってゆく。 河原へおりた。 陰陽師は、ついて走らねばならなか 0 た。膃〈さしかか「くたびれたなあ」 と、念閑は腰をおろした。 念閑は、宙空を走った。が、鳥でないかなしさでそのま ああいう状態になっていないときの念閑はいつもの念閑 ま足をあがかせつつ落ちてゆくのである。 である。ただどこか、目に青い膜が張ったような顔になっ 「死んだかな」 ているが、他の者がみればそれも気・つくまい。 陰陽師は、崖からのぞきこんだ。死んでもかまわない。 「妙に疲れた」 死ぬのは乞食坊主であり、陰陽師ではない。 念閑は、顔の汗をぬぐった。かれは毎日、風になったり わし ふじかずら
な変化を念閑は解しかねた。 念閑は、歩いてゆく。 ( なんだろう ) やがて花ノ御所の御門への橋を渡ると、番士が声をたて考えた。最初は富子は怒りだすのではないかと予想して て笑った。 いた。でなければ深窓の育ちであるために人を銭で動かす かくない 念閑は、御所の庭のあちこちをまわって富子の住な郭内ということなどはよく存じていないのではないかと思い、 まできたときには、もう回廊をゆく侍女たちの評判になっそのことをどう説明しようかとも思っていた。 しらす ており、念閑が庭の白洲にすわるまでに富子の耳に入って が、笑いだすとは意外であった。富子はなにかかんちが いをしているのではあるまいか。 富子は、濡れ縁にあらわれた。 「なぜ、お笑いあそばすので」 「念閑、その姿はなんじゃ」 ときくと、富子はまだ笑いを収めず、 まゆ 「念閑」 と、富子は眉をひそめた。彼女だけは笑わなかった。 と、声も朗らかにいった。 念閑は、とにもかくにも繩を解き、背から大瓶をおろし「それほどの銭がもらえるくらいなら、この私がひきうけ てお今方へ討ち入りますぞえ」 「使いに行って参りましてござりまする」 と富子がいったから、念閑はほとんど身を反らせておど ごうよく と、縁の上の富子にむかって拝礼した。 ろいてしまった。この強欲なこと、どうであろう。御台所 「してその左右 ( 結果 ) は ? 」 の身でありながら印地の大将の上をゆこうというのである。 ゃぶ 「はい、東寺のむこうの藪に住む印地の大将腹大夫と申す「つまり、それでは ? 」 びた 者の申しまするには」 「私は出しませんぞえ。鐚銭一文でも出すものか」 怪 と、念閑はいっさいを話した。要するにこの大瓶に銭を「あ、それでは」 いつばい、それも瓶のロまで入れて持ってくればこの大仕「知れたこと、印地の大将などにたのむことはやめた」 妖 事をひきうけてやろうと腹大夫はいった、ということを復「では、御台所さまおんみずから : : : 」 肪命したものである。 「ああ、乗りこむとも」 突如、富子は声をあげて笑いだした。この富子のにわか と、富子はひどくさらりといった。彼女はもはや人は頼 わらわ
点乾ききっていた。平気で神社仏閣に放火するし、その宝 物は盗むし、必要とあれば僧も神主も殺してしまう。その このとき大地蔵が笑ったのか、あくびをしたのか、真っ くち 点で印地は、この浮世でたれよりも強いのである。 赤な唇をひらいた。 こお 「いやいや、こわい。怖うござります」 ( あっ ) 「その薙刀で、地蔵を撃ってみろ」 と源四郎は逃げかけたが、しかし踏みとどまった。これ と源四郎が声をはげましたとき、歩いている地蔵がいつは戦うよりほかはない。このように立ちすくんでいては食 せいにこちらをむいた。 われてしまうだけであろう。 「げつ」 「雲州、矢をつがえよ。丹州、薙刀をとれ」 と、雲州が逃げようとしたとき、前方でさらにおどろく というや、源四郎は腰の太刀をカまかせにひきぬいた。 力なら余人に負けない。 べき者が出現した。 すざくじぞう むこうの「朱雀地蔵」の堂のトビラのひらく音がきこえ たのである。 雲州と丹州は突 0 伏せて地ををんでいた。源四郎はその ぎぎぎ 尻を、ありったけの力をこめて蹴った。 「行けつ」 とひらくや、巨大な地蔵が出てきた。背丈は一丈ほども とどなると、両人はなにを感ちがいしたのか、わっと駈 しやくじよう あるであろう。錫杖をつき、ゆるゆると動き、やがてくけだした。逃げているつもりだろうが、大地蔵の方角にむ るりとこちらのほうに向きを変えると、じっと源四郎たちかっていた。・ : 力すぐ自分の錯覚に気づいたらしく、ひっ をみた。 かえそうとした。そのとき両人とも転倒した。 「化け地蔵だ」 そのからだの上を、小地蔵の群れがそろそろ通りはじめ と、雲州が叫んだ。源四郎があとできいたところによるたのである。むらがりつつ頭、胴、手足を間断なく踏み、 あくりよう と、朱雀の地蔵は化けるという。おそらくなにかの悪霊が踏んでは通りすぎてゆく。 ああっ、ああっ 憑き、地蔵の仏性が変質したのにちがいない、といわれて いた。いま前方に出現しているのはそれであろう。そのあ とふたりの印地は悲鳴をあげていたが、やがて声は小さ くなり、ついには消えた。死んだのだろう。 たりを歩いている小さな地蔵どもは、その族にちがいな なぎなた しり
むこう あかし ということになるのであった。あわただしく駈けまわっ源四郎、腹大夫、明石千之助、向日の百姓どもは少年の しお てそのあたりを撒き塩で清める者もあり、走りよってかしひとりに導かれ、結界のなかからしりぞいた。 わ手をたたく者もあり、 群衆が、神威をおそれるように身をひき、道路ができた。 ひとがき * けちかい 「結界をつくらねば」 その人垣のなかを歩き、やがて群衆の視野から消えた。 と叫んで、頼まれもせぬのにを打ち、杭から杭にシメ残った三十人の白丁に早くも神が憑りうつったらしく、 みな体をふるわせはじめている。おそらく終夜そのとおり 繩を張る者もあった。 ふなみこし 日が暮れはじめると、人の数がいよいよふえ、おそらくのすがたで舟神輿を護持するであろう。 たかみね 京の者のすべてがこの堀川にあつまってきたのではないか源四郎らは、鷹ケ峰の山ふもとまでつれてゆかれ、とあ る一軒家に入り、そこで食物と酒と寝具をあたえられた。 とおもわれるほどの大群衆になった。 はんかくせい にわび みな無言で酒を飲んだ。半覚醒の源四郎ですら、言葉の 日が暮れた。「浄域」に庭燎が燃えはじめた。 はくちょう 十何人かの白丁が、炎のあかりに照らされ、その影がゆことごとくをわすれたような状態になり、魚のような表情 こうごう で酒を飲み、ものを食った。 らめき、いっそうに神々しいものになった。 そのあと、一座の者は、疲労と酔いでつぎつぎに睡眠に そのころ、美服の少年が、 のめり入った。 「やよ」 と、群衆にむかって叫んだ。三人の少年が四方の群衆に 口々に、 むかい 「ばかなことがおこなわれている」 「やよ、やよ」 と、日野富子がいった。 「堀川のあたりで」 と叫んだ。聞け聞け、というほどの意味であろう。 「ここにいる白丁は、いまからべつなところに移らねばな と、富子はいう。この都でも人の往来のもっとも多い堀 よづめ らない。たれか、望め、宿直をする者はおらぬか」 川の路上で舟神輿がまつられ、毎日それをめあてに数万の たちまち三十人の者が名乗り出てきた。少年はそれらを人が群れ、しかもその舟神輿のカンナギは、毎日群衆のな 堀川端につれてゆき、水をもって潔斎させ、白丁の衣装を かからえらばれているという。 ぎせた。 「最初は、どこからともなしにやってきた十幾人の白丁で あったそうな」 座が、かわった。 なわ けっさい いくたり
たりの商家の御料人らしい婦人が通りかかって一つ小女に かり積みあげてすわっている。 買わせた。 「その石は、なんだ」 源四郎がきくと、指阿弥陀仏は答えず、 指阿弥陀仏がな・せここにすわっているかといえば、わけ 「おぬし、変わったな」 とだけ、いった。あとは指阿弥陀仏は背をまげ、頭を垂がある。 れ、居眠るがごとくすわりつづけた。このあたりは市街地先日、日野富子が実家の日野家から将軍御所へもどる途 からやや離れているため人通りはすくないが、それでも五次、源四郎をみた。 ( あれは源四郎ではないか ) 分に一人ぐらいは過ぎてゆく。 げんぶく とおどろき、将軍御所に帰るとすぐ使いを兄の日野勝光 やがて、元服前の寺小姓といった少年が、僧服の老人を 従えてや 0 てきた。素姓はしくないらしく、道の中央をに出し、 たしかめてください。 遠慮もなげに歩いてきたが、この石の山をみると、 と申しやった。勝光はすぐ指阿弥陀仏をよび、「なんと 「あのありの実を買え」 と、従者の僧に命じた。梨のことである。梨が無しであかせい」と命じた。 そういうことである。 ることを忌みこの時代のひとびとは有の実といった。 「だから、ここで待っていたのだ」 ( これはすごい ) と指阿弥陀仏は、源四郎にいった。態度がどこか、三年 と源四郎はおもった。関東にくだってからようやくわか めくらまし ったことだが、この指阿弥陀仏の幻戯というのは催眠術で前のように軽侮したようなところがない。 あり、それにすぎなかった。しかしなんとみごとにだまし「話がある。どこかへゅこう」 と、指阿弥陀仏は立ちあがり、ござの上の石ころを捨て、 おおせることであろう。 怪 ござを巻いて痩せた背に背負った。 おぬし、変わったな。 と先刻、指阿弥陀仏がいったのは、源四郎の目だけは素「いそごう」 直にこれが石であることがわかったことを指しているので指阿弥陀仏は、歩きだした。 「いそがねば、先刻の買い手が言いがかりをつけてくる」 あろう。 それはそうだろう。かれらは梨だとおもって買ったのが、 寺小姓は、従者に石を持たせて去った。そのあと一一条あ
八条坊門のあたりから、街路が急ににぎやかになった。 ( どうしたのだろう。いままで猫いっぴきも歩いていなか 小さな石地蔵どもはせかせかと歩いている。その数は何 百という数ではあるまいか。 ったこの夜道が ) こお ふしぎである。印地どもも奇妙におもったのか、 源四郎も二人の印地も、血の凍るような恐怖をおぼえ、 「なんの日かな、まるで夜祭りに出かけてゆくようなにぎ足がすくみ、目も口もあきつばなしになった。 「火を捨てるな」 わいだ」 と、源四郎はかろうじて雲州にいった。雲州は恐怖のあ といった。人がいそがしげに東へ北へ南へあるいてゆく。 たいまっ おかしなことにどの人も夜目がきくのか、松明ももっていまり松明をとりおとしていた。 ない。どの人の足もおなじ足音をたてている。コトコトと「ひろえ」 軽い、乾いた音である。 源四郎はいった。ばけものに対して人間が自衛する道具 それに ( これはもっともおどろく・ヘきことだが ) みな背がひといえば火しかない。火はつねに人間の味方であろう。 くい。十歳そこそこの背の者ばかりである。 「消すなよ」 「雲州、このあたりはどこだ」 消せば、天地は闇になる。闇になればばけものはいよい * すざくどおり たけ 「朱雀通の」 よ勢いを猛だけしくするにちがいない。消すなよ、消すな おうち と、声をひそめた。つい目の前の大きな樗の木の下におよ、と源四郎は泣き声をあげた。 堂がある。朱雀地蔵といわれている堂で、堂内には大きな ( 強くあらねばならぬ ) 石造の地蔵がおさめられており、付近の町民から崇敬されと思い、〉源四郎は下っ腹に力を入れた。横で、丹州が腰 ている。雲州は、「朱雀通の朱雀地蔵のあたりです」と言をぬかしていた。 おうとして、「地蔵」という言葉を思わず呑んだのである。 「丹州、われは印地ではないか」 怪「こいつら、みな地蔵じゃねえか」 と、丹州の腰を 0 た。 おそ と、慄えながら、丹州を見た。源四郎は雲州の松明をひ「印地は神仏を怖れぬというのが、元来自慢ではないか」 ったくり、前後左右をゆく小人のむれを明りに照らした。 元来、そのはずなのである。印地どもが武家とちがうの 地蔵であった。 はその一事であった。武家は公家ほどではなくても、それ しりよういきりようたた 石地蔵の群れがせわしげに歩いている。 でも神仏を怖れ、死霊生霊の祟りを怖れるが、印地はこの ふる
源四郎は足を動かした。ゆっくりしか進めなかったが、 した。額をあげた。 それでも渾身の努力が要った。一あしごとに汗が流れた。 両眼が、前方を見た。 やがて小一時間もかかったと思われるほどの心理的長さで、闇である。東方を見た。そこには家並が東へつづいてい 十数歩あるいた。 る。その街路を大地蔵が遠ざかってゆくのである。大地蔵 そこにはもう小地蔵の群れはおらず、雲州と丹州との死の肩が、低い家並の屋根の上をこえており、山のように動 いてゆく。 骸だけがうつぶせになって残されていた。 たいまっ その盛りあがった肩のむこうに、黄金をまぶしたような 源四郎は落ちていた松明をかざしてそれを見た。なんと いうむごさであろう。骨という骨が丹念につぶされ、こな満月がのぼっていた。 ごなになっていた。骨がないために体が干しいかのように源四郎は、ふらふらと立ちあがった。それを追おうとし ぞうふ 薄くなっていた。臓腑も流れてしまい、流れた臓腑がそのた。足が、軽くなっていた。かるがると歩けた。歩けた、 あたり一面に踏みしだかれていた。もしこれを真昼にみれというよりも両足だけが車輪のようにまわって源四郎の胴 ば半丁ほどのあいだの地面は、血の足跡とぼろのようになを運んでゆく、といった実感だった。 大地蔵はゆらゆらとゆく。 った臓腑ですさまじい光景であるにちがいない。 っ ( 尾行けてやる ) 「どうだ」 といったほどの意識もなく、源四郎はそのあとをつけて と、風が鳴った。人の声か。そのいずれかとも定かでな ゆく。一すじの糸にひかれてゆくようである。 い響きが頭上でした。頭の上に、大地蔵がいた。 かがんでいた。 あとで源四郎がこのときの自分の行動を思ったとき、身 跼んで、源四郎をながめていた。源四郎はきやっと叫ん だであろう。あとは意識がなかった。ここまでよく意識がの皮のちぢむほどにぞっとしたが、しかしこのときはべっ 怪保ったものであり、その意味ではこの若者は適度の鈍感さに恐怖は感じなかった。 と適度の勇気のある男ではあった。しかし、さすがにとぎ ( あとをつけてやる ) れた。 という単純な意思が、ごく単純にかれの行動をうごかし ようき 倒れた。 ていた。妖怪の妖気のなかに漂うているときは人間はそう かく が、この男の讃うべき鈍感さが、すぐ意識をもとにもどであろう。恐怖は覚えないのであろう。恐怖というのは覚 かが こんしん たた ひたい
分を念閑はよく知っている。太刀をとりもどすとはいって人間に対しては傷を負わせたりはしない はらい ただし富子の場合、この計画は嫉妬による腹癒せをめあ も、嬉野がいう事情ではどうやらお今は素直に渡さないで あろうとおもわれるのである。とすれば、カずくで奪るか、てにしたものではなく、お今の里屋敷に嬉野以下を乗りこ 忍びこんでぬすむか。 ませ、騒ぎに乗じて鬼切り / 太刀を得んがためであった。 さらにそれ以上の目的もある。 どちらも念閑にはできない。 「私めは、智恵のほうで」 勤まるのは軍師ぐらいだ、といった。 富子は、男にうまれているべきであったであろう。 「それでいいの」 うまれそこねた。 嬉野はいった。念閑ごとき男に、男としての腕力や度胸と、彼女はつねづね嬉野を相手にこぼしている。権謀の を期待しているわけではない。 才とい、つか うず はら 「すると、どのようにして」 そういうものが、彼女の肚のなかにくろぐろと渦をまい と、念閑はきいた。 ている。才能というものはそれ自体がエネルギーなのであ 嬉野は即座に、 ろう。それを表現し消費せずにねむらせておくと、やがて 「いくさです」 は鬱屈するものであるらしい。唄をうたいたいものは、唄 といった。ただしこのいくさは大名や騎馬武者が出てのをうたえ。 合戦ではない。 富子の方略は、こうであった。 「うわなりうち」 昨夜、義政が閨から去ったあと、富子は嬉野をよんでう といわれる、女の合戦であった。 ちあわせておいた。 めかけ うわなりうち 女合戦そのものがめあてではない。 うわなりとは、後妻のことである。ときに次妻をもさす。 あまた と、富子はいうのである。そうであろう、お今の里屋敷 次妻を打つ。正妻が次妻を打つ。それも侍女数多をひき つれて男の合戦のようなにぎやかさで押しかけ、次妻の屋の器物をうちこわして快をさけぶほど富子はこどもっぽく 妖 敷の器物をことごとくうちくだくことである。これには法はない。鬼切りノ太刀を奪うためである。 則があり、刃物や弓矢などをつかうことを避け、棒やほう しかしそれも、それそのものが目的ではない。源四郎を きのたぐいを用い、たたきこわすのは器物のみで、先方の当方にひきずりこむことであった。あからさまにいえば、 うつくっ ねや しっと
160 「その花ノ御所へだ。わぬし、その御所へいまから行ってきさで立っていた。樹木は星を突くようにしてそびえ、眼 ひわだ しんでん みぬか」 前に巨大な檜皮ぶきの屋根があり、寝殿ふうの建物が闇の 「行く ? 」 なかを大きく占めている。 「その気になれば行ける」 ( これが、花ノ御所なのだ ) * やみず と、源四郎はあたりの闇を見まわした。背後に遣り水の 行こう、とおもった。あの杉戸のむこうの富子の部屋に流れる音がきこえた。花ノ御所のなかで日野富子が住む一 入れるとは、信じられぬほどの幸福であった。 郭は公家ごのみの寝殿造りにつくられてあるようだった。 「しかし、どうすれば行けるのだ」 源四郎は歩き、建物に近づいた。 「その気になったか」 奇妙なことに、自分の足音がきこえない。足もとは白い 「なった。どうすればよい」 白河砂であり、当然大粒の砂のきしむ音が足をふみおろす 「なにもせずともよい。そのまま歩いてゆけばよいのだ」たびにきこえねばならぬはずであったが、えりくずが舞い 「歩いて」 落ちたほどの足音もきこえないのである。 「そう。自分の足が、好きなところへわぬしを運んでくれ月光が、白河砂いつばいの庭を照らしている。そこを、 る。目をそらすな、その植え込みに、青い紀州石があるだ源四郎はゆく。 ろう 往くが、いまひとっ奇妙なことに、自分の影がないので ある。 「わからない」 「よくみろ」 影がない。 かがりび はだあわっぷ と、唐天子は篝火から薪の燃えたのを一本つかみだして というのは、源四郎にとって肌に粟粒の立つほどの恐怖 まゆ 源四郎のひたいに近づけた。源四郎の眉がちりちりと焦げ、であった。源四郎は立ちどまって自分の姿をきよときよと にお 匂った。しかし源四郎はかまわず、その炎のあかるさをたと見た。腰にはまちがいもなく太刀を帯びており、折り目 よりに目をこらしつつ青い石をさがそうとした。五、六分のくずれた麻の襭は相変らず垢じみて重く、足には半かけ ぞうり もそうしていたであろう。 の草履をはいており、どこからみても自分であることはま 「あった」 ちがいなかった。しかし自分が自分である証拠ともいうべ とつぶやいたとき、その石は源四郎のそばに等身大の大き影がなかった。もしここに鏡があったならば、源四郎は あか