154 子そ子そ し、カ、のて お のを代のと え と て道たれ歩坂鴨も と 。タ穹 す 堂 と し、 まも後尊莞将か、 こ岩はと 日ひ も 度に川、 つ は 世か崇軍や、源 し 、足がさをだ 源カ し はでたお つを徐 、間れし足亡ぶ 、が し五せ四て 屋かはた利き 、良に と 々か条な郎見 童 ゆの にた 根ら 一義亡のをよ るそ入ほめにか し 子 でいはた て速る渡 。そ わのと満屋お り っ う も た よ の 太が 、たが 背 朽す が根も いく と のう る 。いたな ちれ子あ若 あな き 行ひ 、かど と てら信 い見ナ っ飛 あ り いれ仰 のだ速た ぶ 童 く た 里ぬ に るてをそろげ太 かああろめたよ子 子 従 。しわ の護た子 の るた う め う る て の し、 、な足 源ますと カ : 堂 足 き 持 影 り な 、で つれき 僧 い源 速は カ ; が が にの と く道 郎た う 四度次 ら な て にたは に第 。し のす よ 良に が しあ ま は いは 。ゆ ま太すかる ど り り はなに な 、気っ速 が い子めにま う う 度 源 づた そし べ オよ く と 呈ら し 。な の 自をれ う そ 四 かか て の 雨 ばぬ童 然 建てして も 東 り の て聖あと 前 を そ 山 のた徳きる . 思 く け ま のや れ ふ の 、太 ず が 太が にそカ あ 山 り て い の常 生豊 あふ そ りそ ・ろ ついに ー -1 星 . し と が内 みなと が あ 堂げと おけか と う おた る お し、 の の 、いる 、に 源 なて つむ いそ り 立にて ぬでほ し、 し、 、ま 堂入源 源 、が 頬し、四 像はいろ はあど そ っと の 童 う 、るを 、る く思の はる っ四 に四 よ の ょ甲 . ににて郎 が子 。ぎ郎子 こ太ろ い両太こ通 妖 う り の に く よ に 等は へ 子 しが 子 怪 すは み でだわ の 朱旁 ぎ手 案像た身たまな の太た あ し き でん か然あだ 内 のれ大 に木子 すを 才し った つに し脇が が の も たこ従像堂と つな る てか し の いば 童活し 。と者がにが た小 、聖い ナこ い 。麦木童 木し あ子け徳なたお にのお雨あ 、童さやり 色像 子 太し のて のた の 。源と は像 成そ 童む の子 そ子めど に 触の 塗 極 か像目四し の像ら りそ は 子か ら彩黙 の郎ナ 童がれ が カ : しの っ 唇 て供く立前も 子立てたと 指 れ色然 あ と っ左 イ象 つい つに き触 たががて蜘く入ろ そ のてる いし 、しお蛛もっ が ろ て の 降 ど源 のた童 体た立 く あぼ り 、巣 。子 とが像 ちら四 き ん り びれ郎 らでそカ は つ 、を か 木占 し 、あ る のあ す い てナ の はそ見 にれ宝り 童 っ で 、のお て前、 見 子あた た に る くちびる
幕府やそれ以後の徳川幕府とちがい、諸事ゆるみきった政分を仕立てるには、富子もたいした苦心をしたろう」 体だが、その一例として将軍の後継者をさだめるのに基準「苦心かね」 がない。本来ならば正室が生んだ長男がつぐべきものだが、「女は自然と美人になるものではない。自分が自分を美人 いちねんほっを そのあたりがあいまいで、側室腹でも十分継承権をもつ。 に仕立てるのだ。富子はおの懐妊におどろき、一念発起 しようふく てくだ お今が男児をうめば妾腹ながらも義政の長男ということにし、義政将軍の気が自分に移るように手管のかぎりを尽し なり、腹大夫がいうように大変な価値がある。 た」 「それが幸い女児さあ」 「すでに御台所ではないか」 しもじも ねや と腹大夫はいった。 「鹿だな、下々とはちがう。将軍の閨は一つだ。しかし 「いいざまだとよろこんだのは、正室日野富子とその実家将軍の閨によばれたがる女は十人はいる」 の兄日野勝光だよ。このふたりはお今の懐妊中は色がなか「側室か」 ふる ったのだ。慄えながらお今の腹をみていたところ、ありが源四郎は、あきれた。義政は少年のころから馴染んだお 今ばかりを閨によぶわけではなく、あの若さで他に側室が たくも女児だよ」 多くいるというのである。 「見てきたように言う」 「それが将軍のしごとだ」 「いやさ、辻のうわさだ。そこでだな」 「大変なしごとだな」 日野富子である。 びばう 「あれだけの美貌でありながら、輿れ前後というのは痩「おまえも将軍になればそうなるだろう」 「それで ? 」 せて顔色のわるい、色っぽさなどはこれっぽちもない、い けんきそ 「そう、日野富子がよ。他の側室と妍を竸ってやっと閨に わばゴボウのような姫御前だったよ」 よばれる夜が多くなった。それで懐妊したのよ」 「見たのか」 「いやさ、辻のうわさだ。わしはそのころ京へはのばって富子の懐妊で、富子の背後勢力はよろこびでどよめいた が、残念にもうまれたのが女児だった。 おらぬ」 「それも生後ほどなく死んだ。いや、死産だったともいう。 「それで」 なま 「いまはみろ、まるで足の爪まで艷めいておとがいから果それからがうわさが大変で、あれはお今がさる者に頼んで じゅう 汁のしたたっているようなあの御料人ぶりだ。そこまで自祈り殺したのだということだ」 かいにん
0 霊光殿に渡る通路。等持院は尊氏創立の足利家累代の提寺 向京 か都 て等 右持 よ院 四霊 代光 義 t 殿 持をに 安 代さ 義 t れ 、歴 七代 代足 義利 勝将 八像 代の 政部 で間もひ畜悪た をトか製い材き広ラう し のが さもをにろ生病の時 次歩ルど作て質こいッし最た もむ境クる初 。てっ描生が 、だ代ど くはう 年い きり修飢き よと内や道にも のう 、光あか代る く大の乗がたち わもうて、羅饉え 人し 上亥景る たたとい人は 島とはだた室顔わき一用山 : すろ 羽ば凄 ! ろだ町のかな番車科ねんしくしたび現強い ちも 、時表ら木奥が街たもみたでと実奪う のみう はそ 浄が。そ代情な彫ま音道伏亡妖 まにもあはののよ 地の いのつをに見み怪す形のろ妖日つう 褝あこのまも 蔵本 し地たた突の現象でう怪常づな 寺るれ巨でほ が カゞ 、蔵場てき大の代化あ。のでく話化 . へのが大さの まに化なかか剥はが所てあ善モのしり小実あ中でけ し、 げうに飛た寺デ六た、説在り世ある 出 わちけののに たすあばるはル地よ作を、末っと つがてにば見 たい、驚らえ彩ばりしす、に蔵う者妖信そ期たほ な 色ん、てぐ字会巡には怪 なゆいせる し、 いらたるだのや格言いそ治うり思そ けうり子したばかつをわれは そら地つ とでえと戸ど。にらもすれをそ の地獄たに と は 京深上があに見か地あ京りるる地う 横蔵、く信 か 夜二でる塵えら蔵り都は 。蔵し行信餓、し く と仰鬼戦て のメきががるの堂 、へなと 幻た の 化人 最町一る、浮。ぞはトついに とも 、乱い あ たカ・フいし るいだい 29
ゅうづうざんまい なって幾多の後宮を従えようと、それは融通三昧、自由自ているだろう」 在で、地頭からられるということはない。 とくと見てお源四郎はしやがみ、声をあげた。なるほど濡れ縁を女が くことだ」 三人いそぎ足で渡っているのである。 「ぬしが、作ったのかね」 がわら その精巧さに、源四郎は驚いている。屋根瓦は月光を吸ーーー声 . をあげた。 しろがねいろ って、銀色に光っているし、檜皮ぶきの屋根はその栗色といったが、源四郎自身、さほどおどろいたわけではな の色面に露をふくんでぼってりと重たげに闇に溶けている。 い。というより、驚きという、人間の心をそのためにつね 「存外な器用さだな」 に新鮮にしている精神の機能を、源四郎はうしないはじめ 源四郎がおもわずのそきこんだのは、林泉のなかの池にていたといったほうが正確であろう。 月が砕けてきらきらと光っているようにおもえたからであ「これは唐天子」 る。 と、顔をあげた。 「ほんものの花ノ御所か」 「器用なものか。おれは前世でもいまの世でもうまれてこ 「疑うなら、その侍女を見よ」 のかたものというものを作ったことがない」 と、唐天子はいった。源四郎は屋根の軒端にまで顔をち 「では、作らせたのか」 とち かづけて濡れ縁を渡ってゆく三人の侍女を見た。侍女は栃 「京に、これほどのひながたをつくれるエ人がいるかね。 の実ほどの大きさで動いてゆく。 第一、松をみろー 「左様、松がむずかしそうだな」 三人が回廊へさしかかろうとしたとき、一人がなにか声 からさぎ かわや この花ノ御所には唐崎から移したという磯馴れの松があをかけ、奥へいそぎ、厠らしいところに入った。他の二人 るときいていたが、このひながたにもそれがあり、根のあはそれが用を足して出てくるまで待つつもりらしく立ちど たたず 怪 がりぐあい、幹の這い方、枝のまがりよう、とてものこと、まりじっと佇んでいる。 はち これだけの松が鉢で作れるものではない。 なるほど、そういわれてみるとこういうごく日常的な情 妖 「では、たれが作った」 景はほんものでなければちょっとありえぬであろう。やが 「作ったのではないといっている。これは花ノ御所をそのて用を足した侍女が出てきて、三人がもつれるように回廊 まま縮めてここへもってきたにすぎない。みろ、人が歩いを渡りはじめた。 あまた かた ひわだ のきば ぬえん
日野富子像 ( 京都・宝鏡寺 ) に 「あれだけの美貌でありながら、 輿入れ前後というのは痩せて顔色 のわるい、色つほさなどはこれつ ほちもない、 いわばゴボウのよう な姫御前だったよ」 「見たのか」 「いやさ、辻のうわさだ。わしは そのころ京へはのほっておらぬ」 「それで」 「いまはみろ、まるで足の爪まで 艶めいておとがいから市のした たっているようなあの御紺んぶり だ。そこまで自分を仕立てるには 富子もたいした苦心をしたろう」 「苦心かね」 「女は自然と美人になるものでは ない。自分が自分を美人に仕立て るのだ。富子はお今の懐妊におど いちわんはっき ろき、一念発起し、義政将軍の気 が自分に移るように手管のかぎり を尽した」 「すでに御台所ではないか」 「馬鹿だな、下々とはちが、つ。将 軍の閨は一つだ。しかし将軍の閨 によばれたがる女は十人はいる」 ( 「妖怪」 ) わや びばう
412 ごうかん に臥せ、ついには合歓し、むせぶがごとくかれの耳に山上を得ない。 憶良の歌を吹き入れたのであろう。所郁太郎はいまなお書にわかに、遁辞を思いついた。 えちぜん らんがく 生とはいえ、窮理をまなぶ聞学の徒であった。昨夜の怪を「越前へゆきたいのです」 事実、行きたくもあった。越前大野四万石の土井家には、 窮理すればあるいはそうなるかともおもった。 しんぞう ちかごろ藩立の洋学所ができ長州浪人の伊藤慎蔵という緒 がたじゅく 方塾仕込みの闌学者がその主任教授としてまねかれている。 所郁太郎は、美濃国大野郡西方村の養家にもどった。養伊藤慎蔵は闌式兵術に長じていたが、他の聞学者とはちが 父母は安堵した。婚のお辰は郁太郎の帰郷後ひどく無ロい、かれは体操というものを知っているという。体操その になったが、その息をつめて見つめるような所作が、かれものが新奇なのであった。一定の法則によって手をふり、 しんきゅう をきらってのことではないことは、たれの目にもわかった。足を動かすこの動作が、病気の予防と治療に鍼灸よりまさ お辰は、小柄なわりに、手がめだつほど大きく、郁太郎のると郁太郎はきいていた。 たもと 前では、しきりとその手を袂のなかにかくそうとした。そ「蛭飼いよりも、まさるのか」 り「さあ、そこまでは存じませぬが、医療のあたらしい方法 のしぐさひとつでも、京の女を見た郁太郎の目には、や * でんしゅう かと存じます」 きれぬほどの田臭がにおった。 この体操の一件で所家では親族一同をあつめ、郁太郎を 「お辰も、去年、むすめになった」 と、養父の伊織はいった。郁太郎さえその気ならすぐに越前大野にやったものかどうかを、相談した。 でも婚儀をあげたい。孫を見たい、とこの老医はいうので伊織もその親族も、郁太郎を類のない俊才だとおもって ある。 いた。かれを怒らせて所家をとびだされることをおそれ、 この体操をならう一件を許可した。 「どうだ」 おそ 伊織は郁太郎の気むずかしさを怖れているらしい。郁太「一年で、きっともどってくれ」 郎は顔を伏せ、返事に窮した。所家の相続者をお辰に生ま伊織は念を押し、郁太郎は出発した。美濃から越前への せるということで、いままでの学資はまかなわれてきてい道は、濃越国境の乢を越えねばならない。ときに、冬で る。その手前、ことわるわけにはいかないが、しかしいまあり、越えるだけでも死を賭さねばならぬであろう。郁太 ねおだに 所家の婿になりおおせてしまえば、風雲への志はすてざる郎は、樽見から、根尾谷を北上し、雪中、這帽子峠の嶽を むこ いおり ひる たるみ とんじ
160 「その花ノ御所へだ。わぬし、その御所へいまから行ってきさで立っていた。樹木は星を突くようにしてそびえ、眼 ひわだ しんでん みぬか」 前に巨大な檜皮ぶきの屋根があり、寝殿ふうの建物が闇の 「行く ? 」 なかを大きく占めている。 「その気になれば行ける」 ( これが、花ノ御所なのだ ) * やみず と、源四郎はあたりの闇を見まわした。背後に遣り水の 行こう、とおもった。あの杉戸のむこうの富子の部屋に流れる音がきこえた。花ノ御所のなかで日野富子が住む一 入れるとは、信じられぬほどの幸福であった。 郭は公家ごのみの寝殿造りにつくられてあるようだった。 「しかし、どうすれば行けるのだ」 源四郎は歩き、建物に近づいた。 「その気になったか」 奇妙なことに、自分の足音がきこえない。足もとは白い 「なった。どうすればよい」 白河砂であり、当然大粒の砂のきしむ音が足をふみおろす 「なにもせずともよい。そのまま歩いてゆけばよいのだ」たびにきこえねばならぬはずであったが、えりくずが舞い 「歩いて」 落ちたほどの足音もきこえないのである。 「そう。自分の足が、好きなところへわぬしを運んでくれ月光が、白河砂いつばいの庭を照らしている。そこを、 る。目をそらすな、その植え込みに、青い紀州石があるだ源四郎はゆく。 ろう 往くが、いまひとっ奇妙なことに、自分の影がないので ある。 「わからない」 「よくみろ」 影がない。 かがりび はだあわっぷ と、唐天子は篝火から薪の燃えたのを一本つかみだして というのは、源四郎にとって肌に粟粒の立つほどの恐怖 まゆ 源四郎のひたいに近づけた。源四郎の眉がちりちりと焦げ、であった。源四郎は立ちどまって自分の姿をきよときよと にお 匂った。しかし源四郎はかまわず、その炎のあかるさをたと見た。腰にはまちがいもなく太刀を帯びており、折り目 よりに目をこらしつつ青い石をさがそうとした。五、六分のくずれた麻の襭は相変らず垢じみて重く、足には半かけ ぞうり もそうしていたであろう。 の草履をはいており、どこからみても自分であることはま 「あった」 ちがいなかった。しかし自分が自分である証拠ともいうべ とつぶやいたとき、その石は源四郎のそばに等身大の大き影がなかった。もしここに鏡があったならば、源四郎は あか
花ノ御所の前で腹をかききって死ぬ。このことば、疑う りであったが、運命はそのようにならず、源四郎はとらわ な、印地のことばにはまちがいはない、と言いきった。 れ、自分はわけのわからぬ境涯に迷いこみ、いま大瓶をか ついで歩かされている。子供があそぶあの石蹴りの石のよ 念閑は腹大夫のもとを辞し、堀川の通りを北上しながら、うであり、石はどこへ飛んで行ってどう既ねてどうころん われながら自分とは何者でなんのためにこの世に生きてい でゆくか、このままではゆくえもわからない。 るのだろうと、しみじみいやけがさした。 ( しかしながら ) おおがめ なわ 大瓶を背負わされているのである。繩をもって背にくく ともおもう。世にある人というものはみなこうではある りつけられていた。道をゆく者が、 まいか。石蹴りの石のようなものであろう。 「瓶が歩いているのか」 ( お浄土、お浄土 ) よすぎ れんだいの と笑った。なるほどうしろからみれば瓶の底に足がはえ と、念閑は、自分がかって自分の稼業のために蓮台野の ていてか・ほそくも歩いてゆくようにみえる。 葬列のひとびとに説いてきたお浄土のことをおもわざるを この瓶に永楽銭をいつばいにしろ。 えない。あのように身すぎ世すぎながら今に説いてきた自 と、腹大夫は命じた。それならば富子のために働いてや分の説法は、存外真理ではあるまいか。人はこの世にある る、とあの男は言い この瓶を富子にみせろ、というのでかぎり石蹴りの石であり、死んでお浄土に識ってはじめて ある。 落ちつけるのではあるまいか。 ( ばかげている ) 「お浄土や」 うた まったく、ばかげている。このおれはなにをしに世の中と、念閑は、泣っ面で小さく謡った。 にうまれてきたのか。瓶をはこぶためか。富子に追いまわ されるためか。腹大夫におどされるためか。 お浄土や ( すべてはみな、あの源四郎という若者が頼りにならぬか お浄土詣るそれまでは らだ ) 瓶をむつくりかつがされ らくいん とおもった。念閑は源四郎が足利家の落胤であるという こちへよろり なか ことを半ば信じている。もしそうなら自分の将来を源四郎 おちへよろり に托しようという気持もあって源四郎のために働いたつも よろりよろりの娑婆の辛さや かめ しやば
353 妖怪 ったのは、ひとつには好奇心であり、ひとつには、 に立ちの・ほっているという。 そのいかがわしさを、くじいてやろう。 「たれにでもみえるのか」 じんずう ということであった。が、会ってみればどうということ「、 しいえ、よほど神通を得た者か、それともお館の御ある もない。むしろ、この僧の万事ひかえめな態度に好感すらじにしか見えませぬ」 もてた。たとえば勝元が、 「では、わしには見えるというのだな」 「番士たちに、なかなかの霊験を見せられたそうだな」 「左様」 と水をむけても、僧はべつに誇りもせず、むしろ「いや僧は、うなずいた。勝元は小しやくに思った。 さ、ほんのいたずらでござる」と言い、その話題に触れた「瑞気がの・ほっていればどうだというのだ」 がらぬほどであった。 「どうもございませぬ。瑞気がのぼっているからのばって いると、左様申し述べに参上っかまつったまででござる」 それに、無ロである。みずから面会をもとめてきたくせ 僧は、気をもたせるようなことをいった。 に、この無口さはどうであろう。このため勝元のほうから いいことがあるのか」 話の水をむけねばならなかった。 「さあ、そこまでは存じませぬ。ただ古来、左様に申しま 「要するに、なにか、わが館の上に瑞雲が立っておると ? 」 「さあ、雲と申せますか、気でございましような、つまりするな」 ずいき 僧のこの態度は、疑いぶかい勝元のような男の心を攬る 瑞気」 には十分であった。 「瑞気とは、どういうものだ」 「紫光でございます。ちょうど露草の、いや、すみれの花「見よう」 のような色が、かすかに光を帯び、気になって昇り、遠望勝元は、むしろ自発的にいった。こう来なければこのよ たち すればさやさやときらめいているような」 うな疑いぶかい質の男を唐天子の世界にひき入れることは 「わが館のどのあたりに」 できない。唐天子は勝元を自分の世界にひき入れるための 「お庭に千年松がござりまするな」 ほんの手段としてこの「瑞気」をつかっている。 「ある」 「それは濡れ縁からでも見えるか」 都では、細川どのの松といって有名であり、どの場所か「いやいや、それはご無理でござる。瑞気とは遠望せねば ぎおんしゃ らでも遠望できる。瑞気は、その千年松のこずえのあたりみえぬもの。都なら祗園社の台地からでもご覧あそばさね
134 たぐ と、何度も、番士にきいた。番士はそういう念閑の顔つ そういう類いのはなしはいっさい信じないたちで、ひとが、 きが気味わるく、ろくに答えずにいた。念閑は、やがてね しいえ、そうなのでございますよ。 と神仏の不思議を説いたりすると、かさにかかってそうむった。寝顔が、どこか鳥に似ていた。 いうことはない、と言い、それも声を高くしていう癖があ った。この種の話に無関心なのでなく意地になって否定す日野富子は、朝になるのを待ちかねた。 うれしの るだけに、それだけ逆に関心もつよいともいえるであろう。 まだ夜があけぬか、嬉野。 「その僧をみたい」 と、夜中に二度も次室に声をかけた。嬉野はそのつど、 といった。見て、はたして観音の霊異というものがこの 「まだでございます」 かん 世にあるものかどうか、この目で見、たしかめてみたい。 と、歯切れのいい声で答える。癇のつよい女だけに、声 さよう 「もう夜でございますよ。夜、左様なものをごらんあそばをかけられるとどのように眠っていても目をはっきりさま す。 しますと物の怪が憑くと申しまする。朝になさいませ」 と、嬉野がいった。富子は、そう言われてみると気味わ やがて朝がきた。 けわい るくもあり、翌朝にすることにした。 朝の化粧をすませた富子は小娘のようにはしゃいでいる。 念閑は、その夜御所の番小屋に泊めおかれた。ふつうな退屈だけが充満している中世貴族のくらしのなかにあって ほはく こじぎ ら捕縛されるところを繩だけはまぬがれたのは、一同には、たかが乞食坊主を見物できるというただそれだけのこ おそ こうふん 「もしや」という怖れがあったからであろう。 とで、これほどにこの御台所を昻奮させているのである。 しらす 念閑は、醒めきってはいない。 やがて、念閑が庭の白洲にひきだされた。その白洲には おんみようじ かれは顔を打って気絶をしたが、このために陰陽師がか念のためにむしろを敷き、そのうえに白布をかけ、それを めくらましじゅばく けた幻戯の呪縛が解けてしまったわけではなく、息を吹き座にして念閑をすわらせた。もし念閑が観音であった場合、 かえしたあともあのうつろな状態はつづいていた。このうせめてそれだけのことをしておかねばあとのりがおそろ つろな状態からかれを解きはなつには、それなりの術をもしいとおもったのであろう。 ってもとへ戻さねばならなかった。念閑は自分がどこにい 嬉野が、ぬれ縁にすわった。地面には念閑の左右と背後 るかがわからなかった。 に侍が片膝をついている。ひとりは弓をもち、他の四人は 「ここは、どこでございます」 棒をもっていた。 ものけ っ なわ かたひざ