その圧巻は「沖ノ島」の章で、抜け殼となった生身 の源四郎が、花ノ御所で日野富子にもてあそばれてす いきりっ た見さましい愛撫を受け、い つばうかれの生霊は沖ノ島に 幽閉されているお今の寝所に飛んで斬りつけるくだり で争である。ことにの幻術が富子の生命力に裏切ら こを こ典れ、生身と生霊とが交代するあたりの描写は類がない 訳西欧の幻想小説、ジャン・コクトオの映画にかようよ 立ロ 対、つなおもしろさである。そして、これはやはり小説だ っム / 蘭けのおもしろさである。この作者には『妖怪』とほば 同じ題材の戯曲『花の館』があるけれど、舞台では人 内な かっし」・フ 塾か 間の葛藤は小説よりきわだって描かれても、この幻想 の豊潤さは現出されていない お今が配流されていった、また源四郎の生霊が往復 かただ した堅田や沖ノ島は、これまでわたしが何度かたすね 戸 たところである。しかし、こんど『妖怪』の文学紀行 のためには再訪する気がはじめからなかった。現代の 堅田や沖ノ島へいってみたとて、それが何になろう。 使その堅田、沖ノ島は現実を越えた夢幻の港や孤島であ 習るからである もし、いつの日にか、わたしが月のかげつた暗い冲 解ノ島、あるいは未明の靄にかすかにゆれる沖ノ島の影 を遠望することがあるとすれば、そのときには必す小 説『妖怪』の場面を思いおこすのにちがいない もや
きゅう 灸のための時間が、一時間ほどかかる。その間はなんと悔やむ思いはない。お今の時代は後世の江戸期とはちがい、 なくたがいに無言である。無言のまま堅田ノ入道は灸をす男女間のことに手きびしい道徳はなかった。 えつづけ、お今は灸をすえやすいようなかっこうをさせら「ところでー れてゆく。片ひざを立てたり、横むきになったり、うつぶ と、堅田ノ入道はいった。 せになったり、入道のいうままの姿勢にならねばならない。 「あすは、早発ちでござりまするそ」 「妙なものでござりましたの」 「あすは ? 」 と、入道がやっと声を出したときは、お今は入道とまじ と、お今は妙な顔をした。彼女は、堅田へゆくというこ わってしまったあとであった。まったくばかな、とおもっとしか聞かされていない。あす早発ちでどこへゆくという のか。 てもあとの祭りであった。「妙なものーと入道がいうのは、 妙とは玄妙というような意味で、たいへんよろしゅうござ「いやさ、沖ノ島でござりまする」 いました、というほどの意味である。要するに礼をいって「沖ノ島へ、私が ? 」 「これはしたり、お聞きではござりませなんだか。お局さ ( 腹が立っ ) まは沖ノ島がご一生の配所でござりまする」 ともおもったが、しかししんから怒る気がしないのは、 「なんと」 なにやらこの入道がおかしいのである。ひょうきん者かと お今は、はね起きた。おどろいたのは、お今ばかりでは おもったが、そうでもない。 なく堅田ノ入道にしても同様だった。入道は、「都の役人 「手前、お前さまが堅田へござらっしやるとうかがった日はずるい」とおもった。お今の説得方を護送者である自分 から、待ちに待っておりました」 にやらせるとはなんというずるさであろう。 ねや という。堅田へお今が来れば閨をともにできるものと、 「なにごともめぐりあわせでござる」 しんから思いこんでいたらしく、思いこんでいたとおりに と、この浄土真宗の信者は、自分の哲学にお今をひき入 このようになったことを、その意味ではごく自然なこととれて説得しようとしたが、お今は、いやじゃ、沖ノ島など おもっている。たとえば、めしを食い、茶をのんだほどの いやじゃと身もだえしてきかず、ついに身を投げて堅田ノ ことと同じらしい 入道にすがりつき、 お今は、それもこれもばかばかしくはあったが、べつに 「入道、なんとかせよ」 はやだ っぽね
343 妖怪 と、富子はいった。 一し十ー 「どこに居やる」 「いまたしかに申した。この富子のためならば命もいらぬ、 「おん前に」 と。なんでもきく、と。そのようにわたくしを愛している 「居るのは、声ばかりではないか。さ 0 ぎまでの体はどことなれば、そのしをみせよ。沖ノ島へゆけ。沖ノ島にゆ へ行ったのじゃ」 き、お今を殺せ」 「体 ? 」 と言われて、源四郎はおどろいた。自分をなでてみた。 沖 / 島では、おどろくべきことがおこった。 空をつかむようであり、自分がどこにもおらぬことに気づ お今がそこにいる。 いた。源四郎は考えた。 源四郎がすわっている。むろん、この源四郎は厳密にい ( おれは、どこにいる。 えば形骸であった。お今にとっては、ずいぶんと気味がわ どこにいるのだろう。意識を集中し、記憶をよびもどそるかったであろう。なにを問いかけても源四郎は答えず、 うとした。ふと思いだした。 動かず、凝然としているのである。 お今のもとに。 ところがその源四郎にかすかな異変がおこったのをお今 と、つぶやいた。たしか、ほんのさっきまで沖ノ島にい は早く気づくべきであった。 きつ。 源四郎は、正直にそれをいった。 と、源四郎の唇から、そういうみじかい叫びのような 「だまされている」 音声が洩れた。 富子は、落ちついて言った。 源四郎の表情が、わずかに動いた。というよりもその右 「そなたはまたあの唐天子とやらにだまされているのでは手が、ゆるゆると空にあがったのである。 はいとう ないか」 横に、佩刀がある。そこに手を触れた。 「そんなはずがない」 なにをしやる。 「いや、そうだ」 と、お今は言いかけたが、源四郎がそれほど重大な行動 富子は、禅僧が一喝するように大声を発した。源四郎ををいまからはじめようとはついぞ思えず、そのまま口をつ ぐんでいた。 醒まさせようとした。さらに富子は、「いま申したな」と いっかっ くちびる
と、光沢の消えた声でいった。死人がもし声を出すとす と、そう言った唐天子の声はもはやあぶの羽音ではなく、 堂々とした人間の声にもどっており、声だけでなく姿も人ればおそらくこういう声であろうと思われるほどに弾みの ない声であった。富子も唐天子の幻術にかかっているので 間にもどり、源四郎の面前に立っていた。 あろう。 「まだ、だめだな。目をつぶっていない」 「源四郎じゃな。お・ほえている」 「つぶっている」 あら 「いや、まぶたに心が露われている」 「左様、私は源四郎」 と、痴呆のように源四郎はうなずいた。 と、唐天子は手をのばし、源四郎のまぶたにかるく指で 「お今を殺せ」 触れ、指の腹でその「露われている心」というものを奥へ と、富子よ、 ーいった。源四郎は素直にうなずいたが、し 押しこめようとするようにほたほたとたたいた。 ああ、心地よい かしお今は髭琶湖のなかの沖ノ島というところにいるとい と源四郎がおもったとき、その魂は体からぬけ出て唐天うではないか。 てのひら 子の掌につかまれていた。 あと、眠ったか。 と、富子はいった。 「沖ノ島など、行くのに造作はない。源四郎の目の前に屏 源四郎には、記憶がない。かれの知覚が再開したのは、 風があるであろう。琵琶湖の八景がえがかれている。風が もう、まぶたをあげてよかろう。 と唐天子らしい声が耳の穴のなかできこえたときであっ立っている」 なるほど風が立ち、湖上に波が走りはじめている。波が、 びようぶ 源四郎は、目をひらいた。そのあたりに屏風があり、近北から南へ。 江八景がえがかれている。 舟が、ゆれた。 そう 怪 富子が、すわっていた。 源四郎は、一艘の小舟に乗って沖をめざして進んでゆく。 「ここは、どこだ」 ろの音がする。ろの漕ぎ手がたれであるか暗くてわからな いが、とにかくも舟が沖ノ島をめざしていることだけはた 源四郎がおどろきを失った表情でいうと、富子もおなじ しかであった。 ような表情で、 「私の部屋」 ここち こ
, 試 . - を第第い 湖でも , 波は海のそれとかわらない。 ひら さかま 轟っと寄せてきた波に舟が乗せられ , やがて波の底に落されてゆく。 とくに比良おろしなどが吹く日は波が逆巻きだつが , この日もそうであった。 やがて , 前方に灯がみえた。 あれが沖ノ島の燈籠だ。と , ろの漕ぎ手がいった。 とうろう ( 「妖怪」 )
327 妖怪 しあけて千しかためたような神秘感のない姿で唐天子はこをもっているのは、わぬしだけだ」 こにすわっているのである。 「面倒だな」 「どうもちがうなあ」 源四郎は気のない返事をした。本心から面倒くさかった。 「ちがってしまったのは」 そういう源四郎の態度が、唐天子の姿勢をいよいよ低くし 唐天子は苦笑した。 「お前さんのほうだ。お前さんがかわってしまった。わし「頼む」 はもとの唐天子で、わしはすこしも変わらず、わしの通力とおがんでいる。頼む側に立てばこれほどのばけもので も身を小さくし、目まで哀れな小動物のそれのようになる。 も衰えてはおらぬ」 「しかし顔がちがう・せ」 「いやだな」 「お前さんの目が、ちがってしまったのだ。修行を積んだ「そのように申すな。こう、拝んでいるのだ」 のか」 「そういうお前がゆけばよかろう」 「いや、修行などは積まぬ。ただ、死ぬのは平気になって源四郎は背のほうに手をまわして赤い実をむしり、ロに からてんじく しまっている。生きるのも平気になってしまっている。死入れながら、「お前は日本はおろか、唐天竺にまでひびい も生も、なんのかわるところもないということがわかった」た憑き神ではないか。神が出来ぬことはあるまい」という 「欲も、なくなったか」 と、唐天子は、 じつは打ちあけるがな。 「ないなあ。むかし、わしは将軍になろうと思って熊野の 山奥から京にの・ほってきた記憶があるが、いま思えばおか と、卑屈な、自分の秘密をそっと教えることによって相 しくてならぬ」 手に媚びようとする、そういう態度をみせながら、 ( こまった男になった ) 「神とはいえ、できぬものはできぬのだ。神というものは と、唐天子はそのような顔をした。 人間に信仰され、祭られぬかぎり神としての力を発揮でき 「つまり ? 」 「なににしても源四郎」 唐天子はいった。 「わしは堅田ノ入道という男にわしを信仰させようとした。 「お今を、沖ノ島から救いだしてやってくれぬか。そのカ沖ノ島の配所に祠をたててわしを祭らせようとした。わし ほこら
323 妖怪 と、入道は手をあげた。 ださる」 それが死だ。 「満ちみちておられる。・ヘつだんお浄土にゆかずとも、阿 弥陀如来はその本願を信ずればたちどころにお会いできる ということを、堅田ノ入道はいっているのであろう。死 のだ」 を、生よりもありがたいものとして価値を転倒させている ところがこの宗旨のはなばなしいところであろう。死は単 「すると、入道は会ったことがあるのか」 に宇宙の法則のなかにもどってゆくことにすぎない、とい 「わかりの悪いお人だ。われわれがこうして生かされてい るというのも阿弥陀如来のおかげなのだ。会うも会わぬも、うのが、入道の宗旨である。 かかわり そのようなことは関係ない」 「では、せめてお浄土でも拝見にゆくのはどうだ。結構な ( この入道は、かからぬ ) めくらまし ところだそ」 幻戯に、である。唐天子はそう思った。そう思うとかえ 「あわてなくてもいい」 って気楽になったのか、あの、魂を吸い寄せるような低い 声をもはややめ、やや朗らかなべつな声でいった。 入道のほうが、むしろおちついている。 つばね 「お浄土へはな」 「頼みだ。わしを、お今ノ局とともに沖ノ島にやってくれ と、入道はいった。 ぬか」 「時が満つれば、いやでも応でも阿弥陀如来がわれわれを「お前さん」 連れて行ってくださる。ひとりの落ちこぼれもなく連れて 入道はあきれた。 行ってくださる。それが、阿弥陀如来の本願というものだ。「幻戯使いというではないか。そういう玄妙な道術を使え うみ われわれが逃げようとしてもかならず連れて行ってくださるというなら、勝手に湖水を渡って沖ノ島に行ったらどう る」 「島守りの承諾を得ておきたいのさ」 「わしもか」 「な・せかね」 唐天子は、逆にひきこまれてしまった。 「私は物固いからね」 「ああ、むろん、そなたもだ。ひとりの落ちこ・ほれもない。 と唐天子はいったが、それは言葉のあやではなく本当で 悪人ならば悪人なればこそ救うてくださる。唐天子のよう こころ なあやしき精神の者はそのあやしきこころのまま救うてくあるらしい。むかしお今のもとにやってきたときも、わざ
341 妖怪 「影ではない」 「居や」 源四郎自身は、自分を生霊だけの存在であるとはおもっ 「居るのでございますか」 ていない。 「あたりまえのこと」 「しかし、お前はゆれている」 いきりよう むくろ 相手は、生霊が抜けてしまった形骸なのである。動きだ と、お今は気味わるそうにいった。源四郎の姿は、ゆら したのはよいにしても、あとどのような危害を加えるかわゆらと立ちの・ほるかげろうのようでもあった。 からない。 「気のせいだ」 「されば、手をのばしてお見せ」 一方、この同刻、沖ノ島ではいよいよ風がつよくなって お今はそれをなにげなくいった。言った理由は、源四郎 の手をとってその温かみに触れたいと思っただけであった。 お今は、源四郎の生霊と対座していた。生霊は、京の富「こうか」 子の部屋にいる形骸とちがい、ものを言うことができた。 源四郎は、右手をのばした。お今は、それをつかもうと たとえばこのときも、 した。が、影をつかむように、お今の手は空に流れた。 「風が、つよくなってきた」 「あっ、お前は」 と、聞きとれぬほどの小声でいった。お今はそれを聞く と、お今が恐怖のあまり叫ぼうとしたとき唐天子がにわ ために体を近づけた。 かに板敷の上にうずくまり、 たも 「風が、どうしたのかえ ? 」 「恐れ給うな」 「つよくなってきたな」 と一一 = ロい これは源四郎の生霊でござる。拙者のいたずら しとみど やっこ と、源四郎はくりかえした。蔀戸から洩れてくるすきまでござる。「恐れ給うな。この源四郎はあなたの下僕でご きちょう みすふさ 風が、御簾の房をうごかし、几帳のとばりをうごかしてい ざる。あなたの下僕にすべく連れて来もうした」といった。 る。お今の目からみれば、源四郎の姿自身も、その風にゆ「ああ」 れているようであった。 お今は、唐天子の声が耳に入っているのか入っていない 「おまえ。 ・ : まるで影のような」 のか、さらに声をあげた。あげたのも、むりはなかった。 と、お今はつぶやいた。 源四郎の姿が、しだいに薄れはじめているのである。 る むくろ
325 妖怪 ろうにん 「なんのことだ」 てゆく兵法修行者らしい牢人がいた。 「あっははは、これはなんと物忘れのひどい若衆だ。ひど 老ノ坂にさしかかる。 この坂をくだれば、ふもとはすでに桂川の流域平野であすぎる。ほら、今参りノ局、京では一時、三魔のひとりと して大そうな権勢をふるった女だ。思いだせぬか」 り、京の西郊にあたっている。その坂の中途で、 「思い出した」 「源四郎」 と、声をかける者があった。キコリかとおもえば、クグ「あたりまえだ。お前さんは、一時はお今の養子にされて いたではないか」 ッ ( 人形使い ) のようでもあり、の行者のようでもある。 くす うわっち その者は、路傍の楠の根方にいた。根は、上土が風で吹き「ああ、そういうこともあったかなあ。まるでこの世に生 おおだこ けずられてしまったのか、奇怪な大章魚の脚のむれのようまれる前の、前世のはなしでもきかされているような気が する」 に地から盛りあがっている。 「おい、ふざけるな」 「わしは、たしかに源四郎だが」 旅の男は、源四郎の物忘れのひどさをもてあましはじめ 若い兵法修行者は、足をとめた。 たらしい。が、源四郎はべつにふざけているわけではなく、 「あんたはたれかね」 まるで覚えがない。・ : カその旅の者は源四郎をよく知っそれがありようのこの男なのである。 「源四郎、ふざけるものではない。おまえが兵法修行に西 ているらしく、 ちくてん ′」く 国をまわると申して京から逐電したのはわずか数年前のこ 「いい陽ざしだ。ここで休まぬか」 と、根のひとつを指さした。源四郎はいわれるままに腰とではないか」 「たしかにそうだ」 をおろした。 「京でのことは、みなわすれたのか」 「お今はな」 源四郎はそれに答えず、旅の男をしげしげとながめて、 と、旅の男は意外なことをいった。 おうみ やがて、 「近江の沖ノ島にいるよ」 「おまえは、何者だ」 「お今 ? 」 「ほら、将軍の寵姫のさ。想いがさめてしまえば、流されといった。男は、興ざめたような顔をしたが、やがてわ ねむ ざと睡そうな顔をつくり、 者さ」 おいさか かつらがわ
321 妖怪 「さあ、どうかな」 とその胸をゆすぶった。 「私は入道のおんなになったではないか。入道は自分の可と、何度目かのつぶやきを洩らした。入道は、頭のなか しやペ わゆ 愛き者を沖ノ島にやるのか、そのようなむごいお人か、入の思案をいちいち口に出して喋らなければ物事を考えられ 道は門徒であるという、門徒は他宗にないやさしい心をも ない。べつに奇癖ということではなく、この時代の人間の くちびる っているときくのに左様にむごいことをするのか」 多くはこうであった。いちいち唇をうごかす。唇がしき りに動きつづけていたが、ふと、 というふうなことを、ひと晩寝ずにかきくどいた。が、 やかた 「島へ流さず、この館でかくまってやろうかな」 入道の一存ではどうにもならない。 といったとき、 ( おや ) ( いやさ、これはどうも ) だだ とおもった。いまつぶやいたのはたれだとおもった。自 堅田ノ入道は思案した。お今に駄々をこねられてみると、 分ではない。 むげに、 「京の命令でござる。御教書まで下っております。おとな「たれだ」 しゅう沖 / 島に渡られるがお身のおためでござる」 と唇を動かしたが、このたれだということも、どうも違 などと切り口上ではねつけてしまう気になれない。しか和感があって、自分の唇がそのように動いたとはおもえな もまだ一夜とはいえ交わりを結んだ以上は入道にとってた 唇が、他人のもののようになってしまっている。 だの女ではない。 ( どうもおかしいな ) と、わざと唇を動かさず頭のなかだけで思った。この思 ( 男女の縁とは、奇妙なものだな ) いはたしかに自分の思いらしい とおもわざるをえなかった。ただ一夜のまじわりだけで はあり、お今への情愛がそれほど深くはなかったが、しか「唇が、よそへ行ったか」 これは、どうか。自分のつぶやきか。そうおもい、あわ し捨てられるか。島送りにするというのは捨てることにな るではないか。 てて唇をなで、塩でたこでももむように唇をもんでみた。 入道は別室へしりぞき、思案した。風が出てきたらしく、そのとき、ふと部屋のすみにひとりの小男がすわっている しおざい ことにはじめて気づいた。 裏の浜からひびいてくる潮騒の音が部屋いつばい満ちては 「おまえは、たれだ」